コンビニやスーパー、美容院のように「よく行く場所」はある。けれど、いわゆる「行きつけの店」はない。
「行きつけの店」とは大将に顔を覚えられて、「いつもの」と頼み、少し雑談を交わす——そんな関係の店だ。
私は今まで店の人に顔を覚えられるのが気恥ずかしいと思っていた。
昔々、いつも1人で行くラーメン屋で、いつも通りカウンターに座ろうとしたら「今他にお客さんいないし、いつもより広いとこ座りなよ」と店員さんにテーブル席案内されただけで顔を覚えられてたことに恥ずかしくなり通うのやめたくらいだ。
そんな私だが、家族の転勤で縁もゆかりもない土地に引っ越した。ここには本当に知り合いがいない。仕事はフルリモートで、同僚ともオンラインでやりとりする以上の繋がりはない。
寂しい。
いくらラーメン屋で顔を覚えられて恥ずかしい!なんて言ってるくらいの人間でも会話に飢えていた。だがひとりで飲み屋に入る勇気もなく、なんとなくこの土地には居場所がない気がしていた。
個人商店のその店は気のいいお兄さんがひとりで切り盛りしており、常連さんとはよく会話して盛り上がっている。
魚の有名な地域だからか、目利きがいいのかその店は安くて美味しい。週に一度、土曜日の同じくらいの時間帯に通っては色んな魚介類に舌鼓を打っていた。
そのルーティンを続けて数ヶ月、店員さんと何を雑談すでもなかったが、「いつもありがとう」と言われるようになった。顔を覚えられたのだ。気恥ずかしくはあったのだが、ただ5分程度買い物するだけだし、これくらいの「顔見知り扱い」ならコンビニやスーパーでもあることだし、何よりなんとなく心地良くて、その店には通い続けていた。魚美味しいし。
そんなある日、大皿から煮付けを取り分けて袋に入れてもらったところで気づいた。
ーー財布がない。
世は大キャッシュレス時代だが、この店は現金オンリーである。今日は閉店間際に来ていて、ちょっと財布を取りに帰る…なんてこともできない。でももう袋に取り分けてもらってしまった。ああ、何で注文前に確認しなかったんだろう!慌てていると、お兄さんはこう言った。
「いつも来てくれてるし、ツケとくから来週持ってきなよ」
時が止まったかと思った。
今ツケとく、と言ったか?
ツケ!?
ツケ、すごい響きである。
少なくとも向こうは、私を「今回お金を回収できなくてもちゃんと次回お金を持ってくるだろう」と認識しているのだ。
「数百円だから最悪飛ばれても困らんと思ったのでは?」と家族に言われ、それも一理あるかもしれないが、それはそれとして。こんなの常連ムーブすぎないか。ここは飲食店ではないが、「行きつけの店からの客の扱い」すぎる。信用されている。
余談だが、閉店準備でしばらくは店にいると言うことなのですぐ財布を取りに帰り、当日お金を払った。
些細なことだが、私ってこの土地で誰かと関係を持って生活しているのだな、と感じた出来事だった。常連というのも悪くはないかもしれない。次は飲み屋に入ってみても良いかも。
帰り際、「また来週!」と声をかけられ、次週食べる魚に思いを馳せている。