すでに数週間が経過するも、いまだに政情が安定しない韓国の「戒厳令」騒動。今回のメルマガ『宮塚利雄の朝鮮半島ゼミ「中朝国境から朝鮮半島を管見する!」』では、韓国・北朝鮮情勢に詳しい宮塚コリア研究所の代表である宮塚利雄さんが、かつて経験した「戒厳令下の韓国」を振り返りながら、いまも混迷の続く韓国の内情を憂いています。
混迷深める韓国の政情
戒厳令発令から二週間たった現在でも、騒動の決着はついていない。それどころか、韓国で弾劾訴追を受けた尹錫悦大統領を弁護する弁護士が、「尹大統領が国会議員を狙って逮捕せよ」と言及したことはない、と言いだし、軍や警察には「市民と衝突してはならない」との趣旨の指示を出したと反論している。
捜査機関は尹大統領を戒厳の首謀者と見て内乱容疑で捜査しているが、今後の展開は予断を許さない。
ところで、前回の本稿を見た埼玉の知人から、「戒厳令下での留学生活」については分かったが、留学期の韓国の政情について説明してほしい、という連絡があった。私が韓国に留学したのは1973年5月から1981年末までである。留学する前年の1972年10月17日に、朴正熙大統領は突如「特別宣言」を発表した。
この日の19時を期して、国会を解散するとともに、政党他による政治活動を禁止した。これにより憲法の一部条項が停止されるとともに、韓国全土に非常戒厳令が宣布された。朴大統領はさらに11月21日に戒厳令下で国民投票を実施し、12月17日には「維新憲法」と通称される新たな憲法の成立を宣言した。世にいう「維新クーデター」と呼ばれる事件である。このクーデターについて、私も新聞などで知っていたが、この内容については分からず、唯「戒厳令」が宣布されたということだけにしか関心がなかった。
「戒厳令」と言えば日本史で「二・二六事件」で「戒厳令」が発令されたということは知っていたが、これから留学する韓国での「戒厳令」発令について深く知ることはなかった。
そして留学した1972年8月には東京で「金大中事件」が起きた。
さらに、留学翌年の74年5月に「民青学連事件」が起きた。これは、在日韓国人や日本人留学生(ソウル大学に留学していた青山嘉春さん。のちにフェリス女学院大学教授)と通訳をしていたジャーナリスト(太刀川正樹さん)が逮捕されるという事件である。
さらに1974月8月15日にはいわゆる「文世光事件」が起きた。これら「金大中事件」・「民青学連事件」・「文世光事件」はいずれも日本がらみの事件であり、韓国の公安は朝鮮総連や日本共産党の影響が背後にあるとし、韓国に留学していた在日韓国人や日本人留学生は監視の対象とされていた。
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