変化し続ける浮遊都市の構築のために
Mark Wigley, Constant's New Babylon, The Hyper-Architecture of Desire, 010, 1999.
The Activist Drawing: Retracing Situationist Architectures from Constant's New Babylon to Beyond, ed., Catherine de Zegher, Mark Wigley, MIT press, 2001.
New Babylonians: Contemporary Visions of a Situationist City, Ed., Iain Borden, Sandy McCreery, John Wiley & Sons, 2001.
Simon Sadler, The Situationist City, MIT press, 1999.
シチュアショニストについては、半年ほど前のこの連載「アーキラボという実験」★1でも少し触れたが、今回はもう少し先に進め、特にシチュアショニストのメンバーの一人であったコンスタント・ニーウウェンハイスの長年に渡るプロジェクト「ニュー・バビロン」関連の本を中心に取り上げたいと思う。 シチュアショニストの思想や活動をこの場でコンパクトに整理して紹介するのは、さすがに厳しいが、現代建築への影響を考えた場合、例えば「漂流」や「心理地理学」といった彼らのキー・コンセプトはさまざまな局面で応用されているといえる。「漂流」というアイデアから、都市の横断的記述を試みたバーナード・チュミの「マンハッタン・トランスクリプト」は生み出されているし、地理環境と人の行動の関係を問題とした「心理地理学」からはナイジェル・コーツの運動NATO(Narrative Architecture TOday =今日の物語建築)がつくられた。 そして、今日活発に試みられているフィールド・ワークというものも、いくぶん薄まった形とはいえ、そもそもはシチュアショニストの概念に大きな影響を受けている。また、以前の連載でも指摘したように、レム・コールハースをはじめとする都市リサーチのムーブメントへの影響も見逃せない。彼らの活動は、当時としては、反体制として非常にラディカルで先鋭的であったが(とりわけドゥボールの態度は扇動的であった)、今日では割と自然に受け入れられる考え方になっていたりもする(直接的な影響はないだろうが、都市生活をする少女の生態を描いた伊東豊雄による「遊牧少女のパオ」も、シチュアショニストの考えと親和性を持つ)。
1957年に結成されたシチュアショニスト・インターナショナルには、基本的に2つの流れがあった。ひとつは1948年に結成された芸術家のグループ「コブラ」であり、もうひとつは1946年に結成された「レトリスト・グループ」である。前者の系は、コンスタントやアズガー・ヨルンといった芸術家による文化革命派であるのに対し、後者はギー・ドゥボールに代表される社会改革派であった。シチュアショニストというと、すぐさまドゥボールの名前が挙がるように、これまではラディカルな社会運動に関する側面が光を浴びてきたのだが、それには、晩年一旦合流した二つの流れのうち、芸術家グループが社会派グループによって駆逐されたという歴史にも関係する。 と書くと誤解を招くかもしれないが、コンスタントたち芸術家も社会的変革をモチーフとしていたことには変わりがなく、ただその表現手段が模型やドローイングであり、そのように作品という形で固定化したことをドゥボールによって責められたわけだが、それは彼らのコンセプトと提案の関係においてアポリアともいえるものであった。
さて、その比較的光を浴びてこなかったコンスタントへの再評価が、少し前から急速に進んでいる。ロッテルダムのヴィットゥ・ドゥ・ヴィットという現代アート・センターにて、1998年にコンスタントの「ニュー・バビロン」に関する包括的な展覧会が開催され、それを企画したのが建築評論家マーク・ウイグリー(現コロンビア大学建築学科ディーン)であった。それに関連し出版されたのが"Constant's New Babylon: The Hyper-Architecture of Desire"であり、コンスタントによるこのプロジェクトを包括的に記録するものとなっている。また、ウイグリーによる長文の論考も、この特異な試みを理解する手助けとなり、この本が、コンスタントの「ニュー・バビロン」に関する決定版といってよい★2。 引き続き、1999年ニューヨークのデザイン・センターでコンスタントのドローイングを集めた展覧会が行なわれ、その際に出版されたのが"The Activist Drawing: Retracing Situationist Architecture from Constant's New Babylon to Beyond"である。ここでも、ウイグリーは編者の一人として名前を連ねているのだが、前著がコンスタントのプロジェクトそのものの記録を目指しているのに対し、この本ではベンジャミン・ブクローとコンスタントの対話や、アンソニー・ヴィドラー、エリザベス・ディラー、バーナード・チュミらによるテキストが収められ、コンスタントの現代建築への影響というものを見ることができるだろう。 さらに、2001年にはイギリスから"New Babylonians"という本が出版され、これは「ニュー・バビロン派」とでも言うのだろうか、コンスタントのプロジェクトに影響を受けたプロジェクトや評論を集めたものとなっている。以上の3冊によって、コンスタントの「ニュー・バビロン」に関しては、かなり接近しやすくなってきているが、批評的な評価や具体的な応用的実践はまだまだこれからといえよう。
実は、コンスタントに限ってだけではなく、シチュアショニスト全体と都市との関係を解説してくれている本というものも存在する。サイモン・サドラー著"The Situationist City"がそれであって★3、〈ネイキッド・シティ〉、〈新しいアーバニズムへの形式化〉、〈ニュー・バビロン〉の3つの章からなるこの本は、シチュアショニストがどのように都市を捉えているかの見通しを与え、翻って我々がどのようにすべきなのか示唆を与えてくれるであろう。
結局、肝心のコンスタントの「ニュー・バビロン」というプロジェクトがどのようなものかはほとんど説明をしなかったが、人々の行動により自在に変化を続ける、果てしなく連続する浮遊都市とまとめられるであろうか。実際このプロジェクトそのものが変化をし続け、ひとつの最終的な形式というものを獲得しなかった。先に書いたようにコンスタントは状況を重んじるシチュアショニストのヴィジョンを形象化したことで追放の憂き目に会うが、このイマジナリーでコンセプチュアルな試みに実体を与えるということが、そもそも矛盾をはらんでいたともいえよう。コンスタントは後年自らの表現をペインティングに戻し、今でも存命である。
★1──今村創平「アーキラボという実験https://www.10plus1.jp/archives/2005/01/11155944.html」(「10+1 web site」2005年1月号)参照。
★2──ただし残念ながら現在絶版である。
★3──あらためて大島哲蔵さんは、シチュアショニストの数少ないよき紹介者であった。上記のうち2冊について、かつて書評を書かれている。
"Constant's New Babylon"書評:「幻視されたエンドレス・シティ」(大嶋哲蔵『スクウォッター』[学芸出版社、2003])
"The Situationist City"書評:「新バビロンへの道」(『建築文化』1998年12月号)
大島さんは自らをスクウォッターと称していたが、それもまたきわめてシチュアショニスト的な態度であったといえる。
[いまむら そうへい・建築家]