「尾崎行雄」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 尾崎行雄とは

2026-04-30

昭和100年』って、何年もあんねん。

今年、2026年4月29日昭和の日』は、『昭和100年』を記念する『昭和の日』だった。

40年前の明治100年記念事業のように、政府主催昭和100年記念式典も開かれた。


しかし、よく思い出してみよう。

去年、2025年は『昭和100年』の年だと宣伝されていなかったか

数々のテレビ番組で『昭和100年』の特集が組まれクイズ番組も『昭和100年』を記念して問題構成され、

若者世代にも『昭和』が大ブーム、などと持て囃されていなかったか



そうだ、今年、2026年は『昭和101年』なのだ

実際、去年『クイズ昭和100年』という番組制作していたMBSは、今年の春の特番では『クイズ昭和100年プラス』とタイトルを変え、問題101問、出演者101人、とそれぞれ1つ分プラスしていた。

では、『昭和100年』記念式典を今年に主催した政府は何と言っているのかというと、内閣官房特設ページだと、こうだ。

「昭和100年」ポータルサイト

昭和100年」とは

『令和8年(2026年)に、昭和元年(1926年から起算して満100年を迎えます。』

『満100年』というのが、何と味わい深く濁しに適した言葉であろうか。

実は、この『昭和の日である2026年4月29日時点では、昭和は『満100年ではない』という事実面白いことになっている。

『満100年』という言葉が示している通り、まずは「数え年」と「満年齢」との違いが一つある。

日本元号は通常「数え年」で表記するため、「満年齢」や西暦との換算は、そもそもがややこしいものであることは押さえておきたい。

ちなみに、日本人の年齢が一般的数え年から満年齢になったのは、1950年昭和25年のことであって、実際76年前には「年齢が若返る」と、あの憲政の神様尾崎行雄から市井の人々まで大騒ぎだったそうだ。



さて、では何故『昭和』の場合明治大正平成と比べて、100年を考える上でややこしいのかといえば、そう、『昭和元年が7日間しかなかった』からだ。

時代区切りが時の天皇陛下の生に縛られていたかとはいえ不謹慎ではあるが、『昭和』という時代は、始まりの『昭和元年』も7日間、終わりの『昭和64年』も7日間という、数字の偶然も面白い時代なのである

そのため、

などなど、大雑把に言えば『昭和100年』を言える時期はほぼ3年間もあるのだ。


さらに『100年前』という概念を持ち込めば尚更ややこしく、

となっているため、去年や今年に限るが例えば、

「今年は昭和100年と言われています。では100年前の元号は何でしょうか?」

というようなクイズが、ひっかけ問題として盛り上がることだろう。





とまあ、ここまで長くなったが、

まりは『昭和100年』という年は

元号昭和』で考えれば2025年だが、『100年』という時間で考えれば2026年2027年も当てはまる。

というややこしい言葉なのだ

新聞各社やテレビ各局も、去年2025年を『昭和100年』と「戦後80年」に当たるキリの良い年として大きく盛り上げていたせいか、今年2026年の『昭和100年』を言葉を選びつつ使っている模様だ。

ただし、マスコミ各社においては、『昭和100年』特集ということにすれば、「昭和100年を迎えて(過ぎて)の、昭和という時代の振り返り特集」という意味でこれから何年も使うことができるため、実際には『昭和100年』という言葉定義曖昧なまま、あと10年や20年と続けることができるのかもしれない。



そう、

昭和100年』って、何年もあんねん。

2013-08-06

麻生ナチス発言は、現代共和演説事件だ

麻生さんの例の発言、そろそろ事態はいったん終息をみるような頃なんでしょうか。

まあなんというか、第一報時に直覚した通りの反応がインターネットを流れていて、

やっぱり世界はいつも通りだなあ、という印象がありました。

それにしたって、なんとしても自民党政治家を擁護したい人がインターネットには多いんですね。

 

麻生さんの発言を全文読めば何も間違ったことを言っていないことは分かる、叩いている奴はバカ、

というようなツイートを、普段はバカなことしか流れてこないタイムラインでもよく見ました。

Twitterの外でも、だいたい似たような感じです。

 

個人的にも、まさか現代政治家ナチスに学べと思ったり言ったりするわけはないと思いますし、

麻生さんにしたってもちろんそうだと思います

ただ、「何も間違ったことを言っていない」から「叩いている奴は(すべて)バカ」ってのも、

何かとバカみたいな発言だなーって思います

 

ナチスの肯定ってドイツではあまりにもタブーっていうのは、みんな知ってるはずだと思ったんですけど、

(そんなことも知らないしたら、たぶんインターネットなんてしてる場合じゃないです)

たぶんあまりにもタブーすぎて、日本人が100パーセント観念できていない気もします。

 

そんなことを考えながら思い起こしたのは、高校頃日本史の授業で習った、尾崎行雄共和演説事件でした。

日本では共和政治を行う気遣いはないが、仮に共和政治がありという夢を見たとしても、おそらく三井三菱大統領候補者となるであろう」

こんな発言が、大日本帝国では不敬とバッシングを受け、とき文部大臣が辞任に追い込まれた、っていう。

 

尾崎行雄のこの発言だってまさか天皇制を否定する意図なんてなかったでしょう。

1行だけの引用ですが、そんなことすぐわかります

だけどなんとなく、叩かれてしまうのもわかる気がしませんか?

(少なくとも麻生さんが叩かれる理由よりは、私はしっくりくるように思います

 

私はかつてナチスがいた国で生まれたわけでもなければ、大日本帝国を知る日本人でもありません。

から、これらのタブーの、その本当の意味を、本当にわかっているわけではないと思います

だけど、タブーってそういうことじゃないかなって、そんなことを思ったりしました。

日本天皇制と絶対悪としてのナチス、並べるだけで私も叩かれそうです。だからこんなところで書いています

 

その像に否定に近いところにある文脈で言及してしまうこと、

それ自体が公人として、あまりにもうかつなことだと評価されて然るべき、と言ってしまうと強く出過ぎでしょうか。

でも本当に麻生さん支持したいなら、うかつな発言はうかつな発言として評価した上で、

撤回のほうを支持するべきなんじゃないかな。

 

 

ちなみに尾崎行雄太平洋戦争中の1942年にも、選挙演説の中で不敬にあたる発言があったとして起訴されています

大審院までいった結果無罪にはなっていますが。

 

マスコミが過度に論いすぎなのも否定できませんが、それにしたって少し口が滑る傾向にある気がする麻生さん。

あの人柄を私は好きですし、今さら変わらないものだとも思いますし、

からこそまた似たようなことも起きてしまうような気がして、そうでないといいな、と思うばかりなのです。

 

 
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん