この国を・・・・25:誰が決める?

2012-05-30 18:17:40 | この国を・・・
数日前から、ホトトギスが啼きながら飛んでいます。卯の花の季節。



[追記 31日 8.55][末尾に、NHKスペシャル「原発の安全とは何か」の内容を、NHKオンラインから転載しました 3日 17.39]

咽喉もと過ぎれば熱さを忘れ・・・・・、
産業の空洞化を避けるために・・、原発稼動を願望する見解が増えているように思えます。
そして、その「実現」のために、電気がなければ、この夏の暑さを乗り切ることができないぞ、という脅迫めいた「見解」をメディアでしばしば見受けます。

簡単に言えば、大地の上に人の住めない地域:「空洞」ができてもいいから、《経済》を繁栄させたいというのでしょう。
人が居ないのに、《経済》だけは活況を呈する・・・、どうしたらそんな不気味な姿を思い描けるのか、《経済人》や《有識者》たちの頭の中を見てみたいものです。
   原子力委員会なるものの程度のヒドサについて、ここ数日の毎日新聞が鋭く切り込んでいます。

   追記 [31日 8.55]
   たまたま深夜に見たNHKスペシャル「原発の安全とは何か」で、
   欧米と日本では、「科学」に対する「認識・理解」が、
   まったく異なることを報じていました。
   欧米では、原発が潜在的にもつ危険性を scientific に検証するのが「科学」、
   日本では、稼動を正当化する理屈をつくりだすのに使うのが「科学」。
   どう見ても、日本のそれは scientific ではありませんでした。
   たとえばスイス。福島の事故後2ヶ月で、各原発にストレステストを課し、その結果に拠って、
   12月には政府は脱原発の決定をしている。
   日本では、EUのストレステストには存在しない「段階」を勝手に設け(第一次ストレステスト)、
   それを経れば稼動OKとした。そしてその後、第二次テストの話を聞いたことがありません。
   そこでも「科学」が稼動の正当化のためにだけ使われたのです。
   これはどう考えたって SCIENCE ではない。
   こういうのに係わるのは scientist ではなく「利系」の人たち。
   
   そして今朝、総理が「自らの責任」で稼動を決定する、という報道。
   万一、再び人の住めない大地が生じたとき、いったい、その「責任」をどういう形でとるのか?
   私には理解不能。  

ご存知かと思いますが、『みんなで決めよう「原発」:国民投票』という運動が行なわれています。
要するに、政治家が稼動の判断をする(それを政治的判断というのだそうですが)と言っていますが、政治家が本当に国民を代表しているとは言い難い今、そんなことを任せるわけにはゆかない、「国民投票」で決めようよ、という運動です。
  イタリアでは昨年の国民投票で、原発廃止が決まったはずです。
  ドイツでは、政治が進んで原発廃止を決めた。
  日本は・・・・。アメリカがやらないからダメなのかなァ?

詳細は、下記で。
国民投票

東京新聞に、この運動を「激励する」社説がありました。以下に転載させていただきます。
読みやすいように、段落を変えてあります。

  ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

原発住民投票 今こそ民意問うときだ 2012年5月11日

原発を動かすべきか否か。
東京都民の意思表示の機会を求め、市民団体が石原慎太郎知事に住民投票の条例づくりを請求した。
原発ゼロの地平に立ち、草の根の本音をじかに確かめる意味は大きい。
   註 東京都知事は、「反対」の意見を付して議会にまわした、とのことです。
      大阪でも行なわれましたが、「民意」を重視するはずの「知事」「市長」は、「反対」の意見を付しています。
市民団体「みんなで決めよう『原発』国民投票」は地方自治法に基づき、
有権者の2%を超す三十二万三千人分余りの有効署名を添えて直接請求した。

石原氏は、市民団体がつくった条例案に賛否の意見をつけて議会に出す。条例ができれば住民投票が実現する。
議会は直接民主制の重みを十分にくみ取り、成立を期してほしい。

問われるのは、都内に本店を構える東京電力の原発運転を認めるかどうかだ。
福島第一原発の事故を引き起こした当事者である。

原発の放射能禍は恐ろしい。多くの国民の命や暮らし、国土さえ奪い去る。
発電に使った核燃料のごみは手つかずのまま増える一方だ。
将来の世代につけを回す負の遺産はあまりにも大きい。

こんな厄介な原発の取り扱いが国と電力会社、立地先自治体のみのさじ加減に委ねられている。
国民を欺いてきた安全神話は崩壊したが、閉鎖的な仕組みは相変わらず温存されている。

東電の再建に向けた総合特別事業計画には、
新潟県にある柏崎刈羽原発を二〇一三年度に再稼働させる方針が盛り込まれている。
国はゴーサインを出した。またも国民は蚊帳の外に置かれた。

原子力政策は国家の命運を左右する。原発事故でそれがはっきりした。
市民団体が求める住民投票は、いわば“原子力ムラ”が独占している政策を国民の手に取り戻そうとする試みでもある。

首都東京は、福島県や新潟県などの地方に原発を押しつけ、その電力を大量に消費して繁栄を築いてきた。
東京都は東電の大株主でもある。もはや都民は原発に対して無関心でいてはいけない。

住民投票が実現すれば、一人ひとりが問題意識をしっかりと持ち、意思を示す。
その代わり結果について責任を負う覚悟が求められる。法的拘束力はないが、歴史を見れば民意は重い。

福井県にある関西電力大飯原発の再稼働に対し、大阪府や京都府、滋賀県などの関西の周辺自治体は慎重な姿勢だ。
だが、政治的駆け引きで原発の取り扱いが決まらないかと不安の声も出ている。

地域ごとに住民の思いを真摯(しんし)にすくい取る努力が大切だ。住民投票の機会を全国各地に広げたい。

  ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

この社説の10日ほど前の同紙の社説も転載します。

週のはじめに考える それでも原子力か 2012年4月30日

どうしても原子力か、という問いがかつて発せられていました。
ある物理学者の問いです。今もなお、それでも原子力か、とやはり問わねばなりません。

手元に一冊の本がある。

武谷三男(たけたにみつお)編「原子力発電」(岩波新書)で、一九七六(昭和五十一)年第一刷発行。
日本の商業用原子炉が本格稼働し始めたころで、経済的な軽水炉時代の幕開けといわれたものです。

編者の武谷は福岡県出身、京大物理学科卒の一物理学者です。
素粒子モデルで世界的に知られる坂田昌一らと研究し、それと同時にビキニ水爆死の灰事件や原子力について発言してきました。

◆物理学者武谷の警告
本を開くと、被爆国日本の物理学者が研究に誇りをもちつつも、いかに悩んできたのかがわかります。
武谷は広島で被爆者への聞き取りを重ねています。科学の現実を知ろうとする学者なのです。

本は原子炉の仕組みに始まり、続けて、その無数の配管が高温高圧の蒸気に耐えられず肉厚が薄くなることや、腐食、疲労の危険性を指摘します。

人間のミスも取り上げている。例えば試運転中の玄海原発1号機で放射能レベルが上がった。調べたら、炉内に鋼鉄製巻き尺の置き忘れがあり、それが蒸気発生器の細管を傷付けていた。
だがそれはむしろ幸運な方で、もし炉心側に飛び込んでいたら大事故になっただろう、と述べている。

人間の不注意を責めているのではありません。
原発ではささいなミスがとんでもない惨事に結びつきかねないと言っているのです。

原発の立地集中化についても当時から心配していました。
日本では人口密度が高く適地がなかなか見つからない。
とはいえ、日本ほどの集中例は少なく、地域住民にとってこれほどひどいことはない、とも述べています。

◆昔も今も変わらない
さらに大物の学者が原子力推進計画に乗って、政府から多額の研究費を得ようとしたという、学者の弱みも明かしています。

四十年近くも前の、今と何と似ていることでしょう。何だ変わっていないじゃないかというのが大方の実感ではないでしょうか。

それらを列挙したうえで、武谷は「どうしても原子力か」という力を込めた問いを発しています。

彼はノーベル賞物理学者朝永振一郎らとともに、公開・民主・自主の三原則を原発の条件としています。
公開とは地元住民らによく分かる説明をすること。民主とは原発に懐疑的な学者を審査に参加させること。
自主はアメリカ主導でなく日本の自主開発であることです。
それらの不十分さは福島の事故前はもちろん、事故後の今ですらそう思わざるをえないことが残念ながら多いのです。

加えて今は地震の知見が増えました。危険性は明らかです。

本は二十刷をこえています。しずかに、しかしよく読み継がれてきたというところでしょうか。

ではその長い年月の間、日本はどう変わってきたのか。
世界を驚かせるほどの経済成長を遂げたけれど、中身はどうだったか。

欧州では、持続可能性という新しい概念が提出されました。
資源と消費の均衡、また環境という新しい価値に目を向けたのです。
大きな工場は暮らしを豊かにしたけれど、排出する汚染物質は酸性雨となり、森を枯らし、川の魚を死なせたのです。

放射能の恐怖もありました。東西冷戦で核搭載型ミサイルが配備され、チェルノブイリ原発のちりは現実に降ってきたのです。

欧州人同様、私たち日本人ももちろん考えてきました。

水俣病をはじめとする公害は国民的自省を求めました。
しかし原子力について、私たちは過去あまりにも楽観的で(欧州もまた同様でしたが)警戒心を欠いてきました。
放射能汚染はただの公害ではなくて大地を死なせ、人には長い健康不安を与えるのです。

原子力の研究はもちろん必要です。医療やアイソトープ、核物質の扱い方は核廃棄物処理でも必要な知識です。
その半面、核物質が大量に放出されれば、人類を永続的に脅かすのです。

◆核を制御できるのか
だからこそ「どうしても原子力か」という問いの重さを考え直したいのです。
物理学者らには原爆をつくってしまったという倫理的罪悪感があるでしょう。
人類が果たして核をよく統御、制御できるのかという問いもあります。

被爆国であり技術立国である日本は、その問いにしっかりと答えるべきです。大きく言えば人類の未来にかかわることなのです。
新エネルギー開発や暮らしの見直しは、実は歴史を書き換えるような大事業なのです。そういう重大な岐路に私たちはいるのです。

  ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

NHKスペシャルの内容です(NHKオンラインからコピー)。

シリーズ東日本大震災
原発の安全とは何か ~模索する世界と日本~

2012年5月19日(土)
午後9時30分~10時19分総合

災害

日本だけでなく、世界にも大きな衝撃を与えた東京電力・福島第一原発事故。原発を持つ国々では、現在も、原発の安全性をどう確保するか、事故からどんな教訓をくみ取るべきなのか、詳細な分析が行われ、議論が交わされている。
アメリカでは、NRC(原子力規制委員会)が事故を徹底分析し、「米国でも起きうるか?」を検証。政府が「原発推進」を掲げる中、今も、安全対策・規制を巡って激しい議論を戦わせている。
一方、EU各国も緊急の“シビアアクシデント対策”に乗り出している。
スイスは「フクシマの教訓」というリポートをいち早く公表し、事故から1年も経たない内に数々の“安全対策”を実行している。
事故が起きた日本では、原子力安全・保安院が、福島の教訓をまとめた新たな“30項目の対策”を公表する一方で、その一部を新たな安全基準と定め、安全性を審査し、原発の運転再開を目指している。
福島第一原発事故を世界はどう受け止めたのか。日本はどうなのか。世界の最新動向を伝えると共に日本の進むべき道を探る。

[以下は担当の記者の感想です]同じくNHKオンラインから

私はNHKで原子力分野を担当する科学文化部の記者の一人として、原発の取材に取り組んできましたが、福島第一原発の事故は私にとっても「原発に100%の安全はない」という事実を突きつけ、それまで「安全」対策や「安全」規制などと日常的に使っていた「安全」という言葉の意味を改めて考える重大な契機になりました。
何をもって「安全」とするかは国の事情によっても異なります。
番組で取材したアメリカでは、情報公開によって原発のリスクを共有することで、国が考える「安全」に社会的な合意を得ようとしていました。
一方スイスでは、経済性を度外視した安全対策を重ねてリスクをゼロに近づけようと努力を続けていますが、それでも脱原発を決めました。
では、日本にとって原発の安全とは何か。番組スタッフの間でも繰り返し議論をしましたが、さまざまな考えがあり、ひとつにはまとまっていません。
ただ私は、今回の取材を通じて、安全かどうかを決めるのは専門家ではなく、社会が原発を受け入れるかどうかで決まるのではないかと考えています。
放送後の反響もさまざまで、日本の社会が原発を受け入れるかどうかは非常に難しい問題になっていると感じます。
私はこれからも原発の安全とは何かを問い続けていく考えです。

記者 大崎要一郎

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「日本家屋構造」の紹介-6・・・・柱杖・尺杖:矩計(かな ばかり)

2012-05-26 11:51:01 | 「日本家屋構造」の紹介
 
[文言追補 15.35][表の欠落を復旧しました 27日 7.00]

今回は、「家屋各部乃名称 第三 柱杖及各部の合印 第十七図」。

注解では、字句の「読み」と、その語についての「日本建築辞彙(新訂)」の解説を転載します([  ]で囲います)。
さらに補注として、別途解説をつけます(その文責は筆者にあります)。

はじめに当該個所。大きい版にしてあります。

内容を現代語で要約すると、次のようになります。

標題「柱杖及各部の合印 はしらづえ および かくぶの あいじるし」
              「合印 あい じるし 「二枚の布を縫い合わせるために付ける目印」(新明解国語辞典)、
              要は「目印」「記号・符号」。

「柱杖(はしら づえ)」とは、一寸~一寸四・五分角ほどの角材に、各「仕口(し くち)」の位置、
各部の高さを記した棒のこと。「間竿」とも言う。「建地割(たて ぢ わり)」あるいは「矩計(かな ばかり)」とも呼ぶ。
角材の一面には、建てる建物の各部の高さを、他の面には縁側や便所などの高さを原寸で記入してある。
記入には「符号」が用いられ、一例が左表(上の表)である。

  注 柱杖 はしら づえ [尺杖(しゃく づえ)に・・・建物中の各部の位置を盛り付けたるもの。
                間竿、間棹(けん ざお)」に同じ。]
    尺杖 しゃく づえ [木製の方形なる棹(さお)に目盛したるものにて、長さは六尺より四間位まであり。
               それに一尺ごとに目盛をなし、距離を測るに用う。]

    「矩計」の意味は、「縦方向の『矩』」を示す「物差し」。
      下の注(再掲)参照
       規矩準縄 き く じゅん じょう
       規:ぶんまわし、円形を描くための道具=コンパス。
       矩:差金、指金(さしがね)。直角(L形)状につくった物差し(物指し)。
          曲尺・曲金:まがりがね とも呼ぶ。
       準:水盛り(みず もり)。水平を調べる道具、水準器。水計り(みず ばかり)とも呼んだ。
       縄:墨縄(すみ なわ)、墨糸(すみ いと)。直線を印すために用いる糸。
          水平を見るときに張る糸は「水糸(みず いと)」。

       「縄」が、「基準」:規範、法則の語源。
     
  次に続く「建地割りのことは既に製図編・・・」については、今回は触れません。

以下の説明のために、先に掲げた軸部を囲った断面図を再掲します。


「建物の総高さ」は、「土台の下端~軒桁上端:峠までの高さ」をいう。
  注 「惣」:「(そう)」の俗形の「揔」を誤まって伝えた字。
     「(そう)」は「總(そう)」=「総」の別体(「新漢和大辞典」による)。
  注 「峠」 とうげ [最高点をいう。「桁の峠」「迫持の峠」など。]

  補注
    現在では、「土台の上端」~「横材の上端・天端」を指示するのが一般的と思われます。
    また、ここでいう「総高さ」は、木工事を進めるために設定する寸法です。
    法令が、申請書類へ記入を規定している高さなど各種の寸法は、
    工事を行なう場面を考慮していません。
    法令規定の寸法だけを記入した図面は、現場で工事用に計算しなおしているのが現状です。
    設計図には、工事を進めるために必要な寸法を記入しなければなりません。
       つまり、法令が望む寸法を記入した確認申請用の図面は、設計図にはなりません

「床板」は桁行の「地貫」上端に載せ掛け、その上に「敷居」を取付ける。

  注 これは一方法にすぎません。
    また、この手法を採るためには、厚い貫が必要です(後注参照)。
  補注
    明治期には、現在のような立上がりを設ける「布基礎」はありません。
    床を高い位置に設けるためには、「大引」を据え「根太」を掛ける方法が一般的で、
    「根太」の端部を掛けるためには柱列に添い「根太掛け」を設けるか、
    「足固め」を設ける場合は、上図のように「足固め」に「根太」型を彫って、掛けるのが一般的です。

    参考 布基礎が生まれた経緯について、下記で触れています。
    「在来工法はなぜ生まれたか-3
    「在来工法はなぜ生まれたか-3の補足

「敷居」の丈:高さ=厚さは畳の厚さとし、その上端から、所定の「内法高さ」を計って「鴨居」の位置を決める。
「内法貫」は、「鴨居」の上端より五分(約15mm)くらいの空きをとり差し、「地貫」との間に「胴貫」を二通り差す。
「天井貫」は、「回り縁」の上端に揃えて差し、その上部に多少の空きをとった位置を「軒桁」の位置とする。
これらの位置と寸法を、「柱杖」に、図のような符号で記す。
「尺杖」には、三尺、六尺ごとに目盛を記す(目盛の符号は省略)。
  注 上の図には「天井貫」は記入されていません。

  補注1 
    「尺杖」は「指金」では計れない寸法を測るために作成する道具です。
    「柱杖」「尺杖」は、木材の加工に使った後、建て方の現場で使用します。
    「尺杖」は、常備されている場合もありますが、「柱杖」は、建物ごとにつくられます。

    なお、「日本家屋構造」には、各種部材の寸法は示されていません。

  補注2
    「日本家屋構造」の家屋の事例は、主に、近世の武家の住宅が下地になっている、と考えられます。
    近世の武家住宅のモデルは、いわゆる「書院造(しょいん づくり)」と言ってよいでしょう。
    「書院造」の「矩計」や柱間隔や部材の寸法などの「規範」は、「匠明」の記述にあるとされています。
    「匠明(しょう めい)」については、下図中に簡単な説明があります。   
    「匠明」の記述を図にしたのが下図です。

    「内法高さ」の測り方が、「日本家屋構造」の測り方とは異なりますので注意してください。[追記]
    
    一方、現存する「書院造」の「矩計」から、諸寸法をまとめたのが次表です。
    [以下追補 15.35]
    いわゆる「書院造」の部材寸法は、次表のように、決して大きなものではありません(一般の住居も同じです)。
    また、これらの事例で使われている「貫」の寸法(柱径に対する比率)は、
    「貫」工法で使われる「貫」の標準的な数値である、と考えてよいでしょう。
    明治期の一般的な家屋の部材寸法は、下表の「修学院・中御茶屋」程度であった、と思われます。
    柱寸法が3寸5分角(約10.5cm)以下になったのは、第二次大戦後の現象です。
      この点について、建築史家・桐敷真次郎氏が「耐久建築論」で詳しく触れています。
    なお、数値は「仕上り」の状態の寸法を示しています。(追記 27日 7.00)

    この表で分るように、「匠明」が示している諸寸法は、実際の「書院造」の諸寸法と、
    数値が大きくかけ離れています。
    それゆえ、「匠明」が「規範」であった、と考えるには無理があるように思います。
       なお、この図・表は、講習会用に筆者が作成した*ものですので、文責は筆者にあります。
       *「伝統を語る前に・・知っておきたい日本の木造建築工法の展開」テキスト
    参考として、「書院造」の代表とされる「園城寺 光浄院・客殿」の矩計の実測図を載せます。
    この図は「日本建築史基礎資料集成 十六 書院造Ⅰ」所載の図を編集したもので、同講習会資料の一です。

 
  注 建物名の読みと本ブログ内での関連記事を載せます。
   東福寺龍吟庵方丈(とうふくじ りょうぎんあん ほうじょう)
   慈照寺東求堂(じしょうじ とうぐどう)
   大徳寺大仙院本堂(だいときじ だいせんいん ほんどう)
   園城寺光浄院客殿(おんじょうじ こうじょういん きゃくでん)
     今回の内容と重複します
   同 勧学院客殿(かんがくいん きゃくでん)
   修学院中御茶屋客殿(しゅがくいん なかのちゃや きゃくでん)

次回は「継手」の解説の項に入ります。
コメント (1)
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「日本家屋構造」の紹介-5・・・・家屋各部の名称・その3

2012-05-21 10:28:20 | 「日本家屋構造」の紹介
  

今回は、はじめに、「家屋各部乃名称 第一 第十五図」の字句注解の残り、「造作まわり」の用語(下図の○を付けた用語)について。
字句注解では、「読み」のあとに、「日本建築辞彙(新訂)」の解説を転載します([  ]で囲います)。
さらに補注として、別途解説をつけます(その文責は筆者にあります)。



用語を図の下方から順に見てゆきます(横書きの文字は、右から左へ読んでください)。

(トカ) 床框 とこがまち [床前(とこまえ)にある化粧木にして、床板または床畳の端を隠すために用う。
                床縁(とこふち)と称する人あり。]
(トハ) 床柱 とこばしら [床脇の化粧柱。・・・]
(ヂブ) 地袋 ぢぶくろ [床脇の棚下にある小さき戸棚。]
(チ) 違(い)棚 ちがいだな [二つの棚板ありて左右段違いなるものなり。]
(ヱビ) 海老束 えびつか [違棚の両棚板の間にある小束。「雛束(ひなづか)」とも名付く。]
               注 「蝦」の字を書く場合もあります。語源は不明。
(フデ) 筆返し ふでかえし [違棚または短き袋棚に付したる、湾曲状の縁木。]
               注 字の如く、棚上に置いた筆などが落ちるのを防ぐためのもの、の意でしょう。
(フ) 袋戸棚 ふくろとだな [床脇の上方なる小戸棚。]
               注 「天袋(てんぶくろ)」と呼ぶこともあります。
(オ) 落し掛 おとしがけ [床の間または書院窓の上方に架したる横木。その上に額または飾を装置することあり。
               これ一種の楣(まぐさ)なりとす。]
               注 「楣(まぐさ)」:窓、入口などの上なる横木。(「日本建築辞彙(新訂)」
                         :①のき、ひさし。②はり、門の横ばり、まぐさ。(「字通」)
(ナ) 長押 なげし [柱面へ取付けたる、長き横木をいう。・・・]         
(コ) 小壁 こかべ [幅狭き壁。内法長押の上の壁、・・・。]
               注 一般に、全面にわたらない壁。
                  たとえば、柱と窓枠の間の縦方向の壁も小壁。
(マ) 廻り縁 まわりぶち [天井と壁との交る所に、取付けたる長き木。]
               注 現在は、回縁と記すのが普通かもしれません。
(カイ) 鴨居 かもい [引戸または引違い障子などの上にある溝付きの横木。
             鴨柄(かもえ)ともいう。「かも」は上なる故、上枝の意ならんか。
             然るに敷居に因みて鴨居となりたるならんか。]
(シ)  敷居 しきい [引戸、引障子などの通る道に用うる横木にして、下方にあるものなり。
             「しきみ」の転訛なりと「言海」にあり。天平宝字六年の古文書には「敷見」と記しあり。]
               注 「言海」:明治に編まれた国語辞書。
                「日本建築辞彙」の解説
                 「しきみ」:閾
                 (一)門柱の間に、横たわれる木をいう。その取り外し得るものを蹴放(けはなし)と称す。
                 (二)また出入口下の沓摺(くつずり)をもいう。・・・
                「字通」による「閾」の語義
                 閾(音はヨク しきみ)
                 声符は「或(よく)」。「或」にものを区画し、限定する意がある。・・・
                 「論語」に「行くに閾を履まず(ふまず)」とあり、閾をふむことは失礼の行為とされた。
                 「名義抄」:トジキミ・シキミ
                 「字鏡」:シキヰ・トジキミ・シキミ・ヒラク・イタジキ
                  注 音をイキとする漢和辞典もあります。
(ツ) 付鴨居 つけかもい [塗壁面(つら)に取付けある化粧鴨居。]
(ムメ) 無目 むめ [「ぬめ」ともいう。敷居、鴨居の如くにして、ただ溝なきものなり。
            「ぬめ」は滑なり。それより転じて「むめ」となりたるならん。]                   
(ヒカ)一筋鴨居 ひとすじかもい 「日本建築辞彙」には解説なし。雨戸用の溝が一筋の鴨居。
(トブ)戸袋 とぶくろ [昼間、雨戸を仕舞い置く所。・・・]

補注
1.「長押」「貫」

「長押」は、現在は化粧:飾りのための細身の材ですが、本来は、架構を維持するための重要な、大きな断面の部材でした。
「長押」は中国の建築にはありません。
奈良時代に、礎石建ての建物を頑丈にするために考案された、と考えられる工法です。
  「長押」の発祥の経緯については、下記を
  「日本の建物づくりを支えてきた技術-7・・・・礎石建ての問題点・その対応策

「貫」は、中世:平安末~鎌倉時代初頭に、建物を頑丈にするため、「長押」に代って、寺院建築でも使われるようになった部材です。
しかし、現在は、建築基準法上、その効用が認められず、「貫」「ヌキ」も薄い小幅の板の名称、あるいは壁の下地材の呼称になってしまっています。

  「貫」は、鎌倉時代に「東大寺・大仏殿」の再建に大々的に使われたことから、一般に、「貫」を用いる建て方は
  「大仏様(だいぶつよう)」と呼ばれています。
  建築史では、これまで、「貫」を使う工法は、東大寺再建にあたり、「宋」の技術者によってもたらされ、大仏様の建物は
  「宋」の技術者の指導によりつくられた、とされてきました。
  しかし、「大仏様(だいぶつよう)」と呼ばれる建物(「浄土寺・浄土堂」「東大寺・南大門」など)では、
  「貫」が非常に使い慣れた形で使われていることから判断して、当時一般では「貫」を用いる方法は、
  当たり前に使われていた技術であったにもかかわらず、
  形式にこだわる寺院建築では使われてこなかったにすぎない、と考える方が理がかなうのではないか、
  と私は考えています(「浄土寺・浄土堂」の場合、係わった地元の棟梁も分っています)。
  住居には鎌倉時代の遺構がありませんが、それに続く室町期の建設とされる「箱木家」「古井家」などでも、
  「貫」はきわめて効果的に無理なく使われています。
  このことからも、ごく当たり前な工法であった、と考えられるのではないでしょうか。

「貫」を使う工法は、簡単に言えば、直線状の木材を組んで、竹ヒゴでつくった鳥篭や虫籠のような立体の頑強な箱をつくる方法です。
その結果、箱の四周のどこにでも、自由に開口をつくれます。これは、多湿の環境にきわめて適したつくりかたでした。しかも、地震でも壊れなかった!
  「日本家屋構造」が刊行された頃、「筋かい」を設ける「習慣」はまだありませんでした。
  「語彙に見る日本の建物の歴史・・・・『筋交い』の使われ方」参照。

この点については、「号外:再集・日本の建物づくりでは、『壁』は自由な存在だった」にまとめてあります。
因みに、「筋かい」や「耐力壁」のない建物は壊れる、という考え方は、明治以降の考え方です。

2.「内法」寸法、「内法」長押・・・
  下記で簡単に触れています。
  「建物づくりと寸法-2・・・・内法寸法の意味


次のページに移ります。

「家屋各部乃名称 第二 第十六図 切妻屋根、方形屋根」 について

第十六図の原版は下のようになっています。

この図を、分りやすくするため、下図のように編集し直し、この図で「名称」について記します。



(甲)切妻屋根 の図

「切妻」屋根  「日本建築辞彙」:隅棟なき屋根をいう。・・
         「広辞苑」:棟を界として両方に流れを持つ、書物を半ば開いた形の屋根。真屋(まや)。

         補注
         「屋根」の原型は、地域によらず、竪穴住居の覆い屋のように、閉じた形を採るのが普通です。
         平面が方形でなく、円形に近いことがそれを示しています。
         細長い平面の上に架かる屋根も、通常、端部は閉じています。
         切妻型の屋根は、閉じた形の屋根を切った形と言ってよいでしょう。
         そのような屋根は、時代が経ってからでないと現れない、と考えられます。
         「端」のことを「つま」とも呼びます。
         「端」を切断する:「切-端」(きり-つま)
         そこから、「切-端」の「端」に同音の「妻」の字を当てるようになった、のではないでしょうか。

「軒桁」「小屋梁」「母屋」「棟木」は、「屋根まわり(小屋組)」の項にあります。

「妻梁」つま ばり [建物の側面に見ゆる梁をいう。]
          注 「端」の梁の意。
「傍軒」そば のき [切妻屋根に於て「甍(いらか)」より突出し居る屋根の部分。]
          注 [「甍」:切妻屋根の下、三角形の部分をいう。シナの「甍」字にはこの意義なし。](日本建築辞彙」)
           「甍」:①いらか、むながわら。②むね。・・(「字通」)
         補注
         現在は、「切妻屋根の下、三角形の部分」を「いらか」と呼ぶことは先ずありません。
         「傍」:そば は、「脇」の意。
「軒先」のき さき 補注参照 
「軒」のき    「日本建築辞彙」の原本では、[屋根の最下部をいう]
         新訂版では
         [一般に屋根のうち、建築の主体から突き出した部分をいう。
         ・・・檐(えん)、簷(えん)、〇(えん)、宇は何れも『のき』なり。・・・
         ・・・出張りたる全体・・、(および)その最下端部を「軒」と称す。・・・]とあります。
         注 〇の字は「木」偏に「閻(えん)」。しかし、「漢和辞典」「字通」にありません。
         補注
         現在は、「軒」は「飛び出した全体」を、「軒先」とは、軒の先端のことを指します。
           なお、建築法規上では、雨樋の先端まで、という《解釈》もあります。
           建蔽率をキビシク(?)規制するためらしい!
         ここで加えている説明は、《建築法規用語》ではなく、常識的「建築用語」での説明です。
         《建築法規用語》では、建物を理解することはできません。


(乙)方形屋根 の図

「方形屋根」   原本では「ほうけい やね」と読んでいますが、現在では「方形=ほうぎょう」と読むのが普通です。

         この点について、「日本建築辞彙」昭和版に以下の説明があります。
         方形造:ほうぎょう づくり
         [ ①四方の隅棟、一箇所に集れる屋根にいう。隅棟の会する所には、露盤その他の飾あり。
         これを宝形造とも書く。屋根の伏図は正方形をなす。
         ②大棟の両端に隅棟集れる屋根にもいう。明治時代の建築家は、多くこの意味に・・用いたり。
         又一部の人は、この如き屋根を寄棟造と称し居れり。されば明治大正時代に於て、
         方形造、宝形造、寄棟造の意義は人により異なりて、甚だ混乱の状況なりき。]

         現在は、図のような屋根は「寄棟(よせむね)造」を言い、
         「方形屋根」は「ほうぎょう」と読み、説明①の形の屋根のことを言います。
         このように、「(用)語」の意は、いわば「任意に」変動するのが常です。

「広小舞」「鼻隠し」「母屋」「棟木」は、「屋根まわり(小屋組)」の項にあります。

(ス)桷木 すみぎ 普通は「隅木」と記します。以下は「日本建築辞彙」の解説
   隅木 すみぎ [「角木」「桷木」とも書く。隅棟下にある木にして、垂木の端を受くるものなり。・・]
(ト)飛梁 とびはり [小屋束下に小屋梁なき場合に、これを承けしむるため、軒桁より小屋梁に梁を架す。
           これを飛梁という。]
(ハ)配付棰 はいつき たるき [隅木の横面(よこつら)へ取付く垂木。]
         注 「棰」は「垂木」を意味する国字(和製漢字)
   配付ける [木を他の木の横面へ斜に取付けること。・・「矧付る(はぎつける)」の転訛ならんか。]
    
         補注
         木造建築の屋根の形状には、「切妻」「寄棟(方形)」のほかに「入母屋(いりもや)」があります。
         「入母屋」の謂れについては、下記をご覧ください。「片流れ」は切妻の一と考えてください。
           「日本の建築技術の展開-2
         この内、「寄棟」「入母屋」では、隅の部分の稜線を形づくるために「隅木」を設け、
         「隅」の屋根型をつくる「垂木」を架けます。
         垂木の架け方には、
         放射状に架ける「扇垂木(おうぎ たるき)」、
         垂木を平行にかける「平行垂木」あるいは「平垂木(ひら たるき)」があります。
         「切妻」屋根では、「平行垂木(平垂木)」になります。
         「寄棟」「入母屋」の場合には、全部を「平行垂木(平垂木)」にする場合と、
         隅だけ「扇垂木」にする場合(「隅扇(すみ おうぎ)」と呼びます)、
         全面を「扇垂木」にする場合とがあります。 

         全部を「平行垂木(平垂木)」にする場合、
         隅部では、垂木の上方側は「隅木」に取付きます。
         この部分の垂木を、特に「配付垂木」と呼んでいます。
         図の方形屋根の部分だけ、取り出したのが下図です。

         「配付垂木」の内、無塗色の垂木、黄色に塗った垂木と、
         赤色を塗った垂木とは、その取付け方が異なります。

         無塗色、黄色の垂木は、母屋~軒桁、隅木~軒桁に架かっていますが、
         赤色の垂木は、上端は隅木に取付いていますが、下端は軒桁より飛び出しています。
         赤色の垂木の下端は、受ける材がないため、広小舞にぶら下がっているのです。         
         つまり、この個所の垂木は、屋根を支える役を担ってはいないのです。
         そして、軒の出が深ければ深いほど、赤色の垂木の数も増えてきます。


         「平行垂木」「扇垂木」について、
         「近藤 豊 著 古建築の細部意匠」(大河出版 1972年刊)に、明解な解説がありますので、
         図とともに転載させていただきます。

         「・・・平行垂木はもっとも一般的であり、一般庶民住宅から最高級建築に至るまで広く使われ、
         時間的にも最古から現代に及ぶものである。
         扇垂木はこれも原始住宅からすでに見られ、また農家の草葺屋根の垂木竹や
         四阿(あずまや)の垂木などにも使われるが、
         宗教建築では四天王寺で最古の例が見出され(隅扇)、
         また鎌倉以後大仏様(だいぶつよう)・禅宗様にしたがって現れた様式である。
         ・・・・近世の扇垂木は中心から全部放射状に出すが、
         鎌倉頃のものには中央数本が真の平行垂木でその外側から扇となるものがある。
         中国・韓国建築などはみな隅扇であるのを考えてもこの方が古く、
         完全な扇垂木は日本の発明かもしれない。・・・・」  
    

        注 「近藤 豊 著 古建築の細部意匠」(大河出版 1972年初版)について
            著者は「建築史学者」ではなく、「市井の研究者」です。
            その内容について、きわめて高く評価されている書です。
            現在も手に入ります。
          
                     
次回は「尺杖(しゃく づえ)」=「現場用のスケール:基準の物差し」の項から。     

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「日本家屋構造」の紹介-3、4の補遺

2012-05-14 07:33:24 | 「日本家屋構造」の紹介
  

[追加 14日 8.40]
〇足元まわり(礎石、布石、土台・・)の補遺

木造の建物は、世界のどの地域でも、はじめは木の柱を地中に立てる「掘立て」式です。最も容易だからです。
しかし、地中に埋められた木材は、地面に接するあたりが短時間で腐ります。
そこで、木でつくった建物を、地上に据えた石の上に置く方法が考案されます(これも世界各地域共通です)。

そのとき地面に据える石を「礎石」と言い、長く敷いた場合を「布石」と呼びます。
「布石」は、定かではありませんが、近世になってから生まれたのではないかと思われます(加工に手間を要するからです)。
明治年間には、「布石」を据え、その上に「土台」を置き、柱を立てる方法が増えていたものと思われますが、当時でも、この方式の他に、
 ア)「土台」なしに「礎石」に直接柱を据える方法:「石場(いしば)建て」
     「礎石」には、「自然石」「切石、加工した石(加工は、上面だけ、見える面全面など各種)」が使われます。
 イ)「布石」を敷かず、「礎石」の上に据えた「土台」を流し、「柱」を立てる方法
     「柱」を伝わって掛かる建物の重さを受けるため、「礎石」は「柱」の立つ位置に置くのが普通です。
     この場合も、「自然石」あるいは「加工した石」が使われます。
     また、多くの場合、「礎石」と「礎石」の間の空隙には、あとから石が詰められます。
 ウ)稀に、「掘立て」方式
などが採られていました。 
     掘立て式の住まいが、地域によると、明治期にも在ったようです。

     註 
     昨今の竜巻の被害で、「土台だけを残し、建物が飛ばされた・・」というような報道が多く見られました。
     その写真を見ると、建築用語のいわゆる「土台」がない。これは、「基礎を残して・・」ということです。
     このように「土台」という語は、一般の使用法と建築用語との間に、大きな齟齬があるのです。
     それは、「土台」の字義から言えば、当然の結果です。つまり、建築用語の方が「おかしい」のです。
     すでに触れましたが、「土台」は、中国建築のいわば「基礎」に相当する個所の呼称です。
     木製の部材を「土」の字の付いた用語で呼ぶことの方がおかしいのです。
     あえて言えば、建築用語の「土台」は、「(1階)床桁」「(1階)床梁}が適切かもしれません。
     「大引」は「小梁」「小桁」か?     

「礎石」「布石」を据える前段には、「地形=地業(ぢぎょう)」を行ないます。
「地形=地業(ぢぎょう)」とは、「礎石」や「布石」を据えるために、据える個所の地盤を整備し固める作業を言います。
「日本家屋構造」では、「地形(地業)」については、最終章に載っています。
   現在は「地業」が普通に使われます。
   往時「地形」が使われたのは、「地の形を整える、つくる」という意味だったのではないでしょうか。

「地形~礎石・布石据付」について、下記に簡単にまとめてあります。
日本の建物づくりを支えてきた技術-3・・・・基礎と地業

また、土台の「発案」「効用」については、下記を参照ください。
日本の建築技術の展開-14
  
〇屋根まわり(軒先の納まりなど)の補遺

1.「地垂木(ぢだるき)」「飛簷(檐)垂木(ひえんだるき)」について

軒先を2段にする方法は、中国から寺院建築を受け容れる際にもたらされました。
中国の古代寺院建築の例を転載します。


この図は、中国の古代木造寺院の標準的なつくりを示しています。
   図は「図像 中国建築史」(中国建築工業出版社 1991年刊)からの転載です。
図の1が「飛簷(檐)垂木」、2が「地垂木」です。

図では、「地垂木」の断面が円形です。
それは、立ち木の皮を剥いただけの「丸太」を使っているからです。
使われている樹種は、一般には「楊樹(胡楊樹、白楊樹)」と思われます。ヤナギ科、ポプラの種類です。中国ではきわめて一般的な樹種です。

中国には、日本が見習った時代の古建築は残存していないようです。
  中国で最も古いとされる寺院建築「山西省五台山仏光寺」の建立時期は、日本の平安時代。
  この寺院の写真と図を、下記で紹介しました。
  「余談・・・・中国最古の木造建築
  仏光寺では、「飛簷(檐)垂木」がありません。

唐代の寺院の姿が、西安(長安)の「大雁塔」の西門の「門楣石」に彫られていて、
その図の軒先部分に、円形の「地垂木」と方形の「飛簷(檐)垂木」が描かれています(下図、訪れたときに、気が付きませんでした)。
  
  また、時代は下りますが、1056年建設の「仏官寺木塔」の軒先部の写真に、
  円形の「地垂木」と方形の「飛簷(檐)垂木」が写っています。
  
    図版は、いずれも「図像 中国建築史」(中国建築工業出版社 1991年刊)から

2.軒先の納まり:広小舞・淀

瓦葺き屋根が、その軒先に、常に「淀」「広小舞」の両者を設けるわけではありません。
瓦葺きの屋根の軒先の納め方には、以下のような方法があります。

  この図は、理工学社 刊「納まり詳細図集 1 木造編」から抜粋編集しました。
先に紹介した「日本建築辞彙」の軒先の図は、この図の「例5」に相当します。

3.梁の架け方 [追加 14日 8.40]

用語説明のために掲げてある断面図の「梁」の架け方は、これも一例で、いわゆる「京呂(きょうろ)組」と呼ばれる方法です。
「桁」を先に設置し、その上に「梁」を架ける方法で、この図の場合、「梁」が「桁」の内側に納まっていますが、「桁」を越えて架ける場合もあります(「梁」の両端が「桁」の外側に出る)。むしろ、その方が、強さの点で優れています。
おそらく、明治期には、図のような架け方が普通になっていていたものと思われます(おそらく、「梁」の端部が外に見えるのを嫌ったものと思われます)。そして、この架け方が、「梁」が「桁」からはずれやすいことへの「対策」として、後に「羽子板ボルト」などの使用が奨められるようになる原因の一つになります。

「梁」の架け方には、より原初的で、強さも確保できる「折置(おりおき)組」という方法があります。
各「梁」の両端を「柱」が支える方法です。当然、すべての「梁」の位置に「柱」が必要になります。
「京呂」の場合は、「梁」ごとに「柱」は不要です。それが「京呂」使用例増加の理由と思われます。
このあたりについては、下記で触れています。
日本の建物づくりを支えてきた技術-2

  ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

建築用語を知る=建物が分る ?

たしかに、建物を理解するためには、使われている「用語」を知る必要はあります。
そのとき気をつけなければならないのは、「用語」が先にあったわけではない、ということ。
木造の建物の場合なら、木でどうやって建物をつくるかを考えるのが先なのです。
   もっとも、その前に、建物って何だ、と問う必要がありますが・・・。
   これについては、「建物をつくるとはどういうことか」で触れました(後掲)。
道具がなかったら、どうするだろうか、あるいは、どんな道具を考案するだろうか、・・・。

建物づくりは、それぞれの地域で(日本ならこういう具合に、中国ならこんな具合に、そして日本の中でもこういう地域ではこういう具合に・・・)、変遷してきています。
多分、方策や部材の呼び方は、地域によっても異なり多彩だったと思われます。
しかし、方策や部材が一定程度「安定」してくると、「用語」も「定着」します。
元もとが「現場の用語」ですから、最初から「漢字」があてられていたわけではありません。それゆえ、「当て字」が多いのです。

そしてこれも重要なことですが、その「変遷」を支えてきたのは、時の政府ではなく、実際に建物づくりに係わっている人びと:「現場の人びと」だったのです。

「日本家屋構造」は、そういう歴史の過程の中での、特に明治期の上層階級のつくりかたの一つを例示しているのだ、と考えなければなりません。
誰を相手に?これから建物づくりに係わろうとする(若い)人びとを対象に。

そのとき、学ぶ側は、それは一例、と考える必要があります。その一例を基に、さらに他の例について知ろうとしなければならない、と思います。

したがって、建物づくりを知ろう、学ぼうとするには、
自分が建物をつくらなければならなくなった、という場面に遭遇したら、どのように振舞うだろうか、という視点で考えると、「分り」具合に進展があるのではないか、と思っています。
   用語を知っているということは、必ずしも「分っている」ことではないのです。
   私がこの単純な事実に気がつくまで、かなりの時間を要しました。
   はじめは、どうしても「用語」に囚われていたのです。
   「用語」を知らないのは「恥かしいこと」と思い込んでいたからです。
   「用語」は、今でも地域で違ったりします。
   それゆえ、私は「用語」に頼らず、「絵」「図」を描くことにしています。
   そして、「絵」「図」を描くことは、「理解」の質を上げるのにも役立ちます。

日本に暮す人びとは、どのように建物づくりにに係わってきたか、という視点で「建物づくり」について触れたのが「再検・日本の建物づくり」です。以下にまとめてあります。

再検・日本の建物づくり-1:人は何処にでも住めたか
再検・日本の建物づくり-2:人は何処にでも建てたか
再検・日本の建物づくり-3:日本は独特な環境である
再検・日本の建物づくり-4:四里四方
再検・日本の建物づくり-5:遺構・遺跡・遺物
再検・日本の建物づくり-6:「掘立て」の時代がなかったならば・・・
再検・日本の建物づくり-6の補足:最新の遺跡地図
再検・日本の建物づくり-7:掘立ての時代から引継いだもの
再検・日本の建物づくり-8:しかし、すべての建屋が天変地異に耐えたわけではない
再検・日本の建物づくり-9:「技術」の「進展」を担ったのは誰だ
再検・日本の建物づくり-10:「名もなき人たちの挑みの足跡」
再検・日本の建物づくり-11(了):「専門家」を「専門家」として認めるのは誰だ


「建物をつくるとはどういうことか」シリーズはこんな内容でした。
第1回「建『物』とは何か」
第2回「・・・うをとりいまだむかしより・・・」
第3回「途方に暮れないためには」
第4回 「『見えているもの』と『見ているもの』」
第4回の「余談」 
第5回「見えているものが自らのものになるまで」
第5回・追補「設計者が陥る落し穴」
第6回「勘、あるいは直観、想像力」
第7回「『原点』となるところ」
第8回「『世界』の広がりかた」
第9回「続・『世界』の広がりかた」
第10回「失われてしまった『作法』」
第11回「建物をつくる『作法』:その1」
第12回「建物をつくる『作法』:その2」
第13回「建物をつくる『作法』:その3」
第14回「何を『描く』のか」
第15回「続・何を『描く』のか」
  なお、ここで書いてきたことを、同じ資料を使い、別の形にまとめ、下記雑誌に書かせていただいております。
   雑誌「コンフォルト」2011年4月:№119(建築資料研究社)『住まいにとっての開口部』

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この国を・・・・24:《選民》

2012-05-12 18:12:07 | この国を・・・

曇天のなかに咲く桐の花。
当地には、桐の木が多い。女の子が生まれると桐の木を植える、というのとは違うようです。数本以上植わっています。
ことによると、近在に(と言っても30キロ以上離れていますが)結城(ゆうき)など桐材を使って下駄などをつくる町があるからかもしれません。

  ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

[リンク先追加 13日 17.40]
「家庭教育支援条例 案」というのが、今はときめく「・・維新の会」が大阪市議会に提出しようとしているとのこと。
  5月2日付東京 web で知りました。関西では直ぐに話題になっていたようですが、関東圏では、
  ここへきて、やっと知るようになったばかり。
  それも、いわゆる「発達障害」のお子さんをお持ちの方がたからの強い批判が明らかになってからのこと。

条例案の中味に驚きました。
いわゆる「発達障害」は、幼少期の親の教育・子育てのせいだ、という。
  いつも私は「障碍」の語を使っていますが、今回は「障害」を用います。
そしてさらに、発達障害は「伝統的な子育て」で予防できる、と言う。
  何をもって「伝統的な子育て」と言っているのかは、詳しくは知りません。
  そういうことを言うのならば、多数=是、という非伝統的な発想もやめなければ理が通らない。

このところ私が山梨へ出かけているのは、山梨にある「障害者支援施設」の増築のため。
この「施設」は、いわゆる「発達障害」の方がたの暮すところ。

そこは、保護者が集ってつくった施設。もう40年近く、その方がたとはお付き合いがあります。
いわゆる発達障害の方がた、その保護者の方がたに会ってみれば、《維新理論》が成り立たないことなど、直ちに分る。
当の「障害者」の方がたは、皆人なつっこい。
はじめは人とうまく付きあえなかった方がたも、施設での暮しのなかで、変っている。つまり、変り得る、ということ。そして、元々、感性は、健常と自称する方がた、そして多分この議員さんがた、よりも数等素直で健常です。
多分、この議員さんがたは、30年経っても変らない、変ることができないでしょう、きっと。勝手な思い込み、先入観を捨てることができないからです。その方が問題。

あまりの「騒ぎ」になったためか、「・・維新の会」の代表が、「私が親でも反対する」と語っているとのこと。
この発言にも、驚きました。単なる「感情論」で済ませる類のことか?

私は、「・・維新の会」なる「政治団体」が世の話題になった当初から、ある疑義を抱いてきました。
   「この国を-10:民意」、「同-補遺」参照
そして、この人たちの《論理》では、いずれ今回のような「状況」が出現するのではないか、とも思ってきました。
しかし、こんなにも早く出てくるとは、これはまさに想定外。

こういうことを平気でやる、というのは、おそらく、《選民》意識の塊だからではないでしょうか。選挙で選ばれた、ゆえに、何でもやっていいんだ!それが「民意」だ・・・。誤解も甚だしい・・・。

だいたい、行政が、教育等を差配できる、と考えること自体、私には理解不能。

なぜ、こうなってしまうのか。
おそらく、すべてを which の疑問符だけで「考える」クセがあるのではないか。
何択かの問から一つを選ぶ、それが思考と思ってきてしまったのではないか。
白か黒か、イチかバチか・・・。
   それは、この人たちの考えている「学力」なるものの中味でも分る(「この国を-10:民意」参照)。
そしてそれを決める《権利》は、選ばれた自分たち《選民》にある・・・。
   戦後、一時、自由や民主主義のハキチガイということがよく言われました。
   この方がたは、ハキチガイではなく、これが「信念」になっているようです。
   それが怖ろしいのです。
私には到底ついてゆけない「思想」。
ところが、結構、政治家や評論家の(老いも若きも)、評判がいいらしい。これも怖ろしい。
そして、残念ながら、怖ろしいと思うのは、現在、少数らしい。

理不尽なものは理不尽。
数の多少とは無関係。
ものの理は、数の多少で決まるのではないのだから。
道理とはそういうものだ、と私は思っています。

追加 [13日 17.40]
住民か従民か、と問う 5月11日付 東京 web の「筆洗」にリンク

念のために、全文をコピー転載します。読みやすいように、段落は変えます。

「行政に従うだけの住民、いわば“従民”意識のままなら、地方自治は根付かない」。
かつて市町村合併問題を取材していた時に聞いた言葉が今も頭にこびりついている。
▼歴史的に刻み込まれたDNAなのか、日本人は「お上意識」をなかなか払拭(ふっしょく)できない。
敗戦後、新しい憲法に「主権在民」が定められたのに、現実は「主権在官」の強固な牙城をなかなか崩せないでいる。
▼首都大学東京教授の宮台真司さんは<任せて文句を言う社会>から<引き受けて考える社会へ>と言い続けてきた社会学者だ。
福島第一原発の事故の後は、「原発をやめる」ではなく、「原発をやめられない社会をやめよう」と訴えてきた。
▼その宮台さんも請求代表者の一人である市民団体がきのう、原発稼働の是非を問う住民投票条例の制定を石原慎太郎東京都知事に請求。
署名簿の入った百六十三個の段ボール箱が都庁の中に運び込まれた。
▼三十二万人もの都民が署名、押印したずっしりと重い署名簿だ。石原知事は条例制定に否定的だが、決めるのは議会だ。
署名した人は、来年の都議選も見すえ、議員一人ひとりの態度をよく観察するだろう。
▼大阪市、東京都に続いて、中部電力浜岡原発を抱える静岡県でも、住民投票条例の制定を求める署名活動が十三日からスタートする。
<引き受けて考える社会>に向け、意味ある第一歩になるはずだ。

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「日本家屋構造」の紹介-4・・・・家屋各部の名称・その2

2012-05-10 19:49:24 | 「日本家屋構造」の紹介
  

今回は初めに「柱・壁まわり(軸組)」下図の赤枠内


字句注解では、「読み」のあとに、「日本建築辞彙(新訂)」の解説を転載します([  ]で囲います)。
さらに補注として、別途解説をつけます(その文責は筆者にあります)。

  追記[11日 8.45]
  ここに原本から転載している図は、「家屋」の標準、もしくは「あるべき姿」を示しているわけではありません。
  あくまでも、「名称」を示すためのいわば概念図である
、としてご理解ください。  

右側の赤枠内
 (ケ)は「屋根まわり(小屋組)」のときに触れます。

 (ハ) 柱 はしら [ものを支承する為直立し居る木(英語 Post 独語 Stander )。]
         補注 「主」は燭台の形。直立してその上端に蓋がある。柱は木の直立したもの。
             「楹(えい)」も柱と同義、ただし「円柱」をいう。
             「柱」は角・円のいずれにも用いる。
              以上「字通」より抜粋。
             注 英語では円柱を Colummn と記します。 

 (ヂヌ)地貫 ぢぬき 建築辞彙には項目なし。最下部に設ける「貫」。
        (註 原本のデヌは、印字の欠け、地「質」は、「貫」の誤植です)。
                             以上 再掲
 (ドヌ)胴貫 どうぬき [腰貫(こしぬき)に同じ。すべて腰(位置)にある貫をいう。]
         補註 「腰」とは、ものの中ほどの位置を示す。

 (ウヌ)内法貫 うちのりぬき [内法長押(うちのりなげし)の後方にある貫をいう。]
         内法 [内側より内側迄をいう。
            (一)「柱内法距離」とは、柱の内側の、相去る距離をいう。
            (二)敷居より鴨居迄をもいう。]
         補注 上記(二)は、現在も同様の意で使いますが、近世とは多少異なります。
             近世の「内法(寸法)」については「建物づくりと寸法-2」を参照ください。
             また、「長押(なげし)」については、「日本の建物づくりを支えてきた技術-7」
            「同-7の補足」を参照ください。

         補注 貫 「建築辞彙」では以下のように説明
            [ ①柱を繋連するための横木。②薄く且つ狭き木の出来合ものをいう。
             つまり①に記せし貫用の木なり。
             東京付近にては、大貫、中貫、三寸貫または小舞貫と称する杉の貫あり。・・・]    
             注
             現在も、「貫」あるいは「ぬき」の名で市販されている木材がありますが、
             ①に使用することを考えた材ではなく、「薄い小幅の板」を指しています。

左側の赤枠内 (ヱケ)(ケシ)(タカ)・・は「屋根まわり(小屋組)」で触れます。

以下(ヱ)(ヱカ)は前回の再掲 
(ヱ)縁板 えんいた [縁側の板をいう。]
         補注 この図の場合、縁板=床板は、縁の長手に添って張られます。
             そのような場合を、特に「榑縁(くれえん)」と呼んでいます。
             「榑」:ふ 榑桑(ふそう)、神木なり。日出づるところなり。扶桑ともいう。
             たるき、まるた、くれ。(「字通」による)
             「くれ」:山出しの板材。平安時代の規格では長さ12尺、幅6寸、厚さ4寸。くれき。(「広辞苑」)
             これらの意から、なぜ「くれえん」になるのか、よく分りません。
             「長い」ということからでしょうか?
             「榑縁」は、薄い板材が加工できるようになってから現れますから、
             上記の「くれ」を何枚かに割った板を張ったからなのかもしれません。
             なお、当初の「縁」は、長さに直交して厚めの板を張るのが普通でした。

 (ヱカ) 縁框 えんかまち [縁束の面よりも突出せしめて、束に取付けたる横木なり。]
         補注 この図の場合は、「框」上に雨戸用の溝(一筋溝:ひとすじみぞ)を彫ることを意図しています。
            框(かまち)
            建具(戸、障子など)の四周の枠にあたる部分や、仕上げの端部を納めるための部分を言います。
            例:玄関などの土間部分に面する床の端部に設ける「上り框(あがりかまち)」。
            「縁框」に根太を取付ける場合は、根太型に彫込みを設け、落し込みます。

次に「屋根まわり(小屋組)」 下図赤枠内


主屋部            
 (ケ)桁 けた [柱、束(つか)、壁などの上に据え付け、他の物を承けしむるための横木をいう。]
         補注 桁 コウ 「行」には、ならぶものの意がある。
             ・・・「星の桁なり」梁上の桁。衣桁(いこう)やかせ(械・梏)の意に用いる。
             ①けた、柱にわたした横木。②ころもかけ。・・⑤算盤の位取り、けた。
             (「字通」による)
 (ハリ)梁 はり 荷を承けしむために設けたる横木(英語 Beam、仏語 Poutre、独語 Balken )。
         補注 ・・・必ずしも横木に限らず、飛石をいい、
             またそのようなところにかける笱(やな)を梁というのであろう。
             ①とびいし、やな。②はし、こばし。③よこぎ、はり、はしら、うつばり、くしがた。
              ④つつみ、どて。・・・・(「字通」による)
 (コツ)小屋束 こやづか [小屋組の束。かぶら束、与次郎束、枝束、棟束、・・など。]
 
 (モ)母屋 もや [棟及び軒桁に並行して、垂木を支承する横木をいう(英語 Purlin 仏語 Panne 独語 Pfette )。
           案ずるに舟を繋ぐことを舫う(もやう)という。母屋は小屋の束と床とを繋ぐ如く見ゆる故に、・・・
           「もや」なる名詞を生じたるならんか。・・・]

 (ム)棟木 むなぎ [棟桁(むなげた)をいう(英語 Ridge piece 独語 Firstpfette)。]
          棟 [屋根の最高の所(英語 Ridge 独語 First )]

 (タ)棰 たるき [棟より軒に渡して、屋根板を支承せしむる木。「棰」は国字なり。]
         補注 中国では、「椽」「簷」「檐」などの字が使われています。
            「椽」は「たるき」そのもの、「簷」「檐」は「軒・ひさし」部を指す語。
             古建築では、「地垂木(ぢ だるき)」「飛簷(檐)垂木(ひえん だるき)」の語が使われます。

             「建築辞彙」には、「地垂木」は円にして、「飛簷(檐)垂木」は方(角材)なるが故に・・、
             とありますが、この呼称は垂木の断面形状とは無関係です。

             「地垂木」は、屋根を形づくる主たる垂木で、中国では通常「丸太」が使われています。
             これに対して、「飛簷(檐)垂木」は、「地垂木」でつくられた軒先部の先端に
             いわば化粧の(見えがかりをよくする)ために設けた「軒」です。
             「檐(えん)」は、一字で「のき」の意。
             よく見える個所のため、手をかけて方形・角材に加工したものと思われます。
             注     
             中国の家屋では、最近でも、垂木に丸太が使われています(「再検・日本の建物づくり-3」参照)。
             日本では、上級の建物で丸太を使うことは少なく、
             中国方式に倣うため、わざわざ角材を円形断面に加工した場合もあります。

             なお、「字通」の解説では以下のようにあります。
             「飛」は鳥が飛ぶ形からきた象形文字。高飛するもの、迅速・急速の意があり・・、
             ①とぶ、かける、はねる。②あがる、こえる。③はやい、とばす。
             ④はなれる、ながれる、ちる、さる。⑤たかい、そびえる。の意で使われ
            「飛簷」=「飛檐」=高く反りのある軒
             こうすることで、見栄えがよくなる、と考えられたのでしょう。
    参考 古代建築の「地垂木」「飛簷(檐)垂木」そして「野垂木(のだるき)」の図解は下記をご覧ください。
       「日本の建物づくりを支えてきた技術-8の補足」     

 (ハカ)鼻隠し はなかくし [軒先に於て、垂木の端(はな→鼻)を隠すための板。]
         補注 これは、垂木の端部を隠す場合の図です。
             常に鼻隠しを設けるわけではありません。
             他の例を、別途紹介します。

 (ヒ)廣小舞 ひろこまい [廣=広 軒先に於いて、垂木上に取付けたる長き木なり。
              宮殿、堂社などに「茅負(かやおい)」を用うべき場合に、普通の家に於ては、
              廣小舞を用うるなり。・・・]
         補注 「小舞」は「木舞」とも記します。
             「建築辞彙」では、「小間木(こまぎ)」の転訛したものではないか、とあります。

 (ウ)裏板 うらいた [物の後にある板をいう。
             ・・・屋根裏板(英語 Roof board)は、下より見れば垂木などの後にあり。・・・]                            
         補注 この図の場合は、今は「野地板(のぢいた)」が普通の用語。

 (ノヌ)野地三寸貫 のぢさんずんぬき [野地に用いる貫(この場合は、幅が3寸のもの)]
         補注 簡単な建物、あるいは屋根面の裏側が見えない場合には、前項の裏板:野地板を張らず、
            間隔を空けて貫を打ち、そこに瓦を葺くことも行なわれています。この図の主屋部はその例。

 (カサ)瓦桟 かわらざん [引掛桟瓦葺(ひっかけさんがわら)に於て、瓦の爪を承けしむるため、
                 野地(のぢ)に取付けたる木。]
         補注 古代の瓦葺にはない。引掛桟瓦は江戸時代の発案という。

 (メ)面戸 めんど 「「目処(めど)」の転訛なるべし。物と物との間隙、例えば、軒桁上の垂木間などをいう。]
         補注 目処:①糸を通すための針の穴。②目あて。目途とも書く。
             ただし、①は針穴とも書く。(「新明解国語辞典」)

縁側部
 (ヱケ)縁桁 えんげた [縁側の軒桁をいう。]
               縁・縁側:[建物の外方の板敷なるところをいう。]

 (ヱハ) 縁側柱 えんがわばしら 特に解説なし

 (ハ)柱 はしら 前掲

 (ヨ)淀 よど [広小舞の上にある木・・・。] 
 (ヒ)広小舞 ひろこまい
  図のこの部分、「広小舞」と「淀」の位置が、上下逆です。
  「日本建築辞彙」所載の図を転載します。
    
   なお、軒先の納め方は、この図の方法だけではなく、他にいろいろあります。
   これについては、別途紹介します。

 (キ)木小舞 きごまい [木の小舞(木舞)]
         補注 前掲「家屋構造」の断面図は、
             化粧垂木(次項)の上に、幅の狭い板を一定の間隔で渡し、
             その上に化粧の天井板:裏板を打ち付けています。
             これは、化粧の天井仕上げの一例です。
               別途、写真を探して紹介します。
             すべての庇部をこのようにするわけではありません。

 (ケシ)化粧棰 けしょうだるき [軒下に顕わるる垂木をいう。野垂木と区別するためこの名あり。]
                     野垂木:[鉋削(かんな けずり)せざる垂木。]

                 一般に、隠れてしまう部分に使う材を「野・・」と呼ぶようです。
                 丸太のまま、あるいは表面の仕上げに拘らない場合を言う、と言えると思います。
                 野垂木については、上掲「日本の建物づくりを支えてきた技術-8の補足」参照。

 (タカ)棰掛 たるきがけ [垂木掛 差掛(さしかけ)屋根、または庇の屋根など於て、
                 垂木の上端を支承せしむるため、取付けたる横木。]

以下については、〇化粧・造作部分のときに触れます。
 (トハ)床柱 とこばしら
 (ナ)長押 なげし                              
 (ヒカ)一ト筋鴨居 ひとすじかもい 
 (ムメ)無目 むめ 
 (ツ)付け鴨居 つけがもい 
 (カイ)鴨居 かもい 
 (シ)敷居 しきい 

次回は、主に化粧・造作部についての用語をまとめます。

蛇足 
ここで紹介している図は、おそらく、当時、一番普通に見られる上等家屋の仕様であったのだと思われます。
あくまでも一例です。

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「日本家屋構造」の紹介-3・・・・家屋各部の名称・その1

2012-05-05 22:22:25 | 「日本家屋構造」の紹介
 

[各所文言補訂 6日 9.00、15.17][補注追記 11日 8.45]

今回から、「家屋構造」:建物のつくりかた:の説明になります。
なお、今回から、図版をひとまわり大きいサイズにすることにします。
左右上下に動かしてください(図の部分は一度に入るようにしてあります)。

最初は、「家屋各部の名称」、つまりいろいろな建築用語。


   標題の「第十五図 甲乙の符号」とは、第十五図の(甲)図および(乙)図に付してある符号について、の意。
図の右側に、「名称」が符号(記号)とともに列挙してあります。
ただ、いわば順不同に並べられているので、それぞれが図の何処にあたるか、直ぐには分りにくいように思われます。
そこで、断面図(原本では「切断図」)を拡大し、
〇足元まわり(「床組」部分)
〇柱・壁まわり(「軸組」部分)
〇屋根まわり(「小屋組」部分)
〇化粧・造作部分
に分け、符号の記されている部材ごとに、図に付されている符号から索引する形で、字句の注解を書くことにします。
したがって、その順番は、原本のそれとは違ってきますので、あらかじめご了承ください。
   その順番は、おおよそ、実際に建物を建てる順番になります。

字句注解では、「読み」のあとに、「日本建築辞彙(新訂)」の解説を転載します[  ]で囲います)。
木造建築用語(大工用語)には、かなりの「当て字」「訛った語」、そして意味不明の語などがあります。
そこで、さらに補注として、別途解説をつけます(その文責は筆者にあります)。
説明を書くにあたっては、極力、すべての方がたに分るようにしたい、と考えています。

かなりの量になりますので、今回は「足元まわり(「床組」)に限ることにします。



〇足元まわり:床組の用語  下図の赤枠内
      
 (ヌ) 布石 ぬのいし [(一)敷石を長手に据付けたる場合に、布石敷といい、
               (二)土台下に長く据付けたる石をもいう。] 
        補注 布  ・・木綿が作られる以前は、麻布・褐布が普通であった。
               蚕は・・富貴の人の用いるもので、・・布衣とは身分のないものをいう。
               布衣は粗衣、・・「ほい」と読む。と通用する。
               →敷と通じ、しく、ひろげる、つらねる、あまねし、ゆきわたる。(「字通」による)
               「長く並べる」あるいは「続けて並べる」ことを「布」で意味しています。→布基礎

  補注追記[11日 8.45]
  この図から、(ヲ):大引の下には常に(ヌ):布石、(ト):土台があるかのように見えますが、
  そうではありません。
  正確を期すには、断面図とともに伏図:部材位置などを示した平面図:が必要になります。
  この原本の図は、あくまでも、「名称」を示すためのいわば概念図である、とご理解ください
  図面の構成などについては、別途、まとめて載せる予定です。
        
 (ク) 沓石 くついし [柱下の石。]
         補注 「くつ」は足を入れる履物のこと。
             柱の足元に設ける石であるゆえの呼称、と推察されます。
              「沓」の字には「くつ」という意味はないようです。
             字の原義は、下記のとおりですが、
             平安時代に、すでに「くつ」:足を入れる履物の意で使われていたようです。
             その謂れは分りません。

             「沓」の音(発音)は「トウ(タフ)」
             字形は[水+曰]。
             「誻(トウ)」:「水の流れるような多弁」の語と混同されている。
             →川が「とうとう」と流れる。  
             「類聚名義抄(るいじゅ みょうぎ しょう 平安期に成った漢和字書)」 
             アフ、カサナル、カサヌ、タタム、クラシ
             「字鏡抄(じ きょう しょう 院政期に成った漢和字書)」
             カサヌ、クツ、オモシ、アフ、タタム、クラシ。(以上「字通」による) 

             「礎石」(独立基礎)と同意と思われますが、整形した石の場合を特に沓石と呼んだのか?
             農家、商家などでは自然石も使われます。
             いずれにしても、木造の本体は、上に置かれているだけです。
             後掲の「日本の建物づくり-7」で、古代寺院の礎石の例を紹介(足堅めの項)。[追加 15.17]    

 (ト) 土臺 どだい (臺は台の本字) [建物の最下部なる横木(英語 Sill、独語Unterschwelle)。]
        補注 土臺は「土基」とも記し、原義は「土で築いた台・基壇」。
            「図像中国建築史」では「階基」とあります。
            「階」とは、「段階を以て上がるべきもの」つまり「壇」(「字通」による)。
            古代中国建築には、日本の「土台」に相当する「木材」はなく、
            土で築いた基壇上に柱礎を据えて柱を立てています。→土基
            つまり、中国では建物を版築で築いた「壇:土台」が支えているのに対し、
            日本では、木材の横材が上部架構を承けるつくりかたを採るようになったとき、
            その横材が「建物を支えている」ことから、その横材の呼称として
            「土台」の語を転用するようになったのではないか、と推察されます。
            これは、巷間での「土台」の語の使用が、必ずしも建築用語の「土台」の意ではなく、
            「ものごとの基礎」の意で使われていることに現れているのではないでしょうか。
            中国の大平野・低地部では、地盤を整え基壇を確実につくることを重視しましたが、
            日本では、元来、地盤の悪いところに建てないのが普通で、中国伝来の基壇方式は、
            平安期には単なる「形式」になっています。
            「閑話・・・版築の基壇」参照。          

 (ハ) 柱 はしら [ものを支承する為直立し居る木(英語 Post 独語 Stander )。]
         補注 「主」は燭台の形。直立してその上端に蓋がある。柱は木の直立したもの。
             「楹(えい)」も柱と同義、ただし「円柱」をいう。
             「柱」は角・円のいずれにも用いる。
              以上「字通」より抜粋。
             注 英語では円柱を Colummn と記します。 
            
 (ユツ) 床か束 ゆかづか [床束上に「大引」あり。](注 普通は「床束」と記す)
         補注 「束」(そく)には「束ねる」から派生して「四本の指の一握り」の意があり、
              そこから「僅か」「少し」の意が生まれます。→束の間(つかのま)。
               「束」という呼称は「束柱」の「柱」を省略したもので、
              「床束」のほかに「小屋束」のように、柱が短い場合にに使われます。
                         
 (ヲ) 大引 おおびき [尾引(おびき)ともいう。]
        地層床(ちそうゆか:地階)の「根太」を承ける横木にして束(つか)上にあり(英語 Sleeper)。
         補注 次項以下の、根太、床板、足固の項の補注参照。

 (子)=(ネ) 根太 ねだ [床板を承くる横木(英語 Bridging joist 独語 Balken 米語 Floor joist )。]
           (注 片仮名の「ネ」を、この表記にすることがあります。)
         補注 「根」は、ものの足元にあるもの、の意に使われる語ですが、
             「太」に何の意をよせてあるのかは不明です。
             ネダという呼称があって、それに字を当てたのかもしれません。

 (ユイ)床板 ゆかいた [床の板(英語 Floor board 、独語 Diele )。]
         補注 古代の建築では、床板は厚く(ときには3寸:9cmほど)、「大引」に直接板を載せていました。
             「大引」ではなく「床桁」と呼んでいたようです(下図)。
             「大鋸(おが)」が生まれるまで、木材を薄く加工することができず、
             木理(もくめ)の通った木材を割って使っていました。
             下に「伝法堂の床組分解図」を転載します。
          
               この図は「奈良六大寺大観」からの転載です。

次は縁側と主屋の境の柱(記号ハ)の下部
 (ア) 足堅め あしがため [足固め 脚固。床下に於て柱間に取付けたる丈夫なる横木をいう。
                  普通「足堅」と書く(現在は「足固」が一般的)。]
         補注 この材は、柱と柱の間に組み込まれた「大引」の働きが
             ヒントになって使われるようなったのではないか、と推察しています。
            これについては、下記で触れています。
            「再検・日本の建物づくり-7」

次は主屋右側の柱の下部
 (ヂヌ)地貫 ぢぬき 建築辞彙には項目なし。最下部に設ける「貫」。
        (註 原本のデヌは、印字の欠け、地「質」は、「貫」の誤植です)。
         補注 「貫」については「柱・壁まわり(軸組)」で触れます。

 (子カ)=(ネカ) 根太掛 ねだかけ [根太の端を承くる横木。]
         補注 図の縁側のように、大引を設けずに根太を掛ける場合に設けられます。
             反対側は、(ヱカ)と符号の付いた「縁框(えんかまち)」に取付いています。

 (ダキ)抱き束 だきづか 「建築辞彙」には解説なし。
               根太掛を承けるために柱に抱かせて設ける束柱。
         補注 この図の場合、「足固」材に「根太」型を彫る方法も可能です。
             この位置に「足固」を設けず「貫」を設ける場合には、
             柱に欠き込みを設け、根太を取付けることもできます(釘打ち併用)。

 (ヱ)縁板 えんいた [縁側の板をいう。]
         補注 この図の場合、縁板=床板は、縁の長手に添って張られます。
             そのような場合を、特に「榑縁(くれえん)」と呼んでいます。
             「榑」:ふ 榑桑(ふそう)、神木なり。日出づるところなり。扶桑ともいう。
             たるき、まるた、くれ。(「字通」による)
             「くれ」:山出しの板材。平安時代の規格では長さ12尺、幅6寸、厚さ4寸。くれき。(「広辞苑」)
             これらの意から、なぜ「くれえん」になるのか、よく分りません。
             「長い」ということからでしょうか?
             「榑縁」は、薄い板材が加工できるようになってから現れますから、
             上記の「くれ」を何枚かに割った板を張ったからなのかもしれません。
             なお、当初の「縁」は、長さに直交して厚めの板を張るのが普通でした。 

 (ヱカ) 縁框 えんかまち [縁束の面よりも突出せしめて、束に取付けたる横木なり。]
         補注 この図の場合は、「框」上に雨戸用の溝(一筋溝:ひとすじみぞ)を彫ることを意図しています。
            框(かまち)
            建具(戸、障子など)の四周の枠にあたる部分や、仕上げの端部を納めるための部分を言います。
            例:玄関などの土間部分に面する床の端部に設ける「上り框(あがりかまち)」。
            「縁框」に根太を取付ける場合は、根太型に彫込みを設け、落し込みます。

 (シ)敷居 しきい 〇化粧・造作部分のときに、「鴨居」とともに触れます。

 (トカ)床コ框 とこがまち 「床框」 〇化粧・造作部分のときに触れます。

 (ヂブ)地袋 ぢぶくろ これも〇化粧・造作部分のときに触れます。 
                                          足元まわり(床組部分)了             

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この国を・・・・23:グローバル(化)

2012-05-03 18:27:01 | この国を・・・
憲法記念日。
昨日今日の雨で、一気に柿の若葉が繁りました。と



  ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
[追補追加 4日 10.00][追補 5日 22.40]


昨今、日本の大学の新学期を九月開始にしよう、という動きがあるそうです。
四月新学期では、グローバル化に適切でない、《国際標準》に合わない。
その理由は、《国際標準》に合わせないとよい人材を得られない、諸国に遅れをとるからだ、ということのよう。
各地のバス事業等の「再生」に関わっているある《起業家》は、それを是として、だいたい、大学入試に「古文」などを課していることが時代遅れ、だからグローバル化についてゆけない、とのような主旨のことを、ある新聞のコラムで書いていました。
あるいはまた、大学生の学力低下が著しい「例」、として、数学の「平均」という概念について、「正確な理解ができていない」という旨の話題もありました。
グローバル化の流れについてゆくために、社内の会話をすべて英語にする、という会社も現れています。

こういう「動き」を見ていて、私は、戦後間もなくの「国際(化)」という語と、数十年前に流行った「学際(化)」という語を思い出しています。
私の同僚の先達が、高名な評論家ですが、「国際」も「学際」も、「国」、「学」が確立していて初めて成り立つもの、なのに、「国」「学」の「自立」がないまま、「国際」「学際」を言う、と喝破していました。
まったく同感でした。これは、今も真実であり真理です。 

自国のありようを知らずして、自分の学んでいることの「位置」の確認をすることなく、「国際」「学際」というのは、一種の「逃げ」、状況にまともに向き合うことを逃げている、そう私は思います。
私が関わっている「建築」の場合、「建物をつくる」とは、人の世に於いて、いかなる位置を占め、いかなる意味を持つのか、それを考えて当然ではないか、と思っています。
それは、やっていることが「役に立つ」かどうか・・・、などということ以前の根本の話のはずです。もちろん「利」を得るか否かとも無関係。
しかし、建築に係わる方がたの中には、そういうことを抜きにして、専らわが身の「差別化」に励む方が多い。それが、何度も触れている「理解不能」な方がたを生んでいるのです。

このあたりは、昨今のグローバル化《願望》思考に共通するように思います。
冒頭に書いたような理由、つまり、今のままでは世界の流れについてゆけない、という理由が「当を得たもの」であったならば、たとえば、鎖国状態であった江戸時代には、世界に比肩できる学問など開花しないことになります。
見事な学問もそれを下支えする文化も花開いているではないですか!
そこに学ぶことは、実に多い。ゆえに「歴史」を学ぶのです。そして、それを学ぶには、「古文」、つまりかつての日本語の体系を知っていることは、必須なのです。

そしてまた、明治以降の四月を年度変りにしていた時代、学問が花開かなかった、ということもない。

なぜ、世界の流れについてゆけないような状況になっているのか、その答は、実は、冒頭に書いた現在の「動き」にある、そう私は考えています。

クイズのような設問で「学力」を問うて、結果を憂う・・・。
現状を生んだのは、まさに、そういう発想・行動しかできない「思考」「思想」にあるのです。
それを認識せず、「制度」に理由を押し付ける、そのような「思考」、そのようにしか考えられない点にこそ「理由」がある、と私は思います。
それは、原発事故を「想定外」で片づける「思考」と紙一重なのではないでしょうか。

     追補 [追加 4日 10.00]
      ある年代の物理学者たちは、「核分裂」にともなうエネルギーの利用・応用に疑義・異議を呈しています。
      それがどのような問題をはらむか、認識していたからです。
      おそらく、核分裂利用促進に積極的に関わってきた方がたも(物)理(学)系の出身と思われます。
      しかし、この方がたは、先達たちとは異なり、
      自らの進めてきたことが、人の世に於いて、どのような位置を占めることなのか、
      認識しているとは思えません。
      認識していたのは、昨今のいわゆる《経済人》と同じく、金勘定だけのようです。
      つまり、感覚が普通の人のそれではない、と言ってよいでしょう。
      核分裂利用を実施しないと、人びとが暮してゆけない、かのような言動は、
      いったいどこから生まれるのでしょう。
      「経済」とは何であったか、原義に戻って考える必要がありそうです。
      原義の意味の「経済」など、やってられない、と言うのであるならば、
      もっと端的に中味を示す言葉を使うべきでしょう。たとえば「金儲け」。
      こういう方がたを作り出したのは、
      他でもない、まさに「大学」の「教育」なのです。
      そのような「教育」への「反省」を《大学人》からは、聞いたことがありません。まったく不可解です。

  追補[5日 22.40]
  素晴らしいコラムがありました!
      
      

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「日本家屋構造」の紹介-2の補遺

2012-05-01 12:03:52 | 「日本家屋構造」の紹介


先回の最終図版を差替えます。
「第六 木材を横に使用する例」に続く「第七 木材を継ぐ時、木の使ひ方」の節の解説・説明文が「製図編」の方に手書き文字で載っていましたので、編集し直した下の図版に差替えます。


これは、木材を継ぐ時の木の使い方の説明。
 字句注解
  「本口」:元口とも記す 木の(丸太材の)根元側、太い側
  「末口」:木の(丸太材の)先端・梢側、細い側
    注 太い、細い、で分けた解説は「広辞苑」によるもの
  通常は、元-末-元-末-・・・というように継いでゆく、という解説

また、国立国会図書館のディジタルライブラリーで閲覧できる、と書きましたが、図版の整理・編集に不完全な点があることが分りました。
また、解説・説明と製図が別巻になっていることもあり、文と図を照合するには面倒です。複写サービスで全巻コピーをとった方がよさそうです。


予 告

文と図を編集しながら作業を進めています。
いつになったら到達するか分りませんが、この書物で紹介されている「矩計(かなばかり)図の例を載せます。
左側は二階建て住居、右側は二階建ての商家の「上げ戸(揚げ戸)」の個所の矩計。
   「上げ戸(揚げ戸)」は、現在のシャッターです。

それぞれの部材に 4.0/5.5 のような表記が添えてありますが、これは幅4.0寸×丈5.5寸を意味しています。
4.0 のみの場合は正角材(まさかくざい:断面が正方形)、これは一辺が 4寸の材:4寸角:を意味します。

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