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28 ささやきに導かれて

自叙伝『囁きに耳をすませて』
06 /01 2021
無意識

第三章 “わたし”を生きる


28 ささやきに導かれて

良子の結婚が決まったことで、サロンは1年で閉鎖した。
そこに投じた金について、啓子が
「花火みたいなものよ」と笑ったことが幸いだった。
もちろん、罪悪感はなかった。
これで縁が切れると安堵したほどだ。

その後は迷わず臨床に励んだ。
知人に鍼灸院を紹介してもらい、
報酬なしで修行させて欲しいと頼み込んだのだ。
おかげで週末は撮影方々、邦夫と田舎物件を見回ることができた。

最初の候補地だった道志村で業者と打ち合わせたものの、
なぜか一向に話が進まなかった。
邦夫が建築物に詳しいことを知って敬遠されたのか、
あるいは広告物件は客引きのためのおとり物件で、
邦夫の提示した予算に尻込みしたとも考えた。

仕方なく、田舎物件の斡旋業者が発行していた月刊誌を取り寄せ、
場所や価格の再検討をすることにした。

「ついでに寄り道して小川村の物件、見に行かない?」

こまめに田舎物件をリサーチしていた私が言った。

「長野県なぁ……場所はいまいちやと思うけど。
まっ、北アルプスもあるし、見るだけ見てみようか……」

2000年の2月半ば、富士山に向かう途中で小川村に立ち寄った。
1mを超える雪の中に点在する古民家の
メルヘンチックな風景に胸を躍らせたものだ。

小川村の面積は58平方㎞。
起伏重畳した複雑な地形に1260戸の民家が点在する僻地の村である。
4ブロックほどに分かれた地名のうち、
物件の所在地は「小川村稲丘」ということだった。
しかし、その稲丘というのが恐ろしく広い。
4ケタの番地の下2けたが異なるだけで尾根を越え、
谷間を下って数㎞の道を辿るはめになる。
都会人の感覚で探し当てることは不可能な地域だ。

だが、邦夫は場所探しの名人である。
JAのミニスーパーと、スポーツ用ドームの位置を頼りに、
ほぼ動物的な感で物件を発見した。

見学という察しがついたのだろう。
スキーウェアを着こんで屋敷内の除雪に勤しんでいた初老の男が、
私たちを見るなり手招きした。

「趣があっていいでしょう?
どうぞ、どうぞ、中に入って見て下さい。
築120年ですけどね。
台所も南側に移したし、床下も基礎から直してね。
あと100年は持ちますよ」

いかにも『お待ちかね』というような、懇切丁寧な応対ぶりだ。

室内は広々としていた。
台所と居間がそれぞれに15畳、床の間のある寝室が10畳、
他に25畳の部屋があって、洋服ダンスや整理ダンス、
室内歩行器を並べても広いスペースが空いていた。

家主の倉田は兜町の証券マンだったという。
田舎暮らしに憧れて定年後に越して来たのだが、
寒冷地の暮らしで持病の喘息が悪化。
医師から転地療養を勧められたらしい。
時折、咳き込む様子から作り話でもなさそうだ。

「すみませんね。ちょっと風邪気味で伏せてまして……。
家内です」

上品な顔立ちの女性が申し訳なさそうにお茶を運んできた。
グレー地にピンクの花柄が刺繍された厚手のセーターが、
いかにも都会人を思わせた。

「お休みの所、こちらこそすみません。
で、どちらに行かれるんですか」

邦夫が、穏やかな口調で倉田に聞いた。
人当たりの柔らかさは天性のものだ。

「温泉と釣り三昧ってことで、別府に移住するつもりでして。
まぁ、この物件が売れればすぐにでもですがね。
当分は家賃の安い市営住宅で暮らすつもりですから、
この応接セットや、テレビなんかも置いておきますよ。
このソファいいでしょう?
家内が気に入って買ったんですがね。
運送費が高いので食器棚も置いときますよ。
いい品でしょう?」

さすがは元証券マン……倉田は駆け引きが上手い。
もっとも家具の一部を提供してもらうのはありがたかった。
大阪の所帯道具を運んでも、部屋が広すぎて
格好がつきそうにもなかったからだ。

「買ったときは台所が暗い西側にあって、
牛用の水場なんかありましてね。
天井はすすで真黒だし畳は腐ってるし、
そりゃあ大変でした。
改装に900万ほどかけたものですから、
売値はそれを基準にしたわけですが。どうでしょう?」

倉田が核心に迫った。

「そうですねぇ……実は私、写真が趣味でして。
田舎暮らしは富士山の近くを希望してるんです。
と言っても、値段が高くて思案しているんですが。
今日も富士山の撮影に行く途中でしてね。
ちょっと寄り道して、見るだけ見ようかってことで。
即決と言うわけにはいきませんが、
2、3日考えて返事させてもらいます」

邦夫がやんわりと言った。
同感だった。
価格には納得したが、あまりにも僻地で
病院やスーパーまでの距離に不安を感じていた。
それに雪の多さだ。
倉田夫妻と話し込んでいる間に数10センチの雪が積もり、
ハイラックス サーフのタイヤが埋もれかかっていた。
改装の必要もなく大自然も美しい。
だが、暮らすには相当の覚悟が必要だと思った。

それでも物件の位置的な全体感を観ようと、
標高1030mの大洞高原まで足を伸ばした。
そこは鬼無里村に至る峠で、村の中でも一際、
北アルプスの眺望に秀でた場所である。
物件は、ここから車で5分ほど下った所に位置していることが判った。

大洞高原に車を停めて、
私たちは白銀の北アルプスに見入っていた。

北アルプスの主役は、
何といっても端麗な双耳峰を持つ鹿島槍ケ岳だ。
それを挟んで右側が五龍岳、さらに唐松岳を経て白馬連峰に続き、
左側は爺ケ岳、針ノ木岳、蓮華岳から穂高連峰に至る。
この場所からは名の通った岳の特徴がよくわかる。
岳の高さや形状の違い、キレットの深さまで鮮明に見える。
連峰全体を眺めるにしても遠過ぎず近過ぎず、
その迫力と優雅さを同時に堪能できる絶景スポットである。

「きれい!すごい迫力やねぇ。しかも距離感がいいよね」

「ほんま、いいなぁ。こんな角度で見られるって知らんかったわ」

雪が降りしきって撮影こそできなかったが、
私たちは無言でアルプスを見つめた。


「ここだ!」

突如、頭の中で何者かがささやいた。

「えっ?ここ?……なんで?」

テレパシーで尋ねたが返事はなかった。
ワァオ!久しぶりの啓示だ……けど、理由は? 
いや、いい。
このささやきは無視できない。
何度も々、助けてもらった賢者のささやきなんだから……。

「決めよう!ここがいい」

私が言った。

「えっ?ここにするの?……なんでや?」

「値段も手ごろ。家具付きですぐにでも暮らせるし。あとは直感。
さっきね『ここだ!』って誰かがささやいて……。
まぁ、なんでか理由はわかれへんけど」

「そうでっか……誰かがねぇ。
まぁ、お前がいいんならいいよ……決めよか」 

邦夫は、私の頭の中で起こることに関しては半信半疑である。
だが、意外にもすんなりと受け止めてくれた。
邦夫が好む被写体は富士山と白川郷だが、
ここからだと同じような距離で両方向に通える。
しかも、新たな被写体は、理想的なビューポイントで撮れる。
さらに年金暮らしの身には、物件の価格が手ごろなことも
決め手のひとつになった。

それにしても……どうして『ココ』なのだろう。





★ブログ終了のご挨拶

自叙伝『ささやきに耳をすませて』は、これで終わります。
もっとも物語は、カテゴリー『鍼灸オバちゃんの田舎暮らし』
(18話)の『➀プロローグ』に続いていますので、
興味のある方はそちらを覗いてみてください。

このブログのセカンドコンセプト……。
『わたしたちはどこから来て、どこへ帰るのか』。
終始一貫、魂が不滅であることを書いてきましたが、
皆さんはどうを感じられましたか?

たぶん、大半の方が『ふ~ん…』もしくは、
『そんなバカな……』なんでしょうが、
“心と身体”部門の順位は最高が25位。
悪くても『80位~115位』でしたから、
予想より多くの方が読み続けて下さったようです。

裏返すと、それは秘められた知的好奇心の表れ。
・死んだら終わりなのか?
・魂はあるのか?
・魂があるなら生まれ変わるのか?
主に、この3点に関する好奇心なんでしょうね。

ひとつだけ……。
絶対に信じた方が“お得”な情報を残しておきます。

魂は想像より大きく、あなたを包んでいます。
あなたはハイヤーセルフ(高次の自分)と、
守護霊のダブルサポートを受けています。
そのパワーを全開させる秘訣は『信じる』こと。
なりたい自分像の青写真を描き、
すでにそうなっている自分を信じること。


長年、読んでいただき、ありがとうございました。
皆さんのブログにはおじゃまするつもりですので、
コメントでの交流でもしましょう。

ブログ閉鎖の主な理由は『眼の不調』……視力の衰退です。
電磁波防御シールを貼り、ルテインを摂取して2年。
やっと人並みに老眼鏡で針に糸が通るほど回復しましたが、
パソコン画面を1時間以上見ているとダメ。
涙ショボショボ、乱視↑↑↑で、テレビも見れなくなるんです。
さらに花粉や黄砂のひどいときは、家にこもったりして……。

自伝は過去に書いておいた原稿をコピペするだけで楽でしたが、
新しく発信するとすれば好みは自然界の法則や生命科学ネタで、
長時間のネット検索が欠かせません。
今でもパソコンは1時間が限度で、それを1日に何度か繰り返して、
主なニュースを読んだり、皆さんのページに行ったりしていました。
どう考えてもフル思考、検索、推敲の記事更新は無理なんです。

余暇は、再び粘土や手芸の造形でもしようと思っています。
ジブリが好きなので、トトロなどのキャラクターを作るとか…。

では、ありがとうございました……さようなら。
愛をこめて……(* ・´з)(ε`・ *)chu♪ 風子

27 天使のリング

自叙伝『囁きに耳をすませて』
05 /15 2021

           書架幻想

第三章 “わたし”を生きる


27 天使のリング

夢の中で、「天空の湖」を目指して岸壁を登っていた。

恐ろしくはなかった。
足で探ると、欲しいと思う所に足場があったのだ。

ふと岩肌をみて驚いた。
アメジストやザクロ石、エメラルドグリーンや、
乳白色の鉱物に覆われた岩山を登っていたのだ。
凄い!やっぱり、湖はこの上に広がっているに違いない。

そう思った瞬間、すでに頂上に立っていた。
そこは絵画のような世界だった。
湖を挟んで、遠くに天高くそびえる岩山が見えた。
それは緑に覆われた広い裾野から一気に突き出た山で、
ふたつの尖峰の間から白煙が上っていた。
傾斜の緩い山裾には赤茶けた幾筋もの溝が刻まれ、
かつての溶岩流を想像させた。
鉛色の独立峰から広がる裾野は丘や草原の緑に続き、
花々が咲き乱れる湖のほとりで終わっていた。

湖は透きとおっていた。
雲が映り込んだ湖面の魚影の群れを凝視した。
すると奇妙なことが起きた。
突如、目がズームして水中に入り、
魚たちを間近に見ていたのだ。

ん?……水中にいるんだ。面白~い!
そう思った瞬間、なぜか湖は断崖絶壁の下に広がっていた。
足が震えた。
目のズームが錯覚だったと判ったからだ。
降りたいけど、こんな絶壁どうしようもない。
あきらめて立ちつくしていると、湖面に大きな影が映った。
鳥にしては大きい。
そう思いながら空を見上げて仰天した。

天使だった。
それも集団で飛んでいるではないか。

「降りたいの?」

ひとりの天使が近づいてきて言った。

「ぜひにも!湖で遊びたい」

「お安い御用よ。どうぞ、これにつかまって」

そういうと天使は、親指と人差し指でリングを作って差し出すではないか。

「これで?……ダメ、ダメ。私、重いもん。これでは落ちてしまう」

「大丈夫。信じなさい」

天使があきれるように言った。
急に恥ずかしくなった。
桜島の光と同様、またしても疑っているのだ。

天使だよ、天使。
落ちるわけない。
そう自分に言い聞かせてリングを作り、天使のそれに引っかけた。

私は軽やかに空を舞っていた。重力が消えていた。

「ありがとう!またね」

湖面に降り立ち、天使たちに別れを告げた。

そっかぁ……そうなんだ。
何でも信じればいいんだ。
そう確信しながら透明な水中を泳いでいた。

なぜだろう……息ができた。
すごい!なんでもありなんだ。
だったら魚が透明に見えたらいいのに。

そう思った瞬間、魚たちが透けた。
内臓の微妙な動きや、血流まで見える透明魚になっていた。

『すご~い!解りやす~い!楽しい!』 


自分の寝言に驚いて飛び起きていた。
時計は午前2時を回っていたが、走りだしたい気分だった。
鮮やかな総天然色の夢なんて何年ぶりだろう。
しかも状況と事態、展開などを細部まで記憶していた。
あたかも現実だったかのように……。

この夢が暗示したものは何だろう。
朝方まで意味を考え続けた。

まず、岩山をよじ登ることに必死で、
岩壁の美しさに気づかなかった。
ものの見方が近視眼的だということだろうか。
それとも幸せは足元にあるという暗示だろうか。

では目がズームしたり、
一転、恐怖の断崖絶壁に気づいたのはなぜだろう。
近視眼的な観念の危険性、油断への警告だろうか。
それとも、心の状態で現象が変わる。
私たちは見たいものを見るという、
深淵な『宇宙の法則』を体感したのだろうか。

それにしても素晴らしい夢だった。
猜疑心を捨てて信じれば、どんなことでも叶ったのだ。

ん……どんなことでも? 
ふと、邦夫との未来を思った。

邦夫や、その妻に対する猜疑心を捨て、とにかく信じよう
天使が示した指のリングに身を任せたように、
信じれば……きっと何でもありなんだろう。


      次回はいよいよ最終投稿
      6/1 『ささやきに導かれて』に続きます。

26 希望と影

自叙伝『囁きに耳をすませて』
05 /01 2021
富士 竜ヶ峰


第三章 “わたし”を生きる



26 希望と影

正月休暇に入り、邦夫と竜ケ岳山頂に向かった。
富士山のご来光を撮影する人気スポットだ。

竜ケ岳は、その昔『小富士』と呼ばれていたという。
富士山の噴火で本栖湖に溶岩が流れ込み、
湖の主だった竜は熱さに耐えきれなくなって小富士に駆け登ったらしい。
以来、小富士は竜ヶ岳と呼ばれるようになったということだ。


夜の11時頃、湖畔の駐車場から登山道に入った。
撮影の場所取りをするために頂上でテント泊をするのだ。
へッドライトを頼りに、ジグザグ道を2時間ほど登ると頂上に着いた。
そこには格子造りの小屋があって、小さな地蔵が祭られていた。
その前の平らな草地にテントを張り、寒さも忘れて富士山に見入った。

満天の星空に端麗な富士山のシルエットが浮かび上がっていた。
流れるようなすそ野は威風堂々として、
その神々しさに圧倒されるばかりだった。

「すご~い!これぞ独立峰って感じ。
周囲の余計なものが見えへんからかなぁ。
昼間よりインパクト強いし、満天の星とのコントラストも最高!
モノトーンの世界がこんなにも美しいなんてねぇ。
見ているだけでウルウルするわ……」

なぜだろう。
この星に生まれて良かった。
生きていて良かったと思った。
しかも、この世界観を邦夫と共有している喜びに感動していた。

「そうやろう? 
こんな景色、毎日見れたら最高や。
田舎暮らし頑張ろな!」

邦夫が意外なことを口走った。

「えっ?……うっそう。
田舎暮らしって、私とする気あるん?」

「あるさ。まぁ問題はあるけどな。
だから頑張ろな、言うてんのや」

「へぇ……その気あるんだぁ」

胸がいっぱいになった。
だが同時に、離婚に向けてエネルギーを消耗するであろう邦夫が
気の毒でならなかった。

その夜、私たちはテントの中で激しく抱き合った。
期待は棄てていたのに、30数年連れ添った妻を捨て私を選ぶなんて。
あの過去生の情念を成就させるのだろうか。
なんて愛しい人なんだ。
だとしたら、真心を尽くして過去生の罪を贖おう。
大丈夫、邦夫となら本物の夫婦として暮らせる。


「こんな所にテント張って……」

夜明け前、登山者のあきれたような声で目が覚めた。
ご来光撮影の第一陣が到着したのだ。
急がなければならない。

カチカチに凍ったペットボトルの水を温めて溶かし、
コーヒーとパンで朝食を済ませると、邦夫は素早くテントを撤収した。
若い頃に登山に熱中しただけに手慣れたものだ。

空が白んでくると、雲ひとつない快晴だった。
地蔵小屋近くの小高い場所にある東屋がカメラマンで埋まった。
予測通りのにぎわいだ。
邪魔にならないように、私は東屋の下に移動してご来光を待った。

7時30分、ほのかに富士山の頂上が輝きだし、
瞬く間に明るさが増してきた。
幾筋もの鮮烈な光の帯は人々の歓喜を呼び起こす。
だが感動のあまり声が出ないようだ。
静寂の中でカシャ、カシャとシャッターを切る連続音だけが響き渡る。
カメラマンたちの命が輝く瞬間だ。

太陽は10分ほどで昇りきり、かすかに雲が湧き上ってきた。
カメラマンたちの撮影談義が始まる。

「いゃぁ、良かった!去年はダメで。
今年は本栖湖にしようかと思いながら来たんですけど」

「そうですか。去年はね、山中湖で初めて笠雲が撮れまして」

「いや、惜しいなぁ、あの雲。
もうちょっと早くかかって笠になってくれたら」

それぞれの言い分に、そこここで爆笑が起こった。
富士山にかかる笠雲は1枚で雨、2枚で風雨といわれるほど
気象を予兆するらしい。
それらは7月や11月に多い。
厳冬の富士山では望めそうもないのだが、
小父さん方の注文は尽きない。
リタイヤ組ではないのだろう。
彼らは休日とシャッターチャンスの両方に恵まれる
確率の低さに一喜一憂する。



サロンは相変わらずの閑古鳥で、
私と良子は1日の大半を勉強や雑談で過ごすしかなかった。
しかも良子の恋愛はピークを迎えているようで、
首筋にキスマークを付けて出勤することも珍しくなかった。

「良子ちゃん!うなじ、ごちそうさま!目立ち過ぎやでぇ」

派手なキスマークを指差して、からかうように言った。

「えっ?ほんとですか。やだぁ……」

慌てて鏡を見る良子の顔が真っ赤に染まった。

「結婚は時間の問題みたいやね。
もう両親に言ったん?」

「はい。来週くらいに会ってもらうことになって」

「そうなんや。お父さんの反応どうだった」

「全然……。
ほとんど無反応というか、放任というか。
啓子さん以外、どうでもいいんですよ。
啓子さんも特に驚きもしないし、あら、そうなのって感じでした。
奈良に住むようになるので残念がってましたが」

「そっかぁ。じゃあ、サロンの存続も考えざるを得ないって感じかな」

「ですよね。俊子さんはどうされるんですかぁ」

良子が申し訳なさそうに言った。

「私? ああ、心配しなくていいよ。
このサロン、宣伝できないって知ったときから無理だと思ってた。
けど、その時点で機器は揃えていたし、良子ちゃんのやる気はあったし、
流される感じで始めただけで。
正直、良子ちゃんのスピード婚には驚かされた。
けど実は……。
私にも好きな人がいてね。
いずれ田舎暮らししようってことになってて。
実行に移すまでの期間は本腰入れて臨床修行でもするわ」

「えぇっ!そうなんですかぁ」

「いい歳して、だけど」

良子に話せば早晩、啓子の耳には入るだろうと打ち明けた。
彼女の結婚が決まった以上、啓子が私の行く末を案じなくて済むからだ。
 

邦夫は、定年まで2年を残して早期退職することを選択した。
退職後は富士山の近くで暮らし、撮影三昧の余生を楽しみたいと言う。
そこで撮影を兼ねながら数か所の物件を見て回った。
しかし、どの物件も予想以上に高値だった。
30坪程度の中古物件でも2千万は下らない。
それが別荘地内となると年間の管理費が5、6万もかかるのだ。
しかもスーパーの物価は大阪より格段に高い。
冬季の暖房費や、車2台の維持費などを見積もると
生計が成り立ちそうになかった。
妥協案として道志村の物件資料を取り寄せた。
富士山まで車で30分ほどかかるが、
過疎の村だけに価格帯が妥当に思えたからだ。

「この新築物件で1500万だって……。どう?」

「ふ~ん。まぁ、場所は悪くないけど、けっこうするもんやなぁ」

いかにも驚いたように邦夫が言った。
大規模マンションの建設工事を指揮する邦夫は、
下請けを泣かせて単価をたたく。
その習性で相場を測るために、
小さな建売業者の価格設定が不満なのだ。

「これはモデルハウスでね。
デザインは自由らしいから現地で交渉したらどう? 
邦夫ちゃんみたいに詳しいと業者はやりにくいだろうけど」

「そうやなぁ。一度、行ってみるか」

「そうそう。具体的に動かないとね」

私が煽るような言い方をした。
写真撮影を除けば邦夫は積極的に行動するタイプではない。
移住候補地の下見に出かけているというのに、
妻には離婚をほのめかしてもいない様子だった。

「ところで、奥さんに何か予告めいたこと言ったの?……」

思いきって聞いてみた。

「まだ何も……。
話したらたとえ1年でもギクシャクして過ごさなあかんしなぁ」

「まぁね。私の場合、子供との関係で必要最小限の会話はしたけど、
夕飯の片づけが終わったら2階に上がって顔を合わせないようにしてた。
はっきり言って家庭内別居状態。
そうやって意志の強さを見せつけたって感じ」

「そうやろ。そんな雰囲気で過ごすのは嫌やからな。
直前に話そう思て」

「直前?……それって残酷じゃない?
事前に意志表示して、邦夫ちゃん自身の気持ちが
強固なことを示さなあかんし……。
奥さんの心の準備のためにも時間は大事だと思うけど」

邦夫は無反応だった。
ある日突然、夫から離婚届を渡される妻の逆上ぶりを想像すると、
恐ろしく不安になった。
だからといって、そのタイミングについて指図めくわけにもいかない。
せめて邦夫の真剣度を確かめるしかないと思った。

「すごく聞きにくいけど……。
奥さんとの離婚、どんな条件出そうと思てんの?」

「そうやなぁ‥‥。
退職金の5千万を折半して、マンションを譲ろうと思ってんのや。
今は下がってるけど4千万以上で買った物件やし、そんでいいやろ」

「なるほど……。
ただ、邦夫ちゃんて優しい人やから、
ほんまにちゃんと話つけられるかどうかが不安。
田舎に行ったわ。いつまでも離婚できないなんてことにならないように。
大阪にいる間に勇気を持って決着はつけてね」

優柔不断さを、あえて優しいと表現した。
内心、退職金の5千万を折半するという算段は軽率だと思っていた。

邦夫は家計全般に無頓着である。
給料の中から5万円を小遣いとしてもらっているようだが、
残りの給与の使い道については妻にまかせっきりらしい。
30数年経った今も預金高さえ知らないのだ。

もっとも、邦夫には現場責任者としての余録があった。
利益率に応じた臨時ボーナスのようなものだが、
その額たるや中小企業のボーナスに匹敵。
それを内緒で使っていて小遣いに不自由しなかったせいかもしれない。

それにしても呑気過ぎる。
4千万の物件を40年弱のローンにすれば、
利息込みの総額は8千万近くになる。
毎月10万円、ポ―ナス時に20万返したとしても年間に160万だ。
40年間払っても全額は返済できていないわけで、
退職金のうち2千万は住宅ローンの返済に消える。
まさか、それも知らずに退職金を半分に分けると言ったのだろうか。

邦夫は贅沢に暮らしてきたようだ。
クラウン級の車を7台も乗り潰し、釣りにゴルフ、
写真など金のかかる趣味事を楽しんできたらしい。
あるとき、それらの金の出所を聞いた。
全ては余録で、家計から使い込んだことは一度もないというのだ。
なるほど。給料から支出していたら家計は破綻するはず。
そもそも妻が黙っているはずもない。
だが妻側の生活設計にも問題があろう。
小遣いを差し引いて45万ほどの給料があるのに、
内入れ返済もせずに金利を払い続けてきたわけだ。
妻がまとまった金をヘソ食っているならいいが、
夫婦そろってザルだったら……。
ふと、そんなことを想像して憂鬱になった。

「あのな、離婚のことは俺たち夫婦の問題や。
おまえは心配せんでも大丈夫や」

邦夫が怒ったように言った。
急に無口になった私へのフォローのつもりかもしれない。
だったらいい。腹を立て、断言することが肝心だ。
女性問題を黙認して主婦の座を守ってきた妻が相手だ。
退職金を折半できないとなれば、もめることは目に見えている。
だが、それこそ邦夫自身の選択である。

私はもう充分に悩み苦しんだ。
今、この瞬間でも別れたいと言えばオーケー。
未練を押し殺してでも了解する。
幾日泣き明かしてでも、私は潔く実行できる性格なのだ。
あとは邦夫の意志と実行力の問題だ。
私との未来を願うなら頑張ってもらうしかない。

とはいえ、この状況は私にとっても正念場になるはず。
内なる魂を探求して、生き方を学ぼうとしている途上の身に
生じたことだからだ。
しかも過去生など世間には通用しない。
他人の夫を奪ったという責めを負う覚悟を
決めなければならないのだから。



眠りに就く前のひとときに、私は再び瞑想をはじめた。
選択しようとしている未来について、
何者かの判断を仰ぎたくなっていたのかもしれない。

光よ、教えて下さい。
他者の夫を奪うことは罪ですよね。
ですが、それらは今生という短いスパンで測るものでしょうか。
私はあきらめていたのですよ。
未来のない関係を清算しようと何度も決意しました。
しかし、邦夫は私との晩年を選択しました。
その結果を今生だけで判断すると、
私たちは共通の罪を犯そうとしているわけです。

ですが前世絡みの想いとなると違いませんか。
男だった私が不貞を働き、それを苦に自殺した婚約者との再会となれば、
互いが惹かれあって当然じゃないですか。
そもそも過去生の因果というのは、邦夫の妻にもあるのではないですか。
例えば過去生で誰かを容赦なく離縁したとしましょう。
そのため今生では、離婚される側の無念を経験するという
カリキュラムを背負って転生したとか。
そうであれば、邦夫と妻は別れるだろうと想像しています。
今生の自分に都合よく解釈しているのではありません。
輪廻転生を信じている者の客観的な想像です。
間違っていますか……? 

今生、私は離婚を経験しました。
夫への未練は微塵もありませんでした。
しかし、息子を引き取れなかったこと。
彼に平和な家庭環境を与えられなかった無念さを抱えました。

もっとも、そのことを除けば、
13年にわたる一人暮らしは心地良いものでした。
死ぬまで一人で人生を全うしたいと思ったほどです。
ですが神秘体験をしてからというもの、人としての成長が気になりました。
転生の目的がキリスト意識に到達するレッスン過程だと知り、
気楽さを優先することに罪悪感を覚えはじめたのです。

私自身の意識の変化とともに、万にひとつのような偶然が生じました。
通常の行動パターンでは、そこにいるはずのない邦夫が
電車に乗っていたのです。
たった5分間の再会が物足らず、迷わず電話番号を教えました。
瞬間、この人と交わるだろう、と直感しました。
離婚して5年もの間、意識にものぼらない人だったにも関わらずです。
だからこそ、邦夫との過去性の関係を思い出したことは衝撃でした。
脳の記憶ではなく、魂レベルの記憶でした。
愕然とする日々が過ぎ、自らの罪の重さや、
かつての恋人に対する愛しさに涙があふれました。

逢瀬を重ねるうちに、邦夫との人生を考えるようになりました。
結婚すれば邦夫との約束が成就される。
邦夫の潜在意識が、それを切望していることは
交わりの最中に感じとっていました。
邦夫となら、結婚生活も喜びに満ちたものになることでしょう。
夫婦として愛し合うことでカルマを返済し、
自らが選択したであろう、女の生を学びたいと思いました。

というのも、私は多くの生を男として生きた感覚があるのです。
たとえば自衛隊の訓練や、ジープなどの隊列を見ていると、
なぜか戦いたい衝動が湧き起こります。
ものの見方も男っぽく、妬みや、誹り、うわさ話などに明け暮れる
女性たちには嫌悪感を感じてしまいます。
なんてくだらないことに時間を費やすのだろうと思うわけです。

身体的な特徴も男に近いと思っています。
大きな顔と太短い首。頭髪は固い直毛で、
襟足の広さや毛の濃さから美しいヘアースタイルにはなりません。
かろうじて女性を感じられるのは、小さな唇と手足くらいでしょう。
しかも生殖臓器が未熟で、出産には問題がつきまといました。
子宮孔が浅く、妊娠しても切迫流産の危険が伴います。
二度目の流産徴候はホルモン剤で防いだものの、
妊娠中における苦痛は想像を絶するものでした。
初期はつわりに苦しみ、中期以降は胸やけ、後期には
異常な体重の増加に嫌気がさしました。
母になる喜びよりも心身の苦痛が勝っていたのです。
もっとも最悪なのは精神状態でした。
出産したら真剣に離婚を考えようと思っていたんです。
その意識のせいで苦痛が増したのかもしれません。

出産すれば、少なくても肉体的な苦痛からは解放される。
そう自らを励まして臨んだ出産も悲痛なものでした。
子宮収縮剤による強烈な陣痛に七転八倒し、
鉗子の挿入で膣から肛門に向かって裂け、
そのショックで糞尿が垂れ流し状態になりました。
もっとも、その症状は時間の経過とともに治まったもの、
母乳の出が悪く、搾乳機で絞ったために腱鞘炎になり、
主婦業もこなせない日々が続きました。

出産は2度とごめんです。
「第2子は肘まで手を挿入して引っ張り出さないとだめだろうねぇ…」
そう言った医師の言葉が忘れられません。
男としての転生が多かったのでしょうね。
私は出産に適さない身体だったようです。

その後、神秘体験をして精神世界にのめり込みました。
ですが瞑想によって得られる過去生の記憶は、
映画のフィルムに例えたら断片に過ぎません。
ショーのように繰り広げられる映像には前後の関連性がなく、
場所や時代も支離滅裂です。
ただ、自分だとわかる登場人物は男ばかりなのです。
それは白昼夢として現れることもあります。
突如、高い塔から落下した瞬間を感じたり、
待ち合わせた相手が現れた瞬間に、この人知っている。
かつて息子だったというような、奇想天外な閃きが出現するのです。

また、あるときの瞑想で、穏やかに死を迎えている自分の姿を見ました。
左手に障子のある日本家屋の2階で床に伏している私。
その人生に満足しながら、優しい雨音に耳を傾けています。
頭側にあるふすまが静かに開いて誰かが私に話しかけます。

「何か食べる?」
すると私は……
「ああ、もう死ぬからいいよ。ありがとう…」
そう答えました。
相手が誰なのかは釈然としません。
ですが、泣いたり、うろたえたりはしていません。
愛に満ちたまなざしを向けて見守ってくれているのです。

この状況は過去の出来事なのか未来なのか判りません。
ですが、脳という臓器の創作でないことは確かです。
なぜなら私の脳は、その映像を見ながら同時進行で、
それを客観視しているからです。

自分に起きている状況を客観視する
もうひとりの自分とは何者なのか。
精神科の医師なら迷わず二重人格を持った精神障害と断定するでしょうが、
シャーリーが言う『ハイヤーセルフ(高次の自己)』だと思います。
子供の頃から感じていた異次元の世界感が、今では真実となりました。
ですが、この感覚や体験を信じてくれる人は少ないでしょう。
ですから宇宙に、光の世界にコミュニケーションを求めるのです。
私の意識を観察して、なんらかのアドバイスを下さい。
どんな時でも、求めれば与えられると信じています。


そんな思いを巡らせて1ヶ月が過ぎた。

         
           次回投稿は5/15『27 天使のリング』に続きます

25 なりゆき

自叙伝『囁きに耳をすませて』
04 /15 2021
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第三章 “わたし”を生きる


25 なりゆき


通販会社を退職した後、
リラクゼーションサロン開業の準備を始めた。
まずコースを定めて費用を決め、関連する備品を調達して回ったのだ。

機器による全身マッサージと足浴の後、
30分のフットマッサージを行いながら体調を問診しておく。
それから調節的鍼灸施術を行い、最後にハーブティを楽しんでもらう。
そのフルコースが5000円で、単独のフットセラピーと鍼灸施術は、
それぞれに3000円に決めた。
また本格的なヒーリングコースは5000円に設定した。
ストレスの内容に応じてオリジナルの瞑想テープを作成するからだ。

次の課題は販売促進だ。
マンションの一室だけに、何らかの宣伝は必要不可欠である。
高額の看板設置などは無理にしても、ネットでの宣伝や、
新聞の折り込みチラシを利用するつもりだった。
その作成にとりかかっていたとき、
打ち合わせに来た啓子からストップがかかった。

「えぇ~っ❢ チラシまいたらアカンの。なんで?」

「住居として買い上げた物件だから営業用に使ったらだめなのよ」

啓子がしゃあしゃあと言った。
一瞬、めまいがした。

「はぁ?それわかってて、サロンやるって言ったの?
管理人に内緒でやる気だった? 
けど、人が出入りしてたらすぐにばれるやんか。
第一、宣伝しなかったら客なんか来ないでしょう?」

「管理人にはね、友人、知人たちと楽しむための
プライベートな部屋だと言ってあるのよ。
大丈夫!客は私が連れてくるから」

「連れて来るって……。
田村事務所の関係者やシャンソン仲間、ブティックのオーナー?
そりゃあ義理で1、2回は来るだろうけど、
経営ってそんな甘いもんじゃないよ。
備品や機器関係で200万近く出費するんよ。
リピーターが定着するまでは私の給料分も捻出できないんよ。
無茶だわ……いつまでも給料泥棒なんて耐えられへん。
その辺の展望について、啓子さんはどう考えてんの?」

答えによっては白紙撤回する勢いで聞いた。

「そんなに心配しなくても、どうってことないわよ。
下の娘なんて400万かけて獣医師になるための専門学校行って、
試験に落ちてパァよ。それで再挑戦するかと思えば、
もうやりたくないんですって。
まぁ無理に社会に出なくてもいいのよね。
うちの人のお気に入りだし。
私が外出するときなんか、旦那の守役にうってつけなのよ。
アハハハ……。
それから思えば俊子さんに支払う給料なんて20万そこそこでしょう?
生活費とは別に私も事務所から給与もらってるしね。
良子だってそう。事務所の給与で遊んでいられる身なんだから、
俊子さんに技術を教わってると思えば安いものよ。
私ね、足つぼのセラピーは週に1回、鍼灸だって月に2回は通ってんのよ。
それで身体がもっている状態だし、サロンは自分のためでもあるのよ。
だから俊子さん、気を使うことなんてないのよ。
前の会社ほど高級支払ってあげられないけど、
俊子さんにとっても施術の練習になっていいでしょう?」

啓子の言い分を聞いているうちに、すっかり拍子抜けしていた。
世の中、こんな感覚で金を使う人間がいるとは。
しかし、オーナーが言うんだからいいとするか。
今さら後戻りするより、サロンに必要な知識と技術を良子に教え、
早々に退散して田舎暮らしを実行に移すしかないかも。
スタート時点で、そんな思いを巡らせていた。 

案の定、義理を果たそうとする啓子の客は、
オープンして1ケ月足らずで底をついた。

ブティックのオーナーが2人と、その知人。
司法書士事務所の経理を請け負う高齢の女性と、その友人たち。
良子の親友の合計10人ほどだ。
いずれも身体的な不具合は見られず、
いかにもギブアンドテイクという印象だった。

無理もない。
啓子には損得勘定抜きの友人などいないのだ。
彼女の話はいつだってワンパターンで、
破天荒な夫の守の大変さが80%を占める。
どれほど夫に尽くしているかをアピールする以外は、
ゴージャスな暮らしぶりの自慢ばかりで、
会話のキャッチボールにはならない。
聞いている側にすれば、疲れるばかりでアホらしい。
それは隣組だったときも同じだ。
井戸端会議に花が咲いていても、啓子が現れると座が白けた。
誰もが用事を思い出したように家に戻ってしまうわけだ。

集客の打つ手もない日々のなか、
啓子は次々と買い物をしてサロンの空き部屋に運び込んだ。
2年ほど前から始めたというシャンソンの発表会用ドレスが数着。
1点で30数万円の絵画や、装飾品である。
まさか、集客のための新たな義理を買ったのだろうか? 
いや、彼女の欲求だと思いたい。
いずれにしても正雄に内緒の品々であることは明らかだった。

「なぁ、良子ちゃん。
こんなことしてて、ほんまにいいんかなぁ」

ある日、私が呟くように言った。

「衣装のことですか……だったらいいんです。
啓子さんの生きがいですから…」

相変わらず母に敬称をつける良子である。

「生きがいなぁ……。
ちょっと前までは自立するための模索をしてて、
私もできる限り協力はしたけど。
結局、夫の収入を自在に操ることに生きがいを求めたんやなぁ」

「そうそう、俊子さんに啓発されて、
例の化粧品やる気はあったんですけどね。
あのときは本当にご迷惑をかけました。
でも、正雄さんの荒れようが凄くて……。
殴るわ、蹴るわですよ。
家族全員が巻き込まれて大変でした。
本当はシャンソンも気に入らないんですけどね。
喧嘩になるから、さすがの正雄さんも
しぶしぶ黙認してるんじゃないですか」

「確かに歌は上手だし、シャンソンもいいと思うよ。
けど、本気でやってんのんかなぁ。
先生への付け届けがどうの、発表会の花束がどうのって話はよく聞くけど、
選曲や、発声テクニックなんかの話、聞いたことないねん。
良子ちゃんに言うのもなんだけど、お母さんって歌を唄いたいのか、
着飾ってスポットライトを浴びたいのか、わかれへん」

「両方でしょう。
仕事は持てなくても何か夢中になれるものが欲しい。
働かなくても正雄さんのご機嫌さえとっておけば贅沢はできますから。
それで、豪華なドレスを着て歌うシャンソンになったんじゃないですかね。
でも続くかどうか。啓子さんて熱しやすく冷めやすい性格ですから」

「へぇ、驚いた。良子ちゃんて、冷静に観察してんなぁ。
ところで、良子ちゃん自身の未来像はどんなん? 
なんてったって灘高出の才女やもんなぁ。
受身の人生じゃなく、何らかの仕事を持ちたいって気持ちは強いの?」

「もちろんです。母のような人生は嫌ですから」

「ほんまにそう思ってんの?
だったら今からでも遅くないわ。
鍼灸かマッサージの免許とったら?
解剖学や生理学を学んだら応用力が広がるよ。
この部屋の使用条件でサロンの採算は無理だろうけど、
資格があったら勤めることもできるし、開業してもいいやんか。
良子ちゃんには資金と時間は充分にある。
恵まれた環境の独身時代って貴重だと思うけどなぁ」

そうけしかけると、良子は愛想笑いを浮かべた。

「確かにそうですよねぇ。
けど、勉強って好きじゃないんですよねぇ。
学校って3年も行くんでしょう」

「まあね。けど半日学校行って、
半日はサロンで実技となると勉強が生きるよ。
解剖学知ったら、顔の表情筋の美顔やっても効果は得やすいし、
真剣に考えてみたら?」

「……そうですね」

良子が気のない相槌を打った。
セラピーが好き。
仕事を持ちたいと言ったのは、果たして本心だろうか。


サロンをオープンして3ヶ月が過ぎた。
2人のリピーターが月に2回。
啓子ファミリーの不定期的な施術をこなすと、
あとは時間を持て余す日々が続いた。
そこで専門学校の仲間に声をかけて、
格安の費用で定期勉強会を開くことにした。
過去に学んだオステオパシーや、中国整体の技術、
誘導瞑想などを復習するためだ。

かつて、私はカウンセラー養成講座に通って基礎過程を修了した。
その先を受講しなかったのには理由がある。

受講資格が問われていないためか、
講座には暇を持て余した主婦などが多く参加していた。
お茶に誘われて驚いたのだが、話題といえば姑や夫の愚痴ばかりで、
カウンセラー志望というよりカウンセリングが必要な人々の集団に観えた。
しかも内容のわりに受講料が高いと思った。
協会の認定証を得るためには200万かかるが、
それでカウンセリングができるわけではない。
心理学を専攻した先生方の助手がせいぜいだということだった。
ということは、資格商法の一環かもしれないと疑ったものだ。

財団法人や、社団法人を名乗る怪しい組織は多い。
労働省の諮問機関云々という工学技術員の認定書と同じように、
実際に講座さえ開いていれば法には触れない。
そうであれば受講資格を問わないことも腑に落ちるというものだ。

猜疑心もあってか、講座は退屈きわまりないものだった。
どの講師も無表情のままボソボソと喋る。
専門書で独学している方がましだった。
学者でも人を相手にするからにはハートが大切だろうに。
話術に創意工夫のない彼らが、
臨床で人の心を開けるだろうかとさえ思っていた。
それでも基礎講座だけは消化しようと、半年ほどは真面目に通った。
だが、ユングやフロイトなどの心理分析を優先させ、
悩める者に対する愛や、思いやりの精神が語られことは一度もなかった。

私はよく自問自答したものだ。
よほどの精神病でない限り、精神分析など必要だろうか。
相手の言い分に耳を傾けるだけで、たいていの人は元気になれる。
その手法は、ただ無条件に愛すること。
耳を傾けている間中、愛の波動を送り、
相手の言い分を全面的に肯定することだろう。
心理分析のための絵を書かせることではないはずだと。
結局、カウンセリングの講座は基礎コースを修了して辞めた。

『病は気から』と言われるように、
多くの人はストレスからさまざまな病気にかかる。
うつ病や、パニック障害、適応障害などは精神科の手に委ねられるが、
同じようにストレスが原因と言われる胃潰瘍や円形性脱毛症、不眠、
食欲不振、便秘、めまい、吹き出もの、腰痛、石灰沈着性肩関節痛などは
内科の診療対象となる。
注射や薬剤でコントロールできる場合が多いからだ。

これらの病気にかかる人は、誠実で責任感の強い努力家が多い。
自制心が強く、何事も堪えてしまうからだ。
そんなタイプの人は静寂の中での瞑想するのが効果的だ。
他人に依存せず、自身の治る力を活用できる前向きの人が多いからだ。

私は施術家になる前から、その重要性を学び続けていた。
ただ、人々の役に立ちたくても資格がなければ身体に触れることはできない。
かといって会話だけだと新興宗教のようなイメージが付きまとってしまう。
私は単純に、そんな理由で鍼灸師の資格を得たようなものだ。
だから施術はするが、ストレス対策に最善を尽くす。
患者自身が方法を覚えれば、薬や心理分析に頼らなくても
多くの病気は治るからだ。 

サロンでの勉強会は週に1度で、修行中の鍼灸師2人と、
その仲間の合計3人に実技を教えた。
五十肩や、寝違いに即効性のある頚椎テクニックを教えると、
実際に具合の悪い患者を連れてきて実践となった。
またストレスからうつ状態になった小児科の女医には
誘導瞑想の個人プログラムを組んで対応した。

「俊子さん、すごいですねぇ。
病院なんか行かなくても、本当にちょっとしたことで良くなるんだぁ。
精神的なことも凄いですよね。
あの女医さん、俊子さんと話したら笑顔ですもん」

臨床を見学していた良子が言った。

「そうや。基本的な技術は必要やけど、あとは愛。
『わたしを通して、この人を癒してください!』って、
おまじないかけるんやけどなぁ。
どぉ?何週間か見学して、学校のことも含めて考えてみた」

勉強会を思いついたのは、良子のためでもあった。

「3年ですよね。考えたんですけど……。
無理です。飛べなくなる」

「飛ぶって?」

「2年ほど前から、カイトで飛んでるんです。
やっと面白くなってきて。今度の土、日も行くんですけど」

「へぇ!空飛んでるんだぁ。そりゃあ楽しいだろうね。
ひょっとして好きな人でもいて一緒に飛んでるとか……。
違う?」

「わかりますかぁ。啓子さんには内緒なんですけど、
実はカイトの仲間だった人とつき合ってるんです。
なんでわかったんですか?」

「だって良子ちゃん幸せそうだもん。
人間、暗中模索してたら深刻な顔してるよ。
苛立ちや焦燥感も表面化するはず。
けど良子ちゃんって急きも慌てもしてないもんなぁ。
お母さんの要求には全面的に従うし。
いかにも事務的だけど、なんかこう、
今だけやり過ごせばいいって感じの割り切りしてるやんか。
それに、私が容赦なく両親の悪口言っても、
良子ちゃんって客観視してるもん。
心ここにあらずって感じ。
それって、良子ちゃんの心を支配している別の存在がある。
または結婚を意識してるってことじゃないかなぁ」

「さすが俊子さん。するどい❢」

頬を紅潮させながら良子が言った。

「となると、近い将来、結婚もあるってこと?」

「1、2年先になると思います。もう26歳ですし。
30歳までには結婚したいと思ってて。
その人、奈良の人なんですよ。
彼の仕事が終わってから逢ってたら帰りが遅くなるでしょう。
だから週末を利用して2泊3日くらいで飛びに行くんです。
それだと両親にも怪しまれないし。この前も……」

良子が珍しく聞きもしないことを喋りはじめた。
親密になった状況や、その魅力を饒舌に語る良子は幸せそうだった。
もう誰にも止められるものではない。
聞き上手を装いながら、私は意欲を削がれていった。

「そっかぁ、その人のこと大好きなんやなぁ。
1、2年先に結婚するとして、まさか奈良から通ってサロンやれんわなぁ」

「そうなんですよねぇ。彼氏とのこと、こんなに急展開するって思わなくて」

良子が申し訳なさそうに言った。

結論が出たと感じた。
問題は良子がどのタイミングで両親に打ち明けるかである。
ああ、なんてことだ。娘も母親と同じではないか。
理想はあっても努力を嫌う。
結局のところ、金の力で娘の能力を潰したようなものだ。
どうしよう。
残された日々に、私は何をすべきなんだろう。


            次回投稿は5/1『26 希望と影』に続きます。

24 転機

自叙伝『囁きに耳をすませて』
04 /01 2021
赤富士 ②


第三章 “わたし”を生きる


24 転機


邦夫は風景を撮るアマチュアカメラマンだ。
なかでも富士山や白川郷が好きで、
週休2日になった私を撮影に誘ってくれるようになった。

二十曲峠からの富士山は端麗だ。
しかも水場やトイレがあり、撮影の待機場所として人気のスポットである。
もっとも、シャッターチャンスに恵まれるか否かは天気しだいだ。
観光客目線とは違い、快晴の富士山はカメラマンたちに敬遠される。
誰もが知っている形を撮るだけでは能がないからだ。
富士山は背景となる個性的な雲があってこそ美しい。
雲の姿によってオリジナリティが際立つというわけだ。
多過ぎず、少な過ぎず、富士山には雲が欲しい。
たなびくような薄雲が背景にあれば見事な朝焼けが撮れるし、
手前にあれば富士山の立体感が増す。
欲をいえば山頂に笠雲や吊し雲がかかって欲しいのだ。

2日目の朝、富士山頂は雲に覆われていた。
そんなときはカメラマン同士で世間話をしながら
気象の変化を待つしかない。
よほどの曇天でなければ雲は変化するし、
上昇気流の加減で笠雲や吊るしになる可能性もあるからだ。

撮りためた自慢の写真を見せ合う者。
車内の造作ノウハウを伝授する者など、
待機中の交流は情報収集の絶好の機会でもある。

アマチュアカメラマンの大半は、
何日も車で寝起きしながらシャッターチャンスを待つ。
寝袋や鍋窯、インスタントや、レトルト食品などを持参して自炊するのだ。
どの車も限られた空間の効率的な収納は創意工夫に充ちている。
まずは寝床を確保し、その下に引き出し式の
収納スペースを造っている者が圧倒的だ。
羨ましいことにワンボックスカーの屋根にソーラーを取り付け、
炊飯はもとよりテレビやパソコンを楽しむ者もいる。
移動式個室で撮影三昧の晩年を楽しむというわけだ。

「いろいろ見せてもらったけど、皆さんすごいねぇ!
邦夫ちゃんも未来的には同類になりたいって思ってんの?」

「まぁ、定年退職したらな。キャンピングカーは無理にしても、
ワンボックスカーに買い替えて改造しよう思てんねん。
まずは北海道やな。
1ケ月くらい放浪したらいい写真撮れると思うでぇ。
一緒に行くか」

邦夫が夢見るように言った。

「そりゃあ、一緒に行きたいよ。けど、1ヶ月なんて無理。
遊んでられる身じゃないし。車で寝るなんて1週間が限度。
夏は密室で暑いし窓開けたら蚊だらけやし。
冬なんか外で自炊ってのも寒くて辛いやん。
ボトルの水は凍ってるし、それ溶かしてお湯わかさなあかんし。
そりゃあ年に何回かくらいならサバイバルも楽しいよ。
けど、邦夫ちゃんと車中泊してつくづく思った。
今まではあたりまえって思ってたけど、
蛇口ひねったらお湯の出る暮らしのありがたいこと。
それに手足が伸ばせない寝袋はしんどい。
ちゃんとしたベッドが恋しくなるし……」

「へぇ。俺なんかどこでも寝れるし、何日でも平気やけどなぁ」

いびきの豪快さから、仲間から『ライオン丸』と呼ばれる
邦夫らしい反応だった。

「ほんま、邦夫ちゃんの寝つきの速さには驚くわ。
あいづち打ってたのに1分後には爆睡やもんねぇ。
交感神経と副交感神経のバトンタッチが瞬時の人なんて珍しい。
ほんま、生理学の理屈ってなんやねんって思うわ。
まっ、特技といえば特技かも」

「だから身体がもつんや。
運転してても眠くなったら側道に停めて
10分寝たらシャキッとするもんなぁ」

「羨ましい。私なんか寝る前には儀式のような時間が必要やよ。
まずはスタンドの明りで活字を読む。
小1時間ほどで眠気もよおしても、
真っ暗にしないと寝つかれへんもんねぇ。
だから邦夫ちゃんと車中泊する初日はほとんど眠れない。
さすがに疲れて2日目には熟睡できるけど」

たわいもない会話を楽しみながら帰路についた。
高速道路を利用しても大阪までは6、7時間かかる。
願っていた白昼のデートとして、最適の時間と空間を
与えられたようなものだ。
おかげで息子のことや会社の状況、
時々の心情まで吐露することができて心が癒されていった。
ハンドルを握る邦夫の横顔を見つめながら何度思ったことだろう。
参ったなぁ。やっぱり大好きだと……。


「そんなこんなで、会社も過渡期って感じ……」

「ふ~ん。俺が知ってる限りでもな。
急成長した会社が失敗するのは異業種への投資やでぇ。
堅実にやってたらいいのに、なんでやろなぁ……」

「ほんま。通販業者がいきなり宇宙戦艦ヤマトだもんねぇ。
支店長の動きも変だし、そろそろ潮時かなぁ」

「辞めるんか?」

「まぁ、時期を見て。
というのも、サロンやってくれないかって話が浮上してて。
臨床の腕を磨くには絶好のチャンスかもとは思てんねん。
オーナーは知人でね、内輪のもめごとまで知ってる関係で
善し悪しなんだけど。
会社に問題が発生した直後の話だけにね。
何者かに道を示されてんのかなぁと思うわけよ。
家賃の高い大阪で開業なんか無理やし、
まずは試験的に舞台を与えられたのかも……」

「ふ~ん。まぁ、お前の思うようにしい」

いつもの反応だが、容認するように邦夫が言った。

邦夫はほとんど自己主張をしない。
つきあった男では初めてのタイプで、
事後報告で終わらせる者にとっては心地良い存在だ。


邦夫は昭和17年生まれの末っ子で、
しっかり者の姉たちに可愛がられて育った。
父親が軍専属の大工だったことから、
戦時中でも食料に事欠くことはなかったそうだ。
電車で釣り場に通うこともだが、小学生の趣味に
父親が定期券を買い与えたという話には驚かされたものだ。
何不自由なく愛されて育った邦夫は、穏やかで寛大な男になった。
反骨精神に育てられたような私にすれば、
羨ましい性格に思えたものだ。

もっとも、性格の善し悪しは表裏関係だろう。
穏やかな邦夫の美点も、裏返すと呑気で無神経だとも感じる。
人生の岐路で悩んでいるときなどは、頼り甲斐のない愛人なのだ。
逢瀬の約束はしないし、誕生日も覚えていない。
国家試験に合格したり新居を構えても、
ただ言葉で祝ってくれるだけだ。
与えられて育った者は与える喜びを知らないのかもしれない。

とはいえ、短所は長所でもある。
邦夫は些細なことで怒ったりしないし、
人を誹謗中傷することもない。
呑気で無責任に思える言動も無邪気さゆえだし、
自分本位の生き方も悪いとは言えない。
欲しい物を手に入れ、好きな趣味に没頭すれば
ストレスも生じないからだ。
世の中、そんなふうに生きられない人が多い。
その結果、さまざまな病気を発症するわけで、
見方によっては正直で健全な男なのだ。

愚かなことに慢性的なストレスを抱えていた頃の私は、
そんなふうに思えなかった。
邦夫には端から備わっていないもの。
折々のプレゼントや、心情を察知してくれる言葉を求めて
イライラを募らせていたのだ。

そんなとき、ある書物の一節に出会った。
求めさえすれば、宇宙は必要なときに必要なものを与えてくれる。

『悟りとは、結果を放棄することである。
決して情熱を放棄することではない。
愛情関係が失敗するとき、
その原因はそもそも間違った理由で関係を結んだことにある。
ほとんどの人は、相手との関係で何を得られるだろうかと考えて関係を結ぶ。
人間関係の目的は、相手に満たしてもらうことではなく、
本当の自分は何者であるかを決定し、分かち合う相手を持つことであって、
相手のどんな完全な部分を把握し、
つかまえておきたいかを決めることではない……』


思わず涙があふれた。
つまるところ、自分を愛せるのは自分しかいない。
相手に備わっていないものを期待して不満を募らせるより、
自らを慈しんで育て、成長した自分を
さらに愛そうと心を定めた一節である。

人は、人間関係において自分がどんな人間かを知る。
意気投合して仲良くなったとしても、
少しずつ違いが見えてくるものだ。
その違いによって本当の自分が解る。
だが人の愚かさは、その違いを認めずに批評判断、
あるいは攻撃してしまうことだ。
私たちは、その違いを分かち合える関係だろうか。
それができれば単なる男女を超えて愛し合える。

本当の自分は何者なのか。
その未来像について何日も考え、サロンの仕事を受けることにした。
臨床経験として2、3年施術して、
それを良子に引き継がせて田舎暮らしをしよう。
場所は和歌山あたりの田舎。
静寂な場所がいい。
そこでヒーリング鍼灸を生業として生きる。
野菜を育て草花を愛でよう。
癒しを求める者の隠れ家を創ろう。
精神世界を求める者の杖となりたいのだ。

邦夫のことはどうする。
カルマを清算し、新たな因果を発生させない生き方とは? 
いや、よそう。力まなくても男女の情愛は冷める。
当分、成り行きにまかせればいい。
カルマは万人が背負うもの。
邦夫の妻だってそうだろう。
浮気を繰り返す夫を持つこと自体、彼女にも課題はあるはず。
専業主婦にも関わらず家族が楽しみにするような夕食も作らず、
女の存在には目をつむり、亭主元気で留守がいいという
妥協に富んだ女性である。
それがどんな結果をもたらすか。
何かを学ぶ必要があったに違いないのだから……。
 


帰宅後、博多支店の太田と長電話することが増えた。
経営母体の資金繰りが悪化の一途を辿っていたのだ。
憤慨した様子でかかってくることもあれば、
私と話すことで活路を探っているように感じることもあった。
そんなとき、私は自立を促すような話をした。

電話セールスのノウハウを習得した太田だ。
あとはリストを提供してくれる業者とタイアップすれば
難しいことではない。
そう思っていた矢先、太田の方から社長に、
営業所の閉鎖を提案したという報告があった。

「さすが支店長、いいとこありますね。
ええ格好しいの社長は自分で言えないでしょうから。
それで?……決定ですか」

「躊躇はしてましたが、ホッとしたんじゃないですか。
ですが、大阪営業所に関しては維持するみたいですよ。
一号店だし、いろいろと未練があるんじゃないかなぁ」

太田が、社長の心中を察するように言った。

「ふ~ん……。
けど、これを機に私は辞めますよ。
消費者センターの恐いオバちゃんに叱られることもしばしば。
諍いの絶えない営業員たちを束ねるってのも正直、疲れました。
そんな彼女たちを叱咤激励し、縁の下の力持ちに徹して増益しても、
本社では経営方針が真反対のヘッドが二つ。
湯水のようにお金を使うわけですよね。
実は戦艦ヤマトの投資話を聞いたときから潮時だと感じてて。
そろそろ鍼灸の臨床に力を注ぎたいと思うんですよね」

初めて本音を吐露した。 

「ですか……。
なんか所長やけに落ち着いてるし。
そうじゃないかなぁとは思ってました。
そのこと、社長、まだ知らないですよね」

「もちろんです。支店長を通した方がいいでしょう。
けど、免許を取った時点で予測はしてたと思いますよ。
3年前、私を留まらせるために好条件で社長を説得したのも支店長でしょう?
社長は優しい人ですがプライドが高いから、
支店長ほどの情熱で私をひきとめたりはしないですよ。
ところで、支店長はどうされるんですか。
ひょっとして袴田社長と組んで商売とか?」

袴田は、太田と意気投合している通販業者だ。
薄利多売方式で日用雑貨の通販業を生業としている正直者である。

「なんのこっちゃ、読まれてますね。
僕も所長と同じですよ。
社長はいいとして、どうも専務は理解できまへん。
大きくするための組織づくりを提案する私なんかは嫌われてましてね。
好き勝手にやりたいんでしょう。
まぁ辞めても、社長とは商売を通じて接触するつもりですが」

愛嬌者の太田が、大阪弁を織り交ぜながら言った。
それが出るようなら大丈夫だ。

私としても太田は自立すべきだと思っていた。
働き者で好感のもてる男なのだが、経費と称して金遣いが荒い。
業者はもとより営業員や社員たちとでも一流ホテルや料亭で会食するし
飲み会の頻度や二次会、三次会が多過ぎる。
事務員からの情報によると、ガソリン代の請求も度を越しているらしい。
シティバンク時代のサラリーマン根性が抜けきれないのだ。

社長は時折、私を通して太田の動向を詮索する。
実力は買っているのだが経費の多さに愚痴めくことさえあった。
要するに、稼ぎ頭ではあるが使い方も尋常ではないということだ。

そんな意味で、社長が大阪営業所を存続させたいという気持ちは理解できる。
売り上げは博多方面の総合計に敵わないが、年に1回の慰安旅行と、
目標を達成したときの宴会以外の支出はゼロに近い。
私自身が経営者の立場で利益率を追求したからだ。

「いいんじゃないですか。
袴田社長とゲリラ販売するってのも支店長らしい。
うちの社長だって支店長の良さはよ~く解ってますよ。
ただ、やり手の支店長を警戒している部分があるかも。
そんなところを専務が突くんじゃないですか。
だから、業者として対等に交流した方が
いい関係になれるかもしれませんね」

太田の能力を持ちあげて自立を促した。
オーナーになった方が太田自身の成長に繋がると確信していたからだ。

あしかけ10年の営業と3年の管理職を経て、
1999年の6月に離職した。
大阪営業所は細々とでも継続することになったが、
営業員の動向や、後の管理体制など知りたいとは思わなかった。

        

          次回投稿は4/15『25 なりゆき』に続きます。

23 霊になった母

自叙伝『囁きに耳をすませて』
03 /15 2021
臨死体験



第三章 “わたし”を生きる


23 霊になった母

1998年2月に母が逝った。
その3日前、出張先の博多で母の危篤を知らされた。
すでに夜の10時を過ぎ、帰ろうにも新幹線がなかった。

ホテルのベットに横たわり母を想った。

「夢の中で予行練習してたもんなぁ、玉ちゃん。
今回は逝くの?
チューブに繋がれて白い天井ばっかり眺めて。
生きててもしゃぁないもんなぁ。
けど、ゴメンなぁ、帰られへん。
だから玉ちゃんの方から会いに来て!
私の想念をキャッチしたら距離なんて問題やない。
瞬間移動できるって知ってるし……」

目を閉じて母に語り続けた。

いつの間にか、うとうととまどろんでいた。
すると突如、腹部に衝撃が走った。
壁側から何かが落ちてきたのだ。

「痛い! なにすんの……」 

反射的に飛び起きると、そこに母がいた。

「えっ、玉ちゃん?……。
えぇ~っ、ほんまに来てくれたん。すごぉ……」

一瞬、自分は寝ぼけていると思った。
だが、母はいたずらっぽい笑みを浮かべて
ベッドに腰掛けているではないか。

「へぇ、霊になったら手も足も自由に動くんや!
良かったなぁ玉ちゃん」

感動して母の手を撫でまわした。

「こんな子わやのぉ。あたりまえじゃが。
ちゃんと動くぜ。ホレ!」

母はブラブラと足を動かして見せた。
脳梗塞になる前の健康そうな体で、
肉感のあることが不思議でならなかった。

なぜか、いきなり時間がスキップしていた。

私たちは並んでベッドに座り、思い出話に耽っていた。
母が甲斐性のない父に代わって豆腐屋稼業で生計を立てたこと。
老いてからも私の息子の守をしてくれたことなどを労い、
互いの泣き笑いの人生を語り合っていたのだ。

「よっ、わしゃ、もう行こわい……」

突如、思い出したように母が言った。

「行くって、どこへ?」

言ってしまってから馬鹿じゃないかと思った。
案の定、母もあきれたような顔で私を見た。
まるで、俊子には判っとろう、と言わんばかりの表情だ。
急に涙があふれた。

「行くんやなぁ…みんな順番やし。
私たちも皆、あとから行くけんな。
元気で……」

元気で……?
思わずふき出してしまった。
母も笑っていた。
しかし送ろうとしながらドアの前まで進むと、
母は吸いこまれるかのように消えてしまった。

茫然となった。
やっぱり……。
人は、肉体じゃなく魂(霊)なのだ。

霊は念波という種類の波動を持ち、共鳴する。
想えば伝わり、どこにでも瞬間的に行ける。
念波は素粒子よりも小さい幽子という物質の集合体らしい。
そのことをまざまざと見せられた。
幽子の集合体になったからこそ、
母は壁を抜けドアに浸みこむことができたのだろう。

うん? 
壁を抜け……。
ふと疑問がわいた。
母はドアから帰って行った。
だが、現れたときは壁から私の腹部めがけてダイビングしたのだ。
悪ふざけだと思えないこともない。
だが、その目は怒っているように見えた。
なぜだろう……?


身内だけで四十九日の法要を行った。

「女子に教育なんか必要ない、って
高校も行かせてくれんかったし。
ほんま、教育には全く関心のない母ちゃんやったなぁ。
ほんで姉ちゃんが怒って私に言ったやんか。
『爪に火ともすように600万円も貯めといて、
そがいなこと言うがか。
高校くらい私が行かせてやる!』って……。
けど、姉ちゃんに苦労かけるわけにはいかん思て、
定時制高校にしたんやけど。
今思うと母ちゃんは反面教師そのものや。
ほんま、鍛えられて良かったなぁってつくづく思うわ」

母にまつわる思い出話の最中、
人生を振り返るように私が口火を切った。

「えっ? 600万も貯金て、誰が言ったがや」

驚いたように兄が私を見た。

「美津子姉ちゃん……」

「えぇ? 私、そんなこと言うた覚えないで……」

次女の美津子が怪訝そうな顔をした。

「言ったやない。
私が中学2年のとき、校長と教頭が揃って家に来て
『優秀な子ですから高校くらいは進学させてやってください』って
土下座してくれたのに、母ちゃんはけんもほろろで……。
そのこと手紙で姉ちゃんに書き送ったら、
さっき言ったみたいに啖呵きって……。
手紙に書いてあったやんか」

「ちょっと、ちょっと待て。
あの頃、家にそんな余裕なかったで。
俺が仕送りしてギリギリの生活で。
なんでまた美津子はそんなこと俊子に言うたんや」

苦笑いしながら兄が言った。

「なんで、て……私がかぁ? 
そんなことぜんぜん覚えてないしなぁ……」

「うっそお!よく言うわ。
えぇっ、信じられへん❢
私、なん10年もそう思い込んでたんやでぇ。
母ちゃんは貪欲なんやって。
けど、だとしたら判ったわ。
謎が解けた。
母ちゃん、怒ってたんや。
誤解され続けてたんやもんなぁ。そら怒るわ。
というのもな……。
母ちゃん、死ぬ前に私の出張先に来たんや。
そのとき……」

みんなが一斉に私を見た。
一瞬、後悔した。
身内の、しらけた視線は今に始まったことではない。
子供の頃から、なんど変人扱いされたことか。
霊的な話など通じるわけもなかったが、
壁からダイビングされた理由が判った嬉しさで、
つい口を滑らせていた。

身内の誰もが、最後まで小馬鹿にしたような顔で聞いていた。

やっぱり……。
けど玉ちゃん、ありがとう。
こうやって皆が集まったときに誤解が解けることも知ってたんや。
あのとき、目が物語ってたもんなぁ。
いいよ。美津子姉ちゃんにはちょっと腹立つけど、
信じてもらえなくてもいい。
ただ、この瞬間を玉ちゃんが見てさえいてくれれば。

それにしてもゴメンなぁ。
ずっと玉ちゃんのこと恨んでた。
それこそ神秘体験して、玉ちゃんを親に選んだのは
自分だって知ったからいいようなものの、
ほんま堪忍なぁ……。

霊的なエッセンスが旅立つと言われる49日の法要で、
私は母に想念を届けた。
誰も気づかなかったようだが、母は逝く前、
子供たち全員に挨拶に行ったと私は思っている。
ただ、それが見える見えないは、意識の周波数の違いに過ぎない。
私は輪廻転生を信じているが、兄や姉たちは信じていない。
ただ、それだけのことだ。

インドの哲学者クリシュナムルティが名言を残している。
『あなたは、自分の見たいものを見る』と……。

         
          次回投稿は4/1『24 転機』に続きます

22 兆し

自叙伝『囁きに耳をすませて』
03 /01 2021
月夜の鹿


第三章 “わたし”を生きる

22 兆し

本社の主体業務は美容雑貨の通販である。
その顧客リストで直販部が電話セールスを行っていたわけだが、
ここ1年ほどで業務内容が変化しているようだった。
といっても、それが現場に知らされることはなかった。
社長や専務から食品成分についての質問や、
キャッチコピーのアイデアを求められはしたが、
その目的や結果については蚊帳の外におかれていた。

苦肉の策として、博多支店に3人の拠点長が集まった。
表向きは営業会議だが目的は別にあった。
本社の課長から経営の実態を聞き出すためだ。

冒頭に拠点別の実績評価や、リストの集積状況、
3ヶ月先までの営業ノルマが算出され、会議は短時間で終了した。
それまでは博多支店長の太田が1人で決めてきたことだ。

「今までは私の独断と偏見で決定してきましたが、
たまには課長や所長の意見も聞かないとですね。
そんなわけで集まって頂きましたが……。
お疲れさまでしたぁ。
まっ、あとは無礼講で飲み会といきますか。
所長には時々出張してもらってましたが、
坂東課長とは初めてですばい。
博多はうまいもん多かとですよ」

リラックスすると太田は博多弁になる。
彼とスクラムを組んで4年になる私は、それが意図的だと知っている。

場所を中洲の屋台に変え、ざっくばらんな飲み会となった。

坂東課長は45歳。独身らしい。
見るからに神経質そうで、ときおり流し目で人を見る。
しかも箸やタバコを持つときに、白い薬指を反らすのである。
そのしぐさは小説『坊ちゃん』に出てくる『赤シャツ』に似ていた。

当社に雇用されたのは最近で、それまでは主に
情報通信関連の仕事を生業にしてきたと言う。

「ダンディな課長が独身ですって?これまたどうして。
まさか私のようにバツイチだったりして……」

私が会話の糸口をつくった。

「ピンポ~ンですよ。
ですが結婚に夢破れたわけではないですよ。
僕だって好きな人はいますよ。いますが……
四十男の哀愁っていうところでしょうか」

思わず、なんてキザな奴と思ってしまった。
太田の目が点になっていて可笑しい。
さっさと本題に入ってくださいよ。
間がもてまへんと言わんばかりの視線を彼に投げた。

「ところで課長。最近、リストの集積状態が落ち込んでいるようですが。
専務はサロンにかかりきっているんですかね。
もう見学はされました? どうです?」

目配せに反応して太田が聞いた。

「えらくご執心ですがね。どうもこうも感性を疑いますね。
痩身でもない。美顔でもない。ネイルアートでもない。
専門の技術者もいないんですよ。
で、なにやってるかっていうと……。
恐ろしく高い全身美容のイオンが噴霧されるとかなんとか、
身体ごと入る卵型のカプセル機器あるじゃないですか。
それを2台置いて、他に商品の一部を展示はしてますがね。
たとえば通販で売れ筋の『天使のブラ』とか、
どこから入れたのか化粧品や、健康ドリンクのようなものもありましたよ。
ですがアンテナショップでもなさそうだし。
まっ、専務の夢の館なんじゃないですか」

いかにもバカにしたように坂東が言った。

「で、売り上げは?」

太田が聞いた。
「売上って……。
まぁ、まだ半年ですが、利益の出るような代物じゃないですよ。
ステイタスシンボルってとこじゃないですか」

「シンボル?……それに億の投資ですかぁ。
で、話は変わりますが、社長の投資している、
戦艦ヤマトの方はどうなってるんですかね」

いかにも知っているかのように本田が聞いた。

「それそれ。専務と喧々囂々ですよ。
社員の前で怒鳴り合って、互いが好きなことやってますよ。
『宇宙戦艦ヤマト復活編制作委員会』の
スポンサーになったって話でしょう。
当たれば興行収入の配当があるんでしょう。
よくは知りませんけどね。完成までに数年だそうですが、
興行利益が上がらないってこともよくありますからね」

「なんでまた、いきなりのアニメ投資なんですかね」

私が聞いた。

「それは誰しもはてな、ですよ。お仲間に煽られたんじゃないですかぁ。
いろんな友人、知人がいらっしゃるみたいですから」

「で、その額ですが、まさか屋台骨が揺らぐほどじゃないでしょうね」 

思い切って聞いた。

「そのあたりは判りません。
専務とやり合ってますから相当なもんじゃないですか」

「ほんなこつ困りましたねぇ。課長ご存じですか。
最近、通販の広告本数が減ってリストが集まってないんですよ。
その件で社長に聞いても専務に任せてるって逃げられますし、
専務は言い訳ばっかりで。
リストの枯渇は命取りでしょうが……」

業を煮やしたように本田が言った。

結局、社長の独断的投資がうまくいってないということ以外、
なにもわからなかった。
相談すべき株主は身内や親族で固めているだろうし、
投資筋や額面などは社員が口を挟めるものでもなかったからだ。


大阪に戻って1週間ほど経ったとき、太田から電話があった。

「他社リストを半分混ぜてですがね、送りましたんで。
それでなんとか2千万お願いします」

「他社リスト?支店長が工面したんですか」

思わず声をひそめて聞いた。
パーテーションで仕切っているだけの大阪営業所に個室はないからだ。

「です……社長は気に入らないみたいですが、
きれいごと言ってられんでしょう。
リストが減ったら、それこそ死活問題ですよ。
営業のオバちゃんたちにリストないとわかったら、
それこそリクルートもんです。
詳しくは今夜、帰られた頃に電話します」

今度は太田が声をひそめた。
事務員たちに詮索されないためだ。
嫌な予感がした。
太田が自宅に電話をくれるというからにはよほど深刻な話なのだ。


夜間に再び、太田から電話が入った。

「やってしまいました」  

開口一番、恐縮するように太田が言った。

「社長と?」

「です……『社長の夢は勝手ですがね、
私たち社員や営業員はどうなるんですか』って単刀直入に。
そしたら営業所の縮小を考えてるって言うんですよ。
つい、カァッとなって……。
『私は一体、なんなんですか。
こま鼠のように動き回って営業所増やして、
状況の説明もなく縮小って……。
コラ!なめんなよ!』って怒鳴ったんです。
そしたら次の日、飛行機でやってきましたよ。
ついつい学生運動の悪い癖が出てしまいまして……」

「アッハハハ……よく言ったわ、支店長。偉~い!
ほんま、なめてますよね。
誰のおかげで大きくなったと思ってんじゃですよ。
すんません。私まで……」

「いろいろ話合いましたよ。
結論から先に言うと当分は現状維持で、
他社リストを混ぜながら売上増大するしかないです。
広告本数が減ったのは意図的なのか
資金不足なのかは白状しませんでしたが。
おそらく資金でしょう。
まぁ、いろいろ話しまして……。
社長が言ってましたよ。
『所長も大変だろうなぁ。彼女、僕には何も言わないけど
クレーム処理に追われてんだろう?
所長が一手に引き受けてくれる前は
本社で対応してたから想像はつくよ。
顧客はもちろん、消費者センターから電話があって
専務なんか右往左往して……』
そんな話まで……。

で、私が思うに……。
社長自身が直販部の商品に嫌気がさしているんだと思いますよ。
ええ格好しいですから」

「なるほど。それで少年の夢、ヤマトだったんですね」

「ですがまだまだ、そんな夢物語に
投資できるような次元の会社じゃないでしょう? 
会社とは名ばかり。
組織の編成や企画立案会議、陳情から承認もなにもない
商店レベルですからね。
もっとも、それが反って面白い。
私がいたシティバンクみたいな巨大組織では
自分も歯車のひとつに過ぎませんが、
原始的な会社を大きくする醍醐味はありますもんね」

「確かに……。
となると、販売員たちに他社リスト専用のアプローチを
教えないといけませんね。
大阪は潤沢なバージンリストに恵まれていましたから、
販売員たちから文句は出るでしょうが……」

「その辺を含んで2千万、なんとかよろしくお願いします」

社長に対する不信感を払拭したかのように太田が言った。
だが彼は心境の全てを吐露するような男ではない。
どこか私に似て、光明の兆しが見えない限り、
現状の苦しさに耐えるタイプなのだ。

ふと、思いを巡らせた。
話のニュアンスから、社長は反省しているようには思えなかった。
それどころか、本気で営業所を縮小し、
事業形態を変えようとしていたかもしれない。
敏感な太田がそれに気づき、
自らの道を模索する猶予期間を設けたとは
考えられないだろうか。

そう思わせるのは他でもない。
他社リストの使用だ。
社長は他社リストの使用を嫌う。
プライドが高いのだ。
だからこそ見栄も張るのだが、決して貪欲ではない。
本社に出張すれば豪勢な食事をふるまい、
来阪時には宝飾品を手土産にするような男である。
もちろん、販売員たちにも気遣いを忘れない。
目標さえ達成すれば慰労会の実施を促し、
社員旅行なども提案してくれる。
その優しさゆえに、太田の怒りと愛社精神に屈して
他社リスト使用の許可を出したのかもしれない。

それにしても他社リストを調達した太田の機転には驚かされた。
日頃から競合業者や、リスト業者と通じていなければ
不可能な早業である。
ひょっとしたら早くから用意していたのだろうか。
ある種のテストを見越して……。

ビッグセールスマンだった頃、
私はよく他社リストのテストを頼まれた。
今と同じように自社リストが枯渇し、
業者から買ったリストの価値をテストするためだった。
方法は簡単だ。
市場調査を装ってアプローチをかけ、購入した商品を聞き出すのだ。
20件も電話すれば感触をつかめる。
利用者が結婚して家にいないとか、電話が使用されていないなど、
使いものにならないほど古いリストもあれば
1、2年前にインナーウェアーを買ったなどと
教えてくれる消費者もいる。

美容や痩身関連で購入歴の浅いリストなら採用するが、
それ以外は却下して返品するというわけだ。
もっとも、端からリスト業者を利用して商売をする輩は多い。
まずはダイレクトメールを送りつけ、
届いた頃を見計らってアプローチをかけるのだ。
利用した覚えのない業者からのメールに不信感を持つ人もいるが、
たいていは当たり障りのない話術で煙に巻いてしまう。
リストの種類にもよるが、
電話セールス部隊を結成するのは難しい話ではない。
太田は、身の振り方を模索するつもりだろうか……。

その夜、私は考えをまとめた。

社長と2人だけで話せば、
今後の事業方針を聞き出す自信はあった。
だが、そうすれば太田は深く傷つくことは確かだ。
彼にとって恩ある私と社長が秘密裏に会えば、
営業部門のトップというメンツが潰れるばかりか、
ジェラシーから駄々っ子のように抗うだけだ。
ここはひとつ出しゃばらずに、太田の男を立てなければならない。

そんなことより、自分の未来を再認識しよう。
この仕事は学校に行くための手段として選んだにすぎない。
善意を踏みにじられた苦い経験も、始まりは同情ではないか。
早晩、私は鍼灸師の道を歩む。
どんな状況であろうと、社長の懐深く入ることは避けるべきだ。
お礼奉公の身が、中途半端に情熱を燃やしてどうする。 


        次回投稿は3/15『23 霊になった母』に続きます。

21 囚われ人

自叙伝『囁きに耳をすませて』
02 /15 2021
悩む


第三章 “わたし”を生きる

21 囚われ人

かつて隣人だった啓子から、数年ぶりに電話があった。
あの破廉恥なスワッピング計画の首謀者である。

「折り入って話があって……。
今度の日曜日に伺ってもいい?
良子も一緒なのよ。
久しぶりに俊子さんの顔見たいって言うもんで……」

啓子の昂揚したような声が気になった。
娘同伴なら夫の愚痴ではなさそうだ。

「いいよ。良子ちゃん大学卒業したんでしょう? 
今、何やってんの」

「それがプータロウなのよ。
そのことも相談に乗って欲しいんだけど……」
 

その夜、家を出て2年ほど経ったある日、
バラの花束を抱えた啓子が訪ねてきたことを思いだした。

「俊子さん、おめでとう! やったわね」 

啓子が嬉しそうにほほ笑んだ。

「わざわざ来てくれて、ありがとね。
こんな豪華な花束もらったん初めて。
嬉しいけど、離婚しておめでとうはないんと違う?
変やんか……」

「なに言ってんの、めでたいじゃない。
マンション買ったって、隣の島田さんに聞いてね。
俊子さんは私の誇り。
うちのにも言ってんのよ。
『それみてごらん、女だって、その気になれば自立できるのよ!』ってね。
そしたら苦虫かみつぶしたような顔するんだけど。
いいみせしめよ。
まぁ、1年ほどだけど、俊子さんが出ていって
男どもがおとなしかったこと。
お隣のご主人だって早く帰るようになったし、
お向いさんなんか、別れるの切れるの言ってたけど、
シュン太郎よ。アハハハ……」

見せしめ?……そうは思ったが、啓子の明るさに救われた。
少なくても旦那方に、主婦のありがたさを判らせたことは確かだ。

「そうそう、岡谷さんの再婚相手、嶋田さんの知ってる人だったんだってね。
俊子さん出て行ってすぐよ。その人、家にいれたの。
朝なんかパジャマ姿で出てくるんだもんねぇ。
岡谷さんもよくやるわ。さすがに、うちのもあきれて……」

「うん、うん。洋のこと頼んでたし。
女性のことも嶋田さんからの電話で聞いてた。
けど、離婚前から知ってたし、今だから言えるけど、
女性のことは反って格好の離婚理由に思えて内心、喜んでた。
あの破廉恥なスワッピングだって今だから本音言うけど。
OKしたのは貴洋の心を見定めるためでね。

貴洋はね、司法書士の先生との特別な関係を結びたかっただけ。
啓子さんを抱きたかったわけじゃない……ゴメン。と、思うよ。
だって、スワッピング楽しめるようなイチモツじゃないもんねぇ。
他の女性を抱いても恥かくのはわかってたと思うなぁ。
結果的に啓子さんだけには知られたけど。
ね、そうでしょう? アハハハ……ほんま、失礼したね。
けど、あとで啓子さんの気持ち聞いて、
私たちで良かったかも、なぁ~んて思って」

「そうだよねぇ。確かに……。アハハハ」

啓子が同調した。やっぱり……繋がったんだ。

「それで? その後、ご主人とはうまくいってる?」

心から心配して聞いた。

「なんのことはない。俊子さん旋風が吹いたときだけよ。
エアロビとかシャンソンの練習とか行くじゃない?
とにかく私が出かけることが気に入らないわけ。
年がら年中、啓子、々ってつきまとってばかり。
気に入らないと暴力振るうし、手のかかる子供よ。

司法書士になっても何年かは仕事がなくてね。
キャベツかじって貧乏に耐えたのに、この歳になっても束縛されるなんて。
ほんとはね、自立したくてたまらないんだけど。
長男は司法試験落ちるし、浪人3年目よ。
良子はいいとして、下の娘が獣医になりたいって言うじゃない? 
まったく金食い虫よ。この前もね……」

啓子の愚痴は延々と続いた。
祝福というよりストレス発散に来たのかもしれない。

「けど生活費60万もらってんでしょう?
自立してそんなに稼げる?無茶やわ。
それより生活費の中からヘソ食って未来のために蓄えるとか、
正雄ちゃんを上手に守して小遣い増やしてもらった方がいいんと違う。
エアロビとシャンソンは初耳やけど、着付け教室はどうなったの?
それで身を立てるって言ってたじゃん」 

「ダメダメ着付けなんて。結局、着物いっぱい買わされて。
600万よ。まあ、着物は好きだからいいけど、
師範になっても食べてなんていけないわよ」

「600万……信じられへん。主婦の小遣いじゃないやんか。
やっぱ田村家は次元が違うなぁ。
ゴージャスな暮らしと自由の両方欲しいって、そら無理ちゃう?」

そういうと、啓子はニヤリと笑った。

似た者同士が惹かれあうというが、
その典型が田村夫婦かもしれない。
彼らは欲求の充足合戦をしているように観えた。
啓子は高価なショッピングや趣味を求め、
精力旺盛な正雄は、女たちとのセックスを楽しみたいわけだ。
だが浮気が原因で啓子が自殺を図って以来、
慢性的な欲求不満に陥っていた。
仕方なく、些細なことで怒鳴り、暴れ、
わがまま三昧に振る舞って自らを慰めているというわけだ。

私はよく啓子にアドバイスしたものだ。
ゴージャスな暮らしを望むなら、
正雄の女遊びを容認してやればいいではないかと。
だが、啓子は決して許さない。
愛しているからだそうだ。

果たしてそうだろうか。
夫である正雄が人格者なら、
妻としてのジェラシーや、プライドも理解できる。
だが、相手は幼稚で破天荒な男だ。
しがらむとすれば、尽くした時間と金だろう。
それらへの執着を彼女は愛だと言う。
そう思わなければ自尊心が保てないからだ。
だからこそ、啓子はときとして抗う。
私のような自立心旺盛な女を観ることで、
執着と愛の違いに目覚めるわけだ。


私が化粧品の代理店を始めると、啓子は真っ先にメンバーになった。
しかも1か月後には家出してきて、自分を一人前にして欲しいと懇願した。
正雄の反撃も覚悟の上らしい。
さすがに見放すわけにもいかず、一部屋を提供して研修を始めた。 

案の定、3日目に正雄から電話があり、
激昂した声が響き渡った。

「オイ、コラ!お前!」

直前に回避したとはいえ、ベッドインした相手にオイとはなんだ。
そうは思ったが、泥酔状態をキャッチしたので冷静に言葉を選んだ。

「ハイ、確かに啓子さんをお預かりしてます。
けどご主人。1週間って約束で話し合ったんじゃ……」

「やかましいんじゃ!啓子出せ!訴えるぞ!」

正雄は狂ったように罵声を浴びせ続けた。
やっぱりと思った。
物の本によると利己的で破天荒だった者が生まれ変わると、
自我を制御しなければならない裁判官や、司法官になる者が多いらしい。
正雄はその典型に思えた。
このタイプ、貴洋より始末に追えないかも。
そんなことを考えながら会話の糸口を探った。

「だからね、ご主人。研修が終わったら帰りますから。
変な場所に行ってるんじゃなく私の所だからね。
一緒に楽しく飲んだ仲じゃない。
啓子さんが正雄さんを愛していることは確かだし、
一度くらいは好きにさせてあげたら?
その機会をあげなかったら今回みたいに実力行使するだけだし……」

説得は、わめき声に重なって意味をなさなかった。
仕方なく通話状態のまま受話器を置き、小声で啓子に聞いた。

「しばらく怒鳴らせておこう。
そのうち精魂尽き果てるやろ。いい?」

「いい、いい。ほっといて。今度というこんどは……」

だが、啓子は次の日に自宅に戻ってしまった。
正気を欠いた正雄が愛しくなったのかもしれない。


数日たって啓子から電話があった。

「帰ってみたら着物がボロボロ。
600万円分、ぜ~んぶハサミで切り刻んでてね。
もちろん殴られたわよ。右の鼓膜が破けたほど。
でも、今までみたいに救急車のお世話にはならなかっただけまし。
もう心底、嫌になっちゃう」

啓子が力なく言った。

「それで……おさまったん?」

「簡単よ。とにかく、私のことが好きで好きで。
自分は『愛の奴隷だ』っていうんだけど。私だって奴隷だわよ。
ああ、長男が資格さえとってくれればね。
親の権限で好きなように生きれるのに。
あの子も私のこと大好きなのよ。
だから、主人のことは嫌ってて……」

啓子は愚痴めきながら同時にのろけ、延々と自慢話に耽っていた。
開いた口がふさがらなかった。
覚悟の家出も、愛の奴隷であることを再認識して終息したからだ。
それ以来、啓子とは6年ぶりの再会だった。


「……ということで、遊ばせてるマンションを
サロンに利用したらって思ってるわけ。
良子もね、そんな仕事してみたいらしいのよ」

美しい娘になった良子が、頷きながら私を見た。

「へぇ、秀才の良子ちゃんがねぇ。
てっきりキャリアウーマンにでもなると思ってたけど、
セラピーなんか興味あるわけ?」

「ハイ。俊子さんみたいに3年間も学校行くのは無理ですが、
母が行ってるフットセラピーとかあるじゃないですかあ。
それだと免許なくてもできるみたいだし」

「まぁね……。啓子さん、足つぼセラピー通ってんの?」

「そうなのよ。週2回。でないと身体が持たないわよ。
鍼にだって高槻まで通ってるのよ。
私が思うには俊子さんが鍼やって、
良子がツボなんか教わったらできるんじゃないかなぁと思って……」

「けど家賃や共益費、私に給料払ってなんて無理。
採算とれないと思うわ。
立地条件さえ良ければ可能性もあるだろうけど。
そのマンション、地下鉄の『中百舌鳥駅』て言ったよね。
周囲はまだまだローカル……閑散としたイメージやんねぇ。
せめて商店街の入り口とか、スーパーの近くとか、
店前通行人の多いとこでないと…」

「利益なんていいのよ。
他の2か所のマンションも含めてローンも節税対策なんだから。
私と娘2人も事務所から給料もらってるし。
俊子さんの給料だけ出せばいいんだもの」

「えぇ~、家族5人に給料払って、
マンション3戸もローン払って寝かせてんの? 凄いねえ。
司法書士って儲かるんだぁ」

「一戸は息子に住まわせようと思ってるんだけど。
マンションに投資しておいたら、主人に何かあっても
ローン払わなくて済むし。
税金払うよりましじゃない。
俊子さんに給料払ったとしても、
良子を一人前にしてもらえるなら安いもんだわよ。
ね、良子!」

啓子が、しゃあしゃあと言った。

あっけにとられた。
なるほど……。
裕福に暮らして仕事もせずに20万の子遣いがもらえるなら
娘も勤める気にはならないだろう。
だが世間体は良くない。
そこで一石二鳥のサロン経営ってわけだ。

「う~ん。今、ちょうど会社も過渡期ではあるんだけど……。
まぁ、急ぐ話でもなさそうだし、時間かけて真剣に考えてみるわ。
けど、問題は正雄さんだよ。
騒動以来、さらに恨まれてるだろうし、
私を雇うなんて許可しないでしょう?」

「大丈夫。
あの人って、私さえそばにいればなんでもいいのよ。
ね、良子」

「ハイ。そうなんです。
母……あっ、啓子さんが好きで、好きで……」

良子は慌てて、母を啓子さんと呼びなおした。
親に対しては、名前にさん付けするのが田村家のルールらしい。
事務所なら解かるが、家族団欒のひとときともなると奇妙に思える。
だが、食べさせてやってるという親の威厳を保つために
夫婦で決めたと言う。

黙って聞いていると、しつけの一環に思えないこともない。
だが夫婦ともにどうかしている。
娘たちの自立心を削ぎながら、同時に恩を売っているわけだ。

もっとも、啓子は成人した娘たちをそばにおきたがる。
夫婦喧嘩の際の防波堤であり、自分が出かけるためには
雑用をこなしてくれる人手が必要だからだ。
まさか、子供たちを飼い殺すつもりだろうか……。

         
          次回投稿は3/1  『22 兆し』に続きます

20 サラリーマン

自叙伝『囁きに耳をすませて』
02 /01 2021
登山


第三章 “わたし”を生きる


20 サラリーマン

大阪営業所の年商は1億6千万ほどに伸びていた。
うまみを知った社長は膝元の東京に直販部を設ける一方、
翌年には福岡営業所を開いた。
だが業績は揮わず、その損失を大阪営業所が補填する日々が続いた。

福岡営業所の責任者だった太田からは、
電話で何度もアドバイスを求められた。
外資系の銀行マンだった彼にすれば美容品の電話セールスなど
雲を掴むような仕事だったに違いない。

スケジュールは過密だったが、私は協力を惜しまなかった。
販売マニュアルを譲り、出張して販売員たちにコツを伝授した。
もともと秀才で熱血漢だったのだろう、大田は短期間でマニュアルを消化し、
販売員たちの扱い方も要領よく呑み込んでいった。
私が専門学校を卒業する頃には、営業所を支店に昇格させたほどだ。


鍼灸師の免許を取ると、社長から社員になるよう促された。
所長業を兼任はしたが、身分は一介の営業員だったのだ。
それは自らの選択であり覚悟を定めるための手段だった。
私がひとりで月間目標額の半分を売れば、
採算ペースだけはクリアできると試算してのことだ。
あとの半分を5人の営業員で売れば利益は見込める。
チャンスを与えられたからには、信頼に応えたかっただけだ。

とはいえ社長の要請は渡りに船だった。
何よりも息子が大学を卒業するまでは安定した収入が必要だった。
免許を取ったからといって、保険診療の利かない鍼灸院の経営は難しい。
開業するなら臨床経験を積んで、
当座の生活資金をプールしておかなければならない。
社員なら週休2日である。
臨床の現場に通い、勉強もできる。
御礼奉公をかねて2、3年勤めれば一石二鳥ではないか。


福岡支店長となった大田の口添えもあり、
改めて年収650万の管理職に就いた。
実戦から解放されて、所長兼、研修責任者、顧客相談室長となった。
販売員の教育は望むところだった。
解剖学や生理学を学んだことで、
商品に新たな訴求力を加える自信も深まっていたからだ。


営業会社の管理は増収と販売員のレベルアップに尽きる。
私は燃えた。
仕事に全力を投じられる今こそ、
営業職の集大成として自らの管理能力を発揮してみたかった。

手始めに立地条件の悪かった営業所を駅前に移転させた。
駅の構内を出た対面のビルで、
出入りの激しい業界の求人には最適の場所だった。

家賃と光熱費は13万から150万に跳ね上がったが、
月商1700万円の目標数値を思えばどうってことはなかった。
実戦を退いた私の数字を補填するため、
求人を繰りかえして新たに8名の営業員を採用した。

数ケ月で目標額をクリアすると、
本社や支店から出張の依頼が一挙に増えた。
大阪営業所のクレームはわずかだったが、
東京や福岡支店のトラブルは日常的で、
営業員の質の向上が急務だった。

私は精力的に働いた。
試験漬けの日々や、忍耐を必要とするセールスの実戦から解放されると、
サラリーマンの気楽さに感動さえしていた。
日銭の心配もせずに任務に徹せられること自体が快感だったし、
営業員たちの諍いや、顧客のクレーム処理も
心を込めて対応する時間の余裕があったからだ。

待遇の安定を機にマンションを買い替え、
大阪市内の天王寺に移り住んだ。
地下街まで数分の立地にも関わらず、
大通りから一筋入った、静かで緑の多い環境が決め手だった。
マンションの売値に加えて新たに800万のローンを背負ったが、
その返済まで、販売員の意識改革を行うには妥当な月日だと考えていた。

天王寺のマンションは、奈良から府立大学に通う
息子のオアシスでもあった。
大学帰りのバイト先に近く、時間調節や腹ごしらえができたからだ。

「今回は2泊3日の出張やし、悪いけど猫の餌とウンコの処理、頼むよ。
おかずは何種類か冷蔵庫に入ってるし、ご飯は冷凍室にあるからチンして。
そや!ミィが外に出たがったら、餌と水もベランダに出しといてな」

猫の世話についての申し送りだ。
私たちは連絡帳で要件を伝えあっていた。

「ご飯、ごちそうさま。美味しかったで。
ミィーは、やっぱり外に出たがったわ。
時間までに帰ってけぇへんかったから鍵はかけたで。
では、バイト行くわ。お疲れ~!」

几帳面な字で書かれた洋の返事である。
父親との暮らしで鍛えられたのだろう。
食器を洗って片づけ、夏場は観葉植物の水にまで
気を配る青年になっていた。

「ありがとね。猫は、ほっといていいよ。2、3日なんやから。
今までは7階暮らしで『箱入り猫』やったけど、
木々の緑と鳥たちの囀りが聞こえる環境やもんなぁ。
そりゃあ外に出たいわ。
外の世界が見たくて、ソファの背もたれに立って
スルメイカみたいに背伸びして。
犬でも見かけようものなら目ん玉全開!
ベランダの手すりに鳥でもとまろうものなら眼はギンギン、
全身が小刻みに震えて。
そりゃあもう、本能に目覚めたって感じで。
『好奇心』って言葉の意味はコレだ!って感動したほど。
それで『よしよし、今、開けたる』って気になってなぁ。
それ以来、ミイは外遊びに夢中ってわけよ。

実は、ミイのこと管理人さんにバレててな。
よその猫を妊娠させたって言われてん。
そんなアホな。
ミイは避妊手術してるって言っといた。
けど、管理人さんも動物好きでな。
他に飼ってる人もいるけど黙認してるってわけ。
しようもないこと長々と書いたなぁ。
じゃ、また。次回の出張は2週間先、またメモっとくし」

出張から帰った私のメモだ。
どうかすると戦々恐々になってしまう父親との日常を癒そうと、
取りとめのない事でもなるべく面白可笑しく書いた。 


サラリーマンの日々は気楽だ。
自営業者だったときの休みは年間35日。
サラリーマンの3分の1である。
だがフルコミッションの営業マンになると、まったく休めなかった。
休日しかアプローチできない顧客も多く、
ノルマに近づくまでは気を緩めることができないわけだ。
しかも主婦業を免れているという罪悪感が焦燥感を煽る。
だからこそビッグセールスマンにもなれたのだが……。

それに比べるとサラリーマンは気楽な稼業だ。
土日、祭日とも休んで給料をもらえるなど天国のような日々に感じた。
おかげで心身ともにゆとりが生まれ、
通勤路を利用してウォーキングを始めた。
天王寺から天満橋まで電車で5駅を歩き、
そこから急行電車で一駅の会社に出勤する。
人間らしい日々を過ごせるようになっていた。


土曜日は臨床を学ぶ日に充てた。
営業所は稼働していたが、販売員たちの仕事ぶりは放任することにした。
ネガティブな考えに引きずられる集団意識の恐さは知っていたが、
自己管理能力が試される良い機会でもあったからだ。

そのための意識改革はやってきた。
私は体裁をかまわず自らの離婚歴や、その後の奮闘ぶり、
あえて背負った借金などの詳細を販売員たちに話してきた。
彼女たちの多くが離婚を経験し、
その大半が経済的な自立を夢見ていたからだ。

具体的な目標を持ち、自分を信じて邁進すれば夢は必ず叶う。
その結果が、この私だと宣言してきた。
誰だってノルマや稼働時間の管理などされたくはないとわかっていた。
自らを励まし叱咤激励できるのは、結局のところ自分しかいない。
かつての私がそうだったように、
欲求を満たすための世界を選んだ人たちなのだから……。


臨床の現場は、さまざまに工夫されていた。
カイロを習っていたときの友人だった柔整師は、
五味雅吉氏の「骨盤調節」を施しながら整骨院を経営していた。
いまどきの骨折患者は整形外科にかかるし、これといった技術もない。
そこで健康保険が利くことを幸いに低周波治療などを繰り返すのだが、
いまひとつ治療効果が表れないらしい。
肌に通電パットを置くくらいでは、
深層の筋肉をゆるめるほどのパワーが得られないのだ。
だからこそ、カイロプラクター養成学校に活路を求めたと言う。
だが、その技は使っていなかった。
カイロに比べれば比較的安全な骨盤調節で
充分な治療効果が上がるらしい。

鍼灸専門学校に行く前のことだが、
私はカイロプラクター養成学校に通っていた。
週2回の授業で1年。
150万の費用で免許がとれるという広告を信用してのことだ。

だが、その学校で柔整師と組んで手技の練習をしていたとき、
身をもって危険性を体験した。
頚椎をアジャストされ、吐き気と頭痛に襲われたのだ。
それでも相手が柔整師だったことは幸いだった。
補助器の構造上、素人なら手加減できなかったかもしれない。

やがて院長に対する不信感が湧いた。
有資格者を雇って簡単な解剖学を教えてはいたが、
肝心な場面で実技を逃れていたからだ。

ある日、助手だった鍼灸師を問い詰め、
院長が無資格者で金の亡者だと知った。
以来、『○○教会認定』などという資格の一切を信じなくなった。
アメリカの『○○大学医学部卒業』なども要注意だ。
6年間の医学部を卒業したのではなく、
短期留学して肩書に箔をつけようとする輩も多いからだ。
とはいえ、飛んで火に入ったムジナ同士は友人になった。
3ヶ月間、私は彼の整骨院で臨床に立ち合うことができた。

クラスメイトだった中国人の友人は、
漢方薬を併用させる鍼灸院に勤めていた。
月に一度、漢方医による鑑別診断が行われると聞いて必ず参加した。

患者は脳性麻痺の子供たちだった。
3人がかりで押さえつけ、太くて長い中国鍼を顔面に施す場面は、
見ているだけで冷や汗が出た。

ふと「ビートたけし」の顔面麻痺を思い浮かべた。
こんな強気の施術など果たして自分にできるだろうか。
一方の友人は中国の医師免許を持っている。
その点、漢方医と交流しながらの臨床は醍醐味があろう。
彼女は近いうちに独立すると言う。
中医学四千年の国に育った医師であり鍼灸師なら強かろう。
鍼灸だけで効果が得られなければ、
本場の漢方医に教わって漢方薬を併用させることもできる。
病院で見放されたような難病患者なら、
金にいとめはつけないはずだ。
さすがに羨ましいと思った。

どの世界にも悪人はいるが、
サクラを使って信用させる施術所もあるようだ。
病院で見放された癌が治ったとか、
難病がたちどころになどというデマを飛ばして
患者を誘う悪質な療法家である。
後にも先にも、ただ一本の鍼しか使わない魔法のような施術家がいれば、
巧みにマスコミを利用する施術家もいる。
あるいは手をかざす真光術、霊的療法家など、
病人を食い物にする療法家の多さには閉口するばかりだった。

だが、くじけてはいられない。
中国人の整形外科医から習った整体の手技を復習する一方、
新たにマニュアルメディスンの研究を始めた。

それは手で骨の異常を整える整体療術で、
カイロプラクティックとオステオパシーを統括した徒手医学だ。
しかも医師免許を持った療法家の体系化された療法で、
得心できるものだった。
頭蓋骨や仙骨などの比較的大きな骨を軸にした筋肉の伸展や、
無理のない押圧は鍼にも勝る即効性が想定できた。
マッサージ感覚にアレンジすれば、骨の弱った高齢者にも使える。
なによりも受ける側が心地よさそうだった。
あとは実技だ。身体を貸し合う友人を捜さなくてはならない。


日曜日には山に登った。
都会の喧騒から離れ、大自然の中で自分を見つめるためだ。
いや、違う。
邦夫との決別を想定して心を強くするためだった。

数ヶ月に1度のペースで逢いに来る邦夫は、
私が物件を買い替えたことも知らない。
今がチャンスだ。
内緒で引っ越そう。
私は心を切り替えていた。
ところが、引越しの数日前になって突如、
邦夫が現れるではないか。
にわかに心が弾んだ。
やっぱり好きなのだ。

「へぇ、現場一筋の邦夫ちゃんが営業部に。晴天の霹靂やわ。
けど積算に追われたり、事故の心配するより気楽かも」

邦夫は、免震工事を中心とした営業部に異動したらしい。

「そうなんや。この不況で免震工事ともなると受注も難しいけどなぁ。
まぁ、若い者に現場も任せなあかんし、
定年前のオジサン連中にはよくあることなんや。
会社も早期退職者募っててな。
希望者には退職金に500万ほど上乗せするらしいわ。
まっ、どっちが得か、ゆっくり考えるつもりやけど……」

「ふぅん……。そや!私、引越しするんよ。
ほんまは内緒にしょう思てたんやけど、
邦夫ちゃんの顔見たらやっぱ言うてしもた」

「えっ、内緒で?そらないやろ。
何処へ?なんでまた……」

「この物件、場所もいまいちやし古くて資産価値減る一方やんか。
買い替えるとしたら年齢や収入なんか考えて最後のチャンスや思て。
どこと思う?……天王寺駅から徒歩5分。
アーケードが終わってちょっと中に入ったとこ。
地下街まで徒歩3分ってわりに静かで。
築10数年やけど、将来、賃貸に出しても空くことなさそうやし」

「賃貸に出すって?」

「息子が卒業するまではサラリーマンやるけど。
その先は田舎暮らししようか思て。
鍼灸って保健効けへんやんか。
家賃の高い大阪で開業しても、まず3年ほどは食べていかれへんからね。
田舎で野菜やハーブ育てながら、細々と鍼灸でもやろうと思ってわけだけど。
そのとき10万でも家賃収入あったら助かるやんか」

「田舎暮らしかぁ。ええなぁ……」

「まぁ、邦夫ちゃんは所帯持ちやし、私も再婚は考えてないし……。
けど、田舎暮らしに男手は必要だから。
ネットで自然好きの男友達でも募集して、
癒しの里コミュニティでも創るかぁと思ってるわけよ。
鍼灸の免許とったけど、ほんまにやりたいことはヒーリングでね。
カウンセリングと鍼灸施術、場合によっては瞑想も取り込んだ
包括的な癒しの館を創ろうと思って……」

いたって平常心だった。
願っても邦夫が家庭を捨てるとは思えなかったし、
願いどおりになることも不安だった。
家事に取られる時間は計り知れない。
やりたいことに没頭もできず、
感謝もされない主婦になどなりたくはなかった。
まして邦夫の家庭を崩壊させれば、
罪悪感に苛まれるのは目に見えていたからだ。

「そうや! 引越し、手伝うよ」

黙って聞いていた邦夫が、さも機嫌をとるように言った。
何かが変わるだろうか…。

結局、転居後も邦夫の行動パターンは変わらなかった。
私も同じだ。
元来、私は考え方が男っぽい。
どんなに逢いたくても、男の家や職場に電話しようなどとは
死んでも思わないタイプなのだ。
男女の情愛など一瞬の花火に過ぎない。
恋心や、情事を含めて結婚のなにかも体験ずみだ。
今の私は情愛になど囚われはしない。
あの崇高な光の、見返りを求めない永遠の愛に比べれば
何ほどのものだろう。
そんなふうに自らを制御していた。

だからといって心は晴れやかではない。
時間のゆとりが恨めしいことだってある。
部屋にいると、邦夫からの電話を待っている自分を感じたりもするわけだ。
そんな自分を吹っ切るように山に向かった。


奈良の山は深い。
天川村や、十津川村にいたっては代表的な陸の孤島で、
大阪発なら始発電車に乗らなければ帰ってくるのは難しい。
ローカル電車の終点からバスを乗り継ぎ、
そこから登山口まではタクシ―を利用した。
バスのダイヤは1日に2、3本のため帰りはバス停まで徒歩になる。
時間を節約しなければならないのだ。

ときにはヒッチハイクにもトライした。
山中で道に迷って6時間も歩き続け、
登山口に降りた頃には日が暮れかかっていた。
そこからバス停までは10㎞以上もあった。

途方に暮れて歩き始めると、運よく軽四トラックが通りかかった。
もはやなりふりなどかまっていられない。
必死の形相で道路の真ん中に立ちふさがり、乗せてくれるよう頼み込んだ。
間伐作業の帰りだという2人の男は、
あきれた顔をしながらも座席を空けてくれた。

通りがかりの村人に救われたこともあった。
登山口から歩いてバス停まで戻ったものの、
ダイヤどおりにバスが来ない。
歩こうにも駅までは20㎞以上の距離である。
困り果てて座り込んでいた。
すると軽四に乗った爺さまが通りかかり
『乗りたいかぁ』と聞いてくれるではないか。
思わず、乗りたいです!助かりました!ありがとう!などと連発していた。
田舎の爺さまはおっとりしていて優しい。
おかげで、その日のうちに大阪に戻ることができた。

奈良の山は奥深いが、高さは1000m前後のものが多い。
いつの間にか、その半分ほどを制覇していた。

山登りは生き方に重なった。
どんなに小さな一歩でも、踏み出せば頂上に至ったからだ。
山登りは楽しい。
それも一人きりが最高だ。
静寂の中で踏みしめる落ち葉の葉音や、
その柔らかさを味わうことができる。
野鳥のさえずりや、風にそよぐ枝葉のざわめきが心に浸みわたるし、
陽光に照らされて匂い立つ苔が香しい。
それらが眠っていたような感性を目覚めさせてくれるのだ。

すると、妖精を捜している自分に気づく。
熊や、鹿ではない。妖精を捜しているのだ。
その瞬間の童のような意識が好きだ。
精神が無垢になるのがいい。

ふと、邦夫のことなど忘れている自分に気づく。
なぜだろう。
情愛までリセットされたのだろうか? 
いや違う……どことなく無理をしていたのだ。
情愛に囚われて、心が束縛されている自分に腹をたてていたのかもしれない。
別れなければなんて気を張る必要などあるだろうか。
私は自由だ。
なりたい自分になるために行きたい場所に行ってやりたいことをやる。
情愛など、その途上でなるようになるのだから。
気がつくと、心が解放されていた。



直販部を安定させた福岡支店の太田は、
通販業者と提携して次々と商品の販路を広げた。
元は東大紛争に馳せ参じた学生運動家だけあって、
私が最初に直販部を立ち上げてから5年で
会社の年商は15億に迫っていた。
自社ビルの建設も夢ではない躍進ぶりだ。

本社では美容サロンを展開する動きがあり、
全体的な人事異動が行われていた。
社長直々の電話は減り、新しく採用された中堅幹部のような男が
私や太田の橋渡し役となっていた。
何かが、大きく変わり始めていた。

「えっ、宇宙戦艦ヤマト? 
一等地でサロン展開したばかりじゃないですか。
しかも閑古鳥だっていうのに。
宇宙戦艦ヤマトって、まさかあの松本零士?」

思わず声が上ずった。

「そうなんですよ。そのヤマトプロジェクト。
社長が入れ込んでるらしいんです。
僕も業者から小耳にはさんだだけで詳しくは知らないんですけどね。
サロンは専務に任せっきりで、そっちに投資してるらしいんです」

声をひそめて太田が言った。
超ミニと山姥メイクの部長が専務に昇格したらしく、
今では本社の業務全般を掌握していた。

「はぁ……。で、どれくらい?」

「まあ、10数億らしいです」

めまいがした。
男というのは、なんだってこうなんだ。
通販大手だった前の会社もそうだ。
社長の独断的な投機で結局は倒産した。

別れた夫もしかり、ちょっと儲かっただけで
投機に走る男の軽率さには反吐が出る。
この会社も同じだ。
私がマニュアルを提供して教育し、太田とともに
営業員を叱咤激励した結果の財源だというのに。
一等地にオープンした美容サロンも大赤字でなにが戦艦大和だ。
無謀にもほどがあろう。

「いゃあ、参りましたと。
社長は事あるごとに君や岡谷さんは幹部だからって言うんですがね。
なんも相談されたことはなかとです」

半ば開き直ったかのように、太田が博多弁で言った。

「ですね……。
支店長にも相談しないとなると、私たちは単に資金集めの兵隊かも。
あの、突然ですが、もと○○城のお姫さまらしい専務って、
社長の女なんですか?」

単刀直入に聞いた。
それによっては未来が危ういと思っていたのだ。

「さぁ、判りません。私も彼女と話すことは殆んどないんですよ。
なんか社長が商売始めるときにですね、かなりの金は出してると思いますよ。
発言、強かですから」

「ですか……。
ヘッドが2人で、それぞれに夢が異なるとすれば
未来は予測不能ですよね。
男女って危機的状況では団結するだろうけど。
2人の関係も長そうだし、儲かったら好き勝手なことやるでしょうねぇ。
まぁ、じたばたしても始まりませんよね。
サロンとヤマトの両方で失敗したらどうにもならんでしょう。
またゼロからなんて、私、そんな気力ないなぁ」

「同感です。まぁ、社長に会ったら探ってみますが言わんでしょう。
正直、私も腹の虫がおさまらんとです。
あっ、噂をすれば社長から携帯に電話です。ではまた…」

太田が慌ただしく電話を切った。

私の身に起きた、このパターンの虚無感に晒されるのは3度目だった。
しかし人間、そのたびに学習するものらしい。
可笑しいほどに腹はすわっていた。


        次回投稿は  『21囚われ人』 に続きます

19 魂の絆

自叙伝『囁きに耳をすませて』
01 /15 2021
 アース

今日の話は、ちょっと長いです。
しかも"閲覧要注意"部分……あるんですよぉ。(^_^ ;)






第三章 “わたし”を生きる


19 魂の絆

「学校はな、建物でいうたら基礎と屋台骨を造るようなものや。
何でもそうやでぇ。工学部出たからいうて俺らの会社の新卒でもな。
な~んにも役には立たん。
現場で実際の建築に関わって少しずつ応用していくしかないんや。
まっ、免許取ったんやから大したもんや」 

ある日、ぼやく私を諌めるように恋人の邦夫が言った。
『基礎造りだけなら専門学校なんて呼び方は…』などと反論しても、
彼の答えが『世の中そんなもんや』で終わるとわかっていた。
実際、邦夫の言う通りなのだが、彼の前では赤裸々な自分でいたかった。

「まぁね。けど、がっかりして。
なんや免許の曖昧さに恐れ入ったわ。
何でもそうやけど、私、熱中して期待を膨らませすぎるんかなぁ」 

「まっ、それが、お前のええとこや。
ふつう40歳過ぎて学校行くか?
勉強内容見てたら、ほんま、ようやるなぁ思うわ。
だからな、自己流のお前にしかできない治療法を確立したらいいんや。
鍼で良くなったっていう話けっこう聞くし、
意味のないことやったら国家試験にはなれへんて」 

邦夫がもっともな慰め方をした。
私は拍子抜けして笑った。
いつもそうだ。
彼は心が混沌としている最中にやって来て、
単純で大雑把な助言に終始する。
そのおかげで肩の力を抜くことができた。

コーヒーショップの経営やポップライター、セールスなど、
私は能動的な人生を歩んで来た。
アイディアから作業、売り込み、アフターフォローを包括的にこなしたことで
独創性に富んだ自信家になり、連携の緩慢な組織や、
保守的な体制に苛立ちを覚えるようになっていた。

一方、ゼネコン勤務の長い邦夫は、受動的な人生を歩んでいた。
図面通りに建物を完成させるのが仕事なので、
アイデアの枯渇や、複雑な人間関係に悩まされることはない。
下請け業者との単価交渉と安全管理に留意すれば、
それなりの生活は保障されるわけだ。

それが新人の育成パターンにも現われていた。
失敗こそが生きた教育になるという考え方で、
とりあえず役割りを与えて任せてみるらしい。
大企業の体力といえばそれまでだが、
即戦力を必要とした私の指導方針とは大きな違いがあった。


邦夫と出会ったのは19歳の頃だ。
勤務先のショッピングセンターを施工したK社の監督補佐で、
建物の定期的なメンテナンスや、部分改装のたびに
事務所で顔を会わせていた。
人懐っこく穏やかな邦夫だけに好感は持っていたが、
異性として意識していたわけではない。
その頃の邦夫は新婚で、私はタイ人と恋愛中だったからだ。


日本初のショッピングセンターとあって、
その運営や管理は手探り状態だった。
だからこそレタリングを習っているというだけで、
私のような新人がPOPライターに専任されたわけだ。

それは建物の管理や企画を任された、同期入社の岡本にしても同じだった。
大学の文化祭実行委員から、いきなり集客の企画を練る必要に迫られたわけで、
私たちは必然的に同士となった。
頻繁に催されるイベントの予告掲示や、ショーの舞台造り、
店内装飾の思索と実行には互いの知恵や特技が欠かせないからだ。
もっとも迷子の呼び出しやタレントの接待、お茶汲みなどの雑用もこなした。
スタッフ総出のアットホーム的な管理事務所といえば聞こえはいいが、
採算ペースが暗中模索だったからに他ならない。

販売促進に関わる活字の大半を手書きで賄い、
テナントにポップ広告のサービスを提供するのが私の仕事だったが、
時には邦夫が関わる改装工事用の断り書きや、
工事のために仕切られた壁面に絵を書くことさえあった。
同僚の岡本と一緒に店内を見回っていて邦夫に出くわすと、
私たち三人はよく一緒にコーヒーを飲んだ。
テナントに見られても作業服姿の邦夫なら打ち合わせに見えるし、
施工主側の私たちにすれば、委託業者が相手だとリラックスできたからだ。


貴洋と結婚した後も、邦夫はコーヒーショップの常連客に過ぎなかった。
同僚だった事務所の岡本と来ることもあれば、
ゴルフ場の女性支配人と立ち寄ることもあった。
噂ではその女性と不倫しているようだった。

スリムなボディにミニスカートがよく似合ってはいたが、
どう見ても邦夫より年増で気の強そうな女性だった。
中睦まじい2人を眺めながら、邦夫の女性観を疑ったものだ。

時が経ち管轄する現場が変わると、
邦夫がコーヒーショップに立寄ることは稀になった。
数年ぶりに店で会ったとき、
邦夫はよちよち歩きの私の息子に目を細めたものだ。
それ以来、邦夫を意識することはなかった。
飛び込みのセールスに明け暮れ、夫婦間の確執に悶々としていたからだ。

離婚して5年ほど経ったある日、
私は抜け殻状態で友人の須藤と電車に揺られていた。
集中力を養う『特別セミナー』なるものに参加した帰りで、
3日間というもの一睡もしていなかったばかりか、
気合のかけ過ぎで声を嗄らしていた。

「岡谷ちゃん、あの人、ずっと見てるよ……」 

須藤が朦朧としていた私の膝をつついた。

その視線の先に邦夫がいるではないか。
驚いて微笑んだ瞬間、彼が隣に座っていた。

「どうしてたんや!」 

邦夫が、探しあぐねていたかのように言った。
一瞬、戸惑った。
彼の感極まったような言い方が意外だった。

「いやぁ朝倉さん、お久しぶり。
ああ、知りはれへんわね。私、離婚したんだわ」 

やっとの思いで声を絞り出した。 

「ああ、聞いたわ」 

とっくに承知とばかりに邦夫が微笑んだ。 

「誰に?」 

「久しぶりにコーヒー飲み行ったときな、マスターから」 

邦夫は親指を立てて見せた。 

「えぇ! あの人が自分で?」

邦夫が店に来るたび、私との会話を妨害するように振舞っていた貴洋が、
よりによって彼に離婚を告白するなど信じられなかった。
もっとも貴洋の態度は彼だけに向けられたものではない。
地位や技量のある男となれば、私との会話を楽しむ客との間に
割り込んで自分をアピールする。
それはジェラシーなどという可愛いらしい反応ではない。
妻の雄弁さを封じることで店主の威厳を示そうというのだ。
そんな貴洋のことだ。
邦夫にプライバシーを暴露して
彼との関係を強固にしようと思ったのかもしれない。

「店に女の人がおってな。
パートさんじゃない雰囲気やったし。
変やなぁと思てたらマスターが俺を店の裏に呼んでな。
実は離婚して、あれは新しい嫁さんやねんっていうもんで、
びっくりしてなぁ……」

思った通り、貴洋は邦夫に嫌われたくなかったのだ。

「あ、そう……あの女性、店に出てたんだ。
なるほど、朝倉さんには言っておきたかったんだ。
すぐにわかることだもんね」

それだけ言うと電車が目的地に到着した。
私は咄嗟に名刺を渡していた。
話したいことは山ほどあるような気がした。


「あん人、誰ね」 

電車を降りるなり須藤が聞いた。

「ああ、昔からの知人……」 

すまして答えた。

「なんの、ただの知人じゃなかろ?
あん人、私を突き飛ばして座ったとですよ。
怪しかね……俊ちゃんのいい人だったりして」 

ギョッとした。

「ほんまに、ただの知人やっちゅうのに。
まっ、兄貴のように慕ってはいたけど……」 

慌てて釈明すると、須藤はいかにも納得したような表情になった。
しかし、私は反って須藤に触発されていた。
彼女の直感が未来を見通すと知っていたからだ。


その夜、朝倉の真剣な表情を思い返していた。
互いが家庭持ちということで気持を押さえ込んでいたのだろうか。
しかし今、どうして邦夫と再会する必要があるのか。
ん?……意識の法則で引き寄せた?
だとすれば、思い当たる思考のプロセスがあった。

その頃の私は精神世界に没頭していた。
本格的な瞑想に取組む一方、シルバー・バーチの霊訓や
エドガー・ケーシーを読み漁り、チャネラーを通して現われる、
バシャールという高次の意識的存在に心酔していた。

何かといえばキツネや悪霊のせいにする日本の霊媒師と違い、
西洋諸国のチャネラーたちは肯定的で善意に満ちていた。
彼らはユーモアや親しみを込めて人生を肯定的に創造する意義を語ってくれる。
その力強さや、愛の大きさは宗教をはるかに超えていた。
戒律や罰によって人々を縛るのではなく、
ただ無条件の愛を放っていたからだ。

しかし、ケーシーの著書である『性と霊魂の旅路』という本だけは、
読むたびに自分を疑わなければならなかった。
神聖な書物にも関わらず、集中すればするほど
性的な欲求が起こったからだ。

初めてそれを感じたとき、心を汚されたような気がして本を閉じてしまった。
異性とは遠ざかっていたが、よりによって
霊的な書物を読んでいる最中に欲情するなど耐えられるものではない。
試しに日を改めて何度か読み直したが結果は同じだった。

気分転換にヒンドゥー教のタントラに関わる本を読みはじめた。
チャクラの根源的な働きが知りたかったからだ。
すると霊的な書物が欲情を誘発する原因が解った。
瞑想によって得られる高次の至福感と、
性的エクスタシーは、感受する回路を共有していたのだ。

目からうろこの心境だった。
祓っても生じる欲情もだが、たまたま手にした書物で
答えを得られた不思議に鳥肌が立ったほどだ。

ヒンヴー教では女神の持つ性力こそが宇宙を成り立たせる根源的な力で、
人類の救済はそれによってなされるとする。
性力を支配するには、チャクラのひとつにいるとされる
シバ神と体内の性力を合一するヨーガの方法があり、
真言を唱えて性交しながら女神を崇拝するという。
しかし、その前に自慰行為によって性欲を燃焼させなければならない。
オルガスムスに囚われていては、高次のエクスタシーが得られないらしい。
彼らにとっての性交は祈りであり、エネルギーの増幅手段でもあるという。

わいせつ感を超越した崇高なセックスとは、どのような感覚なのか。
それを体験したい衝動に駆られた。
だが日本人の概念ではヒンヴー教の一派のようなわけにはいかない。
快感を拭えたとしてもセックスには恋愛感情がつきものだろう。
好きでもない男とセックスなどできるはずもない。
第一、病気に感染でもしたら本末転倒ではないか。
だが、仮に好みの相手がいたとしても、
しがらみのないセックスなどありえるだろうか……。


そんな思いを秘めていた頃、友人の須藤が鹿児島から出て来た。
2週間の予定で自然化粧品の研修を受けるためだった。
私たちは京都の明神宅に通いつめた。
新参者は親キャプテンの傘下で活動することがルールだったからだ。

研修のカリキュラムを消化すると、
明神から特別セミナーへの参加を促された。

それは名刺や爪楊枝で割り箸を連続切りする技の習得。
厚紙に書いた文字を透視する訓練。
膨らませた風船に箸を通すという、集中力を養うための三種類の特訓で、
スポーツ界の著名な選手や、アスリート、企業のオーナーなどにも
人気のプログラムだということだった。
過剰な読書で頭が混沌としていた私には、願ってもない内容に思えたものだ。


セミナー会場に入ると、最初に講師陣による
デモンストレーションが行われた。
割りばしの両端を2人の講師がそれぞれに支え、
1人が名刺を持って立っていた。
すぐに照明が落とされ、スポットライトに照らされた
ステージが浮かびあがった。

講師たちは気合い入れ精神統一を図った。
すると、名刺が刃物になったかのように
つぎつぎと箸を切断していくではないか。
みごとな連続技に参加者全員が拍手喝采したのはいうまでもない。

割りばし切は、臍下丹田に力を入れて45度の角度で切り込む。
その場合、腕力に頼ると名刺が折れ曲がり、
指先が箸に当たれば裂傷を負ってしまう。
名刺を持った手もろとも、身体全体を瞬時に落とすのがコツらしい。

そうはいっても実際にやってみると至難の業だった。
格好良さに感動して楽しめたのは1、2時間だ。
さらに連続20回という条件をクリアするのは並大抵のことではなかった。
10数回まで連続して切れたとしても、
20回までに失敗すれば振り出しに戻るからだ。

何千回もの屈伸で膝が痛み、裂傷で指先が腫れあがる頃には
猜疑心との戦いが始まる。
いい歳をして、なんでこんなことやってんだろう。
かくし芸のひとつに過ぎないじゃないか。
三日三晩、一睡もせずにぶっ通す意味なんてあるのだろうか。
そうやって反撥することで自分を慰めるわけだ。

不眠不休2日目の夜、係員に断って洗面所に向かった。
汗だくの顔と血まみれの手を洗うつもりだったが、
なぜかホースで頭から冷水を浴びた。
すると不思議に邪念が吹っ飛び、頭の中が空っぽになった。
脳が、思考を停止した感じだった。


「岡谷、いきます!」 

会場に戻るや否や、私はただ一点を見つめて切り込んでいた。
肉体は名刺のように軽く、割り箸は異様に太く見えた。
切り込む角度がクローズアップされ、
まるで制御されているかのように肉体が上下運動を繰り返した。

突如、講師の手が伸びてきて握手を求めた。
事は、一瞬で終わっていたのだ。 

目標を達成すると、周囲の人々の苦闘が愛しく思えた。
私は挑戦者に寄り添うことにした。
そばで念を送れば彼らのパワーが増幅されるような気がしたのだ。
もっとも時間の経過と共に次々と達成者は現われたが、
最後に残った50歳過ぎの小母さんが、今にも泣き出しそうに私を凝視した。

「大丈夫、できるよ。必ずできる」 

思わず彼女を強く抱きしめていた。

「みんなで念を送ろう!」 

誰かが言った。
その迫力に奮い立ったのだろう。小母さんは涙を拭い、
覚悟を決めたかのような深呼吸をして一気に切り込んだ。
愛のパワーが充満する会場に小母さんの気合だけが響き渡った。


「ウォー、やったー!」 

喝采が小母さんを包んだ。
それを機に、百数十名の参加者全員が代わる代わる抱き合った。
苦しさと戦うことで、個人レベルの価値観や優劣が消え去っていた。

その夜、大広間は消灯され全員が大シャバアサナーに入った。
大の字に寝転ぶことで筋肉を弛緩させ
内なる自己を見つめるヨ-ガのポーズだ。

私は視界に広がるオーロラのような紫色に感激して泣いていた。
紫色は眉間の中央に位置するチャクラの色だ。
それはまた第三の目で宇宙との交信ポイントだけに、
祝福を受けているような気がした。
必要な時に、必要な人や物に恵まれた感謝の念が沸き起こっていた。
集中力を高めるための訓練で、私は多くの教訓を学んでいた。

固定観念に縛られないこと。
心を解き放つこと。
無心になること。
そして、自分を愛するように人を愛することだ。

肉体に存在する七つのチャクラの作用に目覚め、
無心や愛の力を学んだセミナーの帰り道で偶然にも……。
いや、この世に偶然ということはない。
邦夫とは、逢うべくして再会したに違いない。


何週間か経って邦夫から電話があった。
私は迷わずデートに応じた。
彼とならセックスも楽しめるような気がした。
男女の関係になっても価値観を押付けるタイプではないことや、
貞節を守るほど堅物でないことも知っていた。


夕方、邦夫と門真の駅前で待ち合わせ、
食事をしながら思い出に耽った。
知人として10数年が過ぎ、更に5年という空白の時を超えてもなお、
私たちの間には不思議な安堵感が漂っていた。

邦夫は当時と少しも変わってはいなかった。
大柄なわりに物腰が軟らかく、話し方や表情がおっとりとしていて
気が休まるタイプなのだ。

「いくつになったって?」 

邦夫が聞いた。

「あの頃は子供やったのに38歳。
朝倉さんは10歳年上だったよね。お互い、信じられへんね」 

「変われへんなぁ。けど、びっくりしたわ。
マスターに離婚したって聞かされて。
まさか本人に居場所を聞くわけにもいかんしなぁ」 

邦夫が嬉しそうに目を細めた。

「そらそうやわ。聞いても言うわけないやろうけど。
ところで、なんで電車に乗ってたん、珍しいね」

「ああ、免停になってな、門真の教習所に行ってたんや。
けど、良かったわ、まさか門真に住んでるやなんて、
免停にならんかったら、逢えるはずないもんなぁ」

邦夫の告白めいた言葉に動揺した。
だが、あのスリムな小母さんとはどうなっているというのだ。
まぁ、いいか……。

「ほんま、あんな時間に電車で逢うやなんて……。
運命かな?」

実際、私はそう思っていた。
離婚後に移り住んだ場所なら邦夫に遭うことなどあり得なかった。
門真駅近くの物件は販売意欲を保つ手段として購入したものだが、
まさか邦夫が、その沿線上で暮らしているなど知る由もなかった。


食事が終わると大胆にも邦夫を自宅に誘った。
彼とは性を交えるために再会したとわかっていた。

罪悪感はなかった。
むしろ理性や体裁の根源である顕在意識を
黙らせる好機だと思っていた。
直感を大切にする自分が逞しくさえ思えたものだ。 


人肌のぬくもりが心地良かった。
邦夫は逞しい肉体をしていた。
身長は180㎝くらいだろうか、骨太で肉づきもいい。
女など、その強靭な腕に抱かれるだけで降伏せざるを得ないほどだ。
しかし肌は女のように滑らかで、
どこか懐かしい植物性の布のような匂いがした。

邦夫が耳元で何度も「愛してる」と呟いた。
なぜ?……私のことなど何も知らないのに。
私もだ。
邦夫の何を知っているのだろう。
愛などという深淵な関係でもないのに…。
漠然とそんなことを思った。
しかし理性は溶けていった。
肉体が本気で邦夫を求めはじめたのだ。

私たちはオスとメスになっていった。
オスは愛撫しながらメスの反応を伺い、
メスは悦びに震えて声をあげた。
まさに征服されることを望んでいたかのように。

やがて、オスとメスは繋がった。
その瞬間、邦夫の……。
いや、違う。
その肉体の記憶が蘇っていた。


遠い昔、私たちはこうやって抱き合っていた。
私は、女だった邦夫を抱いていた。
植物性の、麻布のような香りに包まれた瞬間、
懐かしさと愛しさで胸が締めつけられた。
この愛する女を抱きしめ、私は彼女の上で幾度も果てたではないか。

しかし今、私は女の肉体を持っていた。
しかも、悦楽の波に身をゆだねながら精液の放出を求めていた。
自らの子宮に邦夫のそれを迎え入れたいと心底、思った。
充血して膨れ上がった膣が精子を求めて激しく痙攣していた。
次の瞬間、互いの性器から熱いものが噴出し、
混じり合い、肉体が弛緩した。

性交の何かを初めて味わったような気がした。
男と女の聖なる融合の瞬間を、これほど美しいと思ったことはない。


邦夫が私を見つめながら満足げにタバコを燻らせていた。
不思議な気分だった。
互いが若い頃に結ばれたなら、これほど情熱的に交われただろうか。

「私のこと何も知れへんのに、なんであんなに愛してるって言うの?」

魂の話など絶対に信じないであろう邦夫だけに、
蘇った過去世の記憶を棚上げして、わざとらしく聞いた。

「愛してるからや」

呆れたように邦夫が言った。

「だから、何を根拠に愛してんの?
私、朝倉さんのことほとんど何も知らないんよ。
それやのに突然、ほんま、再会した瞬間、
セックスするんだぁって思ったわけ。
おかしいよね。
ハレンチな奴っちゃと思った?
まぁ、私なりの理由はあったんだけど、
その話はややこしいから置いといて。
愛してるって言葉に驚いたわ……変かな?」

最初のデートで誘っておきながら、奇妙な理屈を並べた。

「あのな……お前のことは子供の時から知ってるし、
ずっと好きやったんや」

「子供のときから?……ああ19歳の。
そりゃ29歳の朝倉さんから見たら子供やわね。
けど、そのわりに2、3年もしたら誰かさんと浮気してたやんか。
お揃いでコーヒー呑みに来てたし。
私にすれば、へぇ、あんな人が好みなんだってなもんだわ。
朝倉さんを知らないんだからね。
セックスのときは誰にでもいうんかなぁ思て…」

「よく言うよ。お前こそ、なんで岡谷なんや。
岡谷と結婚するって聞いたとき、俺ほんまびっくりしたわ。
なんでまた、岡谷なんかと結婚したんや」

「いゃぁ、今更、聞かんといてよ。
朝倉さんだってそうやんか。
出会ったときに新婚さんだったくせに」

互いにやり返しながら、私たちは再び抱きしめあっていた。
すると、またしてもフラッシュバックが起きた。
過去にも同じように言い争った。
そして婚約だった彼女が、自殺した。
男だった自分が不義理を働いた気がした。
そう!……浮気したんだ。

ショックで頭が真っ白になった。
なんという再会なのだろう。
今生での過ぎ去った日々は、どんな意味を持つというのか。

「けど、お前が岡谷と別れたからこそ、
こうやって愛し合うことができるんや。
ほんま、嬉しいわ」

真顔の邦夫が妙に眩しかった。
立場こそ入れ代わっていたが、かつての愛人の無邪気さが表れていた。

「まぁね。なんといっても、私は独身やし……」

そう皮肉ると、邦夫はバツの悪そうな顔になった。

「ハハハ……別に気にしなくていいよ。
結婚生活が続けられるなら、それに越したことはないし」

独り身の気楽さを満喫していた私は、
物分りのよさを強調するように言った。

だが内心、動揺は収まる気配がなかった。
蘇った過去生の記憶が、あまりにも鮮烈だったからだ。
ということは……。
性的好奇心が邦夫を惹きつけたという解釈は早合点で、
実はカルマを返済するために再会したのかもしれない。
そんなバカな……。
だとしたら、どうする……。

その日から一週間ほど、私は夢遊病患者だった。
食べたのか? 仕事をしたのか? 眠ったのか? 
過去世なのか錯覚なのか、夢なのか現実なのか。
思考が混乱を究め、記憶が曖昧なまま過ごしたようだった。

やがて冷静さを取り戻し、
このドラマチックな一連のプロセスを思い返してみた。
エドガー・ケーシーの本で生じた欲情。
チャクラのシステムと、その回路の知識。
特別セミナーで習得した無心の境地。
その帰り道での再会。
須藤の直観的冷やかし。
積極的に誘った…あり得ない自我。


私たちはかつて、男女の過去世を共有した。
時代背景や、場所などの詳細は不明でも、
それだけは確信があった。

だとしたら……ああ、光よ。
今度は私が試されるのですね。
未来のない関係だとわかっていながら、
邦夫を一途に愛するのでしょう? 
それも情愛に囚われて、自分を見失うか否かというテストつきで……。


邦夫と再開した後も、私は精神世界に浸りきっていた。
過去生のしがらみを棚にあげておきたかったのかもしれない。

物の本によれば森羅万象の全てに波動があるという。
周波数が合わなければ聞けないラジオのように、
人との出会いも波動が決め手となる。
類が友を呼ぶという現象だ。

波動は一部の人を除いて見たり感じたりはできない。
気でありオーラだ。
その質は在り方で決まる。
千回にも及ぶ輪廻転生を繰り返したとされるキリストは、
完全に拡張した細やかな波動を持つ10次元の魂だと言われる。
つまり光の存在だ。

ふつうの人々は、三次元という立体的な空間で
立体的な構造物や物に囲まれ物質に依存して暮らす。
言いかえれば固まり(物質)の中で固定観念を頼りに生きている状態だ。

たとえば「ピアノは楽器だ」と思い込んでいる。
すると、7オクターブあまりの音色しかイメージできない。
音階を際限なく辿れば、音ではなく色が見えることを知らないわけだ。
音も波動だ。
際限なく音階を辿るということは、しだいに波動が細かくなって
ついには光の色として存在する。

それは人の意識の進化過程に似ている。
ネガティブな意識は振動数が粗く収縮して固まる。
つまり、自我と物質に囚われた人生を送るということだ。
一方、ポジィティブな意識は振動数が細かい。
それは拡張してスペース(空間状態)をつくる。
拡張した意識(波動)はどこにでも浸透する。
全てのものと一体になった感覚を得るわけだ。
全てはひとつ。
それが悟りを得た者の波動。
キリスト意識が光といわれる所以らしい。

全てのものと一体になった感覚……。
それを体感したことがある。
桜島の温泉で瞑想の岩に座っていたときのことだ。
私は空気であり風になっていた。
流れ落ちる水になり、海そのものになっていた。
どう表現すればいいだろう。
意識が分子レベルになって拡散したような。
いゃ、違う。
意識が巨大になって自然界に浸透した感覚だった。
あれが悟りの状態だったのだろうか。

以来、アインシュタインやホーキング博士など
物理学者の本も読み漁った。
神秘体験を含めてオカルティックな現象だけに囚われないためだ。
だが、なんとなく理解できたのは、宇宙が無酸素、無重力で、
ブラックホールやホワイトホールが存在することくらいだった。
高エネルギーの放射線が飛び交い、
マイナス270度とも言われる絶対零度の環境はまだしも、
量子的なゆらぎ、空間のゆがみなどについては想像すらできなかった。

物理学者はそれらを立証しようと難解な数式を羅列していた。
しかし本当のところ、宇宙の真実など誰も解ってはいないように思えた。
アインシュタインの相対性理論を否定したホーキング博士でさえ、
あとがきには『近い将来、自らの理論が否定される日が来る』と
結んでいたからだ。  

ふと思った。
年間に2兆1000億もの予算を投じて、
たかだか400㎞上空に宇宙ステーションを造ったからといって、
宇宙の何が解るのだろう。
それより念波天文学に力を入れるべきではないだろうか。
なぜなら、人が繰り返しイメージすることは現実化(物質化)する。
空想漫画の宇宙船や鉄腕アトムがそれだ。
地球上では多少の時間を必要とするが、次元が変われば瞬時にだ。

臨死体験者は言う。
「思っただけで会えるし、そこに行ける。思考は瞬時に現実となって…」と。
彼らの言う『思うパワー』を軽視してはいけない。
それは波動であり念波で、宇宙創造のカギを握る
超微粒子かもしれないからだ。

阪大の関教授によると、念波は素粒子よりも小さい
幽子という物質の集合体らしい。
幽子を研究すれば、幽霊の実体にも迫れるそうだ。
いっそホーキング博士と関教授がスクラムを組んだらどうだろう。
自前の想念エネルギーを信じて、
2人で意識をトリップさせたら宇宙の謎が解明できるかもしれない。

いや、その前に優先すべきは人体の研究かもしれない。
私を含めて幽体離脱の体験者は大勢いるし、
臨死体験に共通するプロセスと意味を解明することが肝要だ。

人の意識を研究すれば、気やオーラが
超微粒子のエネルギー物質であることも解る。
そうなれば臨死体験者の話を、
脳が仕組んだ妄想説だと決めつける医師も減ることだろう。
さらに脳神経の専門医たちが精神病を分類し、
そのいずれかに当てはめたくて仕方がない現状を打破することができる。

その点、西欧諸国には研究熱心で謙虚な医師たちが多い。
古くは心理分析の先駆者であるユングや、フロイト。
近代ではエリザベス・キュプラー・ロス博士のように、
『死』をテーマにした研究に生涯をかける医師もいれば、
前世療法を推進する医師もいるほどだ。

そのひとりであるホイットン博士の輪廻転生説に共感し、
眠りに入る前の時間を瞑想に費やしてみた。
転生の記録が保存されているというアカシックレコードを読み解くためだ。
しかし信念不足のためか「天の聖所」には至れなかった。

目を閉じた視界には、風景や人物などの映像ばかりが現われては消えた。
人物は自分だという自覚はあるものの、瞬間的な映像ばかりで、
場所や時代背景などは見当もつかなかった。
仕方なく、本格的な瞑想教室に通いはじめた。
誘導者を介すれば過去生の断片的な映像が
繋がるかもしれないと期待したのだ。


誘導瞑想の個人レッスンが始まると、3度目で離脱した。
呼吸を調えるや否や、腹部から起こった電磁波のようなエネルギーが
背骨に沿って上昇し、無の境地に誘う教師の声が遠ざかった。

頭頂から何か大切なものが抜ける。そんな感じがした。
恐ろしくはなかった。
もう一度、光に遭いたいと期待していたからだ。

だが、そこはオレンジ色の空間に過ぎなかった。
わずかな濃淡こそあったが、上下、左右、
見渡す限りのオレンジ色が続いていた。
ふと、自分を疑った。
視界が360度あったからだ。

この、見ている部分は目なのか?
いや、目なら後ろが見えるはずもない。
身体全体が目? 
ショックで冷や汗が流れた。
その汗を拭おうとして更に驚愕した。
汗が流れているはずの額はもちろん肉体そのものがないのだ。
(光に遭遇したときは身体があったのに)

肉体がない。
だが意識はある。
それはどういうことなのか。
意識とは、幽体そのものなのか。
だとしたら、座禅を組んでいるはずの私の肉体は何なのか。
意識の抜けた肉体が座禅を続けられるものなのか。
この意識の目のような、私の全体はなんなのか。
突如として恐ろしくなった。

「先生!先生!どうやったら帰れるんですか!」

反射的に叫んでいた。

「身体、身体と思いなさい!」

どこか遠いところで先生の声がした。

からだ、からだ!……。
そう念じた瞬間、私は肉体の中に戻っていた。
だが、物の配置が奇妙だった。
背を向けているはずの家具や壁の一部が視界に入り、
向かい合った先生が異様に小さく見えた。
目が望遠レンズのようになっていたのだ。

「アッ、見ないで! 岡谷さん、見ないで!」

先生が視線を逸らして叫んだ。
私の何かに誘発されて空間が歪んで見えたらしい。
空間が歪む?……それってホーキング博士の宇宙論だ。
小難しい数式に頼らなくても、幽体になれば時空を超えられるってわけだ。
すごい! 

その日、先生が指導を打ち切りたいと言い出した。
すでに教えることがないというのだ。
替わりに、彼女の師匠でもある中国人の大先生とやらを紹介された。
レッスン料は高いが、雨を降らせ雲を動かす気功の大家だという。


期待に胸を膨らませて、大先生とやらに挨拶に出向いた。
古びたマンションの一室に掲げられた『○○気功』のドアをノックすると、
色白で肥満ぎみの男が現れた。
精気のない目と、白い肌から怪しい匂いが漂っていた。

「○○先生からご紹介に預かった岡谷ですが……」

「ああ、どうも……」

そういうと、男は無表情でドアを大きく開けた。

狭くて暗い部屋に香が漂っていた。
受付の女性はいないようだった。
事前に連絡を受けているはずだったが、改めて誘導瞑想を依頼した。
だが男は視線を合わそうとはせず、ただ頷いた。
日本語が話せないのだろうか? 

「レッスン料は、おいくらでしょう」

「1時間、1万円です」

なんだ、ちゃんと喋れるんじゃないか。
それにしても陰気な男だ。
そう思ったとき、すらりとした美女が茶を運んできた。
なぜ端から応対しなかったのだろう。
そう思いながら女の所作を見守り唖然とした。
お茶を出すと、振り向きざまに妖艶な流し眼で男を見つめたのだ。
大先生は頬を赤らめてかすかに反応した。
2人だけに通じる情念のサインだ。
もはや私に興味はなさそうだった。

次の週、気を取り直してレッスンに赴いた。
直感が間違っていることを願いながらドアをノックした。

異様に静かだった。
再びノックすると面接時の女が出てきた。
またしても直前まで睦んでいたような余韻を漂わせていた。
帰ろうか……。
いや、思いこんではいけない。
そう自分に言い聞かせてレッスンに臨んだ。

前置きなしで視線も合わさず、
大先生がいきなり呪文を唱え始めた。
参ったなぁ。
やる気ないの?
それとも私が気に入らない?
意図的に彼の目を凝視した。
『コラ、真面目にやれよ!』と念を送ったわけだ。

すると、足元にピリピリと痛みを感じた。
ほぉ、反撃かも?
そう思いながらも意地になって気を受け続けた。

荒く陰鬱な波動に変化はなく、呪文を聞くだけで1時間が過ぎた。
ふ~む……。
彼には私に教えられるものがない。
高額の時間給を稼ぎたいだけだろう。
私は迷うことなく、その日限りで大先生とやらのレッスンを放棄した。

私はよく超能力者や催眠術者に嫌われる。
相手にもよるのだが、嫌な波動を感じると、
身体に光を取り込んでバリア(シールド)を張るからだ。
自称超能力者からは視線をそらされ、
催眠がかからない私に対して、術者はたいてい怒る。
そんな術者に限ってメンタル面の未熟な人が多いように思う。

ともあれ誘導瞑想を体験したことで、思い出したことがあった。

明神は過去に新幹線で毎週のように東京に出向いたらしい。
誘導瞑想のレッスンを受けるためだ。
その彼女が『わたしの先生はわたし』と、口癖のように言うようになった。
当初はなんて自信家なのだろうと思ったものだが、今ならよく解る。
彼女も、本物はその能力を飯の種にはしないと気づいたのかもしれない。

超能力を売り物にした中国人のセッションを受けたことで、
アカシックレコードやトリップへの執着は消えかかっていた。

過去生がはっきりしないのには理由があろう。
今はまだ必要がないケースもあるだろうし、
知ることで精神が錯乱する人もいることだろう。
それよりなにより、今の自分を観れば
過去生の生きざまは想像がつくというものだ。
滅私奉公する気も薄く、まだまだ自我の強い私などは、
平均的な“ふつうのオバちゃん”に過ぎない。
まずは『なりたい自分』を師と仰いで生きることが肝心だろう。
それが、自分探しの旅における結論となった。


やたら試験の多い学業と仕事の両立は恐ろしくハードだった。
だが、それが反って精神世界への執着や、
邦夫との逢瀬をコントロールする妙薬にもなっていた。

もっとも再会して3年が過ぎ、邦夫との関係は
刹那的で空しいものとなっていた。
私の帰宅が午後11時を過ぎるようになっていたからだ。
近況を話しながら夜食を食べ、情を交わせば明け方の2時、3時だ。
邦夫は夜明けまでに帰宅するのが精一杯になっていた。

「ねぇ、休みの日に何処か行くとか、たまには早い時間に外食するとか、
もうちょっと恋人らしい時間の過ごし方でけへんの? 
なんや日陰の女どころか、真夜中の情事そのものやんか。
お天道さまの下で健康的に遊ぶのは無理ってわかってるけど、
時々、すっごく惨めな気分になって。
私は妾とは違うんよ。あくまで愛人なんやからね」

私が不満をこぼした。

「わかってる。けどな、あんまり頻繁に来たら家庭が崩壊するし、
それこそ、お前にのめり込んでしまう思て、これでもセーブしてるんや」

邦夫が苦しい言い訳をした。
私は信じなかった。
過去の恋愛や浮気の詳細も聞き出していたし、
何年も前から家で夕食を摂らないことも知っていたからだ。
その理由として邦夫は、楽しみになるような食事ではないと言う。
だが、私はそれも信じなかった。
妻が、当時つき合っていた女性からの電話を
受けたことがあったと聞いていたからだ。
妻の追及にも沈黙を誇示した邦夫のことである。
趣味の写真撮影を理由に、
夜は外食すると決めたのではないかと思っていた。

「回数の問題と違うの。
私からは連絡できないとわかってて2、3ヶ月も音沙汰なしってこともあるし、
やっと逢えたと思ったら真夜中の情事で、次はいつ逢えるか約束もできないし。
頻繁に来て欲しいっていうんじゃなくてね、
時間の過ごし方のこと言ってるんやんか。
そりゃ、邦夫ちゃんはいいよ。
ゴルフや釣り、写真撮影と、自分のやりたいこと優先して
残った時間で電話すればセックスできるんやから。
羨ましい、男として最高の人生やんかぁ」

皮肉たっぷりに言い放った。

「ほんならな、セックスなしにしよう。
それならいいか?」

思わず吹き出してしまった。

「セックスなしで、夜中にお話すんの? 
もう、邦夫ちゃんて、わかってないねぇ。
いや、わかりたくないんや。ずるー」

施主との付き合いや趣味ごとに忙しい彼が、
愛人の要求を満たせないことぐらい承知していた。
むしろ未来のない男との空しい逢瀬に耐えかねていた私が、
不満を並べることで、別れるための心の準備をさせようとしたのだ。

だが、セックスレスの関係を提案する邦夫は可愛らしく、
別れ話を切り出す気力が萎えていた。


       次回投稿は2/1『20サラリーマン』に続きます

風子

1952年、愛媛県生まれ。
子供時代は予知夢をみるような、ちょっと変わった子供。

40歳の頃、神秘体験をきっかけに精神世界を放浪。
それまでの人生観、価値観、死生感などが一新する。
結果、猛烈営業マンから一転、43歳で鍼灸師に転向。
予防医学的な鍼灸施術と、カウンセリングに打ち込む。

2001年 アマチュアカメラマンの夫と、信州の小川村に移住。晴耕雨読の日々を夢見るが、過疎化の村の医療事情を知り、送迎つきの鍼灸院を営むことに。

2004年 NHKテレビ「達人に学ぶ田舎暮らし心得」取材。

2006年 名古屋テレビ「あこがれの田舎暮らし」取材。

2006年 信越テレビ「すばらしき夫婦」取材。
      
2008年 テレビ信州「鹿島ダイヤモンド槍を追え」取材。

2012年 12年の田舎暮らしにピリオドを打ち大阪に戻る。