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新天地

鍼灸オバちゃんの田舎暮らし
10 /15 2015
 小川村全景
        残雪の北アルプス



2000年の2月中旬、私たちは雪深い小川村に入った。
連れ合いの趣味である富士山の撮影に向かう途中の寄り道で、
売りに出ていた物件を見学するためだ。

売主は快く室内を見せてくれたが、決断には至らなかった。
雪の深さもさることながら、買い物や、病院の遠さに圧倒されたからだ。

「せっかくだし、大洞高原まで行ってアルプスでも見ようや」
連れ合いが言った。
山間僻地ではあるが、小川村はアルプスの眺望に秀でた村だ。

標高1050mの大洞高原は銀世界で、静寂に満ちていた。
なだらかに広がる視界には、雪をかぶった屋敷林と古民家が。
空との境には北アルプスの峰々が、
穂高連峰までパノラマ状態に広がっていた。
メルヘンチックで、ダイナミックな風景だ。

「ワァオ!……すご~い!」
「きれいやなぁ。こんなロケーションとは思わんかった」
私たちは、まんじりともせずにアルプスを見つめていた。
そのときだ。
「ここだ……」
頭の中で誰かがささやいた。

「……なんで?」
私は、とっさに聞き返した。
応えはなかった。
だが、すぐに猜疑心を捨てようと思った。
この直感に、なんど救われたことだろう。

「あのさぁ……ここにするわ」
「えっ? 物件のことか……なんでや」
「さぁ、なんでかなぁ……。理由はわかれへん。
けど、頭の中で声がして……『ここだ』って言うんだよねぇ」
「へぇ、へぇ、そうでっか。声がねぇ……」
連れ合いが、冷やかすように言った。
連れ合いは、私の直感を信じているわけではない。
だが不思議なことに、それを否定された記憶はない。

「ええよ。お前がいいなら……ここに決めよか?」


2001年5月初旬、住み慣れた大阪を離れて信州の小川村に移住した。
連れ合いの停年退職を機に、念願の田舎暮らしを実現させたというわけだ。



ここから、過疎の村で鍼灸師として生きた
日々のエッセイが始まる。

悩んだり、迷ったり、考えが混沌としたとき、
私はいつも、自らの内に答えを求めた。

田舎暮らしの候補地もだが、
村の物件を気に入ったわけではなかった。
決め手は、またしても『ささやく声』だった。
それがハイヤーセルフなのか、
ビッグマン(守護霊)なのかは判らない。
だが、私はその声に絶大な信頼を寄せていた。

タイに向かう飛行機の中で、
現地で、
呼吸する球体の中で、
受験の前夜に、
その声になんど救われたことだろう。

理由は解らなかったが、
田舎暮らしの場所を小川村に決めた。
決めれば、その理由は明かされる。
そう、信じていたのだ。

ハイヤーセルフや、守護霊からのヒントは、
求めさえすれば誰にでも平等に与えられる。
直感や、なにかの記事、
友人からの情報などという形で、
あなたをバックアップしようと、
常にスタンバイしているわけだ。

ときには一人きりの静寂な時間をつくり、
その声に耳を傾けてみて欲しい。
ときには頭を空っぽにして、
木々のざわめきや、陽の光を感じて欲しい。

そんな時間のために、
ひとつ“おまじない”の方法を書いておこう。

『いつも、いつも、バックアップありがとう!
どう考えても、これという結論が見出せません。
どう選択すべきなのか……ヒント下さい!』

できごとに翻弄されるのではなく、
できごとは、なにかを学ぶための
課題?…チャンス?
そんなふうに、
角度を変えて見つめることができたら、
あなたは、すでに、
魂の声を聞く準備が整っているわけだ。



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風子

1952年、愛媛県生まれ。
子供時代は予知夢をみるような、ちょっと変わった子供。

40歳の頃、神秘体験をきっかけに精神世界を放浪。
それまでの人生観、価値観、死生感などが一新する。
結果、猛烈営業マンから一転、43歳で鍼灸師に転向。
予防医学的な鍼灸施術と、カウンセリングに打ち込む。

2001年 アマチュアカメラマンの夫と、信州の小川村に移住。晴耕雨読の日々を夢見るが、過疎化の村の医療事情を知り、送迎つきの鍼灸院を営むことに。

2004年 NHKテレビ「達人に学ぶ田舎暮らし心得」取材。

2006年 名古屋テレビ「あこがれの田舎暮らし」取材。

2006年 信越テレビ「すばらしき夫婦」取材。
      
2008年 テレビ信州「鹿島ダイヤモンド槍を追え」取材。

2012年 12年の田舎暮らしにピリオドを打ち大阪に戻る。