世の中のビジネスを一括りに「価値を生む」と考えるのは幻想だ。
確かに、物流、医療、インフラ、製造といったエッセンシャルワークは明確な価値を生み出し、人々の生活や社会を支えている。
しかしその一方で、現代の多くのビジネスは「アテンションの奪い合い」でしかなく、虚業の匂いを強く漂わせている。
SNSマーケティング、派手な広告、自己演出によるブランディング。これらは、商品やサービスの本質的価値とは無関係に、人の目や関心を集める能力で評価される世界だ。
真面目に製品を改善したり、顧客の課題解決に取り組んだりする努力は、誰の目にも映らなければ報われない。
一方、目立つパフォーマンスや派手な数字を作ることだけで高く評価される。
もちろん、情報過多の現代において、人の関心を引きつける力は経済的価値を生む場合もある。
しかし、それを「唯一の有能さの指標」として社会が扱うのは、明らかに狂っている。
エッセンシャルワークが生む価値や、地味だが確実な成果は軽視され、虚業の華やかさだけが光る。
その結果、優秀な人間が正しい仕事をしても、誰にも見えず、無力感に苛まれる構造が生まれる。
ひとつは確かな価値を生む実体的な世界、もうひとつは虚業的なアテンションゲームの世界。
後者で「有能さ」を測られる限り、努力や才能の本質は正しく評価されず、結果として多くの人が地獄のような評価制度に縛られることになる。