ニルギリさんのツイートから~ゲームデザインの良し悪しと倫理的問題
- 2020/09/27
- 11:55
『「また明日あなたと遊びたい」と言われるようなプレイで遊びましょう』(クラウストイバー)は本当にそうだと思うし、これはボードゲームが大抵の場合ゲームルールに定められて明示された「勝敗」という目的以外のもう1つの暗示された目的があることを表している。
— ニルギリ@するめデイズ (@NILGIRl) September 26, 2020
これ自体が良い悪いではなくて、そういう性質を持っている。ここに自覚的になると新しいゲームを生める可能性があるかもとずっとぼんやり思ってる。
— ニルギリ@するめデイズ (@NILGIRl) September 26, 2020
あるゲームデザイナーに「場を盛り上げる人間と、そのゲームの勝者が異なっている場合についてどう思う?」と質問したら「そうしたいなら勝利条件の設定が下手なデザイナーの責任」と返ってきたのが面白かったけれど、踏まえると例えば「また明日あなたと遊びたい」と思われたら勝ちという勝利条件?
— ニルギリ@するめデイズ (@NILGIRl) September 26, 2020
目的が暗示されているということは、ある意味空気を読まないとボードゲームは人と遊んでられないということであって、ゲーマー皆さんが大抵対人能力高いのはそれはそうだよな、、!と思う。すばらし。
— ニルギリ@するめデイズ (@NILGIRl) September 26, 2020
ニルギリさんのこれらのツイートが、丁度私の直前のツイートと関連する問題だったので、ちょっと触れます。
「また明日あなたとあそびたい」というのは、自分が参加したそのセッションが何らかの意味で良いセッションであったということでしょう。
- 場を盛り上げた人=セッションを良いものにした(非明示的な目的を達した)人
- 勝利した人=明示的な目的を達した人
ゲームにおける勝敗と直接的には関係なく当該セッションが悪いものになることは、ゲーム作品の問題である場合だけでなく、参加したプレイヤーの(もしくは、当該個人というより、当のプレイヤー達が与する社会通念における)《倫理的問題》として捉えるべき場合もあると思うからです。
『ごきぶりポーカー』などが顕著な例かもしれません。初期にカードを押し付けられた人に集中砲火してゲームが終わり、何もすることがなかったプレイヤーが出てきてつまらない思いをするからダメな作品だ、という意見もありますが、私は明確にこの意見に反対です。というのは、前半、皆に負ける可能性が出てくるように、散らしてカードを押し付け合うようなセッションでは、少なくとも先の意見のような意味でつまらない思いをする人は出て来ないわけで、このようにプレイヤーの努力で悪いセッションを回避できるようなゲーム作品を端的にダメな作品だと言うことは不当な評価と思えるからです。
明示的な目的(勝利すること)と非明示的な目的(セッションを楽しいものにすること)とに齟齬が生じることは、それ自体がデザイン上の瑕疵ではない、と私は考えます。その齟齬がデザイン上の瑕疵と言われるべきなのは、①プレイヤーの如何なる努力によってもその齟齬が埋まらない場合 または、②その齟齬の顕在化可能性が残っている状態のルールで味わえている良さが、その齟齬の顕在化可能性を極限まで減じた状態のルールでも同様に味わえるような場合 に限られるのではないかと思います。
つまり、私の主張は、ゲームデザインの良し悪しとゲームプレイ上の倫理的問題とは切り離して考えられるべきだ、ということです。
ちなみに、このことは、齟齬を無くすようなデザインが無意味だということを意味しません。その齟齬の有無に関わらず、質の同じ良さが味わえるのなら、齟齬の無い方が当然良いデザインだからです。齟齬を排除することが良いデザイン上の必須条件となってしまい、ある種の良さがこの世の全てのゲームからスポイルされてしまうようなことは回避したい、というのが私の思いです。
2020.10.24(Sat) 追記
頂いた反応を見て、ちょっと反省した点を追記しておきます。
記事本文中で私は、『ごきぶりポーカー』を例に挙げて
1.
前半、皆に負ける可能性が出てくるように、散らしてカードを押し付け合うことで
2. カードの嘘・本当を言い当てたり、カードを押しつけたりする機会を得られないプレイヤーは出て来なくなり
3. セッションは楽しいもの(良いもの、成功したもの、快いもの)になる
という話をしました。
私はこの1.→2.→3.の流れを自明のものと考えていたのですが、実際には次のように捉える方もいるのかな、と気付きました(以下に示す2'.の中味についてはちょっと違うかも知れませんが、私がここで言いたいことの核心は、同一の1.を前提として、真逆の3'.に帰着する場合がある、ということなので、2'.の中味の多少のずれはご容赦下さい)。
1'.