世相を斬る あいば達也

民主主義や資本主義及びグローバル経済や金融資本主義の異様さについて
定常で質実な国家像を考える

●小沢に望むのは酷か? 「21世紀の資本」以降のビジョン

2015å¹´01月19æ—¥ | æ—¥è¨˜

 

廃墟の零年1945
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白水社
21世紀の資本
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●小沢に望むのは酷か? 「21世紀の資本」以降のビジョン

 どうでもイイ政党、民主党の代表が票の分散を上手に駆使した、岡田陣営を勝利に導いたようである。現在の民主党が、小沢一郎を排除するために、創設者である鳩山由紀夫をも放逐する事態になった事で、この政党が連合と云う官公労中心の既存の枠組みから一歩も抜け出せない政党だと云う事が自明になった証拠固めをしているようなもので、今さらどうでも良いのだろう。

 おそらく、大方の見識ぶった言説は、霞が関や既存勢力に親和的な岡田克也が代表になった事で、野党再編は遠のいたと云う目先の課題に集中するだろう。小生の見方からすると、現時点で、政治に出来ることは、非常に小さなレンジの再分配・負の分配の差配であって、政治の根本的変革に至ることは、与野党の何処を見ても見当たらない。共産党が、国民政党になると云う方向転換をすれば別だろうが、あの頑迷政党が21世紀以降を見つめ、国民政党への脱皮を企てるとは思えない。やはり、最終兵器的に、政治を動かすのは、国民の気づきだろう。そして、その気づきが、マスメディアや官僚組織に、自己改革を余儀なくされることから始まるのだと思う。

 古賀茂明氏は真面目であり、且つ評論家として生きる選択をした以上、穏当な改革派官僚としての意見を語るのは当然だ。彼の、国内政治の対立軸は「改革はしないが、戦争はする」と「改革はするが、戦争はしない」と云う二項図式を示しているが、彼が、本当にそのように思っているかは、幾分懐疑的にみている小生だ。なぜなら、世界の地政学的眺望や経済学的眺望から行くと、国内問題の立ち位置だけで論じることが、ほぼ無意味な時代に突入している事は知っている筈だからである。

 彼が示す二項図式においてさえも、与党野党と云う枠組みは成立せず、ガラガラポンが起きないことには、二進も三進も行かないと言及している。その上に、イスラム対西側、西側対ユーラシア、グローバリズム世界政府対ナショナリズム。その上、グローバル化による富みの偏在問題、地球温暖化問題‥等。そして、地球上のあらゆる資源の奪い合いは、石油や鉱物資源、水、食料と限りなく争いが頻発することを暗示している。

 まあ、ここ5年に限定すれば「改革はしないが、戦争はする」と「改革はするが、戦争はしない」と云う二項図式も成立するだろうが、それすらも実現出来そうもないのが、今の日本の劣化度なのである。国民一人一人が悪いと云うよりも、為政者、そのバックボーンである官僚組織などの経年劣化が、国体を根腐れさせてきたのだが、これを直す方策は尽きているようだ。つまり、座して国体の崩壊を目の当たりにする方が、最も現実的な解決策だと云う考えが、賢明な国民の中で育っているような気がする。

 小沢一郎にしても、日本に民主主義を根づかせようと、国民の視線を一時は集中させる試みに成功したかに見えたが、想像以上に見せかけだった日本のデモクラシーの重大な欠点に気づかされると云う皮肉な結末を迎えている。このような現象は、小沢の責任ではなく、歴史的世界の流れ(民主主義と資本主義のセットシステムが破壊されていた)には抗うことが出来なかったのだと思う。早い話、戦後60年時点では、まだシステムは有効に作用しているように見えたのだが、日本においては、民主主義が根づく前に、そのセットシステムそのものが、世界的に壊れ始めていたと云う皮肉に翻弄されたと解釈しても良いだろう。

 小沢一郎には、もう一花咲いて欲しい願望はあるが、民主主義と資本主義の歪みと云うか、溶解状況に対応し得るビジョンを期待したいのだが、どうも、そのような考えを発露する気配はないのが残念だ。彼の口から、アメリカとの親和性や中国との協調などの言葉は聞かれるが、民主主義の劣化や資本主義の崩壊への言及は、あくまで変化と云う捉え方である点では食い足りない。安倍とか橋下とか民主党など、小沢一郎と比較するのも無理筋だが、小沢一郎にも21世紀以降のビジョンを期待したいわけだが、幾分ゴリ押し的期待でもある。

 最近、幾つかの書店を覗いて見たが、ピケティの「21世紀の資本」(税込み5940円)が品切れになってモックが展示されていたのには吃驚した。小生のアフィリエイトでもかなり売れていたが、極めて硬派で高価な書物が売れていると云う事は、
≪経済的格差は長期的にどのように変化してきたのか? 資本の蓄積と分配は何によって決定づけられているのか? 所得の分配と経済成長は、今後どうなるの か? 決定的に重要なこれらの諸問題を、18世紀にまでさかのぼる詳細なデータと、明晰な理論によって解き明かす。格差についての議論に大変革をもたらし つつある、世界的ベストセラー。≫

≪本文より 「本書の答えは、これまでの研究者が使えたものよりもはるかに広範な、長期的で比較可能なデータに基づいた答えとなっている…格差の根底にある仕組みについて、もっと深い理解を与えてくれるような、新しい理論的な枠組みに基づいたものでもある」 「1970年代以来、所得格差は富裕国で大幅に増大した。特にこれは米国に顕著だった。米国では、2000年代における所得の集中は、1910年代の水準に戻ってしまった――それどころか、少し上回るほどになっている」 「私の理論における格差拡大の主要な力は、市場の不完全性とは何ら関係ない…その正反対だ。資本市場が完全になればなるほど、資本収益率 r が経済成長率 g を上回る可能性も高まる」 「格差の問題を経済分析の核心に戻して、19世紀に提起された問題を考え始める時期はとうに来ているのだ」 「あらゆる市民たちは、お金やその計測、それを取り巻く事実とその歴史に、真剣な興味を抱くべきだと思える…数字との取り組みを拒絶したところで、それが最も恵まれない人の利益にかなうことなど、まずあり得ないのだ」≫

*この本が売れると云う事は、かなりの部分で資本主義の変調が顕著になってきていると感じる人々が増えてきていることを示唆している。単に、世界のベストセラーだからと云って、5940円の本が売り切れるほど売れるには、それ相当の根拠があるわけで、日本人もまだまだ捨てたものではないと心強くも思うのだが、なにせ、民主主義はマスの最大公約要求を具現化するだけに、果たして、そのシステムの溶解と時間競争している場合、人間の頭脳の方が歴史の流れに負けるのではないかと、他人事のように気にしている今日この頃だ。

世界はシステムで動く ―― いま起きていることの本質をつかむ考え方
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