穴にハマったアリスたち

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(第44話)わんだふるぷりきゅあ!「たくさんの幸せ」

2024年12月08日 | わんだふるぷりきゅあ!
■(第44話)わんだふるぷりきゅあ!「たくさんの幸せ」

放送開始前から噂されていたペットとの死別回。率直に言うなら、嫌いなタイプのお話でした。
以下、勢い任せで書くので、不快な方はご遠慮ください。
また明らかに来週と併せての前後編のようなので、前半だけでだと不当な感想も含まれていると思います。ご了承ください。

【鉄板、鉄板、超鉄板】
今回の話の問題点として、ざっと3つある。

(1) プリキュアが絡んでいない
(2) 死ぬために急に出てきたキャラクターである
(3) こむぎの死(またはその匂わせ)を期待されている

犬飼さんは幼いころからフクちゃんと交流があり、彼女の視点では無関係のモブではない。幼馴染といってもいい。
ですが今まで特に強調して描かれてもおらず、死んで感動してもらうために生まれたキャラです。

もちろんドキプリのマシュマロ等、死ぬためのゲストキャラは多数いる。

それ自体はおかしくはないのですが、マシュマロ達は直接にプリキュアと関わりがあり、そのエピソードではメインです。
フクちゃんは事情が異なる。あくまで「知り合いの飼い犬」です。そして「こむぎの死の予感」がメイン(ネットの反応や来週の展開から)。
ドキプリ映画でいうなら、マシュマロが近所の仲良しの犬で、メインの話題が「六花たちもこうやって切り捨てる未来が来る」だったとしたら、リアクションに悩む。
(マシュマロは「幸せの王子」のツバメであり、同じくツバメの六花たちの犠牲も示唆されているのですが、映画中ではそこがメインではない)

関係性のみならず、ストーリー的にもプリキュアは直接関与していません(※後述)
ティラノを倒すことはできず、フクちゃんの異常にも、トラメの譲歩にも気づいていない。
これは意図してやっている作劇だとも思うのですが、プリキュアが蚊帳の外にいるお話なわけで、通常なら批判されるポイントだと思います。
例えばこれが「お弁当の配達に間に合わない!」とかのエピソードだったら、「プリキュアは何やってんの?」となるのでは。

・皆で食堂で和気あいあい
・敵が出たので中座して戦いに。
・その間に配達の注文が入り、店員さんが出発(プリキュアは認識していない)
・大変だ!道に穴が開いている!このままじゃ約束の時間に間に合わないぞ!(プリキュアは認識していない)
・敵幹部が戦闘放棄して、道路復旧(プリキュアは認識していない)

シュールなギャグ回では。

ところが「動物の死」という鉄板中の鉄板の感動ネタにより、構成の問題点は塗りつぶされ、神回・名作・踏み込んだ意欲回になってしまう。
じゃあもう動物が毎回死んでればいいじゃん、今までのコンテンツ作りなんだったの?…は逆ギレしすぎですが、まぁモヤモヤはする。

そして一連の行き着く先は、こむぎの死です。
露骨に「死んでくれ」と思ってる人はそうはいないでしょうけど、「死ぬかな?死ぬのかな?」と『衝撃の展開』を期待してる向きは感じます。
死なずに終わったらそれはそれで「まぁそこまでは無理だよね」とか「死なないで良かった」とか、死を中心に語られるように思う。

念のため触れておくと、わんぷりさんは「いつか来る別れ」を想定しているように思えます。
ユキ転入回での「明日喧嘩するとしても、今日仲良くしないのは悲しい」や、映画のこむぎの台詞や展開、鏡石の逸話に示唆される将来起きる仲違い等、関係性の終わりは繰り返し出てきます。死別もその一つでしょう。
プリキュアシリーズ全体としても、「死」(避けられぬ終わり)は根底のひとつなので、ペットの死を扱うのはおかしくはない。

ただ最大の注目が「(寿命で)死ぬかどうか」の主人公って、どうなんだろう。

【プリキュアらしからぬ…?】
放送終了直後すぐに、ネットニュースで「ペットの死を描き反響」と掲載されました。手ぐすね引いて待っていた提灯記事、気持ち悪い。

まず、「死」はこれまでに何度も扱われています。
犬に限っても前述のドキプリのマシュマロや、ハピネスチャージのデビット。
それ以外なら、せつな、コロン、月影父、黄瀬父、シャロン、オアシス、和実祖母、カイゼリン父、等々とっさに思いつくだけでも多数ある。
したがって「普段は呑気なプリキュアが、異例中の異例で神回を放送した」ような評価は釈然としない。

また、今後この回がわんぷりを代表する回として無条件に言われかねないのも気になります。
同種の事例としては、はぐプリの若宮アンリ変身回がある。

はぐプリを紹介しようとすると、「男子プリキュアが初登場」が真っ先に挙がる。
アンリは大事なストーリーを持つ重要なキャラクターではありますが、1年やってきた放送の看板がレギュラー陣が直接関係しないそれなの?
私がはぐプリが好きなだけに、非常にもどかしい。

今回も同様です。
プリキュア特集的な番組を思い浮かべてみよう。わんぷりの紹介シーンでは「特別なワンダフル」の後に「ペットの死にも向き合った」のナレーションと共に、フクちゃんのシーンがいかにも映りそう。そこがわんぷりの顔なの?この1年は、実質初登場の犬の死に後塵を期すの?

来週どのような展開になるかに大きく依存するので、かなりの勇み足の言いがかりにはなりますが、上記のままだと主人公こむぎの立つ瀬がない。
序盤の犬飼さんとの絆云々は忘れ去られ、「死を予感されるキャラ」として記憶されてしまう。だってわんぷりの代表シーンが「特別なワンダフル」と「ペットの死」なんだから。
(しかも「特別なワンダフル」と「ペットの死」は非常に相性が悪い。こむぎが普通のワンダフルであることが明言された後に、ペットの死のシーンを流されたら、どんな反応すればいいか分からない)

【お気持ちのまとめ】
そういったわけで、「ペットが死んだから神回」とは受け取りたくないし、そのような広まり方もして欲しくないので、一感想として書き連ねてみた。
もし「動物が死んでるのにケチ付けるのか」のような気持ちが沸いたなら、それこそが書いてきた懸念点です。
動物が死ねば他の問題点は全部チャラで批判も許されず、無条件に神回になってしまうのはどうなんだろうか。

【蛇足】
『関係性のみならず、ストーリー的にもプリキュアは直接関与していません』について。

ストーリー面では、例えばこういうやり方はできる。

・ティラノとの戦闘中、焦って駆けているお鶴さんを遠目に発見。状況を察する。
・猫組がティラノを引き受け、犬組がお鶴さんを助けに行く。
・犬組の前に現れて邪魔するトラメ。
・いつになく強い調子で警告するフレンディ。トラメもフクちゃんの事態に気づく
・トラメ、犬組とフクちゃん達を見逃す
・猫組、大苦戦しながらもティラノを浄化

これだとストーリー的にプリキュアが関わってくる。

必ずしもこっちの方が良いとは思わない。放送されたものの方が構成がシンプルだし、トラメの決断が重い。
それに意図的にプリキュアの貢献度を下げているようにも見える作劇なので、例えば「プリキュアといえど命には関与できない」などの意味もあるのかもしれない。
(またもう一つの問題の、プリキュアと遠い関係性であることは、何も解決していない)

ただ「ストーリーへのプリキュアの関与」とはどういうことを言ってるのかのイメージ説明として、書いておきます。

【蛇足2】
今回の話により、ニコガーデンが仮に死後の世界だとすると、物凄く面倒なことになる。

フクちゃんそのものがそのままニコガーデンで生活する場合、今回の件が茶番になりかねず、ひいてはわんぷり全体のテイストが揺らぐ。

フクちゃんそのものではなく、犬の魂の集合体のようなものがキラリンドッグを形作る…のようなパターンの場合、プリキュアシリーズで否定し続けている同質化・同一化に抵触してしまう。

どちらに転んでもまずい。
今までにも死後の世界らしきものは描かれている(マシュマロや先代プリキュア等)ので、それ自体は今更ですが、今作はニコガーデンとの行き来ができるため他作とは影響度合いが全く違います。どうにか上手い着地をしてくれることを願います。

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