わざわざ危ないところに暮し、安全を願う?!

2010-03-27 00:06:08 | 居住環境
[見にくかったので図版を更改しました 27日 9.23][註記 2011.3.16 追加]

「科学技術は大災害を予測できない」、早い話、地震の発生地点、発生時期、規模等々の完璧な予知は、現在のところできない。
そうである以上、大災害を回避したいのならば、都市への集中をやめること、そういう都市計画が必要、というのが先回紹介した書の内容の一部。
簡単に言えば、「科学技術」なるもので、「地震被害」等の発生を押え込むことはできない、ということ。

そこで、いつであったか紹介した「地震のゆれやすさマップ」(内閣府編:インターネットで公開、下記註)のなかから、東京地区の詳細マップ:「表層の揺れやすさマップ」と「東京の微地形区分図」を以下に転載します。
   註 http://blog.goo.ne.jp/gooogami/e/da1ac6204ccfee6d9671035bab31678a



上の図相互を対照すると、「揺れやすさ」と「地形(地盤)」とは、あたりまえですが、密接な関係にあることが分ります。

では、このような「特性のある地域」である東京に、人はどのように張り付いているのでしょうか。
その様子を知るために「ランドサット画像」を見てみます。
この「ランドサット画像」は、1994年刊の「日本大地図帳」(平凡社)からの転載です。

「ランドサット画像」では、赤色部分が草木のある所。赤が濃いほど草木の密度も濃い。
なお、紅葉は黄色で示されるそうです(赤城から那須にかけての一部に見られます)。
青い部分は、草木の少ない裸地(水田跡も含まれる)で、建物が多い所も青く示され、都市化の著しい部分ほど青色が濃くなります。乾いた裸地は白くなっています。
白い箇所で、北側に黒い影があるのは雲とのこと(この図にはないようです)。

この画像撮影時からは約15年は経っていますから、現在は、この画像よりも青の色の領分は広くなり、色合いは更に濃くなっているはずです。



この画像と、先のマップを対照すると、最も地盤が悪く、揺れも大きい地区が密集地区である、ということが分り、さらに、比較的安全な地区ほど都市化が進んでいないこと:地盤の良いところほど人口が少ない、ということもよく分ります。
全国的に観ても、同じ傾向にあるはずです。
そして、まことに皮肉なことですが、地震の被災の少ないであろう地域、それはいわゆる「過疎地」である、ということも分ります。
   註 ただし、東日本(東北日本)の山間部には、「地すべり」多発の場所があります。
      東日本は、西日本(西南日本)に比べて、地層が新しく、火山活動も多く、
      その噴出物の堆積層が多いからのようです。
      そこでは、地震にともない、大規模な「地すべり」を起こします。
      そして、そういう所には、昔は人は住み着きませんでした。

江戸のランドサット画像があったら、こんな具合には青くない(都市化していない)でしょう。
海外の例でも、古くから人が住んでいた地域は、震災の程度が小さいことが、よく知られています。
「科学技術が発達した」と言われる現代の方が、昔の人びとよりも、真の意味では、合理的な判断を欠いている、と言えるのかもしれません。

なお、今回は関西のマップやランドサット画像を紹介しませんでしたが、それを見ると、なぜ阪神・淡路の震災が大きくなったか、よく分ります。
「震災」は、単に地震そのものの規模だけに拠るのではないこと、いわば「人為的」な因がかなりある、ということです。

簡単に言えば、かつては人が住まなかったような所に、人びとが住んでしまった、人びとが住まざるを得ない状況に追いやられた、ということです。
どうしてそうなったか、それを考えるのが「都市計画」である、というのが、先回紹介した「数学者」の「見解」と考えてよいでしょう。
  
   註 この点については、2010年3月に、「災害防止には、木造建築禁止が一番?!」でも触れました。[2011.3.16 追加]

今の日本の都市計画は、金儲けの手段の策に成り下がっているのでは、と私は思います。その一つの証が、地価の下落を嘆くところに表れています。地価が下がると、実入りが減る・・・というわけ。
近世までは、人にとって、土地は「天からの預かり物」だった・・・・。土地で金儲けをするなど、考えなかったのでは。

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突然ですが、ご案内

2010-03-25 19:05:46 | その他
[チラシの部分、字が見にくいため更改しました 26日 18.36]



冷たい雨が降りしきる日が二日も続いています。寒い。
数日前から咲いているハナニラも寒そうです。これは、晴れた日に撮った写真です。


突然ですが、「伝統木構造の会」主催の講習会で、4月から6回(1回/月)話をさせていただくことになりました。
場所は、東京・上野、芸大の教室を借りるとのこと。

講習会の標題は「伝統を語るまえに」と、まるで「伝統木構造の会」に殴り込みをかけるみたいな題名ですが、別に他意はありません。
素直に、自然体で、日本の建物づくりを観ようではありませんか、という主旨にすぎません。
内容は、これまでブログで書いてきたことを越えるものではありません(あたりまえです)。

「会」から送られてきました案内チラシを、以下にそのまま転載します。



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本末転倒の論理・・・・「複雑系」のモデル化を誤まると

2010-03-23 07:27:20 | 「学」「科学」「研究」のありかた
ここしばらく、選挙の一票の「格差」がまた話題になっています。
要は、人口の少ない地域の票と、多い地域の票では、一票あたりに「不公平」がある、憲法違反である、という論。
これについては、07年の6月8日に書いたことと、私の考えは今もまったく変りありません(「数値の軽重・・・・数の大小でものごとは決まるか?」
そして先日、TVのアーカイブでみた、北海道・二風谷(にぶたに)でのダム建設をめぐるアイヌの人びとの反対抵抗運動に際して、運動の先頭に立たれていた方(亡くなられましたがアイヌの存在と人権を強く説いてきた有名な方です)の話された言葉は印象的でした。
「民主主義とは、多数が少数を見捨てることなのか。」

ひんしゅくを買うであろう言い方をさせていただくと、「一票の格差」論を聴くたびに、私は、「満員電車を何とかしてくれ」という都会の人たちの言う「愚痴」と変りはないな、といつも思うのです。
そのとき、「何とかしてくれ」と不満をぶつける人たちの脳裏に、はたして、鉄道やバスが運行をやめてしまった地域の人びとの「不満」への思い遣り、気遣いが、多少でも浮かんだことがあるでしょうか?
多分、ないでしょう。なぜなら、もしもあるなら、そんな「身勝手な」発想は浮かばないはずだからです。


今は、採算がとれない鉄道やバスは、廃止するのがあたりまえになっています。
明治のころ、全国各地に鉄道が敷設されました。その鉄道は、どこも採算がとれたのでしょうか?
そんなことはありません。しかし、敷設したのです。費用は、時の政府が負担。そういう時代があったのです。
採算が合うか合わないかだけが判断基準になってからというもの(そのようになったのは、そんな遠い昔ではありません)、採算のとれることの一要因、員数の点で、人口の多い都会の「考え方」が、少ない地域:町や村を傷めつけるようになったのです。


大きいことはいいことだ?!それは単に、数が多いというだけの話。

私は以前、都会では、電車が混む、道は渋滞する、空気が汚い、・・・を問題にすることがおかしい、と言ったことがあります。
なぜなら、そのような状況は、なるべくしてなった、つまり、そこにすべてが集中したからこそ生じたもの。
その根本的な「因」を放置しておいて文句を言うのは理が通らない、と。もっと言えば、甘受してしかるべきなのでは、と。

それはけしからぬ、と思うならば、常に時刻表を持って歩き、時計を気にしながら行動する地域があること、一日に数本しかバスが来ない地域があること、あるいはそのバスさえ廃止されてしまった地域が多数あること・・・・、それに気付き、思い遣らなければウソというもの。

そのように私は思うからです。

つまり、「一票の格差」を憲法違反と言うならば、より根本的に、都会への人口の集中は、「多数決」「採算性」の理屈で、いわゆる「過疎地」の人びとの健全な生活を、否応なく破壊している、という点で、より一層憲法に違反している、と言わなければ筋が通りません。

阪神・淡路震災のとき、神戸の市街の道幅が狭く、消防自動車が火災現場に近づけなかったため火災が大きくなった、という報道をよく聞いたものです。
私はそのとき、それはおかしい、道幅が狭いのが分っていたのなら、なぜ小型の消防車を常備しておかなかったのか、と思ったものです。火災が大きくなったのは、単に道幅が狭かったからだけではないはずです。
   
   だからと言って、神戸では「復興」にあたり道幅が広げられ、建物は高層化され、
   「道」をはさんで繁く見られた近隣のお付き合いはできなくなってしまいました。

農村地域では、狭い道幅のところに対応するため、小型の消防車を常備するのがあたりまえ。その上、水道が普及する以前につくられた防火用水槽(地下)が、今でも現役です。

そして、阪神・淡路地震以来、都市の防災への備えが叫ばれています。「耐震」化もその一つ。

なぜ、都市の防災が問題になるかといえば、やはりその主因は人口の集中とそれにともなう過密化が、一旦災害が起きたとき、被害を雪だるま的に増大させるからです。
しかも、都市の多くは、きわめて地盤が悪い。しかも、都心と言われる場所ほどひどい。それを承知の上で、「技術」に頼り切って密度濃く人が暮す。
そういう「危険地帯」の「耐震基準」が、安全な地域にまで「適用」される。私はこれはムダツカイではないか、と思っています。


あまりにも、本末転倒の論が多すぎるのでは、と私は思います。

そんなことを考えるのは、「世間からはずれた」私だけかと思ったらそうではなかった!
3月21日の毎日新聞「書評」欄に、注目すべき書の評が載っていました。全文を転載します。
評者は中村桂子氏。私は、本書を読んでいませんが、読んでみたくなりました。



著者は数学者とのことですが、こうしてみると、これまでにも紹介してきましたが、
数学者や物理学者などの「自然科学」畑の方がたには、「複雑な事象」は「複雑な事象として、あるがままに観よう」「あるがままに観たい」、という「意識」が常にあるようです。正真正銘の「理系」です。

ところが、建築をはじめ、社会とかかわりの深い分野の「工学」畑の人たちは、どういうわけか、「複雑な事象」を「モデル」化して先を急ぎたがる。
しかもそのとき、その「モデル」が「適確であるかどうか」の検証は、常に「そこそこで済まされる」。


どうしても「工」学畑の人たちは、「理」よりも「利」に走るらしい。そしてそれは、この書の著者によると、世界的な傾向のようなのです。

自然科学の方法論の真似事をしてみても、それだけでは、科学ではないのです。
事象に対応できる適確なモデル化なしの「研究」は、科学ではないのです。
自然と社会の「複雑さ」を認識する(先だけを急がない)地道な努力を、との評者の言に、私も賛意を表します。
コメント (2)
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「知見」はどうして得られるか・・・・「構想」と「理論」

2010-03-19 20:06:48 | 論評

1674年建設の「椎名家」小屋組 この架構の「構想」を生んだのは、土地の大工さんの「知見」である
  ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
建築の仕事にかかわる若い人に、長方形の断面をした木材:通称平角材:を梁に使うとき、縦に使うのと横に寝かせて使うのでは、縦に使う方が効率がよいが(より重いものを載せられるが)、それはどうして?と尋ねると、たいていの場合、縦に使う方が「断面二次モーメント」が大きいからだ、と答えます。これは、若い人に限らない。
さらに、それはどうしてですか、と尋ねると、たいてい、そこで答に窮します。

   断面二次モーメントというのは、断面の形に固有の定数で、
   幅が b 高さが h の長方形の場合、[ b ×( h の3乗)÷12]で計算される、とされています。
   縦に使う場合だと b < h 、横に使う場合は b > h ですから、
   縦に使う場合の数値が大きくなることが分ります。
   だから、それによって、縦に使う方が効率がよい、と判断できるわけです。

   そして、縦に使う方が効率がよいということを、
   計算してみないと分らないという人が、最近増えているのです!
   日常で、そういう現象を経験したことがない人、あるいは、
   経験しているはずなのに、そこから「知見」を得ていない人が増えている、
   ということです。

このような、材料の持つ性質が生むいろいろな「現象」は、現在は一般に数式をもって示されます。
そして、
多くの場合、その数式は「その現象の生じる理由」を示している、たとえば、断面二次モーメント値が大きいから重い荷に耐えられる・・・などと理解されているように見受けられます。
しかし、それらの数式は、決して、「その現象の生じる理由を示しているのではない」ということを、あらためて確認する必要があるのではないか、
と私はかねてから思っています。なぜなら、そういう認識が、多くの誤解の基になっていると思えるからです。

すなわちそれは、「理由」を示しているのではなくて、そういった「現象」を、「数式をもってアナウンスしている」に過ぎないのです。
つまり、平角材は縦使いの方が荷に耐えるよ、・・・・などと「日常語」で語られる「日常の常識的現象」を、そういう「日常語」の言い回しではなく、名アナウンサーが格好良く描写しているにすぎない、ということ。
そして、これがきわめて大事なことなのですが、名アナウンサーの格好良い描写が生まれる以前から、「日常語」はあったという「事実」に気付かなければなりません。

たとえば、断面二次モーメント、つまり材料の断面の形とその強さの関係。
平角材の場合、縦使いが横寝かせ使いよりも重い荷に耐えることは、日常の暮しの中での経験で(昔の人は)皆知っていた。
そして、縦にしろ横にしろ、角材に物を載せると撓み、その荷が重過ぎると、最後は折れる。そのときの様子、すなわち角材の下側にささくれた割れが入ることから、下側が引張られていることを知る。
これは、角材ではなくても、例えばあたりに転がっている木の棒:丸太から木の枝まで多種多様:を曲げることからでも分ったでしょう(角材というのは加工が必要だから、むしろ、経験としては、こちらの方が先だったはず)。
そしてまた、同じ木の棒でも、中が詰まっていないで空洞に近いものもある。そしてその方が、中の詰まっている棒よりも、意外と曲げに耐える、などということも経験したはず。
・・・・・・
こういった数々の「事象」「現象」を、人びとは、あたりまえのように日常の暮しの中で経験し、そして得た「知見」を、日常の暮しのなかの「ものづくり」にふたたび応用、活用してゆく、・・・・これが人びとの暮しの姿であったはずです。


そして、こういう日常の暮らしの中で得た「知見」が、かのジェームス・ワットをして、「構造力学」が生まれる前に、世界最初の I 型鋼の使用を思い付かせたのですhttp://blog.goo.ne.jp/gooogami/e/4e20811a5310328a715054d0bdf9c0f6)。

   物体を曲げると、物体にどのような現象が生じるか、
   消しゴムを使って説明している構造力学の本があったことを思い出しました*。
     * 和泉正哲著「建築構造力学」(培風館 刊)
   曲げられた内側には押されてシワが、外側にはヒビ割れのシマが生じる。
   内側は縮んで、外側は伸びている。
   ならば、中央部分には、伸びも縮みもしない部分(中立面)があるはずだ。
   そして、ゴムだから曲るが、堅い材質の物体だったら、曲げが大きくなると、ヒビが入り割れてしまう。
   中味の詰まった棒が中空の棒よりも曲げに弱いのも同様の現象によるわけです。

人びとが日常の暮しのなかで得た「知見」は、こういう材料単体に生じる「現象」だけではありません。
人びとは、いろいろな材料を組み合わせて生活に必要な「もの」をつくります。建物などもその一例です。

そういう「もの」をつくる作業を通じて、人びとは、「組み合わせ方で生じる現象」をも体験します。簡単に言えば、こうすると頑丈な「もの」になり、こうするとこんな欠陥が生じる・・・・等々の体験です。
しかし、この「組み合わせ方で生じる現象」は、材料単体のときとは違って、簡単には「定型の知見」にはなりません。「生じる現象」は「組み合わせ方」によって異なるからです。
しかし、人びとは「定型の知見」を得ている。
では、人びとは、「組み合わせ方で生じる現象」についての「知見」に、どうやって到達できたのでしょうか。

それはきわめて単純な経験によったのです。すなわち、失敗の連続。
ただし、ただ単に失敗したのではありません。
何かをするとき、何の「構想」もなしで作業をするわけがありません。

   註 「学」を学んでしまった若者は、「学」こそ最高と考えるがゆえに、
      梁の断面は何で決めるのか、と問うと、計算で決める、と答えます。
      計算は、「構想」を「事後確認」できるだけだよ、と言っても信じません。
      これが「現実」なのです!

たとえば、手近にある木で住まいをつくるとしましょう。
何とか手に入った木で、「空間」をつくってみようと考えます。そのときつくりたい「空間」の「構想」はあるはずです。それは多分、あたりの自然の中に見付けた空間での「経験」から生まれたイメージです。

おそらく、地面に木を立てる:埋める・突き刺す・叩き込む:ことは容易に思いついたはず。なぜなら、まわりには地面から生える樹木があるのだから・・・。それにどうやって別の木を寄りかからせるか(掛け渡すか)、その方法もあたりの状景からヒントを得る。・・・そういう繰り返しで、とにかく「空間」はできあがる。ときには失敗する。うまく行く。・・・・。
「構想」⇒「失敗」、「構想」⇒「成功」、・・・・こういう経験を何度も繰り返せば(しかもそれを、一人ではなく、いろいろな人が試みるのです)、そこに、同じ方式のつくりかたの中でも、どういう風につくるのがより良いか、自ずと分ってきます。それが、その方式のつくりかたの「定型の知見」となるのです。

一たびその「知見」が得られると、その「応用」も可能になります。
それを可能にするのは、これもまた人びとの「構想」です。つまり「想像力」です。
ああしてこうなったのだから、こうすればああなるだろう・・・、そしてやってみる、失敗する、また試みる、うまくいった・・・・。
そしてさらに「知見」は増強され、失敗を重ねないでものをつくることを知るのです。つまり、「失敗」も「想像できる」ようになる。

すでに見てきたように、日本の木造建築の構築技術は、近世までに、ほぼゆるぎない形にまで体系化されていますが、それもまた、上記のような過程を経て到達したものと考えてよいでしょう。
重要なことは、「進展」にあたっては、常に「構想」がある、ということです。
そしてその「構想」は、誰かに教えられて、ではなく、まして、「教科書」があって、でもなく、唯一、「己の感性によって生まれる」のだ、という事実です。
そして、そのような「構想」なしに「ことが為される」ようになったとき、
言い換えれば惰性で仕事がなされるとき、
さらに簡単な言い方をすれば、仕事がマニュアル化してしまったとき、
そのときは沈滞するのです。清新でなくなり、溌剌さも失われる
のです。


ここしばらく、「清新で溌剌とした時代」の生みだした例として、19世紀末~20世紀初頭のいくつかの仕事を紹介してきました。
また、「最高の不幸は理論が実作を追いこすときである」というレオナルド・ダ・ヴィンチの言葉もあらためて引用・紹介しました。
それは、まさに今、私たちが、私たちの日常の中で「身をもって得た知見によって立てる構想」が、「科学」や「理論」と称する一連の「意見」によって、その存在を否定されるのがあたりまえになっている、と私には思えるからでした。

そしてそれが、決して私の「思い過ごし」ではないことを、先にシドニー・オペラハウスについて書いた記事(http://blog.goo.ne.jp/gooogami/e/6530109a114b0b97070a9388653795a7)へいただいたコメントで知ったのです。
そのコメントは、以下のような内容です。原文のままですが、読みやすいように段落は変えてあります。

   馬鹿か!! (Unknown)
     2010-03-17 03:53:35
   最終実施案の形態ですらアロップは苦労している。
   あなたに、あの原案を解析できる素養がありますか?たまたま見たこのブログを読むと
   なんとまあ独りよがりの記述だなぁ、と感じてしまいます。
   解析技術も知識も無いのだったら思いつきで物事言わないことです。
   エセ建築家が建築界の品格を下げるだけです。

私のこのコメントについての「感想」は、当該箇所に書きましたが、簡単に言えば、このコメントに今の建築界に暮す(一部の)人びとの深層に潜む「思考」を見て取ったのです。

コメントの指摘のとおり、私は、建築構造の最新の「解析手法」(コメントでは解析「技術」とありますが、それは「技術」ではなく「手法」に過ぎません)もその「知識」もありません。

ただ、何度も書いてきていますが、私は、いわゆる最新の「構造解析」を支える「理論」は、「実際の事象: reality 」を「見やすいように変形して」組立てられているのだ、という「事実」については「よく知っている」つもりです。
そしてそうだからこそ、「解析手法」なるものへ「拒否反応」を示してきたのです。
すなわち、「その手法による結果」は「実際の事象: reality 」からかけ離れてしまうのが目に見えている、そういう「流れ」には身を任せたくない・・・・。そして、大げさに言えば半世紀以上、その思いは変っていません。

今、「見やすいように」と「優しい」言い方で書きましたが、本当のところは、「都合のよいように」と言うべきでしょう。
どういう「都合」か?
「数式にのる」「数値化できる」、そういう「都合」です。
数値化できないものは、存在しないものとして扱われているのです。恰好よく言うと「捨象」されているのです。
私はこれを、「工」学に於ける「物理学の悪しき真似事」と見ています。

この点については、すぐれた先達の論を以前に紹介させていただいています「厳密と精密・・・・学問・研究とは何か」)。

ものごとが「複雑な数式」と「詳細な数値」をもって語られるとき、人は、その黒白の判別しやすい数字のために、ただそれだけのゆえに、言われていることが真実であるかに思い込まされてしまいがちです。
なぜか。反論するにも数値がないとダメ、と言われるからです。
そしてそれをいいことに、この人たちは傲慢・不遜になる。(数字を)何も知らない奴は黙っていろ・・・。


普通の人は素直ですから、数値化できないものは数値化できない、だからと言って、存在しないと思っているわけではない。どうやって数値化しろ、と言うのだ・・・・。と「当惑している」に過ぎません。
本当はそうではない、「論理的な反論」を行なえばばよいのですが、「論理的な反論」をも数字で示さないと理解しないのがこういう人たち:数字信仰の人たちです。
これほど始末の悪い人たちはいないのです。
しかし自らは「科学的な思考」の持ち主だと「自負」している。ますます始末が悪い・・・。


そして、この人たちが勝手につくりだした「実際の事象: reality に即しない多くの数字」が、人びとの「構想」の妨げになってきていることは、もうすでに何回も触れてきました。

私たちは、このような傲慢・不遜な人たちの差配から自由になるため、私たちの「日常の感覚の世界」を取り戻さければならないのです。
そして、そのためには、私たちの「日常の感覚」、私たちが日常の暮し、日ごろの体験・経験のなかで行使している私たちの「感覚」を信じることだと私は思います。


私はここで、これも以前に書いた記事(http://blog.goo.ne.jp/gooogami/e/da3c8c6233618b3417567b4f8433dfca)で紹介した理論物理学者の言葉を思い出しています。以下に再掲します(抜粋)。

「・・現代物理学の発展と分析の結果得られた重要な特徴の一つは、自然言語の概念は、漠然と定義されているが、・・理想化された科学言語の明確な言葉よりも、・・安定しているという経験である。
・・既知のものから未知のものへ進むとき、・・我々は理解したいと望む・・が、しかし同時に「理解」という語の新たな意味を学ばねばならない。
いかなる理解も結局は自然言語に基づかなければならない・・。
というのは、そこにおいてのみリアリティに触れていることは確実だからで、だからこの自然言語とその本質的概念に関するどんな懐疑論にも、我々は懐疑的でなければならない。・・」
(ハイゼンベルク「現代物理学の思想」富山小太郎訳 みすず書房)

(建築)「工」学の人びとは、そろそろ「物理学」の「形だけの真似事」をやめる時期に来ているのではないでしょうか。
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「最大の禍」・・・・「設計ソフト」に依存することの「禍」

2010-03-16 15:09:15 | 設計法
ときどき、注文した覚えのない「商品」の案内がFAXで来ます。
そのなかで多いのが「設計ソフト」の売込み。
先日届いたのは、「長期優良住宅制度」と「省エネエコポイント制度」対応の「設計ソフト」の発売案内。
下はそのキャッチコピー。商品名は消してあります。


いったい、こういうソフトを買って、設計者は「何をする」のだろうか、と考えてしまいます。いったい、設計者の職分とは何か、ということです。

そしてまた、ここにはいくつも問題があります。
まず、申請用の書類が審査され、「お墨付き」をもらえれば、「長期優良住宅」が本当にできあがるのか?本当に「省エネ」になるのか?
「制度の規定する条件」をクリアすれば「長期優良住宅」、つまり、寿命の長い建物になる、という保証はどこにあるのでしょうか?
そもそも、「制度の規定している長期優良住宅の条件」自体の信憑性も、問われたことがありません。
簡単に言えば、なぜ最近の住居が短命になったか、なぜ、かつての住居が長命であったか、その分析は行なわれた形跡がないにもかかわらず「条件」が設定されているのです。

そしてさらに、「長期優良住宅」として認定された建物が、もしも「長期優良」でない事態に至ったとき、つまり寿命が短かったり地震で損壊したりしたならば、その「責任」はどうなるのでしょう?例の倒壊した長期優良住宅の実物大実験のようなことは、現実にも十分に起き得るのです。
この後者の問題は、「長期優良住宅」だけの問題ではなく、現行の法令規定そのものの根本的に孕む「問題」にほかなりません。
何度も書いてきたように、そのような事態が生じると、これまでは、それは想定外であったとして「規定条項」を改変すること:これを「法の改訂」と称しています:で過ごしてきて、その「責任」は一切とっていません。

これが一般人のしたことならば、かならずその責が問われます。責任を問われないで済んでいるのは、「法令は何よりも上位に立つ」と(勝手に)見なしているからに過ぎないのです。
しかし、法令の内容もまた「人為」であることに変りはない。それゆえ、「法令は何よりも上位に立つ」とする以上、その「人為」は、より厳しく問われなければならないのですが、そうではない。

最近のこのような「動き」は、「耐震診断⇒耐震補強」と同様の「霊感商法の奨め」のように、私には見えます*。
    * http://blog.goo.ne.jp/gooogami/e/da1ac6204ccfee6d9671035bab31678a
簡単に言えば、数字に弱い一般の人びとを、数字を弄して欺くのです。それに「協力する」ことで「経済」が繁栄する、などと喜んでいてよいのでしょうか。

こういう「動き」の背後にあるのは、「建物づくりの現場」を離れて机上でご都合主義的、便宜的発想でつくられてしまった現行「建築基準法」の諸規定にほかなりません。
簡単に言えば、「建物づくりの現場の発想」からはまったく乖離した《理論・考え方》が、「実作の思考」を押し潰してしまっているのです。
これは、普通の人びとの生活にとって「最大の禍」なのであり、それはすなわち、社会に対しての「最大の禍」にもなっているのです。

ところで、こういった類の設計ソフトが巷に溢れているようです。そしてそれをつかって設計することを称してCADと言う。
CADとは、Computer Aided Design の略のはずです。
しかし、上記のようなソフトは、ソフトが設計者に指示しているようなもの。設計者は、無思慮にソフトの指示に従うだけ。
CADが流行りだしたころ、ある設計者が、もう製図板も製図者も要らない、オペレーターが居ればいい、と語っていたことを思い出します。

   註 昔聞いた話。
      自動車製造工場で、塗装ロボットが導入されたとき、二つの相反する反応があった。
      一つは、もう塗装の熟練工は不要だ、という判断。
      もう一つは、熟練工の塗装工程を相変わらず維持するという判断。
      前者は、日本の自動車工場。
      後者はドイツ。熟練工の養成まで行なった。
      なぜドイツはそうしたか。
      塗装ロボットは、熟練工の「作業工程」を倣ってつくられるからです。
      日本がその「事実」に気付いたのは、大分経ってからだった・・・。

「設計ソフト」が普及した結果、若い人たちを悩ましているのは、建築士試験です。
なぜなら、建築士試験は相変わらず手描きの「設計製図」が必修だからです。
日ごろ、ソフトによって設計図を作成しているため、自分の手で描いたことがない。
たとえば、駐車スペース。ソフトは縮尺に応じて車まで描いてくれる。
手で描くとなれば、車の一般的大きさを知っていなければならないのですが、いつも、ソフトが「適切に」描いてくれているため、大きさについての「認識」がまったくない。
樹木なども同じ。適当に描いてくれるから、自ら針葉樹、広葉樹・・・など樹木をまともに観察する習慣もない。
まして、建物が存在する基本:人や社会:についての「観察」など、問題外。
要するに、建物の設計にかかわる「知識」、知っていなければならない「素養」、そのすべてが、ソフト任せになっているということ。

このような建築界の状況もまた、人びとが暮す環境にとって「最大の禍」である、と私は思います。
これほどまでにソフトが「主導権」を握ってしまうと、ソフトに組込まれているもの以外、今後つくられない、と言っても過言ではないからです。先に「文化財」の「耐震診断・耐震補強」について触れたのと同じことが、どこでも起きているのです*。
    * http://blog.goo.ne.jp/gooogami/e/46f7af2ac0209504ca429d24eac67c9f

昨3月15日付の毎日新聞朝刊のコラムに、注目すべき、そして参考にすべき記事が載っていました。
                   
私は、CADソフトを使うことを全否定しているわけではありません。
ソフトに頼るまえに、「素養」の培養・育成が必要だと思うのです。自分の頭脳で観て考える訓練です。
第一、作業を簡易化・簡略化して、生まれた時間を何に使っているのでしょう?

先の記事に応じれば、私は、設計に係わる者は、パソコンに拠る前に、手描きの期間がかなり必要のように思います。
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とり急ぎ・続経過報告:3階建て木造の倒壊実験のその後

2010-03-12 18:05:12 | 「学」「科学」「研究」のありかた

写真は本題とは関係ありません。数日前から咲き出したサンシュユです。
自然界にはナレアイやウソはありません。   [写真追加 13日 9.56]
******************************************************************************************

公表日時は、記載がないので不明ですが、
昨年秋のe‐ディフェンスでの例の「転倒してしまった長期優良住宅」(3階建木造軸組工法)の試験体の「資料」(図面と構造計算書)が、「木を活かす・・・協議会」のHPに公開されています(どうなっているか、と思ってアクセスしてみて先ほど知りました)。

ただし、「実験済みの試験体」についての「資料」を公表するのに、何故これほどまでの時間がかかったのか(事後に、かなりの日数をおいてからでなければ公表できなかったのは何故か)、その点についての「説明」はありません。

また、その図面および構造計算書が、実験前に作成されていたかどうか、についても、つまり、実際に実験された試験体についての資料であるかどうかについても、その信憑性について「信じるに足る説明」もありません。

また、「長期優良住宅」の条件を充たした試験体が、なぜ転倒したかについての「解説」もありません*。
   
これらの点を留意の上、ご覧ください。
あえてリンクは設けませんから、関心のある方は、「木を活かす・・・協議会」で検索の上ご覧ください。

「人の噂も75日」でほったらかしにしなかった点は「評価」しなければならない!?

   * 「試験体1」の「構造計算書」から、転倒した理由が解明できるのかどうか、
      「在来工法の構造計算に強い」方は、ご自由にご検討ください。
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「最高の不幸」・・・・シドニー・オペラハウス(SOH)の場合

2010-03-12 07:33:02 | 構造の考え方
[文言改訂 12.12][標題更改 最大の不幸⇒最高の不幸 15日 8.06]

1957年、シドニー・オペラハウス(SOH)の設計競技で、ウッツォン(Jorn Utzon)の案が選ばれました。海原をゆく軽快な帆船の如き、画期的な案。
ウッツォン(Jorn Utzon)は、1918年生まれのデンマークの建築家(~2008年)。

建物は1959年に着工、1973年に竣工していますが、設計から完成に至るまでには紆余曲折がありました。

下の図は、D Walker 著“GREATE ENGINEERS”(1987年 ACADEMYEDITIONS LONDON,ST MARTINS PRESS NEWYORK 刊)に載っている原案から実施案に至る間の構造計画の変遷を示したもの。
番号0が原案、番号11が、実施に移された方法(原本とは異なる表示にし、0と11には色をかけるなど、編集し直しています)。

当初のウッツォンの構想では、鉄筋コンクリートによる「卵の殻」あるいは「貝殻」のような構造:「シェル構造」を考えていました。
しかし、その構想案は、構造の専門家からは、実現不可能とされてしまいます。そのシェルの形が実際の貝殻のように「不整形」だったからだと思われます。

構造には、英国の構造専門家オブ・アラップ(Ove Arup 1895~1988)がかかわっています。
   パリ万博の頃の生まれですから、
   その後の「目覚しい構造学の《発展:理論化》」の波を、まともにかぶった世代です。[文言改訂 12.12]



原案と比べたとき、完成したSOHは、それなりに異彩をはなってはいますが、原案の持つ溌剌とした動的な姿は消滅してしまった、つまり、似た形ではあるけれども別物、という感を私は否めないのです。
ウッツォン(Jorn Utzon)のつくる建物は、もっと人懐っこいのです。
   ウッツォン(Jorn Utzon)を特集した雑誌(多分“ZODIAC”だったと思う)があったはずなのですが
   探しましたが見付からない!見付かったら紹介します。
   そこに、SOHの原案が詳しく載っていたような記憶があります。

もう少し詳しく見れば、ウッツォンの構想は、シェルではあっても、いくつかの幾何学形体を連続させて生まれるシェル形である、と理解できます。
ところが、構造計画案は、単純な幾何学形体にこだわっています。
実際、実施案では、球の分割で考えていることが、先の書物に載っている次の図で明らかになります。



これは、実施された構造計画を説明したもので、左側の図のように球体を切り取り、それをそれぞれ二つ合わせると、それぞれが4ヶ所のシェルになる、というもの。
なぜ、このようにしたか。
解析が容易だからではないか、と私は見ています。
「明解な(簡単な)解析」のために、「整形」が必要不可欠だったのではないでしょうか。

しかし、幾何学的に整形の形体は、きわめて「独立性」が強く、他と交わり関わりあうことを拒否する形体です。
その性向は、たとえ分割したところで消えません。
できあがったSOHの「生硬さ」は、そこから生まれていると私には思えます。

これに対して、ウッツォンの構想は、周辺と交わり関わりあう。と言うより、「そのことを意識して」生まれた構想と考えられます。原案のもつ「動的な感じ」も、そこから生まれているのでしょう。
これは、アアルトや、先に紹介したピエティラをはじめ、多くの北欧の建築家たちに共通する「感覚」「感性」の生み出すもの。
彼らには、常に「まわり」がある。彼らのつくる建物には、常に「そこに在る人たちの目線」がある。
簡単に言えば、彼らは単に「もの」をつくっているのではないのです。ましてや、「写真映り」の良し悪しなどは念頭にありません。
   建物は、単なるオブジェではないからです(最近の建物は、巨大オブジェ化しているように私には見えます)。

アアルトやピエティラなど北欧の建築家たちの発想には、常に、第一に、「そこに、人がいる」のです。あくまでも、「そこに在る人にとっての『もの』」なのです。
そして、「そこに在る人」に見えているのは、その『もの』だけではなく、「まわり」のなかの『もの』なのです。
   これが、私が北欧の人たちの建物づくりに魅かれた理由です。
   そしてそこに、日本の建物づくりと共通のものを見出したのです。
   と言うより、だから、北欧の建物に共感をもったのだと思います。
   (もっとも、最近の北欧の建物は、大分変ってきたようです。)

逆に言えば、ウッツォンの考え方は、現在の「最先端の人たち」には理解されなかったのです。私は、そう思っています。
それゆえに、まさに「現在」を象徴するかのように、「最大の不幸」が起きた、すなわち「理論が実作を追い越した」のではないでしょうか。

もしも、一時代前の構造家、マイヤール(Robert Maillart 1872~1940 スイス人:下記参照)が構造計画にかかわっていたのなら、より構想原案に近い建物になったのではないか、とも思っています。
http://blog.goo.ne.jp/gooogami/e/57cabf50891c46748c87f1af526565dc

先回のピエティラの学生会館、その構造計画図は手元の資料にはありません。
しかし、その構造設計は、意外と簡単なものだったのではないか、と思います。
たとえば、あの不整形な屋根版。
想像するに、一様のシングル配筋がなされていて、ただ、面の折れ曲がる箇所(峠や谷)は一定の幅だけダブルにする(幅は、対面する峠・谷までの距離により決める)、壁・柱に接する箇所では、壁・柱からの鉄筋を飲み込ませる・・・など、模型を見ながら、言ってみれば「定性的」「感性的」に、大工さんが木材の材寸を決めるのと同じように、決めたのではないでしょうか。何となく、私には、そう思えるのです。
そして、もしも「現在風の」構造家がかかわったならば、やたらと補強梁などが加わり、結果として総重量が増えてしまったのでは、と思います。
SOHもまた、あのような構造方式になったため、総重量はかなりのものになったのではないでしょうか。
未だに、私には、あのSOH実施案が「正解」だったとは、どうしても思えないのです。
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「現場(発想)」と「理論」、あるいは「地上」と「机上」の関係・・・・補足

2010-03-10 14:04:10 | 構造の考え方
先回のピエティラ設計、オタニエミ工科大学「学生会館」の平面図を編集しなおしました。

室名は原本のままです(縮尺1:800とありますが、それは原本のサイズのときの表示です)。
ただ、Poli room, TKY office, PTK room が何の部屋を意味するか、不明です。

地上階(Ground Floor)平面図


上階(1st floor)平面図


なお、“ARK”の表紙に、この建物の真上から見た模型写真が載っていますので、大きめのサイズで転載します。


この模型は、角材をいくつか横並べして削ってつくってあるようです。
フィンランドは雪がかなり降ります。屋根に雪を溜めるのは好ましくありませんから、極力水はけをよくしてあるはずです。
そういった点も含め、模型で形体を検討したものと考えられます。
当然ですが、周辺の地形も板でつくってあります。
図版を大きめにしたのは、多少でも形体の様子がよく見えるように、と考えたからです。

もしも、この建物を実際に見た方がおられましたら、感想などお聞かせください。
この建物ぐらい、図面、写真だけで空間を想像するのが難しい建物はないように思います。

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「現場(発想)」と「理論」、あるいは「地上」と「机上」の関係・・・・それは「不可逆」

2010-03-08 18:16:53 | 建物づくり一般
註記追加
この記事の図面部分、拡大しても判読できないことが分りましたので、
新たに図版を作成中です。とりあえずは、概形をお読み取りください。[9日 15.48]


ここにA4判のコピー用紙があります。

その紙の短辺を画鋲で箱に止めると、写真①のように垂れ下がります。

しかし、紙に長手方向にいくつかの「折り」を入れると、短辺を画鋲で止めると写真②のように、水平に持ち出すことができます。


これを利用したのが、工場などの屋根に使われることの多い薄い鉄板を加工した「折版」。
いろいろな既製品がつくられています。

①がなぜ垂れ下がってしまうのか、②がなぜ写真のようになり得るのか、については、現在の「力学」で数字をもって「解説」をすることができるでしょう。

次の写真③は、先の紙を一旦モミクシャにして伸ばしたものを、同じく短辺を画鋲で止めたものです。


この場合、モミクシャの仕方、開いたときの形状で程度は異なりますが、垂れ下がることはありません。
では、この「現象」を数字で解説できるでしょうか。
①②の場合は、「一般式」でも解説できると思いますが、③は一般式ではできないはずです。
なぜなら、モミクシャのを開いてできる形状は不整形で、しかも、いつも同じ形になるわけでもありません。
それゆえ、いかなる状況にも対応できる「一般式」は、ない。
つまり、モミクシャの状況ごとに「式」をつくらなければならないはずです。

ということは、もしもこのような「現象」を利用した屋根架構を「構想」したとすると、現在の構造解析では、計算を断られるでしょう。
簡単に言えば、現在の構造解析の下では、日本では(おそらく他でも)こんな「構想」の設計は簡単にはできない。

ところが、このような「現象」を活用したと考えてよい設計例があるのです。
それを今回は紹介します。

まず、その建物の俯瞰写真。

写真③のようにはモミクシャではありませんが、不整形であることは同じです。

この建物は、フィンランドの「オタニエミ工科大学」の、日本で言えば「学生会館」にあたる建物。

左上の写真が、「学生会館」で、R・ピエティラの設計。
右上の写真では、手前が「学生会館」で、奥が同大学の主要な校舎棟、これはA・アアルトの設計。
右下は、それを逆の方向から見た写真。

「学生会館」は、1967年9月のフィンランドの建築誌“ARK”に載っているので、おそらく1966~67年頃の竣工。

   註 今回の図版は、下記からの転載です。
     “ARK”1967年9月号、
     “ARQUITECTURA FINLANDESA”(Ediciones Poligrafa, S.A 刊)

1960年代、フィンランドには、アアルトの考え方に賛同する多くの若手が輩出しています。ピエティラもその一人。
アアルトの考え方とは、「建築:建物づくりとは、人の在る空間を創出すること」と言ってよい、と私は考えています。

では、ピエティラは、なぜこういう建物を構想したか。
彼は、建設地の地形、そして針葉樹林とここかしこに露出している岩々によってつくられている「場所」に、人びとが活き活きと動ける「空間」を見出し、その「空間」に見合った「覆い屋」を架ければ建物になる、と考えたのだと思います。以前に触れた人が暮らすにあたっての「十分条件」です。屋根がなくたって「十分」なのです。
http://blog.goo.ne.jp/gooogami/e/31a97d11acdc29d010ec4d548e7df7b5)。
つまり、現地の既存の空間の「自然体」に、暮す場所としての建物の原型を見出し、そしてそこに架けられたのが、この形状の「屋根」である、と考えると納得がゆきます。

平面図・断面図も建設地にあわせて「自由奔放」です。
しかしそれは、現代風の「設計者の勝手放題」という意味の自由奔放ではなく、あくまでも、建設地に順じて、という意味での自由奔放です。

下は地上階(Ground Floor)の平面図です。
場所の名称も記入されている“ARK”の頁をそのままコピーしたので見にくいかもしれません。拡大して見てください。右下は外観の部分写真。
   “ARK”という雑誌は、文章はすべてフィンランド語、
   唯一、図面の説明にだけ、英訳が付いています。 


次は断面図と外観。なお、左下の説明のうち12~14は他の頁の解説文です。


そして次は、上階(1st Floor)の平面図。日本で言えば2階にあたります。


では、内部はどうなるか、というと、これがなかなか写真になりづらい。
その一部が次の写真。

断面図で分るように、躯体をそのまま見せているところと、別途内装を施したところとがあります。

この建物は、建設地の地形や、そこに存在する樹林や岩などとともに見ないと、実際が理解できないのでは、と思います。
しかし、本当は、すべての建物がそうのはずです。そうでなければならないはずです。
とりわけ、日本の建物は、このこと抜きで見てはいけないのです。
   この場合、「日本の建物」とは、近世までの建物。
   該当する建物、「まわりとともにある建物」は、それ以後にもないわけではありませんが、
   明治以降はきわめて少なくなり、そして現代は皆無に等しいのではないでしょうか。

私はこの建物を訪れたことはなく、もちろんフィンランドへも行ったことはありません。
ただ、アアルトの建物に魅かれ、同時にフィンランドの現代建築にも関心をもった時期があり、比較的廉価だった雑誌“ARK”も購読していました。
しかし、フィンランドの建物も、1970年代になると急速に変ってきて(他の西欧と変りない建物が増えた)、そこで購読をやめた記憶があります。

さて、今回、突然この建物を紹介する気になったのは、先回のパリ万博・機械館のような、『「構想」が「理論」「学」よりも先行する建物づくり』が最近見られなくなっていることを、知っておいてよいのではないか、とあらためて感じたからなのです。つまり、清新で溌剌さがなくなっている、ということ。
パリ万博・機械館は、まだ、「見慣れた」形体に入る一例です。
しかし、見慣れた形体ではなく、しかも幾何学的に不整形な形体になったら、現在は「拒否反応」を起こすのが「普通」。
しかし、「拒否反応」を起こすこと自体が、本当は「正常ではない」のではないか、と私は思うのです。

なぜ、「拒否反応」が「普通」になってしまったか。
その理由は、「理論」が「現場」より先行する、「机上の考え」が「地上の考え」を押し潰すのが「普通」になったからなのです。そしてそれをもって「科学的」と称することが「普通」になったからなのです。
シドニー・オペラハウスはウッツォンの原設計とは似ても似つかない形になってしまったことは先回触れました(次回、その変遷を紹介の予定)。それも、「理論」が「発想・構想」を歪めてしまった一例である、と私は考えています。

レオナルド・ダ・ヴィンチも、「最高の不幸は理論が実作を追いこすときである」と言っていますから(http://blog.goo.ne.jp/gooogami/e/4f8f4651ffc6129b69ebb7e286bc8be9)、どの時代にもそういう傾向があったのでしょうが、現在ほど甚だしい時代はないでしょう。

私たちは、もう一度、私たち自身に自信を抱き、溌剌とした発想・構想を、自由奔放に展開してよいのではないか、と私は考えています。
そして、その行為・営為を、常に自省をもって顧みること、それこそが「科学」の基本なのだ、と私は考えます。

つまり、結論的に言えば、「現場・地上の発想」を通じて「机上の理論」は生まれる、しかし、「机上の理論」からは「発想・構想」は決して生まれない、両者の関係は「不可逆」である、ということです。

なお、末尾になりましたが、日本で明治以降、建築の「学界」で行われてきた「現場」を離れた「机上」の論議の中味を、それに携わり「世論」を「先導(扇動?)」してきた人たちの「言動」を精査し論及している方のブログを紹介します。
なぜ、「理論が実作を追い越す」ような状況に陥ってしまったのか、「理由・訳」が見えてくるはずです。
そのあたりについて関心のある方は、是非ご覧になることをお薦めします。
http://kubo-design.at.webry.info/

なお、私のブログでは、あえてリンク先を設けてありませんので、関心のおありの方は、「お気に入り」に追加してくださるようお願いします。
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清新で溌剌としていた時代・・・・鉄を使った建物に見る-3

2010-03-05 22:03:13 | 鉄鋼造
[文言追補 3月6日 16.26]

1889年パリ万博・機械館の工事は、二つの会社が担当し、それぞれが別の方法でトラスの「建て方」を行なっています。

下は、一社の採った方法の工事中の写真と解説図です。


仮設足場が左右の柱脚部と棟位置につくられます。
トラスは、棟を中心に左右対称ですが、建て方は左右を別々に持ち上げ、棟の位置のピンで繋ぎます。
片側だけでもかなり重くなるため、さらに二分して持ち上げています。

図の右側は、右側になるトラスの「建て方」を示したもの。
二分されたトラスの柱脚部を柱脚になるピンに噛ませ、トラスの上側になる端部に結んだロープを右側の足場上部の滑車に掛け、中央部の足場下のウィンチで曳くと、所定の位置まで持ち上げることができます。
   当時のウィンチは、図にハンドル様のものが描きこまれているので、手動:人力ではないかと思います。不明です。

その際のピンに噛ませる方法が下図です(左半分のトラスの場合の図です)。
図のように、トラス端部にロープを掛けて持ち上げ、ピンからの位置を正確に計り木材の枕を噛ませます。
ロープをさらに曳くと、端部が持ち上がるとともに、自重も加わって、トラスは図のA点を中心にして回転してピンに載る、という手順のように推察されます。


次の図はもう一社の採った方法です。
工事中の様子は、写真ではなく、銅版画かペン画のようです。写真を下図にして描いた(彫った)のではないでしょうか。銅版画やペン画の方が、写真よりも保存性がよかったからではないかと思います(先の写真はかなり見にくくなっています)。

5基の足場をつくり、その上に、梁行方向に「橋」を架け、さらにその上に塔状の足場を2基立てます。これはどうやら「橋」の上を移動できるようです。
右側の図は、足場全体を、短手から見た図です。

あとは、先の方法と同じく、ウィンチで引き上げて、トラスを組立てます。

“LOST MASTERPIECES”の著者は、後者の方策の方が効率がよい、と書いています。
たしかに、「橋」の上を自在に歩けるわけですから(先の方法では、一旦地上に降りてからでなければ、もお一方の足場には行けません)作業性は数等よいと考えられます。

いずれの足場も丸太でつくってあるようです。かなりまっすぐですから針葉樹でしょう。

この「建て方」をみると、先ず「構想」があり、次いで、どのように建てるか、が検討されたと考えられます。
今なら、「建て方」が難しいから、あるいは構造に無理、無駄があるから・・・として、「構想」だけで終わってしまうのではないでしょうか。
たとえば、シドニー・オペラハウスは、ウッツォンの原設計とはまったく違って、生硬な形になってしまいましたが、それは当時の「新鋭の構造力学」が「介入」したからのようです(その「変遷」をいつか紹介します)。
機械館が構想どおりに建てられたのは、万国博覧会だったからでしょうか。
私にはそうは思えません。それが「時代の空気」だったのだ、だからこそ清新で溌剌、颯爽とした建物が生まれたのだ、と私は思います。

なお、“LOST MASTERPIECES”には、この機械館のトラスの構造解析図も載っていますので、以下に紹介します。
この部分については、解説を原文のまま載せます。


この話題は、これで終りです。

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清新で溌剌としていた時代・・・・鉄を使った建物に見る-2の補足

2010-03-04 11:07:50 | 鉄鋼造
[説明文言追加 15.38][一時、文章がヘンになっていました。元に戻しました 17.43][感想追加 18.15]

1889年パリ万博機械館のトラスの組立て・建て方の図版を編集中です。

その前に、“LOST MASTERPIECES”には、このトラスの原設計図が一部載っていますので、それを前回の補足として紹介させていただきます。
前回紹介の図は、この原設計図をトレースしたものと思われます。

この当時、すでに「型鋼」が製造されていたようで、図中には各部材の寸面の指示が書かれています。

字が小さいので、すべて書き直して貼り付けようか、とも考えましたが、原図の雰囲気も見ていただきたいと考え、図版を大きくして字が読めるようにしました。
もちろん、手描きで墨入れの図面。文字はペンか。

   リベットを飽きることなく、大きさも変えて描いています。今のCADなら繰り返しで描くでしょうが、
   とにかく手描きは「味」があります。
   こういう手描きの、手を抜かない、細部まで考えてある図を見ながら鉄を加工する職人の方々も、
   おそらく、描いた人の「意気」を感じて仕事をしたに違いありません。
   私の感じでは、無愛想なCADの図面で仕事をすると、仕事もきっと無愛想になるのではないか、そう思います。
   図面はコミュニケーション手段なのですが、本来それは、単に図に描かれたことのコミュニケーションではなく、
   設計図を描いた側の「人」をも伝えるものだった、そのように私は思っています。
   CADに全面依拠しておられる方々は、どうやって「人」を伝えているのでしょうか。
   それともこれは、「古い」人間の戯言なのでしょうか?    [感想追加 18.15]

いわゆるアングル:L型鋼を A・l と記しているようです。その他は、大体現在と同じではないかと思います。
なお、riv とあるのはリベット打ちの意です(図の丸点は、すべてリベットです)。
リベットも規格化されているようです(14mm、22mmなどと径が描いてあります)。

   リベットは、丸頭のついた鋲のこと。接合する2材に鋲の径よりやや大きめの孔をあけておき、
   2材を合わせ、その孔に炉で赤くなるまで熱した鋲を通し、両側から鋲をハンマーで叩きます。
   灼熱した鋲は、叩かれることで孔いっぱいに広がり、2材は密着します。
   そのとき、鋲の反対側:先端は、専用の冶具により、叩かれると丸頭になります。
   リベットは、最近、まったくと言ってよいほど使われなくなりました。
   溶接が普及する前は、鋼製の鉄道やバスの車両もリベット打ちでした。
   
   1960年代:東京タワー建設工事のころは、リベット全盛でした。
   学生のとき、工事中の東京タワー建設の現場を見学させていただきましたが、あの高所で、
   灼熱した鋲をポンと放り投げると、それを軽々と受け、すばやく所定の位置に打ち込みます。
   さすが鳶さん!と感心したことを覚えています。
   もちろん、素手で投げたり受けたりするわけではなく、専用の受け皿などを使っています。
   リベットを熱するのは、仕事の進捗とともに移動する炉によります。
   300mを越える高所にも灼熱の炉があったのです。
        一時、文章がヘンになっていました。元に戻しました[17.43]。
     
下は、前回のA部詳細にあたる箇所の設計図です。


そして、次の図はトラス脚部(E部詳細)の設計図。

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清新で溌剌としていた時代・・・・鉄を使った建物に見る-2

2010-03-01 18:01:19 | 鉄鋼造
[語句追加 3月2日 8.51]

先回概要を紹介した1889年パリ万博・機械館のアーチ・トラスの詳細図を転載します。
細部が分るように、図版は大き目に作成しました。


アーチ・トラスの柱脚部の写真。
人物と比べてください。アーチ・トラスがいかに大きいか分ります。

下がアーチ・トラスの全体図(半スパン)です。左右対称です。

            
A、B、E部の詳細を、頂部から順に載せます。
図はいずれも原設計図をトレースした図のようです。
          
             頂部。両側から持ち上げたトラスをピンで留めます。
             重機のない時代ですから、これが大変な仕事だったらしい。

           
            アーチの中途部。下屋の部分が取付きます。


柱脚部分。ここもピン。
グラウンドレベル(GL):地表面をピンの芯位置にしています(上掲写真参照)。
典型的な3ピン構造。ピン一点に力が集中する方策。
こういう架構は、それまではなかったと思います。
これは「構造力学」の成果です。架構=必要空間。見事です。

   今回は紹介しませんが、天井や壁には装飾がありますが、
   架構を飾るようなことはしていません。

アーチ・トラスが建て終わると、その上に屋根が架けられます。
屋根は、棟を中心にしてガラス屋根です。そのクローズアップが下の写真です。


写真の赤枠内を示したのが下の図です。

巨大なアーチ・トラスに直交して約10.5mごとに「つなぎ梁」が架けられ、
その「つなぎ梁」から「登り」方向に「垂木」に相当する部材が伸び、
その上に直交してガラスが載る台:「母屋」が据えられる方法を採っています。

部材相互の仕口:接合部には、かならず円形のハンチが設けられています。
   部材寸法が接合する他の部材よりも小さめになる場合(特に丈)、力がスムーズに伝わるように、
   材寸を徐々に低減させて所定の寸法にしてゆく方法を「ハンチを付ける」と言います。
   最近の仕事では、面倒くさがって滅多にやりません。
   ハンチを付けると、見た目にも自然に見えます。
   かつてM小学校の体育館のトラスでは、つなぎ部材はアーチに、部材相互接続のためのプレートには、
   すべて r を付けました。
   力の流れに応じているように見え、安心感があります(下註参照)。
   実際の力の流れも、見た目どおりなのではないかと思います。[語句追加 3月2日 8.51]
    註 http://blog.goo.ne.jp/gooogami/e/6fec6d219bdeb01d66a5f6e0056ddeab

ガラス屋根の雨仕舞は完全です。
シーリング材などない時代ですから、素直に「水の流下の法則」に則っています。
これだけ段差を付ければ、吹き上がりも心配なかったと思われます。
ただ、左上の棟の部分がどうなっているのかは、写真を見ても判然としません。


この巨大な機械館の構築物は、すべて人力だけでつくり、組立てられました。
組立てにあたってはいろいろな方法が考えられています。
それについては次回紹介します。

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