ブログにおいてゲームのルールは改めて伝えられるべきか?
- 2013/11/21
- 22:45
自分がボードゲーム界隈のブログを読むとき、知らないゲームについて書いてあるものより、既に知っているゲームについて書いているものの方を読んでいることに気づく。
特に、自分が気に入っているゲームを他者がどのように感じ、またその面白さをどのように分析しているか、といったことに関心が向く。自分と同じように面白いと評価している記事は、読んでいて何となく嬉しい。自分が言語化できなかった、ゲームの面白さの内奥を見事に分析している記事を読めば、新しい分析的視点を得られ、一つ賢くなったような気になれる。
となれば、既に人口に膾炙したゲームの記事にも十分に存在価値がある、かもしれないわけだ。
読者にとって未知のゲームのルールをどのように伝えるか苦心して、その先で伝えたいことにたどり着く前に筆者も読者も力尽きてしまうよりは、いっそルールなど全く触れることなく、知っている人だけ読んでくれスタンスもアリなのかもしれない。
特に、自分が気に入っているゲームを他者がどのように感じ、またその面白さをどのように分析しているか、といったことに関心が向く。自分と同じように面白いと評価している記事は、読んでいて何となく嬉しい。自分が言語化できなかった、ゲームの面白さの内奥を見事に分析している記事を読めば、新しい分析的視点を得られ、一つ賢くなったような気になれる。
となれば、既に人口に膾炙したゲームの記事にも十分に存在価値がある、かもしれないわけだ。
読者にとって未知のゲームのルールをどのように伝えるか苦心して、その先で伝えたいことにたどり着く前に筆者も読者も力尽きてしまうよりは、いっそルールなど全く触れることなく、知っている人だけ読んでくれスタンスもアリなのかもしれない。