反旗(はんき)を翻(ひるがえ)・す
反旗を翻す
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/05/27 06:56 UTC 版)
「シュラクサイのディオン」の記事における「反旗を翻す」の解説
一方のディオニュシオス2世はプラトンが恋しくなって三度彼を呼んだ。僭主は最初はプラトンを敬っていたが、やがてディオンの領地を没収して売り払い、詳しい事情は不明であるがプラトンを亡き者にしようとした。しかし、イタリアの都市タラスの将軍で哲学者でもあったアルキュタスが救出に出向き、事なきを得た。 ディオンはこの件と自身の妻アレテを僭主がその親衛隊長ティモクラテスと無理矢理結婚させたことに憤慨し、ついに僭主の打倒を決意した。ディオンは傭兵を集め、プラトンの甥スペウシッポスらアカデメイアの哲学者たちはシケリアの僭主から解放というディオンの計画に協力し、エウデモス[要曖昧さ回避]やティモニデス、予言者ミルタスといった哲学者たちが遠征に参加した。ディオンにつき従い、紀元前357年に集合場所のザキュントス島に集結したのは25人の僭主による追放者(追放者は1000人いたが、他の者は臆病風に吹かれて不参加であった)、800人の傭兵であった。というのも僭主は多くの同盟国を有し、10万の歩兵と1万の騎兵と400隻の軍船、そして豊富な物資と資金を持っていると言われており、ディオンの試みを誰もが無謀な試みであると見なしていたからだ。 輸送船2隻とそう大きくない船1隻、そして三段櫂船2隻で出航したディオン一行はイアピュギア(イタリア半島の長靴のかかと)でフィリストスが待ち伏せをしているとの情報を受けて迂回したが、アフリカまで風に流された。そこでシケリアへと向かい、カルタゴが支配していたミノア(南岸西部の町)という町の沖合に停泊し、同地の将軍でディオンの友人でもあったシュナロス(ディオドロスによればパラロス)から迎えられた。ディオンはそこに鎧500揃いを預け、後になってシュラクサイに運んでくれるようシュナロスに頼み、自身は手持ちの傭兵部隊を率いてシュラクサイへと進軍した。道中アクラガス、ゲラなどシケリア中の多くの都市から人が合流し、その兵力は20000人にも膨れ上がった。 一方その時ディオニュシオス2世はイタリアのカウロニア近くにおり、シュラクサイを留守にしていたため、後事を任されていたティモクラテスは主に事を知らせる手紙を送ったが、アクシデントが起こって届かなかった。エピポライを守っていたレオンティノイとカンパニアの兵に見捨てられたティモクラテスはディオンが市に入城するや逃走した。これはディオンがシケリアに上陸してから二日目のことであった。 ディオンはシュラクサイの人々から熱烈な歓迎を受け、彼とその弟のメガクレスは全権将軍に任じられた。ディオンの入城から七日目にディオニュシオスが戻ってきてアクロポリスに籠城した。これを受け、ディオンはミノアに置いてきた武器を運ばせて市民にそれを分配して武装させた。 ディオニュシオス2世は交渉を申し出たが、ディオンは支配権を放棄するならば身の安全は保障すると答えた。これを受けて僭主は交渉の使者を送るよう求めたが、使者は拘束された。とどのつまりこれは僭主の策略であって、彼はフィリストスに帰還を命じ、その一方で市民に出し抜けに攻撃を仕掛けさせた。しかしその軍勢はディオンの軍勢の勇戦によって敗退し、アクロポリスに逃げ戻った。 しかしこれ以降ディオンは敵は味方にもいることを思い知らされる。勝利の後、僭主からディオンの許へと息子ヒッパリノスからと称された偽手紙が届き、市民の前で読み上げられた。それにはディオンがかつて僭主に協力していたこと、そして懇願と弁明の形を取りながらディオンへの誹謗が書かれていた。それと同時に講和の打診があったが、ディオンは唯一受け入れることができる条件はディオニュシオス2世の退位だと答えて突っぱねた。折しもディオンとは別に僭主制転覆を目指していたヘラクレイデス率いる艦隊20隻と1500人の兵士が入港してきて、彼はディオンへの支持が低下しているのに乗じて市民を自分の味方に付けようとした。そこで人々は集会を開いてヘラクレイデスを公式に提督に選出しようとしたが、ディオンはこれは全権将軍である自分の権限への侵害であるとして反対したため、提督になれなかった。しかし、ディオンはその後にヘラクレイデスを家に招いて名誉心にかられて余計な不和を招く恐れがある彼の行動を嗜めた後、改めて自分が集会を召集して彼を提督に任命した。ヘラクレイデスは表向きは感謝したが反ディオン工作を続けた。さらにソシスという男がディオンを非難して民衆を扇動しようとし、ディオンの傭兵にやられたと言って血塗れで人前に出てきた。このために真偽を問いただす裁判が開かれたが、彼は僭主の護衛兵の兄弟であって市民の不和は僭主の利になり、目撃証言から彼の自作自演だと判明したため、死刑になった。このような状況下での慶事は艦隊を率いてシュラクサイ近海にやってきたフィリストスが海戦に敗れて自害したことであった。 最も頼りとする家臣を失ったディオニュシオス2世はイタリアに退去する代わりにギュアルタという土地からもたらされる収入をもらいたいと求めたが、ディオンは市民に言えと答えた。勝利で強気になった市民は僭主を生け捕りにするつもりで使節を追い返たため、僭主はアクロポリスを息子のアポロクラテスに任せて自身はこっそり脱出した。一方反ディオンの党派を組んだヘラクレイデスは土地の分配を要求し、ディオンの峻厳さを厭う民衆に傭兵への給与支払い停止と将軍のすげ替えを議決させた。その結果、ヘラクレイデスを含む25人の将軍が選出され、ディオンとその傭兵を殺そうとした。 ディオンは人々を説得しようとしたが失敗し、傭兵ともどもレオンティノイへと退去した。恩知らずなことにシュラクサイ市民はディオンを追って攻撃を仕掛けたが、彼の反撃にあって破れた。レオンティノイの人々はディオンを歓迎して傭兵たちに市民権と給与を与え、シュラクサイ人は使者を送ってディオンを弾劾したが、レオンティノイをはじめとした同盟諸都市は不正なのはシュラクサイ人であると見なした。
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