英国王ヘンリー8世の2番目の妻であるアン・ブーリンはしばしば「男を誘惑する女」として、また最終的に英国の宗教のあり方が変わる原因となった女性として描かれる。だが実際のブーリンは、教育と宗教改革に身をささげる知的で信仰心のあつい女性だった。
しかし、1536年5月にブーリンが姦通と近親相姦という無実の罪を着せられて逮捕され、処刑された後、ヘンリー8世は彼女のことを忘れようと決意した。ブーリンの紋章は宮殿の壁から取り去られ、きらめく宝石は暗い金庫にしまい込まれ、彼女が所有していた貴重な書物は歴史から姿を消した。(参考記事:「「好色」英国王ヘンリー8世と、6人の妻たちの物語」)
こうした彼女の書物のうち、再び見つかったもののひとつが時祷(じとう)書(一般のキリスト教信者のために編まれた祈祷(きとう)書)だ。ブーリンの時祷書は1527年ごろに印刷されたもので、一日中折に触れて読むよう意図された祈りの言葉に手刷りの木版画が付いている。ブーリン自身の貴重な筆跡も残されている。美しい装飾が施されたページの余白に、ブーリンは署名付きで韻を踏んだ連句を書いている。
「祈るときは私を思い出してください、希望が日々を導きます(Remember me when you do pray, that hope doth lead from day to day)、アン・ブーリン」
この本はブーリンの処刑と同時に所在が分からなくなっていたが、1903年ごろ、米国の富豪ウィリアム・ウォルドーフ・アスターが英南東部ケントの田園地帯にあるブーリンの生家ヒーバー城を購入した際に見つかった。
汚名を着せられた王妃の時祷書の在りかは何世紀ものあいだ謎だったが、ある大学院生の研究によって、この書物が通ってきた道筋をたどるヒントとなる署名が発見された。
余白に思いがけない発見
ブーリンの時祷書は、彼女の死から再発見までの367年間、どこに存在していたのか謎のままだった。だが2020年、当時英ケント大学の大学院生だったケイト・マキャフリー氏がこのアン・ブーリンの時祷書に関する修士論文に取り組んでいた時、時祷書の余白に思いがけないものを見つけた。
「肉眼では汚れのように見えました」と、2021年からヒーバー城で学芸員の助手として働くマキャフリー氏は当時のことを振り返る。
興味をそそられたマキャフリー氏は業務用の紫外線ライトを借り、ヒーバー城の一番暗い部屋に設置した。書物に紫外線を当てると、インクがその波長を吸収して濃い色に見えるため、紫外線ライトはしばしば歴史文献の調査に使われる。「文字が浮かび上がってきました。ライトに照らされた文字を見て驚きました」(参考記事:「英国王の遺骨を駐車場で発見、発掘を後押しした歴史マニアの直感」)
本や原稿の余白部分の書き込みを消すことが好まれたビクトリア朝時代後期に、この文字も消されたのではないかとマキャフリー氏は考えている。しかし、氏の探偵顔負けの調査によって、この消された文字は、この本が王宮で姿を消してから献身的なブーリンの支持者グループの手に渡るまでの物語を解き明かす鍵であることが判明した。
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