安らぎの雨 後編
わたしの『核』になった家庭環境黄色カタクリ
私が中学3年の夏、母は57歳にして自転車の練習を始めた。
配達の中心的な助っ人に成長していた私の卒業が迫り、
製造から配達の全てを、自らがやるというわけだ。
中学校のグランドで父に後部を支えられて、
よろめきながら自転車の練習に励む母の姿が、
放課後の教室から見えた。
友達の冷やかしに赤面しながらも、
私は母から目を離すことが出来なかったことを覚えている。
丸みを帯びた母の背中は、信念というエネルギーに燃え、
私の中の思いや、想いの全てを圧倒した。
生活苦の為に、優しさを失ったような母を感じる度に、
大黒柱であるはずの父の存在を恨めしく思い、
穏やかな眼差しで、知的好奇心の全てに応えてくれる父と交わる度に、
貪欲で無知蒙昧な母の生き様を嘆いたにも関わらず……。
両者は助け合い、互いに不足しているものを補おうとしていた。
ほのぼのとした感情に浸っていたとき、
突然、妙な疑問が頭をよぎった。
両極端な二人の間に生まれたのはなぜか……?
私は軽い目眩を覚えた。
田舎で行われる姉の結婚式のために、
私が名古屋から実家に戻ったときのことである。
「わしゃ、結婚式には出んけんの~」
母が唐突に言った。
「玉ちゃん!あんた何いうがや、
娘の結婚式より銭儲けが大事なんか!」
叔母の叱責が飛んだ。
しかし、母は口を引き結んだまま、そそくさと座を離れた。
言葉に二言はないようである。
母以外の、身内全員が唖然としたのは言うまでもない。
「変わっとらんなぁ、母ちゃん……」
しらけた座をとりなすように、明るい口調で姉が言った。
何と言っても、一番堪えたのは姉のはずだったが、
母の価値観に対する免疫力は、私の比ではなかった。
その夜、私は姉に対して精一杯の同情を示したものだ。
「姉ちゃん、先方のご両親に何て言いわけするん……。
父ちゃんも父ちゃんや、善人面して意見ひとつ言えん!
よくもまぁ…! うちの親ときたら情けない。
自由意志の通じん昔とはいえ、
両極端な二人が一緒になったもんやわ」
「な~んちゃない。
急病とかなんとか言っとけばいい……。
まあ、うちは父ちゃんと母ちゃんが
入れ代わっとったら良かったかもしれんな」
姉は事もなげに言った。
「姉ちゃん、上手いこと言うな~」
「それより、あんた。学校行くのにお金足るんか?
あんただけは高校くらい出んとなぁ」
私はハッとした。
突然、謎が解けたような気がしたからである。
両極端な二人の間に生まれたのはなぜか?
答えは、今の自分の志にあるような気がした。
「今の定時制高校出たら、大学にだって自力で行くよ。
もう勉強もしてるし、母ちゃんには鍛えられたもんなぁ」
私は母の暴挙に動じない姉に、思いっきり大風呂敷を広げた。
「そうや。金、金言うても、母ちゃんみたいな守銭奴になっても困るし、
父ちゃんみたいな甲斐性なしではもっと困るけんの」
姉は泣き笑いをしていた。
「ということは、二人とも立派な反面教師のわけだわ!」
「あんた、誉めすぎやわ、それも言うなら子供が偉い言わな!」
姉と私は転げまわって笑った。
30年後、姉は肝っ玉母さんになり、
私は臆病なほどに繊細な、無言実行型の努力家になった。
還暦を過ぎた今も、私は雨の日が好きだ。
雨音に心を傾けると、歳のせいか、父と母の両方が見える。
強さと繊細さのバランスも、私の個性として輝き、
今では両親からの最良のプレゼントだと思えるようになった。
だからこそ、人生は面白い。
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