yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

映画『静かなる情熱 エミリ・ディキンスン』@シネリーブル神戸9月2日

先日『パリ・オペラ座の人々』を終了日の前日に見たのだけれど、そのときに見た予告編で、この作品を是非とも見たいと思っていた。今日が公開初日。

以下、オフィシャルサイトからのイントロダクション。

1886年、北米マサチューセッツ州の小さな町アマストで、ラヴィニア・ディキンスンは整理ダンスの引出から、清書されて46束にまとめられた1800篇近くに及ぶ詩稿を発見した。それらは亡くなった姉エミリのものだった――。
「静かなる情熱 エミリ・ディキンスン」は、アメリカを代表する女性詩人エミリ・ディキンスン(1830−1886)のベールに包まれた半生を描いた作品である。エミリは清教徒主義の影響を受けるアメリカ東部の上流階級で生まれ育ったが、やがて後に伝説となる、白いドレス姿で屋敷から出ることなく、孤独な生活を送るようになり、数多くの詩を書き残した。

彼女の詩は、自然や信仰、愛や死をテーマに、繊細な感性と深い思索のなかで記されたものだ。その独特のスタイルからは詩作への強い信念が感じられる。エミリは生前に評価されることは、ほとんどなかったが、いまや文芸にとどまらず、多くの芸術家に影響を与えている。武満徹は詩から着想をえて「そして、それが風であることを知った」を作曲し、サイモン&ガーファンクルは彼女にまつわる歌「エミリー・エミリー」「夢の中の世界」をアルバムに収め、ターシャ・テューダーは「まぶしい庭へ」で挿絵を手がけたほか、チャールズ・シュルツの漫画「スヌーピー」の題材にもされた。またウディ・アレンはエミリのファンで、著書の短編集のタイトル「羽根むしられて」は、エミリの詩の一節、“希望は心の中に留まる羽根のあるもの”(新倉俊一訳)と照応していると語ってい

本作は、エミリ・ディキンスンという偉大な詩人に捧げられたオマージュである。撮影はアマストにあるエミリが実際に暮らした屋敷とスタジオで行われ、約20篇の彼女の詩を織り込み、彼女のかたくななまでに思いを秘めた少女時代から、詩作を心の拠りどころにした晩年から死までを、敬愛の思いをこめて描いている。人生と死、そして永遠を真正面から見つめつづる孤独な魂の姿は、リアルなまでに見る者の琴線にふれるだろう。

脚本が素晴らしい。彼女の残した詩の言葉ーーそのほとんどが「魂」、「死」で彩られているーーをセリフにふんだんに織り交ぜている。それらが重なり合い、競い合い、ねじ伏せあいながら一種特異な宇宙を描出している。現れ出た宇宙、そこには表題通りのおそるべきパッションがとぐろを巻いている。まるで噴火寸前のマグマの在り処。一見静謐ではあるのだけれど、実際にはまがまがしいまでの激しい炎が燃え盛っている、そんな宇宙なのだ。「深窓の令嬢」と形容されうるような隠遁生活を送ったとされるエミリ。彼女が紡ぎ出す言葉、そしてそれらが創り上げてゆく詩の世界は到底そのような静かな女性から発せられたとは思えない。鋭利、厳格、屹立とでも形容されるような句。そしてそれらの集合体。集合の仕方にも彼女が細心の注意を払ったのが、句読点への偏執的とでもいえるほどのこだわりに出ている。あえていうなら、詩の女神、ミューズへの捧げ物。そこに構築された世界は、他のこの世的なものの蹂躙をよしとはしないのだ。そこに認められるのは、超人的な存在と互角に戦わんとする桁外れの情熱。

でもね、私が思うにこれを日本人が「理解」するのはかなり無理があるんですよ。それが何故なのかはこの映画を見れば解る。ニューイングランドの名家、ピューリタン的な謹厳と厳格をモットーとする価値観。上から下まで規律(Discipline)でもって統制された窮屈なコミュニティ。 およそ日本的な世界観とは相容れないもの。これは実際にその場で肌身に感じないと、頭だけでの理解は不可能。実際、私がそうだった。この映画の中でも、何度「神への冒涜」ということばが撒き散らされていることか。日本人的無神論(atheism)からはとことんかけ離れた宗教観ですからね。

一年間ブラウン大学に研究員でいた時、マサチューセッツ州のスミス大学で教えていた知り合いを訪ねていったことがある。彼女とは大学が同窓(同志社)なのだけど、比較的近場だった同志社の姉妹校アーモスト大学に行ってみようということになった。同志社では「アーモスト」と呼んでいたけど、とんでもない。カタカナにすると「アムハォースト」と発音しないと通じない。彼女が車を出してくれたので、楽しい「遠足」だった。レズビアンの「メッカ」でもあった(?)スミス大のあるノーサンプトンと比べると、かなり閉鎖的な感じはその頃でもあった。大学自体はオープンな雰囲気だったけど。そのときにディキンソンの家を訪ねるべきだったんですよね。まったく彼女に関心のなかった当時の私には、それは思いもつかないことではあった。とはいっても、周囲にはけっこうディキンソン研究者がいたんですけどね。私の想いの至らなさ。

そのあと、学生の演劇の発表会があるとかということで、スミス大と同じく「セブン・シスターズ」(アメリカ東部の名門大学。アイビー・リーグの女子大版)の一つでもあるマウント・ホリヨーク大学 に行った。ここは私が出た神戸女学院(中高)の姉妹校でもあったから、二つ返事で出かけた。あれは忘れられない経験だった。夜ということもあったのかもしれないけど、鬱蒼とした林の中にある大学の強烈な印象は、後々まで尾を引いた。ここには再びくることはないだろう(来たくない!)って思った。陰鬱なイメージ。実際にはそこまでではないらしいのは、ペンシルベニア大学の院生をしていた時のハウスメイトで、マウント・ホリヨーク大学 出身のディオンヌが保証してくれたけれど。映画冒頭に出てくるあの厳しい女学校が、この大学の前身なんですよね。納得です。

色々なつながりを感じる映画。もっとも、それだからわざわざ見たんですけどね。

ちょっと気になったのは、エミリを演じた女優さんが51歳と比較的高齢だったこと。友人役に若い女優さんをもってきているのだから、ここはかなり白けた。舞台であれば気にならなかったかもしれない。でも映画ですからね。顔の大写しの度に鼻白んでしまった。

それを差し引いても、ディキンソンのみならず、彼女が生まれ、暮らし、生涯にわたって棲み続けたあのDeep New Englandの雰囲気や価値観は、厭というほど伝わって来た。異文化に生息する(?)人間にとって、非常な助けになった。その点では成功だったと思う。でももう一度見たいかと問われると、「No!」なんですよね。