この国を・・・・20: 客観的

2012-03-30 02:33:20 | この国を・・・
庭先に、小鳥たちの食事場所をつくってあります。冬場、そこに朝早くから集まって喋っています。主にホオジロです。多いときは20羽を越えます。
暖かくなり、餌場が増えてきたからでしょうか、今日あたりからは、少なくなってきました。


今回も、書こうと思いつつ、時間がとれなくて書けなかった話です。

その昔、論文のような文章を書くときは、「客観的な」表現にしなさい、とよく言われたものです。
それが学界の通例であるからか、日本語のいわゆる「論文」には、主語がはっきりしない文体が多いように思います。主語を明確に示すと、「主観」的に見えてしまう、といことのようでした。
これに対して、私は、そのやりかたは日本語の悪用だ、と常日ごろ思ってきました。

日本語では、日常、あえて主語を明示しなくても、意味が伝わります。
そういう形にならっていわゆる「論文」を書くと、文だけが一人歩きして、あたかも「真実」を語っているかのように、いわゆる客観的に、なっているかの錯覚を与える場合があるのは確かです。
だからと言って、客観的であることを「装う」ために、「主語」を不明確にする、というのに、私は疑義を感じていたのです。

私は、主語を明確にしなくても意味が伝わる日本語の様態は、大変すばらしいものと考えています。
西欧の言葉のように「分別が明解」ではなく、一見すると曖昧模糊として「ごまかしている」かのように見えますが(その意味では、「ごまかす」のには「便利」ではあります)、本当はそうではない、と思っているからです(この点については、以前、「冬とは何か」で触れました)。
第一、この「特性」なしには、短歌や俳句は生まれなかったはずです。 

西欧の言語は、たしかに「分別が明解」です。
そしておそらく、そのことが、いち早く、「部分の足し算で全体ができあがる」という近・現代の思考法・方法論を生みだした因だったのではないか、と思えます。
日本人は、多分日本語の体系で暮しているからでしょう、「本来」そういう思考法は「不得意」なのです。
そうでありながら、すでに鎌倉時代、道元は、「分別が明解」でない日本語を使う世界においてでさえ、「魚」と「水」の二項の関係は如何というような(水なしでは魚は存在し得ない、ということを忘れた)思考が現れることを戒めているのですから、このような事態は、洋の東西を問わず、言語というものの持つ「宿命」である、と言えるのかもしれません。
現に、以前紹介したように、英語圏の人のなかにも、次のように語る方が居られるのです。
   ・・・・
   すべての言語は、諸種の観念の対象が互いに入れこになっていても、
   それら観念を一列に並べてつないでゆくように要求する形式を持っている。
   これらは、実は上へ上へと重ね着する一揃いの着物を、
   物干し縄にかける場合には(一揃いとしてではなく)横へ横へと並べねばならないのと同様である。
   言語的シンボルの持つこの性質は、discursiveness として知られている。
   このために、この特殊な順序に並べ得る思想のみが曲がりなりにも語られ得るのである。
   この「投影」に適しないどのような観念も語に(よって)は表現できず、語によって伝達もできない。
   ・・・・
                    (S・Kランガー「シンボルの哲学」岩波現代叢書)。

つまり、主語を明確に示さなければ客観的文章になる、などと考えること自体、nonsense なのです。

主語すなわち「私」を強く明示したって、「客観的」に「ことに迫れる」のです。
私は、「客観(的)」とは、「主観」の「向う」に見えてくるものだ、
多くの「主観」を連ねた結果、その向うに浮び上ってくるもの、
と認識してきました。これは、今もって、変りはありません。

先験的に「客観(的)」な事実がある、そういう「事実」を探すのが「学問」だ、などというのは、
まるっきりの嘘っぱちだ、そう思ってきました(そう唱える先輩諸氏がいっぱいまわりにいたのです!)。
もっとも、そういう「思い」を押し通すことは、はなはだ難しいことではありましたが・・・。

このブログでは、ある頃から、あえて、「私はそう思います」という文言を付しています。それは、読まれる方はどう思われますか、とお訊ねしたいからなのです。
そういう「応答」の向うに「見えてくるものがあるはずだ」と思うからです。そしてそれが、それぞれの心のうちに「留まれば」いいではないか、と思うからです。

私たちは、素直に、素朴に、自分の思いを語るべきだ、と私は思っています。
ある人はそれに共感し、ある人は反発するでしょう。それで当たり前です。
しかし、その「繰り返し」の向うに、「共通する何か」が見えてくる、私はそう思っています。
私たちが「来し方」から伝承してきたもの、それは、すべて、そういうものだったのだと思います。


ここにちょっとした話題を呼んだと思われる新聞記事があります。
3月23日の毎日新聞夕刊に載った「東大話法のトリック」という特集記事です。
「思い当たる」フシがいっぱいあります。

下は、その新聞の転載。



毎日jpにも載っています。
特集ワイド「東大話法のトリック

web版は、何日か経つと消えます。
新聞記事の転載では字が小さいので、毎日jpをプリントアウトして、下記に載せます。


 

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この国を・・・・19: 場当たり

2012-03-24 17:03:53 | この国を・・・
[末尾に追記追加 25日 14.52]

時間がとれずに書けなかった「感想」を記します。

サンシュユがやっと咲きました。去年より20日は遅いようです。


どういう謂れで生まれたのか定かでない「民間の原発事故調査委員会(福島原発事故独立検証委員会:いわゆる「民間事故調)」の「報告」の内容が、2月の末に報道されました。
報告書そのものを詳しく読んだわけではありませんが、報道された内容に、気にかかった「語」がありました。
「場当たり(的)」という語です。
事故当時の政府中枢の動き方が「場当たり的」であった、という言い方で使われていました。
要は、政府中枢の危機管理の体制ができておらず、「場当たり的な動き」しかなされなかった、それは政府の採るべき姿として、もっての外、あってはならないことである、という意味の「指摘」のようでした。
しかし私は、その「指摘」に「違和感」を感じたのです。

なぜか。
その「指摘」は、原発事故の因になった地震・津波の大きさが「想定外」であった、との発言を東京電力をして言わしめた「思考」法と、まったく同じ構造である、と思ったからです。

この委員会を構成している「識者」のイメージしているのは、いかなる事態は起きても、スムーズで素早く統制のとれた危機管理の執れる体制、そういう体制がなかった、ということでしょう。
ということは、起きるであろう事態の「あらゆる姿」が読み切れていること、が前提になるはずです。
しかし、起きるであろう事態の「あらゆる姿:すべての姿:様態」を読み切れるものなのでしょうか?

私には、起きるであろう事態の「すべての姿:様態」を読み切ることは、不可能である、と思えます。

ポイントは「すべて」にあります。
当たり前ですが、世の中に「起こり得る『すべて』」が読める人はいません。

以前にも書いたと思いますが、
近代になってから、「ある望ましき状態」を予め設定し、「その実現に向ってことを進める」という「思考」が当たり前になりました。
たとえば、「耐震」の考え方などが、一番分りやすい。
起きるであろう「地震」の規模やその様態を予め設定し、それに耐えるような構造物にしよう、
それが現在「当たり前」の「設計法」:「思考法」です。
そのためには、起きるであろう「地震」の規模・様態を決めなければならない。
そこで採られた最も安易な方策が、「過去最大規模」の様態をもってそれに当てること。それを一般に「基準」と呼んでいるようです。
この「設定」では、過去最大以上の現象は、将来にわたって起き得ない、ということになっています。
その根拠は不明です。
   「根拠」として、よく「確率」が持ち出されます。
   70年に一度、100年に一度・・・の確率。
   しかし、数千年に一度の確率であろうが、それは、起きないということを意味はしていません。
   いつかは起きておかしくない。
   そんな数千年に一度のことを考えていたら、先に進めない、と「判断する」のが現在の「思考」。
   この思考法を見ていると、
   何か、損害保険を掛けてあれば事故が起きない、とでも考えているのではないか、と思えてきます。

これがいわゆる「工学的設計」です。
「工学的設計」は、それを実施するために、「目指す姿」を設定しないと考えが進められない、まさにそういう思考法です。
そこで、起きるであろう様態のいわゆる「シュミレーション」を行い、それであたかも「すべて」が分ったかのように「思い込み」(人びとに思い込ませ)、「それに見合う計画・設計」を行うことをもって、最高の「科学的方法」と考えてきたのです。
原発の設計は、その最たるものの一つです。
そのシュミレーションのパターンになかった事態、それが「想定外」なのではありませんか?
しかしそれは、想定外の事態なのではなく、計画・設計者が、自ら設定した「数字の魔術」にはまってしまったに過ぎないのではないでしょうか。
簡単に言えば「数字信仰」の落着き先。数字にならないものが見えなくなってしまっていた。 

けれども、こういう「計画・設計」法:「思考法」は、近・現代になってからの姿です。
近世までのそれは、おそらくどの地域であっても、これとは違うはずです。
それでいて、「意外と」、いかなる事態にも耐えてきた事例が多い、そのように私には思えます。
先回の「 SURROUNDINGS について」の終りに余談で記したように、縄文人の住居は、地震や津波で被災しない地域に在る例が多いのです。
また、これも何度も記してきましたが、「現在の模範的工学設計の基準には合致しない」多くの木造の建物が、大地震に耐えてきています

なぜなのか、これについても、何度も書いてきました。
一言で言えば、
これらの例は、いずれも、その場その場での、それに係わった人びとの「判断」に拠っていたからだ、と言えるでしょう。
つまり、「場当たりの判断」。
もっとはっきり言えば、人びとの「直観」による判断です。
「直観」は、人びとの「来し方の知見」で醸成されます
もちろん、その人びと自身の得た知見だけではなく、以前から伝承されてきた知見も含まれます
しかもそれは、現在の工学的知見のような、単なる「現象についてのデータ」の集積ではない
その現象の奥底に流れている、そのようなデータに結果する、「理」についての知見なのです。
この「理」を直観で会得していたのです。
自然は人智を超えるものだ、という理解もその一つ。
それを証するデータはありませんが、「来し方」の多くの経験からそう察したのです。

これは、現在、「最も嫌われる方法」です。「科学的」でないからです

しかしこれは、たしかに「科学的」ではないが、最も scientific な方法だ、そのように私は考えています。
これも、何度も触れていますが(たとえば鉄のI型梁は、「構造力学」以前の発明など)
いわゆる近・現代の「科学」も、元を質せば、この scientific な方法に端を発しているのです。
現代の教育もまた、「科学的」であろうとして、このきわめて大事な「源」のことを忘れてしまっている!・・・
   

   註 大阪では、生徒の成績の向上に努めない教師を、処分の対象とすることになったそうです。
     この場合の生徒の「成績」とは、察するところ、「科学的知識の習得の程度」のことでしょう。
     いわゆる「学力」。
     この「学力」は、「学ぶ力」ではないことは明らかです。
     必要なのは「学ぶ力」。
     それはすなわち、ものごとを「直観」で会得しようとする「力」
     私はそのように考えています。 
     かつて、私のそういう思いを後押ししてくれた言葉を、また載せます。
   
      ・・・・
      私が山と言うとき、私の言葉は、
      茨で身を切り裂き、断崖を転落し、岩にとりついて汗にぬれ、その花を摘み、
      そしてついに、絶頂の吹きさらしで息をついたおまえに対してのみ、
      山を言葉で示し得るのだ。
      言葉で示すことは把握することではない。
      ・・・・      
      ・・・・
      言葉で指し示すことを教えるよりも、
      把握することを教える方が、はるかに重要なのだ。
      ものをつかみとらえる操作のしかたを教える方が重要なのだ。
      おまえが私に示す人間が、なにを知っていようが、
      それが私にとってなんの意味があろう?それなら辞書と同様である。
      ・・・・      
                 サン・テグジュペリ「城砦」(みすず書房)より

話を元に戻しましょう。

かの「民間事故調」の「識者」たちは、
「場当たり的な対応しかできなかった体制」を論難するのではなく、
むしろ、
『適確に場当たりの判断』ができなかったこと」をこそ、問題にすべきだったのではないか、と私は思います。

そして、かの「事故調」の報告で、まったく触れられていなかったこと、そのことの方が大事だ、と私は思っています。
それは、なぜ、このような(事故を起こすような)設計が平然と為されたのか、という点についての「分析」です。
つまり、現代の「工学のありよう」についての分析
これについては、何ら触れられていないようです(東電からデータが得られないから、というのが理由らしい)。
もっとも、この「分析」は、現代「工学」と同じ思考形式では、つまり、同じ土俵の上では、行えず、当然のこととして、「識者」たちの「思考方法」の「ありよう」にも跳ね返ってくるでしょう。

   註 場当たり 「新明解国語辞典」より
     ①その場の機転でおもしろさを加え、人気を得ること。
     ②(初めから計画したのではない)その場その場での思いつきである様子。
    
     今回触れた話は、②に相当します。

     私は、住んでいる場所柄から、車を運転します。
     いつも思うのは、車の運転では、「場当たりの判断」が重要だ、ということ。
     運転していて遭遇する場面は、ある程度は「想定の内」ではありますが、
     すべてを、予め、その「想定の内」に括っておくことはできません。
     遭う数は少なくても、想定外の場面に遭うのが日常では当たり前です。
     遭遇するであろう様態をすべて、予め想像しておくことなどできないのです。
     そして、想定の内でなかったから対応できなかった、で済ますわけにもゆかないのです。
     そういう場面では「咄嗟の判断」が必要になります。すなわち「場当たりの判断」。
     それは「そのときの直観」に拠って為されます。
     そして、今日は体調がすぐれないな、などと思ったときは、
     それは、適切な「場当たりの判断」を為しにくい、ということ。
     そういう時は、運転しないか、特に注意が必要になります。

追記 [25日 14.52]
お時間があれば、2年ほど前に書いた「工か構か」という一文をお読みいただければ幸いです。

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SURROUNDINGSについて・・・・11: 自然を、不自然に 扱わない

2012-03-22 12:39:14 | surroundingsについて
ここ10日あまり、図面の喰いちがいの整理などのため、留守にしました。なんとか終り、やっと復活できるようになりました。
それにしても寒い。春は名のみ・・・を実感します。

  ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
[追記 15.05][図版一部更改 23日 14.30][末尾に関連した内容の新聞記事を転載 23日 17.44]


大分前(2008年3月6日7日)にアアルトの設計した小さな町 SAYNATSALO の役場(書物によると、civic centre と記しています)の建物を紹介しました。
   なお、aの字には上にウムラウト:¨が付きます。

そのときの図版のなかから配置計画図を再掲します。
等高線を強調しましたので、今回の図は色合いが悪くなっています。


下は、この全体の模型写真(俯瞰)です。写真の下半分あたりが上掲の図の範囲です。


   なお、今回の図版は下記によっています。
   カラー版
   “ ALVAR AALTO Between Humanism and Materialism ”( The Museum of Modern Art, New York 1998年刊)
   モノクロ版
   “ Finnish Buildings:Atelier Alvar Aalto 1950-1951”( Verlag fur Architektur・Erlenbach-Zurich 1954年刊)

SAYNATSALO は、フィンランドの中の島の一つ。第二次大戦後、その開発が行われました。この civic centre の建物は、その一環の建設です。
  
アアルトは、この計画でも、既存の土地の「形」を損なうことを避けていることがよく分ります。
図の右上、写真の中央に見える運動グラウンド状の場所は、運動施設( stadium )など公共的施設が集まる場所。
下は、そのあたりが分るスケッチ。

少し濃く描かれているのは公会堂( theatre と記してあります)のようです。
グラウンドの左側にいわば放射状に並んでいる建物の用途が何なのかは、いろいろ調べましたが分りません。
それらの建物が、等高線を斜めに横切るように建っています。
   《建物は平地・平場でなければ》信仰の浸透した現在の日本ではまず見られない建て方です。
   かつての日本の人びとには、そんな《信仰》などなく、土地の形状に対して融通無碍に対応しています。

ここで採られているのは、すでに紹介した例と同じように、土地を雛壇に加工するのではなく、建物の方を土地の形に合わせて段状にする建て方であろう、と思われます。

とにかく、この計画では、先ず一帯を平坦にしてから、などという考えは毛頭もない。

ここで為されているのは、あくまでも、大地の生み出している SURROUNDINGS に素直に応じることである、と考えてよいと思います。
端的に言えば、自然を不自然に扱わない、ということです。
原始以来、人は、いつでも、そのようにして大地の上で生きていたのです。
それを、近・現代は忘れてしまった。いわゆる「合理主義、科学主義」は、その忘却をさらに推進するだけであった、それは、決して scientific ではなかった
、私にはそう思えるのです。   

たとえば、図上で、山裾を右上がりの斜めに一直線の道があります。途中でもう1本の道を合わせ、civic centre に至り、さらに進めば、丘陵を巻いて丘上のグランドに至るのです(その道の一部が図に少し見えています)。

この直線の道は、コルビュジェや現在の建築家・都市計画家がつくる直線の道とは、まったく違います。
ここで見える直線は、その場所に人が立ったときに自ずと足が向く方向に一致しているのです。
つまり、紙の上の単なる「視覚的にカッコイイ線」ではない。
きわめて自然に足が向き、そのまま進むと civic centre に至り、そして丘の上に到達する。
   この役場の建物は、当初は一部に商店が入っていたようです。そこがいわば町の中心だった。

単なる「視覚的にカッコイイ線ではない」ことが分るのは、次のスケッチです。

このスケッチでは、この道を歩いてゆくとき、 civic centre はどのように見えてくるのがよいか、それをいろいろと考えているのです(その様子は、先の2008年3月6日の記事で紹介しています)。
そのスケッチで描かれているのは、「見えてくる建物の姿」です。これは、普通「立面」「立面図」と呼ばれています。
しかし、ここでも、アアルトと現在の建築家では、「立面(図)」に対する考え方、その意味が異なる、と言ってよいでしょう。


かなり前、ある有名建築家と一緒の設計作業にかかわったことがあります。
そのとき驚いたのは、「立面(図)に対するわだかまり、こだわり」の強さでした。そのこだわり方は、私の建物の立面というものへの理解とは、まったくかけ離れていました。
彼は、立面図の上で、例えば開口の位置を、「いいように(勝手し放題に)決めてゆく」のです。
「いいように」とは、「紙の上に描かれた立面図上のカッコヨイ位置」と言えばよいでしょう。

その建物は図書館。窓際に設ける閲覧席の窓を、上下2段に分け、エアコンの必要のない時季には、その日の様子で、上を開けるか下を開けるか随意にできるようにしよう、というのが当方の提案。
したがって、上下を分ける框は、当然座ったときの頭の位置より少し上のあたりが適当。
そうして立面に表れる横一線が、彼は気にくわなかったらしく、その位置を下げたいという。
   これは、昔の建物では、たとえば学校建築などで、ごくあたりまえに為されていた方法です。
   私の通った小学校の建物は、昭和初期の標準的仕様の校舎でしたが、その開口部は三段に分かれていました。
   机の高さ~座った時の頭高まで、そこから立ったときの頭高まで(6尺程度、いわゆる一般的内法高)、
   そしてそこから天井まで。いわゆる「欄間」です。
   「欄間」はきわめてすぐれたアイディア。
   かつての日本の住宅では、夜間、掃き出しの部分は雨戸を閉めますが、
   「欄間」は開閉できました。夏の夜、「欄間」を開けておけば、屋内は自然通気で涼しくなったのです。
   ところが、昨今の流行はシャッター。もちろん「欄間」はない。仮に「欄間」を設けても、シャッターでは無意味。
   
一時が万事、この調子で作業が進められました・・・。
これではついてゆけない、私は途中で作業チームを離れました。

そして、建物は彼の「思い」の通りできあがりました。
結果はどうだったか。
窓際の閲覧席に座ると、ちょうど目の高さに、視線を塞ぐように太い框が連なっていたのです。鬱陶しくて、そこには座りたくない・・・。


アアルトがスケッチで考えていることは、この日本の現代の建築家とはまったく違います。
アアルトは、その道を歩いている人に、建物がどのように現れてくるのが好ましいか、それを考えているのです。
その形のカッコヨサではない。立面図のカッコヨサではないのです。
そこを歩き続けることを遮ることにならないように、
あるいは、
そこへ向うことをこころよく受け留めてくれる・・・、あるいは、そこへ向う期待感が高まるように・・・、
そうなるにはどうしたらよいか、それを考える過程を示している、と言ってよいでしょう。
そこでは、決して、どうだ、カッコイイだろう、この姿は・・・、などという考えはないのです。

端的に言えば、アアルトのスケッチは、既存の SURROUNDINGS を傷めることなく、むしろそれを補完するように、あるいは、新たな SURROUNDINGS となるようにするにはどうしたらよいか、についての思考の過程を示しているのです。

そして、まとまったのが、下の図です。この図も再掲です。


civic centre の模型を俯瞰したのが次の写真です。


これらの図や写真は、たとえそれが上方から見た図や写真であっても、「目に入ってくる図柄」で判断するのは間違いです。
その「図柄」を通して、大地の上の実際の人の目線に転換する「操作」が必要なのです。
これは、たしかに面倒な作業です。
しかし、絶対に必要です。建築に係わる人のいわば「素養」です。
このことを、教育の現場で、教えてこなかったのです!


今、この図の左下側から右斜めに道を歩いてゆくとしましょう。
そのとき、 civic centre の「どこ」が見えてくるか。
見えてくるのは、当初図書館が設けられていた部分の外壁と、その向う側の一段高く、特徴のある議場の屋根のはずです。
しかも、図書館の外壁は、視線に対して斜めに対している。これが極めて重要だと私には思えます。そう見えるように配置したのです。
なぜなら、視線を「そこ」で止めないためです。視線が「道の続き」へと導かれるのです。
   視線に対して直交するように外壁が見えたら、そこで終点、先がない。
さらに、手前の図書館と、後の議会の在るブロックとの間に、「何かが在る」ことも予測できます。
その「何か」は、 civic centre への主な入口になる階段。

おそらく、この計画では、いわゆるサイン:案内標識はまったく必要ないはずです。
あるべきものがあるべき姿でそこにあるからです。
人が SURROUNDINGS にどのように対するものなのか、その対し方の「常識」を「ないがしろ」にするような作為をアアルトは採っていないからなのです。

   補注[追記 15.05]
    civic centre の手前でV字型に合う2本の道(多分車も通れる道)の間に、
   細い道が何本も描かれています。歩道でしょう。
   試みに、この道を、等高線との関係を見ながら、紙の上でたどってみると、
   そのどれもがごく自然な、多分そういう風に歩くだろうな、と思える経路になっていることが分ります。
   山に入って新たな道を切り開くとき、こういう形になります。人のつくる「けものみち」です。
   つまり、単にカッコヨク線を描いているのではないのです。
   こういう道は、アアルトのどの設計にも見られます。
   そしてそれはすなわち、日本の建物づくりの露地のつくり方に他ならないのです。
   人は、道をどのようにつくるものか、分っているのです。
   
私がアアルト(の設計法)にのめりこんだのは、この「姿勢」が、私に共感できたからです。納得がいったからです。
そして、日本の近世までの建物づくりの考えかた、 SURROUNDINGS への対し方と通じることがある、と思えたからです。

そのあたりについて私が考えてきたことを簡単にまとめたのが、「建物をつくるとはどういうことか」のシリーズです(特にその2をお読みいただければ幸いです)。
そこで、建物の「立面」、あるいは「壁面」とは何か、おおよそのことを書いたつもりです。
   註 「建物をつくるとはどういうことか」のシリーズ全編は、下記の末尾にまとめてあります。
     そこから各回へアクセスできます。
     「建物をつくるとはどういうことか-16

つまるところ、私にとって「立面(図)」は、「結果」に過ぎない、ということになるでしょう。
立面図を初めに描くことはないのです。
つまり、建物の立面(図)とは、「そこ」につくろうとした新たな SURROUNDINGS の「境」を成す「もの」の「結果としての形」である、ということです。
したがって、私の場合、設計図としての「立面図」は、最後に手がける「図」になります。
描かれた「立面図」を見て、私が「そこ」につくろうとした SURROUNDINGS の一環になっているとき、自身も納得がゆくし、
納得できないときには、どこかに「間違い」があるときだ、
それがこれまでの経験で得た「事実」です。
そして、「納得のゆく結果」になるようにする、これが未だに難しい・・・。
   註 私が最初に描く図は「断面」です。先ず、それを頭に入れることから、たいていの場合始めます。


余談
昨今の報道によれば、今度の震災を機に、高台へ移転しようとしたところ、高台の山林には、多数の縄文期の住居址が在り、簡単に移り住めない(先ず発掘調査が必要)ことが分ったそうです。
縄文人は、自然を不自然に扱ってはならないこと、そして、人が SURROUNDINGS にどのように対するものなのか、それについて熟知していたのでしょう。
だから高台に暮しの基点を設けたのです。住まいの「必要条件」「十分条件」を会得していたのです。
現代人と縄文人、どちらが scientific であるか、と思わずにはいられない逸話です。


関連した内容の新聞記事を転載します。


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この国を・・・・18:変った?

2012-03-11 11:02:18 | この国を・・・
[追加 12日 15.13]

先週の半ば、打合せで山梨へ行ってきました。
平均して2ヶ月に一度程度行っているのですが、最近、感じることがあります。
それは、都会が(この場合は新宿あたりですが)またもや「明るくなった」ことです。

昨年の4月、電車内はもとより、駅構内も明りが減っていました。例の「節電」のためです。
しかし、暗くて困る、などということは感じた記憶はありません。それで十分用は足りていたのです。
その後、今回も含め6回東京を通過したことになりますが、いつの間にか、明るさが戻ってしまっていたのです。

電気が足りない、だから原発再稼動、と言いたいからでしょうか?

そんななか、今日の東京新聞の社説(東京webで読みました)は、またまた明快な見解を述べています。

私たちは変ったか

12日の社説も読ませます。[12日 15.13 追加]
持続可能という豊かさ

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この国を・・・・17:《識者の感覚》

2012-03-09 17:16:02 | この国を・・・
[追加 10日 1.28][追加 10日 9.47][引用部追加 10日 18.18]

数日前の毎日新聞夕刊で見つけた「たとえ話」を抜粋して載せます(3月7日付)。

放射性物質の健康への影響についての「学者・有識者・専門家」諸氏の発言(ex 直ちには危険はない、この程度は安全だ・・・)の「おかしさ」を、分りやすく例えています。

   記事全体は、原子力推進で突っ走ってきた《東大の原子力ムラ》に対して、
   学内でまったく批判がないわけではない、しかし、一層の変革が望まれる、という内容。

・・・・
放射線がどのくらい健康に影響があるかよく分からない。
だからできるだけ慎重に安全な態勢をとったほうがいい。
ただ安全な対策をとろうとすると、経済に悪影響を与えるリスクもある。
結局よく分からないグレーゾーンをどうみていくか。
健康に影響はないことを強調すれば現状のような対策になっていく。
私たちは健康に影響することもありうると考えたうえで議論をすべきだと考えます。[追加]

放射線の健康影響などでは権威あるとされる学会や専門家たちが、
自説をうまく説明できず信頼を失った。
学問と政治、経済が結びついて真実がゆがめられる。
市民はそのことに気づいているが、大学や大手マスコミは組織や権威に縛られていて、なかなか気がつかない
・・・・
との一文に続きます。
その後半部分を文章だけ転載・編集したのが下です。
赤枠の中が、分りやすいたとえ。言い得て妙!


   なお、記事の全体は、毎日jp で読めます。
   今こそ変わるとき・・・東大

こんな記事もありました。
東京新聞の「筆洗」。[追加 10日 1.28]

最新の東京新聞社説も紹介します。[10日 9.47 追加]
3.11から1年:被災地に自治を学ぶ

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SURROUNDINGSについて・・・・10: SURROUNDINGS を念頭に置くと

2012-03-07 18:12:21 | surroundingsについて
ここ3週間ほど、見積書の作成のため、ブログの方がお留守になってしまいました。ようやくまとまりましたので、あらためて始めます。

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先回は、近・現代になってから、
街や住宅地の計画が、俯瞰して見える(机上の紙の上の)「形」の「追及」に終始するようになってしまった、人の生きている大地は、建築家の単なるキャンバスにすぎなくなってしまった、
その「動向」には、多分にコルビュジェの放った多くの「計画(案)」が大きな影響を与えているのではないか、と書きました。
そしてまた、
そういう「計画」が広く「流布」してしまった因は、
その「方法」の方が、従来あたりまえであった方法よりも、格段に容易、楽だったからではないか、と書きました。

従来の方法とは、「人の住まいの原理」に根ざす方法です。
あたりまえですが、この方法による計画は、その地の SURROUNDINGS によって大きく異なります
簡単に言えば、山地と平地では異なってあたりまえ、樹林の多い地域と樹林の少ない地域では異なってあたりまえ・・・、ということです。
つまり、一律に律することはできない、あり得ない、ということです。
ところが、近・現代の街や住宅地の計画の「考え方」では、このきわめて単純な「事実」、SURROUNDINGS は場所ごとに異なるという「事実」、が念頭から消え去ってしまった。
一律に、画一(の規格)によって律することこそ「《近代的、合理的》な考え方だ」という方向に突っ走ってきたのです。
その方が楽だからです。管理しやすいからです。
   
このことについては、下記で書いています。   
   「分解すればものごとが分るのか・・・・中国西域の住居から
   「日本の建築技術の展開-1・・・・建物の原型は住まい

その結果、今や、街や住宅地の計画は平地でなければできない、という神話に近い考え方があたりまえになっています。
震災の復旧でも、平地が少ないから難しい、切土・盛土をしなければならない・・・、という「論」が、大勢を占めているようです。
目の前で、盛土や埋立てで大きな被害が生じたのを見ているにもかかわらず・・・・です。いったい何を見ているのか。
   これについては下記で書きました。
   「建物は、平地・平場でなければ建てられないか?

さて、コルビュジェが巨大なキャンバスへのお絵描きに夢中になっていたのとほぼ同じ頃に計画され完成した SURROUNDINGS を第一義に考えた街、つまり、そこで暮す人びとの立場で考えた街:住宅地の計画があります。
アアルトが1935~37年に設計し、1936~39年に建設されたフィンランドの町です。
それは、フィンランド南部、フィンランド湾に面する港町コトカ(Kotka)に近い小島に計画された CELLULOSE COMBINE の工場(セルローズ組合立のパルプ工場?)と、そこで働く人びとの暮す住宅地の計画です。
冒頭の写真は、その計画の全体模型です。
   今回の図版は、“ ALVAR AALTO Ⅰ”(Les Editions d'Architecture Artemis Zurich 刊)からの転載です。

全体の配置図が下図です。
工場は、水路を挟んだ独立した小島につくられ、大きい方の島全体が住宅地。

特に、住宅地の建物と等高線との関係に注目してください。
等高線の「流れ」に無理がないことが分ります。
つまり、元来の地形のまま、大地に大きな手を加えていない、ということです。


おそらく、今の日本なら、高低差が少ない、だから平らに均すのは簡単だ、と考えるのではないでしょうか。あの起伏の多い多摩丘陵でさえ、山林をなぎ倒し、平らに均すことに精を出したのです。

この配置図を一見すると、どの建物も同じ形をしている、と思われるかもしれません。日本のいわゆる住宅団地を見慣れた目からすると、そう見えてもおかしくありません。
しかし、そうではないのです。
図の下側に、住宅地と工場を結ぶ道が通っています。ここで暮す人びとは、日常的にこの道を使うものと思います。
工場からそれぞれの住宅へ帰るときを想像してみてください。
あたかも、そこへ帰る人を迎える如く人びとを囲むように建物群が並んでいます。
いくつもの建物が、一つの囲みをつくる、そのように建物の角度を微妙に変えて配置しているのです。

しかも、そのとき見えてくる建物群は、日本の住宅団地で見える姿と同じではありません。
同じものを並べているのではなく、一棟ごと、綿密に考えられているのです。
それは、ちょうど、かつての日本の街まちの景色と同じく、建物群は、まわりに無理なくおさまっています。

それを順に見てゆきます。
ただ、それぞれが、配置図のどこにあるのかは、残念ながら分りません。
なお、説明文が見えないと思いますので、図版の下に、原文をそのまま引き写します。


   Workers' row housing,without balconies


 上 Houses for employers
   Three houses comprise one unit for the central heating and hoto-water plant
 下 Housing with balconies which were, however, too small and hardly usable 



   Housing with lager and more useful balconies 

次は、2ページ分、同じ建物図と写真です。

最初は平面図と外観全景。

   Workers'and employees'row houses
   Row houses:every unit contains three apartments and,
   due to the sloping site, some of the entrances could be reached without stirways
次は、この住宅の断面図と近景

断面図で分るように、1階は背後が地面に埋っています。つまり、斜面を整形していない。
この方法を更に徹底したのが、「建物は平地・平場でなければ建てられないか」の最後で紹介した事例です。
こういう建て方は、平らにして建てるよりも、当然、工事にあたり、かなりの気配りを要します。簡単に言えば手間がかかる。
しかし、そこで要する「手間」は、「結果」に十分に反映してくるのです。
たとえば、盛土した部分が沈下したり、切土した箇所で崩落が起きる、などということが起きにくいのです。
なぜなら、そこに在った元々の地形というのは、長年の自然の営みが結果した「安定した」形状だからです。
もちろん、あたりの SURROUNDINGS も維持される

最後は、2階建てで、それぞれが「壁で囲まれた庭( walled-in garden )」を持つ住宅。

   Row houses for supervisory personnel;entrance side
その庭側の外観が次の写真です。


この住宅地は、配置図で分るように、建物の棟数も少なく、決して大きな住宅地ではありません。
この程度の大きさならば、日本のいわゆる住宅団地では、おそらく同じタイプの建物が並ぶはずです。
そして、そこで考えられる建物の「並べ方の論理」も、いわゆる「隣棟間隔」「日照条件」などだけのはずです。

しかし、このフィンランドの住宅地の「並べ方の論理」は、まったく違います。
場所場所の SURROUNDINGS に応じてそこに在るべき建物を考えているのです。それゆえに、建物の「形」も多様になる。
ここでは、建物:住宅の「型:タイプ」が先験的に決まっていないのです。
部分を足し算すれば全体ができる、などという考え方?ではないのです。

私が学生の頃、ちょうど住宅公団のいわゆる「団地」が各地につくられていました。
そのときの設計法は、いくつかの「標準型」を決め、それをいわば適宜に並べる、というものでした。住戸の形:型先にありき、という設計法。
アアルトの採った方法は、まったくそれとは相容れない。
その意味では、《非近・現代的》なのです。
しかし、写真を見て分りますが、その SURROUNDINGS の豊かなこと!

SURROUNDINGS に応じて人の暮す空間をつくることは、これは何度も書いてきましたが、日本の建物づくりの真骨頂であったはずです。
その「考え方」を、何処に置き忘れてきてしまったのでしょうか。


もう少しアアルトの設計事例を見て、そのあとに、かつての日本の事例を見る予定にしています。
     
 

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