『危機下で学ぶべき高橋是清の教訓』 日経H21.6.16
リチャード・スメサースト ピッツバーグ大
『危機下で学ぶべき高橋是清の教訓』日経H21.6.16
高橋是清:1930年代に、日本の不況を克服した蔵相、2・26事件で暗殺される:が絶賛されています。彼は、1930年代初めの世界的不況から、日本をいち早く脱出させたと、評価されているようです。

高橋是清は、のちにケインズ的経済安定化策と呼ばれるようになる経済政策で、1930年代初めの世界恐慌から日本を救った人物として、日本は勿論日本以外の経済史家の間でもよく知られている。…我々は高橋から何を学ぶべきか…。
…30~31年には、浜口雄幸首相と井上準之助蔵相が第1次世界大戦前の為替レートで金本位制に復帰したことなどが原因で、成長率はわずか0.7%にとどまっていた。
彼は…31年12月に就任した。就任してすぐに金本位制からの離脱と円の切り下げ、通貨供給用の増大、金利の引き下げを行い、32年夏には大規模な赤字国債の発行…。
こうした景気刺激策が奏功して、日本の輸出、内需、生産は拡大し、民間部門の設備投資も急伸した。実質国民総生産(GNP)成長率は32~36年に年6.1%のペースで伸びた。
以下、同論文で評価されている、高橋の政策です。
(1)
ケインズの、「不況下の財政+金融政策」よりも、幅広い「成長志向型経済」を目標とした。政府は国民全員の生活水準向上を図る義務があり、それは景気後退期に限らないとの信念。
「富国強兵」にかえて、「富国裕民」を提唱。
(2)
1922年には所得税の累進税導入。貧困層に低い税率により、経済成長につながるとの判断。
(3)
政府より、地方分権(地方の方が地元の状況や市場に明るい)。政府は、金融・財政・租税・関税政策を通じ間接的な役割で支援すべき。
・文部省を廃止し、小学校カリキュラムは地方に任せるべき。農村の子どもの教育は都会と違って当然だ。
・国立大学も民営化すべき。イノベーションを促すには、公立私立を問わず、研究に政府支援を得る機会を平等に与えるべきだ。特権はリスクを取ることを恐れ、安寧になる。
・知事の公選制の主張(当時は国が知事を任命・派遣)。
(4)
シビリアン・コントロールの主張。軍事費抑制(軍事支出は非生産的で、産業育成に必要な投資が削られてしまう)を主張(結果、2・26での暗殺につながる)。
(5)
財政出動(赤字)は一時的な方策だと述べ、終止符を打つ計画だったこと。財政支出は拡大してよい時期と、抑制すべき時期があるのを理解していたこと。
そして、結果的に、「彼の財政・金融政策は十全に機能し、大恐慌から日本を救った」のです。
同論文は、日本がお手本にすべきなのは、「日本にある」と言います。
…同様の政策は、今日でも有効と考えられる。オバマ米大統領も、彼の景気刺激策に抵抗する自由主義信奉者も、90年代の日本の「失われた10年」を反面教師としている。だが日本には…「高橋の4年」というもっともよいお手本があることを、忘れてはならない。
このようにべた褒めされている高橋財政ですが、どのような時代背景、成果だったのでしょうか。
参考文献 田中秀臣『デフレ不況 日本銀行の大罪』朝日新聞出版 2010
浜田宏一他 『伝説の教授に学べ』東洋経済新報社 2010

このような時代背景のもと、1931年12月に犬養毅政権で、高橋是清が蔵相に就任します。
1931 金輸出再禁止(金本位離脱) →49ドル/100円→20ドル台/100円→円安
↓
輸出拡大
1932 5・15事件 犬養暗殺
↓
軍事費拡大などの財政出動(財政赤字)
↓
1932 日銀の国債引き受け(財政赤字ファイナンスの金融緩和)
1932~1935年までの4年間で、インフレ率2.1~2.21%程度、平均成長率7%を達成する結果となりました。
高橋は、安定成長に乗ったので、公債発行を抑え、軍事支出を抑制する方向(今でいう出口政策)に財政政策を転換しようとしました。これが軍部の不満を招き、2・26事件で暗殺されます。
その殺され方は、何発もの弾丸を受けたうえ、わざわざ刀でけさ斬りされるという悲惨なものでした。
軍部の、幼年学校からの囲い込み教育を批判したことが背景にありました。「人間としての常識は中学で涵養されるべきところ、陸軍だけが子供を囲い込み、幼年学校で社会と隔離した特殊教育を行う。その常識を欠いた者が幹部となり、政治にまでくちばしをはさむ。言語道断だ」と主張したのです。
高橋に理があることは、今となっては自明ですが、軍は高橋を許しませんでした。2・26事件後、1936年以降、軍事費は拡大の一途となりました。
『詳説日本史』山川出版社 H22年度用見本 p331

『危機下で学ぶべき高橋是清の教訓』日経H21.6.16
高橋是清:1930年代に、日本の不況を克服した蔵相、2・26事件で暗殺される:が絶賛されています。彼は、1930年代初めの世界的不況から、日本をいち早く脱出させたと、評価されているようです。

高橋是清は、のちにケインズ的経済安定化策と呼ばれるようになる経済政策で、1930年代初めの世界恐慌から日本を救った人物として、日本は勿論日本以外の経済史家の間でもよく知られている。…我々は高橋から何を学ぶべきか…。
…30~31年には、浜口雄幸首相と井上準之助蔵相が第1次世界大戦前の為替レートで金本位制に復帰したことなどが原因で、成長率はわずか0.7%にとどまっていた。
彼は…31年12月に就任した。就任してすぐに金本位制からの離脱と円の切り下げ、通貨供給用の増大、金利の引き下げを行い、32年夏には大規模な赤字国債の発行…。
こうした景気刺激策が奏功して、日本の輸出、内需、生産は拡大し、民間部門の設備投資も急伸した。実質国民総生産(GNP)成長率は32~36年に年6.1%のペースで伸びた。
以下、同論文で評価されている、高橋の政策です。
(1)
ケインズの、「不況下の財政+金融政策」よりも、幅広い「成長志向型経済」を目標とした。政府は国民全員の生活水準向上を図る義務があり、それは景気後退期に限らないとの信念。
「富国強兵」にかえて、「富国裕民」を提唱。
(2)
1922年には所得税の累進税導入。貧困層に低い税率により、経済成長につながるとの判断。
(3)
政府より、地方分権(地方の方が地元の状況や市場に明るい)。政府は、金融・財政・租税・関税政策を通じ間接的な役割で支援すべき。
・文部省を廃止し、小学校カリキュラムは地方に任せるべき。農村の子どもの教育は都会と違って当然だ。
・国立大学も民営化すべき。イノベーションを促すには、公立私立を問わず、研究に政府支援を得る機会を平等に与えるべきだ。特権はリスクを取ることを恐れ、安寧になる。
・知事の公選制の主張(当時は国が知事を任命・派遣)。
(4)
シビリアン・コントロールの主張。軍事費抑制(軍事支出は非生産的で、産業育成に必要な投資が削られてしまう)を主張(結果、2・26での暗殺につながる)。
(5)
財政出動(赤字)は一時的な方策だと述べ、終止符を打つ計画だったこと。財政支出は拡大してよい時期と、抑制すべき時期があるのを理解していたこと。
そして、結果的に、「彼の財政・金融政策は十全に機能し、大恐慌から日本を救った」のです。
同論文は、日本がお手本にすべきなのは、「日本にある」と言います。
…同様の政策は、今日でも有効と考えられる。オバマ米大統領も、彼の景気刺激策に抵抗する自由主義信奉者も、90年代の日本の「失われた10年」を反面教師としている。だが日本には…「高橋の4年」というもっともよいお手本があることを、忘れてはならない。
このようにべた褒めされている高橋財政ですが、どのような時代背景、成果だったのでしょうか。
参考文献 田中秀臣『デフレ不況 日本銀行の大罪』朝日新聞出版 2010
浜田宏一他 『伝説の教授に学べ』東洋経済新報社 2010

このような時代背景のもと、1931年12月に犬養毅政権で、高橋是清が蔵相に就任します。
1931 金輸出再禁止(金本位離脱) →49ドル/100円→20ドル台/100円→円安
↓
輸出拡大
1932 5・15事件 犬養暗殺
↓
軍事費拡大などの財政出動(財政赤字)
↓
1932 日銀の国債引き受け(財政赤字ファイナンスの金融緩和)
1932~1935年までの4年間で、インフレ率2.1~2.21%程度、平均成長率7%を達成する結果となりました。
高橋は、安定成長に乗ったので、公債発行を抑え、軍事支出を抑制する方向(今でいう出口政策)に財政政策を転換しようとしました。これが軍部の不満を招き、2・26事件で暗殺されます。
その殺され方は、何発もの弾丸を受けたうえ、わざわざ刀でけさ斬りされるという悲惨なものでした。
軍部の、幼年学校からの囲い込み教育を批判したことが背景にありました。「人間としての常識は中学で涵養されるべきところ、陸軍だけが子供を囲い込み、幼年学校で社会と隔離した特殊教育を行う。その常識を欠いた者が幹部となり、政治にまでくちばしをはさむ。言語道断だ」と主張したのです。
高橋に理があることは、今となっては自明ですが、軍は高橋を許しませんでした。2・26事件後、1936年以降、軍事費は拡大の一途となりました。
『詳説日本史』山川出版社 H22年度用見本 p331

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