穴にハマったアリスたち

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(第34話)ひろがるスカイ!プリキュア「もんもん!ましろと帰ってきたアイツ」感想

2023年09月24日 | ひろがるスカイ!プリキュア
■(第34話)ひろがるスカイ!プリキュア「もんもん!ましろと帰ってきたアイツ」感想


(「ひろがるスカイ!プリキュア」第34話より)

先日退場なされたバッタモンダーさんの再登場回。安否が確認されました。

彼は歴代敵幹部の中でもずば抜けて卑劣・卑小・卑屈で実に嫌な奴なのですが、それ故に「ひろプリ」では最も印象的なお方だと思ってます。正直、プリキュアサイドより魅力的にすら見える。

そんなこんなを証明するかの如く、今回のお話はとても面白い上に、よくまとまってた。

バッタモンダーの思考ではネガティブに思えることが、ましろさんにとってはポジティブに響いた。
彼の思考(もしくはアンダーグの思考)の特徴を説明しつつ、ましろさんの成長を描写し、もちろんネタとしても面白い。
全くのギャグを通じて、カバトンの生存や現在の生活状況も示されました。僅かこの1話で、ひろプリのストーリーが進んだ気すらする。

バッタモンダーが語った「覚悟」は、来週の野球回でも出てきそうなフレーズですので、最終クールの肝になるのかもしれない。
これまで「トロプリ」「デパプリ」「スタプリ」っぽい展開だったので、次は「ヒープリ」だと予想しているのですが、確かに花寺さん達とビョーゲンズを分かつものは覚悟の違いのようにも。

「あ、ちょうちょですよ!」「ちょうちょ!」「あれはガだよ」も地味にとても好き。
こういう、聞きようによっては攻撃的で傷つけるかもしれない小ネタを、ひろプリさんは避けてたのかもしれませんけど、あるととても生き生きして素晴らしい。

「真っ白ですね!全然わかりません!」も同様。
この時のソラさん、よく見ると冷や汗をかいています。彼女なりに必死に理解しようとして、本気で分からず困っていらっしゃる。
だけどバッタモンダーの心象風景では、ソラさんは無機質・無感情な異常生物として映ってる。彼の価値観では、ソラさんのこの台詞は批判や嘲笑と認識されたんだと思う。
ソラさんの正直さや素直さを描きつつ、バッタモンダーの背景も伝わってくる。

一応は「飛び道具」的な変則回…ではあるのですが、ひろプリ的には珍しくても、従来のプリキュアシリーズでは頻繁に見かけるパターンな気もする。
こういうのをもっとやって欲しい。

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(第33話)ひろがるスカイ!プリキュア「究極のちから!マジェスティクルニクルン」感想

2023年09月20日 | ひろがるスカイ!プリキュア
■(第33話)ひろがるスカイ!プリキュア「究極のちから!マジェスティクルニクルン」感想


(「ひろがるスカイ!プリキュア」第33話より)

美翔さんがブラウン管に帰ってきた!(本年度n回目)

映画「プリキュアオールスターズF」にて。
どうにもならない絶望的な戦況下で、美翔さん達が思い出していたのは、モエルンバ&キントレスキーとの地獄のようなバトルでした。
あの時も再生が関わり、プリキュア外の生き物との共闘でしたから、Fのそれと似通ってる部分はある(ダークフォールの思想は、Fの敵とは真逆ですが)。
絶望の走馬灯でよぎったのがあのシーンだったのは、何かとても納得できて嬉しかったです。

※以下、「オールスターズF」の深刻なネタバレを含みます。

【ひろプリ】
秋映画は例年、その年のシリーズを象徴した内容になっています。
実際、ひろプリ本編はFとの共通点が多い。

第一に「カイゼリンとマジェスティ」と「シュプリームとプーカ」。
映画の前から、マジェスティはカイゼリンの関係者か?と推察されていました。
どちらも雷を操り、謎のトゲトゲが大好き。

プーカがシュプリームの一部だったことを思うと、マジェスティ(エルちゃん)もカイゼリンの一部のように思われます。
当初は手元に置こうとしたが、見限って抹殺に走るところも同じ。
カイゼリンの急な心変わりも、「エルちゃんがプリキュアに染まってしまったから」だとすれば説明できる。

他には「プリキュアしかいないヨヨ邸の日々」。
定番の学校生活や悪役会議すら省略し、プリキュアだけの日常を中心に物語が進んでいます。

Fの舞台は「プリキュアしかいない世界」です。
住人もいるにはいますが、人格のないモブばかり。敵もまたプリキュアと見るや襲い掛かってくるだけの、目的不明の存在です。

この二つはあまりにも酷似しています。
映画と同じギミックなのだとしたら、「ヨヨ邸の今の生活は、何かの仮想世界や偽りの世界」の可能性が出てくる。

例えばこんな感じ。
クライマックスで、ソラさんがハッと我に返ると、仲間たちがバッタリと倒れ全滅寸前。
目前には、ヒーロー手帳を手に見下ろすカイゼリンの姿。

カイゼリン:
「お前たちがヒーローヒーローと煩いから経験してみたが、何にも分からなかったな」

焼き捨てられるヒーロー手帳。歯を食いしばり立ち上がるソラ。

ソラ:
「当然です。あなたは全然理解できていない」
「あなたが無駄だと切り捨てた〇〇の思い出や××の記憶」
「それこそがヒーローに必要なことだからです…!」

視聴者が全く知らないクラスメイトの名前や、放送されていない学校行事の回想を背にソラさんが奮起、最終決戦が始まる…みたいな感じ。

滅茶苦茶ではあるものの、オールスターズFで実際に似たことをやっていますから、展開そのものはあってもおかしくはない。
しかもひろプリの特徴(特に、しばしば欠点だと批判される)がひっくり返ります。

・学校描写が薄い
・悪役会議がない
・不手際が目立つ育児
・人助けイベントが少ない
・家族描写が薄い
・試練が単純

等々。
シュプリームと同様に「再創造したカイゼリンの理解度が低かったから」で説明がついてしまい、伏線として強烈に機能してしまいます。
「知識の宮殿」なる謎のアーカイブの存在も怪しい。今の世界は、既に経験済のことを再現しているのでは?

※余計なことにまで踏み込むなら、成人プリキュアや男子プリキュアも組み込める。
あげはさんは実は小学生で、カイゼリンとの決戦の際に「私が大人だったら…!」と足掻いたので、面白がって大人の姿で再生された。
ツバサくんも本当はプリキュアではなく妖精枠。「僕がプリキュアだったら…!」と抗ったので「じゃあ見せてもらおうか、ナイト様」と弄ばれた。
シュプリームが悪辣すぎるので、こういった滅茶苦茶な展開も「もしかしたら…?」と思えてくる。

もちろん、こんな大どんでん返しが本当にあると真面目に主張したいのではなく。
肝心なのは「こういったことが予想の一つとしてありえてしまう」ことです。

繰り返しになりますが、「プリキュアオールスターズF」でやっていて、その「F」と幾つも類似点があり、仮にそういう展開ならこれまでの疑問符を説明できてしまう。そのため「これぐらいのことは起きるのでは?」と予想できてしまう。
予想できるなら、実際にはそうでなかった時に肩透かしを感じる恐れが出てきます。

少なくともエルちゃんの正体は何某か言及されるでしょうし、カイゼリンの目的も語られるはず。
それがもし「光の存在(エルちゃん)と闇の存在(カイゼリン)に分かれたのだ…!」程度のことだったら、かなりのガッカリです。
MHのルミナスと少年のオマージュといえばそうですが、それと比べても安っぽく見えてしまう。

「実は仮初の世界でした」と同等以上の何かを仕込めるのか。「F」の衝撃に応えられるのか。
「F」が素晴らしすぎて、ひろプリさんのハードルが理不尽なまでに上がってしまったように思います。どうするんだ、これ。

【第3クール】
幾度も書いているように、第3クールは「スタプリ」っぽさを感じます。
今回の展開も、子供が親の価値観を継承している。プリズムとエルちゃんのエピソードは、スタプリ本編でいうところの12星座のプリンセスと人類。スタプリ映画のララとユーマを連想します。
ミノトンとの決着の仕方もそこはかとなくスタプリっぽい。

この分だと第4はヒープリなのかなとは思うのですが、先ほども書いた通り、ひろプリさんには大きな期待が寄せられています。
直近4年をオマージュしました程度では、意外性は特にはない。気が付けば残り10数話ですから、ここから大きく動くのに期待したい。

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「創造と破壊」への抗い:映画「プリキュアオールスターズF」感想

2023年09月18日 | プリキュア映画シリーズ
■「創造と破壊」への抗い:映画「プリキュアオールスターズF」感想


(公式パンフレット(豪華版)より)

まだ1回しか観賞しておらず、私の思い違いも多々あるかと思いますが「初めて見た時の感想」は大事だと思いますので、一旦吐き出してみる。

【創造と破壊】
率直に言って、今回の映画は鷲尾さんが繰り返しインタビューで言及し、(一部の)ファンの間で物議を醸した事柄に真っ向から切り込んでいたように見えます。
その第一は「創造と破壊」。

豪華版パンフレットにも掲載されているように、鷲尾さんは(主には男子プリキュア絡みの文脈で)「創造と破壊こそがプリキュアの魂だ」と述べられています。

「<プリキュア>“創造と破壊”の歴史から生まれた男子プリキュア舞台 鷲尾Pが語る誕生の裏側」
【引用】
『「ヒンズー教のシヴァ神の破壊は、創造を生み出すための破壊です。そういう発想なのかもしれません。破壊して、再構築していく。再構築するには、根っこがきちんとなければできない。根源となる素材を使って再構築していきます。その素材を考え、突き詰めて考えていけば、いろいろなことに挑戦してもプリキュアとして通用すると考えています」』
【引用終】

●「Dancing☆Star プリキュア公式サイト
【引用】
『なぜ男性キャストで舞台版プリキュア!? 皆様のお気持ちお察しいたします。答えは“創造と破壊”です』
【引用終】

ところが今回の敵・シュプリームは、「破壊」と「創造」のワードをそのまま口にし、実際に世界の破壊と創造を行っています。そしてプリキュアたちは「破壊と創造」を明白に敵視している。

プリキュアさん達は「創造」された世界を、確かに時には楽しんで旅はしていました。
ですが「こんな世界もいいね」とか「変わってしまったけど、これはこれでも良い」「この変化した世界で生きていこう」といった着地はしていません。
最終的に目指したのは「再生」です。元の世界を取り戻すために戦っている。

鷲尾さんもインタビューで述べているように「根源となる素材を使うか」の部分が違うといえば違うので、シュプリームの「破壊と創造」は、鷲尾さんの言う「創造と破壊」とは違うのでしょうけれど、映画の中ではそのような説明は特にはされていません。

また「両者は違うんだ」と説明が必要になるぐらいなら、最初から別の言葉を選べば良かっただけです。
たとえばシュプリームには「創造」ではなく「改変」とか「変容」と言わせるなど。

【プリキュアとは自立している存在】
同じくインタビューでは「自立」をプリキュアの要件として強調していました。

「初の舞台化でなぜ男子高校生プリキュア?鷲尾天×ほさかようが語り尽くす 既存概念の破壊こそがプリキュアのテーマ」
【引用】
『プリキュアシリーズの軸である「自分の足で凛々しく立つ」ことを、この作品の男子高校生たちも意識していれば、彼らはプリキュアだと思います。』
【引用終】

シュプリームは明らかに「自分の足で凛々しく立ち」、「自分らしく」自立している。
ですが私らの感覚では(劇中の表現としても)あれはプリキュアではない。

実際に映画でも語られたように、プリキュアとはむしろ「一人では弱い」存在です。それの何が悪いのか。だからプリキュアはふたりなんだ。
自分の弱さも他者の弱さも認めて、共に手を取り合い、助け合って主体的に問題に取り組むことの方が、プリキュアらしさに感じます。

この「自立」は、「(主には男子の)お助けキャラをあてにせずに、(主には女子の)自分たちだけで解決する」が発端の言葉だったと記憶しています。
「男子プリキュアを入れたい」となった時に、上記の「反論」が容易に思い浮かんだ故に、「お助けキャラをあてにせずに、自分たちだけで解決するならプリキュアだ」の強弁が先行してしまい、「弱さを認めた上で主体的に解決する」の要素が抜け落ちた「自立」という表現に行き着いてしまったんじゃなかろうか。

※「自立」といったニュアンスの表現自体は、男子プリキュアが取りざたされる2023年より前から使われてはいます。

「自立」に似通った表現で短く一単語にするなら、おそらく真に言いたかったのは「主体性(がある)」だと思われます。これならお遊びで創造と破壊をしているシュプリームには当てはまらない。

文意に配慮するなら、「自分の足で凛々しく立つ」ことは「主体性がある」と言えますし、読み手側の「自立」というまとめ方が間違ってる可能性はある。
今回この記事を書くために改めて検索しましたが、鷲尾さん自身は「自立」という単語は使っていません(すぐには見つからなかった)。
ただ本件に言及している他の方の発言では、しばしば「自立」という表現が使われています。

(鷲尾さんのインタビュー記事を紹介する投稿にて)加藤藍子🌍ライター・編集者
【引用】
『プリキュアの描く「自立」とは?という質問に対する鷲尾天さんの答えも、ぜひ。』
【引用終】

鷲尾さんは「自立」をプリキュアの要件として表現している、と読み取るのは不自然ではないはず。
そしてその「自立」が、今回の映画では敵の方に当てはまってしまっている。

「自立」とは「一人の力で全てをやり遂げる」ことは意味しないので、助け合ったとしても必ずしも矛盾はしていませんが、だったら最初から別の表現をした方が良かったのではなかろうか。

補足が必要になる紛らわしい表現を広報に使うのは、もうその時点で失敗です。

【プリキュアごっこ】
シュプリームは「プリキュアごっこ」に興じています。
プリキュアを自称し、プリキュアの真似っこをすれば、何かが変わると思い込んでいる。

男子プリキュアが登場した際に、「男子もプリキュアになっていいんだと認められた」のような感想をちらほら見かけました。
シュプリームの「プリキュアごっこ」は、これにNoを突き付けているように見えてしまう。
外側を表面的に真似てプリキュアだと言い張っても、それはプリキュアではないし、何も変わらない。

※「キュアウィングはプリキュアではない」といった話ではなく、「キュアウィングもプリキュアとして認められるんだから、プリキュアを名乗りさえすれば誰でもプリキュアだ」といった安直な発想が否定される、との意味。

※言うまでもなく、子供の無邪気なプリキュアごっこを否定する意図は一切ない。そういう話はしていない。これまでのプリキュア本編でも、無害な「偽プリキュア」を一々問題視するような無粋な描写はされていない。

しかもシュプリームは、それなりに「プリキュアっぽい」ことはしています。
特に変身バンクは悪趣味の極致。そして不都合なことに、「ぼくプリ」では変身シーンが「見どころ」として強調されています。

「初の舞台化でなぜ男子高校生プリキュア?鷲尾天×ほさかようが語り尽くす 既存概念の破壊こそがプリキュアのテーマ」
【引用】
『あとは…絶対変身しなきゃいけない(笑)。「変身してくる!」って舞台からハケるわけにはいかないと思っていますから、舞台上で変身できたらと考えています!(笑)』
【引用終】

変身シーンを再現しても、プリキュアではない。
更には妖精がいてもプリキュアではないし、敵を倒したり、必殺技っぽいのを出してもプリキュアではない。

じゃあ何があればプリキュアなのか?といえば、(前述の「手を取り合う」といった内面ではなく外面でいえば)「玩具を持っている」ことがその一つのように思えます。
馬鹿みたいな幼稚な指摘にも感じるかもしれませんが、メタ的には「玩具メーカー等の信任や期待を背負っている」、物語的には「己の拠り所の視覚化」などそれなりに大きな意味があります。
妖精の存在には気づいたシュプリームが、玩具(タクトやブレスや変身アイテム)に気づかなかったのは不自然といえば不自然で、プリキュアごっことしては中途半端です。自分の力しか信じないシュプリームには、道具を使う発想がなかったのかもしれず、これも「プリキュアらしさ」に繋がってきます。

※決着後のEDでは玩具らしきものを持っていますから、「敵の間は玩具なし」は意識した描写だったと思います。

そしてこれまた不都合なことに、「ぼくプリ」には今のところ玩具が出てこない。
誤解されたくないので強調しますが、私は、この映画が「ぼくプリ」批判を意図しているとは全く思わないです。
ただ「プリキュアらしさ」「プリキュアもどき」を描いたら、たまたま結果的に上記のようになってしまった。

これはとても「気まずい」話で、「ぼくプリ」さんにとってはハードルが非常に上がったんじゃなかろうか。

【まとめ】
上記の通り、今回の映画は「プリキュアとは何か」を扱った結果、この半年間で公式が発信してきた「プリキュアとは」に疑問符を突き付けたように見えてしまう。
意図してのことならもちろん、意図せずに結果としてそうなったのだとしても非常に気になる。

私がネットで見た範囲でいえば、映画は大絶賛されています。ファンが望む「創造と破壊」とは「全くの新規の要素」ではなく、「従来の要素の組み合わせによる新たな発見」のように見える。

私自身は、「創造と破壊」「自立していればプリキュア」はかなり疑問を抱いていて、今回の映画も実際に見るまでは「既存プリキュアが全否定されて終わる(それこそ「変わってしまった世界を受け入れて、新たな世界を生きていこう」のような)」を危惧していました。
なので制作サイドの意図はともかく、「創造と破壊」等を否定するかのような展開には非常にすっきりしたし、今回の映画のカタルシスの肝だとすら思った。

これを元に「だから男子プリキュアは失敗なんだ」「公式が否定した」のような馬鹿げたことを主張する気は全くありません。
とはいえ、この半年間で強調されてきた公式サイドの「言い分」が表面的には覆ってしまい、少なくとも「ぼくプリ」の位置づけはなかなか難しくなったんじゃないかな、と感じました。

最終的にシュプリームやプーカはプリキュア扱いされた(か不明瞭ですが抹殺はされていない)のですが、これまで鷲尾さんが繰り返し語ってきた要素を否定し、違う側面からのプリキュア認定だと、「今までの話は何だったんだ」となってしまう。
ましてや、そのインタビューの直接の先にある「ぼくプリ」としては、梯子を外された感がある。どうするんだろう?

【蛇足】
言葉を選ばず感じたままに言うなら「幾つもの世界を滅ぼした、至高を自称し、多様性を捻じ曲げる外世界からの侵略者との戦い」ってポリコレの外圧を想起します。それに対して20年間のアーカイブで応戦し、私達が私達であるために、今までの世界を守る戦いだったように思う。

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映画「プリキュアオールスターズF」感想

2023年09月15日 | プリキュア映画シリーズ
■映画「プリキュアオールスターズF」感想


(公式パンフレットより)

20周年記念作。
最初に、あえて一言で無粋にまとめてしまうのなら。

『強大な外敵に対し、プリキュア20シリーズを一気見させて、こちらの価値観に共感させる』

という映画。
まとめると冗談に聞こえてもしまうかもしれないけれど、これが「破壊と創造」へのプリキュアさんの解なんだろうと思うし、とても納得できる。

外世界から飛来した謎の敵・シュプリーム。圧倒的な力の前に、プリキュア全チームは敗北。世界は破壊され、創造という名のグロテスクな遊び場とされた。
だけど消されたはずの「プリキュア」は、なぜか存在した。

世界がどれほど変わろうと、汚されようと、「プリキュア」はいる。戦ってくれる。だって「プリキュア」なんだから。
壊れて歪んだ世界でも、仲間と引きはがされても「プリキュア」たちはいつものように笑い、旅をし、また集まって戦う。

悪い敵をやっつける。無力な人々を守る。
そんな単純な理解では、「プリキュア」ではない。

シュプリームによる「プリキュアパロディ」は、何がどうおかしいのか表面的には説明できないものの、醜悪な何かが確かにあった。
敵と戦い、敵を倒す。それっぽい変身バンクと決めポーズ。見た目はプリキュアなのに、薄っぺらなモノマネ。
(メタ的には「玩具を持っていない(≒誰からも承認や期待をされず、何も背負っていない)」ことが決定打とも言えるかもしれない。妖精には気づいたが、玩具には気づかなかったらしい)

「破壊と創造」の名のもとにグチャグチャにされた世界で、プリキュアさんたちは戦う。20年のこれまでの歩みを背負って。
シュプリームとの対話の大半が、かつてのアーカイブで成立するのは凄まじい。その疑問も、その反論も、とっくの昔に私たちは通過してきた。その答えを、私たちは持っている。
特にマナさんの登場シーンは見事すぎる。圧倒的な説得力。

対ミデンは救済の側面が強かった。対シュプリームはそれとは異なる切実さがある。
私たちが私たちであるために、外敵と戦う。
浴びせ続ける20周年のアーカイブ。ある意味、禁じ手の「価値観の上書き」。でも知り合うということは、そういう側面も避けられない。

幾つもの世界を滅ぼしてきた、「至高」を自称する絶対正義者の敵。
「プリキュアになれば何かが変わる」と思い込み、薄い理解で「プリキュアになっただけ」のプリキュアごっこに興じる者。
「破壊と創造」を嘯き、その世界に住む存在を無視して弄ぶ。

これまでとは本質的に異なる敵に対し、突き付けた解答は「相手をプリキュア化する」。

正体不明の謎の敵シュプリームは、再戦時にはプリキュアに酷似した姿に。
異物がプリキュアに侵食してきた、のではない。接触を通じて、異物をもプリキュアに変えた。
そうやって「プリキュア」を繋いでいく。

実生活においても言えることだろうと思う。
今年はプリキュア20周年。最初期の視聴者が就職し、社会にでて数年たったのが今。
「プリキュアを布教しよう」なんて単純な話ではなく、プリキュアに触れて育ってきた人々が、そこから得た何某かで社会を生きていくなら、何らかの影響は社会にもあるはず。プリキュアが変わるのではなく、社会が変わる。大袈裟ではあるけれど、昨今の環境を思うに、矜持として大事にしたい。

【オールスターズ】
選抜チームの皆様も、スポット参加の皆様も、とても「らしい」活躍でときめきました。
適当に数合わせの賑やかしをしているのではなく、ちゃんと「その子ならでは」の動きをなさってる。
結果的に出番に差はあったけど、とても納得いく。マカロンさんを初め、皆さま株を下げることなく活躍されてた。

良い意味での省略・割愛の高速展開も素晴らしい。変身バンクとOPを重ねる発想はなかった。
小ネタの数々も言うまでもなく。ビクトリー!
身長ではなく体長を使った活躍とか、人魚さんをよく分かってらっしゃる。

「プリキュア」を日常的に使ってる描写が幾つかあったのも象徴的。
調理のために変身するとか、壁をぶち抜くために一人だけ変身するとか。

マジェスティさんをどう登場させるのかと思ってたけど、「最後のプリキュア」発言からの「最後ではない」での参加。まさに「繋ぐ」。そして歴代キュアやオアシスさんやペコリンなどなどに繋いでいく。
シュプリームからすれば理解不能の恐怖だろうと思う。繋いでいくプリキュアの力。

ハグプリのオルスタ回のオマージュも、目まぐるしい展開に脳が追いつきません。
旅立ったはずのミラージュさん達までいるあたり、つくづく全世界規模の総力戦だったんだなと。

状況的に、モエルンバやキントレスキー、ジコチューの皆様やノイズ様といった面々も戦っていたんじゃないかとすら思う。
シュプリームが生み出したアーク(※)は、これまでの敵を侮辱した幼稚なパロディ。敵には敵の矜持があるはずで、立ち上がっていたはず。
アレは「プリキュア」の世界の外から来た存在。私たちが私たちであるために、彼らも戦う。

※アークって「箱舟」かと思ったんですけど、もっと単純に「悪」かしら。ふざけ切ったネーミング。確かに「サイアーク」等も過去にいたものの、「プリキュアってこういうのでしょ?」という安易なパロディ。

壊れたタコカフェ等の、負の参加も切ない。
それこそもっと踏み込むなら、あの世界には「破壊と創造」で無残にキャラ変された七瀬さんとか誠司くんとかも、画面外にいたのかもしれない。
最終決戦で呼び出されていた無数の敵も、イメージ的には「プリキュア」の紛い物ですよね。もしかしたら実際(?)には、ドリームやミラクルといったプリキュアたちをコピーしていたのかも。

城内での戦いも、あっさり吹っ飛ばされて負けるのではなく、生き残っていた各自がそれぞれ思考して戦ってる。
そのせいで、とにもかくにも辛い。適当に「はい負けシーン」と流せない重みが全編にあり、全滅の絶望が胸を締め付ける。
過去に類を見ないほどのグロテスクで辛い戦いだったし、館内ではお子様の泣き声が幾つか聞こえてた。
本当にきつい。スカッと爽快に勝つといった映画ではない。

最初の戦いの回想シーン、ミルキィローズの墜落シーンが妙にクローズアップされてた。
やられる1人を見せるのであれば、ブラックやドリームが撃破されている方がインパクトはあったと思うのだけど、なぜローズだったんだろう?
ただ展開としては分かる気はする。アナコンディを一人で足止めしたり、ムシバーンとの一騎打ちなどを見るに、ミルクさんは最も苛烈な場所を支えてくれる気がする。
多分、スターやハッピーの接近戦のために真正面で攻撃を引き付けてたんじゃないかな。

こういう「直接の描写はされていないけど想像できること」が山盛りの映画だった。
繰り返し見るたびに発見があると思うけど、まずは初回の感想として残したい。

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(第32話)ひろがるスカイ!プリキュア「大変身!キュアマジェスティ!!」感想

2023年09月11日 | ひろがるスカイ!プリキュア
■(第32話)ひろがるスカイ!プリキュア「大変身!キュアマジェスティ!!」感想


(「ひろがるスカイ!プリキュア」第32話より)

マジェスティさんが降臨なされました。そしてエルちゃんが「それは私だ」と自白した。

【疑うことと信じること】
突然の発言に驚きはしたものの、一同は素直に信じました。赤ちゃんの戯言だと一蹴せず、信じてあげるのは大事。

なのだけど。
現実として、勢いで嘘をついてしまったとか、何かを勘違いしているケースもある。
あまりに無条件に信じてしまうと、引っ込みがつかなくなってかえって傷つけてしまいます。
これでツッコミ待ちの冗談だった日には目も当てられません。黄瀬さんの引っ越し嘘の悲劇を思い出そう。

そしておそらくは、あげはさんはちゃんとそこまで考えていたっぽい。
「エルちゃんには自分だけのペンがある」のくだりは、エルちゃんが本当にマジェスティだったなら既にペンを持っているはずですから、少々不自然です。
「実はマジェスティではないのでは」を踏まえたフォローに思えます。

他、エルちゃんが転んだ時の支え方(手の平ではなく腕で受ける)とか、今回はさりげなく丁寧な描写が多かった気がする。誤食は怖かったけど…!

【固定観念と基盤】
マジェスティになってみせるため、スカイさんを初め、歴代プリキュアのポーズをとって変身の模索をなされていた。
身近の頼れる先輩を真似するのは当然のこと。親の振る舞いを見て、子は育つ。

だけどそれは悪し様に言うなら固定観念の刷り込みです。だから変身できなかった。
「プリキュアの変身とはこういうもの」の固定観念のままでは、先に進めない。

一方、変身の直接のきっかけとなったのは、ソラさん達と同じく、誰かを守りたいとの想いでした。

親世代から受け継いだ大事な信念を胸に、親世代の固定観念を打ち破り、先に進む。
この辺り、スタプリを想起します。やっぱり第3クールはスタプリを意識してるんだろうか。
第1はトロプリ(今は目的に拘らず目の前のことに全力になろう)、第2はデパプリ(自分は如何にして今の自分になったのか。ルーツを振り返る)要素を感じたので、次の第4クールはヒープリなのかもしれない。

【幼い最強】
エルちゃんがマジェスティに変身し、4人合わせたよりも強大な力でミノトンを撃破。
ソラさん達はやんややんやと大喜び。これからは一緒に戦いましょう!

盛り上がる一行の中、ましろさんだけは何やら思うところがあるようで。
次回予告を見るに「赤ちゃんを戦わせていいんだろうか」かと思われます。正論すぎる。

はーちゃんのように段階を踏んで成長したならまだしも、常識的に考えて1歳児を戦闘に放り込むのは間違っています。
ただそれを言うなら、女子中学生に怪物と戦闘させるのも間違ってる。

「赤ちゃんを戦わせるのはおかしい」
→「女子中学生を戦わせるのはおかしい」
→「だから成人や男子プリキュアが必要」

「女子中学生も自立して戦ってきた」
→「それを赤ちゃんにも拡張するだけ」
→「だから赤ちゃんが戦うのはプリキュアに即している」

どっちも理屈は通ってます。
面倒なことに、操られて強制的に戦わされているミノトンは、「戦いを強制される赤ちゃん」と被る側面がある。エルちゃんは自発的に戦ってはいるものの、1歳児に「自分から望んだことだよね?」を迫るのは酷すぎる。

(ついでに言えば、マジェスティさんが耳につけてる凶悪なトゲトゲは、アンダーグの皆様のトゲトゲに似通ってる。素直に考えるならアンダーグ関係者(もしくはアンダーグがエルちゃんの関係者)?)

マジェスティさんがいきなり在庫倉庫行きになるとは思えないので「一緒に戦う」方向で行くのでしょうけれど、どんな筋道を立てるんだろう?

【オールスターズF】
いよいよ後1週間。
予告がキナ臭く、良い感じに不審が高まります。

「プリキュアしかいない世界」はヨヨ邸での日々そのもの。
プリキュアとは何なのかを問いかけながら、そこからの脱出を目指すようです。
まるで「プリキュア」に関する記憶を失っているかのような様子もあり(それとも単に虚を突かれたのか)、まっさらな状態で「プリキュア」に向き合おうとしてるのかも。

ひろプリ本編は、良くも悪くもかなり「奇妙」なことになってる。
例年通りなら、秋映画で何かが分かるはず。震えながら期待して待ってる。

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(第31話)ひろがるスカイ!プリキュア「新たな脅威!エルちゃんを取り戻せ!」感想

2023年09月03日 | ひろがるスカイ!プリキュア
■(第31話)ひろがるスカイ!プリキュア「新たな脅威!エルちゃんを取り戻せ!」感想


(「ひろがるスカイ!プリキュア」第31話より)

開始早々から矢継ぎ早に繰り出される奇妙な行動。さすがにこれは演出意図あってのことと思いたい。

●赤ちゃん(1歳児)の前に鉛筆を置いて目をはなす
落書きなら遥かにマシで、目や喉を突いて死ぬ恐れすらある重大ミスです。
目の前で鉛筆を使うことすら怖い(真似したり横から不意に飛びかかってきたりするので)のに、ましてやその場を離れるとは。

●イヤイヤ期のあやし方
あげはさんの語りかけは、1歳児には通用しません(する子もいるでしょうけど)。「他人が悲しむ」を理解するのは困難。
時間も経っているので、そもそも何を怒られているのかすら分かってない可能性が高い。

●写真館に着いてから衣装を選ぶ
現地で決めようとすると(劇中でもそうだったように)迷ってしまって時間がかかります。
赤ちゃんの集中力や、空腹やオムツなど時間との戦いなので、かなりの悪手。
また、人気の衣装は貸し出し中で、せっかくウキウキで選んでも着られなかったりする。

●ウィング衣装
メタ的な話ですが、つい先日に炎上して騒ぎになったあの件。
おそろしくセンシティブなネタをぶっこんできました。これを見越して販売に踏み切ったのか、たまたま偶然なのか…。

●一番を選ばせる
本物のプリキュア故の特殊な事情とはいえ、「パパとママとどっちが好き」に似たキツイ質問に結果的になっています。

新たな敵に襲われて「さっきまで楽しかったのに」とましろさんはおっしゃっていました。
が、「たまたま偶然」「今まで運が良かっただけ」に見えます。親目線だと、起こるべくして破綻した印象を受ける。

「平和に思えた日常も、実は紙一重でたまたま不幸を避けていただけ。いつ崩壊してもおかしくなかった」の意図なのかしら。
アンダーグの思想とも親和性がありそうだし、「ひろプリは新社会人(最初期の視聴者の現年齢)を意識している」説とも一致しそう。

そんなこんなの果て、新しいプリキュアさんも登場なされた。キュアマジェスティさん。威厳ある陛下様。
素直に見れば、成長だか覚醒だかをしたエルちゃんです。
ただ「成長(未来の先取り)」なのか「覚醒(元々の本体がこれ)」なのかで受け止め方がかなり変わってくる。

前述のとおりソラさんたちの育児はかなり未熟なので、エルちゃんから「今まで黙ってたけど、ちょっとそこ座れ」的に立場が逆転しても面白そう。
それはともかく「子に教えられる」は、テーマ的に割とありそうな気がする。ソラとシャララ隊長の関係にも通じます。
「第3期はスタプリを意識しているのでは?」説の面でも、育てた子との関係は興味深い。

ハグプリ脳としてはトゥモローさんを想起します。エルちゃんは未来からやってきてる可能性もあるし、何ならトゥモローチームの1人だと強弁もできかねない。
オールスターズ映画を目前とした今、かなり唐突な登場ですけれど、気になるところが色々ある。

今回の戦闘を見てると、ひろプリチームはかなり「弱い」。
一人一人の戦闘力が地味で応用力も低く、連携やお互いのシナジーもあまりなし。多少ガチ目の敵が現れると、確かに勝てる気がしません。今までの戦闘も、あまり印象に残ってないものな…。
これも「(未熟な)ヒーローごっこ」「たまたま上手く行っていただけ」的な演出意図があるのかも。

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「episode19:贈りもの」マーメイドメロディーぴちぴちピッチ aqua(なかよし2023年10月号)感想

2023年09月03日 | マーメイドメロディー ぴちぴちピッチ
■「episode19:贈りもの」マーメイドメロディーぴちぴちピッチ aqua(なかよし2023年10月号)感想


なかよし 2023年10月号 [2023年9月1日発売]【電子書籍】[ なかよし編集部 ]

るきあさん宅で食事会が開かれました。黒砂くんもお呼ばれしました。ご両親もお呼ばれしました。外堀が埋められていく。

るきあさんは当然ながら大混乱に陥ります。
が、読者的にも大混乱です。るちあさん達はナム派ではなかったのか。
それどころか、ナムを運転手にしてお邪魔虫は退散してくれる有様です。何があったのこの子ら…。

ところでマメプリたちは自動車免許を持っていないようです。それ以前に戸籍もないので当然といえば当然ですが(学校はどうやって…?)。
波音さんはまだしも、リナさんは自分で運転しそうなイメージもあったのですけど、考えてもみればサカナでプリンセス様だものな。「車」そのものに今一興味がわかないのかもしれない。もしくはバイク免許だけ持ってるとか。

それはともかく、七海家3人と黒砂家3人による顔合わせ会が粛々と始まりました。
そしてそこに星羅さんがやってきた。さようなら平穏。

着飾ってきた聖羅さんは、何やらごついプレゼントまで持ってきました。今日はね、流星の誕生なの。るきあはーどんなプレゼントするのかなー?
そもそも誕生日なことも知らなかったるきあさん、しょんぼり。

ショックのあまり逃走したりもしましたが、るきあさんと一緒にいればそれでいいんだと黒砂くんから叫ばれて、めでたく仲睦まじくなられた。
ここまでやってもなお、彼氏彼女ではないのが恐ろしい。

星羅:
「そう…それが答えなの流星」

こっちの方がもっと恐ろしかった。
インド洋のマーメイドプリンセスの前で、他の女といちゃつくとか自殺行為にもほどがある。

怒り狂って即座にお歌を唄いだす…かと思いきや、謎クラゲを呼び寄せて襲ってきました。
唄わないとは案外冷静だったのか。と思ったのですが、呼んだのが「海月(クラゲ)」か。何か凄く怖いぞ、それ。太郎ちゃんの化身だったりしないよね、それ!?

突然の奇襲に、るきあさん応戦。ついでに、るきあさんも応戦。ママ!?なんて格好を!?

高校生の娘と並んで、ほぼほぼ同じ格好(故に旧コスにも見える)をする三十路母。
エグいです。クラゲたちが盛んに「見分けがつかない」「ふたご!?」とリアクションしてるのも切ないです。
いや実際、若々しくて区別つかないのだろうとは思いますけど、るきあさん的にはどうなんだろう…?

クラゲはさっくり撃退しましたが、今この現場には星羅がいます。
アクアレジーナ様がいるところに、堂々と乗り込んでくる星羅。旧作と違い正体がバレているので本拠地攻撃が懸念されていましたが、何かそういうのと違う次元で攻撃されてる気がする。ふらっとホームパーティに参加して、気に食わなければ攻撃。

一方その頃、白浜くんは黒砂父母に何やら指示を出していました。この2人、嘘父母だったらしい。
黒砂くんの情緒、大丈夫かな。

好きな娘:人魚
何か言いよって来る娘:人魚
憧れてたサーファー:パンタラッサ
好きな娘に異様にそっくりな母:人魚かつ女神
同居の親友:謎生物
父母:偽物かつ謎生物

気の毒すぎる。

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