arret:沖縄返還密約文書開示請求控訴審判決・匿名化の限界
運命の人ですっかりリバイバルしている沖縄返還密約文書の外務省に対する開示を求めた裁判の控訴審である。
東京高判平成23年9月29日(PDF判決全文)
結論は、既に報道されている通り、開示対象の文書は存在しているとは認められないとして、開示請求を認めなかった原判断を適法と認めたものである。
その過程では、本件の密約文書の外務省内での適切でない扱いを指摘しており、ただ開示請求については別論だとしていて、やや興味深い。
が、この判決文で興味深いのは別のところにある。
それは、判決文公開における匿名化の扱い例として、注目すべき点がある。
現在、判決文をサイトに公開する際は、人名はおろか法人・組織名もほとんど匿名化するのが一般的である。社会的に著名な事件であっても、関係者や関係する組織名が匿名化されているので、大きく報道されたあの事件の判決文かどうかが今ひとつ確信を持てないという場合もある。
例えば村木さん事件の係長被告人の判決文(PDF)を見てみよう。村木さんがどの記号なのか、前田検事がどの記号なのか、判じ物である。
しかし、この判決文は、岡田外相を始め、菅首相などの政治家についてはもちろん、大蔵省財務官や外務省アメリカ局長などの実名も明らかにしている。
その反面、当事者名や現在の官僚・調査委員会メンバー、また密約文書をアメリカで発見した国際政治学者の氏名などは匿名化ないし名前を挙げないで肩書きだけで表記されている。
なお、一審判決文(PDF)も同様だ。
この実名・匿名の区分けは、政治的・歴史的な情報として明らかにすべき氏名とそうではない氏名とを、理念を持って判断した跡がうかがわれ、注目されるべきである。
これまでも、政治的な出来事にまつわる訴訟では、例えば小泉首相が北朝鮮で平壌宣言を出したことなどは実名のままであったり、気をつけてみると、判決文の匿名化にはそれなりの配慮が見られる。
上記の村木局長事件の関連裁判では、関係者の名前が実名報道されている現在だからこそ、判じ物のような匿名化に奇異感を覚えるのだが、おそらく数十年先に閲覧されたときの関係人のプライバシーや名誉ということを考えて、今から匿名化しておくということなのであろう。
しかし、前科前歴をプライバシーとして保護することと、歴史的に重要な事件を正確に表現するべきこととが対立する場面で、プライバシー保護が絶対優先というのもおかしなことである。
佐藤栄作が沖縄返還交渉で密約を交わしたことは、佐藤栄作という個人と切り離して当時の首相という形で論じるべきことでないことは明らかだろう。歴史に影響を与えたと評価できる人の場合は、プライバシーが後退するのもやむを得ない。
平賀書簡事件と福嶋裁判官のケースも、個人名と切り離して論じられるべきではない。
司法制度改革の責任者についても同様だ。
鈴木宗男の事件も鈴木宗男という個人の個性と切り離して論じられるべきではない。鬼頭元判事補の事件だって、判事補という属性だけで論じられれば、事の本質を見誤る事になりそうに思うのだが、歴史に影響を与えたとまで言いうるかどうかは疑問があり、微妙な線かもしれない。
個人の価値判断としては、将来にわたって個人が特定されることもやむを得ない方々だと思うが。
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