ときどき、注文した覚えのない「商品」の案内がFAXで来ます。
そのなかで多いのが「設計ソフト」の売込み。
先日届いたのは、「長期優良住宅制度」と「省エネエコポイント制度」対応の「設計ソフト」の発売案内。
下はそのキャッチコピー。商品名は消してあります。
いったい、こういうソフトを買って、設計者は「何をする」のだろうか、と考えてしまいます。いったい、設計者の職分とは何か、ということです。
そしてまた、ここにはいくつも問題があります。
まず、申請用の書類が審査され、「お墨付き」をもらえれば、「長期優良住宅」が本当にできあがるのか?本当に「省エネ」になるのか?
「制度の規定する条件」をクリアすれば「長期優良住宅」、つまり、寿命の長い建物になる、という保証はどこにあるのでしょうか?
そもそも、「制度の規定している長期優良住宅の条件」自体の信憑性も、問われたことがありません。
簡単に言えば、なぜ最近の住居が短命になったか、なぜ、かつての住居が長命であったか、その分析は行なわれた形跡がないにもかかわらず「条件」が設定されているのです。
そしてさらに、「長期優良住宅」として認定された建物が、もしも「長期優良」でない事態に至ったとき、つまり寿命が短かったり地震で損壊したりしたならば、その「責任」はどうなるのでしょう?例の倒壊した長期優良住宅の実物大実験のようなことは、現実にも十分に起き得るのです。
この後者の問題は、「長期優良住宅」だけの問題ではなく、現行の法令規定そのものの根本的に孕む「問題」にほかなりません。
何度も書いてきたように、そのような事態が生じると、これまでは、それは想定外であったとして「規定条項」を改変すること:これを「法の改訂」と称しています:で過ごしてきて、その「責任」は一切とっていません。
これが一般人のしたことならば、かならずその責が問われます。責任を問われないで済んでいるのは、「法令は何よりも上位に立つ」と(勝手に)見なしているからに過ぎないのです。
しかし、法令の内容もまた「人為」であることに変りはない。それゆえ、「法令は何よりも上位に立つ」とする以上、その「人為」は、より厳しく問われなければならないのですが、そうではない。
最近のこのような「動き」は、「耐震診断⇒耐震補強」と同様の「霊感商法の奨め」のように、私には見えます*。
* http://blog.goo.ne.jp/gooogami/e/da1ac6204ccfee6d9671035bab31678a
簡単に言えば、数字に弱い一般の人びとを、数字を弄して欺くのです。それに「協力する」ことで「経済」が繁栄する、などと喜んでいてよいのでしょうか。
こういう「動き」の背後にあるのは、「建物づくりの現場」を離れて机上でご都合主義的、便宜的発想でつくられてしまった現行「建築基準法」の諸規定にほかなりません。
簡単に言えば、「建物づくりの現場の発想」からはまったく乖離した《理論・考え方》が、「実作の思考」を押し潰してしまっているのです。
これは、普通の人びとの生活にとって「最大の禍」なのであり、それはすなわち、社会に対しての「最大の禍」にもなっているのです。
ところで、こういった類の設計ソフトが巷に溢れているようです。そしてそれをつかって設計することを称してCADと言う。
CADとは、Computer Aided Design の略のはずです。
しかし、上記のようなソフトは、ソフトが設計者に指示しているようなもの。設計者は、無思慮にソフトの指示に従うだけ。
CADが流行りだしたころ、ある設計者が、もう製図板も製図者も要らない、オペレーターが居ればいい、と語っていたことを思い出します。
註 昔聞いた話。
自動車製造工場で、塗装ロボットが導入されたとき、二つの相反する反応があった。
一つは、もう塗装の熟練工は不要だ、という判断。
もう一つは、熟練工の塗装工程を相変わらず維持するという判断。
前者は、日本の自動車工場。
後者はドイツ。熟練工の養成まで行なった。
なぜドイツはそうしたか。
塗装ロボットは、熟練工の「作業工程」を倣ってつくられるからです。
日本がその「事実」に気付いたのは、大分経ってからだった・・・。
「設計ソフト」が普及した結果、若い人たちを悩ましているのは、建築士試験です。
なぜなら、建築士試験は相変わらず手描きの「設計製図」が必修だからです。
日ごろ、ソフトによって設計図を作成しているため、自分の手で描いたことがない。
たとえば、駐車スペース。ソフトは縮尺に応じて車まで描いてくれる。
手で描くとなれば、車の一般的大きさを知っていなければならないのですが、いつも、ソフトが「適切に」描いてくれているため、大きさについての「認識」がまったくない。
樹木なども同じ。適当に描いてくれるから、自ら針葉樹、広葉樹・・・など樹木をまともに観察する習慣もない。
まして、建物が存在する基本:人や社会:についての「観察」など、問題外。
要するに、建物の設計にかかわる「知識」、知っていなければならない「素養」、そのすべてが、ソフト任せになっているということ。
このような建築界の状況もまた、人びとが暮す環境にとって「最大の禍」である、と私は思います。
これほどまでにソフトが「主導権」を握ってしまうと、ソフトに組込まれているもの以外、今後つくられない、と言っても過言ではないからです。先に「文化財」の「耐震診断・耐震補強」について触れたのと同じことが、どこでも起きているのです*。
* http://blog.goo.ne.jp/gooogami/e/46f7af2ac0209504ca429d24eac67c9f
昨3月15日付の毎日新聞朝刊のコラムに、注目すべき、そして参考にすべき記事が載っていました。
私は、CADソフトを使うことを全否定しているわけではありません。
ソフトに頼るまえに、「素養」の培養・育成が必要だと思うのです。自分の頭脳で観て考える訓練です。
第一、作業を簡易化・簡略化して、生まれた時間を何に使っているのでしょう?
先の記事に応じれば、私は、設計に係わる者は、パソコンに拠る前に、手描きの期間がかなり必要のように思います。
そのなかで多いのが「設計ソフト」の売込み。
先日届いたのは、「長期優良住宅制度」と「省エネエコポイント制度」対応の「設計ソフト」の発売案内。
下はそのキャッチコピー。商品名は消してあります。
いったい、こういうソフトを買って、設計者は「何をする」のだろうか、と考えてしまいます。いったい、設計者の職分とは何か、ということです。
そしてまた、ここにはいくつも問題があります。
まず、申請用の書類が審査され、「お墨付き」をもらえれば、「長期優良住宅」が本当にできあがるのか?本当に「省エネ」になるのか?
「制度の規定する条件」をクリアすれば「長期優良住宅」、つまり、寿命の長い建物になる、という保証はどこにあるのでしょうか?
そもそも、「制度の規定している長期優良住宅の条件」自体の信憑性も、問われたことがありません。
簡単に言えば、なぜ最近の住居が短命になったか、なぜ、かつての住居が長命であったか、その分析は行なわれた形跡がないにもかかわらず「条件」が設定されているのです。
そしてさらに、「長期優良住宅」として認定された建物が、もしも「長期優良」でない事態に至ったとき、つまり寿命が短かったり地震で損壊したりしたならば、その「責任」はどうなるのでしょう?例の倒壊した長期優良住宅の実物大実験のようなことは、現実にも十分に起き得るのです。
この後者の問題は、「長期優良住宅」だけの問題ではなく、現行の法令規定そのものの根本的に孕む「問題」にほかなりません。
何度も書いてきたように、そのような事態が生じると、これまでは、それは想定外であったとして「規定条項」を改変すること:これを「法の改訂」と称しています:で過ごしてきて、その「責任」は一切とっていません。
これが一般人のしたことならば、かならずその責が問われます。責任を問われないで済んでいるのは、「法令は何よりも上位に立つ」と(勝手に)見なしているからに過ぎないのです。
しかし、法令の内容もまた「人為」であることに変りはない。それゆえ、「法令は何よりも上位に立つ」とする以上、その「人為」は、より厳しく問われなければならないのですが、そうではない。
最近のこのような「動き」は、「耐震診断⇒耐震補強」と同様の「霊感商法の奨め」のように、私には見えます*。
* http://blog.goo.ne.jp/gooogami/e/da1ac6204ccfee6d9671035bab31678a
簡単に言えば、数字に弱い一般の人びとを、数字を弄して欺くのです。それに「協力する」ことで「経済」が繁栄する、などと喜んでいてよいのでしょうか。
こういう「動き」の背後にあるのは、「建物づくりの現場」を離れて机上でご都合主義的、便宜的発想でつくられてしまった現行「建築基準法」の諸規定にほかなりません。
簡単に言えば、「建物づくりの現場の発想」からはまったく乖離した《理論・考え方》が、「実作の思考」を押し潰してしまっているのです。
これは、普通の人びとの生活にとって「最大の禍」なのであり、それはすなわち、社会に対しての「最大の禍」にもなっているのです。
ところで、こういった類の設計ソフトが巷に溢れているようです。そしてそれをつかって設計することを称してCADと言う。
CADとは、Computer Aided Design の略のはずです。
しかし、上記のようなソフトは、ソフトが設計者に指示しているようなもの。設計者は、無思慮にソフトの指示に従うだけ。
CADが流行りだしたころ、ある設計者が、もう製図板も製図者も要らない、オペレーターが居ればいい、と語っていたことを思い出します。
註 昔聞いた話。
自動車製造工場で、塗装ロボットが導入されたとき、二つの相反する反応があった。
一つは、もう塗装の熟練工は不要だ、という判断。
もう一つは、熟練工の塗装工程を相変わらず維持するという判断。
前者は、日本の自動車工場。
後者はドイツ。熟練工の養成まで行なった。
なぜドイツはそうしたか。
塗装ロボットは、熟練工の「作業工程」を倣ってつくられるからです。
日本がその「事実」に気付いたのは、大分経ってからだった・・・。
「設計ソフト」が普及した結果、若い人たちを悩ましているのは、建築士試験です。
なぜなら、建築士試験は相変わらず手描きの「設計製図」が必修だからです。
日ごろ、ソフトによって設計図を作成しているため、自分の手で描いたことがない。
たとえば、駐車スペース。ソフトは縮尺に応じて車まで描いてくれる。
手で描くとなれば、車の一般的大きさを知っていなければならないのですが、いつも、ソフトが「適切に」描いてくれているため、大きさについての「認識」がまったくない。
樹木なども同じ。適当に描いてくれるから、自ら針葉樹、広葉樹・・・など樹木をまともに観察する習慣もない。
まして、建物が存在する基本:人や社会:についての「観察」など、問題外。
要するに、建物の設計にかかわる「知識」、知っていなければならない「素養」、そのすべてが、ソフト任せになっているということ。
このような建築界の状況もまた、人びとが暮す環境にとって「最大の禍」である、と私は思います。
これほどまでにソフトが「主導権」を握ってしまうと、ソフトに組込まれているもの以外、今後つくられない、と言っても過言ではないからです。先に「文化財」の「耐震診断・耐震補強」について触れたのと同じことが、どこでも起きているのです*。
* http://blog.goo.ne.jp/gooogami/e/46f7af2ac0209504ca429d24eac67c9f
昨3月15日付の毎日新聞朝刊のコラムに、注目すべき、そして参考にすべき記事が載っていました。
私は、CADソフトを使うことを全否定しているわけではありません。
ソフトに頼るまえに、「素養」の培養・育成が必要だと思うのです。自分の頭脳で観て考える訓練です。
第一、作業を簡易化・簡略化して、生まれた時間を何に使っているのでしょう?
先の記事に応じれば、私は、設計に係わる者は、パソコンに拠る前に、手描きの期間がかなり必要のように思います。
問題なのは、ソフトにあるのではなく、ソフトが出した答えが”さしあたっての目安”ぐらいでしかないと認識している人がどれだけいるのかということだと思います。
ところで、紹介されている新聞記事興味深く拝見し、自信のブログにも紹介させて頂きました。
http://blog.goo.ne.jp/geo1024/e/6b86ade388a491f2719706d810ffcfca
設計ソフトは、時短の効用はありますすが、自探の高揚はありません(下手な洒落ですみません)
どこの世界でもそうなんですね。
建築界は仕事が減っています。
設計ソフトによる時短でできるヒマをもてあそぶだけなら、その分の時間をたっぷりかけて、自分の頭のソフトを鍛える絶好のチャンスなのに、と思ってしまいます。