2/22の朝、ピレネー地方のカトリック系私立学校の高1のクラスで、スペイン語授業中の50代女性教師が、16歳の男子生徒に切りつけられて死亡した。
フランスでは、教会で司祭が殺されたこともあるし、授業でマホメットのカリカチュアのスライドを「表現の自由」の材料として使った教師が道路で首を切られるなどと言う「イスラム過激派」によるテロはすでに存在する。ユダヤ人学校も襲われて教師が殺されたこともあった。
しかし今回は、カトリック系私立高校で、いわゆるテロとは関係がなさそうだ。
しかも無差別暴力でなく教師だけを殺害した。生徒たちは彼がいたって冷静だったと証言している。
おとなしい生徒だったそうで、何かよほど個人的な怨みでも、というのもあまり想像しにくい。次の日には、「心理的に正常ではなかった」と発表されたけれど、クラスの中で教師を殺す時に「正常」でいるわけもないだろう。
殺人や犯罪のニュースは毎日流れるけれど、妙にリアリティをもって感じるのは、私自身がパリのカトリック系私立高校で、一年から三年までのクラスで日本語を週二回教えていた経験があるからだ。1979年には東京のリセ・フランセで日本でいうと小学4年から高校2年までの4クラス(各クラスに2学年合同)を週二回受け持っていた。
どちらも、高校生のクラスが一番気に入っていた。
パリのリセで教えていた時は、授業の後で私と話したがる生徒も少なからずいて、当時人気だった『らんま1/2』の話やら、剣道やら柔道の話を楽しそうにするのだった。特に15,16歳の少年たちはみな素直でかわいかった。
私はクラスにギターを持ち込んだこともあるくらいで、自由を謳歌していた。
私立だが身分は文科省の非正規雇用者で、雑用は一切なかった。
で、カトリック系私立高校での外国語の授業中という「光景」は私の中にしっかり刻み込まれている。
あの「平和」で、若さと好奇心と希望に満ちたクラスを思い浮かべると、そんなところに、「いつもおとなしい生徒」が突然襲いかかってくるなど、ホラー映画よりも非現実的だ。
今の私のピアノの生徒にも親がムスリムであるケースが数人いるが、みな中学レベルではカトリック系私立学校に行っている。フランスでは今やそこが一番中立で安全で共和国精神に忠実だからだ。ピアノの個人レッスンに通わせていることとも矛盾しない。だからカトリック系私立学校は親にとっても子供の「安全地帯」と認識されていた。それだけに、今回の事件のショックは大きい。
付録)映画『Plan75』などをめぐっての日本での「老害」の話、文脈がよく分からなかったのだけれど、秋葉忠利さんのブログを読んで、「当事者」が語るバイアスに臆さない正論だと思ったのでメモリンクしておく。