中継ってなんだっけ?

フィギュアスケート世界選手権女子シングルは安藤美姫、荒川静香、村主章枝の活躍で 最終日フリーの演技まで興味が尽きませんでした。 ところがフジテレビの実況は、リアルタイムのライブ中継ではなく、 約30分遅れの「時差中継」でした。それが証拠にフジテレビの実況で安藤美姫選手の演技が始まる前にはすでに 「日本勢が表彰台を逃した」とのニュースがasahi.comのRSS配信で入ってきました。 フィギュアスケート世界選手権の映像の放映権を今回(皮肉にもいま話題の)フジテレビが握っていた事情は理解できるとして、だからといってわざわざ技術を駆使して30分時差の「編集」をして「中継」と見せかけるような放送をする必要はあったのか?またそれは許されるのか? 今回のように、トリノ五輪の出場枠がかかり、日本人3人娘で表彰台独占とはいかなくても誰か1人あるいは 2人が表彰台に上ってくれるだろうと「勝負」に期待した視聴者としては、ライブで結果がわからない というのはストレスでした。 これはどう考えたらいいのか? 映像はなくとも結果だけの速報を知りたい人はネットを見ていれば良く、 テレビを見なくても良い、ということか? ゲスト芸能タレントのコメントが番組としての「付加価値」か というと、そうだとも決して思えません。 これと同じことを、たとえばサッカーワールドカップ予選の中継放送でやったら、どういうことになるか? おそらく、30分の時差放送などした放送局は次から実況をするな、と世論が許さなかったでしょう。 要は、フィギュアスケートのような、国民的関心をひくほどの競技でないと甘く見られたから 「時差中継」でもよかろう、ということになったのだろうと思えます。 同じようなことは、別の競技の中継でも前例がありました。 アテネ五輪に向けたバレーの予選大会を「時差中継」したフジテレビ。
高校サッカー選手権の決勝戦のPK戦を最後まで放映しなかった日本テレビ。 テニスの全豪オープンや、宮里藍選手が最後まで優勝の望みを残したオーストラリアのゴルフトーナメントなどもありました。 外電に頼るしかなかった昔のスポーツ報道とはわけが違います。現地にテレビクルーとアナウンサー、解説者 までがスタンバイしていながら、映像・音声を垂れ流せばいいものをそうせず、ハイテク技術を駆使してCMや番組演出に 合うように「小出し」にしているわけですから、それに気が付いた視聴者としては心情的に許せないという 思いが残ります。 勝負の結果を気にして、早く知りたい視聴者には文字情報(あるいはラジオ実況だけ)でもリアルタイムでの実況を伝え、試合内容と映像を楽しみにしている人には、ある程度編集を施した「時差中継録画」で… そのどちらかを選べる「選択」の自由が視聴者にあってしかるべきではないでしょうか。それが、テレビとネット、メディア が錯綜する時代のスポーツ中継ではないかと考える次第です。 それが無ければ、「放映権」など高額のお金を払わなくても、会場で試合を見ているプロアマ問わずレポーターの発信する文字情報だけで、スポーツ中継の「価格破壊」が起こり、結果的に「独占的放映権料」は意味を為さなくなるのではないか、というのが僕の観測です。
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