2015.02.27 (Fri)
「ご飯ですよ〜〜〜」 ・・・と、のんきな話では無いのが、現実です
こちらはうちの晩ご飯でございます。2/12〜2/26
さすがに2月は「逃げる」ように、終わりです。
一瞬、暖かくなったような気がしたけど、気のせいでした・・・
とは言え、春はそこまでって感じですかねぇ。
なんか近頃、嫌な事件ばかりで、滅入りますなぁ。
今時、ヤクザでもせんだろう、リンチ殺人なんてねぇ。
容疑者は3人捕まっているようです・・・否認しているらしい。
未成年を捕まえる時には警察もいつも以上により慎重になっているでしょうから、
誤認なってことはありえんだろうけど・・・
それにしても、今回の所行は酷すぎる。
勢い余って死んでしまった、というわけでは無く、明らかに殺しにかかっている。
そのあとも知恵が足りていない事は否めないが証拠隠滅工作もしている。
ちょっとお灸をなんて程度ではすまないことも言うまでもない。
リーダー格の少年(18)、17歳の少年2人とはいえ、実名報道を検討してもいいでしょうねぇ。
ただ、国会の予算委員会で取りあげたところで、なにも解決しないでしょうけど。
過激派集団ISといい、今回のグループといい、
「どうして、こんなことが・・・」という各方面からのアプローチを各種報道等で見聞きする。
この際に左翼的な(このような分類に意味はないのだが・・・)意見としては、
『このような存在は自分たちと遠いところで三人称的に起きている事ではない。
それらを生み出した環境は私たちは当然、関与している。
それは、二人称的な顔の見える関係から広がっている。
現代の様々な状況はその関係性が積極的にその環境を作り出している、
もっと言えば、内在している一人称的な思考の具現化である』
相対的にはこんな感じの印象を受けています。
まあ、違和感が無いわけではないですが、「当たらずとも遠からず」とも言えるか・・・
誰もが持っている狂気の部分をより先鋭化すると・・・自分でも恐ろしい気もする。
それに加え、集団、グループということとなると、その行動は想像を遥かに超える。
それは国内でも「オウム真理教」のテロ事件、その背景から実感しているよなぁ。
それとは別に現在の報道や検証等は、
「行動から実態を把握する」をいう方向に偏っている印象は感じている。
『こんな恐ろしい事が出来るなんて、考えられない。もし、自分の事として想像出来れば、
そのような行動は決して出来ないはずだ。』
このような感情になる事も理解は出来る。
しかし、それだけで本当に十分なのか、自分たちに内在している狂気を
見て見ないふり、無かった事にしていないのだろうか。
個人を形成してきた背景、集団が出来てきた経緯から行動を把握する事で、
それは三人称ではなく、一人称的な実感を持つことで・・・・
とは言っても、それでも今の社会を変えることが出来るわけではないです。
どこか強い力に思考が流されないようにすることが精一杯です。
しかし、行動に対する責任は追わなければなりません。
それは未成年でも成人でも同じことです。
今回の川崎の事件はネット上での「この人が犯人じゃねぇ」と実名も出ているようです。
大手出版社系の週刊誌は「実名報道」を検証しておく必要はあるでしょうし、
その実現を多いに望みます。
それくらいの罪だということを犯人(まだ未確定ですが)、その家族、関係者は自覚すべきです。