世界の七不思議、千年働いた超巨大「アレクサンドリアの大灯台」

高さ100m以上、あのユリウス・カエサルも驚嘆、古代エジプト

2022.01.07
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高さ100メートルを超えるアレクサンドリアの大灯台には、プトレマイオス朝のファラオと女王をかたどった巨大な花崗岩の像が置かれていた。塔には巨大な白い石灰岩が使われ、当時はエジプトの太陽を浴びてまぶしく輝いていたことだろう。(JEAN-CLAUDE GOLVIN/MUSÉE DÉPARTEMENTAL ARLES ANTIQUE)
高さ100メートルを超えるアレクサンドリアの大灯台には、プトレマイオス朝のファラオと女王をかたどった巨大な花崗岩の像が置かれていた。塔には巨大な白い石灰岩が使われ、当時はエジプトの太陽を浴びてまぶしく輝いていたことだろう。(JEAN-CLAUDE GOLVIN/MUSÉE DÉPARTEMENTAL ARLES ANTIQUE)

「世界の七不思議」の一つに数えられているアレクサンドリアの大灯台は、美しさと機能性を兼ね備え、何百年にもわたって船を安全に古代エジプトの港へ導く役割を果たしていた。そのおかげで、アレクサンドリアの街は古代世界における地中海交易の中心地として大きく発展した。(参考記事:「古代の人々があこがれた「世界の七不思議」」

 アレクサンドリアは、マケドニア王国のアレクサンドロス大王によって、紀元前331年に築かれた港湾都市だ。ペルシアと戦い始めてからわずか3年で地中海の東側の沿岸地域を掌握したアレクサンドロス大王は、わずかな兵を連れて北エジプトへ遠征した。フェニキア人の都市ティルス(現在のレバノン沿岸)を破壊した後、制海権を確保するため、ティルスに替わる交易拠点をナイルデルタ(ナイル川河口の三角州)に作ろうとしていたのだ。

 そして、間もなく最適な土地を発見する。それは、デルタの最西端を流れる支流によってナイル川とつながり、南側はマイオレット湖によって守られた一帯だった。(参考記事:「アレクサンドロス大王の墓、21年がかりで探求」

【関連ギャラリー】世界の七不思議「アレクサンドリアの大灯台」 写真と画像14点(写真クリックでギャラリーページへ)
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エジプトのファラオとして、アメン・ラー神に供え物をするアレクサンドロス大王。ルクソール神殿のレリーフ。(GIAN CARLO PATARINO/AGE FOTOSTOCK)

危険な水域

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 地中海とマイオレット湖に挟まれたアレクサンドリアは、ほぼ長方形をしていた。当時の人々は、この形を古代ギリシャの服「クラミス」に例えた。

 アレクサンドリアの街では、ナイルデルタのカノープス支流から引かれた運河から水を供給し、当時の地中海東部においては珍しかった下水道と幅の広い道路が建設された。街は5つの地区に分けられたが、その4分の1近くは王家が所有する宮殿と庭園で占められていた。

 港は、喫水の深い船が出入りできるだけの十分な深さがあり、連なった島々によって危険な北風から守られていた。とはいえ、羅針盤や航海計器なしに、海岸線を見ただけで自分が今どこにいるのかを知ることは難しかった。ナイルデルタの周囲には山や崖がなく、海岸付近は湿地帯と砂漠がどこまでも続き、陸地が平らで低かったせいだ。

 また、海面とほぼ同じ高さで、この沿岸水域に慣れていないと見逃してしまいそうな砂州が広がり、あともう少しで到着するというときに、この砂州に乗り上げてしまう船も多かった。そして最後の難関が、アレクサンドリア港の前にある2重の岩礁だ。風が味方をしてくれなければ、大変な事故につながることもあった。そのため、灯台の建設は必要不可欠だった。

紀元前331年に、アレクサンドロス大王によって建設された都市アレクサンドリアは、プトレマイオス朝時代に、交易と文化の中心地として栄えた。その後、街の一部は海の底に沈み、他の部分は現代の建物の下に埋もれている。この絵は、プトレマイオス朝最後の支配者だったクレオパトラ7世(在位紀元前51~30年)の時代の街を描いた想像図。(FERNANDO G. BAPTISTA/NATIONAL GEOGRAPHIC IMAGE COLLECTION)
紀元前331年に、アレクサンドロス大王によって建設された都市アレクサンドリアは、プトレマイオス朝時代に、交易と文化の中心地として栄えた。その後、街の一部は海の底に沈み、他の部分は現代の建物の下に埋もれている。この絵は、プトレマイオス朝最後の支配者だったクレオパトラ7世(在位紀元前51~30年)の時代の街を描いた想像図。(FERNANDO G. BAPTISTA/NATIONAL GEOGRAPHIC IMAGE COLLECTION)

 アレクサンドリアの沖にファロス島という島があり、その東側が灯台の建設場所に選ばれた。単一の塔から成る構造物は、それまでどの文明にも見られなかった形だった。灯台の名は島にちなんで「ファロス」と名づけられ、これがギリシャ語で灯台を意味する「ファロス」の語源になった(スペイン語とイタリア語では、ファロと呼ばれる)。

 灯台の建設に着手したのは、ギリシャ人による古代エジプトプトレマイオス朝の初代ファラオ、プトレマイオス1世だった。マケドニアの貴族だったプトレマイオス1世は、紀元前323年のアレクサンドロス大王の死後、エジプトを支配し、ギリシャ人による王朝を打ち立てた。灯台は、その息子のプトレマイオス2世の時代に完成した。

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