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自尊心とプライドの違い 

エピソード
02 /26 2019
対立する二人
       価値観の相違



35歳で離婚したとき、効率よく稼げる仕事を求めて
内勤の営業職に就きました。(全国展開の美容関連会社)
わたし、そこでは模範的なスーパースターでした。

課せられたノルマを消化するのは当たり前。
誰に言われるまでなく、全体の士気をあげるように振る舞い、
雇用条件や上司の性格などについては一切、文句も言わない。
新人には親切に対応し、仲間割れの仲介役を果たしていました。
それはなぜか?
飲食関係の三店舗と、POPライター請負業という、
二足のわらじ状態での自営業が長く、
組織を見る視点が、経営者そのものだったんです。

美容関係の顧客リストは、会社が用意してくれます。
女性週刊誌などに広告を出して得た購入者リストを元に
直販部隊として電話セールスをするわけです。
もちろん、固定給や交通費ゼロの完全歩合制ですが、
厳しい飛び込みセールスの体験があったので、
冷暖房の効いた室内と、洗面所完備というだけで、
“他人の褌で相撲を取れる”好条件に思えたわけです。

どんな小商売人でも初期投資と減価償却はつきもの。
売上げが低迷しても安易にリストラするわけにはいきません。
パートの勤務時間は調節できても、
店長の首を切るわけにはいかないわけです。
で、苦肉の策として、平日は飛び込みセールスで余禄を得る。
そんなハードな経験者としての強味です。(^_^ ;)

おかげで支店長をはじめ、幹部からも信頼はされましたが、
ある日突然、成績上位の4人のメンバーが離反。
仲良しだと思い込んでいた私は、予兆にさえ気づけませんでした。
折しも社全体の売り上げが低迷していた時期で、
その後はノルマが増える一方の厳しい状況に……。

求人と研修、お手本を示すロープレなどが落ち着いた頃、
改めて離反した仲間と自分の関係を省みたものです。

信頼関係のあった年上のナンバー2、Yさん。
首謀者はYさんだろうと確信していました。
それにしても……。
『風ちゃんがいるから頑張れる』って、
なんだったんだろう?
『風ちゃんが羨ましい』から、
ジェラシーに変わっていったんだろうか?
彼女には決してクリアできない願望。
他社に行けばトップになれる確信があったとか?

そこで客観的な意見を聞きたいと、
残留していたメンバーに訊ねたものです。

『あの4人な……。
私には謀反に思えたんやけど、原因、知ってる?
ひょっとして、私?
怒れへんから、正直に言ってな。
私の言うこと、すること間違ってる? 
嫌われること、言ってたんかなぁ?』

すると、残留メンバーが次のように応えました。

『……風ちゃんは実力もあるし、いつも正しい。
正しいのはいいことやと思います。けど……。
だから、あの人たちはしんどいんじゃないです?
支店長やマネージャーの悪口言って、たまにさぼって、
馬鹿やって、慰め合って……。
風ちゃんがそんな人だと、安心するんじゃないですかねぇ。
Yさんは姉御肌で、自分が統率したかったと思います。
彼女はお金じゃなくて、存在感じゃないですかねぇ』

『(*′☉.̫☉)へぇ‼ よく見てんなぁ‥‥』

( ̄~ ̄;) ……模範生は、ただ、ウザイ?
これには愕然でした。
トップセールスマンに対するジェラシーより、
さらに性質が悪いように思えて……。

だからって、彼女たちに同調して好かれたいとは思いませんでした。
生きてきた環境の基本的な視点や、価値観の相違ですから、
互いにとっての『バカの壁』があっただけのこと。

その後、住宅ローンの返済を終えて職種を変えましたが、
人間関係の壁は、職種が違っても似たようなものでした。
出る杭は打たれますし、見解の相違が派閥をつくります。
企業や社会の風潮も同じ。
マンネリズムに癖癖していたとしても、
異質なものは受け入れない。
良かれ悪しかれ、波風は立たない方がいい。
人は、内容がどうあれ『多数決の原理』を好む
習性みたいなものがあるんですねぇ。

ですが、ものは考えようです。
出る杭は打たれますが、出過ぎた杭は打たれません。
ネガティブグループが引きずり降ろそうとしても、
強い目的意識を内在している者には手も足も出せません。

サッカーや野球の選手だって海外に移籍し、
さらに磨かれて不動の個性を発揮するようですし、
会派の封建的な観念に縛られていた医師や、研究、技術者とて同じ。
“なりたい自分”という信念を貫いて高みを目指す人、少なくないです。
それは性的マイノリティの人たちにも言えます。
カルセールマキやピーター、美輪明宏や、マツコなんて大もて。
差別や偏見、見世物の域をさらりと超えて、
自らの個性を輝かせる道を創ってきたのですねぇ。

ここで自尊心とプライドの違いを……。

日本では同じようなものだと思われているようですが、
英語ではまったく別物として認識されているようです。

自尊心…Self-esteem(セフル・エスティーム)
      Self=自己 と、Esteem=尊重、称賛 
・自信に由来する
・自分の存在そのものを尊いと感じる
・欠点も含めて自分を受け入れられる
・失敗にめげずチャレンジング
・基本的に安心

傲慢さ…Pride(プライド)
・劣等感に由来する
・他者と比較して、自分が上(下) と感じる
・自分の欠点の存在を許せず責める
・失敗を恐れて防衛的、保守的
・基本的に不安

ということで、改めて意味を知ると目からウロコですよねぇ。


私を含めて…(*´ェ`*)自尊心の高い人たちは幸いです。
自尊心とは、発展途上で完璧ではない自分でも好き。
だから他人にも完璧さを求めないし、欠点ある他人を快く受け入れます。
自分の価値を認識するのに他者は必要ないし、
失敗にめげることなく前向きに生きるので、
精神状態は『安定』しているようです。

一方、エピソードに登場したYさんは
プライドの高いタイプだと言えます。

プライドは劣等感由来ということで、、
自分の価値がいつも他者との比較の中で決定するので、
自身への価値は常に揺らぎ脅威にさらされていて、
精神状態は基本的に『不安』です。
(年がら年中、愚痴ってる(^_^ ;))

だからって自分の欠点が許せないので、
他者から欠点を指摘されると猛烈な恐怖と怒りを感じます。
自分の欠点を憎むように、他人の欠点にも敏感なので、
他人にも完璧さを求め、基準を押し付けがちです。
失敗を恐れて壁を作り、分離感を強め、引きこもり、
被害者、あるいは加害者として生きる傾向が……。


ちなみに10年後、Yさんと街中でバッタリ会いました。
自宅近くだったのでお茶でも、と……。

開口一番……。
『トップになって初めて、風ちゃんの気持、よぉ解ったわ』
そう言いながら、泣いて、泣いて……。

彼女のプライドは消失。
自尊心の高い女性に変わっていました。
そんな彼女を思わず抱きしめ、もらい泣きしてしまいました。


自分のためにやるからこそ、
それがチームのためになるんであって、
「チームのために」なんて言うやつは、
言い訳するからね。
オレは監督としても、自分のためにやってる人が
結果的にチームのためになると思う。
自分のためにやる人がね、
一番、自分に厳しいですよ。 
          王  貞治

恐妻でしょうか?

エピソード
06 /15 2018
連れ合い 002
 晴れ
 
猫「ふん」jpg
ときどき曇り



わたし、再婚して18年になるんですが、
過去に一度だけ、喧嘩らしい『喧嘩』をしました。
今日は、その話……笑ってやって下さい。



過疎の村で送迎付きの鍼灸院やってた頃、
連れ合いに施術室の棚造りを頼みました。
ですが、いつまで経っても腰を挙げません。
その日も施術に追われ、終ると同時に夕食の準備でバタバタ。
連れ合いのNは、テレビを見てくつろいでいました。

『Nちゃん、ご飯、あと1時間はかかるし、
今の間に棚造り、やってくれへん?』

三度目の催促でした。

『いいけど……ほな、板や大工道具の用意せぇや!』

連れ合いが、またしても命令口調で言いました。

またしても、というのは、私がどんなに忙しくても、
彼が何かをするとき、準備と後片付けを私に強要するんです。
大手ゼネコン勤務が長く、部下や下請け業者相手に
指揮命令を下してきた習慣だと、解ってはいました。
ですが、その日の私は施術に忙殺されて疲労困憊。
機嫌が悪かったんです。

しばらく沈黙したのち、Nの至近距離に移動して言いました。

『あのさぁ、Nちゃん……。
何かをするって、準備と後片付けはつきものやんね。
それ、作業全体の60%ほどの労力と時間を費やするもんやんね。
それを私にさせて、メインの造作だけするんだったら何もせんでいい。
いちいちご機嫌伺って、優しく誘導するのも疲れたわ。

主婦のご飯作りだってそう。
食べるのは、ものの15分。
準備と後片付けに2時間はかかるんよ。
男の人って、テーブルに着席したら、
自動的にご飯が出てくると思ってんのやろうけど、
それなりの準備と片付けがセットなんよ。
しかも主婦業には定年退職なんてない。
よほどの大病でもしない限り、死ぬまでやわなぁ。

Nちゃん、なんか勘違いしてへん?
写真の大家かなんかで、助手、使ってんのとは違うんよ。
ましてゼネコンの小川出張所でもない。
偉そうに! いつだって命令口調で‥‥。
わたし、Nちゃんの部下でも事務員でもない。
ましてNちゃんの元嫁のように、
専業主婦やってるわけじゃないんよ……。』

と、まぁ、10歳も年上の連れ合いに、
本気で説教したわけです。
不平不満とかじゃなく、『説教』です、説教!(^_^ ;)

Nは、日頃から後片付けのできない性質でした。
服は脱ぎっぱなし、引き出しから物を出したら開いたまま。
日に何度も、なんであろうが元に戻すことができません。
結果、いつまで経っても収納場所が判らずに、
あれは何処や、これは何処やと命令口調で、
嫁に持ってこさせるという悪循環の日々だったんです。
何十年もの間、会社では部下や事務員が、
自宅では専業主婦の元嫁が、
黙ってフォローし続けていたことは明らかでした。

わたし、けっこう忍耐力あるし、5年、我慢しました。
ですが共に暮らすからには(自分のために)、
伴侶の性分を矯正する必要に迫られていたわけです。


連れ合いは無言で、スゴスゴと動き始めました。(^_^ ;)

してやったり( ˘ ³˘)……とは思いましたが、後味は悪かったです。
ですが、優しい口調の時期は過ぎていましたし、
こんな単純なことで壊れる関係なら、それも良かろうと腹をくくっていました。
結果を恐れずに腹をくくる(バカヤロウ!の心)……。
人生に何度か、そんなことありません?


1時間半後……。
施術室を覗いて『ごはんよぉ!』と明るく声をかけました。
この切り替えこそが大事。
これはNから学んだ態度、というか知恵でした。
多少ギクシャクしても、Nは決して感情の根を引きずらず、
何事もなかったかのようにコミュニけーションをとる
好ましい性格の持ち主でもあったんです。(^_^ ;)


すでに棚は、完成しかかっていました。
腕が良く軍のお抱え大工だった“カエルの子”の作業。
その出来栄えは大したものでした。

『ひゃあ、さすがNちゃん! 
角の面取りまでして、大したもんやなぁ!』

ちょっと大げさに褒めて、ディナータイムにしました。
で、この際と思って、間髪入れずに言いました。

『ところでさあ、その腕見込んで頼みがあんねん。
寒くなるまでに25畳の部屋、暖房効率悪いし、
壁とドアで仕切って二部屋にしてくれない?
一部屋は施術室。もうひとつはNちゃんの書斎とか。
あと、寝室と居間の仕切りも、ふすま外してドア付きの壁にして。
Nちゃんは遅くまでテレビ見るし、
正直、音が漏れて寝られへん。我慢するのも苦痛やねん』


白馬村の大工(知人)に頼んで材料を分けてもらい、
施術時間を避け、夜なべ仕事で1か月。
(燐家と距離を隔てた田舎なので可能)
プロ並みに見事に改装ができました。(費用20万)
もちろん、この時ばかりは誉めそやしましたよ。

『大工でもないのに……現場で下請けの作業みているだけで、
こんなふう完成させるやなんて、ほんまに天才的やなぁ。
ゼネコンとか勤めずに、自営の大工やっても良かったかもね。
ほんま、お世辞抜きで上手いと思うわ!
嬉しいわぁ!“お抱え大工”と暮らしてるような気分』

達成感はもとより、誉め言葉が嬉しかったのでしょう。
連れ合いは満面の笑みを浮かべました。



夫婦は、我慢も必要ですが、主張も必要だと思います。

最初の結婚では我慢し過ぎて(13年)大爆発しましたもんねぇ。
相手を殺しかねないほど完璧に、理路整然と理由を羅列。
冷静沈着だけに反って言葉の威力は凄まじく、
相手は愚の根も出せないまま、泣かせてしまいました。
文句でも言おうものなら、即、顔面蒼白。
怒りを、その辺の物にぶつけて壊す厄介な性質で、
依存心とプライドだけは高い男でしたが……。

その経験から学んだんです。
たとえ暴力を振るわれようと小規模にでも怒っていたら、
大爆発することはなかったのでは?
自分の場合も、ひょっとしたら我慢ではなく、
自らのプライド故に、怒れなかったのでは?
しかも、逃げ場がないほど追い詰めるって最悪かも……なんてね。(^_^ ;)


現在の私たち……。
私が19歳、Nが29歳のときからの知り合いでした。
勤めていたショッピングセンターは大手ゼネコンの施工で、
その責任者だったNとは定期メンテナンスや、
改装のたびに顔を合わせていたんです。
大規模改装で工事中の壁に壁画を(横幅20m高さ4m)、
店内の至る所に工事中の『お詫びPOP』を頼まれたりして、
ある意味、仕事仲間みたいに気心は知れていました。
安全管理や防災担当の同期の男子と共に、
私たち3人はよく行動していました。
元夫(結果的に)の経営するコーヒーショップで、
打ち合わせしたりして‥‥。(^_^ ;)

!(・。・)……そうそう、面白いエピソードが。

元夫と離婚したとも知らずに、Nは数年ぶりに
コーヒーショップに立ち寄ったそうです。
そこに私がいなくて、見知らぬ女性が‥‥。
すると元夫、慌ててN を店の裏に誘って、
『実は、別れてん……アレ、今の嫁で‥‥』

それから5年後、Nと電車でバッタリ再会。
詳細は過去記事『性と霊魂の旅』に。
http://max111873.blog.fc2.com/blog-entry-158.html

で……その続きです。

電車から降りるなり、友人が言いました。

『風ちゃん、あん人、なんね?』

『なんでもないよ。長年の知人ってだけ』

『なんの、知人じゃなか!あん人、私を突き飛ばしたとですよ。
あの勢いは、知人じゃなか。絶対に!
想い人にやっと逢えた感、ムンムン‥‥』

『∵ゞ(´ε`●) ブハッ!! ……いやいや、知人だって。
兄のように慕ってはいたけど、男女とかじゃないよ。
仕事仲間で、結婚後も10年ほど店の常連さんだった、ってだけ。』

そうは言ったものの、内心、ドキドキでした。
Nと再会した瞬間、ある種の“直観”が伴なっていましたし、
友人は、私の想念をパーフェクトに受信するタイプだったんです。

鹿児島の友人は特別な人でした。
『神秘体験』のきっかけをつくってくれた元顧客で、
私とはなぜか、テレパシーが通じ合いました。
その詳細は過去記事に → 神秘体験
(後に目指す道が変わり、その現象は消えましたが……)


この特別な友人との関りは、過去記事の
『ただ起きることがおきるって?』にも。
今思えば、唯一無二の“ソウルメイト”だったのかも……。
http://max111873.blog.fc2.com/blog-entry-96.html


自叙伝である過去記事『性と霊魂の旅』のプロセスを経て
Nと再婚したのですが……結婚とは残酷なもの。
恋心や敬愛、遠慮や羞恥などの“飾り気”が剥がれ、
互いの全てが赤裸々になったときからが、
本当の意味での『スタート』なんですねぇ。


それでも12年の田舎暮らしを経て大阪に転居した日、
連れ合いが言いました。

『さて、奥様! なにからしましょう? 
風ちゃんが思う優先順位、指示してや。』

『(((ʘ ʘ))‥指示? へぇ!
ほな、遠慮なく言わせてもらいます。
アレして、コレして、その後はソレ、ネ!』


爆弾落として13年。
連れ合いは、今も後片付けができない性分ですが、
かなり改善はされました。
10回中6回くらいは自分で気づき、
あとの4回は黙ってフォローしておきます。
もっとも性分に関係なく、健忘期に入っていますが……(^_^ ;)

!(・。・)そうそう! 激変したことがひとつ。
あの日以来、偉そうに指図命令する癖は完全に消失。
全ての決定権を、わたしに委ねます。
ですがこれ、ありがたいようで、迷惑なことも多いです。
物件購入の決断から車のチョイスまで、
決断する者は常に、その判断の責任を背負うわけですから。

よ~く考えると、連れ合いは覚者かもしれません。
『風ちゃん天下で負けるが勝ち!』……なんてね。(*^▽^*) 



夫婦間の愛情というものは、
お互いがすっかり鼻についてから、
やっと湧き出してくるものなのです。

     オスカー・ワイルド(詩人、作家、劇作家)

捨てる神/拾う神

エピソード
05 /24 2018
Book.jpg


諸事情によりブックローン(講談社)の英才教材、
後に学研のセールスをしていた頃の話です。
諸事情というのは、過去記事としてアップしています。  少年A




ある営業日、お洒落な外観の
オートロック式マンションの前で思案していました。

洗濯物を見る限り、赤ちゃんや幼児が多そう。
入れたら穴場かも?
はて、どうやったら入れるだろう?

そこで出入りする女性たちを観察しました。
買い物帰りのような主婦たちを念入りに、です。
主婦たちはたいてい、買い物袋を肘辺りにかけています。
肩にかけるほど重くはないわけです。

(・。・)そうだ!……買い物帰りの主婦になりきろう!
パンフ資料は8㎏ほどなので、いつもなら肩にかけて歩くのですが、
それを肘辺りに持ち替え、買い物帰りの主婦に紛れて入りました。

まずエレベーターで最上階まで上がると、
マンションは意外な構造をしていました。
建物の中央は吹き抜けで背の高い植物に満たされ、
最上階まで、その空間を取り囲むように
四角く部屋が配置されていたんです。
これには困りました。
無駄に通路を歩き回ってインターホーンを鳴らそうものなら、
営業マンだと察知され、通報されるかもしれません。
唯一、身を隠せるのは、通路から凹型に入り込んだ
各部屋の玄関スペースのみでした。

とりあえず、ワンフロアだけでも廻ってみよう。
そう思って玄関先のバギーや、子供用自転車などを頼りに、
二軒だけ、インターホーンでアタックしてみました。
一軒は留守、二軒目はケンもホロロ……。

しばらくすると、管理人らしき靴音が聞こえてきました。
早っ!……。
二軒目の住人が通報した?
思わず通路から凹んだ玄関スペースに身を潜め、
壁に張りつきながら、その靴音に耳を澄ませました。

(。・?_?・。)… なぜか笑えてきました。

まるでスパイダーマンじゃん!
わたし、何やってんだろう
悪いことしてるわけでもない。
良書を勧めようとしてるだけなのに、
なんだって隠れてるんや?

そもそもの話。
自分の子に使ってみて良かったから売ってるんや。
けど世の中、悪質な営業マンが多すぎる。
十羽一絡げって、ほんま、かなわんなぁ。

アホらしい!……帰ろう。
管理人に見つかったらゴメンナサイするわ。
どうやって入った? とか聞かれたら、ありのまま。
たまたまドアが開いていたので…。
まっ、そのチャンス、見計らっていたのは確かだけど。(^_^ ;)

あえてエレベーターを使わない、ってわけ?
階段を登ってくる管理人の、革靴らしき靴音が近づいてきました。
中央が吹き抜けなので、物音が筒抜けなんです。

万事休す!
そう思いながらも反射的に、
身を隠していた玄関のインターホーンを押しました。

『こんにちは! わたくし、ブックローンと申します』

イチかバチかでした。

『まぁ!…チャイクロさん?…お待ちしておりました。
どうぞ、お入りください』

上品な優しい声と、玄関ロックを外す音が聞こえました。

(((ʘ ʘ))……うっそぉ、こんなこと、あるんやぁ。


『ず~と、チャイクロが欲しかったんです。
ですが、街の書店では売ってないし、講談社さんに電話して
取り寄せようかと思っていたところなんですよ』

開口一番、主婦が嬉しそうに言いました。
で……結局、『チャイクロ』と『Q&A』をお買い上げ。
同じマンションの友人、二人を紹介してくれました。

2時間後……。
いかにもアポイント済みの訪問であるかのように、
管理人室の前を堂々と歩いて、
誇らしげに外に出たのは言うまでもありません。


営業のコツは……。
① 競合者が避けそうな市場(場所)に行くこと。
② 家庭の顔、玄関先の様子で判断すること。
➂ 独創的なアプローチと、売り手の人間性。
この3点に尽きると思います。

競合者が避けそうな場所というのは、
いかにも入りやすそうな文化住宅や、
真新しい建て売り住宅などを避け(ローンでアップアップ)、
足がすくみそうな高級住宅街や、オートロックマンション、
あるいは逆に、同和地区や朝鮮人街など、
営業マンが敬遠しそうな場所に足を運ぶんです。
当然ですが、市場によって装いも極端に変えます。

高級住宅街などを廻るときはスーツと中ヒール。
留守番の高齢者などは、講談社、女性というだけで、
意外にも扉を開けて招き入れてくれます。
(当時はネットもなく、新聞や雑誌以外、
専門的な情報が少ない時代だった)

また家人の思想や趣味は、立派な書架に並んだ書籍を観れば一目瞭然。
横山大観の原画を飾っているお宅では『ダビンチの素描』を。
『息子が医者で‥』と自慢する母には『一流シェフ監修フランス料理』を。
寺巡りが趣味だという爺さまには、
『日本の国宝仏像』などを買ってもらったものです。
価格は10万~20万…今でいう百貨店の外商みたいな感覚です。

同和地区などに行くときは(誰も行かないので穴場)
Tシャツとボロボロのジーパンで、
マンション通路で井戸端会議中の主婦連に話しかけます。

『ああ、しんど。外は暑くて……ちょっと日陰で一服さしてな!』

営業の話は一切せず、世間話に耳を傾けます。
話題には適当にあいづち打って、聞き上手に撤するわけです。

当然ですが、しばらくすると正体を聞かれます。

『あんた、何屋さん?』

『……学研のオバちゃん。けど、もう帰るわ。
暑いし、留守多いし、炎天下なんて歩いてられん。
喉乾いて、喫茶店ばっかり入って、何しに来てんのか判らんし……』

そうやって本音をぶちまけるんです。
するとたいてい……。

『そうかぁ……冷たい麦茶ならあんで。飲むかぁ? まぁ、ちょっと入り。』
それを機に、主婦連はバラケます。
経験で判るのですが、これは、ある種のサインなんです。
近所には内緒で、聞きたいことがある場合の……。

そうやって部屋に入れていただくと、
売れるか否かは、ものの5分でわかります。
すぐに履けなくなるのに、複数のピカピカの子供靴。
バギーのメーカーや、ベランダに干してる洗濯物(経済指標)
玩具の種類、本棚の内容、整理整頓のセンスなどで‥‥。

『ひゃあ、生き返ったわ!ごちそうさん!
ところで、クーラーまで入れてくれて、聞きたい事ってなに?』

『あんなぁ、男やったら入れんけど……。
そろそろ、チビに図鑑かなんかいるやろ思ててん。
オバちゃん正直そうやし、パンフ見せてくれへん?』

『ええよ。……この眠ってる赤ちゃんと、上のお子さんは年長さん?
だとしたら図鑑は必須やなぁ。
それと小学生から使う教科書の参考書やな。
さすがに学研…文部省の学習指導要領に即して作ってるし、
それあったら塾なんて行かんでいいし……。』

こうして契約は成立。
麦茶のお礼とか言って、
その主婦には自腹を切って書架とかプレゼントしておきます。
(オプションの別売りを社員価格で買う)
次回、廻りやすくなりますし、紹介も期待出来るからです。

そうそう、焼肉で有名な『鶴橋』の朝鮮人街にも行きました。
露天商の朝鮮人だとローンを組めませんので、
めったな営業マンは足を踏み入れない地域です。

ある日、商店街の中ほどにあった、
小ぎれいな戸建ての玄関でアプローチをかけました。
デザイン性に優れた子供服が干してあり、
ピカピカの何足もの靴や、バギーが整理整頓され、
至る所に観葉植物が配置されていたものですから‥…。

アプローチには成功したのですが、求められた本の総額が18万。
現金では無理だと言うので、ちょっと渋ってしまいました。

『ローンではダメなんですか?』
30代くらいの主婦が、腹立たしそうに言いました。

『申し訳ありません。職種によってはローンが効かない場合も‥‥。
失礼ながら、ご主人様は会社勤めとかでしょうか?』

恐る恐る聞きました。
店舗というより、露天商がひしめきあっている地域ですし、
表札は日本姓でも戸籍は違う場合が多いものですから。

『朝鮮銀行鶴橋支店……支店長です』

『(((ʘ ʘ))ですか……失礼いたしました!』

ローンは、審査の結果NOという場合も多いのですが、
このオーダーはローンが通り、
自らの先入観を反省したことは言うまでもありません。


雪の降る営業日、ある住宅地を目指して歩いていると、
深さ50~60㎝、2m幅ほどのドブ川に隔てられました。
中ほどに板が渡されていて、これ幸いと思いました。
どう見回しても、その場所以外、
住宅地に至る道は恐ろしく遠回りだったんです。

ところが、渡りかけた瞬間、板が折れて、
下半身がドブ側に落ちてしまいました。

臭いわ、汚いわ、寒いわ……泣きそうになりました。
が…とにかく直進して住宅街まで歩きました。
通りに出て、タクシーでも拾って帰るしかありません。
ですが、この姿ではタクシーに乗れるかどうか、です。

ふと見ると、ある戸建ての前で、
子供たちがホースで水遊びしていました。

『!(・。・)…ゴメン、オバちゃんにそのホース借して。
そこのドブ川に落ちてん。ドジなオバちゃんでなぁ‥‥』

苦笑いしながらホースを借り、とりあえず下半身を洗いました。
これでタクシーに乗れると安堵したものです。

『え~っ!…あんた、この寒いのに、なにやってんの?
ドブに落ちたん? そらアカンわ。
早よう、中に入り。洗濯機かけたるわ。
コタツにでも入ってたら、そのうち乾くやろ…』

頭越しに甲高い声が響きました。
ホースの持ち主……家人の主婦が出てきて言うのです。
ワ~オ!……『地獄に仏』とはこのことです。


お茶をよばれ、乾燥器で服を乾かしてもらっている間、
私はず~と、子供たちの守をしていました。

POPライター自営の数年、
そばで眠るわが子に読み聞かせていた絵本の数々。
『3匹の子豚』や『白雪姫』などのお話はもとより、
『キンダーランド』という童謡のカセットは、
擦り切れるほど使い込んでいたので、どこでも披露できました。
読み聞かせはプロ級の抑揚、バックミュージックつきで、です。

3歳と5歳の子供たちは、目を輝かせて聞いていました。
すると、台所に立っていた主婦が、いきなり言いました。

『おたく、本屋さんなん?……どこの?』

『……学研のオバちゃんなんよ。けど、売る気はないよ。
だからパンフも見せへん。
子供のお迎えあるし、気が焦ってて近道しよう思て。
奥さんには感謝こそすれ、仕事の話なんて……』

主婦は興味津々のようでしたが、
カタログを出す気にはなれませんでした。

『なんでやねん! 見せてくれてもいいやんか。
私、学研には興味はあったんよ。
けど、変な営業マン多いし、警戒してて……』

『ええっ~! けど、買ったとして、ほんまに読み聞かせる?
買ったわ、3年後にホコリかぶってたら、私、ここにきて説教すんで!
というのも、本って、やっぱ“親の姿勢”やねん。
親が本好きなら子供もそうなるし、
子供の質問に答えられへんようだと知的好奇心、育てへんやろ?
買うからには、奥さん自身が使うという意思、ないとなぁ‥‥』

どっちが客か判らない乱暴な言い方をしました。
営業って、ベンチャラなんて意味はないと思っているんです。
母自身のため、子供のために……。
それを解ってもらうことが、私のプライドだったんです。

結果、主婦はなんと……。
『百科事典』と『図鑑』を買ってくれました。
総額20万円ほどです(36年前、ネットなし)
もちろん、最高級の書架をプレゼントしました。
コミッションの半分がそれに消え、子供のお迎え時間が迫り
遠方からタクシーに乗ったので、残りのコミッションも消えました。

犬に吠えられ、夫婦喧嘩のとばっちりでバケツの水をかけられ、
ヤクザに絡まれ、汚い者のように扱われるセールス業ですが、
誠意には誠意、以心伝心みたいな顧客の存在もあって、
幸せな気分になれることもありました。


飛び込みセールスで得たものは、
なによりも“へこたれない精神”でした。
“どこの馬の骨とも判らない自分”はまだしも、
“汚い者のように扱われる自分”を味わいます。
すると、プライドなんてものは剥がれ落ち、
大衆の中での身の程を知るんですねぇ。

同時に、相手の、人としての質がよ~く判ります。
社会的地位や権力への執着や、職業による偏見の強さはもとより、
利他愛や、博愛のような精神の個性も、よ~く見えるんです。
これだけは、お金出しても体験できませんからね……。(^_^ ;)


捨てる神あれば拾う神あり
英語版だと『When one door shuts another opens』
『一つのドアが閉まると別のドアが開く』が近いでしょうか。
これ、真実ですよねぇ。
開いてるのに気づかない人、
気づいていてもトライしない人、多いですが……。

万事休す、四面楚歌、五里霧中、孤立無援……。
そんなときこそ“自らを客観視”して楽しみます。
そんなときこそ『塞翁が馬』を思い出しましょう。
本当は……。
この世のことは『幻想』かもしれませんから。
過去記事 → 時間  (^_-)-☆





インターネットの普及で、今ではセールスマンなんて死語になりつつあります。
たまに来るのは新聞の勧誘か、エホバの証人、選挙の勧誘くらいなもの。
ですがネットに比べ、顔を見せる勧誘などはまだ許容範囲。
たまに、ほっとすることさえありますもんねぇ。(^_^ ;)

誇大広告から詐欺まがいの商法まで、ネッという媒体は
今や悪質な犯罪の温床になっているようです。
NHKスペシャル『仮想通貨ウォーズ /盗まれた580億円を追え!』
視聴されたでしょうか?
仮想通貨を盗む集団とホワイトハッカーの、一進一退の追跡劇……。
結果、仮想通貨は換金され、犯人は特定できませんでした。
ネット社会の深い闇を思い知らされますよねぇ。


カメラマン

エピソード
05 /13 2018
赤富士 ② カメラマン


わが連れ合いはアマチュアカメラマンで、
若い頃はよく撮影に同行したものです。
もっとも写真をやらない私は、身体も脳も暇を持て余します。
そこでカメラマンたちの行動を観察したり、
野山を散策して“感じたこと”をエッセイとして綴りました。

今日は、その中から『カメラマン』を投稿します。
エッセイを書き始めた初期の作品ですが、
『コスモス文学新人賞』をもらいました。
(*′☉.̫☉)? そんな賞、あったっけ? ですが……(^_^ ;)





カメラマン


『ドーン!……』
空気を圧縮するような物音に目が覚めた。
なに?‥車のドア?…ここはどこ?
すっかり寝入って、車中泊していることを忘れていた。

すでにエンジンのかかった隣の車から、話し声が聞こえる。
トランクの機材を取り出しているのだろう。
立て続けにドアの開閉音が続く。
窓越しに三日月と満天の星々が見えてはいたが、
すでに東の空は青みがかって夜明けの近いことを告げていた。

ピーピー、ピー!
目覚まし時計が鳴り響き、連れ合いが飛び起きた。

寝袋から這い出ると恐ろしく寒い。
私たちの吐息で車窓に氷が張りついていた。
気合を入れて一気に服を着こむと、エンジンをかけて外気温を見る。
マイナス10℃……かなりの冷え込みである。
それもそのはず、ここは紅富士撮影スポットのひとつ。
標高1,152mにある冬の『二十曲峠』である。

夜明け前の凛とした空気の中、満天の星々に向かって毅然と、
しかも優美に立つ富士山ほど美しい山を、私は他に知らない。
山頂からほぼ左右対称にひろがるなだらかな稜線は、
ゆったりと広大な裾野に繋がり、独立峰の風格を際立たせていた。

やがて東の空が群青色に変り、星々の輝きが褪せていく。
すると富士山が隅々まで、その優美な全貌を表す。
観る者の心を清めるような神々しさを放って……。

薄暗い撮影ポイントには、すでに三脚がひしめき合っている。
昨夜から場所取りされたものだ。
夜明けから日の出までの、わずか数十分間。
カメラマンたちの命輝く時間がやってきた。

朝靄は発生してくれるだろうか?
それが雲海になり、富士のすそ野を覆い尽くしてくれるだろうか。
裾野の民家や工場、建築物の全てを覆い隠しながら、
山そのものは、三合目あたりから頂上までくっきりと晴れる。
まことに都合のいい範囲の霞がかかって欲しい。
五合目あたりまでかぶった雪に、
朝陽はどれほどの質量で光をあてるだろう。

もっともキャリア組ともなると、
ほぼ完ぺきな気象条件下の作品は少なくない。
富士山と雲の構図はもちろん、光や影、霞み具合の全てが完璧で美しい。
そうなると彼らの欲求はさらに高まり、
やがては芸術的希少価値に恋い焦がれていく。

画面の中心から少し離れて富士を配置し、『イルカ』や『クジラ』、
ときには『翼』と呼ばれる雲の造形にでも遭遇しようものなら、
鬼の首でも取ったかのように作品が披露される。
気象という、人智の及ばない自然現象が創りあげた
『雲のアート』ほど彼らを魅了するものはないのである。
果たして富士山の背景には、
どんな雲が発生するのだろう。
多すぎても少なすぎても、濃すぎても薄すぎても、
気に入らないのである。

群青から明るいブルーへ……。
東の空が明るくなるにしたがって、
カメラマンたちは饒舌になる。
肌を刺す寒風などはものともせず、
富士山が纏う雲の変化に期待を寄せて、
仲間同士の会話を楽しむというわけだ。

カメラマンたちの挙動を観察するのは面白い。
思い描く雲の形や色の徴候が現れようものなら、
彼らのスタンスには極端な違いが生じ始める。
無言で性急に動き始める者がいるかと思えば、
高揚したトーンで誰かれかまわず話しかける者。
両タイプのいずれもドキドキと、ワクワクなのだが、
不安と期待の違いが行動パターンに表れる。

ところが、期待が外れそうになると誰もが意気消沈。
ボヤいたり、過去の失敗談や自慢話に花が咲く。
さながら主婦連の井戸端会議状態である。
微笑ましいのは、主婦たちがお喋りに夢中になっていても、
わが子の姿だけは目で追うように、彼らが定期的に、
視線を富士山に向けることである。


やがて沈黙の時が訪れる。
カメラマンたちはそれぞれ所定の位置にスタンバイすると、
全ての期待や未練や不満を棚に上げて、一点を見つめる。
ブルーに染まった白銀の富士山頂が、にわかに紅を射し始めた。
カメラマンの背後に昇る、日の出の瞬間である。

静寂のブルーから一転、生娘の薄化粧を思わせる
淡いピンクに染まった富士山は初々しい。
いや、待て!
刻々と紅の色合いが増してきたではないか。
嬉しいことに、頂上から雪の斜面が終わる辺りに、
富士山の衣装にも似た三筋の雲がかかり始めた。
その雲がピンクに染まる頃には、
頂上付近の紅色がさらに成熟実を増してきた。

朝焼けだとわかっていても、もはや富士山は山ではない。
恋い焦がれた絶世の美女『フジコ』その人なのである。
ゾクッとするほど美しい!
息をすることさえ躊躇する静けさの中で
『カシャッ!』、『カシャッ、カシャッ』。
シャッターを切る音だけが聞こえる。


日が昇ると、カメラマンたちは一斉に自由になる。
ワクワクやドキドキ、欲求や失望の全てから解放されるのである。
朝食の準備を始める者もいれば、
車内の造作や、カメラ機材を見せ合う者、
撮影ポイントの移動を始める者などに分かれる。

リタイヤ組のカメラマンたちは大抵、
撮影スポットを転々としながら1、2か月も車中泊する。
それだけに車内の設備は命綱だ。
本格的なキャンピングカーは望めないにしても、
たいていは胴長のワンボックスカーを改造する。
後部座席を外してベットを造るのは当然だが、
車の屋根にソーラーまで取り付けて、
冷蔵庫や、電子レンジ、ポットまで揃えている者が多い。
写真オタクの『移動式マイホーム』というわけだ。

リタイヤ組の彼らには、たっぷりと時間がある。
スーパーで食材を調達して自炊を楽しみ、銭湯にも足しげく通う。
中でも山中湖にある『紅富士の湯』は、私たちもよく利用する。
眼前に富士を仰ぐ絶景の大浴槽や、各種の薬草湯を楽しみ、
トイレや洗面設備も豪華で気持ちがいい。


『皆さん、スゴイねぇ…確かにソーラーはいいよねぇ。
朝起きたらボトルの水がカチンカチン、まず湯せんで溶かしてなんて……』
私がぼやいた。

『まぁな、退職したら本格的に改造するわ。まっ、見とき。造作得意やし。
寝床の下に引き出し造ったら、三脚から炊事用具まで何でも収納できるしな。
けど、ソーラーつけよう思たら、このサーブでは無理やで。短かすぎる。
だからって、胴長のワンボックスカーなぁ‥‥形がいまいち』
メーカーと車種に拘る連れ合いが、思案の表情を浮かべた。

『被写体さぁ、富士山でないとあかんの?
皆さんの写真見てたら素晴らしすぎて…。
あんな写真、ここに移住でもしん限り無理やと思うわ。』

『まぁな、一番撮りたいのは富士山なんやけど。
ここら辺の物件は高いしなぁ。
まぁ、退職したら、あちこち行って観てみるわ』

『私もウロウロしながら見てたけど、
物件だけじゃなくて物価も高い。大阪とは雲泥の差やわ。
富士山近辺となると、煖房費も高くつきそうやし……』

そんな会話をしながら食事を終えた。

連れ合いはしばらく富士山と雲の造形を眺めていたが、
すぐに寝息を立て始めた。
次なる期待を夕日に託して……。




で……予算の都合や、ある出来事の結果。新天地
移住先は、北アルプスの眺望に優れた『小川村』になりました。
ですが小川村への移住は、連れ合いにとっても幸いでした。
彼のカメラマンとしての行動が、テレビ信州に取り上げられたのですから。
鹿島ダイヤモンド槍を追え
人生は、不思議に満ちています。(^_^ ;)



意識の旅路 その②

エピソード
02 /12 2018
図書館の蝶


不可解なバイク事故が起きて以来、私は再び、
見えない世界と、その意義を考えるようになりました。

あの、呼吸する球体はなんだったのか?
なぜ、意識がテレポーションしたのだろう?
あれは、私だった。
私が、球体の中からブルーがかった街並みを見ていた。
人の動きや車の流れが異様にスローだった。

この光景は何だろう。
この自分は誰?
それを考えようとしていたとき、肉体に衝撃が走った。



ということは、ガードレールに衝突する直前に、
私の意識は抜けていたことになるわけです。

二本の歯が歯茎ごと吹っ飛び、
唇の裂傷と顔面の打撲はあったものの
命に別状はありませんでした。
抜糸するまでの間、仕事は休まざるを得ないという、
まさに理想的な怪我の程度に、感心さえしたものでした。

事故の原因について、警察はもちろん
家族からも同じ質問を受けたので“よそ見”と答えました。
事故直前の不可思議な状況を説明したところで、
精神状態を疑われるだけですから。

どう考えても、不慮の事故ではありませんでした。
なんらかの力で、否が応にも目が釘付けにされた意味を、
来る日も来る日も、考え続けました。

タイに向かう飛行機の中でも同じ体験をしました。
意識が離脱し、飛行機の天井辺りから、
窓際に座る小娘(自分)を見ていましたし、
タイの田舎家でも、同じ状態になりました。

抜け出た意識は性別不明。
賢者のような眼差しを小娘に向けているのですが、
(無声映画を見ている感じで小娘の意識は感じ取れない)
この、見ている自分は何者なのか。
それを考えようとした瞬間、元の自分に戻りました。
いずれの場合も、顕在意識(理性)が優勢になると
肉体レベルの自分に戻るわけです。

( ̄~ ̄;)……。
肉体の目で見ているものが全てではない。
空間は、いわゆる空気に満たされているだけではない。
空間には、人の意識がスイッチになる異次元が存在する。
SF映画だと、異次元への入り口は水の扉や、
年代時計の逆行なんかで表現されるけど、
“ただの空間”だと視聴者に説明がつかないからだと思う。

実際は、そんなものじゃない。
球体の中から観た世界は、モザイクがかったホログラムで、
街並みはもとより、車や人の動きの全てがスローモーションだった。
物理次元から異次元は見えないが、
その時の私は、異次元から物理次元を見たことになる。

だから異次元というものはイコール、
“意識次元”のことじゃないかと、個人的には思ってる。
特殊相対性理論の数式なんて端から理解できないけど、
パラレルワードや、ダークマターなどは、
数式で求められるような対象じゃないと思う。
まずは『意識』……。
『意識とはなにか』を研究することが肝心。
量子よりも微細な光の粒子に迫らないと……。

ところで、あの意識体……ハイヤーセルフなんだろうか?



なんとなく、そんなことを考えていました。


バイク事故から5年後、念願の離婚が成立しました。
家も預貯金も相手に渡し、裸同然で家を出ました。

それからは猪突猛進、営業職の販売マシーンと化し、
そこそこの生活基盤をつくるまでに5年かかりました。
ですが、心は砂漠のように渇いていました。

“虚しさに似た孤独感”を振り払おうと、
精神世界系の、あらゆる本を読み漁りました。
中でもシャーリー・マクレーンの
『アウト・オン・ア・リム』は格別でした。
彼女の不思議体験が、自分と酷似していたからです。

本を読み終え号泣……いや、慟哭しました。
全身が震え、椅子から崩れ落ちるほど激しく泣きました。
そのとき、理性的な自分が呆れていました。
この慟哭しているのは誰?
魂レベルの自分?
顕在意識の私は、客観的に観察する余裕があったんです。
第三者がいたとしたら、正に精神分裂を疑ったと思います。

そんなある日、鹿児島の顧客から電話が入りました。
商品の話もせず、彼女から遊びに来るよう誘われました。

『風ちゃん、あんた、働くばかりが能じゃなかとよ。
たまには命の洗濯ば、せんね?……。
なんが遠かね? 飛行機でひとっ飛びじゃなかね。』

この一言で直観が私を扇動し、
5年ぶりの休みをとって鹿児島に向かいました。

友人に誘われた桜島の露天風呂で、
それが起こりました。神秘体験

この体験、親友だけには話しましたが、
『ふ~ん…』で終わりました。
この反応について……。
『神との対話』の著者であるニールが、友人に言われます。
『ニール……僕じゃなくて、なぜお前なんだ?』。
これと同じです。
何十年のつきあいで気心の知れた仲だと、
互いが相手の全てを知っていると思い込んでいるので、
“特別”なんてことは認められない。
人として、それほどの“価値”があるとも思えないわけです。

ですが、“特別”とか“価値”には関係なく、それは起きます。
体外的な側面ではなく、本音の部分になにを抱えているか、なんですねぇ。
長年に渡って切望し、神を脅迫しかねないほどの欲求を秘めている者に、
宇宙が応えるのかも……。今もそう思っています。

!(・。・)b そうそう、余談ですが……。
たぶん、宇宙には秩序とルールがあって、
求道者のレベルに合わせた応答をすると思っています。
光の彩度、頻度、ガイドの有無、移動距離、叡智のレベルに至るまで……。
だから、自分の体験が絶対と思ってはいけない。
人は観たいものを観ますし、見せられますから。(^_^ ;)

もっとも、この手の話はたいてい、
脳の誤作動、錯覚、幻覚の類として、人々の嘲笑を浴びます。
それはそれでいいんです。
信じるか否かは、人の魂の問題。
強盗や殺人、暴君や詐欺師はもとより、
立身出世や、セレブ、名誉、功績を求めている人は、
今生で、その体験を選んだ、というだけのことですから。


ともあれ生活パターンが激変。
仕事量を減らし、ヨガや瞑想にのめり込み、
その筋の書物を手当たり次第に読み耽りました。

この頃、第六感や七感の扉が開いた感じでした。
床について瞼を閉じているのに空間の全てが見えたり(第三の目?)
過去世の断片が蘇ったり、築20年のマンションでラップ現象が起きたり、
やたら電磁波に反応、激しい眩暈に襲われたりしたものです。


営業職を辞し、紆余曲折を経て、過疎の村で鍼灸院を始めた頃、
私の中から忽然と『賢者』が消えました。
ビッグマンと、勝手に呼んでいた意識体です。
村に移住して6年後、高度肝機能障害に陥り
死にかかったときでさえ、無反応だったんです。
それはもう可笑しいほどに、何も感じませんでした。

なぜ?‥‥。
長い間、その理由を考え続けました。

で……勝手な解釈です。

ほんの一部分しか知らないけど、
過去世では相当身勝手で破天荒な人生やってたのかも?
今生、やっと“まともな人間に近づいた”から、
かつての養父(ビッグマン)、安心して去ったのかも? 

だとしたら、交代要員は誰?
どんな魂がついてくれてるんだろう。

すでに10年、問いかけてますが、反応はありません。
ですが毎日、早朝散歩での深呼吸タイムを利用して、
感謝の気持ちを届けています。
これがけっこう、効果的なんです。お勧めですよ。(^_-)-☆


宇宙へ
『私たち光の粒子は、体験しています。ありがとう!
世界の状況は、私たちの責任です!』

守護霊へ
『いつも見守って下さって、ありがとう!』

大いなる自己へ
『閃きを、いつもありがとう、よろしくね!』 


なんてね。(*^▽^*) 


★正月用記事で投稿曜日がズレていましたが、
 次回からは月曜更新に戻します。(*´ェ`*)

魂の旅路 その①

エピソード
02 /09 2018
雪原




私には、よちよち歩きの頃(1.5歳~2歳)の
鮮明な記憶があります。

母の背中で見た近所の火災と、煙の匂い。(1.5歳)
兄たちの後を追い、天窓のガラスを踏み抜いた瞬間。(2歳)
肝を冷やしたという家族たちの会話。
近所の庭の柿の木の下で聞いた『安寿と厨子王』。(3歳)
母と生き別れた姉弟の悲劇は、今も記憶に残ったままです。

八幡浜市内から佐田岬半島の田舎へ引っ越すことになり、
幼稚園に行けなくなった悔しさや(4歳)、
その道中で見た山々と海の風景も、鮮明に覚えています。
その記憶力はどんどん強くなり、
母を目の敵にする婆ちゃんとの会話や(5歳)、
小学校の担任と話した内容まで覚えているんです。(8歳)

その頃、デジャ・ビュ現象が頻発。
夢の中で見た風景や、人との会話を先取りしていました。
とりたてて意味のない些細な内容だったので、
いちいち人に話すこともなく、
皆がそんな感覚なんだろうくらいに思っていました。

後に30代の隣人から打ち明けられた話で、
子供の頃は、原っぱで寝転ぶたびに幽体離脱。
身体が雲の上まで上昇、気持ち良さにうっとりしていたそうで、
やはり私と同じように、みんなも、と思っていたそうです。

彼女は所帯を持った後も、疲労困憊が続くと離脱。
深夜に帰宅する夫を出迎えようと玄関に向かうのですが、
用を済ませて寝室に戻ると、そこに寝ている自分を
何度も見たそうです。

こんな人、けっこういるんですねぇ。

やはり『類は友』でしょうね。
私の人生、そんなタイプの人と接触することが多かったです。
ただ、彼らと明らかに違うのは、
自分の内に『賢者のような存在』を感じていたことでした。

その存在は、出現する瞬間が決まっていました。
何も考えずに、ボケーとしているときか、
相反する、修羅場のようなシーンで出現しました。
身近な人の逆上や、ののしり合う姿、
激情的なやり取りなどがあると、
瞬間、自分が、その存在として傍観するんです。
それも観察者の視点で、なんですが。

具体的には……。
母がブチ切れて怒鳴りまくっていると、
その存在が冷静沈着に呟きます。
『愚かなことだ。怒りは身を亡ぼす…』とかなんとか。
続いて、その存在の自我? が、主張し始めます。
『私の家族ではない。どうしてここに来たのだろう?』と。

そうは言っても小学生ですからねぇ、
とても自分だとは思えないのですが、同時に、
それは自分の一部だという認識はありました。
だから精神世界を知った後に、過去世を引きずった自我だろうと、
自らを納得させたわけです。(^_^ ;)


中学卒業後の進路について……。
1967年、昭和42年の話です。

その頃、中学生の60%は高校に進学しましたが、
私は名古屋の某会社に就職すると決めました。
夜間高校通学に理解のある、唯一の企業だったからです。

そう決心する前、校長と教頭が揃って我が家に来ました。
成績優秀な私をなんとか進学させようと、
母に土下座までして説得を試みたわけです。
ですが『女子に教育の必要ない』と、けんもほろろ。
彼らに申し訳なくて、身が縮む思いをしました。

父に発言権はありませんでした。
あったとしても、状況は変わらなかったと思います。

父の人生観は日頃から、どこか卓越していました。
山中で暮らしても、その気さえあれば勉強はできる、です。
実際、父は博学で、質問に答えられないことは皆無。
即答できなくても、山積みした古書で調べてでも、答えてくれる人でした。

この高校進学問題……。
校長と教頭の熱意に感謝こそしましたが、
私自身は痛くもかゆくもありませんでした。
確かに貧乏で、母に苦労を強いるのは抵抗がありましたし、
尊敬はしても母に意見もできない父も含め、
両親から離れられるだけで、清々していたんです。
(一人が好きで、小5から薪小屋で寝てた)


で……ここからは名古屋での話。

会社の寮から高校に通う道筋に教会があり、
屋根の十字架を見るたびに、なぜか涙しました。
『切なさに似た孤独感』が押し寄せてくるのです。(16歳)
その頃は過去世なんて知りませんので、
本で読んだ尼僧の物語や、聖なる者へ憧れだろうと、
なんども自分に言い聞かせました。渇望

寮生活の消灯はPM9時。
受験勉強(名古屋大学志望)など無理だったので、
高3で寮を出て同級生とアパートをシェアしました。
仕事と学業、休日のバイトと、超多忙な青春を満喫していて、
デジャ・ビュや離脱兆候も、すっかり影を潜めていました。

そんな青春真っただ中で、事件が起きました。
職場の先輩だった男に好かれ、無理心中劇が……。
結果、会社に居づらくなって退職。

休日を利用して学んでいた和文タイプを生かして、司法書士事務所に就職。
ですが、1年ほどで辞めざるを得なくなりました。
その頃の和文タイプって、印刷活版と同じで活字が反転状態。
慣れるまでは、かなり大変です。
それでなくても司法関係の書類づくりは神経が消耗するのですが、
通学時間が迫っても、それが未完成だと帰してもらえなかったのです。
(学生の身には本末転倒)

仕方なく喫茶などのバイトで生活費を確保したものの、
ルームシェアの友人を介して、
騒動のあった男の噂が耳に入ったりして、気が滅入りました。
アパートと高校、大学はともに生活圏内にあったので、
元同僚たちや、彼と遭遇する可能性もあるわけです。

で、終に……。
大学進学を断念して大阪に戻りました。
人生で最初の挫折でした。
詳細は、カテゴリー『エピソード』の中の『老いらくの恋』に。


その頃,大阪は第二の故郷になっていました。
兄が、年老いた親たちを呼び寄せて同居。
2人の姉も、近くで所帯を持っていたからです。


大阪では、通信教育で学んでいたレタリング&POPライターとして、
ショッピングセンターの運営会社(三菱商事)に就職。
出入りのコンサルタントに教わって販売士の資格も取得。
後にPOPライターとして独立するための、基礎訓練になりました。

同時に、高3から文通していたタイ人とのデートを重ね、
国際結婚の下見という名目で恋人の故郷にも行きましたが、エピソード/恋心
なんのことはない。結果的には勤務先の
テナントのひとりと結婚しました。(21歳)

息子にも恵まれましたが、夫婦間がしっくりいきません。
宗教にすがってでも、離婚は避けたいと切望していて、
独学ですが、聖書の教えに没頭していきました。(^_^ ;)

とはいえ、身体は多忙を極めていました。
デザイン&POP業で独立、繁盛していましたが、夫の自営業の都合で廃業。
土日祭日は自営業の助っ人。平日は飛び込みの営業という二足の草鞋状態。
3人の養育(2人は親戚の子)の必要から、馬車馬のような暮らしが続いていました。

この頃、疲労困憊しているのに神経は冴えわたっていました。
夫に対する怒りをエネルギーに変えて、動き回っていました。
『死んだら死んだでいい。交通事故だったら世間体も‥‥』
そんな思考に支配され、がんじがらめ状態が8年。少年A

そんなとき、不可解なバイク事故が起きました。
バイク事故

この出来事で、生きている世界観に揺さぶりがかかりました。(30歳)



この話は長いので、その② に続きます。

今日の記事について……。
突如、自伝を要約したのには理由があります。
アクセス解析を見ていると、
過去記事の一挙読みをしている人が、結構いるんです。
ある日ページに来る → おや? → どんなオバちゃんなのか?

ですが記事数は400以上。
自伝部分だけでもまとめておけば、
カテゴリー別の記事も、それを下地に違和感なく読めるかも……。
そんな趣旨なんです。(^_^ ;)


ふれあう下心

エピソード
10 /29 2017
可愛い猫187
      ……ってか、内緒……


過疎の村で鍼灸院を営んでいた頃の話で、
過去記事『ふれあい』から編集し直しました。
というのも、この話には“どっこい!”の『オチ』があり、
それがず~と気になっていたもので……


過去記事『ふれあい』より

人気者の婆ち人ゃんがいる。
友人はもちろん、嫁相手だろうが、孫相手だろうが、
そこに存在するだけで場が輝く、不思議な婆ちゃんがいる。

「亭主は早死にしちまうし、家は全焼しちまうし、
オラ、いいとこなしの人生だったがね、今じゃ息子も孫も良くしてくれる。
孫なんてさえ、今でも一緒に風呂へえるが
『どうだい、婆ちゃん! 毛も生えて立派なもんだろう』なあ~んて、
イチモツを自慢するんだ。まったく、笑っちまう」

「えっ!お孫さんて中学生の男子でしょう? 
すっごお、抵抗ないん?」

私は心底、感動していた。

「ねぇな、まったく。姉ちゃんもそうだ。
『婆ちゃん、今日は私が背中流してやるわ』とかなんとか言ってさぇ…。
風呂上りなんぞ爪にマニキュアまで塗ってくれて
『ほらテルヨちゃん、綺麗になったじゃないの!』だってさ。
オラ、姉ちゃんのオモチャみたいなもんだ」

「いい話やねぇ。今どき、汚いだの臭いだの言われて、
年寄りは除け者あつかい受けてんのに。
やっぱ、テルヨさんに不思議な魅力があるんやろねぇ」


彼女には忍耐と寛容、繊細さと潔さ、遊び心などがバランス良く備わっている。
もちろん、天性のものではない。
度重なる不幸に曝され、自尊心と闘って人々の情を受容し、
懸命に働き続けた末に獲得した魅力だ。
それらは地層のように重なっていることだろう。
掘り進むと涙の川や、怒りに燃え盛ったマグマの残骸をも含んで……。


「ああ、やっぱ、引っ張ってもらったら具合がいい。
これでまた頑張れるってもんだ……」 

仕上げのときの、彼女の決まり文句である。
初めて診たとき、彼女の頚椎は甚だしく側屈していた。
交通事故に遭って以来、ひどい肩こりや、めまい、偏頭痛などに襲われるらしい。

私はまず、鍼にパルス通電して痛む部分の筋肉を解す。
次に機能低下に至った臓器に対して、予防医学的な施術を施す。
最後はエネルギーを消耗する仕上げだ。

各関節の可動域を増やすため、手技で下肢や頚椎を伸ばす。
脳の腫瘍や血管障害、三半規管などの異常でなければ、
この方法で大抵のめまいや、偏頭痛などは消失する。

鍼灸師の私が軽いマッサージや、牽引を行うのには理由がある。
協会レベルの資格でも、オステオパシイや、中国整体の利点を生かしたいこと。
仕上げには患者にとっての心地よさを提供し、手でふれあうためだ。
そのとき、私は手を通してエネルギーを分け与える。
気巧師ではないので効果のほどはわからないが、
痛みが癒されますようにと、おまじないをかけていることは確かだ。


「そうそう、先生。これ……中元代わりだ」

服を着ると、彼女は施術費と別に5千円を握らせようとした。

「えっ?……そんなわけには」

「いいだ、いいだ。銭やなんか持って死ねるわけでもねぇし。気持だ。
旦那さんに送り迎えしてもらって、こんなに丁寧にやってもらって。
オラ、死ぬまで通いたいと思ってるでね。
物やなんか貰っても好き嫌いもあるし、裸でごめんよ」

「いやぁ、いいんですか? 
お小遣いもらったみたい……嬉しい!」

満面の笑みで、ちゃっかり、チップをいただくことにした。
そうすることが、彼女の喜びだと知っているのだ。

金遣いには人間性が滲む。
執着レベルが見え隠れしてしまうのだ。
ああ……なんて格好いいんだろう。
私も、かく在りたい。


と、まぁ……ここまでは美しい話なんです。
もちろん、このエッセイを書いた時点では、
婆ちゃんの話を、そのまま信じていたわけですが……。



どっこい……。


別の日、テルヨ婆さんの友人が施術に来ました。
祖母と孫のふれあいを話題にしたところ……。

『そりゃあ、そうさぇ!
あの人、若いときは苦労したがさぇ。
旦那が事故で死んじまって、労災や生命保険入って、
今は余裕綽々だで……。
したが(だけど)……。
あんなに頻繁に小遣いくれてやったら、
孫だって要領覚えて、ご機嫌とるさぇ。
一番上の孫の運転免許だって、
テルヨさんが出したってじゃね。
そのうち車だって買ってやるんじゃねぇか』

『(*′☉.̫☉)無免許運転で人身事故起こした孫?
大工見習って聞いてたけど……そうなんだぁ。』

(´-﹏-`;)……バツの悪さに、話題を変えたくなりました。

『オレんちの孫なんぞ、寄りつきもしねぇ。
野菜や漬物なんかは送ってやるがね。
正月に来ても、お歳玉2000円ずつが精一杯だ。
貧乏な爺婆には用もねぇだろうが、
まっ、金くれてやっても、ろくなことにはなんねぇし。』

『(^_^ ;)うんうん、そりゃあ、そうだよねぇ……』

もはや、合いの手を入れるので精いっぱい。
なんか妙に虚しさを覚えました。


それから10数年後……。
大阪に戻って家事援助のバイトとかやってると、
年寄りの愚痴を聞くことも増えました。

『お金は出すわ、息子に叱られるわ、さんざんやってん。
風ちゃん、ちょっと愚痴、聞いてな……中学生の孫がな。
み~んな持ってるのに私は買ってもらえない、とか言うもんで、
ゲーム機買ってやったら、えらい剣幕で息子に叱られて……』

『へぇ‥‥高いものなんです?』

『5万円……。
何が腹立つって、息子な!
それなら、私にお金返すんかと思えば、
返しもせんくせに未だに怒ってんねん。どう思う?』

『徒歩3分の所に住んでても、
日頃は顔見せることもない孫たちでしょう?
中学生だし、誕生日でもなんでもないし、
高額過ぎるかも……。』

遠慮がちに言いました。

『ほんま、アホやったわ。
けどな、仲間外れになるとかなんとか孫に泣きつかれて……』

『お孫さん、ここに来たんです?‥‥電話で、ですかぁ。
う~ん……お孫さん、ちゃっかりしてません?
年金暮らしの年寄りに、電話一本で5万円の出費させるって……。

それでなくても、孫のランドセル代10万円とか、
嫁が、そのデザイン気に入らないとかで険悪になったり、
社会人になっても、プレゼントひとつない、とか。
お金を巡っては、いろいろ聞きますよねぇ。

まぁ、今回は痛かったけど、いい経験じゃないですかぁ。

というのもね、私の息子の話ですが……。

その昔、商売してて付き合いも多かったし、
一人息子は周囲からちやほやされて、してもらってばかり。
ところが息子。
成人しても他者に何かをしてあげることがなくて……。
気がつかないというか、ボケーとしてて。

一度、叱ったこと、あるんです。
よそ様を訪ねるときは、手土産くらい持参せぇ、とか、
親の誕生日くらい覚えて、メールのひとつも送ったらどうや、とか‥‥。

それでも30歳くらいまでは毎年、誕生日プレゼントもしてました。
ですが、そんなこと、言葉にする自分にも腹が立って、
結婚を機に、息子へのプレゼントは一切、止めました。
幸いなことに、結婚相手は良く気のつく娘で、
息子に変わって『母の日』とかに気遣いしてくれますけど。(^_^ ;)

私たちの時代と違って、
今の子供たちは何不自由なく育ってますからねぇ。
不自由させなかった親が悪いといえば、その通りですし、
当人は幸せですが、ある意味、欠陥人間ですよね。
ありがたさを感じず、自尊心ばかりが強くて、打たれ弱い。
物のない時代に育った人々とは、『根っこ』が違いますから。

ただ、自分でも思いますが……。
してやれる喜び、ってあるじゃないですかぁ。
それが、母親の苦労を見てきた息子さんには
解らないかも、ですよね。
だから……。
孫の誕生日プレゼントをしたからって、
息子や嫁からも感謝されたいとか、
その先を期待するとロクなことがないです。

自分の喜びのために、したければする。
余裕がなければ無理はしないこと。
そんでいいんじゃないかなぁ‥‥』

『そやな!……ほんま、ええ勉強したわ』


はて、存在感を求めず、ただ見守る老人になれるでしょうか?(。・?_?・。)


ふれあいは、ときとして『下心』に満ちて、
真心からは、どんどん遠ざかる。
社会や経済、恋愛さえも『下心』に満ちて、
『生きかた上手』な人々を生産し続ける。
結果、おべっかや、へつらう行為さえも、
“忖度”などと釈明せざるを得なくなる不思議。  
        四緑木星 風の象 風子





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エピソード/恋心

エピソード
06 /29 2017
タイ
     ビルマとの国境にて/20歳


♪恋というものは不思議~なも~の~なんだぁ~
逢っ ているときは~ なんともないが~
さよならすると~ 涙がこぼれちゃう♪

布施明のヒット曲『恋』……。
恋心を的確に表現していて、憎らしいほど。
懐かしくもあり、切ない記憶ですよねぇ。

But……\(?。?")。
今にして思えば、恋はやっぱ、病かも?と思います。
恋心というものは、『知らぬが仏』状態で、
互いが、勝手に思い描く理想象に恋しているのかも、と。(^_^ ;)

46年前、オバちゃんも人並みに恋をしたのですが、
『異文化の壁』を前にして、白昼夢から覚めました。
その、オバカなエピソードを公開しましょう! 

今日の話は長いです。(お忙しい方はスルーください)
著名でもない、ふつうのオバちゃんの恋物語なんて退屈ですよ。
ただ、これを読むことで皆さん自身の青春を思い出し、
人として成熟した今の自分を、褒めてあげられたら幸いです。



20歳の私は、かつてのシャム王国(タイ)に向かいました。
目的は、国際結婚の下見旅行でした。
過去記事『悩むな!考えろ!』に書いた経緯を経て、
21日間の長期休暇をもらって旅立ったのでした。

恋人の名前はタノン・ブンジョス。
軍人の父を持つ長男で、30歳のエンジニアでした。
出会いは、家族で行った大阪万博のタイパビリオン内。
近畿大学工学部に留学中の彼が、
自国のパビリオンで通訳のバイトをしていたことに始まります。

当時、私は名古屋在住の勤労学生で、2年間は文通だけの付き合い。
その後、実家のある大阪で就職してデートを重ね、
互いが結婚を意識するようになっていきました。

国籍を取得して日本で就職するか否か、
タノンはかなり悩みましたが、私は帰国を勧めました。
当時の日本では、まだまだ黒人やアジア系の人々に対する偏見が強く、
彼にとっての就職は、自国の方が有利だろうと思ったわけです。

もっとも、私は、すぐに結婚したいとは思っていませんでした。
POPライター業は楽しく、専門職としての未来に希望を持っていましたし、
数年先なら結婚してもいいけど……くらいの温度差はありました。

ただ、相手の立場(30歳、長男)や、心境は理解していました。
留学過程が終了しているのに、好きな人がいるとかで、
一向に帰国しようとしない長男坊に、両親がやきもきしていたのです。

ある日、タノンが真剣な眼差しで言いました。

『結婚の予行練習してみない?
まずはタイを知って欲しい。
できれば僕と一緒に行って欲しいけど、
現地を見て、風子がそこで暮すと決心できれば、
僕、数年くらいなら待てるから……』
自分の気持ちと両親の間で葛藤していたタノンは、
私の気持ちの本気度チェックしたかったのです。

『うん、判った……。帰国に合わせて一緒には無理。
お金も貯めないと行けないし、長期休暇も簡単ではないからね。
けど、必ず行く……約束するわ。』
この会話から1年後、上司の配慮で実現した旅行だったわけです。



タノンの実家は、
バンコクの北方400㎞ほどのペチャブリー市にありました。

100坪ほどの敷地に木造二階建ての家屋と、小さな菜園。
日本の田舎によくある平均的な一軒家でしたが、
軍から派遣された2名の番兵が駐屯するという、
小屋の粗末さが妙に可笑しかったことを覚えています。

実家に到着した夜、親戚や友人、知人が集まって、
盛大な歓迎会が始まりました。
好奇に満ちた大勢の目に晒され、
婆さま方には手相や足相まで鑑定され、
なんとか『合格』が言い渡されました。

すると翌日から義母は早速、私を市場に同伴させたり、
日本ではありえない米の炊きかたや、
男女別に位置が決まっている洗濯物の干し方などを説明。
いくらなんでも早すぎない?
下見だ、っちゅうに、……とか思いながらも、
好奇心が勝って義母の後をついて回りました。

冷蔵庫以外の家電はなく、米は薪で、洗濯は洗濯板で、
食器と洗濯物の洗剤は、同じものを使用するようでした。
タイは常夏の国……日に何度も水浴びをするということで、
風呂は、ドラム缶に張った水を浴び、同じ場所にあるトイレは、
そのドラム缶の水を汲んで、手動で流すという具合でした。

その生活スタイルはどうってこともなかったのですが、
最大の壁は、激辛で香辛料ムンムンのタイ料理でした。

このタイ料理……バンコク滞在の数日は何とか持ち応えていました。
望めばホテルで洋食を摂り、喫茶店で涼をとることも可能でしたから。
しかし、実家にきてからというもの、地方色の濃いタイ料理が続きました。
それらは観光客に配慮したバンコク市内のものとは違い、
耐えがたいほどのニンニクと香草、激辛の香辛料が混入していました。

口元に運ぶだけで、反射的に吐き気をもよおすのですが、
母親やタノンの胸中を思えば、食べないわけにはいきません。
吐き気を堪えて無理やり飲み込むうちに、胃の方がストライキ。
日増しに食欲をなくしてから七日目の朝、
ひどい目眩に襲われ倒れてしまったのです。

実は私、持病を持っていました。
刺激の強い食事を摂ると、まずは胃がやられ、
しだいに膀胱炎症状に見舞われます。
それが夏場なら最悪で、大量の発汗によって体液の塩分濃度が上がり、
尿に血が混じって微熱が出る……腎盂腎炎の再発です。
放置すると炎症が腎臓まで広がり、
最悪の場合は人工透析の必要に迫られることから、
医師からは安静と水分補給を促されていたのです。


義母が、煎じた薬草を持ってきて枕元に置きました。
藁にもすがる思いで一気に飲み干すと、不思議なことが起きました。
腹部全体がクワ~と熱くなり、すぐに深い眠りに堕ちたようです。
目覚めると、なんと爽やかなこと。
胃の不快感は消え、元気が戻っていました。
そのときの薬草効果は、魔法に思えたほどです。


その日以来、
タノンは私を連れて観光地巡りをするようになりました。
実家での緊張や食事から開放しようという配慮でしたが、
タイ料理そのものが恐怖になった私は、
現地では豚の餌らしいのですが、
路上販売のスイカばかりで、空腹を満たしていました。


そんなとき、たまたまタイの要人から、アメリカとタイ空軍による
アクロバッ飛行トショーに誘われ、貴賓席で観覧することに。

というのも、大阪万博の折に……。
タイのVIP一行が京都、奈良観光をしたいということで、
タノンが通訳、私が神社仏閣の説明に同伴した縁でした。
(タノンは、漢字の多い建造物の歴史や説明が読めない)

ベンツ二台、貸し切りで二日連続。
夜は北新地で豪遊……未体験、別次元の世界でした。
その時のメンバーってのが……。
妻同伴の大臣、都知事、警視総監、タイパビリオン館長と、
その妻(元ミスユニバース)という顔ぶれで、
風子がタイに来てるなら会いたい、みたいな話になったわけです。

ココで注訳
いきなりですが、タイ美人の基準に触れます。
とにかく、丸顔が好まれます。
目がぱっちり、口元が小さく、手足が小さい。
おこがましいですが、そのまんま、わたし。
壮年のVIP一行に、大層可愛がられた理由です。

そんないきさつで上流社会のお歴々と同席して、
身の置き所のない苦痛を味わったり、
リゾートビーチのコテージで、彼と2人だけの静かな夜を過ごしたり、
身分不相応でロマンチックな体験もさせてもらいました。


帰国が近づいたある日……。
タノンの弟と、その友人を同乗させてアユタヤ遺跡を巡り、
単身でビルマとの国境に駐屯する、タノンの叔父を訪ねました。
彼等は7年ぶりの再会ということで、話が弾みました。

ですが、言葉の壁というものも辛く歯がゆいものです。
タイ語の特訓を受けたわりには(3カ月ほどタノンから猛特訓された)
現地ではまったく役に立ちません。
バンコク市内なら英語も通じますが、田舎では身振り手振りばかり。
フラストレーションがたまります。
2時間ほどで耐えられなくなった私は、
外に出て手のひらサイズの猿と遊んで時間を潰しました。
人見知りしない小さな猿が、低木の間に沢山いたのです。


叔父と別れ、ビルマとの国境沿いに差しかかると、
ヤシの木の間から集落が見えました。
秘境探訪ドキュメントにでも出てくるような、
高床式、藁屋根、板張りの簡素な住居が見え隠れしていて、
俄然、好奇心が躍動。
彼等の暮らしぶりが見たいと、タノンにせがみました。

集落の手前で車を降りて歩き始めると、
広場にいた人々の目が、一斉に私たちに向けられました。
そりゃあ、そうです。
腰巻だけで半裸の男たちと、全裸の子供たち。
女性は胸下をボロ布で覆っただけの格好の中、
私は冒頭の写真のような格好でしたし、
タノンや高校生の弟、友人共に、ホワイトカラーでしたから。

石積みの釜戸や、洗濯場のある広場で、
縄を編んだり、矢じりを研いだりしていた男たちに近づき、
タノンが丁寧に挨拶をして回りました。
『ちょっと見学させてください』
『あんたたち、どこから来たの?』
そんな意味合いだったと思います。

私は、芋の皮をむく女性の傍らで独特な道具に見入ったり、
遊びまわる裸の子供たちを眺めたり、
高床式の住居の下で飼われている豚や、鶏に気をとられていました。
住居の床板は隙間だらけで、階下に残飯を落とすにはもってこい。
山岳民族の暮らしぶりに感心したりしていたわけです。

30分ほど経ったでしょうか。
タノンが血相を変えて近づいてきて、耳元で囁きました。

『車に乗って!急いで!』
驚いて振り向くと、男たちはもとより、
そこにいたはずの、女子供の姿もありません。


弟たちはすでに待っていたようで、
私が乗り込むと車が急発進しました。

『どうしたの?』
『ゲリラ!……車に積んでた父の勲章付きの帽子見た。
追いかけられるかも……』

猛スピードで集落から逃れる車の後方で、
けたたましい銃声がしました。(◎ー◎;)……((((;゚;Д;゚;))))カタカタ
『頭、下げて!』
伏せ気味に運転しながら、タノンが叫びました。
反射的に身をかがめ、耳を疑いました。
(゚◇゚;) 嘘!……この時代に銃で狙撃って……夢?

横を見ると、ハンドルを持つタノンの手が震え、
弟たちも身をかがめて固まっています。

えぇ~っ、ここで死ぬの?
死骸は野犬かなんかの餌になって?
母さん、ゴメン……(×_×;)
日本人女性、タイで行方不明とか、新聞に載る?
そんなはずは……これは夢なんじゃ?


30分ほど激走して、湖のほとりの広い道路に出たとき、
タノンが車を止めて言いました。

『危なかったねぇ……途中、男が僕の車、見に行った。
戻ったら他の男を誘って家の中に入って、一人ずついなくなった。
それで僕、思い出した。
後部座席の見えやすい所に、陸軍の帽子、置いてた。
たぶん、殺されるか、身代金要求されたかも……』

『(。・?_?・。)ムゥ…(o´_`o)ハァ・・・』

この危機一髪話……。
身内はもとより、親友にも話したことはありません。
『南方の土人と結婚するなら親子の縁を切る』
そう言い切った母にすれば、
『だから言わんこっちゃない!』ですから‥‥。


この事件の発端となった勲章付きの軍帽について、
補足です。

タイにきてからというもの、
軍人に対する優遇措置には驚かされたものです。

市内のレストランで駐車場が満車だったとき、
タノンは平然と駐禁ステッカーの横に車を停めました。
案の定、いかにも苦々しい顔をした警察官が近づきはしましたが、
後部座席に置いた父親の軍帽を見るなり、
敬礼して立ち去ってしまったのです。
それが高僧の袈裟だとしたら、
警察官は合掌して平伏すというから驚きです。

タイの軍人は特権階級に属しています。
父が陸軍大尉のタノンなどは申請だけで普通車免許がもらえるし、
医療費が全額免除されるということでした。

タイという国には、未だ歴然とした身分制度があります。
王様でさえも仏教徒の一人ということで、最高位は僧侶(たてまえ)。
その次が軍人で、人口の40%ほどしかいない
純粋なシャム人たちで構成されています。
残り60%は華僑(中国系の商売人たち)で、
経済は実質、華僑に支えられているのですが、
僧侶や軍人からは、卑しい身分という偏見がありました。

★21日間のタイ旅行全容について興味があれば、
 過去記事の『離脱』『賢者のささやき』『悩むな!考えろ!』などを参照ください。
  悩むな!考えろ! 
  離脱
  賢者のささやき


帰国の前夜、タノンから聞かれました。

『どお?‥‥タイで暮らせそう?』
ドキドキしました。

『う~ん……努力はするつもり。
そうそう、お母さんは、私のことどう思ってる?』
思わず話の焦点をずらしてしまいました。

『お母さんね、風子がこのままタイに残るなら結婚できるけど、
帰ったら、たぶん、無理だろう、って言ってる。』
内心、ドキッとしました。

『えぇ~っ!……いくらなんでも、このままってわけにはいかないよ。
上司を裏切るわけにいかないし、家族にも、それではあんまりだわぁ』
そういうと、タノンは寂しそうに微笑みました。

別れの朝、タノンはバンコクの親戚や友人宅に寄り道して世間話。
途中の渋滞などを予想すると、間に合わなくなりそうで、
なんども急かして険悪なムードに……。

案の定、空港に着くと、搭乗手続きは終了し、
トランシーバーを持った係り員たちが走り回っていました。
!(・。・) 私を捜していたのです。
冷汗を拭いながら、タノンが係員に言い訳し、
それが終わらないうちに、
係員が私の手をとって走り出しました。

『行って!…早く行って!』
振り返る私に、タノンの声だけが聞こえました。
係員に急き立てられて、
関係者以外立ち入り禁止という通路の階段を降りていたのです。

外に出ると、ジープと軍人が待機していて、
すでに滑走体制に入っていた飛行機に運ばれました。


『たまにいるのよね、こんな人……』
そんな目をしたスチュワーデスが、笑顔で迎えてくれました。
もちろん、乗客の何人かに睨まれました。
私のために、飛行機は離陸を5分も待っていたのですから。


『もう、あんなに急かしたのに。言わんこっちゃない……』
そう思いながら窓の外に目をやると、
送迎デッキで手を振るタノンの姿が見えました。
愛しさが押し寄せ、嗚咽しました。
このドタバタ劇は、私を日本に返したくないタノンが、
意図的に仕組んだと、やっと理解したのです。

帰国の日が近づくにつれ、どんなに葛藤したことか。
最後の夜は二人だけで過ごしたかったのに、
親戚の家に泊まって、妙にテンション高く雑談に耽ったタノン。
その真意を量りかねていた自分の愚かさに腹を立て、
同時に、真意には沿えない悲しさに苦悶しました。


帰国して数か月というもの、
冒頭、布施明の歌詞そのものの心境でした。
愛しさに胸かきむしられる反面、
冷静な自分に諭されるわけです。

無理、ムリ、ムリ……。
何か月も、その理由を自らに言い聞かせました。
・激辛で臭いタイ料理
・歴然とした身分制度への抵抗(物乞いする子供たちの多さ)
・2度も体験した“幽体離脱”よる世界観の好奇と混乱。


こうして、わたしの恋は終結。

今も思うのは、タイに移住していたら、
精神世界の探求や、神秘体験はなかったはず。
ましてブログを書くなんて、まず、なかっただろうと……。

ですが、一方では、
タイ人に嫁いだ自分の人生を想像します。
【人生はすでに完成しているDVDのようなもの】
意識の海にはパラレルワードがあって、
幾つもの人生脚本が、同時進行で展開していると
知っているからです。



(*′☉.̫☉)えっ? タノンとも離婚しただろう! って?

(´・_・`)…… ワ~オ!……あるいはそうかも、です。
この世には、男女の情愛より楽しいことが多すぎて……。(^_^ ;)

いずれにしても、人生は無常です。
変わらないものは、なにひとつ、ないんですよね。
歳を重ね、ブラックジョークのひとつにでも共感できれば、
あなたも『人生の哲人&鉄人』って、ことじゃないでしょうか、ネ!


結婚するとき、
私は女房を食べてしまいたいほど可愛いと思った。
今考えると、あのとき食べておけばよかった。
  アーサー・ゴッドフリー(米国のブロードキャスター)




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ワイルドライフ ②

エピソード
06 /10 2017
わが家
        小川村のわが家


前々回に続く未公開記事。
ワイルドライフ②……『熊棚』です。




生活センターの掃除当番を終えた頃、
すぐ近くで、八重子婆ちゃんの興奮した声が聞こえた。

「栗拾おうと思って朝早く来たらさぇ。
あそこでクマが座って、栗、食ってるじゃねぇ。
オラ、たまげたのなんのってさぇ……」 

「クマ棚?……なんのこと?」
連れ合いに聞いた。
「さぁ?……見に行ってみるか!」
興味深々である。

生活センターから数mほどの栗の木に近づくと、
一目瞭然、クマ棚なるものに合点がいった。

栗の木のほぼ中央、枝ぶりの頑丈そうな木の股に、
マウンテンゴリラの寝床を思わせる枝葉の塊があったのだ。
まさにクマが造った棚としかいいようのない代物である。

その棚にどっかりと腰を据え、
枝ごと折った栗を片っ端から頬張るクマの姿が目に浮かんだ。

「えれぇこんだなぇ! こんな近場にできるなんぞ、初めてのことでねぇか?」 
「ああ、役場には連絡した。この調子じゃぁ明日も来るで出ちゃなんねえぞ。
婆ちゃん、聞いてるか」 
組長の松下が言った。
 


「すっごお! なんかワクワクすんね」 
自宅に戻った後も、私は、なぜかはしゃいでいた。
ジェラシックパークには遠いが、似通った気分に浸っていたわけだ。 

「あのな、あそこに来たってことは、うちにも来るんやで。
小池なんか栗だらけなんやから、気つけななぁ」 
車は四駆のRV車に固執し、悪路となるとファイトを燃やす性質の連れ合いが、
本音をはぐらかすように言った。  

だが、その予想が的中。
一か月も経たないうちに、わが小池地区はクマ銀座と化した。
しかも、ウォーキングの帰り道で、近所の婆ちゃんに聞かれるではないか。

「ねぇ、おめぇんち、熊、行かなかったか?」
「ハハハ、冗談!…こんな昼間に熊なんか…」
「冗談じゃねぇ。ほれ見てみい。クマの足跡だぁ!
さっき見たときはなかったが、そこの畑から帰ったらこうだ。
おめぇんちに向かってるぞい…」

確かに。
うっすらと積もった雪の上に、わらじの足跡のようなものが続いていた。
「(((ʘ ʘ;)))えぇ~っ!……どうしよう((((;゚;Д;゚;))))カタカタ」
注意深く歩き出し、遠目で、わが家の周囲をくまなく眺めた。

ワ~オ! クマ?……いや、連れ合いだ。
黒い防寒着を着こみ、背中を丸めてクルミを選別していた。


“怖いもの見たさ”とは、よく言ったものだ。
棚におすわりして栗を食べるクマの姿が見たくて、
私たちは、夜の僻地ドライブまで敢行した。
都会人ゆえの愚行だと知りながら……。


過疎の村で13年暮らしましたが、
幸いにも熊に遭遇したことは、一度もありませんでした。
ですがシーズンには熊による人身事故も多く、
有線放送による『熊出没注意』の頻度が増します。
○○地区で出没、○○方面に向かった、みたいな情報を参考に、
村人たちは警戒態勢に入るわけです。

熊は、蜂蜜やリンゴが大好物。
農家の多くは兼業で養蜂を行っていることから、
蜂蜜や、収穫したリンゴを格納している蔵は良く荒らされます。
蔵の分厚い扉を破壊する熊の爪……襲われたらひとたまりもありません。
山菜採りや、農作業中に襲われたりするので、
親はマイカーで、登校する子供たちをバス停まで送迎。
私たちも、長野市内まで出かけて帰りが夜になった場合、
駐車しても車から降りずに、屋敷内をライトで照らしてチェックしたものです。

徘徊する熊を見たいような、怖いような……。← バカです(^_^ ;)
で…、自宅に入り胸を撫で下ろしたときの安堵感たるや独特です。
五感の、極度の緊張の後にくる全身の筋肉弛緩……。
改めて、生きている実感と幸せに浸るのでした。
Why?‥‥(。・?_?・。)


 
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ワイルドライフ ①

エピソード
05 /31 2017
大阪に戻って、4年目の夏が来ようとしています。

早朝ウォーキングの途中、草むらに座り込んで休憩していると、
な、なんと、オコジョが通りかかりました。(ムチャクチャ可愛い!)
驚いて……(((ʘ ʘ;)))互いの目が点……。
小川村で見かけた真っ白ではなく、茶色の夏毛でしたが、
しばらく見つめ合った後、姿を消しました。
(!(・。・)b …こんなところでも、いるんだぁ。)

わが家は大阪府の端っこ、河内長野市の山間部にありますから、
ウォーキングではさまざまな生き物を見かけます。
川沿いではカワセミや、カモ、アオサギや、シロサギを見かけますし、
林道だと美しい雄キジに遭遇したり……。
ですが、オコジョは初めてで、意識が懐かしい小川村に飛びました。


ちょっと季節は真逆の感ですが……。
以降、“小川村版ワイルドライフ”をお楽しみください。( ˘ ³˘)

オコジョ冬毛
 冬毛のオコジョ

キツネ
 餌をさがしてトボトボと
 

白銀の世界が訪れると、白昼でも徘徊する獣が増える。

なかでも頭をたれてトボトボと徘徊するキツネなどは、
なんとなく憐れに映る。
すると突如、寓話などでキツネが悪賢く語られるのは
なぜだろう、と思う。

キツネは、大きな目と、鼻すじの通った小さな顔をしている。
人にたとえれば細面の美女のようだ。
といっても、キツネの利口さゆえだろうか…。
同時に狡知(悪賢い)さも感じるから不思議だ。

キツネは、猟犬に足跡をつけられたりすると、
水に入ったリ、木に登るなどをして姿をくらませるらしい。
また、カモの群れなどに近づくときには、
頭の上に雑草を乗せ、体を水中に沈めたまま近づくらしい。

それだけではない。
キツネは、なかなかの役者だ。
たとえば草を食べているウサギを発見したら、
逃げられない程度に近づき、苦しそうに転げまわる。
そうやってウサギの気を引き、
距離を詰めて一挙に捕えるそうだ。

そんな悪知恵が働くという伝承から、
キツネは『騙す』というイメージが定着したのかもしれない。

もっとも、キツネは死肉も好んで食べる習性があるらしい。
仲間の死肉を食い、ときには人の墓を荒らしたりする。

さらに、エキノコックス(サナダ虫)病も恐い。
キツネや犬の糞に汚染された山菜や、
沢水を口にすると感染する病気で、
幼虫が肝臓に到達すると、致死的な肝機能障害をもたらす。

そんなことから「ムツゴロウ動物王国」の移転先である
「あきる野市」の人々が、
「エキノコックス」の感染を心配して「反対運動」をしたようだ。

以前は北海道特有の風土感染病だったが、
キツネやネズミ、犬を通して、 近年は本州中部でも
「エキノコックス症」が確認されているらしい。

見かけによらず獰猛なハクビシン同様、
キツネも遠目で観察するのがいい。

わが家で群れる野良猫たちの動作が止まり、
一極集中して見つめる先には、 必ずといっていいほど、
レギュラーメンバーとまでは言えない獣たちがいる。
このワイルド感がたまらない。



雪の斜面で、黄金色の毛に包まれたテンに見とれ、
夏の盛り、魂を揺さぶるようなヒグラシの羽音に酔い、
『ケン、ケ~ン』と、静寂を破る甲高いキジのひと鳴きに心躍らせました。
この、生き物たちとの共存こそが田舎暮らしの醍醐味です。
人間と交わるより、はるかに多幸感をもたらしてくれるんですよねぇ。

人間は、感情が複雑で心が疲れます。
過去記事にも書いたように『郷に入れば』なおさらです。
エピソード『郷に入れば』
だからって、野生動物たちと共に暮らせるはずもありません。
それでも彼らの生き方は参考になる気がするのです。
見ざる、聞かざる、言わず、の三拍子ではありません。
家族や敵を見分け、気配に聞き耳を立ててはいても、
“よけいなことは言わざる”に徹しているように思えるから……。(^_^ ;)



ポチが、励みになります!…(*´~`*)。o○

エッセイ・随筆ランキングへ

風子

1952年、愛媛県生まれ。
子供時代は予知夢をみるような、ちょっと変わった子供。

40歳の頃、神秘体験をきっかけに精神世界を放浪。
それまでの人生観、価値観、死生感などが一新する。
結果、猛烈営業マンから一転、43歳で鍼灸師に転向。
予防医学的な鍼灸施術と、カウンセリングに打ち込む。

2001年 アマチュアカメラマンの夫と、信州の小川村に移住。晴耕雨読の日々を夢見るが、過疎化の村の医療事情を知り、送迎つきの鍼灸院を営むことに。

2004年 NHKテレビ「達人に学ぶ田舎暮らし心得」取材。

2006年 名古屋テレビ「あこがれの田舎暮らし」取材。

2006年 信越テレビ「すばらしき夫婦」取材。
      
2008年 テレビ信州「鹿島ダイヤモンド槍を追え」取材。

2012年 12年の田舎暮らしにピリオドを打ち大阪に戻る。