等身大のリベスキンド

Daniel Libeskind, Breaking Ground: Adventures in Life and Architecture, Riverhead Books, 2004.

Attilio Terragni, Daniel Libeskind, Paolo Rosselli, The Terragni Atlas: Built Architecture, Skira, 2005.

Peter Eisenman, Giuseppe Terragni, Manfredo Tafuri, Giuseppe Terragni: Transformations, Decompositions, Critiques, Monacelli, 2003.
──そして、ニーナと一緒にグランド・ゼロの窪みに下りたとき、私は何かを心の底から理解した。土の壁に触り、手をそのひんやりとした荒い表面に当てると、私がなすべきテキストが伝えられた。「告白」において、聖アゥグスティヌスは絶望の状態における存在を語っている。そのとき、彼は子供たちの歌声を聞いた★1。
ダニエル・リベスキンド『ブレイキング・グランド』はとても面白い読み物である。
リベスキンドは、通常建築家のなかでももっともハードな思考をする人物とみなされている。初期の「マイクロメガス」や「チェンバーワークス」といったプロジェクトに見られる表現に、人は強く惹かれはするものの、それが何を意味するのか言い当てることはとても困難だ。解説を読んでも謎は深まるばかり。そうした深遠ともいえるプロジェクトの世界に浸ることもまた心地よいのだが、一方では我々を受け入れないような、頑なな雰囲気も漂っている。よって、リベスキンドという人について、おそらくは難渋な人物、気難し屋の哲学者といったイメージを持つのは容易だ。しかし、実際には彼のポートレートなどを見ると、ニコニコと笑っているものが多く、少なくともスナップでも、怒っていたり不機嫌そうな様子のものは見たことがない。たぶん、いつもニコニコしているのだろうし、対談などを読んでも神経質そうなところはまったくなく、大抵ひょうひょうとしている。実際リベスキンドと話した人によると、彼は天使のようだとか、子供のようだなどといった、そうした感想もよく目にする★2。
『ブレイキング・グランド』ではWTC跡地のプロジェクトを中心に、彼のほかのプロジェクト、生い立ちなどが、彼自身の語り口で語られている。どのエピソードも面白く、そのいくつかは面白いをはるかに超えてとてもエキサイティングである。《ベルリン・ユダヤ博物館》にしてもWTCの跡地計画の「フリーダム・タワー」にしてもいく度も致命的ともいえる危機的状況を経て、実現もしくは進行している。彼が手がけるような建築は、実現するまでにこうまでも多くの衝突と対立を生み出すものなのか。また、時代がそうだったとはいえ歴史に翻弄された彼の一族の運命や──彼の親族のうち何十人もがホロコーストで亡くなっている。また、彼の両親も収容所でいつ亡くなってもおかしくない状況であった──、彼のまわりに生じたさまざまな苦難は、まるで『ヨブ記』のヨブのようである。このように、過酷な運命が身近にあり、ドラマティックともいえる数々の状況に巻き込まれながらも、なぜリベスキンドは笑みを絶やさないのか。そうしたさまざまなエピソードが、実況中継のように彼自身によって説明され、また大きな事件以外にも、彼が学生時代にピーター・アイゼンマンやリチャード・マイヤーのもとでバイトした時の話といった、細かな、でも魅力的なエピソードもふんだんに盛り込まれている。この本は、通常難解なプロジェクトや言説の背後に隠れているリベスキンドの、ありのままの姿を彼自身によって披露しているのである。
印象的なエピソードは数多くあるが、そのなかでもWTCの跡地の地下深く降りていって、そのむき出しになった壁面に触るシーンはこの本のなかでもとりわけ印象的だ(冒頭の引用参照)。本のタイトル、「ブレイキング・グラウンド」=〈大地を割くこと〉は、このときの経験から取られているのだろう。ちなみに本の表紙の写真の、子供用シャベルで砂遊びをしているのは、6歳のときにダニエル坊やである。
『ザ・テラーニ・アトラス──ビルト・アーキテクチュア』は、20世紀前半にイタリア北部の街コモを中心に活躍し、短命に亡くなった建築家ジュゼッペ・テラーニ(1904-43)の実現した建物に焦点をあてた本。タイトルにアトラスとあるが、百科事典的なものというよりも、それぞれの建物を多数の写真によって詳しく見ようというものである。よって、建築作品集につき物の図面は一切なく、その代わり例えば《サンテリア幼稚園》は56ページ、写真75点、《カサ・デル・ファッショ(コモ)》は54ページ、写真65点で紹介されているといった具合である。記録的な写真とともに、パオリ・ロッセリが叙情的な写真を多く撮りおろしている。ダニエル・リベスキンドが寄せているエッセイ「ライフ・アフター・ライフ」は、2004年4月に行なわれたテラーニ生誕100年を記念するイヴェントにおける彼のスピーチをもとにしたものであるが、そのなかでリベスキンドは「テラーニの建築を、その政治的意味から切り離すことはできない」と語っている。リベスキンドは、彼自身の多くのプロジェクトにおいても、歴史的意味を強く込めているのだが----そして「ブレイキング・グランド」以降、私たちはリベスキンドについて語るときに彼の歴史を見ないですませることは困難だろう----、建物の背景を見ずにそのもの自身を読みこもうという態度を取るのは、アイゼンマンである。
アイゼンマンは、『ジュゼッペ・テラーニ トランスフォーメーションズ デコンポジションズ クリティークス』にて、テラーニの二つの建物《カサ・デル・ファッショ(コモ)》と《ジュリアーニ・フリジェーリオ集合住宅》の形態分析を行なっている。この本は、アイゼンマン自身が本の冒頭で書いているように40年以上も前に着手した研究をまとめたものである。その成果の一部は、これまでにも断片的に雑誌等で発表されてきたが、本としてまとめられることはもうないかもしれないとここ数十年に渡って噂されてきた。アイゼンマンは、建物につきまとう文脈やエピソードからは距離を置き、その形態そのものがどのようなオペレーションによってなされていたかを、実証的に探求している。こうしたアプローチは、もちろん彼の師であるコーリン・ロウが「理論的ヴィラの数学」などの論考で披露した分析手法を発展させたものである★3。そのように、長期間に渡っての研究であるので、すでにこうしたアイゼンマンの手法に対しては、ある程度議論がされている感もあるが、いずれにせよこのようにきちんとまとめられたことは歓迎すべきだろう★4。
テラーニに対する態度がリベスキンドとアイゼンマンとで異なると書いたが、実は両者は非常に似ているところもある。つまり、アイゼンマンは、テラーニの作品を批判的テキストとして読解できる建物だと見なしているのだが、リベスキンドもまた「ブレイキング・グラウンド」のなかで、「いつも建物を一種のテキストだと想像し、読まれるべきものだと思っている」と書いている。その読み方は異なるとしても、この二人の建築家にとって建築とは、テキストとして読まれることを期待されているのである。
★1──ダニエル・リベスキンド『ブレイキング・グラウンド』より
★2──八束はじめはリベスキンドと初めて会ったときの印象を以下のように記しているが、何だかとてもよくリベスキンドのイメージと実際の人となりを伝えている。
「これもまたひどく難解なテクストも含めて、リベスキンドに対しては、ものすごく神経質で、にこりともしない、青白く人を寄せつけない、口を開けば観念的なことしかいわない、そんなイメージをかってに事前に思い描いていた。(...中略...)打ち合せの場にあらわれたリベスキンドは更にこのイメージとは180度逆の人物だった。神経質でにこりともしない、どころか、フォーク・シンガーのジョン・デンバーに良く似た、何とも人なつこい笑みを絶やさない素朴な人間なのである」(『SD』1990年2月号、八束はじめ「フォーリー・13・ストーリー」)。
また、小林康夫はリベスキンドとの対話の時間について、以下のように描写している。
「でも、扉を開けてかれの──どうしてもコドモ、つまりインファンスという言葉を思い浮かべてしまうのだが──明るい笑顔に迎えられると、そんなわたしの思考の屈折も鮮やかに払拭されて、1時間余りのきわめて楽しい、友好的な会話の時間が得られた」(『建築文化』1995年12月号、小林康夫「『歴史』という空間」)。
★3──コーリン・ロウ『マニエリスムと近代建築』(伊東豊雄+松永安光訳、彰国社、1981)所収。
★4──『ジュゼッペ・テラーニ──時代(ファシズム)を駆けぬけた建築』(鵜沢隆監修、INAX出版、1998)所収の、ピーター・アイゼンマンによる「ジュゼッペ・テラーニと批判的テクストという概念」参照。また同じ本にある松畑強の論考「ファシズム、アメリカニズム、モダニズム」は、アイゼンマンのテラーニへのアプローチの位置づけを解説している。
[いまむら そうへい・建築家]