あなたの収入はどれくらいだろう? 配偶者はどれほど魅力的な人だろうか? あなたは他人からどんな風に見られているのか? こうした要素のすべてに、身長が影響を及ぼしているかもしれない。現代社会では、身長に関する大きな偏見がある。背の高い人はほめそやされて特権を享受する一方で、背が低ければ、地位が高くても肩身の狭い思いをすることがある。
男性の場合、特にそれが顕著だ。背が低い人は、偏見にさらされるだけでなく、汚名を着せられることすらある。いわゆる「ナポレオン・コンプレックス」だ。
この言葉の由来となったのは、体格よりもはるかに大きな野望を持っていたと言われるフランスの専制君主だったナポレオン・ボナパルトだ。「ナポレオン・コンプレックス」は、背の低い人々が支配的で好戦的になりやすいという傾向を指す言葉として、20世紀からポピュラー(通俗)心理学で使われ始めた。
しかし、歴史学者の中には、ナポレオンが本当に背が低かったのかという点に異を唱える者もいる。では、「ナポレオン・コンプレックス」という考えは、どのようにして誕生したのだろうか。また、そうした傾向は本当に存在するのだろうか。(参考記事:「ナポレオンとジョゼフィーヌ、波乱で奇妙なロマンスの真相とは」)
愛称のほとんどに「ちび」
ナポレオン・ボナパルトがはじめて名声を手にしたのは、1796年、フランス軍を率いてオーストリアなどに対してイタリアで奇跡的な勝利を上げたときだ。このときから、「ちび伍長」などと呼ばれるようになった。その後も勝利を重ねていくが、ナポレオンが好んで用いたのは、無謀とも言えるほどの大胆な戦略だった。
国の英雄となったナポレオンは、1799年のクーデターで政権を掌握。やがて皇帝となり、フランスの勢力拡大を図った。(参考記事:「欧州のエジプトブームに火をつけたナポレオンの遠征」)
ナポレオンには、カリスマ性と巨大な野心があった。だが、その生涯と治世を通じて、彼は背が低いことを揶揄(やゆ)され続けた。自軍の兵士たちがつけた愛称のほとんどは「ちび」ではじまっていた。さらに敵たちは、好戦的で、周囲を威圧して支配することで、自らの身長の低さを補おうとする小男として、ナポレオンを描き続けた。
近代政治風刺画のジャンルを確立した英国のジェームズ・ギルレイによる風刺画はとりわけ有名だ。ギルレイは、直接見たことはないナポレオンを、世界をおもちゃに変えようとする子どものような男や、大きすぎる服を着た幼児のような姿で表現した。1803年の風刺画には、英国王ジョージ3世が、手のひらにのせたナポレオンを小型望遠鏡でのぞく様子が描かれている。
ナポレオンは、大失敗に終わったロシア遠征やヨーロッパの敵対国による同盟、そしてフランス国民の不満の高まりによって失脚した。1814年に退位した彼は、9カ月をイタリアのエルバ島で過ごしたのち、復位して1815年のワーテルローの戦いに臨む。しかし、この戦いに完敗したナポレオンは、1821年に流刑地で生涯を閉じた。
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