『モンテ・クリスト伯』マチュー・ドラポルト/ アレクサンドル・ド・ラ・パトゥリエール今年のカンヌ映画祭に出品されたピエール・ニネ主演の大作『モンテ・クリスト伯』が封切されてすぐ、4日間チケットが5ユーロになる「映画フェスティバル」が始まったので、観に行くことにした。大迫力ということで、大画面で観るのもいいかなあと思ったのだ。 これまでにも何度も映画化されているし、この映画も、映画としては高評価を得ていないのだが、たまにはこういう迫力のある映画を観たかった。私にとって日本語訳の『巌窟王』は、フランス語など読めない頃に夢中になって読んだ長編小説だ。エドモン・ダンテスはヒーローだった。子供の頃に読んだ本のもう一人のお気に入りヒーローがジュール・ヴェルヌの『海底二万マイル』のネモ艦長だったから、奇しくもフランス小説のフランス人だったわけだ。 今回の主演はピエール・ニネで、熱演ぶりは聞いていたし、この人にぴったりな役である気がした。 アレクサンドル・デュマが黒人のクォーターであることを知ったのは本を読んでからずいぶん後のことだった。 写真が残っているのだが、美丈夫ではない。 人気作家となったが黒人(父はナポレオンと共に戦った軍人)の血を引くことで差別的言辞を受けることがあった。その時に答えたというのが 「そう、私の祖父は黒人だった。曽祖父は猿だった。つまり私はあなた方が到達したところから進化したのだ」 というものだったそうだ。 笑える。(彼の父は、今のハイチでフランス貴族と黒人奴隷の女性の間に生まれている。) で、この映画。みているうちにストーリーを思い出すかなあと思っていたけれど、まったく新しいことばかりでハラハラドキドキの連続だった。後で確認したら、3時間の大作とは言え、連載小説だった原作の大長編をまとめるために数年もかけてシナリオを書いたそうで、カットされた部分も多いし、ストーリーの変更もある。でも、全体として飽きなかったし、ハリウッド映画風のスケールとコメディフランセーズ風の格調の高い雰囲気とが混然としていて楽しめた。結局ヒーローは誰一人として手をかけて殺しはしなかった、というところが今風の基準でも、教育的にできていると思えるほどだ。 あと、この映画が1815年春から1835年にかけての話だというところが、昔翻訳で読んでいたころはぴんとこなかったけれど、今は、エドモン・ダンテスの失墜のきっかけがエルバ島のナポレオンからの手紙だったということや、イフ島の牢獄に14年閉じ込められた後、復讐を開始したのが1835年でルイ・フィリップの七月王政の時期だったのだなあ、ということなどの背景がよく分かる。 そして、原作ではダンテスが手に入れたのはボルジア家の宝物だったのだが、映画ではテンプル会の宝物だったことになっている。監獄にいたのはテンプル会の騎士の末裔だったのだ。 2人は10年かけて穴を掘り進めるのだが、その合間にダンテスは騎士の末裔から、英語、イタリア語、スペイン語、アラビア語、ギリシャ語などいろいろな言葉を習得する。「牢獄にいる状態から解放されるには岩を掘っていく鑿だけではなく、哲学も、歴史も、数学も同じように必要なのだ」と言われる。小説にこんなシーンがあったことを覚えていないが、フランス的というか、今日にも通じる大切な言葉だ。 これも昔小説を読んだときは意識していなかったけれど、ダンテスはただの船乗りで庶民。フランス革命を経た後でも、「身分の差」というのは厳然としてあり、それは教養の差として明らかであり、だからこそダンテスは身分違いの貴族の娘メルセデスとの結婚に反対され、嫉妬されたのだ。(それでも婚約できたのは彼が海軍でキャプテンに昇進したからだった。) で、無実の罪での地下牢生活から抜け出して復讐を遂げるには、テンプル会の宝物だけが元手ではなく、「教養」が必要だった。10年かけて言語や教養、完璧なマナーを身に着けたからこそ、彼はモンテ・クリスト伯と称することができたのだ。 そう、称号付きの貴族。イタリアは領邦国家だったから、完璧な言葉とマナーと財産の誇示さえあれば、フランスの貴族やブルジョワやエリートの仲間に迎えられる。写真が一般になかった時代とはいえ、22歳が42歳になって現れた時、体格などは変わっていないのに、誰もダンテスだとは気づかず、みな異国の貴族だと信じて疑わなかったのは、身のこなしや教養における優越を体現していたからなのだ。 この感覚も、よく分かる。フランスが、今のような一部のムスリム原理主義による移民汚染がはびこる前、「フランス語とフランス文化を習得した者がフランス人」であるとユニヴァーサルな定義を掲げていたこととも通じる。 教養は翼になる。 でも、ダンテスが教養を身につけて脱獄に成功したとしても、宝を見つけなければその後の綿密な調査や準備や仲間の「調達」もできなかっただろう。 復讐相手の私生児を見つけ出して修道院から引き取り、教養をつけてやり、やはり架空のイタリアの公子に仕立てて復讐に加担させた。 金と教養、そして策略。 今の世の中ではこのような「なりすまし」は困難だろうなあと思う。誰でも相手の素性をネットで調査できるからだ。 逆に、ネットをうまく操作すれば、架空のアイデンティティなどでっちあげるのも簡単だからこそ各種の詐欺が蔓延しているのだろう。だとしたら、やはり、罪悪感とか欲望とかが人の判断を狂わせるというのはいつの世も変わらないのかもしれない。 小説を読んだときは、ただただ主人公に思い入れをして復讐が爽快だった記憶がある。 映画ではそういう爽快感はなかった。 でも、救いのある終わり方。 私は見ていないけれど、ドパルデューの主演でテレビドラマ化されたことがあるので、ピエール・ニネーでは迫力が及ばないと評する人もいる。確かにドパルデューによる復讐劇なら壮絶だろう。 ピエール・ニネと言えば「イヴ・サンローラン」の華奢で繊細な役どころのイメージかもしれない。 「巌窟王」どころか屈強な船乗りの雰囲気ではない。 でも、カンヌ映画祭に出品されたこの映画のダイジェストを見かけるたびに、ぴったりだなあと思っていたので、違和感がなかった。小説を読んでわくわくしていた時には、エドモン・ダンテスには「顔や姿」がなかった。心理的に彼の中に入っていたのだろう。 思えば、映画にも、主人公やシチュエーションに自己を投影させて共感を得させるタイプのものがある。そういうのは近頃見つけにくい。戦争や暴力ものはできるだけ避けているし、ラブコメや若者の友情、夫婦の浮気、子育て、家族の葛藤など、感情移入などまずできそうもないのでたいていスルーする。 でも、この『モンテ・クリスト伯』のように、自分に何の接点もないようなシチュエーションの中ですなおに楽しめるものもあるわけだ。 拳銃での決闘シーンもサスペンスに満ちていて、剣での死闘も迫力満点だ。なつかしさと発見、フランス語とフランス史の知識が身についていることによる視野の広がりも含めて、後悔しない3時間だった。
by mariastella
| 2024-07-10 00:05
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