地上10cmの平均台が、地上100mにあると信じ込んでしまうと
5月上旬に東京ビッグサイトで開催された「サクセス・ウィズアウト・リミット」というセミナーイベントに参加したのですが、そこで登壇された多くの方が、更に深くつっこんだセミナーを色々と開催していて、その個別セミナーの売り込みという側面も多分にあったように思います。
海外からの講演者の方々も例外ではなく、数週間後、数ヵ月後に日本でこれこれのセミナーを開催しますから、是非とも参加してみませんか、って。
そのどれもが、結構いい値段なんだな! なので、そんな気はさらさら無かったんだけど、その中の一つについ興味を持ってしまったんですね。
その場でしか申し込めないので結構迷いましたが、結局申し込みました。
我が家にとってはかなり痛い出費なんですが、停滞している現状を何とかしなくちゃって焦りがあり、そのきっかけになってくれればと一大決心(ちょっと大げさ?)したわけです。
ってことで、セミナーの中身を皆さんとシェア出来ればと思っているのですが、まだ自分の中で消化し切れていない部分もあり、少し整理した後でないとちょっと無理っぽい。
なので、前振りの意味も含め、セミナーに絡んで起こったちょっとした出来事を書いてみようかな。
申し込みからセミナー開催まで丸2週間。毎日1枚ずつ聞いていけばいいかと思いながらも、最初の一週間は予想通り(?)サボりました。
直前の1週間で毎日2時間ずつ聞かなければならないはめに。それならジョギングしながら聞けばいいかと、CDの中身をスマホに取り込み、そして2時間のジョギングが日課に。
実は、ここ一ヶ月ほど足の調子が悪くて、痛いまではいかないまでも違和感があるって感じで、どうもスッキリとした走りが出来ないでいました。
なので、ゆったりしたスピードとしても毎日2時間を1週間も続けるのは無理かなって危惧してました。ところが、実際に走ってみると7日間の間に足に違和感を感じたことは一度も無かったんです。
これは、想像するに、意識の問題なのかなって。
足の調子が悪いから頑張らないように走ろうと思っても、ついつい頑張っちゃったり、あるいは変な意識が足に知らない内に微妙な負担をかけていたんじゃないかと。
それが、「走ること」が目的ではなく、「CD音声を聞く」ことが目的になった途端、意識(の焦点)が “足” から離れて “耳” に移行した結果のような気がします。
だから何なのよ?って言われてしまいそうですが、うーん、なんて言えばいいのかな、人の “意識” って凄いなって思うんです。
(無意識も含めた)意識が、人の心も体もコントロールしてるんだなって改めて実感。
地上10cmのところにある平均台を渡っていくのは難しくありません。その同じ平均台が地上100mにあるとしたら、大概の人は渡れなくなってしまうでしょう。
足を踏み外したら死ぬという意識が、体を萎縮させ、筋肉を緊張させ、そして実際に平均台から落ちる可能性を何倍にも拡大してしまいます。
意識したことが現実になるんです。実際には、その平均台が地上10cmのところにあったとしても、地上100mなんだって意識してしまえば、その意識の方が優先されますよね。
日常生活においても同じ。何か行動を起こそうとした時、その行動によって引き起こされるかもしれない結果が恐いって意識した途端、体は萎縮し、心はしぼみ、そして1歩を踏み出せなくなり・・・
何度か「視点を変える」という話を書いてきましたが、それって例えば「半分入ったグラスを見て、半分しか残ってないって思うのか、半分も残ってるって思うのか」みたいに捉えていたんだけど、そうか、こういう「視点を変える」ってのもあるんだなって。
「走ること」に向けていた意識を「聞くこと」に変えたように。そして、いつもは恐怖の対象になってしまう平均台に向けてしまう意識を、目線を上げて渡っていく先の目標地点に向けるように変える。
ここで書いた通り、夢を実現したい理由の中心には “自分” がいると思います。 “自分” が~したい、“自分” が~になりたいって。いわゆる、For Me ですよね。
でも、自分のためではなく「誰か他の人のために」といった大義名分を持つことが出来たとすれば、その「自分が、自分が」という意識から離れることが出来るかもしれません。
これも「視点を変える」ってことになりますよね。
(うーむ、書き出したときに想定していた到着地点とは違うところに着いてしまった)
海外からの講演者の方々も例外ではなく、数週間後、数ヵ月後に日本でこれこれのセミナーを開催しますから、是非とも参加してみませんか、って。
そのどれもが、結構いい値段なんだな! なので、そんな気はさらさら無かったんだけど、その中の一つについ興味を持ってしまったんですね。
その場でしか申し込めないので結構迷いましたが、結局申し込みました。
我が家にとってはかなり痛い出費なんですが、停滞している現状を何とかしなくちゃって焦りがあり、そのきっかけになってくれればと一大決心(ちょっと大げさ?)したわけです。
ってことで、セミナーの中身を皆さんとシェア出来ればと思っているのですが、まだ自分の中で消化し切れていない部分もあり、少し整理した後でないとちょっと無理っぽい。
なので、前振りの意味も含め、セミナーに絡んで起こったちょっとした出来事を書いてみようかな。
体のどこかに変な力が入ってたんでしょうね
会場でセミナーに申し込んだ特典として、事前勉強用のCDを頂いたんですが、家に帰って中身を見たら、これがなんと13枚セット。時間にして合計14時間弱の大作。申し込みからセミナー開催まで丸2週間。毎日1枚ずつ聞いていけばいいかと思いながらも、最初の一週間は予想通り(?)サボりました。
直前の1週間で毎日2時間ずつ聞かなければならないはめに。それならジョギングしながら聞けばいいかと、CDの中身をスマホに取り込み、そして2時間のジョギングが日課に。
実は、ここ一ヶ月ほど足の調子が悪くて、痛いまではいかないまでも違和感があるって感じで、どうもスッキリとした走りが出来ないでいました。
なので、ゆったりしたスピードとしても毎日2時間を1週間も続けるのは無理かなって危惧してました。ところが、実際に走ってみると7日間の間に足に違和感を感じたことは一度も無かったんです。
これは、想像するに、意識の問題なのかなって。
足の調子が悪いから頑張らないように走ろうと思っても、ついつい頑張っちゃったり、あるいは変な意識が足に知らない内に微妙な負担をかけていたんじゃないかと。
それが、「走ること」が目的ではなく、「CD音声を聞く」ことが目的になった途端、意識(の焦点)が “足” から離れて “耳” に移行した結果のような気がします。
視点を変える、意識の焦点を変える
これまでも走りながらオーディオブックを聞いていましたが、それでも主体はやっぱり「走ること」だったんですよね。それが今回は主体が「聞くこと」で、「走ること」は付帯事項になったんです。だから何なのよ?って言われてしまいそうですが、うーん、なんて言えばいいのかな、人の “意識” って凄いなって思うんです。
(無意識も含めた)意識が、人の心も体もコントロールしてるんだなって改めて実感。
地上10cmのところにある平均台を渡っていくのは難しくありません。その同じ平均台が地上100mにあるとしたら、大概の人は渡れなくなってしまうでしょう。
足を踏み外したら死ぬという意識が、体を萎縮させ、筋肉を緊張させ、そして実際に平均台から落ちる可能性を何倍にも拡大してしまいます。
意識したことが現実になるんです。実際には、その平均台が地上10cmのところにあったとしても、地上100mなんだって意識してしまえば、その意識の方が優先されますよね。
日常生活においても同じ。何か行動を起こそうとした時、その行動によって引き起こされるかもしれない結果が恐いって意識した途端、体は萎縮し、心はしぼみ、そして1歩を踏み出せなくなり・・・
何度か「視点を変える」という話を書いてきましたが、それって例えば「半分入ったグラスを見て、半分しか残ってないって思うのか、半分も残ってるって思うのか」みたいに捉えていたんだけど、そうか、こういう「視点を変える」ってのもあるんだなって。
「走ること」に向けていた意識を「聞くこと」に変えたように。そして、いつもは恐怖の対象になってしまう平均台に向けてしまう意識を、目線を上げて渡っていく先の目標地点に向けるように変える。
ここで書いた通り、夢を実現したい理由の中心には “自分” がいると思います。 “自分” が~したい、“自分” が~になりたいって。いわゆる、For Me ですよね。
でも、自分のためではなく「誰か他の人のために」といった大義名分を持つことが出来たとすれば、その「自分が、自分が」という意識から離れることが出来るかもしれません。
これも「視点を変える」ってことになりますよね。
(うーむ、書き出したときに想定していた到着地点とは違うところに着いてしまった)
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