「ラブカは静かに弓を持つ」
よく知られているように、2017年、JASRACが音楽教室からも著作権料を徴収する方針を示し、これに対して、ヤマハなど音楽教室団体がJASRACに著作権料徴収の権利のないことを確認する訴訟を起こし、現在も進行中…という背景がある。 裁判では実際にヤマハのバイオリン教室に2年間「潜入」したJASRACの職員が証言に立ったことも伝えられた。
チェロを弾き、しかもこの問題が起こったちょうどその頃ヤマハの教室に通っていた者として、この小説は読むしかないと思ってはいたものの、この題材では爽やかな結末になりようがないだろうと思って、なんとなく読むのを渋っていたところ。 この問題と自分のレッスンとのかかわりと感想は、2017年当時のこの記事に書いたことがある。
小説では、レッスンを重ねるたびに主人公の心が少しずつほぐれていき、チェロが大切な部分になっていくプロセスがいい。 主人公は講師のように「高いところ」にチェロの音を届かせたいと思うようになる。 講師や教室仲間との交流が深まるようすも、自分が教室に通っていた頃を思い出した。
ただ、レッスンそのものの描写では、生徒の演奏に対して講師が「もっと遊び心を」とか「曲のイメージを大切に」といった大雑把なコメントをし、お手本の演奏をしてみせるという流れに、実際のレッスンはそうじゃないんだけどな…と少しもどかしい思いもした(主人公は子供のときチェロを弾いていて、すでに相当弾けるという設定だから違うのかも知れないが)。 たいていの実際のレッスンで行われるのは、もっと細かく、1つの音、1つのシフト、せいぜい1小節のフレーズを取り出しては、もう一回、もう一回と繰り返す、メカニカルな作業だと思うのだ。講師が曲を通してお手本を聴かせてくれるなどということはない。スポーツのレッスンに近いとも言える。このへんが、教室のレッスンで行われる行為が「演奏」と同じだと言われると感じる「違和感」の一つでもあるかも知れない。
後半、2年間の「潜入」期間が終わりに近づき、裁判の証言台に立つ日が迫ってからの急展開にはページをめくるスピードを上げずにはいられなかった。最後も救いのある結末でよかった。
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