Eur-Asia

西洋と東洋の融合をテーマとした美術展「ユーラシア(Eur-Asia)」の開催を夢見る、キュレーター渡辺真也によるブログ。

『誰が見たり、聞いたりするのか』

2007-05-31 02:04:10 | Weblog
茂木健一郎さんのブログにアップされていた、塩谷賢さんの芸大でのレクチャー『誰が見たり、聞いたりするのか』を聞く。

塩谷さんとは東大で行われた茂木さんの授業枠で私が9条の話をした際に初めてお会いしたのだが、カント理解やヨーロッパ・モダニズムに関する造詣が深く、大変参考になった記憶がある。特に私がヨーロッパのネーション・ステートを、30年戦争とナポレオン戦争を経験したヨーロッパにおける、戦争が起こらなくするための敵対概念の発明品だ、という説明をした際、それではネーション・ステートのかなり限られた機能しか説明できないから、説明としては不適切だ、と言われたのを思い出す。

塩谷さんは時間論を専門にしているのだが、文字を書くことが何を意味しているのか分からない、そして、私が話しているのか何が話しているのか分からない、と言う。言いたいことはすごく分かる気がする。これはある種、差延の問題を含んでいるのだろう。塩谷さんは、時間の問題、次元の問題、無意識の問題、言語の問題、宗教の問題全てを包括した最難関の問題に挑んでいるのだということがよく分かった。

塩谷さんが例に挙げていた、美しいものとは、何が、誰にとって美しいか、という問いがある。これは主体性の問題と客体性の問題、すなわち見る側=主体、見られる側=客体、オブジェとなって初めて成立する。文法構造の様に、SVOCという、主語、すなわち主体が確立することによって絵画というオブジェが鑑賞可能になってきた歴史があると思う。これは西田哲学もやっていた領域だが、日本にその継承者は居るのだろうか。

私がやろうとしている主体性批判も、時間軸の問題が多く含まれている。うえ、した、みぎ、ひだりという二次関数的な世界を決定したデカルトのコギトを悪玉に仕立て上げるような論ではなく、それを踏まえて乗り越えていくような努力が必要なのだと思う。そうするとやっぱり時間の問題をやらなくてはならないのかなぁ、とも思う。

Voice of America中国語記事の日本語訳

2007-05-30 04:02:59 | Weblog
前回、新聞Voice of Americaに掲載されたシンポジウムに関する中国語の記事を、鈴木さんの友人で河合塾に務めている福田典子さんがボランティアにて日本語に翻訳して下さいました。以下に全文を貼り付けますので、興味のある方はぜひ読んでみて下さい。

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日本は果たして憲法非戦条項を改正すべきか否か

記者:宋徳成
ニューヨーク
2007年4月27日

日本は憲法の非戦条項を改正する必要があるのかどうか。
この問題に関心にある専門家は、4月25日夜、ニューヨークで研究討論会を行った。

<憲法第9条、平和の保障>
当時、日本国憲法の制定に参与した、ベアテ・S・ゴードン女史は、まず最初に、当時マッカーサー将軍は、日本人のために憲法を制定する必要があると考え、すぐ20名の幕僚を招集して、取り掛かって書き始めた。七日間で完成させる必要があったため、この憲法は皆の分業と協力のもとに成立した。と説明した。
 ゴードン女史が担当したのは、第14条と24条で、日本女性の権利義務の規定に関してである。この憲法は、今に至るまで60年経つが、これまでずっと改正したことはなかった。

 ベアテ:「過去60年、憲法9条の規定によって、日本はいかなる外国軍人も殺害することなく、またいかなる日本軍人も殺害することはなかったと、私たちは皆記憶している」
 
ベアテ女史はさらに、この憲法はたとえ現在でも、平和国家を追求する指針として価値のあるものだと、意見を述べた。

 長年日本に滞在するアメリカ人の映画プロデューサーのジャンユンカーマン氏は指摘する。彼は日本国内の改憲賛同者は、だんだん増えていると感じているが、しかし同時に彼は、日本の政治家が絶え間なく、靖国神社を参拝し、隣国から抗議をされていることにも言及した。

<右翼:事情や環境(時代?)が変わったから、自衛すべきである>
 特別に、日本から来てこの研究討論会に参加した日本の右翼鈴木邦男は、なぜ多くの日本人が、憲法、特に9条を改憲すべきと考えているかを説明した。

鈴木:「憲法第9条は、当然検討すべきである。同時に、日本は世界で唯一原爆を受けた国であり、だから私は、日本には核兵器を開発し自衛する権利を有すると考える」
 
 鈴木邦男は更に、現在の憲法は60年前に作ったもので、当時日本は、敗戦したばかりで、国民は戦争を嫌い、それゆえ当時はふさわしかったかもしれない。しかし現在は時間も経ち、時代も大きく変わってきている。自衛できるように、日本はこの条項を改正すべきである、と意見を述べた。

<謝罪賠償問題上、ドイツと日本には差がある>

 イェール大学国際政治の教授ローゼンブルース女史は、ドイツは戦後非常に多くの制約を受け、これによって、その圧力の下で多かれ少なかれ謝罪および賠償をし、隣国と良好な関係でつきあうことができた。日本もそうでなければいけないと説明する。ローゼンブルース女史は、「言い換えれば、日本は、日米両国の関係、また日本の国防安全についてもアメリカの保護に頼り、隣国との関係を考慮していない」と説明した。
ローゼンブルースは、日本がドイツと同様の国際的な圧力を受けていないために、謝罪と賠償がなく、これによって隣国と常に摩擦があることを強調した。

ニューヨークで考える、世界における憲法第九条

2007-05-28 06:37:06 | Weblog
写真はこちら

2007年4月25日、美術展示に先駆け、「アトミック・サンシャイン - 9条と日本」実行委員会とアジア・ソサエティーが主催する、憲法第九条に関するパネル・ディスカッションが開かれた。

アジア・ソサエティーの代表を務めるヴィシャカ・デサイさんが挨拶した後に、キャロル・グラックさんが憲法第九条に関する簡単な歴史的経緯、そしてその意味について私見を述べた後、パネリスト全員を紹介してくれた。短いながらも大変見事な紹介だった。

一番最初に紹介されたのは、ベアテ・シロタ・ゴードンさん。ベアテさんは、ユーモアを交えながら、当時の様子を語ってくれた。

ベアテさんはGHQ時代、マッカーサー元帥に仕えていたホイットニー准将から彼の部屋に来るように呼び出され、そこで20名のメンバーと共に日本国憲法を書き上げるように指令を受けたと言う。何よりもたった7日間という短期間で書き上げなければならない、というスケジュールに驚いたと言う。ベアテさんが担当したのは市民権の項目であり、ベアテさん自身が女性であることから、ロースト大佐より女性の権利を書くことを進められる。さらにケーディス大佐から、ワシントンから日本国憲法に含むべき条項が打診されたこと、さらにGHQが日本の市民団体「憲法研究会」の作った憲法草案などからも多くの条項を取り入れたことなどについて、話して下さった。

ベアテさんは戦前、日本の女性が結婚の自由、また相続権や離婚に対しての権利が与えられていないことに対して心を痛めており、それが彼女の憲法起草に対する大変なモチベーションになったそうなのだが、ベアテさんが書いた女性の権利の条項が2ページにも及んだ為、ケーディス大佐に、これではアメリカ憲法よりも日本国憲法の方が、より女性の権利が確保されているではないか、と問われたそうである。その際ベアテさんは、そうです、なぜならアメリカ憲法には女性という言葉が出てきません、と答えたという。ケーディス大佐がこれらの条項は憲法ではなく民法に入れるべきだ、と提案した際、ベアテさんは、憲法にこの条項を入れなくては女性の権利は確保できない、と泣いて訴えたという。それが功を奏してか、憲法第二十四条の女性の権利の条項は守られることとなった。

さらにベアテさんは、この憲法が日本に合っていたこと、そしてこの憲法第九条がイラク戦争の前に世界に知られていたらどんなに素晴らしかったろう、と語ってくれた。

2番目のスピーカーであるユンカーマン監督は、なぜ憲法第九条をテーマとした映画を撮るに至ったか、その経緯を話してくれた。

2004年の冬、自由民主党が党の立ち上げから50周年となる2005年度に、日本国憲法に関する革新的な変更を与える、という宣言をした直後からユンカーマン監督は映画製作を急ピッチで進めることになったと言う。監督は、日本国憲法がどうやって作られたのか、そこに立ち戻って考えようという意向だったのだが、映画を製作する際、憲法起草が60年も前の出来事であった為、当時の日本の歴史的記憶、さらに憲法を作った際のプロセスを知っている人が大変少なくなってしまい、その点で苦労したこと、そして当時の様子を知っている人の人口比が少なくなっていった為、現在は9条の持つ意味が捉えがたくなっている点などを話してくれた。

また兵器を使うことで国際問題を解決すること、そして平和を創造することは不可能だと、十五年戦争を経験した日本人はよく理解しているはずであり、国際紛争を解決する為のオルタナティブな道を模索する歴史であった20世紀の結果、交戦権を持たない、また国際紛争を解決する手段として、他の国の国民を殺す権利を持たない、という憲法を日本が持ったことは、非常に意味のあることだ、と述べた。

3番目のスピーカーである鈴木邦男さんは、まず日本国憲法そのものは一度、見直すべきだと主張した。彼の主張はこうである。

例えば、日本国憲法においてより多くの権利、例えば言論の自由の確保、死刑制度の廃止、核廃絶を世界に訴えるべきだ、と要望する人は多い。つまり、「民主的な改憲を」と心の中では思っているが、そういった意味での改憲を一旦支持してしまうと、自民党の改憲論議に巻き込まれ、9条を改正されてしまうのではないか、ということを恐れている。だから、意に反して、「憲法全体を護る」と言い、改憲論議にも反対しているが、今、改憲論議をしなくては、自民党の余りにも自分勝手な改憲になってしまう。自民党は「自主憲法」といいながら、9条を改正し、アメリカ軍と共にどこにでも行ける軍隊にしようとしている、と批判し、日本は自主憲法をつくるべきだが、現在自民党が進めている「自由のない自主憲法」よりは、「自由のある占領憲法」の方が、まだましだ、との考えを示してくれた。

9条を本当に護りたいなら、9条違反の自衛隊は廃止すべきであり、もしも自衛隊はやむなく認めるというのなら、9条に付け加えたらいい。しかし、「それだけでは済まない」という不安があるのだろう。そこで、まず「歯止め」をかけた上で改憲論議をしたらどうだろうか、というのが鈴木氏の提案である。たとえば、「核はもたない。海外派兵はしない。徴兵制はしかない」の三点を確認した上で論議すれば、護憲派も安心して論議に参加できるはずであり、さらに原爆を落とされた唯一の国、日本だけが「自衛上」、核を持つ権利・資格のある国だが、その日本が永久にその権利を捨てるという旨を憲法に明記し、世界に訴えることを提案した。

自衛軍や国防軍ではなく、あくまで今の自衛隊のまま認め、さらに、将来はこれすらも廃止して、9条の理想に近づく夢や理想も書けば良い。日本は戦力を否定した憲法を持ちながら、1950年には警察予備隊をつくった。それが52年には保安隊になり、54年には自衛隊になったが、その逆のコースをたどったらいい。そうすればもう「警察」なんだから、日本に軍隊はない。「日本を見習え」と世界に対してもアピールできる、と主張した。街宣車の上から話しているのではないかと思わせる、堂々としたスピーチだった。

最後のスピーカーであるフランシス・ローゼンブルースさんは、経済学者らしく数値を用い、戦後の日本とドイツを比較しながら、憲法に関する持論を述べてくれた。

世論調査によると、日本の積極的外交を支持する人たち、すなわち自衛隊を支持し、さらに国連安全保障理事会に参加すべく圧力をかけるべきだ、と考える人たちの数が増加しているにも関わらず、自分は愛国心があると思う、と自称する日本人たちのレートは上昇していない。これはどうして、という疑問を、ローゼンブルース女史はドイツと日本を比較することで述べた。

ドイツは地理的・政治的な理由から、かつての戦争被害者である国々と多角的安全保障条約を結ぶように組み込まれており、その為、ドイツは積極的な和平交渉をせざるを得ず、その結果ドイツはドイツの被害国から純粋に受け入れてもらえた。一方日本は、アメリカと互恵的な条約を結ぶことで安全を保障されていた為、日本と周辺諸国の関係如何を心配する必要がなかった為、ドイツと同じ様な国際的圧力は日本には当初から存在せず、純粋な平和を周辺諸国と作る必要がなかった、それがドイツと日本の教科書問題、歴史認識問題の差として現れている、という指摘である。

さらに、1994年に選挙に比例代表制を導入することにより、日本では左派が相対的に弱くなったのだが、それも比例代表制を導入していながら強大な左派政党があるドイツとは異なっている、と指摘した。しかし同時に、日本における右派そのものが世論調査によると中道になる、という状況があり、ある種のナショナリズムを呈しているのだが、それは少なくとも、日本の国際貢献的役割に対して協力的である、ということを暗示しているのみで、戦前のような軍事的冒険を引き起こしてしまうナショナリズムとは異なる、と述べた。

全てのスピーチが終わった後にパネリスト間の質疑応答がなされ、その後客席との質疑応答となったのだが、これも大変活発なものになった。

アメリカ人の側から、9条を国連など世界の場でもっとアピールしようとする日本人はいないのか、という質問から、なぜ9条がアメリカ人の側から押し付けられた、または日本側から出されたという異なる説があるのかという質問、また自衛隊は憲法違反ではないか、という問いや、さらに日本の保守系メディアが憲法改正に関して世論誘導をやっているのではないか、というかなり専門的な質問まで飛び出した。2時間に渡る内容なので短い文章にまとめるのは非常に困難だが、このやりとりの様子は出版という形で発表して行きたいと思う。

また、鈴木さんが憲法第九条に関してどれだけ知っているのか、とアメリカ人のオーディエンスに逆に質問したりするシーンや、さらにアメリカと日本の状況に精通しているユンカーマン監督が、双方の橋渡し的や役割をしてくれるシーンが多くあり、それがこのディスカッション・イベントを大変有意義なものとしてくれた。また司会のキャロル・グラックさんの見事な仕切りや、ユーモアたっぷりのベアテさんのお話、さらにフランシス・ローゼンブルースさんの膨大なリサーチに基づく的確な指摘が、このイベントを成功に導いてくれた。

一説によると、アメリカで9条の存在を知っている人は3万人足らずだと言う。そんな中、これだけのメンバーをそろえてアメリカという日本国憲法を起草した人達の国で議論ができた事は、大変意義深い事だと思う。こういった相互理解に繋がるイベントを、美術展示のプラットフォーム的なものとして開催できたのは、キュレーターとして大変な喜びである。

今回の選挙と55年体制の類似点

2007-05-27 13:01:22 | Weblog
9条ネットが、天木直人の出馬を決定したらしい。私は天木さんの発言に勇気づけられてきた一人なので、市民運動に押される形で彼が出馬するのは、本当に嬉しい。

今回の憲法問題を焦点とした参議院選挙の様子は、なんだか55年体制を生んだ日本の選挙と構造が似ている気がする。

55年体制が生まれた当時、改憲か護憲かという事を国民に問いかけた際、当時の日本人は「護憲」を選び、ある種の二大政党制が生まれた。それから60年間、憲法は改憲されてこなかった歴史がある。

1955年、保守政権による「逆コース」や改憲に対抗するために、護憲と反安保を掲げ、選挙前に右派・左派が再統一した日本社会党は、日本最大の政党となった。それに危機感を持った財界からの要請で、日本民主党と自由党が統一した結果、現在の自由民主党が誕生し、自由民主党と日本社会党の二大政党による55年体制が誕生した。そして、その時の自由民主党の初代幹事長が、安倍晋三の祖父に当たる岸信介であった。

A級戦犯であった岸が首相になれたのは、アメリカ支配の方向転換、いわゆる「逆コース」であったが、日本はこういったアメリカの影響下からずっと抜け出せていない。しかし、A級戦犯である岸の孫である安倍晋三が改憲を望んでいる、というのは、例えばドイツの歴史家の視点などから見た場合、ナチの子孫が首相になるようなもので、きっとおぞましい事だと思うのではないだろうか。

歴史学でネーションの問題を語る際に、しばしばナポレオン三世がなぜ天下を取れたのか、ということを説明する際に、ナポレオンを嫌った周辺国の怨念が、その反動としてのルサンチマンをフランス国内で蓄積させる結果となり、それが反動として現れた、というような形の説明が取られることがあるが、こんな感じの説明を用いてナチスを相対化しようとしたのが、ドイツの歴史家論争においてハバーマスとやりあったことで有名なエルンスト・ノルデであったと思う。日本にもこういった説明の仕方はある意味可能で、それが靖国正当化などの言説などに現れていると思う。しかし、言語という障壁の関係で、その論争はある種自己言及的で、もっと言ってしまえば、自己暗示的なものになってしまっている。日本人が書く日本人論みたいなものが流行ったりしている現状は、トートロジカルな自己規定という、ある種コンセプチャル・アートのような状況を招いていると思う。

まあ、いずれにせよ、今回の選挙で9条の意味が問われることになるだろう。皆、徹底的に考え抜いたた上で投票してもらえたら、と思う。

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2007年5月25日(金)
天木直人さん、参院比例区立候補で記者会見

 5月25日午後4時半から千代田区永田町の星陵会館で、「9条ネット」参議院比例区候補である天木直人氏の記者会見が行われ、「朝日」「毎日」「時事通信」の3社が取材。また、会見には前田知克「9条ネット」共同代表と、天木氏の立候補を応援する國弘正雄元参議院議員、副島隆彦常葉学園大学教授、ジャーナリストのベンジャミン・フルフォード氏も参加した。
 天木氏は、①今回は「9条ネット」の力を支えに、9条の危機を世論に訴える、②現在の日本にまともな政治がない、③このままでは憲法を守れない―の3点をあげ、政治家となってがんばりたいと決意を述べた。

アッサラーム・アライクムとしてのシェイク・ハンド

2007-05-23 14:21:29 | Weblog
先日、インドネシアに長年住んでいるというNさんという方に会った。ヒッピー風、というか南国風の服装に包まれたNさんは、私と挨拶した際に、握手をした右手をそのまま胸に付けるジェスチャーをごく自然にしたのだが、それはアッサラーム・アライクムと挨拶をするイスラーム文化のそれと同じで、Nさんがかなり現地に溶け込んだ生活をしていることがよく分かった。

Nさんは70年代よりバリ島に住んでおり、当時の様子を良く知っていると言う。現地に住み始めた頃、食事は全てバナナの葉の上によそられたものを直接食べており、ゴミは一切出なかった、世界が辿るべき道とも思えるような自然と一体化した生活があった、と言う。

そのNさんから伺ったのだが、バリ島およびインドネシアにかなり早い段階に入り込んできたという仏教文明は、チベットのそれよりも古く、大変興味深い変化を辿ってきたと言う。アニミズムと交じり合いながら、独特の発展を遂げたという研究が最近進んでいるらしい。とても興味がある。お祭りの時にいつかいらっしゃい、と言ってくれたのが嬉しかった。

Nさんと話していて面白かったのは、この方の言葉の選び方が非常に洗練されているということだった。Nさんはアメリカ国籍なので必然的に英語での会話となるのだが、言語でのコミュニケーションそのものがメタレベルで成り立っている、というのを確認させてくれるような素敵な会話だった。一つ一つの言葉の選び方に全く無駄がない、又は、最適な言葉だけを選び取り、それを使っている。こういう言い方はあまり好きではないが、これが出来るアメリカ人は本当に数少ない。そして、これが出来る人ほぼ全てが、「外部性」を持っている人たちだ、という点である。こういった外部性を持った人との会話はこういう点で私自身の可能性を広げてくれるので、私は大好きだ。そんな所で、再び「他者」という言葉の持つ意味を、考えてみたりする。

私もバナナの葉の上で、おいしいチャンプルーを食べてみたいなぁ。

パネル・ディスカッション・イベントの報道について

2007-05-19 10:12:21 | Weblog
今日、Gooleで調べ者をしていたら、たまたま私が企画したパネル・ディスカッションの記事を見つけました。誰か、中国語のできる人、この記事を訳してもらえませんか?

こういったレビューを貰うのはもちろん嬉しいが、一つだけ、内容でどうしても引っかかる所があった。

私の限られた漢文能力で理解した限りでは、やはりどうしても言いたいことが伝わっていないのかなぁ、と思った。例えば、鈴木さんが「日本は原爆を落とされた唯一の国です。ですから、日本だけが「自衛上」、核を持つ権利・資格のある国だと思います。その日本が永久にその権利を捨てる。そうすると、他に持てる国はないはずだ。それを憲法にきちんと明記し、世界に訴える。」と言っている箇所を、あたかも鈴木さんが、ただ単に、「日本は原爆を落とされた唯一の国だから、自衛の為に核兵器を持てる国は日本しかない」、とだけ言ったかの様に書いてある様に、私には思える。これでは、鈴木さんの言っていることが180度変わってしまう。これはちょっと酷いと思う。鈴木さんが右翼を自称(他称?)しているから、という理由で、中国語が出来る人が、中国語の読めるオーディスエンスに向けて、あたかも鈴木さんが日本の核武装を進めているかの様に報道するのは、ちょっとまずいのではないか。こういうのって、主催の私が新聞社に抗議した方が良いものなのかどうか・・・。

また、4月25日にアジア・ソサエティーにて開かれたレクチャーには、日経、朝日、赤旗、共同通信その他の特派員がいらしていたのですが、私はその記事を確認していません。もしも、このイベントに関する新聞報道などを読んだ、という方がおられましたら、コメントにてご連絡頂けると助かります。

いろいろな「希望」

2007-05-15 13:01:27 | Weblog
前回憲法第九条をテーマとしてパネル・ディスカッションに参加して下さった鈴木邦男さんが、自身のHPの主張403と主張404の二回にわたって詳細に渡る感想を書いて下さっている。イベントに関しても大変満足して下さっているようで、本当に嬉しい。

私はブログで、このイベントの後、私自身が消化不良になってしまったと書いたが、こうなってしまった理由の一つは、このパネル・ディスカッションが終わった後に、ふと「希望」という言葉を考えてしまい、そこで詰まってしまったからであった。ここまで八方塞がりの現代において、何が希望たりえるのだろう。現在、長期的な見通しが立たない中で、どこに希望を見出して毎日を生きていくか、それを考えている。

私が経済学を辞めた理由も、経済学そのものを学ぶよりも、芸術に関わって社会と直接関係し、人に救いになるようなことがしたい、とそこに自分なりの「希望」を見出したからであった。

昨日、サスキア・サッセン女史が参加したパネル・ディスカッションがあり、その途中と後で彼女と意見交換をした。デトロイトやデリーの街の人口の変化と資本流入、また国家間の労働力の移動や再分配、ニューリージョナリズムと貨幣経済に関するレクチャーであった。デトロイトの人口と労働問題に関しては、私もアメリカで結構勉強したので、非常に面白かった。

彼女はレクチャーの中で、資本が変えていく都市の中、そして南米のコーヒー農園で働く人でもSubjective Choiceは可能であり、そしてそこに可能性がある、という話をしてくれた。彼女が言いたいことは、話し方からして高度に理論的であることが伺えたので、レクチャーの質疑応答の中で、こう聞いてみた。資本は差異化と外部を内部化することの運動で成立しており、資本の流れそのものは否定できない。またもしも内外格差を埋める上で資本と労働の移動があるのであれば、それはある種の必然である。しかし、それですらSubjective Chiceがあるとするのであれば、それはどういった考えなのか、そしてそのSubjective Choiseは資本の運動の中で既に内部化されてしまっていいるのではないか、そうするとSubjectiveであることはもはや不可能ではないか、そういう質問をした。

彼女はレクチャーの返答という形では形式的な話をしてくれて、そしてレクチャーの後で、あなたの質問はあの場で答えるには難しい、しかしその疑問は私の問いでもある、そんな感じの受け答えをしてくれた。そんな話をしながら、私自身の企画したアトミック・サンシャインのパネル・ディスカッションは上手く行った方だったな、なんて思った。やはり1時間半や2時間という限られた時間の中で、情報量を集約して多数の人とシェアするのは困難だ。

しかし、ここで彼女が言ったSubjective Choiceというのも、彼女なりのある種の希望ではないだろうか。Multitideという言葉ではなく、彼女自身の言葉で説明しようとした際、それがこういう言葉になって出たのかもしれない。そして、彼女にとってもそれが自身への問いであるのだとすると、それは消化不良を抱えた「希望」なのかもしれない。そんな事を、彼女の話す流暢なスペイン語を聞きながら、そう思った。

最近、Roberta FlackのKilling Me Softly with His Songにハマってしまった。このビデオは本当に格好いい。このビデオに格好良さを見出してしまう私は、希望を見ているのか、それとも逃避しているのか。。。

素晴らしい展示を見ました*Barcelona and Modernity

2007-05-13 10:11:53 | Weblog
今日は久しぶりに良い展示を見た。「Barcelona and Modernity: Gaudi to Dali」である。元々、クリーブランドのキュレーターが企画したものを、メトロポリタンに持ってきたものである。こんな凄い展示、クリーブランドでやって一体どれだけの人が理解できたんだろう、と心配になってしまう程高い水準の展示であった。

この展示のキュレーター、William Robinsonの凄い所は、ガウディとダリという巨匠を上手く利用して、自分のやりたいアーティスト、そして展示を作り上げてしまった点である。やはり人が集っていたのはガウディのセクションやダリの作品群の前であったが、これは悪く言ってしまえば客寄せパンダで、圧巻は以下の展示であった。

ミース・ファン・デル・ローエのバルセロナ・パビリオンの説明だけで1部屋使っているのは素晴らしいと思った。バルセロナ・パビリオンは万博のドイツ館でありながらドイツという文字すら入れずにドキュメンテーションを行った点や、展示会場であったはずの建物の中に一切ものを入れず、それを行うことにより新生ドイツを表現した、という事などが丁寧に語られていた。まさに1929年当時のモダニズムの頂点であったと思う。

圧巻はこの次の部屋にある、1937年パリ万博におけるスペイン・パビリオンの模型である。何と、模型の中には当時の内装までが全て忠実に再現してあり、そこを覗き込むと、ピカソの「ゲルニカ」が内部に見えるのである。アサーニャが書いたという当時の反戦メッセージ(というか統一戦線の反フランコの詞)なども再現されており、キュレーターの意気込みが垣間見える、傑作であった。そのパビリオンの隣にはミロの作った塔が配置されており、展示の入り口には統一戦線に参加していたヘミングウェイが購入したことで有名なミロの農園の絵まで飾ってあった。圧巻である。

また、その内部のゲルニカを見た後には、ロンドンのテート・ギャラリーから借りてきた1937年に書かれたゲルニカのネタとなったことでも有名な「泣く女」が配置されており、アートヒストリーへのコンテクストへの回収も忘れていない。また、ピカソ青の時代の傑作La Vieをパリのモンパルナスの絵画と上手く繋げており、本当に展示として優れたものだった。私がキュレーターだったら、そこにピカソのバルセロナ時代のラ・セレスティーナの絵画を入れたいと思うところだが、それはちょっと難しいだろうか。

その後、ベニスとイスラム芸術の展示を見た後、丁度フェルメールの作品の部屋に出たので、そこでフェルメールの作品群をじっくりと見る。当たり前だが、やっぱり良い。その後、隣の部屋にあるレンブラントの部屋に行くと、やはりこれが凄い。特にレンブラントの自画像シリーズは凄すぎる。

今日の私には、レンブラントの自画像がまるでトリップ絵画のように見えた。なぜ私にトリップ絵画の様に見えたのか、考えてみた。

デリダが差延 (différance)について述べているが、それは何かが何者かとして同定されたり、何かの自己同一性が成り立つためにはつねに、それ自身との完全な一致からのずれや、違い、逸脱といったものが必要だということである。つまり、自己との関係は自己との差異を前提としなくてはならないのである。おそらくレンブラントはこれに似た自己認識の問題を、生涯を追って、老いていく自己を描き続けることで迫っていったのではないかと思う。そして、そのレンブラントの自画像を見ていると、それを見ている自己の時間のずれを感じてしまい、あたかもトリップの様に感じてしまったのである。

その後、レンブラントのポートレート・シリーズをベラスケスの肖像画シリーズと一緒に比較して見たのだが、私の中ではレンブラントの方が圧倒的に勝っていた。

また、レンブラントに関連した文章を、以前パメラ・ローゼンクランツの紹介文にて書いたのだが、そのパメラが来週の金曜日から、東京のタロー・ナス・ギャラリーにて個展を行います。興味のある方はぜひ足を運んでみて下さい。

いろいろなマンゴーの味

2007-05-13 01:55:26 | Weblog
昨日はミュージシャンの羽鳥美保さんと一緒にコーヒーをご一緒する。

私の好きなマンゴーのアイスクリームを食べながら、マンゴーはおいしい、という話から始まり、マンゴーを木から取って食べるという生活をしている人はどんなに素敵な生活なんだろう、という話から盛り上がる。こういった、生きる、という生命のバイブレーションが見えているミュージシャンに会うと、私はほっとする。ビジュアル・アーティストよりも、ミュージシャンの方がこういったバイブレーションに敏感なのは、当然といえば当然だろうか。

美保さんは自然と日本神話に興味があるらしく、最近九州の高千穂の自然に胸を打たれたそう。私も含め、海外に住んでいる日本人が日本を美化するのは危険だ、ということに注意しながらも、その自然は圧倒的だった、という話をする。私も最近のアイスランド体験についてお話する。あんなに凄いエネルギーを感じたのは生まれて初めてで、あとでどうしてだろう、と考えた時、地球上で唯一アイスランドだけが地球のコア、すなわちプレート下にあるマントルが表出した部分であることを知った際、府に落ちた、という話をする。とにかくそんな話で盛り上がった。

一つ美保さんに会った際にどうしても聞きたかったのが、私が7年前のセントルイスで経験したできごとである。当時イリノイ大学に通っていた20歳の私は、セントルイスのユースホステルにてクリスピンという23歳くらいのイングランド人男性と仲良くなったのである。クリスピンはピースウォークと言って、サンフランシスコからNYまで歩く、という凄いプロジェクトをやっていたのだ。そのクリスピンとはセントルイスで何日かつるんでいて、一緒に反核兵器パレートから、ブラック・パンサーの集会にまで参加したり、さらにホピ族の方までいろいろと紹介してもらったのだった。そのクリスピンが、俺はミホと友達だ、と言って羽鳥美保さんと一緒に写った写真を見せてもらったのを昨日のように覚えていて、美保さんに会ったらぜひ聞いてみようと思っていたのだ。

そのクリスピンについて美保さんに聞いてみると、ああ、彼らね、NYまで歩いて来て、私のアパートに泊まって行ったよ、すごい若者たちだねー、と言っていたのが何だか面白かった。なんだか、凄い所でみんな繋がっているものである。

その後、友人のSam Samoreのオープニングに行くため、タクシーでチェルシーに移動。Ruben Museumの前を通ったら、アンブローズ・ビアスの「悪魔の辞典」(The Devil's Dictionary)の引用がプレートに書きこまれていた。ちょっと可笑しいので、以下に転用。

Cogito cogito ergo cogito sum (I think that I think, therefore I think that I am.)

この文章の上手さも、マンゴーの旨さには敵わなかったりして。

消化不良

2007-05-11 03:03:54 | Weblog
憲法第九条のパネル・ディスカッションや、ロバート・フランクと会ってお話しているうちに、私の方が消化不良を起してしまった。こうなってくると、バランスの取り方が難しくなってくる。何もできなくなってしまう。

伝えたいことをどう伝えるのか、そしてそれは伝わっているのか、そしてそれは本当に必要なのか、そして何をどうすれば良いのか、分からなくなってしまう。それでも、生活して行かなくてはならないし、一歩一歩進んでいかなくてはならない。

私は、九条をヨーロッパのモダニズムの延長に捉えている。そこには、終末戦争を経験してしまったものだけが持ちえる他者の思想があったように思える。

「私」であるとは幸福であることであり、わが家にいることである。

レヴィナスのこの言葉を生んでしまったヨーロッパ近代の苦悩は、果たして私に、そして私たちに、そして西欧に住んでいない人たちに理解できているのだろうか、と思う。また、レヴィナスがデカルトとパルメニデスを引いて、延々と自己認識と多数性、他者性について語っているのを読むと、私も頑張らなくては、と思うのだが、あまりにも大きなテーマを前にして、私は立ちすくんでしまう。しかしこの多数性の問題は、ヨーロッパのルネサンスのルーツをインドに、そしてそのルーツをゾロアスターに辿っていくと、何となくわかってくる。単独性を真に受けてしまったのが、近代であり、それは蓄積、さらには不均衡を生んだのではないか、と思う。

デカルトというゴチゴトのローマ・カトリック教徒、ユダヤ教徒のレヴィナス、仏教徒の西田幾多郎、そしてソフィストのパルメニデスが同じ問題を扱っていて、また全く違った、そして同時に似通った答えを出しているのが気になる。自己認識の問題は民主主義の成立から近代の問題に繋がってくるので、絶対に外せない。

ロバート・フランクからは、Thomas BernhardやBlaise Cendrarsの小説を読むように進められた。これを読み終えるまで、彼には会えないだろう。当たり前のことだ。

バランスを取るために、スパイダーマン3を見る。大傑作だった。サム・ライミ、凄いと思う。イーストウッドがミスティック・リバーでやろうとしたことを、彼はエンターテイメントの中でやってしまっている。これはもはや子供向けの映画ではなく、完全に大人の映画だ。お勧めです。