春を待つ山林。空気は冷えていますが、春の用意は進んでいるようです。
註 牽強付会:けんきょう ふかい:本来 道理(事実)に合わない事を無理にこじつけて、自説に有利になるように展開すること。(「新明解国語辞典」)
[標題に副題を付しました。25日18.15」[文言追加 26日9.45]
今週のはじめ以来、当ブログへ「筑波第一小学校体育館」の検索でお寄りになる方が妙に多いのが不思議でした。どうやら、日曜日のTBSTVの番組の中に、この建物の映像があり、その影響らしい。
番組がどのような内容だったのかは詳しくは知りませんが、検索キーワードや閲覧元URLから推測すると、この建物の壁に使った厚い板壁が、国産材活用・日本の林業復興の点で好ましい、これからの日本の木造ではこういう使いかたがよい、・・・というようなことだったようです。
現在、各地に適齢期を迎えた針葉樹、特に杉材がきわめてたくさん使われずにいわば放置されています。
なぜこれほどまで多くあるのか。
それは、敗戦直後、戦後の復興で木材が不足する事態が生じることを予測し、その対策として、各地で植林が奨励されたからです。私の暮す地域の山林も、圧倒的に針葉樹が多い。それまでの混交林の山に植林したのです。皆、適齢期です(今、丘陵地の法面にだけ広葉樹が残り、他は大半が針葉樹です。上の写真参照)。
そして、実際、復興にあたり、木材は大量に使われました。
しかし、折角植林されたのに、育った針葉樹は一顧だにされなかった。
価格の安い輸入木材が主に使われたからです。先人の苦労が水泡に帰したのです。
若い方がたは知らないかもしれませんが、造作材には南洋材のラワンが多用されました。合板の大半はラワン材だった。
ラワンという語、実物も知らないかも・・・・。
今は原木は輸入されていません。日本向けの乱伐が現地の環境問題を生み、制限されるようになったからです。それゆえ、今は、価格的には高級材。
しばらくすると、構造材に北米産のベイツガの類が多用されるようになります。
なぜ輸入材が安いのか?
輸入材のほとんどは、天然林の伐採によるものだからです。いわば、伐ってくるだけ・・・・。
しかも、輸入を奨励するかのように、関税が撤廃され、外材使用はますます増える一方になります(最近は北洋材:これも天然材:の増加が目立ちます)。
ここに、TPPが成立した後の姿が浮かび上がってきます!
現在、「円安」の結果、皮肉なことに、輸入材が高騰して、国産材が相対的にやすくなり、使用が増えているとのこと!
この「林業の衰退と外材の関税との関係」の「実情」を広く世に知らしめたのは、なんと《有識者》や《専門家》ではなく、ある「コミック」でした!(下記)。
また、同じ「論理」を使うなら、国産小麦の生産量を増やすために、粉食を奨励しよう、ということになりますが、その「発言」は聞こえてきません。
実際、粉食、パン食が従来よりも格段に増えているのに、小麦をつくっている畑は見かけません。輸入小麦が圧倒的に安いからです。
それでもなお、国産材を使って林業を振興しよう、と言いますか?
「取り急ぎ:災害防止には木造建築禁止が一番!」
「続・取り急ぎ:災害防止には木造建築禁止が一番!」
ちょうどこの体育館を設計していた頃、林業の疲弊が問題にされ、その復活のために、国産材を活用しようという「動き」が、建設省や建築学会などを中心に盛んでした。
建築に国産材を多量に消費すれば、林業が再興する、という「論理」です。
しかし、私は、この「動き」に違和感を感じていました。あまりにも短絡的、安易に過ぎる。風が吹けば桶屋が儲かる的で、論理の筋立てがこじつけではないか?
それゆえ、私は、その「動き」に加担するような発言は一切しませんでした。
そのことについて、故田中文雄氏(当体育館の木工事を担当)は、「住宅建築1987年7月号」中の座談会で、次のように語っています。
「建築文化」や「新建築」をみても、下山さんは木材業界を勇気づけようというような考えをひとつも書いていないでしょう。それが困るんだ。
建築は建築家と業者だけでできないもの、多くの分野の人の協力があって初めてできるんだ。
だから私はグチや不満でなく、前向きに日本全体をみた話をしてもらいたかった。・・・
そのあたりのことについては、下記をお読みください。
「専門家のノーマライゼーション・・・・木造建築が『あたりまえ』になるには:その1」「同:その2」
こういう「論理」だと、ベイマツを使うのは、輸入業者の振興のため・・・、ということになります・・・。
この体育館でも、床組(含束柱)、小屋の登り梁:垂木にベイマツを使っています。
もちろんそれは、輸入業者の儲けを考えたためではありません。廉かったからです。あたりまえです。[文言追加 26日9.45]
私の「論理」は単純です。「建物は『林業』のために造るのではない」、の一言に尽きます。
田中氏の発言中に、「多くの分野」という言があります。この「分野」のありようについての「理解・認識」が、私と田中氏とでは根本的に異なるのです。
林業は、普通、農業などとともに、「第一次産業」と呼ばれます。なぜ「第一次」に位置づけられるのでしょうか。
それは、世のなかの「暮し」の「基本」だったから、のはずです。
では、「第一次」という言い方が、人間社会の原始古代からあったでしょうか?
ありません。当初は、すべて、自前だったのです。食べ物も、建築資材も・・・、すべて自分で、手近なところで調達していた。
それが、時代の経過とともに、「分化」「分業化」していった。建物づくり・建築は、第二次、第三次産業・・ということになってくるのです。大工さんをはじめとする職人・職方の分業化も同じです。こうして「分化」した各「概念」を、二項対立的に扱ってよいものでしょうか?
かつて、農林業は、大量に生産・収穫し、とにかく大量に売りつけ収益を上げることに意を用いていたでしょうか?
そんなことはありません。農作物の量は、需要を賄う分生産され、消費される、つまり、自ずとバランスがとれていたのです。
同様に、「分化」した各「分業」の間に、上下の関係が存在していたでしょうか?否です。指図する人が職方よりも上位にある、などという「意識」も存在していません。そういう上下関係、対立関係を伴った関係ではなかったのです。それが「分業」ということ。私は、このように理解しています。
「再検・日本の建物づくり―4:四里四方」参照
しかし、この第一次産業と第二次・第三次産業との関係を、現代風の二項対立的な位置関係で理解するとき、田中氏のような発言になるのだ、と私は思います。対等・並立の共生ではなく、上下関係としての関係の理解。だから「協力」という言をわざわざ発することになる。そのように私には見えます。
このような事態になったのは、多分、近代以降、特に現代になってからの社会の「アメリカ化願望」が強くなってからのはずです(これは、20世紀初頭から、西欧でも目立ち始め、それを危惧し歎じた一人がリルケです。日本では、少し遅れて、今が盛りかもしれません)。
特に、今、第二次産業:製造業などで普通になっている「商法」、すなわち《大量に生産し、需要を「掘り起し」消費させるという「商法」》があたりまえになってから、第一次産業と、第二次以降の産業とのバランスがおかしくなってきた、これが私の「理解」です。
それはすなわち、「経済」という語の本来の語義の喪失にほかなりません。
今、農業に付加価値を付ける・・、という「政策」が論じられています。これも、その延長上にあるのではないでしょうか。
そして、本来の語義が保たれていたのならば、昨今流行りの「商品の偽装」など起きるわけがないではありませんか!
何か、夢のようなこと、時代遅れのこと、戯言、を言っている、と思われる方が居られるかもしれません。
私は、「理」の通らないことは、私の性に合わないから、そういうことを言わないだけなのです。
《時流にうまく乗る》、というような「世渡り」も私の性に合いません。
したがって、本質を忘れた「牽強付会の説」を展開するなどということなどは、考えも及ばないのです。
基本・根本、原点にさかのぼって考えましょう、そう思っているだけです。
さて、あの体育館の壁を、なぜ、柱間に杉の厚板を落とし込む壁にしたのか、説明します。
もちろん、国産の杉材を大量に使うことで日本の林業の復興に貢献しよう、などという理由ではありません。
木造軸組工法では、壁は、柱間に充填する形を採るのが普通です。充填の方式としては、真壁方式と大壁方式があります。
では、体育館の壁として何がよいか。何が求められるか。
物がぶつかっても壊れにくいこと、人がぶつかっても怪我が起きにくいこと、なおかつ、維持・管理が容易なこと・・などです。
いろいろな方策が考えられます。
大壁方式は、壁の見切りに別途細工が必要になります。つまり、手間の追加が要る。それゆえ、柱間に収める真壁の方がいいだろう。
では、真壁をどのようにつくるか。芯材(間柱・胴縁など)を柱間に設置し、湿式:塗壁など:の壁を充填する、同じく乾式:板やボードの類を張る:の壁を充填する、この二つが考えられます(木骨煉瓦造のような方法もありますが、この建物の場合は重量の点で不適)。
そこで行き着いたのが柱間に厚い板壁を建て方時に組み込む方法(通称「落し込み板壁」)。
この方法は、両面が一度に仕上り、表面に釘等が表れず、物がぶつかっても強く、人がぶつかっても比較的安全、材料の量も、胴縁板張りとそれほど差がない(体育館ならば、胴縁も頑丈にし、板厚も最低でも15mm、できれば20mm以上は欲しい、それで算定すると、材積はそれほど多くなく、胴縁・間柱など工費を考えれば、問題はない)・・、これらを勘案して行き着いたのです。
しかし、この結論は、体育館の建物だからの結論です。
私は、通称「落し込み板壁」を住居に使うことを躊躇します。古来、我が国の人びともそのようです。もし、住居にも適しているのならば、とっくに普及しているはずですが、歴史を見ても、日本の住居の例を、私は寡聞にして知りません。
日本での使用例は、蔵・倉庫、そして一部の社寺に限られるようです。
それはなぜか?
いったん柱間に落し込んだ板壁は、撤去が容易でありません。したがって、大げさにいえば、壁位置を決めるに際し、石造、煉瓦造、RC造のような「覚悟」が要ります。一度造った壁を取り去り改造する、あるいは増築する、・・これが不可能だと言っても言い過ぎではないでしょう(2×4工法に似ています)。
つまり、「日本の建物づくりでは『壁』は自由な存在だった」シリーズで触れたように、撤去・改造・改修不可の壁は、日本人は住居では造りたがらなかったのです。だからこそ、住居の事例が見かけないのです。人びとは、改造を前提にしたつくりを考えていた、と言ってよいかもしれません。
各地に数百年生きた住居が遺っています。それらは、ほとんどすべて、建設時の姿を数百年間保っているわけではありません。
改造、改修、増築などが繰り返し行われ、壁だったところが開口になったり、開口が壁になる、などの例は枚挙に暇がない、と言ってよいでしょう。
「日本の建物づくりでは『壁』は自由な存在だった」シリーズでも例を挙げています。「カテゴリー」の「壁は自由な存在だった」からアクセスできます。
逆に言えば、それが数百年永らえ得た理由でもあるのです。そうやって、暮しの変化に対応してきたのです。
こういうことが、柱間に組み込んだ厚板壁では容易に行えないのです。だから、落しこみ板壁を住居で使うなら、石造同様の「覚悟」がいるのです。
これが、日本の住居の石造の住居などとの大きな違いなのです(石造などの場合は、最初の規模・室数が大きい。それを場面に応じて使う)。
なお、通称「落し込み板壁」は、古く伊勢神宮でも使われている歴史のある工法だ、という説があります。
この説も「誤解」を生みそうです。
日本で、厚さの薄い木材、「板」が一般に使われるようになるのは、おそらく近世以降でしょう。それまでは製材ができなかったのです。
したがって、古代~中世には、現在の「平角」材のような木材が、そのまま、壁や床にも使われています。
つまり、伊勢神宮で、厚板がいい、という「選択」で採用されたのではなく、いわば、それしかなかった、のです。
奈良時代の住居遺構とされる法隆寺・伝法堂の床もその一例です。そこでは、建具も厚板製です。
「奈良時代の開口部」
また、通称「落し込み板壁」には、次のような「特徴」もあります。
「落し込み板壁」は、厚板をいわば平積にします。継ぎ目・目地が横に入ります。
その結果、次のような「現象」が起きるのです。
一つは収縮による空隙の発生。
筑波一小の体育館の場合、厚板は仕上がり幅4寸5分×2寸、これを、一階部分では床梁~二階床梁の間に21枚平積にしてあります。総丈は約10尺、梁~梁は全高が充填されるはずでした。ところが、竣工後まもなく、外壁の一部で、上部に1寸ほどの空隙が生じたのです(中から空が見えた!)。平積した総丈が材の収縮で縮んで沈んだのです。対策は講じてあったのですが、これは、「想定外」の大きな縮みでした。
ログハウスでも、同じことが起き、対策は結構大変なようです。
もう一つは、外壁の「落し込み板壁」の防雨。
真壁の外壁は、一般に柱際の防水・防雨に苦労しますが、「落し込み板壁」では、更に特有の問題が生じるのです。
厚板と厚板の継ぎ目・目地に沿って、水が風により柱際へ吹き寄せられるのです(塗壁などの真壁ではあまり起きません)。
各段の目地で吹き寄せられた水」が、柱に彫られた板を納める溝を越え、内部に回り込み、「壁から雨が漏る」事態に至るのです。
特に、南東風を伴う風雨の襲いやすい地域:筑波地域はそれにあたります:にあるこの建物の場合、建物の東面での雨漏りが目立ちました。
関東は、台風時、南東風の風雨が多い。
いろいろ、柱際に細工を施しましたが(押縁を設けたり、ダメモトでシーリングもしてみました)、雨漏りは止まりませんでした。
結局、東面だけ、全面に、新たに杉板横張りの大壁を設けて、やっと解決しました(他の面と似たように仕上げてありますから、よく見ないと見分けがつかないかもしれません)。
本当は、こういう箇所には縦板張りの方が、適しています。水の自然の流れに対して素直だからです。
関西、特に四国などで縦張り大壁が普通なのは、台風によく襲われるからのようです。
以上のように、筑波一小の体育館に通称「落し込み板壁」を使ったのは、体育館の「用」を考えた一結果にすぎない、とお考えください。
私は、明治の初め、滝 大吉 氏が「建築学講義録」の序文で述べている「建築学とは木石などの如き自然の品や煉化石瓦の如き自然の品に人の力を加へて製したる品を成丈恰好能く丈夫にして無汰の生せぬ様建物に用ゆる事を工夫する学問・・・」との言は、今なお「真理」である、と考えています。
建物をつくるにあたって、「為にする牽強付会の説」は、百害あって一利なし、要らない、と私は考えています。