yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

猿之助の再起を信じて

「猿之助、自殺未遂」。このニュースを18日、謡のお稽古に出向いた京都からの帰りの新快速の中で読み、動転してしまった。8日から17日までポルトガルのリスボンに旅行していた。帰りが羽田経由だったので明治座の猿之助座長公演が見られるのかと調べたら、17日は休演ということで諦めた矢先だった。何れにしても全席売切れという盛況ぶりだったのではあるけれど。

このブログにはあげなかったのだけれど、3月の京都南座での歌舞伎公演にかなりがっかりしてしまい、歌舞伎を見るのは当分やめようと思っていた。尾上右近に期待していたぶん、裏切られた思いが強かった。ただ、明治座公演は猿之助の企画、制作作品、加えて若手役者の揃い踏みだったので見応えがあるのは間違いなしと確信していた。いつか関西でも公開されるだろうと、今回は諦めた。

歌舞伎の古典作品ではないもの、アニメや漫画で人気が出たものを歌舞伎版として舞台に乗せる試みは、やはり猿之助抜きには考えられない。彼はここ十数年ばかりの間、様々に意匠を凝らしてその試みに挑戦してきた。その業績は褒め称えても褒め称えすぎることはないだろう。同じような試みをし続けているのは勘三郎の遺児、中村屋兄弟だろう。猿之助と中村屋兄弟による歌舞伎新世紀の創生が、これからの歌舞伎の未来へ繋がることを確信できるものだった。幸四郎、菊之助といった古典派も巻き込んでの大きなうねりだったと思う。だから、猿之助という「立役者」なしには、このうねりは前進することはできないだろう。片翼をもがれたようになってしまうだろう。

猿之助なしでは歌舞伎の未来はない。これは私の個人的想いではあるけれど、歌舞伎ファンの方の中には共有してくださる方もおられると思う。

猿之助が舞台に立てない歌舞伎なら、歌舞伎は歌舞伎の意味を失ってしまう。

付け加えるなら、猿之助が自殺のきっかけになったとされる『女性セブン』なるクズ女性週刊誌の廃刊を強く希みます。

『女性セブン』は、雅子さまの根拠のないバッシングを垂れ流すクズ週刊誌!恥を知れと言いたい!もはや犯罪の域である。雅子さま苛めの主犯である美智子前皇后を讃め称える記事を載せるなんて、犯罪以外のなにものでもない!