25日に日帰りで岐阜に行ってきました。ブログが縁で、岐阜県建築士会の研修会で「日本の建築は、壁に依存してこなかった」という話をさせていただいてきました。
近くなったとはいえ、日帰りはさすがに疲れました。
ボーッとしながら見ていた書棚に、標記の書物がありました。正式の標題は“Silent Spaces"。
The Last of the Great Aisled Barns はその副題です。出版社は Little,Brown and Company 1994年刊。
ある写真家( MALCOLM KIRK という方です)が西欧と北米で見出した Aisled Barns の数々。
Aisled Barns とは、「側廊のあるがらんとした建物」というような意味になろうか、と思います。
「側廊」とは、日本の「下屋(げや)」「庇・廂(ひさし)」にあたる部分。つまり、 Aisled Barns とは、「上屋+下屋」「身舎(母屋)+庇・廂」構造の(大きな)建物と解釈してよいと思います。
したがって、 Aisled Barns には、大きな納屋、家畜小屋などとともに、教会堂も含まれます。
下の写真は、この書物の表紙に載っている建物。教会なのか納屋なのか、ちょっと分りません。
註 車両の座席の「通路側」も Aisle です。

ところで、CDをお送りした方から、到着した旨の連絡とともに次のような「ご要望」が書かれたメールをいただきました(当初お送りした12名の方で、到着した旨の連絡を直ぐにいただいたのは女性の方3人全員。1週間経った今日、男性はまだ2人ほど音沙汰がありません。男はそんなに忙しい?!ある女性曰く、もしかして、カタログ請求と同じ感覚かも・・・。)。
・・・・
自分は木造住宅を中心に設計業をしておりますが、いつも小屋組の架構に悩んでいます。
・・・この悩みは自分だけでなく多くの未熟な設計者が持っているのではないでしょうか。
それで「小屋組架構」をテーマにしたカテゴリーがあればと勝手に考えている次第です。
一般的な架構法や、いろんな建物の小屋組を、先人達が到達した考え・解決した手法を
解説していただけたらなあと空想しております。
・・・・
若い方なのではないか、と思われます。そして、はっと思い至りました。かつて、私も、同じようなことで困惑したことがあったことを。
学生時代、いわゆる「平面計画」、簡単に言ってしまえば「間取り」「用」の良し悪しをいろいろと指示はされても、それをどうしたら「形」にするのかは、まったくと言ってよいほど、何も教示されなかったからです。
すべて設計者の《個性》:個人的設定:に委ねられてしまっている。
つまり、「形」設定の「論理」が示されない。
「間取り」「用」と「形」の間には、冷たい冷たい溝がある。
おそらく、今でもそうでしょう。
私の学生時代、どちらかというと「用」が重視された。切羽詰っていた時代だからです。
大分前に、西山卯三氏と丹下健三氏の「論争」があったことを紹介しました。
言ってみれば「用」派と「形」派の「論争」です(下記)。
http://blog.goo.ne.jp/gooogami/e/b5a67ec08d6e1846269fc5e2c03aa961
しかし、今は《豊か》になった。だからでしょう、「用」より「形」。
世の中には人の目を剥くような「形」が「評判」になる。
設計者も、それを目指してシノギを削る・・・。
そして、昨今、私の目には「目に余る」形だらけ・・・。
しかし、そのような学生時代の「環境」は、まことに皮肉なことですが、
「建物をつくるということは、どういうことなのか」私に考える機会、契機を与えてくれたのです。
本当は、もっと早く、その点について考えたことを書くべきだった、と今思っています。
そこを端折って、住まいの原型はワンルームの一つ屋根、だとか、居住するための必要十分条件、・・・などと言っても、靴の下から足の裏を掻くようなじれったさをどうしても拭いきれないはずだ。そう思い至ったのです。
私は少しばかり《省エネ》に過ぎた・・・・。
先の「ご要望」は、小屋の架け方についてのもの。
しかし、それもまた、この「原点」に帰らなければ話ができないのです。そして、原点からその話に到達するには、かなり時間がかかると思います。しかし、端折るわけにはゆかない・・・。
そこで、しばらく、今の私の考え方の基になっている「建物をつくるということ」についての私なりの考えを書くことにします。
ただ、毎回それではくたびれます。そこで、しばらく、先の Silent Spaces の紹介と半々で行こうかと思っています。
近くなったとはいえ、日帰りはさすがに疲れました。
ボーッとしながら見ていた書棚に、標記の書物がありました。正式の標題は“Silent Spaces"。
The Last of the Great Aisled Barns はその副題です。出版社は Little,Brown and Company 1994年刊。
ある写真家( MALCOLM KIRK という方です)が西欧と北米で見出した Aisled Barns の数々。
Aisled Barns とは、「側廊のあるがらんとした建物」というような意味になろうか、と思います。
「側廊」とは、日本の「下屋(げや)」「庇・廂(ひさし)」にあたる部分。つまり、 Aisled Barns とは、「上屋+下屋」「身舎(母屋)+庇・廂」構造の(大きな)建物と解釈してよいと思います。
したがって、 Aisled Barns には、大きな納屋、家畜小屋などとともに、教会堂も含まれます。
下の写真は、この書物の表紙に載っている建物。教会なのか納屋なのか、ちょっと分りません。
註 車両の座席の「通路側」も Aisle です。

ところで、CDをお送りした方から、到着した旨の連絡とともに次のような「ご要望」が書かれたメールをいただきました(当初お送りした12名の方で、到着した旨の連絡を直ぐにいただいたのは女性の方3人全員。1週間経った今日、男性はまだ2人ほど音沙汰がありません。男はそんなに忙しい?!ある女性曰く、もしかして、カタログ請求と同じ感覚かも・・・。)。
・・・・
自分は木造住宅を中心に設計業をしておりますが、いつも小屋組の架構に悩んでいます。
・・・この悩みは自分だけでなく多くの未熟な設計者が持っているのではないでしょうか。
それで「小屋組架構」をテーマにしたカテゴリーがあればと勝手に考えている次第です。
一般的な架構法や、いろんな建物の小屋組を、先人達が到達した考え・解決した手法を
解説していただけたらなあと空想しております。
・・・・
若い方なのではないか、と思われます。そして、はっと思い至りました。かつて、私も、同じようなことで困惑したことがあったことを。
学生時代、いわゆる「平面計画」、簡単に言ってしまえば「間取り」「用」の良し悪しをいろいろと指示はされても、それをどうしたら「形」にするのかは、まったくと言ってよいほど、何も教示されなかったからです。
すべて設計者の《個性》:個人的設定:に委ねられてしまっている。
つまり、「形」設定の「論理」が示されない。
「間取り」「用」と「形」の間には、冷たい冷たい溝がある。
おそらく、今でもそうでしょう。
私の学生時代、どちらかというと「用」が重視された。切羽詰っていた時代だからです。
大分前に、西山卯三氏と丹下健三氏の「論争」があったことを紹介しました。
言ってみれば「用」派と「形」派の「論争」です(下記)。
http://blog.goo.ne.jp/gooogami/e/b5a67ec08d6e1846269fc5e2c03aa961
しかし、今は《豊か》になった。だからでしょう、「用」より「形」。
世の中には人の目を剥くような「形」が「評判」になる。
設計者も、それを目指してシノギを削る・・・。
そして、昨今、私の目には「目に余る」形だらけ・・・。
しかし、そのような学生時代の「環境」は、まことに皮肉なことですが、
「建物をつくるということは、どういうことなのか」私に考える機会、契機を与えてくれたのです。
本当は、もっと早く、その点について考えたことを書くべきだった、と今思っています。
そこを端折って、住まいの原型はワンルームの一つ屋根、だとか、居住するための必要十分条件、・・・などと言っても、靴の下から足の裏を掻くようなじれったさをどうしても拭いきれないはずだ。そう思い至ったのです。
私は少しばかり《省エネ》に過ぎた・・・・。
先の「ご要望」は、小屋の架け方についてのもの。
しかし、それもまた、この「原点」に帰らなければ話ができないのです。そして、原点からその話に到達するには、かなり時間がかかると思います。しかし、端折るわけにはゆかない・・・。
そこで、しばらく、今の私の考え方の基になっている「建物をつくるということ」についての私なりの考えを書くことにします。
ただ、毎回それではくたびれます。そこで、しばらく、先の Silent Spaces の紹介と半々で行こうかと思っています。