2019
05/24
金
日泰寺に続いては、数百メートルと程近い名古屋市千種区城山町の高台に鎮座します
『城山八幡宮』(しろやまはちまんぐう)に行きました(^^)/
境内入り口は南側にありました。一の鳥居の先は、すぐに石段が伺えます。社号標には正式名の「城山八幡宮」と刻まれています。
城山八幡宮の由緒記が書かれているようですが、ほとんど見えません…(^^;) 城山八幡宮の境内敷地は戦国時代に「末盛城」があった跡地になるようです。
参道の石段を上がり、境内入口に着きました。参道は石畳となっており、石製の鳥居が立っています。階段途中にも鳥居が一つありましたので、三の鳥居になります。
境内参道の西側にはアスファルトの道路もありますので、境内まで車で来られるみたいです。右手には自動車御祓所もありました。
境内前の広いスペースが駐車場です。奥には末社の「豊玉稲荷社」もあります。
境内前には、脇門付きの銅板葺き四脚門の向唐門がありました。
境内の右手には奥に庫裏、手前に社務所(祈祷受付等)がありました。
社務所手前の高木の周囲にはおみくじ結び処と絵馬掛けに、大量の絵馬とおみくじが掛かっています。城山八幡宮は恋愛成就の聖地として、「水みくじの恋占い」や縁結びの御神木「連理木」があり、恋のパワースポットとしてとても人気です。
社務所側から、拝殿を含む境内の全景です。左側は「神楽殿」です。境内の周囲は高木に覆われており、神社の神聖さが伺えます。
唐門入って左手に手水舎がありましたので、身を清めます。
境内西側にあります「神楽殿」です。普段は閉まっているようですが、御神楽の奉納など年中行事(神事)の際に使われています。
拝殿の向かって左側にあったのは、末社の山神社(大山祇神)、神明社(天照大神)、津島社(祭神建速須佐之男命)が祀られています。
拝殿正面の全景です。銅板葺き入母屋造り向拝付きとなっています。御祭神は「誉田別命(応神天皇)・息長帯比賣命(神功皇后)・帯中津日子命(仲哀天皇)の三柱の神を主神として木花開耶媛命・大山祇神・菊理媛命・伊弉諾尊・伊弉冉尊の五柱の神を合祀申し上げている。」と略記に書かれていました。
城山八幡宮略記沿革には、
「当宮は往古、末森城の麓に鎮座し五百年以上前から産土神(うぶすなのかみ)・勝運守護の神として崇敬を集めてきたと伝えられており、昭和十一年に境内地であった現末森城址に遷座した。
末森城を築いた織田信秀(信長の父)信行(信長の弟)を始め尾張藩主等、戦国・江戸時代を通じ武将の篤い崇敬を集め、現在も名古屋の東の守り神として「厄除開運・交通安全・勝運守護」の御神徳が信仰されている社である。
二重堀を廻らした約10000坪の境内地はその殆どが史跡末森城址と重なり、室町時代末期における平山城(ひらやまじろ)の城址として原形に近い姿を伝えている。
社殿は本殿、弊殿、拝殿、廻廊からなり、末社には山神社、神明社、津島社、豊玉稲荷社を祀っている。境内には堀を廻る散策路に沿って「茶室洗心軒」「末森城址碑」「昭和塾堂」「連理木(れんりぼく)」「殉国碑」等の見所がある。」
拝殿(向拝)には金文字で「城山八幡宮」と書かれた扁額が掲げられていました。鈴緒を鳴らし、二礼二拍一礼をしてお詣りをさせていただきました<(_ _)>
拝殿奥の本殿です。
社務所玄関です。玄関横の祈祷受付にて御朱印を書いていただきました。
御朱印は4枚中2枚書いていただきました(^^)/
平成31年己亥年(つちのとゐどし)限定御朱印
場所:城山八幡宮
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