西洋建築史における後衛としてのイギリス建築の困難とユニークさ
Lydia M. Soo, Wren's 'Tracts' on Architecture and Other Writings, Cambridge University Press, 1998.
Vaughan Hart, Nicholas Hawksmoor: Rebuilding Ancient Wonders, Paul Mellon Centre for Studies in British Art, 2003.
Gillian Darley, John Soane: An Accidental Romantic, Yale Univ Pr., 2000.
Allan Greenberg, Lutyens: and the Modern Movement, Papadakis Publisher, 2007.
西洋建築史のなかにおいて、イギリス建築の地位というのはあまり高くない。と言ってしまうのは、イギリスにとって酷なことかもしれないが、そもそもこれには構造的な問題がある。西洋建築は、そのルーツと規範を、常にギリシャ、ローマに置き、それがほかの地域に伝搬していくという展開の歴史を持つ。なので、地中海から北に離れたイギリスは、文化の川下のような位置にあり、その影響が遅れて伝わるという宿命にあった。
しかも、ギリシャ、ローマが常に正しく、崇高なものとされていたので、それに倣うということは、あくまでも模倣でしかない。18世紀ころ、イギリスの裕福な家庭の子息は、イタリアに数年滞在する。いわゆるグランド・ツアーを慣習としていたが、それは優れたかの地があるということを前提にし続けたのであり、イギリスはその後追いであることを余儀なくされたのだった。
なので、イギリスにも優れた建築、建築家は存在するが、自国の建築史のなかにおいては、一級の立場を与えられても、西欧のなかで配置してみると、どうも影が薄いということになってしまう。しかし、大きな存在から、断続的に影響を受け続け、そのなかで自国の文化を成熟させていったという過程は、中国大陸からの影響が歴史的に繰り返された日本と似ているといえるだろう。島国という点でも同じだ。そう考えると、イギリス建築の展開の歴史というのには、俄然親近感がわいてくるし、そこから学べるものも多いはずだ。
イギリスは、19世紀に世界の覇権を握り、今でも世界的大国であるから、そこには国の繁栄と力に見合うだけの建築があることは間違いない。ただし、西洋建築史という視点からすると、本場の建築文化の受容の歴史であり、それをある程度正確に複製できるようになった後は、いかに操作をするかということに関心が移る。それはよく知られているように、19世紀になって書物によって古典建築が発見されたこともあって、建築を経験的にではなく知的に扱う傾向が他の国に比べて強く見られる。
イギリスにおいては、17世紀初頭までは外国からの影響は小さく、独自の建築風土を生み出していた。イギリス建築がひとつの画期を迎えるのは、イニゴ・ジョーンズ(1573-1652)の登場によってである。彼は、パラディオの理論的アプローチを採用し、《クイーンズ・ハウス》《バンケッティング・ハウス》などの建物により、イギリスにおける最初の建築家と称された(どの国においても、明快な建築論と建築家の誕生とが一致していることは興味深い)。
ジョーンズと入れ替わるようにして登場したクリストファー・レン(1632〜1723)は、ロンドンを代表するモニュメント《セント・ポール大聖堂》が代表作である。彼は、当初、数学、天文学を専攻し、若き日からそれらの分野において傑出した能力を認められていた、博学の文芸愛好家であった。1666年のロンドン大火後、ロンドンの都市計画を作成し、また50を超える教会を設計したわけだが、そうした時代のタイミングも彼を後押しし、建築家として多くの実作をつくるチャンスが与えられた。彼の同時代人としてアイザック・ニュートンがいるように、当時のイギリスにおいては科学の分野において目覚ましい成果があげられ、そうしたことが人々の世界に対する認識を更新している時代であった。であるから、当時の自然哲学の分野における先端にいたレンが、建築に関わりそしてどのような理論を構築していたのかは、興味がそそられるところであろう。『Wren's "Tracts" on Architecture and Other Writings』は、この建築家自身によるテキストが集められた本である。ロンドンの古典建築についてやゴシック教会に関する論考、いくつかの手紙、Tractsと名付けられた5章からなる建築論が収められている。
ニコラス・ホークスムア(1661-1736)は、当初レンの助手であったが、のちに当時を代表する建築家となる。他の建築家に比べると名前が挙がりにくいのはこれといった代表作がないことが理由のひとつだろうが(ジョーンズであれば《バンケッティング・ハウス》、レンであれば《セント・ポール大聖堂》といった)、重要な時期に位置する、きわめてイギリスらしい建築家であると思われる。彼のスタイルは折衷主義と称されることが多く、また前半はバロック、後期には新古典主義の傾向を示す。このスタイルの移行は、本人の意思というよりも、世間のトレンドが変わったことによるものであり、そのような時代の趨勢とともに生きた建築家であった(イギリスのバロックは、イタリアのバロックが甘美な空間で人々を魅惑することに比べると、いかにも無骨だ。それをイギリスの野暮のせいにすることもできるが、イタリアの場合、宗教革命の直後、教会は魅惑的な空間で信者を虜にする必要に迫られていた。イギリスはそうではなかった)。ホークスムアの名前を目にしたことがあるとすれば、それはおそらくロバート・ヴェンチューリの『建築の多様性と対立性』の何箇所かに登場するからだ。ヴェンチューリの興味の対象になるといえば、この建築家の手法がわかりやすいかもしれない。ものとものとの組み合わせ、構成のバランスが、主題となっているというわけだ。
ヴォーン・ハートによる『Nicolas Hawksmoor: rebuilding Ancient Wonders』は、時系列的なモノグラフではなく、10のテーマを挙げて、この建築家の作品を分析している。つまり、単なる紹介ではなく、ホークスモアのもつ特性を批評的に取り出そうという意欲的な試みだ。収められている写真の過半も著者自身によるもののようだ。
イギリスの建築史上もっとも偉大な建築家というと、普通、前述のクリストファー・レンの名前が挙がるが、日本でいちばん有名なイギリス人建築家はサー・ジョン・ソーン(1753-1837)であろう。磯崎新が写真家篠山紀信と世界中をめぐってつくった建築行脚シリーズのうち一巻が、ソーンの自邸にあてられているし、また磯崎自身もソーンのモチーフを繰り返し、自身の建物のなかに取り入れている。また、大江宏もソーン好みを表明しており、代表作の《国立能楽堂》などに見られる入れ子状の構成とソーンの手法を比べることが可能だ。
レンもパリに滞在した期間があるが、いわゆるグランド・ツアーは行なっていない。なのでレンは、読書により建築を学んだことを告白しており、よって建築に対して理性的にアプローチをした。一方、建築の職人であった父を持つソーンは、レンのようなアカデミックなエリートではなかったが、若くしてその才能を認められ、イタリア、フランスへのグランド・ツアーを行なっている。その地で古代遺跡の実測を行なうなど、古典建築を十分に体験した。ジリアン・ダーレイによる『John Soane: An Accidental Romantic』は、ジョーン・ソーンの伝記である。作品紹介を中心としたモノグラフではなく、自伝という形式を持つことにより、この特異な建築家がどのように形成されてきたかという、ドラマを味わうことができるだろう。
ホークスムアにしてもソーンにしても、彼らの作品の完成度は称賛に値するが、どこか奇矯というか独自の表現に達しているように思われる。たとえば、クリストファー・レンは本道であるし、以前紹介したジョン・ナッシュはピクチャレスクの典型ともいえる様式を産み出し、ある時代の規範ともなるものを打ち出していた。一方、ホークスムアもソーンも、確かに大きな影響力は持っていたものの、なにか幾分のぎこちなさといったらいいのだろうか、不器用な印象を受ける(だからともにヴェンチューリの眼鏡にかなったのかもしれないが)。それは、建築家の個性として片づけられるだけの問題ではなくではなく、きわめてブリティッシュな性向とも思われる。素直でなく、エキセントリックを好み、予定調和的な洗練を野暮と感じるような。ギリシャ、イタリアには敵わないと知っている、幾分屈折したアティチュードをそこに見ることも可能なのではないだろうか。
モダニズム以前の最後のイギリス建築家の巨匠といえば、エドウィン・ラッチェンス(1869-1944)であろう。いくつもの洒脱な大邸宅を手掛け、またニューデリーの都市計画を手掛けたことで知られる。しかし、実は、彼の活動の時期はフランク・ロイド・ライト(1867-1959)、ル・コルビュジエ(1887-1965)と重なっている。新古典主義的を洗練させたラッチェンスのスタイルは、ル・コルビュジエがボザールを攻撃したように、古い時代の残滓としてモダニズムに対立するもの、権威をまとった抵抗勢力と、普通は理解されるだろう。アラン・グリーンバーグによる『Lutyens: and the Modern Movement』は、そのように無関係もしくは矛盾すると思われているこれらの建築家の、同時代性を検証しようという試みである。ラッチェンスの建築にみられる空間の連続性と、ライト、ル・コルビュジエのそれとの対比。ラッチェンスのニューデリーの都市計画と、ル・コルビュジエのシャンディガールの都市計画の対比。このような過去のものとして埋もれていたものを、新しい時代と照らして再読しようという試みはエキサイティングだ。それに加えてモダニズムも、建築家の主張の鵜呑みにするだけではなく、相対化することができる時代性を持ったこともあげられるであろう。この論考は、最初1969年にイエール大学の建築ジャーナル『Perspecta』に掲載され、その後40年ほどを経て、昨年新たに出版された。
近代にはいって、イギリス建築は、《クリスタル・パレス》、田園都市、アーツ・アンド・クラフツ、アーキグラム、AAスクール、ハイ・テクなどなどいくつもの画期的ムーヴメントを産み出し、世界の建築の潮流をリードするようになる。近代が、それ以前を否定したことにより、イギリス建築もまた西洋建築という呪縛から解き放たれたのだろう。後衛という立場から、前衛(アヴァン・ギャルド)へと華麗なる転身を成し遂げたのである。
[いまむら そうへい・建築家]