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2015.02.13 (Fri)

「・・・と思います」 この「思う」の使い方は正しいのか

最近、特に気になっている言い方です。

テレビ等で自分の意見を求められた際に

「〜〜〜〜と思います」で完結するケースが非常に多くなっています。

この「思う」の使い方が非常に耳につきます。

「これって、なんとなく嫌なんだよなぁ」

では、どこに違和感があるのか?

じつはこれを旨く説明する事が出来ないと言うのが本音なんです。

あえて探せば、言葉使いとか敬語の用法に正否とかの『正しい日本語』的な話ではなく、

自分の意見を言うことがこれほどはばかられることなのか?

無意識に予防線を張りながらになっているのか?  ってことなのかも・・・

「自分の意見を表明する」という事に関しては、

昨年末のサザンの歌がネット上で大変な状態になったように、

自分の考えを公にすることが微妙で難しい時代であることでは言うまでもありませんが、

このネット上とリアルの解離性は別の機会にしますけど、

思う」の違和感は、そこまで大げさなものでもありませんけどね。


思う」の意味を調べると多くの意味が有ります。 

参考:おも・う〔おもふ〕【思う/▽想う/▽憶う/▽念う】

私が考える、言葉として発する際の「思う」について、

ある事象に対して、アプローチ(評価の方法)の違いで考えてみます。

あくまで個人的な判断ですのでその点はご了承下さいね。


□不確実な認識でアプローチ(評価の方法)をする場合

 よく分からないことに意見を求められる場合は誰でもあります。

 ただ、現状説明がメインになるでしょう。それにちょっと自分の感想を付け加える程度でしょうか。

 この際には「思う」は「想像する」に近いですが、意外と日常的ないい口語は無い気がする。

○このケースでの「思う」の用法と解釈できる場合は『有り』の判断です。


□その事象の専門家がアプローチ(評価の方法)をする場合

 ある事象に関するプロが評価をするということは、

 その研究者の個人的な意見を求めている、というのとは違います。

 研究、探求している分野の業界的な考えが求められているはずです。

 当然、同じ分野の研究をしている人たちが同じ考えを持ってわけではありません。

 ある事情に対する評価(意見)が別れたとしても、当然と言えば、当然なことです。

 それなのに何をはばかって、おもんばかって「思う」と言う必要があるのか、なんです。

 辞書的には「思う」の用法に外れてはいませんが、ここは断定的に言い切っていい場面です。

○このケースでの「思う」の用法と解釈できる場合は『やや無し』の判断です。

 どのような言い回しで「個人的な意見ですよ」オーラを出してところで、

 批判を受ける時には容赦はないので、自信を持って断定的に言い切ってほしい、と考えます。

 
□その事象のアプローチ(評価の方法)が個人の限定的な場合

 分かりにくい言い方になりましたが、

 唯一無二の『あなた』の意見が知りたいので、お聞きしています、こんな状況です。

 「唯一無二の『あなた』の意見」とはどんな意見、たとえ間違っていてもOKなはずです。

 よって、「思う」なんてモァっとした印象を聞き手に与える必要はないです。

 また、スパっと切り裂くような強い意見がスカッとする事が多いのも事実です。

○このケースでの「思う」の用法と解釈できる場合は『かなり無し』の判断です。


□ある事象のアプローチ(評価の方法)ではなく、自身の状況説明のような場合

 具体的には『あなた』(限定された個人)の決意や抱負等の心情的な部分を表明する場合です。

 テレビ等の媒体では政治家やスポーツ選手などがそれに当たります。

 このケースでは発した言葉の根拠は全て自分にあり、

 その責任も全て自分で引き受けなければなりません。

 それなのに、なんとなく他人事のような、ユル〜〜い「・・・と、思います」なんて

 全くそぐわない。あえて言えば、そう言うべきではない、と考えます。

 キレのあるモノの言いようのほうが、その人の決意の心情を理解できますし、

 カッコいいですし、いさぎいいでしょう。

○このケースでの「思う」の用法と解釈できる場合は『全く無し』の判断です。

 最も納得いかないのは自分の現状評価や将来への決意や希望を表明する場合に

 当たり前のように使われる、この「思う」です。

近々で特に耳につく人はこの2人です。
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注目の2人なんで、メディア露出が多いから、とも言えるでしょうけど・・・


こんな感じで分析してみました。いかがだったでしょうか?

この「思う」への考えは若かりし頃に受けた某セミナーの影響が

刷り込まれている事は自覚しております。

決意表明での言葉は断定することを良し!としていました。

それに大きな疑問はありません。当然、その確信は現在進行形です。


当然、この「思う」の用法を矯正することもありませんし、その資格も権利もありません。

矯正の方法も手段も持っていません。

ただただ、気になる、あまりにもこのモヤッとした「思う」が多すぎる・・・

聞かない日が無い・・・これでいいのかなぁ〜〜〜???

もし、自分の意見や考えを他者に伝える語句として適しているから使っているとしたら、

それは間違っている要素が多いような気がするんだけど・・・

また、無意識の意識が自分の意見や考えを「思う」オブラートに包む事で

何かから守ろうとしているとすれば・・・これも結構、???でしょう。


特別、尖っている必要も無いです。ただ、フラットな考えを表明でき、

それをフラットな心で聞く事が出来る自分でありたい。

こんなことかなぁ〜と、思います(「思ってる」って使ってるじゃん・・・(笑  )


それでは、また次回!!


 

テーマ : ひとりごと - ジャンル : ライフ

タグ : 思う

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