ビリオン×スクール (第9話・2024/8/30) 感想
フジテレビ系・金曜9時枠のドラマ『ビリオン×スクール』
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第9話『伏線全回収!AI教師は親子の絆を取り戻せるか』の感想。
加賀美零(山田涼介)は、失われた記憶を取り戻し、絵都学園校長の東堂真紀子(水野美紀)と過去に関係があったことを思い出す。そんな中、0組の東堂雪美(大原梓)が行方不明になり、加賀美と芹沢一花(木南晴夏)は捜索を開始。一方、真紀子はICレコーダーの紛失に気づく。その頃、雪美は校舎の屋上でICレコーダーを聞いていたが、そこに梅野ひめ香(上坂樹里)と城島佑(奥野壮)が現れる。
---上記のあらすじは、当ブログのオリジナル---
原作:なし
脚本:我人祥太(過去作/墜落JKと廃人教師,奪われた僕たち,ゴーストヤンキー)
脚本協力:西垣匡基(過去作/) 第2話
演出:瑠東東一郎(過去作/浦安鉄筋家族,極主夫道,魔法のリノベ) 第1,2,6話
西岡和宏(過去作/親愛なる僕へ殺意をこめて,元彼の遺言状,婚活1000本ノック) 第3,4,8,9話
松下敏也(過去作/元彼の遺言状,DIVE!!,映画「Gメン」助監督) 第5話
塚田芽来(過去作/地上波ドラマ不明,高嶺のハナさん,ビハインドオーケストラ) 第7話
音楽:宮崎誠(過去作/今だから、新作ドラマ作ってみました 第3夜「転・コウ・生」)
主題歌:Ado「ルル」
P:江花松樹(過去作/うちの弁護士は手がかかる,クライムファミリー)
※敬称略
"学園モノ"としての構成、表現が秀逸!
「初めまして」の皆様も、ご常連の皆様も、管理人のみっきーです!
当ブログに来てくださり、ありがとうございます。
次回の感想は、(諸般の事情で)土曜朝には投稿できなそうなので、今回ガッツリ書いてみます。
※もちろん、追って投稿します。
まず、全体の構成について。
冒頭の、意外なイントロ「三者面談」から始まって、これまで蓄積してきた… ほぼ全ての案件を網羅。
ラストを含めて、主人公が抱えてきた波乱万丈&怒涛の人生のドラマチックな回収。
奇をてらうことなく、正攻法で描く「令和6年の学園ドラマ」として、やりきった… と思う。
さらに、全編の表現をできるだけ「学校・教育用語」を使って描写していることで、金太郎飴的にどこを見ても「学園モノ」に見えるのも評価したい。
だって、最近は「医療モノ」なのに「人情モノ」、「政治モノ」なのに「考察系」など、どっちつかずの作品が乱立しているから、筋を通しているだけで評価の対象になるのだ。
梅野「被害者ぶって死ぬのは ずるい!」のセリフの鋭さ
では、ここから「今回ガッツリ書いてみる」をやってみよう。
私が最初に心に刺さったのが。
絵都学園の校舎の屋上から飛び降りようとしている東堂雪美(大原梓)に、梅野ひめ香(上坂樹里)がぶつけたセリフだ。
梅野「ずっと あなたに
死んでほしいと思ってた。
死んでほしいときに 死んでくれないで
受け入れようとし始めたときに死ぬのは…。
ずるい。
(中略)被害者ぶって死ぬのは ずるい!」
このセリフに「いいね」と思うのは、誤解を招くかもしれない。
でも、今は偉そうに書いている私も、小学生時代はかなりのいじめられっ子で。
あれから 50年近くたって、ようやく「あんな時代もあった…」と消化できるようになったから、この梅野が雪美に投げつけた言葉の真意がよく分かる。
たまに、テレビなどで「私は若いころに散々悪いことをやって迷惑かけたけど、家族ができたからなかったことに」と改心したことを表明するような場面を目にするが、私は前述の過去があるから基本的に許容しない。
だって、“まだ” 自分のことだけしか考えていない可能性があるから。
おっと、熱くなり過ぎた(謝)
でも、いじめたほうにとっては「若気の至り」でも、いじめを受けた側にとっては「一生消えない苦痛」なのだから。
第三者の"本気の説教"が他者の心を動かすことはあると思う
上記の場面の直後に、加賀美零(山田涼介)が雪美に言うセリフもいい。
加賀美「悩むのはいい。
だが… 死ぬまで悩むのは バカだ。大バカだ」
雪美「みんなして… 何 説教してんだよ」
異論反論、大いにあると思う。
でも、教師、担任といえど赤の他人、そんな第三者の “本気の説教” が、他者の心を動かすことはあると思う。
昨今は、容易に赤の他人に声掛けすることさえ「○○ハラだ」とか。
暴言と見なされれば、軽犯罪法違反、 名誉毀損(きそん)罪・侮辱罪、脅迫罪・恐喝罪・強要罪、威力業務妨害罪などに問われる時代。
当然だが、教師と生徒の関係であっても同じだ。
こういう “ご時世” に、このようなやり取りをサクッと忍ばせるあたりも、今作が攻めたドラマである証拠だ。
もちろん、直後に「職務怠慢な教師じゃないんでな」と、雪美が加賀美を受け入れ始めたカットを加える演出も繊細だ。
加賀美からの悩みを抱える全ての人たちへの"慈悲のことば"
さて、最後に採りあげるのは、終盤で加賀美が、絵都学園校長の東堂真紀子(水野美紀)と雪美の “ねじ曲がった母子関係” に対して、持論を展開する場面。
加賀美「親だろうが教師だろうが
人間である限り 過ちを犯す。
だが たった一つの過ちで
その人の全てを否定する必要はない。
信じてた言葉や感じた感情まで
否定する必要はない。
その人を好きだった自分まで
否定することはないんだ」
前述の、いじめた側にとっては「若気の至り」への私の意見と違うと思われるかもしれないが、そうではないのだ。
ここで注視したいのは、次の二点だ。
●たった一つの過ち
●その人を好きだった自分まで否定することはないんだ
やはり、過ちだって「繰り返し」と「たった一つ」では意味合いが違うし。
このセリフが心に刺さるのは「その人を好きだった自分まで否定することはないんだ」の部分。
これ、ある意味で、悩みを抱える全ての人たちへの「慈悲のことば」に聞こえた。
ほら、例えば、「いじめられ続けた自分が悪いんじゃないか?」のような否定の感情に対する、いつくしみ、救いのような。
もちろん、このセリフは加賀美自身や、父・治(市村正親)への言葉でもあるわけで。
徹底的に、全編が「担任教師の指導」で紡がれているのが、本当に見事だ。
相手が変わったからって、自分は簡単には変われない…
まとめよう。
今作としても、今回としても、類似の「学園ドラマ」から傑出していると思うのは。
前回で改心した元陸上部のエースで暴力事件を起こしてゼロ組へ転落した城島佑(奥野壮)と今回の雪美は変化させても、梅野らを含めた0組の同級生たちの言動を変化させなかったことだ。
並みの学園モノだったら、「誤ってくれるのなら許しちゃう」的な、いわゆる “きれいごと” に着地させると思う。
でも、今作は「自分まで否定することはない」だから、相手が変わったからって自分は簡単には変われない… ということだ。
この辺の主張の一貫性も、ドラマとしてブレずに進んでいるのもよく精査されていると思う。
あとがき
世間では、評価どころか、あまり話題になっていない今作ですが。
「令和6年の学園ドラマ」として、かなり攻めていると思います。
また、山田涼介さんの鬼気迫る演技も素晴らしかったです。
さらに、今回は梅野 役の上坂樹里さん、雪美 役の大原梓さんの好演が際立ちました。
他にも多くの若手俳優さんが出演されていますが、皆さん個性的で今後が楽しみです。
さて、次回からの最終章、どうなるのか目が離せません。
★すべての読者様に愛と感謝の “ありがっとう!!”
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