misc:判例があります!
法律家ではない普通の人と法的問題に関係する事柄で協議する機会があり、向こうはこちらの職業を知らないという時、話は結構難しい。
大体そういうときは揉め事であり、感情的になっていることも多いので、法的な常識について話しても聞く耳を持ってくれない。
それに各自がそれぞれの常識で判断するものだから、例えば一時的な代理はいいけどずっと代理するのはダメとか、役職につく資格が決まっている場合に、メンバーの一人なら資格がなくてもいいけど責任者だけはダメとか、ルールの手前勝手な読み替えが横行する。
法律学の大学教授という自己紹介をしてしまえば、いわば権威をまとうことである程度は話が簡単になる。
しかし大学教授と言っても何でも知っているわけではない。法律や細則、内規などは読めば分かるが、更に実務慣行とかは知らない。いや法律だって、専門外ならそんなのがあることすら知らない場合がほとんどだ。
すると自己紹介して一旦権威をまとっておきながら、問題の領域についてほとんど知らないことが露呈すると、かえって信用はなくなる。
そこで敢えて自己紹介はせずに話し合いに参加するのだが、各人の常識に法的なものの考え方で対抗して、おかしな理屈や悪影響が出そうな話を修正するのはとても苦労する。
納得がえられなかったときに、どこからともなく弁護士がこう言ったという話が出て来る。どういう文脈で聞いたのか、きちんと法律相談として聞いたのか、どこまで具体的事情を説明した上での話なのか、全く分からなくとも、弁護士がこう言ったということが説得力を持つから怖い。
更に弁護士から教えてもらったとして、「判例があります!」との決め台詞が出て来ることもまた多い。
判例と言っても、いつの、どのレベルの裁判例なのかとか、このケースに当てはまるのかとか、そもそも変わることだってあるわけだけどとか、色々思うところはあるのだけど、元々が伝聞だけに肯否何れとも反応しにくい。
しかしともかく、弁護士がこう言ったというのと、判例がありますというのとは、ある種の権威をまとうので、素人の一員としてはなかなか反論しにくいし、一人歩きして思わぬ結論に結びついたりする。
そんな時に、こちらも権威を持ちだして反論するというのでは不毛だし、かといってその判例の出典を示してもらって原典を確かめ、この場合に当てはまるのかどうかという通常の手順を踏むことはできない。そのような情報を、弁護士さんから聞いてきた相手が持っているわけでもないからだ。
それでも、法律だけは手持ちのiPhoneで検索できるし、多少はあいまい検索も可能だ。しかし、「判例があります、ドヤ」という相手にはいかんともし難いのだ。
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コメント
法律に詳しい人がこういっていたとか、昔法律の勉強していた的な話を、私にする人も結構いたりします。
投稿: Toshimitsu Dan | 2013/01/24 11:25