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はてなキーワード: 新刊とは

2026-01-21

うちの最寄りの本屋にはさあ、ジャンケットバンクも戦奏教室もジュミドロもウリッコも売ってないんだよね

そもそも取り扱ってないようで、新刊コーナーに並ぶことさえないわけ

なんでなん

まあね、本屋さんは本離れで大変だって聞くし、わからんことはないわけよ

売り場だってそんなに大きく取れないんだろうしさ

でも未だにドラゴンボールが全巻並んでたり、ワンピースがどーんと棚を占めてたり、メディア登場作が大々的に並んでたりするんよ

いやわかるけどもさ

知名度の少ない新刊よりも売れるだろうし、返品の可能性とか考えるとさもありなんとは思うよ

でも新刊なんよ

販売月なのに置いてないのよ

あるいは置いてあったとしても入荷が少なすぎて、すでに誰かに買われてしまってんのよ

もう悲しいじゃん

取り置きも承りますので是非ご注文くださいとか反論があるかもしれないけど、それするくらいだったら自宅にまで届くAmazon使うんよね

仕方ないかもしれないけどもさ

とはいえ、こういうのは洋書新書の方が顕著なのかもしんないなあ

2026-01-19

アンソロジー主催同人オンリーイベント主催者へ

新刊出して数ヶ月経ってから感想送ってきて、こっちがバカ真面目に返信した後「別件なんですが新刊カードください」って言い出すな

感想手土産代わりにすんのやめろ

アンソロ寄稿した後、「後ほどあらためて御礼のご連絡しますね^^」〜音沙汰無し〜「次のアンソロ寄稿してください」

イカれてんのか DM送る前に履歴見ねえの?都合良く無視してんじゃねえよ こっちはてめえに協力する為だけのマシーンじゃねえんだわ

2026-01-18

女性向け同人誌小説)(作る数10~30冊)の価格設定

こんにちは

これはSNS交流もろくにしない、たまにしかイベントに参加しない、10部さえ売れない弱小サークル主が

久々に出るイベントで出す同人誌価格をどうしようかなと考えている日記です

えー100部からでしょとか言う人は画面閉じていいと思う

そういう人にはそういう人の悩みがあると思うからそういう人のお悩み解決窓口に行くべき

中堅には中堅の、ど底辺にはど底辺の悩みがある

そんなど底辺絵が描けないから字を書いている今度作る本はオンデマ20冊です!みたいな人向け

というわけではないけど私自身がそうなのでそういう人向けに見えるかもねって日記


前提

女性向け

小説のみ

SNS交流ほぼなし

Xで語りとたまにSS投稿

ジャンルは連載中漫画女性向けジャンルとしては新興小さめ

SNSフォロワー二桁前半増えない増やす気もない


作る同人誌

オンデマンド

10冊~30冊の間

文庫(A6)か新書かB6のページ数嵩増し本が多い


事前準備

ジャンル内と自カプ内で既に同人誌を出しているサークルの本の価格を調べる

女性向けは特に相場に厳しいため安くても高くても文句苦情が届く

高いのはともかく安くて文句言うのどういうこと~~~恐っ

最近はどこのジャンルでも【文庫でページ数×10円】のサークルがいるためありがたい

文庫194ページ2000円とか240ページ2400円とか

高~~~~

しかったらそんなこと考えずに買っちゃうけどね宵越しの売上金は持たねえぜ

でも少なくともその単価分まではオプション装丁選べるし割増入稿もできると思える

自分の設定する金額の上限ラインもそこに設定できる


個人的に決めていること

全部売れたら印刷代分は回収できる単価を最低限に設定して相場相談する

から安すぎるということはまずないか

安くするなと過去文句言われたことがあるし個人的貯金もないし赤字は無理

ただし現実的には毎回売れ残り廃棄してその分は赤字から全然回収できていないことも多い

ほら脱稿ハイ調子乗って10冊にすればいいのに30冊作っちゃうから

愚か~~~~

結果的二次創作赤字~になっているから今のところこの決め方で続けている

でも奇跡的に全部売れたのに赤字金額にはしない

底辺サークルで実生活もど底辺なのに全部売れたらせめて印刷代くらい回収させてくれ


基本のき

単純に印刷代+送料を冊数で割る

大手印刷所だと○箇所まで送料無料から小数サークルも送料は入れていいと思う)

これは新刊1冊だけなら計算はそれだけにするが

新刊1冊既刊再版2冊ならその3冊の合計金額で考えてもいいことにしている

もちろんどれか余ってどれか売り切れるということもあるだろうけど

(そしてど底辺は全部売れ残るのだ)

1冊ごとに計算すると自分の首を絞めるのでそのあたりは柔軟に対応する

言うて10冊でも余るど底辺サークルから


おたクラブって会社オンデマンドA6の表紙フルカラー本文モノクロ表紙込み50ページの同人誌を作る

標準用紙+標準PP+それ以外オプションなしつけられるわけがない

底辺だけど余裕入稿なんかできるわけないのでぎりぎりチキンレース締め切られるか締め切られないか

10営業日も厳しいけど頑張る、日和見10冊、1570円(今現在

余裕ないから会場に送付してもらう1300円で合計2780円

単価278円⇒300円

これを最低単価とする

印刷会社オプション等々で同じA6の50ページでも単価は当然変わる

文庫ページ数×10円】サークルがいた場合はそれより安かったらそれでいいし

相場相談して無理のない範囲で決めるけど上の例なら300円~500円かな


どこまで儲けてもいいか

基本的にど底辺なので余るし廃棄する毎回泣く

でも1冊だけ作るのは高すぎるし1冊か2冊は買ってくれる読者がいてくれる

嬉しいありがたい貴方は神です愛しているだからもう少し刷る

よく使うところの最低数は10冊、もうひとつ会社20

から毎回10~30冊、それ以上は持て余す無理

全部売れたとしてイベント参加費と送料(宅配搬入とか諸々)くらいはよしとする

ジャンル内が強気価格が多いとこちらもラッキーと思って金額上げられるの助かる

でもどんなに上げても旅費【交通費宿泊費】は超えないようにする

税金関係も面倒だし…

残念ながら地方人間なので万が一全部売れて強気値段にしても旅費には届かん

サーチケ一般前に入ってほしいサークルの列に並べる権利があると思えば旅費はかかってもいいし


まとめ

オフセットなんか考えるなオンデマンドしろ安くて小数部の印刷所を探せ

装丁凝るのは50冊以上安定して売れるようになってからにした方がいい

自力で稼いでいるとか実家が太いとか金銭に余裕があるなら好きなことしよう私は無理

・世にはびこる計算式なんか無視していい

・なぜなら選ぶ印刷所で同じ設定の本でも全然価格が違ってくるから

・気にしいの人は一回それで計算して判断基準の一つにしてもいいかもね私はしないけど

・かかった印刷代÷冊数=単価より下回る金額にはしない

ジャンル・自カプの相場をざっくりでいいから調べて上限を設定する

文庫サイズでページ数×10円設定のサークルがいたらラッキー

・ページ数×10円の単価までは極道入稿装丁もりもりができるするかは別として

・全部売れたらサークル参加費と送料はペイできたらいいよね

・でも現実赤字の方が多いし売れ残った本の廃棄に苦労している

・頑張ろうね10冊も売れない小さい小説サークル主さんたち

・1冊でも売れたら嬉しい限りは続けたいよね

・読んでくれる貴方、買ってくれる貴方ありがとうございます

2026-01-16

anond:20260116210319

そりゃ新刊書店が消えたら文筆家は廃業だろw でもそうか、図書館絶対数が少ないから上手く回ってるのはまあ、あるな・・・お目こぼしをいただいてるというか

2026-01-13

自宅に図書室を作った

最初に言っておくとAIで書きました。

でも、内容は事実

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自宅に、漫画専用の部屋を作ったのは、今から三年ほど前のことだ。

きっかけは単純で、家の中に漫画があふれ始めたからだ。

夫婦そろって漫画が好きで、気がつけばおよそ千冊。新刊が出るたびに少しずつ増え、棚に入りきらなくなり、あちこちの部屋に「とりあえず置き」の山ができていった。

幸い、敷地内には離れがあり、八畳ほどの倉庫があった。正直に言えば、倉庫というよりも捨てられないゴミ置き場。

そこで思い切って片付け、壁と床を自分たちで塗り直し、簡単リフォームをした。机と椅子ソファを置き、エアコンを取り付け、本棚を並べる。漫画だけでなく、フィギュアポスターなどの関連グッズも飾れるようにした。

費用は全部で五十万円ほど。

安い買い物ではなかったが、「好きなものに囲まれ場所」を自宅に持てると思えば、不思議と納得できた。

完成当初は、完全に「家庭内図書館」だった。

静かで、涼しくて、好きな漫画がすぐ手に取れる。大人にとっては理想的空間だ。ただ、子供はというと、興味を示すのは特定漫画だけで、全部を読むわけではなかった。そのため、この部屋は自然勉強部屋としても使われるようになった。

ただし、理想は長く続かない。

二年ほど経つと、いつの間にか「図書館」は「倉庫」に近い状態になっていた。読まない漫画、置きっぱなしの箱、なんとなく積まれた物。気を抜くと、部屋はすぐに本来の姿に戻ろうとするらしい。

それでも、この部屋が役に立つ場面は増えていった。

子供の友人が遊びに来たとき、ここを使うようになったのだ。漫画を読んだり、ソファでだらっとしたり、時には宿題をしたり。家族以外の人が使うことで、空間は再び生き返った。

そして三年が経った今、はっきり言えることがある。

漫画部屋を作ってよかった。

もし作っていなければ、漫画は今も家中に散らばっていただろう。

「ここに戻せばいい」という場所があるだけで、片付けの基準ができる。完璧に整理されていなくても、拠点があるのは大きい。

この部屋は、いつも理想通りではない。

図書館になったり、倉庫になったり、子供たちのたまり場になったりする。それでも、好きなものを集めた空間が家にあるという事実は、暮らしに小さな余裕を与えてくれる。

たぶんこの先も、形を変えながら使われ続けるだろう。

それでいいのだと思っている。

2026-01-12

宮崎駿の方は古典どころか原作者が存命の魔女の宅急便耳をすませばで同じような事やってたじゃん

インド僧@農学無双③&冬コミ新刊発売中

@indozou

原作竹取物語」では唯一かっこよく、かぐや姫と心の通じ合えた男として描かれた帝が「かぐや姫の物語」では外見も心も醜い男として描かれるの、

原作古典じゃなかったらかなり忌避されるレベル原作破壊だよなぁとは思う

https://x.com/indozou/status/2009772221322207251

解釈違い

私の普段暮らすジャンルは、俗に言う限界集落である

供給も多いとは言えず、人口も少ない。

それ故、住民たちは極めて雑食(あるいは悪食)的な傾向があった。

「会話がなくとも同じ画面にいなくとも同じ作品に出ているならカプ成立の余地がある」と言っても過言ではなかった。

NLBLGLその他性別の有無相関は問われず、どのような組み合わせも受け入れた。

無論他カプに対する「解釈違い」は全くないとは言わないし、内心で皆がどう思っているかは分からないが、自分が食わぬものもきっと誰かは食うのだろうという共通理解はあった。

そもそも供給人口も少ないのだから、数少ない「同じコンテンツ/キャラを愛でる同志」でいがみ合っている場合ではなかったのである

このような村で私は青春を過ごし、そこで得た経験価値観自分オタコンテンツへの向き合い方の根幹となっている。

話が変わるが、中学美術時代からの友人がいる。

所謂オタ友というやつである

好むコンテンツジャンルはかなり違っており、同時に同じコンテンツを楽しむことはあまりなかったように思う。ただし「○○の××に今めっちゃハマってて〜」みたいな話を共通コンテンツでなくても気兼ねなく言い合えるという関係が心地よかった。

要は温和な彼女性格が峻峭な私の性情と衝突しなかったのだ。なんにせよ私たち親友と言って良いほどの間柄であった。

そんな友人に今冬、コミケの売り子手伝いを頼まれた。

友人は今大手ジャンルで盛んに絵を描き同人誌を出しているそうで、人手が欲しいとのことだった。

自分自身の同人活動はしばらくストップしていたが、他ならぬ友人の頼みであるので快諾した。

サクチケ入場もできるわけだし、せっかくなら○○(友人のジャンル)の雰囲気見てみるかー、空いた時間で自ジャンル覗くかなー、ぐらいの心持ちだった。

友人が今推しているキャラは、忖度なしで言えばそのジャンル内では人気が高いとは言えないキャラであった。当日そのキャラの本を出しているサークルは片手で数えられる数であった。

しかジャンル全体で片手と少しくらいしかなかった自ジャンルと比べれば、1キャラだけでそんなに描く人がいるのが羨ましいぐらいであった。

コミケ当日の朝、スマホwebカタログを物色しながら「この人たちに挨拶回りとかするの?」と何の気なしに尋ねた。

「いや、そこら辺は全員敵だから、目を合わせたくもない」と返された。

敵?

TEKI?

enemy?

普段の温和な彼女性格からは考えられないセリフであったので、思わず聞き返した。

「敵なの?」

「敵。」

「なぜ?」

解釈が違うから。」

解釈違いは敵だと彼女は言う。

キャラ推し方、描き方が違うから敵だと言う。

このキャラはこの描き方であって然るべきだと言う。

別に創作界隈全体から見れば、このようなことは珍しいことではないのだろう。

ただ自分はなんとなく、そういう争いとは無縁だと思っていた。

なにより、彼女がそのような(私からしてみれば)過激発言をすると思っておらず、私の思考フリーズした。

「なんかこう……解釈違ってもさ、仲良くしといた方が、一緒にそのキャラの魅力広めていくとか、できるんじゃない?」

つい口に出てしまったが、思い返すとかなり危険な問いかけだったと反省している。ワンチャン10年来の友情に亀裂が入りかねなかった。

「私がそうしても、あっちがそう思ってないなら意味いからね」

「そっかぁ」

彼女普段通り温和な笑顔を見せた。

ここで即座に友情に亀裂が入るのは避けられたようなので、これ以上亀裂が入る可能性をなくすため、私はもう深追いするのは諦めることにした。

国際展示場行きの電車がやってきた。

コミケはつつがなく終了した。

友人の新刊完売し、既刊の売れ行きも上々であった。概ね成功と言えただろう。

バイト代ということで、打ち上げ焼肉を奢ってもらえることになった。やったね。

帰り際、隣の「敵」のサークルの本がふと目に留まった。

絵柄は割と私好みだった。

読んでみたい、買ってみたいと思ったが、友人に見つからずにその本を買う方法が思いつかなかった。

そもそも相手方からたらこちらが「敵」であり、そこで売り子をしている私も「敵」であろう。

表立って買いに行けば、裏で何を言われるか分からない。

波風を立てるのは得策でないと判断し、後ろ髪を引かれつつ私はコミケ会場を去り、友人と共に打ち上げ焼肉へと向かった。

例の本は通販で買おうとも思ったが、もし家に彼女が遊びに来た時に万が一でも見つかったら怖いと思い、これを書いている今も踏ん切りがつかずにいる。

2026-01-09

毎月増田書店新刊案内を送ってるのに

注文一つも来ない

増田のくせに、生意気

2026-01-03

なんで地方なんかにまれしまったんだろう

 今年のコミケは盛況だったらしい。

 参加した人たちの、楽しそうな様子がタイムラインに流れてくる。

 今年も、実家の畳に寝っ転がりながら、画面越しにそれを眺めていた。



 コミケには行ったことがない。盆と正月には実家にいることになっているからだ。

 僕の実家京都の隣町にある。最寄りの駅から車で10分、バスで15分。そういうところで生まれ育った。子供だけで行ける範囲にはスーパーと、酒屋と、ちょっとした店がいくつか。そういうところだ。

 それ以外の場所、たとえば映画館だとか、大きな本屋だとか、そういう場所へ行こうと思ったら、親に車を出してもらわないといけなかった。ましてや、子供だけでゲームセンターへ行くなんて、夢のまた夢だ。

 盆暮れには、親戚回りでいとこの元を訪れるのが常であった。いとこは僕よりもう少しだけ街中に住んでいて、子供たちだけで駅前まで遊びに行けるみたいだった。

 それが少し羨ましかったということもあり、あと地元中学が少し荒れてたということもあったので、小学四年生ときに外の中学を受けようということになった。

 駅前進学塾に途中入会して、親に車で送ってもらいながら通った。帰り際にコンビニで買ったおにぎりサンドイッチは、少しだけ自由の味がした。

 そんなこんなで、街中の私立学校へ通えるようになった。学校の近くには大きめの商業施設などもあり、帰り道に友達ファミレスで駄弁ってから帰ることもあった。

 その頃から僕は、いわゆるオタ文化にハマるようになっていた。ちょうどゼロの使い魔などラノベ流行っていた頃で、クラスオタク仲間で新刊を回し読みしたり、ときには寺町アニメイトまで足を運んだりしていた。お小遣いはみるみるうちに減っていった。

 そのうち、同人二次創作を読むようになった。主にネット上で、作家の人たちの近況を追い続けていたら、年末コミケというイベントに参加するようなことを話していた。

 コミケ一年に二回、日本中同人作家東京に集まって自分たち作品頒布する、日本最大のオタクイベント

 そういうイベントがあるというのは知っていたが、自分が追いかけていた作家たちが、コミケへの参加を楽しそうに話しているのは心底うらやましかった。

 なにせ、高校生お小遣いでは新幹線代はあまりにも高額だし、夜行バスに一人で乗って行くことを親が許してくれるはずもなかった。地方高校生にとって、東京はあまりにも遠かった。

 そして何より、お盆とお正月実家を離れることが許されるとは思えなかった。毎年、祖父母や親戚に元気な顔を見せるのが通例になっていた。東京へ遊びに行くから、という理由が通るとは思えなかった。

 それで、大学も結局地元の国公立を選んだ。東京大学への進学も考えたものの、やっぱり実家から通える方が楽だし、地元就職するならむしろ有利だろうということで選んだ。

 入学してから塾講師バイトも始めて、少しずつお金を貯めた。その頃は東方projectにハマっていて、同人誌への寄稿のようなこともやっていたので、手伝いがてら東京オンリーイベントへ参加した。

 とはいえ新幹線は高すぎるから夜行バス東京まで往復した。4列シートに揺られて痛む背中を、さすりながら売り子を手伝った。

 空いた時間で、他のサークルを見て回った。何百ものサークルさらにその何倍もの参加者が、ただ一つの作品ファンとして交流していた。会場全体が、それまで味わったことのない、巨大な祝祭の雰囲気に包まれていた。

 

 だからこそ、そこに参加できていなかったことに、ひどく悲しくなった。高校生らしき参加者が、明らかに普段着で参加していた。おそらくこれまで何度もこういうイベントに参加してきたのだろう。数千円と一晩かけてやってきた自分とは雲泥の差だ。

 そのあとも、何度か東京イベントに参加した。同人イベントは楽しかったが、やはり移動だけでも費用がかかり、やがて就活が忙しくなってきたこともあってイベントには参加しなくなってしまった。

 そして、コミケにはついに参加しないままとなった。

 結局、就職先も地元企業を選んだ。そこそこの大企業でもあり、わりと休暇は取りやすい方ではあったものの、入社して数年後にコロナ禍に見舞われたこともあって、長距離の移動自体自粛となった。



 それで、今年もコミケの賑わいを画面越しに眺めながら、実家の畳に寝っ転がっていた。別にオタクを辞めたわけではない。今期のアニメは何本か追っているし、ソシャゲも一応続けてはいる。ただ、リアルイベントへ足が向かなくなってしまっただけだ。

 それでも、もしも地方でなく東京に生まれていれば、もっと違った人生があったのかもしれないと思うことがある。東京に生まれて、リアル経験を気軽に積むことができていれば。

 東京を訪れたときに、少し足を伸ばして、秋葉原までいってみたことがある。東京まれ高校生が、まるで自分たちの庭を歩くように闊歩していた。新宿渋谷、どこにいっても東京まれの子供たちが普段着で歩き回っている。

 僕たちが、どこにでもありそうな地方イオンモールの、どこにでもありそうなチェーン店で駄弁ってる間に、彼らは東京しか味わえない体験を積んでいたのだ。

 結局地元での就職を選んだのも、彼ら東京まれには勝てない、という劣等感がどこかにあったからかもしれない。

 僕は、東京から逃げたのだ。

 なんで地方なんかにまれしまったんだろう。

 いずれ僕に家族ができて、子供が生まれたら。子供たちからそう聞かれる日が来るのだろうか。東京から逃げた僕に、この問いが突き刺さる日が来るのだろうか。

 実家の畳の上で、そんなことを考えていた。

2026-01-02

コミケの本でAI使うのってどこまでOK

黙ってしれっと使うのが一番なんだろうけど、題材がわりとAI絡みなので(使ってみたレポみたいなノリ)、その辺も込みでちょっと意見が聞きたい。

上ほど炎上する(怖い人がやってくる)イメージ

 イラスト生成 … 論外。

 イラストの着色 … 多分ダメ

 イラスト校正修正 … これも多分ダメ。img2imgで多少パース直してもらったものを見て描く(トレスしない)でも燃えそう。

 AIを題材にする … ここが悩み。要するに使った結果について人手で書くと言うこと自体燃えそうで怖い。

 AIについて言及する … 本の中で出てくるという意図で↑とは違う。急に出てきて怒る人はいそう。

 文章の生成 … このあたりから微妙個人的には文字を書くが楽しくて本出すのではと思わないでもないが、まぁ急いでたら使う人はいると思う。

 文章校正 … さすがに許してほしい。正直、校正の結として正しい言い回しが生成されるので、↑と実質的には違わない。

 本作成以外のサポート全般 … スケジュール管理、料金計算使用ツール選定の下調べ、いくらでも出てくるが、制作物の制作に直接関係しないもの全てここに入れても良いと思う。

だいたいこんな感じ?怖い人は全部やめろって言うんだろうけど、

個人的には題材にするぐらいまではラインとして許してほしいな……と思う。

ちなみに内容はチャットボットを作ったら存外いろいろ起きておもしろ~的な話です。

あんまりヤバそうならコミケで出すのは諦めるかな、とは思っています

が、それとは別で手作業の話をひたすらする本も出すつもりので、だったら新刊2冊でやりてぇよなという意図で聞いてみています

2025-12-31

読んでた漫画の買ってなかった新刊結構たまっていて、正月しまとめて買って読むかと思ったけど、なんか高いなあと思って結局スルー

100円なら買ってもいいんだけど、1冊700円とかするじゃん今

20冊30冊ってなると高い

その前に靴下買わないと

2025-12-30

親戚が漫画家なのだ

新刊出たってんで売り上げ調べたがランキング載ってない

まり売り上げは1万部未満ということ

うーん…

まぁシリーズものだし、アニメ化とかでブーストされないと脱落されて売り上げ右肩下がりが普通ダヨネー

って、過去作見てみたらmazonでレビューが300件付いとるがな

ということは少なくとも300冊は売れたんやな

いや300冊って…

アニメイト特典とか付いててさ~スゲェ!商業じゃん!プロじゃん!ってなったけどあんま凄くないな

まぁヒットしてたらもっとザワザワしてるよな、ってか認知できてるよなワシ含めて皆が

プロになってもそんなもんなんか…🙁

2025-12-28

いま読んでいる連載中のマンガの一覧

◼️月

ラーメン赤猫

以下『ヤングマガジン』(サブスク

二階堂地獄ゴルフ

ファブ

昴と彗

平成敗残兵すみれちゃん

暴力万歳

ヤニねこ

1日外出録ハンチョウ

ねずみ初恋

◼️火

限界OL霧切ギリ子

ダンダダ

◼️水

不毛地帯

◼️木

以下『モーニング

異世界町工場無双

アパレルドッグ

平和の国の島崎

とりぱん

宇宙兄弟(月1?)

猫奥

壇蜜(月1)

望郷太郎休載中)

◼️金

ジュミドロ

ヤングガンボーダーズ(隔)

彼は友達

チンチンデビルを追え!(隔)

◼️土

この世は不完全すぎる(隔)

かみあそび!

来見沢善彦の愚行(隔)

生活マン(隔)

◼️日

K2(隔)

ドクターチルドレン

ふつう軽音

そろそろカフェしませんか

みいちゃん山田さん(隔)

◼️月刊

歌舞伎町カラオケ店員としくにさん

A Mangaka's Rord to Japan

新刊百億冊ください

君と宇宙を歩くために

彼女は裸で踊ってる

ヨメトメ☆にっき

盆百千裁

ジャンプ+で公開される読み切り作品の全て

(以下『アフタヌーン』)

天国大魔境

どくだみの花

(以下『月刊コロコロ』)

ブラックチャンネル

スプラトゥーン バンカラ

ベベベベベイビー

◼️気が向いた時にまとめて読む

MAD

スパイファミリー

チェンソーマン

お母さん冒険者

あくまクジャク

アスラの沙汰

2025-12-17

飯田一史の批判三宅香帆の反論は、それぞれどこが間違っているのか

表題のとおりです。

事の発端は、12月12日飯田一史さんは記事「『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』はどこが間違っているのか(抄)」 https://ichiiida.theletter.jp/posts/0aa160a0-d70f-11f0-aa07-8582de6095b5 (以下、飯田批判)において、三宅香帆さんの著作『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社新書https://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/1212-b/ (以下、三宅本)の誤りを指摘したことでした。

これに対し、翌日の13日に三宅香帆さんは記事「「『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』はどこが間違っているのか」はどこが間違っているのか」https://note.com/nyake/n/na2d317b47bc5 (以下、三宅反論)を投稿し、飯田批判に対する反論を試みました。

このエントリでは、両者の主張に対する見通しを良くすることを目的に、飯田批判三宅反論論点を整理したのち、それぞれの問題点を指摘していきます

まとめたのは人文系の話には疎い人間のですので、誤りも多いかと思いますので、まあ話半分で読んでもらえればと思います

なお、飯田批判は、飯田一史さんの新著『この時代に本を売るにはどうすればいいのか』(星海社新書https://ji-sedai.jp/book/publication/konojidaini.html から抜粋であることを念の為補足しておきます

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📰 0. 三行要約(問題点

飯田批判は、特に三宅本は(出版流通における)「書籍」と「雑誌」を分けていないかダメだ」という主張に相当問題があると思う。

三宅反論は、そもそも反論」できてない。言い換えると、飯田論理展開をあまり追えておらず、誤読を基に論理を展開するため実のある話があまりない。

三宅反論は、三宅本の議論の前提に基づく問題を、あたか飯田データ処理の問題すり替えていて、個人的にあまり心象が良くない。

以下、飯田批判三宅反論についてより詳細に検討していきます

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📚 1. 飯田批判論点

飯田批判の主張とその根拠、主張を正当化する論証について整理を行います

理屈が明晰な箇所もある一方、煙に巻くような箇所もあって、議論を追うのはすこし大変だったような印象です。

まあ私の読解力の問題のような気もします。

読みやすくするため、飯田批判の主張のうち、

三宅本への指摘に該当するものには「◎」

・直接的には指摘ではないものには「◯」

という記号を付けておきます

また、論拠を準備していない主張には大括弧[]で囲っておきます

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(「・働き始める前から読書量は減り、働き始めた後も日本人読書量は減らない」の節)

◎主張1-1. 三宅本は、労働により読書量が減少することを前提にする。

しかし、これは誤りであり, 読書量は労働が始まってから変化してはいない。

<主張1-1の論証>

根拠1-1-1. データ書籍の月間平均読書冊数

根拠1-1-2. データ:1ヶ月に読む本の冊数の割合

根拠1-1-1および1-1-2は, 読書量の低下は, 労働が始まる前の現象で、それ以降では起きていないということを示す。

これは、三宅本の前提を棄却するデータであり、ゆえに主張1-1が示される。

<論証おわり>

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◯主張1-2. 書籍における「買う」(=出版売上)と「読む」(=読書量)の間の関係は明白ではない。

<主張1-2の論証>

根拠1-2-1. 「積ん読」という言葉存在

根拠1-2-2. データ: 紙の書籍推定販売金額と月の平均読書冊数

根拠1-2-3. アメリカイギリスでの調査.

根拠1-2-1, 1-2-2, 1-2-3のいずれも、書籍に関しては、「買う」の増減から「読む」の増減を帰結することやその逆を主張することは難しいことを表している。

<論証おわり>

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(「・「雑誌」と「書籍」も別の話」の節)

◯主張2-1. 雑誌における「買う」(=出版売上)と「読む」(=読書量)の間の関係は明白である

<主張2-1の論証>

根拠2-1-1. データ: 紙の雑誌推定販売金額と月の平均読書冊数

根拠2-1-1は、雑誌に関しては、「買う」と「読む」の間に相関があることを示している。

<論証おわり>

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◎主張2-2. 三宅本では、書籍雑誌区別ができていない。

<主張2-2の論証>

根拠2-2-1. 三宅本のp.38の記述

根拠2-2-1は、三宅本において雑誌書籍区別できていないことを示している。

<論証おわり>

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[◎仮設2-3. 三宅本は、「読書離れ」を論ずる際には雑誌書籍区別するべきである。]

(これは明示的に飯田批判にあらわれていないが、以下の主張2-4の論証において機能する暗黙の前提である、と私は思う。)

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◎主張2-4 三宅本は、『読書世論調査』における「読書時間」の減少を根拠に「読書離れ」の存在を主張する。しかし、これは不適切である

<主張2-4の論証>

根拠2-4-1. 「読書時間」は「書籍+雑誌との接触時間である。主張2-1から雑誌接触時間は減少傾向であると推察されるので、

読書時間」の減少は(書籍ではなく)雑誌との接触時間の減少と解釈するのが自然である

根拠2-4-2. そもそも読書時間」もそれほど減っていない。

根拠2-4-3. 『読書世論調査』の総括では, 読書率はあまり変化がない.

根拠2-4-1, 2-4-3から、 「読書時間」の減少は書籍との接触時間の減少を導くのは難しい。

[仮設2-3]から, 「読書離れ」は特に書籍読書時間減少を意味すると解釈するべきであり、

三宅本のやり方では書籍読書時間減少を導くことはできない。

また, 根拠2-4-2の存在は、特に読書時間の減少が生じていないことを示唆する。

<論証おわり>

--------------------

(「・労働時間は減り、自己啓発時間も減っている」の節)

◎主張3-1. 三宅本は、日本人現在長時間労働であることを前提にしている。

しかし、労働時間を「全産業平均」の観点で見たとき、この前提は不適当である

<主張3-1の論証>

根拠3-1-1. 厚生労働省「わが国の過去50年間(1973年2023年)の労働時間の推移についての考察

<論証おわり>

--------------------

◎主張3-2. 三宅本は、次の(i), (ii), (iii), (iv)を主張する:

(i) 1990年代から自己啓発市場が拡大した.

(ii) 自己啓発労働による自己実現)のための読書(=「情報摂取型、「ノイズを除去する」「〈社会〉を遠ざける」)時間が増加した.

(iii)代わりに、人文書小説などのための読書(=「アンコントローラブル」な「ノイズ」や「他者文脈」を含む)時間が減少した

(iv) 読書離れと自己啓発書の伸びはまるで反比例グラフを描く

しかし、(ii), (iii), (iv)は誤りである

<主張3-2の論証>

根拠3-2-1. 黒田山本論文

根拠3-2-2. グラフを書くだけの定量的根拠はない(提示されていない)

根拠3-2-1から労働者の 「自己研鑽」 = 「学習自己啓発・訓練(学業以外)」の時間は減少している。

これは(ii)を否定する。

主張1-1および(ii)より(iii)は成り立たない。((iii)が成り立つためには(ii)が成り立つ必要があるため。)

根拠3-2-2は、(iv)を否定する。(少なくとも、(iv)の主張を肯定するだけの理由はない。)

<論証おわり>

--------------------

◎主張3-3. 三宅本では、自己啓発市場の拡大から自己啓発書のほうが文芸よりも市場が大きいかのように解釈する。

言い換えれば、次の(1),(2)を主張する:

(1)自己啓発市場は拡大している

(2)(1)が正しいのであれば、「自己啓発書のほうが文芸よりも市場が大きい」は正しい。

しかし、これは誤りである

<主張3-3の論証>

根拠3-3-1 牧野論文.

根拠3-3-2. データ: 日本出版市場推定発行金額

根拠3-3-1は、「年間ベストセラーにおける自己啓発書の冊数割合は増大している」ことを主張する。

これは(1)の根拠としている。これ自体問題はない。

しかし, 根拠3-3-2は 自己啓発本の市場小説市場よりはるかに小さいということを意味する。

これは、(1)が正しいのに「自己啓発書のほうが~」が間違っているので、(2)は正しくない。

以上から、これは誤りである

<論証おわり>

--------------------

[◎主張3-4, 三宅本は, 上の(1), (2)が成立するとしていたことが原因で、(i)から(ii)および(iii)を導いた]

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

🧠 2. 飯田批判の怪しい箇所

以下で、飯田批判を読んでいたときに、個人的に気になった点を列挙します。

飯田主張2-4について:「書籍」と「雑誌」の区別本質的か?

主張2-4の背後には「書籍雑誌分別するべきである」という暗黙の前提(仮設2-3)があるように思う。

三宅本の「読書から雑誌」を除外することは本当に妥当かを考えたい。

・「書籍」と「雑誌」の違いを整理しておく。

といっても自分出版業界人間ではないので正しい理解かは怪しいのだが、調べた範囲のことをまとめておく。

(間違ったこと言ってたらごめんなさい)

書籍」「雑誌」の辞書的な定義はたとえば布川ほか編『出版事典』(出版ニュース社)のp.217およびp.167にある。

ざっくりまとめると「書籍」と「雑誌」の違いは一定編集方針の下で定期的に刊行されているかどうかという部分のようである

これは、1985年ユネスコ出版統計上の「図書」と「新聞及び定期刊行物」の違いともおおむね合致しているように見える。

("図書新聞及び定期刊行物出版及び配布についての統計国際的標準化に関する改正勧告". 文部科学省. https://www.mext.go.jp/unesco/009/1387396.htm

より実際的な取り扱いは, "既存雑誌が「創刊」とは、これ如何に". 出版科学研究所オンライン. https://shuppankagaku.com/column/20070111/

によれば、

そもそも本というのは「書籍」と「雑誌」に大別されますが、出版業界では「雑誌コード」が付されたものを厳密に「雑誌」と区分しているのです。

一見雑誌のように見える本も、このコードがなければ「雑誌」ではなく「書籍」ということになります

ということらしい。(しかし、これはあくまコラムの中の記述でありカチッとした話ではないことに注意)

書籍」と「雑誌」の実際上の取り扱いの違いは、「雑誌コード」の有無、つまり流通上の取り扱いの違いから生まれてくるという。

日本では、「書籍」はISBNコードを持ち、「雑誌」はISSNコード雑誌コードを持っている。

その中間にあたるムック本では、ISBNコードだけでなく雑誌コードも付随しているようなものは「雑誌」の対象とするようである

("「雑誌」の定義出版統計". 出版科学研究所オンライン. https://shuppankagaku.com/column/20060911/

ともかく、「書籍」と「雑誌」を分けるのは明らかに内容やジャンルではない。定期的に刊行するかどうかであったり、それを根拠雑誌コードが付いているかどうかだったりである

コミック誌を除外したとしても、『anan』のようなファッション誌もあれば『文學界』や『オール読物』のような文芸誌も、また『Nature』や『ナショナルジオグラフィック』のような理工系雑誌もまとめて「雑誌」にカテゴライズされる。

さらに言えばサイエンス社の『SGCライブラリシリーズ書物は, それぞれ内容的に全く独立しており実質的単行本ではあるのだが、『SGCライブラリ151』までは『数理科学』の臨時別冊という扱いだったのでそのカテゴリは「雑誌」になっている。(なお『SGCライブラリ152』以降は「書籍である

一方、書肆侃侃房の『文学ムック たべるのがおそい』は確かにムック本ではあるが、雑誌コードを取得しておらず取り扱いは「書籍」であった。

このように「書籍」と「雑誌」の区分そもそも出版流通上の区分であり内容面での区分ではないばかりか、その区分出版物の実情と必ずしも合致しているわけでもない。

この区分はかなり表面的、形式的ものであると見るべきだろう。

・以上を踏まえて、飯田批判、つまり書籍」や「雑誌」という出版流通における区分の不徹底でもって三宅本を批判したこと妥当性ついて吟味してみよう。

飯田批判とはなんだったのか。

それは、「「書籍+雑誌との接触時間」の減少を根拠に「読書離れ」の存在を主張するのは不適切である」(主張2-4)という批判である

そして、なぜ飯田が「不適切である」と主張するかといえば、「書籍」と「雑誌」は分けて考えるべき(仮設2-3)だからと考えているからであり、

特に三宅本の「読書離れ」の定義としては「書籍読書量(≒読書時間)の低下」を採用するほうがより妥当である、という飯田が信念を持っているかである

ここで注意したいのは、主張1-2, 2-1は「「書籍+雑誌との接触時間」の減少を根拠に「読書離れ」の存在を主張するのは不適切である」(主張2-4)の根拠ではない。

飯田はその直前に「「書籍読書量と出版売上」の相関は弱い(主張1-2)一方で、「雑誌読書冊数と出版売上」が正の相関関係にある(主張2-1)という事実を指摘してはいものの、飯田はこれらを「読書量を測定するにあたって「書籍」と「雑誌」を区別するべきである」(仮設2-3)の根拠にはしていない。主張2-4は仮設2-3からは出てくるものの、主張1-2, 2-1には立脚していない。三宅反論で大いに誤読したのは、主張1-2, 2-1があたかも主張2-4の根拠になっているかのような書きぶり、配置の魔術ゆえであろう。

ともかく、飯田批判妥当性を吟味する際はこの信念「三宅本の「読書離れ」の定義としては「書籍読書量(≒読書時間)の低下」を採用すべきである」という部分に注目すればよい。

三宅本で対象としている「読書」は、大方「人文書小説などのような(「ノイズ」や「他者文脈」を含む)書物を読む行為」と解釈するのが妥当だろう。

したがって「読書離れ」は「人文書小説などの書物を読む頻度が減ったり、そのために費やす時間が減少している」ということだろう。たとえば理工書や技術書ファッション誌、ゴシップ誌などを読むことは端から三宅本の「読書」に含まれていないと見るべきである

転じて言えば、たとえば「雑誌」であっても文芸誌を読む場合は「読書」に含まれるべきだろうし、「書籍」であっても理工書を読むことは「読書」に含まれない(と三宅本では考えている)かもしれない。

要するに、「読書」といったときに、読まれるべき書物を分類できていないと批判するならば、むしろそのジャンル文芸歴史書哲学書・理工書・サブカルゴシップファッションなど)の違いに着目するべきなのであり、出版流通における「書籍」「雑誌」という区分は、少なくとも直接的には重要でないだろう。もしこれが重要なのであれば、それは驚くべきことなので、別でこれを論証すべきである

もちろん、おそらく「雑誌」の出版売上の中でファッションゴシップ支配的で文芸誌や理工系雑誌は影が薄いだろうから、その意味で「書籍」「雑誌」の区分で売上を観測することがジャンルの傾向をよく記述するとは言えるかもしれない。言い換えれば、「ジャンルによる読書量の違い」を捉えるにあたって「出版流通におけるPermalink | 記事への反応(0) | 20:21

2025-12-14

怪と乙女神隠しの新刊を見たが、まずなんで乙がコスプレしてるのかわからなかったよ。

記憶力が無いと何か月も後になって新刊出る続きものってきついわ。これが記憶力あるやつはいちいち前の刊読む手間いらないんだろ?

これだけでもう漫画読むモチベだいぶ下がる、よほど面白いのじゃないと見る気せんよな。

dorawiiより

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CGsaj3XbxPHDy8RZR8MwTpyP0LD0OAs=
=7eBA
-----END PGP SIGNATURE-----

「なぜはた」のnoteバトルを読んで



https://ichiiida.theletter.jp/posts/0aa160a0-d70f-11f0-aa07-8582de6095b5

https://note.com/nyake/n/na2d317b47bc5

「なぜはた」の明確な問題点は「タイトル主語が大きすぎること」です

反論」の問題点データの使い方と論理おかしいことです

<以下本文>


まず大前提として、『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』は、「かつて読書習慣があったにもかかわらず、働き始めてから読めなくなった人々」という特定の層が抱える悩みについて、それが個人的問題ではなく社会構造上の問題であることを論じた本です。

大前提となる、「『かつて読書習慣があったにもかかわらず、働き始めてから読めなくなった人々』という特定の層」が存在することをデータで示さないと、「実感」としてそういう層の存在を主張したとしても議論が始まりません。

「この神聖な水飲んだらがんが治ったんだもん」とデータなしに主張しても、そこから先の議論に至らないのと同じです。


これに対し、飯田さんは国民全体の平均値であるマクロデータを持ち出して「全体で見れば変化はない」と反論しました。が、これはいうなれば、「日本人平均寿命は伸びているから、あなたの今の病気存在しない」と言っているのに等しい議論です。

→この例えは明白に誤りです。なぜなら前者は「全体の読書量」と「特定の層の読書量の推移」を比較する主張であり、後者の「寿命」と「特定の疾患の存在」とは評価対象が異なるからです。

あえて寿命で例えるなら、「日本人平均寿命は延びているから、喫煙者平均寿命も延びている」などがあります。これならば「全体」と「特定の層」を共通評価である寿命」で比較できますし、「日本人平均寿命が延びていること」を示しても「喫煙者平均寿命が延びていること」を示さないのはその通りで、これならば矛盾と言えます

しかしその仮説を論じるなら、タイトルを「喫煙者平均寿命~」とするべきで、主語日本人全体としたり、明確に示さないことが明らかに誤りであることは誰にでもわかると思います。)


全体平均の中に埋もれてしまっている「特定属性の変化」に光を当てるのが拙著役割です。マクロデータのみで個人の実感を否定することは、分析手法として適切ではありません。

マクロデータのみで個人の実感を否定すること。確かによくないですね。

おじいさんおばあさんの中には、煙草を決してやめない人がいます。「私は煙草を吸っても今まで病院のお世話になったことないんだから、それでいいの」 大変結構だと思います

こういう人たちに、「タバコ健康に悪いからすぐやめなさい」と言っても、個人経験則否定することになり、もめます

マクロデータ目的は、「特定属性の実感」を否定することではなく、全体を解析して現状やその傾向を把握することです。分析手法として、データで示されない実感を大切にすることは重要ですが、解析の結果「実感」を否定する結果になってしまうことはままあります

からこそ、「実感」を前提とする議論をするならば、実感の存在のものデータとして示す必要があるのです。


拙著統計データを多用することは本題からそれてしまうため(何度も書きますが、私の書いた『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』はマクロデータで語ろうとした本ではありません)必要最低限にとどめていました。が、本稿ではあえて氏の提示したものと同じデータソースを用いて反論を試みます

→繰り返しになりますが、主張には前提が必要で、前提が正しくなければ主張も意味を成しません。したがって、前提をデータとして示す必要があります。それが必要最低限に至っていないということなのです。


飯田さんは「高校生の時点で読書量は減っており、働き始めてから急に減るわけではない」と指摘されていますしかし、この主張は「誰を対象にするか」という分析対象のセグメントを見誤っています

まず、拙著対象としているのは「元々読書習慣があった人々」です。では、統計的に見て「読書習慣がある人」とはどのような層を指すのでしょうか?

次図「読書習慣のある人」の月平均読書冊数を見ると、過去約40年にわたり、本を読む習慣がある人の読書量は月平均3-4冊の間で安定して推移しています。つまり統計的定義として、「月3-4冊読む」という行動こそが、日本の「読書習慣がある人」の姿であるといえます

対象としているのが「もともと読書週間があった人々」なら、なぜ書籍タイトルが「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」と主語が示されていないのでしょうか。ここが反論とその反論の大きなズレの原因です。

ちなみにこの統計データhttps://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/tokeichosa/kokugo_yoronchosa/pdf/94111701_03.pdf)が35ページ目(pdfだと39ページ目)にあるんですが、16-19歳の調査人数、なんと83人なんですね。

これだと1人減ったら1.2%割合が動くことになるんですよ。以下に書き起こしたもの記載してみます

<16-19歳の読書数>

0冊=66.3%

1-2冊=22.9%

3-4冊=8.4%

5-6冊=1.2%

7冊以上=1.2%

あれ?1.2%が二つ。つまりこれ、5-6冊、7冊以上の人は1人ずつでしたね(笑)

3-4冊の人も1人減ったら7.2%になり、2人減ったら6%になって20歳代の人と同等になっちゃますよね。

おおよその割合をみるには使えると思うんですけど、「16-19歳とその他の世代比較」には非常使いにくいデータだと思いませんか?もし複数回同じ手法調査したら、ひっくり返っちゃったりすることもあり得そうです。

しかも、令和5年の大学短大専門学校の進学率を合わせると約8割、大学に限ると約6割で、ちょうどこの統計の年齢階級を跨いじゃってるんですね。

から、このデータで「働くと読めなくなるかどうか」を議論するのって、そもそも無理なんですよ。


ご覧の通り、「1,2冊」というライト層では加齢による減少は見られませんが、「月3-4冊読む習慣のある層」においては、労働間中生産年齢)に数値が底を打ち、退職後に回復するという明確な「U字カーブ」を描いています

学生時代読書減と社会人の読書減を同列に語ることはできません。なぜなら、このグラフが示すように、「労働から解放された世代(70代以上)」では、数値が学生時代の水準まで回復しているからです。 もし「加齢による文字離れ」や「スマホ普及」だけが原因であれば、高齢層でここまで数値が戻ることは説明がつきません。

もちろん、今回のような一時点の調査である以上、厳密には加齢による変化とコホート効果を切り分ける分析必要です。しかし、データ限界差し引いてもなお、この「労働間中にのみ、特定読書層が凹む」という事実は、労働環境がまとまった読書習慣を構造的に阻害している可能性を強く示唆しています。 全体平均にならすことで分布の特異性を捨象してしま飯田さんの分析は、データに表れた当事者ーー働いていると本が読めないのだとほんとうに感じている人々ーーの痛みを見落としていると言わざるを得ません。

→この主張も前述したように、1人動くと1.2%動くデータ示唆するのは無理があります

U字カーブあなたは70歳以上の人が自在スマホをいじくってネットサーフィンしているのを想像できますか?

交絡(データに影響を与える別の要素)がありすぎて、単純に就労の有無だけを結果の原因として求めるのはちゃんちゃらおかしいと思いませんか?

「痛み」ですか、はあ。タバコ吸っても健康でいられると思ってる人の痛みを想像したことありますか?(笑)


一見すると、「書籍読書冊数と市場規模は相関しないが、雑誌は相関する」という飯田さんの主張は正しいように見えますしかし、ここで気を付けなければならないのは、市場規模根拠として用いられているデータ定義です。これは「出版販売額」、つまり新刊市場の推移にすぎません。

雑誌のみが市場規模と相関する主要因は、書籍雑誌読書習慣の違いというより、市場構造の違いにあると考えるのが妥当です。 書籍図書館での貸出や、古書店メルカリ等の二次流通市場といった新品購入以外のタッチポイント豊富です。

→なるほど、たしか書籍図書館古書店接触がある分、新品市場だけで語ると乖離が出そうですね。

まり、「読書数の総量=新品購入+レンタル中古」になるってことですな??

ということは「読書数>新品購入の勢い」が成立するということだ。ふむふむ。

ここで市井氏のnoteから引用すると

こうした「読む」と「買う」を短絡的に結びつける考え方はよく見られる。しかし、読む量と買う量は単純にイコールにはならない。イコールになるなら「積ん読」という言葉存在しない。

出版市場が成長していた時代にも、書籍読書量が増えていたわけではない。書籍は、読書量と購買量の傾向が一致しない。

→えーっと、積読があるから読書数<新品購入市場の勢い」もありえると。

……市井氏は積読があるから読書数<新品購入市場」と言い、その反論として三宅氏は中古レンタル市場があるから読書数>新品購入市場」と言っている!かみあってない!

まわりくどいんだけど、結局どっちも「書籍読書数と新品購入に相関がない」が「雑誌読書数と新品購入に相関がある」というのが主張で、一致している!反論すると見せかけて同じことを主張するという高等テクニックである


また、拙著の「雑誌自己啓発書を中心として、労働階級にも読まれ書籍存在していた」という記述に対し、飯田さんは「雑誌書籍区別がついていない」と批判されていますしかし、拙著記述明治時代出版状況についての記述であり、いうまでもないことですが雑誌コミック週刊誌割合時代とともに変わっていきます明治雑誌出版に関する記述を、現代雑誌と同様の枠組みで捉え、区別がついていないとするのは、論理が通らないのではないでしょうか。

以上のように、構造的に相関の低い「新刊販売額」を指標として用いて「書籍雑誌読書習慣が異なるので分けて考えるべき」と主張するのはデータの選定として不適切です。本来であれば、図書館の貸出しや二次流通市場におけるタッチポイント考慮したうえで読書冊数との相関がないことを示すべきです。また時代によって役割の異なるメディアを十把一絡げに扱うのは、妥当性を欠いていると言わざるを得ません。

→えーと、前半の文章市井氏の引用した部分が明治時代の話をしているか不適切ってことだな。うむ作者が言うならそうなのだろう。

後半は……

構造的に相関の低い『新刊販売額』を指標として用いて『書籍雑誌読書習慣が異なるので分けて考えるべき』と主張するのはデータの選定として不適切

あれ、あなた書籍読書数と販売数は相関しないけど雑誌は相関するって言ってましたよね?

分けて考えるべきなのは妥当なんじゃないんですか?笑

また時代によって役割の異なるメディアを十把一絡げに扱うのは、妥当性を欠いていると言わざるを得ません。

市井氏のnoteをみると、扱っているデータ70年代以降のもの明治時代の話はしてなさそうですけどね。

それに市井氏の

なお、『読書世論調査2016年度』には書籍読書率について「戦後読書世論調査の開始以来、多少の変動はあるものの、おおむね5割前後で推移している」と書いてある。『なぜはた』は読書世論調査引用しておきながら、読書世論調査サイドの「長年そんなに変化がない」という見解とは異なる「本離れが進んでいる」という主張をしている。

この部分に関する反論はしなくていいんですかね。マスデータから

引用元の文献(黒田祥子山本勲「長時間労働是正と人的資本投資との関係」)を見る限り、これは事実ではあるものの、解釈適用先が間違っていると考えられます

というのも、ここで引用されている論文が測定している「自己研鑽」と、拙著が指摘する「自己啓発書読書」は、行動の質が全く異なります論文が指すのは資格取得やスキルアップのための「能動的な学習」であり、これに対して『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』が論じているのは、新自由主義的な不安に駆られた人々が救いを求めて読む「自己啓発書の消費」です。むしろ、「労働時間が減っても、能動的な学習に取り組むほどの気力や体力は回復していない」という論文の結果は、人々が手軽な「やった感」や「効率的な正解」を得られる自己啓発書(=ファスト教養)に流れるという拙著の仮説と矛盾しません。

キャリアアップのための能動的な学習」の機会が減ったからといって、「手軽なノウハウ本」のニーズがないことの証明にはならず、このデータ根拠にするのは的はずれです。

→確かに自己研鑽時間が減ったから」といって「手軽な自己啓発本を読む時間が減った」とは言えない。それはその通りだ。まあ手軽な方が増えたとするのはあくまで仮説で、それを証明する手段もそうないよね。



4.「自己啓発書へのシフトという説は誤りである」への反論

飯田さんは「市場規模において、依然として小説自己啓発書より大きいため、自己啓発書へのシフトという説は誤りである」と主張されています

これには二つの反論があります

第一に、議論の焦点は、現時点での「絶対量」ではなく「変化の方向性トレンド)」です。たとえパイの大きさが小説の方が大きくとも、書店の棚構成の変化や、人々の意識における効率性の重視といったトレンドの変化を否定する材料にはなりません。

第二に、ここで飯田さんの論理には明確なダブルスタンダード存在します。 飯田さんはこれまでの議論において、「市場動向と読書実態書籍においては必ずしも一致しない」と主張されました。 しかし、ここでは一転して、「小説の方が推定発行金額市場規模)が大きい」ことを根拠に、「小説の方が読まれている」と結論付けています


→いったん整理すると、

三宅氏の主張>

読書方向性が手軽な自己啓発書シフトしているか読書量が減った。

市井氏の主張>

小説市場規模の方が大きいので自己啓発書読書量に対する影響は大きくないはずだ。

三宅氏の反論①>

市場規模では確かにそうだが、トレンド(推移)は見てないですよね?だからその論は否定根拠にはなりません。

三宅氏の反論②>

さっき書籍雑誌比較で「市場規模読書量は相関しない」って言ってたのに、自己啓発書小説市場規模比較するのはおかしい!ダブルスタンダード

反論①については、たしかトレンドそうかもしれないけど、象に犬がキックしても効かないように、市場における小説の占める割合の方が圧倒的に大きいのだから自己啓発書トレンドがまあまああっても全体のムーブには影響しにくいっていうのは確かなんじゃないですかね。

反論②については、雑誌書籍比較と、小説自己啓発書(どちらも書籍に含まれる)の比較全然別だから、まずダブルスタンダードとは言えないのは明らか。これは間違いない。

自身にとって都合の良い時だけ売上と読書実態を切り離し、別の場面では売上を読書実態根拠とするのは、論理一貫性を欠いています

→これは完全にどっちもどっちと言わざるを得ません。データ分析仕事にしている人ってこのレベルなんですね。というかそもそもデータの部分よりも文章の方が蛇行運転になっていて、上記したように論理が合わない箇所がいくつかあります心配になりました。

<お わ り>

2025-12-05

anond:20251205102846

マガジン

「君はおれの優しくない春 - 前野温泉

絶対死なないステラ光永康則/大高稲 」

「妹は知っている - ガンギマリ

「やがて蛸になるきみと - 小嶋網走

「無敗のふたり

平成敗残兵すみれちゃん - 里見U」

二階堂地獄ゴルフ - 福本伸行

「ずっと青春ぽいですよ - 矢寺圭太 」

新刊100億冊ください - 破賀ミチル」

「A Mangaka’s Road to Japan - JuanAlbarran」

あくまクジャクの話です。 小出もと貴」

ワートリ新刊諏訪株が天元突破してる

あのどう見てもヤンキー大学生みたいな見た目であんなに気回しできるハイパーデキる男なの狡すぎるだろ

シンプルあんな人と結婚したすぎる

2025-12-02

地域若者流出まらず “駅前は塾だけ”の栃木市で広がる閉塞感

市内唯一の娯楽施設ラウンドワン」閉店決定 住民「街としての役割果たしていない」**

 栃木県栃木市で、若者の市外・県外流出が深刻化している。背景の一つとして、市内の娯楽施設の不足や、駅前商業環境の偏りが指摘されており、地域住民からは「この街で過ごす理由が見つからない」との声が相次ぐ。

■ 市内の娯楽、事実上消滅”へ

ラウンドワン閉店の衝撃**

 市内で若者向けの娯楽施設として長年親しまれてきた「ラウンドワン栃木・樋ノ口店」が、2021年3月31日をもって閉店した。住民からは「栃木市が終わった」との落胆の声が広がった。

 もともと同市ではゲームセンターや大型遊戯施設が次々に姿を消しており、残るのはイオン内の小規模ゲームコーナー程度。

 **「パチンコ以外に遊べる場所ほとんどない自治体」**という厳しい現実が露わになった。

■ “駅前は塾ばかり” 商業機能崩壊状態

 JR栃木駅周辺を歩くと、まず目につくのは学習塾看板だ。複数大手塾が軒を連ね、夜間は塾だけが明かりを灯す一方、飲食や娯楽系の店舗は乏しい。

 市内の若者から

駅前に来ても、塾以外に何もない」

「ここから出るために勉強する街になっている」

と自嘲気味の声が聞かれる。

 新刊書店は市内に1店舗TSUTAYA)のみで、その場所も駅から離れている。映画館は市内に一つもなく、市民の消費行動は佐野市宇都宮市小山市へ流れがちだ。

 結果として、**「街にお金が落ちない」**状況が常態化している。

■ 蔵の街・景観保全が“開発抑制”に

若者大人押し付けしか見えない」**

 観光資源として市が重視する「蔵の街」の景観。市中心部では建物道路整備に強い規制があり、近代的な開発が進みにくい。

 しか若者からは、

景観を守るために、街の未来が削られている」

「蔵は残っても、街は衰退する」

辛辣意見が上がる。

 観光客数も伸び悩み、ゴールデンウイークでも人通りは少なかった。「歴史的価値を前面に出すだけでは街が維持できない」という現実に、市民の不満は積み重なる。

道路公共交通も不便さ露わ

市バス2時間に1本、暗い県道も**

 市内の移動手段の不便さも指摘されている。市バスは2時間に1本と本数が極端に少なく、生活圏を移動するには自転車で40分〜1時間かかる地区もある。

 また、県道の一部では街灯が少なく、夜間は暗いままで安全性への懸念も根強い。

市役所百貨店2階に移転

市民目線とズレた施策」不満の声も**

 市役所東武百貨店の2階部分に移設されたことにも、疑問を唱える市民は少なくない。百貨店市民生活動線から外れており、結果として利便性は向上していないとの見方大勢だ。

 「市民が足を運ぶのはイオンやBeisiaなどの安価な大型店。百貨店に人は集まらない。なぜここに市役所を置いたのか理解できない」との声もある。

若者は都会へ、戻らず

“都会に人材だけ送り出す構造”に**

 栃木市では、進学を機に市外へ出た若者が戻らない傾向が長年続く。

 市内で育ち、駅前の塾で勉強し、大学東京宇都宮へ、そのまま就職――。

 こうした流れはもはや固定化しており、

栃木市は都会への踏み台になっているだけ」

という指摘もある。

 市にとっては人口減少と税収減という形で跳ね返り、地域経済をさらに圧迫する悪循環となっている。

専門家景観規制見直しと、若者向け開発が急務」

 地方都市問題に詳しい都市政策研究者はこう話す。

歴史景観価値ある一方、現在栃木市には“生活の不便さ”がのしかかっている。

若者を惹きつける商業文化施設の整備、駅前再開発交通網の改善など、

生活者を基点にした政策転換が急務だ」

 京都ですら景観規制運用を見直す時代である栃木市も“古さを守る”だけでなく、“未来を作る”方向への舵切りが求められている。

■ 終わりなき「何も無い街」からの脱却なるか

 自然は豊かだが、自然はどこにでもある。

 蔵の街は残るが、若者は残らない。

 娯楽は消え、生活は不便のまま――。

 栃木市が抱える問題は、地域衰退の縮図とも言える。

 市内からは「ゼロから街を作り直すべきだ」との声すら上がっている。

 “何も無い”という現実を変えられるか。

 栃木市未来は、いま大きな岐路に立たされている。

2025-11-23

日本電子書籍は高くないかコストがかからない分安くなるべきではないか海外でも同じなのか?と思っていたが、海外でもまぁ同じ状況のようだ。

ヨーロッパ特にドイツフランスでは、電子書籍価格を紙の本と同じく定価に保つことが、法で定められている。

 

70〜90年代にかけて、欧米では大型書店量販店が力を持ち始めて、「ベストセラーを35%引き!」みたいな価格競争が起きた。そうすると当然、小さな本屋がつぶれまくる。フランスでは「書店が消えたら文化死ぬ」と作家知識人が猛反発して、1981年に「ラン法」という「本は全部定価で売りましょう」という法ができた。ここで、書店を守る=文化を守る、という価値観確立した。

 

背景には「本は文化財」という考え方がある。値引き競争放置すると、売れる本しか出なくなるし、哲学書詩集・専門書みたいな、儲からないけど大事な本が消える。だから市場原理だけに任せると文化多様性が崩れる」という危機感が強い。さらフランスドイツ地域本屋コミュニティの核で、日本みたいにコンビニAmazonだけでどうにかなる構造じゃない。だから書店網の維持」が政策目標になってる。

 

制度目的シンプルで、「書店多様性を守る」「出版社多様性を守る」「全国どこでも新刊が買える」「本を文化商品として扱う」の4つ。EUでも広く共有されている価値観らしい。

 

ではなぜ、電子書籍にも定価縛りがかかったのか?

理由はほぼ「Amazon対策」。Kindleが普及し始めたときAmazonが値引き攻勢をかければ、電子書籍市場を独占 → 出版社書店も逆らえない → Amazonが値上げする、という未来現実味を帯びていた。これを防ぐため、フランス(2011)、ドイツ(2016)で「電子書籍も紙と同じく定価販売」を適用した。

 

しかも、電子書籍が激安になると出版社収益が崩れて、学術書や専門書が維持できなくなる。紙が売れないと出版文化全体が弱るから、それを避ける狙いもある。電子書籍市場でも独立書店出版社が参入できるように、価格Amazon一強になるのを防ぐという意味も大きい。文化省は「電子書籍は紙と同じ書籍」だと定義していて、だから法律対象になる。

 

対して日本は、電子書籍に法的な再販制度はない。紙は再販制度があるけど、電子出版社自主判断理由としては「流通が取次中心で、法律で守る必要が薄い」「Amazonの台頭が遅かった」「書店文化保護政治的圧力が弱い」「出版社自主的に紙とほぼ同じ価格にしていた」など。

 

Kindleのようなプラットフォーマーが大きめに手数料を取ることで、印刷流通、保管のコストと同等のコストが常に生じるし、プラットフォームによる値下げ圧力・安売り競争の促進があると、電子書籍ユーザーにとっては一時的に良くても、長期的に著者や出版社利益が脅かされて、本というもの文化がやべーよっていうことかね。

2025-11-21

なろう系ってコミカライズとか始まってエタるの鬱

書籍化してるなろう系とかコミカライズ始まるとそっちに時間割いてるから書籍刊行更新も止まるんだよな

漫画だと進むの遅いか文字で読みたいんだよ

気に入った作品見つけたから読もうとしたら2年も更新がなくて発狂した

コミカライズ書籍化してるのに2年も更新が止まり放置プレイ

なんなら書籍新刊も2年前で止まってる

もしかして作者エタった?

2025-11-20

anond:20251120085852

嘘乙!

ビーン文庫の9・1011月新刊11作品中、タイトルに「溺愛」が入るのは1作品だけ。

ビーズログ文庫でも9・1011月新刊13作品で1作品

アーススタールナは9・1011月新刊9作品で0作品

Kラノベブックスfでは1011月の6作品で0作品

レジーナブックスでは直近40作品のうち2作品

オーバーラップノベルスfでは直近30作品のうち6作品

とても1/3には届かないので頻度錯誤にすぎないですね!

何年も更新がない作品とかの宣伝するなよー!!

Twitterで流れてきた面白そうなコミカライズを見つけた

読み終わって原作があることを知り小説を買う

何と3年も新刊が出ていなかった

大元のなろうに飛ぶも、なろうも更新されておらず……

コミカライズ時間割いてるから

3年も続き出さないとか目の前の人参取り上げられたも同然じゃん

コミカライズ出すと止まったりするなろう原作作品多くないか

続きが読みたいんだよ続きが……読ませてくれよ……

2巻までしか出てないのにもう発売のコミカライズ1巻分消費したぞ?

なろうは1巻分しか載せてなくて続きは書籍でってなってるのにその書籍も残り1巻分のストックしかないぞ

もしかしてこのまま2巻分のストック終わらせたら適当に終わらせる?

2巻の終わり方気になるんだよぉぉぉ

2025-11-15

正直もうAIに飽きたの俺だけ?

RTX4090を2枚持ってる。

小説用(ローカルLLM)にメモリも128GB分所持してる。

生成AI中級者くらいだと思う。

 

好きなものを作れるのは楽しかったが、爆速で作りすぎてネタ切れ

小説イラストを作りまくった(nsfwいから外部にはほぼ公開してない。売るのもめんどいトラブルめんどい)。

絵や文字が好きで動画は興味ない。

結局、自分想像できる範囲のことの面白さなんてたかが知れていて、他人創作物に触れないとつまんないんだな、という境地に達した。

 

最近は、Xに流れてくるクリエイターたちのアイデアに触発されるか、漫画新刊が出るとかゲームのアプデが入って、創作欲をかき立てられる時にしか生成AIには触ってない。

AI利用者は突飛なアイデアを出さないし、ボタンぽちぽちのつまらんやつばかり。Xでリスト作って、面白い人や新たな試みをしてる人だけまとめてる。こいつらで組んでなんか作ってくれや。

 

未だに反AIと推進派で争ってるのも見飽きた。

制度が整備されるのはまだまだ先なんだから自分の好きなようにブロックミュートして、心地よいコミュニティを作りなさい。

 

ちなみに俺のAIとの付き合い方は、

・今までAI以外で満足していたのに今更AI作品なんていらない。

AIぽいと感じたら買わなくていい。他にもコンテンツはたくさんある。

・気軽にブロックミュートをしていく。ややこしいのは、別途「AI疑いリスト」を作っておいて様子見する。

AI作品に金を出すなら自分で機材揃えて作ろう!

 

となってる。

野良AIアーティストには一円も払いたくないという信条がある。無料でもいらないが。

今後、大手企業が生成AIを取り入れ始めたら、流れに乗って受け入れていったらいいんじゃないかな、と。

 

とにかく、今は俺的には停滞期ってこと。

AI関連の最新情報は追いながら、商業化されたものだけを買ってる。

その他の時間ゲーム資格のための勉強時間を充ててる。

別にAIがあってもなくても、俺の生活は大きくは変わらん。

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