ゴッドマザー。ブラック・ウィドウ。クイーンピン(組織のかなめとなる女性)。グリセルダ・ブランコに与えられた数々の異名や通称は、コロンビアから米国までを席巻した、10億ドル規模の血塗られた麻薬帝国を率いる中で、彼女が手にした悪名を物語っている。
最近ではネットフリックスでドラマ「グリセルダ」の題材としてもとり上げられた、暴力的な世界でのし上がっていく彼女の生涯の物語は、真実と虚偽とがないまぜになっている。神話の裏に隠されたほんとうのグリセルダとは、どんな女性だったのだろうか。(参考記事:「映画にも、オセージ族連続怪死事件とは、米先住民60人超が犠牲に」)
身代金の受け取りに失敗して少年を殺害
ブランコは1943年2月15日、コロンビアで生まれた。それからまもなく、彼女の祖国は「ラ・ビオレンシア」によって徹底的な破壊に見舞われた。ラ・ビオレンシアとは、1948年4月9日、人気政治家ホルヘ・エリエセル・ガイタンがボゴタの街で暗殺されたことをきっかけに始まった暴力と社会不安の時代のことであり、10年後に終結するまでに殺害された人の数は20万人にのぼった。
こうした暴力を背景として、ブランコは大人になった。歴史家のエレイン・キャリー氏が著書『Women Drug Traffickers(女性麻薬密売人)』で指摘している通り、ブランコと同世代の女性たちは、「権力は多くの場合、暴力行為によってもたらされる」ことを身をもって学んでいた。
コロンビアの都市メデジンの貧困層として成長したブランコは当初、さほどの力はもっていなかった。11歳で犯罪の世界に足を踏み入れたきっかけは、地元の少年を誘拐した後、身代金の受け取りに失敗して彼を殺害したことだったとされる。その後、彼女の経歴には、スリや偽札づくりが加えられていった。
ブランコは、書類の偽造と人身売買で暮らしていたカルロス・トルヒーヨと出会い、やがて結婚する。この結婚は3人の子どもをもたらしたが、結局は離婚に終わった。そして1970年代半ばには、トルヒーヨはすでにこの世を去っていた。死因は健康問題だったとされる一方で、そこにはブランコがかかわっていたという主張もある。
「白い黄金」を商売に、最盛期の売上は毎月8000万ドル
1970年代のディスコブームが、コカインなどの違法薬物の市場拡大に火をつけた。70年代半ばには、コロンビアはコカイン取引の中心地として台頭し、とてつもない富と危険をもたらした。
2番目の夫となった麻薬密輸業者のアルベルト・ブラボーとともに、ブランコは米ニューヨークを拠点とするコカイン帝国を築いた。彼らのビジネスを支えていたのは、麻薬を隠せるよう特別にデザインされた下着を着て国境を越える密輸人たちだった。
帝国が成長するにつれ、ブランコとブラボーの関係は悪化した。具体的にどんなことが起こったのかについては議論の余地が残っているものの、ブラボーは1975年に殺害された。ブランコは後に、自分が彼の口に銃弾を撃ち込んだと主張している。
ブラボーの死により、グリセルダ・ブランコには「ブラック・ウィドウ(黒い寡婦)」、すなわち、夫を殺して消し去った女性というイメージが定着した。