はてなキーワード: 尾崎行雄とは
今年、2026年の4月29日『昭和の日』は、『昭和100年』を記念する『昭和の日』だった。
40年前の明治100年記念事業のように、政府主催の昭和100年記念式典も開かれた。
しかし、よく思い出してみよう。
去年、2025年は『昭和100年』の年だと宣伝されていなかったか?
数々のテレビ番組で『昭和100年』の特集が組まれ、クイズ番組も『昭和100年』を記念して問題が構成され、
若者世代にも『昭和』が大ブーム、などと持て囃されていなかったか?
実際、去年『クイズ!昭和100年』という番組を制作していたMBSは、今年の春の特番では『クイズ!昭和100年プラス』とタイトルを変え、問題が101問、出演者も101人、とそれぞれ1つ分プラスしていた。
では、『昭和100年』記念式典を今年に主催した政府は何と言っているのかというと、内閣官房の特設ページだと、こうだ。
『満100年』というのが、何と味わい深く濁しに適した言葉であろうか。
実は、この『昭和の日』である2026年4月29日時点では、昭和は『満100年ではない』という事実も面白いことになっている。
『満100年』という言葉が示している通り、まずは「数え年」と「満年齢」との違いが一つある。
日本の元号は通常「数え年」で表記するため、「満年齢」や西暦との換算は、そもそもがややこしいものであることは押さえておきたい。
ちなみに、日本人の年齢が一般的に数え年から満年齢になったのは、1950年、昭和25年のことであって、実際76年前には「年齢が若返る」と、あの憲政の神様、尾崎行雄から市井の人々まで大騒ぎだったそうだ。
さて、では何故『昭和』の場合、明治や大正や平成と比べて、100年を考える上でややこしいのかといえば、そう、『昭和元年が7日間しかなかった』からだ。
時代の区切りが時の天皇陛下の生に縛られていたからとはいえ、不謹慎ではあるが、『昭和』という時代は、始まりの『昭和元年』も7日間、終わりの『昭和64年』も7日間という、数字の偶然も面白い時代なのである。
そのため、
などなど、大雑把に言えば『昭和100年』を言える時期はほぼ3年間もあるのだ。
となっているため、去年や今年に限るが例えば、
「今年は昭和100年と言われています。では100年前の元号は何でしょうか?」
というようなクイズが、ひっかけ問題として盛り上がることだろう。
とまあ、ここまで長くなったが、
新聞各社やテレビ各局も、去年2025年を『昭和100年』と「戦後80年」に当たるキリの良い年として大きく盛り上げていたせいか、今年2026年の『昭和100年』を言葉を選びつつ使っている模様だ。
ただし、マスコミ各社においては、『昭和100年』特集ということにすれば、「昭和100年を迎えて(過ぎて)の、昭和という時代の振り返り特集」という意味でこれから何年も使うことができるため、実際には『昭和100年』という言葉を定義の曖昧なまま、あと10年や20年と続けることができるのかもしれない。
そう、
麻生さんの例の発言、そろそろ事態はいったん終息をみるような頃なんでしょうか。
まあなんというか、第一報時に直覚した通りの反応がインターネットを流れていて、
それにしたって、なんとしても自民党の政治家を擁護したい人がインターネットには多いんですね。
麻生さんの発言を全文読めば何も間違ったことを言っていないことは分かる、叩いている奴はバカ、
というようなツイートを、普段はバカなことしか流れてこないタイムラインでもよく見ました。
Twitterの外でも、だいたい似たような感じです。
個人的にも、まさか現代の政治家がナチスに学べと思ったり言ったりするわけはないと思いますし、
ただ、「何も間違ったことを言っていない」から「叩いている奴は(すべて)バカ」ってのも、
何かとバカみたいな発言だなーって思います。
ナチスの肯定ってドイツではあまりにもタブーっていうのは、みんな知ってるはずだと思ったんですけど、
(そんなことも知らないしたら、たぶんインターネットなんてしてる場合じゃないです)
たぶんあまりにもタブーすぎて、日本人が100パーセント観念できていない気もします。
そんなことを考えながら思い起こしたのは、高校の頃日本史の授業で習った、尾崎行雄の共和演説事件でした。
「日本では共和政治を行う気遣いはないが、仮に共和政治がありという夢を見たとしても、おそらく三井、三菱は大統領の候補者となるであろう」
こんな発言が、大日本帝国では不敬とバッシングを受け、ときの文部大臣が辞任に追い込まれた、っていう。
尾崎行雄のこの発言だって、まさか天皇制を否定する意図なんてなかったでしょう。
(少なくとも麻生さんが叩かれる理由よりは、私はしっくりくるように思います)
私はかつてナチスがいた国で生まれたわけでもなければ、大日本帝国を知る日本人でもありません。
だから、これらのタブーの、その本当の意味を、本当にわかっているわけではないと思います。
だけど、タブーってそういうことじゃないかなって、そんなことを思ったりしました。
日本の天皇制と絶対悪としてのナチス、並べるだけで私も叩かれそうです。だからこんなところで書いています。
その像に否定に近いところにある文脈で言及してしまうこと、
それ自体が公人として、あまりにもうかつなことだと評価されて然るべき、と言ってしまうと強く出過ぎでしょうか。
でも本当に麻生さん支持したいなら、うかつな発言はうかつな発言として評価した上で、
ちなみに尾崎行雄は太平洋戦争中の1942年にも、選挙演説の中で不敬にあたる発言があったとして起訴されています。
マスコミが過度に論いすぎなのも否定できませんが、それにしたって少し口が滑る傾向にある気がする麻生さん。
あの人柄を私は好きですし、今さら変わらないものだとも思いますし、
だからこそまた似たようなことも起きてしまうような気がして、そうでないといいな、と思うばかりなのです。