death penalty:死刑執行は個人の感情で命令してはならない
死刑は、判決が確定した後、法務大臣の執行命令に基づいて執行することとされている。
刑事訴訟法475条
死刑の執行は、法務大臣の命令による。
2 前項の命令は、判決確定の日から六箇月以内にこれをしなければならない。但し、上訴権回復若しくは再審の請求、非常上告又は恩赦の出願若しくは申出がされその手続が終了するまでの期間及び共同被告人であつた者に対する判決が確定するまでの期間は、これをその期間に算入しない。
法務大臣が最後にゴーサインを出すということで、時々の法務大臣によっては執行されたりされなかったりすることは、法が予定するところと言える。その極端な例は、在任中一人の死刑執行命令も発しなかった大臣だが、その他に鳩山邦夫が法務大臣だったときにはユニークな言動で注目を集めた。→politique:死刑自動執行主張の法相が留任
その鳩山元法相が、法相時代の死刑執行について、驚くべき発言をしたと報じられている。
報じた媒体が池田信夫先生により「卑しさは末期的」などと評される産経新聞だけに、どうまとめられているのかと心配ではあるが、一応以下のような発言が報じられている。
鳩山邦夫氏が法相時、宮崎元死刑囚の死刑「執行すべきと指示」明かす
幼女4人連続誘拐殺人事件で死刑執行された宮崎勤元死刑囚について、当時法相だった鳩山邦夫氏が、民放の収録番組で「最も凶悪な事案の一つと思うから、宮崎を執行すべきだと思うが、検討しろと私から指示した」と発言していたことが29日、分かった。
(中略)
番組の中で鳩山氏は宮崎元死刑囚について「ここまで非人間的というか、悪くなれる人間がいるんだなと。凶悪性にびっくり」「こんなやつ、生かしてたまるかと思う」などと発言。任期中の死刑執行についても「考えてみれば少なかったと反省している。30~40人はしなくてはならなかったと反省している」と述べた。
心ある法務大臣なら、誰でも、死刑執行命令にサインするかどうかで迷い、考えた上で、職務を遂行するのだと思う。鳩山元法相のこの発言も、それからベルトコンベアといって叩かれた上記リンク先の発言にしても、死刑執行をまともに考えた上のものという評価はできる。同様に死刑廃止という信条を持ちつつ最後に死刑執行を命じた上で刑場公開や検討会議設置を行った千葉元法相も評価できる。その直前にnews:頼りにならない大臣というエントリを書いたわけだが、責任をもって会議の進行をリードするゆとりが無くなった頃になって初めてまともに仕事をしたという感があるが、それでもないよりはマシだった。
で、そのように評価はできるが、上記の鳩山発言はやはり問題があると言わざるをえない。
法務大臣は執行命令を出すか出さないかの判断を委ねられているが、それは裁判官が死刑を宣告することと同じではない。確定判決の当否を審査したり、死刑判決事案のうち最も凶悪だから執行すべきというような、量刑判断ともいうべき点を考慮して執行の順番を操作するということまで法務大臣に委ねられているわけではなかろう。それでは三権分立が損なわれてしまう。
宮崎勤の犯罪に対する個人的感情という点では、鳩山弟の評価に同感ではあるが、そのような個人的感情により死刑執行の時期を左右するのは、恣意との謗りを免れない。
さりとて、ベルトコンベアだの乱数表だのということで、法務大臣が判断をしなくてもよいというようにしようというのは、法の趣旨に反する。
法務大臣が死刑執行命令の際に判断すべきは、刑訴法479条のほか、誤判の可能性がいささかでもないかという点と、確定判決後に法律が変更されたり、あるいは量刑判断の前提となる事情が変わったりといった事情変更の点に限られるのであろう。限られるといっても、それはそれで重大な内容の判断であることは変わりがない。
なお、死刑執行に最終責任をもつ法務大臣・法務省・検察庁は、執行の前後を問わず、その当否を疑わせる事情があれば常に、自ら率先して再検討すべきである。その点で、足利事件と同時期のDNA鑑定を決め手として死刑判決を下し、執行してしまった飯塚事件についても、そのDNA鑑定の当否を自ら率先して再検討すべき責務が法務省にはあるはずだ。
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