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もったいない

風子のスピ要覧
03 /19 2019
          プララド・ジャニ


画像の爺さま、ご存じでしょうか?

70年間、飲食せずに生きるプララド・ジャニ氏(87歳)。
食べないし飲まないので、排泄もしないようです。
その不思議を解明しようと医師たちが検査を重ねましたが、
結局のところ、なぜ生きているのかが解からないそうです。

彼はサドゥ(行者、苦行僧)のひとりだそうです。
サドゥとは家や仕事、家族を持たない存在で、
インドの法では死者という扱いをされています。
そのサドゥ、インド全域とネパールには、
なんと400万人から500万人いるというから驚きです。
(偽サドゥや、観光サドゥもいる)

修行を経て宗派の認定を得た本物のサドゥたち。
彼らの目的とは、なんだと思います?
!(・。・)……『悟り?』
そう思うでしょう?
どっこい!
『悟り』は、仏教の開祖である仏陀の造語。
彼らが目指すのは『梵我一如』なんですって。

梵我一如
紀元前1000年前のウパニシャッド哲学の真理で、
宇宙の根源ブラフマン(梵)と人間の本質アートマン(我)
の両者が究極的に同一であることを認識すること。
その真理を知覚することによって輪廻の業(ごう)、
すなわち一切の苦悩を逃れて解脱に達することができる。

いわゆる輪廻転生を省略(スキップ)して、
『ワンネス』に留まることなんですねぇ。
ん?……それが可能な魂って、
1000回生まれ変わったキリストくらいなんですが……。(^_^ ;)

このウパニシャッド哲学は仏陀生誕の
さらに500年以上も前からあった
ヒンドゥー教の聖典のひとつらしいです。

★ヒンドゥー教(開祖なし)
 ・インダス文明時代の土着信仰から生まれる。
 ・バラモン教(アーリア人の)と融合した多神教。
  仏陀はヴィシュヌ神の9番目の化身とされている。
 ・『悟り』をひらくという概念はない。(悟りは仏陀以降)


それにしても……。
400万人から500万人が、
『梵我一如』を知覚するために、
世捨て人、やってるって?

寝る間も惜しんで瞑想したり、
何十年も片手を挙げ続けたり、
後ろ向きに歩き続けたり、
立ち続けたりすれば、
輪廻の業(ごう)を回避できるって?

( ̄~ ̄;) ……な、なんでやねん❢
ってか、なんともまぁ……もったいない。

どんな人生ストリーでもいい。
私たちは喜怒哀楽の全てを
“体験するために”生まれたんですよぉ。

もっとも前回の記事に書いたタデウスゴラスのように、
瞬時に覚醒する人もいますが、
たいていは懸命に生き、輪廻を重ねることで、
誰もが『梵我一如』に至ると思うんです。


インドという国の特徴

●世界のIT業界を左右する技術者を多数輩出する。
●53.2%が携帯電話を持っているのに、トイレ付の家は46.9%。
●自宅近くでも道路でも、至る所でゴミを捨てる習慣。
●汚水が未処理のまま水源に流され水質汚染MAX。
●それによって人々の健康が脅かされている。
●『梵我一如』を目指して生きる人が400~500万人。

なぜ……(。・?_?・。)

インド人は、この世の一切を『苦』と捉えます。
輪廻転生を信じてはいるようですが、
今生の『一切苦』は、自らのカルマのせいだと信じて
“悲観的運命論”を受容している感が強いわけです。
端から、この世に絶望しているわけですから、
自らにはもちろん、政府にも期待しない。
パイプラインや公共施設の整備が遅れている要因のひとつとして、
そんな国民の悲観意識が拍車をかけているんですねぇ。

カースト制度は廃止されても、
マハラジャたちには膨大な年金を払い続けた政府。
未だにマハラジャ(藩王)は特権階級のようで、
平民との格差は広がる一方のようです。
世界のIT業界を左右する技術者たちって、
多くはハラジャの子孫たちなんでしょうね。

これほどの格差社会ではふつう、
大衆による革命とか起きるのでしょうが、
肝心の大衆は運命論を受容するばかりで『梵我一如』ですもんね。
日本の改革、明治維新……その立役者のような人いないんでしょうか。
せめて生命維持のための基本政策を打ち出す議員や、国家元首がねぇ。
いるようで、いないも同然なんでしょうか。

行きたくない国のひとつですが、
インドって、摩訶不思議な国ですよねぇ。
釈迦や、ガンジーに限らず、次のような覚者を輩出しているのに……(^_^ ;)


すべての人が、道を知っている。
わずかな人だけ、道を歩いている。
心に、差別なきことを、正と言い、
心が、差別をすることを、邪と言う。
求めること有れば 皆、苦であり、
求めること無ければ、皆、楽である。
 
     菩提達磨(5世紀後半~6世紀前半)
     通称 達摩大師。インド人。中国に渡って禅宗を伝える。


数千年も経ったら、
あらゆる生物が進化していることでしょう。
ですが数千年経っても地球人の“伝承真理”は同じ。
『意識の進化』って、超がつくほど難題なんでしょうね。(*´ェ`*)


なまけ者のさとり方

風子のスピ要覧
03 /12 2019
なまけ者のさとり方


精神世界の探求に没頭していた20年ほど前、
休日ともなると書店に通い詰めていました。
たいてい10冊くらいは買って一週間ほどで消化。
乱読して廃棄するものと、保存版に分別していました。
身に起きた不思議体験の信憑性と意義について、
世界の書物を対象に個人リサーチしていたわけです。

そんなある日、小さくて薄い一冊の本に出合いました。
その頃に凝っていたOリングテストにかけると、
指の輪は、異様なまでに固く閉じて離れません。
他の書物に比べると、別格の波動を内在していたんです。
 
※Oリングテスト
大村恵昭博士によって考案された代替医療の診断法。
鍼灸の経穴や経絡(気の流れ)を応用したもの。
血液の化学分析やMRIなどの最新医療技術でも
発見できないような早期の病気を発見したことも。
1993年、米国特許5188107取得。
信憑性に関しては賛否両論。

その小さくて薄い本の表題は『なまけ者のさとり方』。
易しい文体だし1時間もあれば読める気がしたのですが、
これが、とんでもない本でした。

乱読 → 熟読(2回) → 超熟読(2回)。
5回ですよ5回……。
それでも理解できませんでした。
言葉のひとつひとつ、文章が解からないのではなく、
ゴラスの宇宙観が、です。

(×_×;)……スゴイ!スゴ過ぎる!
高度過ぎて理解できない!
私には、まだ早いのだろうか?
で……1年ほど寝てもらいました。(笑)

その後、なんどか離脱して、
彼の言わんとすることが判りました。
すると俄然、タデウス・ゴラス氏のプロフィールや思想、
人となりに興味が湧きました。

タデウス・ゴラス(1924年~1997年没)
コロンビア大学卒。生涯、出版関係の仕事に従事。
本書は独語、仏語にも翻訳され、英語版50万部に達する。

感心したのは……。
『なまけ者のさとり方』が完全なオリジナルだということ。
宗教や哲学思想などの影響が皆無で、
“ある日、突如として悟った”ゴラス版宇宙とでもいうような……。

しかも、生涯にわたって執筆はこの一冊のみ。
『風と共に去りぬ』の著者マーガレット・ミッチェル同様、
稀有な存在で、生涯を通じていかなる信奉者のグループ、
組織も作っていない孤高の覚者なんですねぇ。


この本はどこか、リチャード バックの
『イリュージョン』を思わせます。

※リチャードバック
 元米空軍の戦闘機パイロット。
 バッハの子孫
 代表作『カモメのジョナサン』『One』

『イリュージョン』のあらすじをちょっと……。

もと救世主のドナルドが全国を旅していて、
もう一人のヒコーキ乗り(リチャード・バック自身)に出会い、
救世主になるためのレクチャーをしていく、という展開。
小説のようで哲学書のようで、神話のような不思議な本。
文字は少なく、言葉の使い回しもシンプルですが、
語られる言葉にいちいち目を開かされます。

この本が伝えたい核となる思想は、
自分がどれだけ多くの偏見や固定観念に縛られているか。
自分の目がどれだけ曇っていたのか。
自らの重圧、責任、義務、立場や体面、体裁、世間体などは、
自分が望みさえすれば自由になることができる。
ややもすると蜘蛛の巣状になる現代人の思考を、
リセットしてくれる本です。



この宇宙は、拡張と収縮の数限りない組み合わせと、
あらゆる振動数で振動している無数の固体が作り出している、
壮大な調和そのものなのです。
それぞれの振動数、拡張と収縮の組み合わせには、
それに固有な感情や思想が存在しています。
また、それぞれのレベルによって、
人間同士がどのように関わり合っているかについても、
違って見えてくるのです。 

優れた人は、相手を変えてあげようと思ってしまいがちです。
低い人は、優れた人を無意識に引きずり下ろそうと思いがちです。
2つのバイブレーションが巡り会うと、3つの結果しか出ません。
1.お互い高いバイブレーションになる
2.お互い低いバイブレーションになる
3.離れる
              タデウス・ゴラス


人間関係に悩んでいるとき、
しがらみに支配されているように感じるとき、
この言葉……。
勇気と確信をもらえます。(^_-)-☆



特別な相手

風子のスピ要覧
02 /19 2019
老夫婦   すれ違う夫婦

 
 過疎の村で鍼灸院を営んでいた頃のエッセイをひとつ。

連れ合い

『旦那さん死んじまって清々してるってじゃねぇ。
オラたまげたさぇ。先生にも言ったかえ?』

患者さんたちの、このような問いかけには口を噤むに限る。
私が『聞いたよ』とでも応えると思っているのだろうか。
いや、まて。
言うことだってある。
ゴシップの火種を消せるものなら……。

『まぁね……けど、口で言うほど清々はしてないと思うよ。
天真爛漫タイプだから同情されるって、弱いんじゃないかなぁ。
聞いてたらできる限りの看病もしてたし、
「お父さん行ってくるよ。留守お願いね」なぁ~んて、
毎日、旦那さんの位牌に喋りかけてるみたいだし…』

『そうかい……やだ、仏さん相手にかい?』

『そうそう。言いたいことは言うけど基本的には素直な人だからね。
仏壇の前で「お父さんの年金のおかげで温泉のひとつも楽しめる」
って感謝するんだって……可愛い性格だよね。
体裁だけ整えて、腹の中で憎んでる人だっているだろうからね』

移住7年ともなると、こんな調子の会話をする機会が増えた。
それだけ村に馴染んできたのかもしれない。
しかし時々思う。
黙ってただ微笑んでおけば楽なのに、
私はなんだって婆ちゃん方の仲を取り持とうとするのだろうと。

考えてみると、意外にも答えは自らの未来に繋がっていた。
さまざまな連れ合いパターンを観察することで、
状況を肯定的に受容する訓練をしていたというわけだ。

夫婦を端的に表現する言葉として、
『空気』のようなとか『一心同体』『夫唱婦随』などは有名だ。
しかし私は決してそうは思わない。
存在感を誇示したい男たちには悪いが、
それらはむしろ男性優位型の社会通念か、
希望的観念ぐらいの認識しか持っていない。

というのも、まず『空気』のようでは困る。
それは互いを意識しないことに繋がるわけで、
ときめきや感謝を忘れ、無関心や無理解の原因になるからだ。

『一心同体』はさらに性質が悪い。
価値観の押つけに繋がるからだ。
そうではなく、互いの違いを認め合い、
喜びや悲しみを分かち合うのが、健全な夫婦の姿ではなかろうか。

増して『夫唱婦随』などもっての他だと思う。
優れたアイディァや能力に従うことはあっても、
発言の機会や意欲を奪ってはならないからだ。
こんな私の観念に照らせば、わが連れ合いは最高のパートナーだ。
世辞でものろけでもない。
本当のことだ。

連れ合いは優しい人間である。
根気良く野良猫の遊び相手をしてやるし、野の花だって大事にする。
めったな事では腹を立てず、性急に結論を求めることもない。
それらは私には得がたい長所だと知っている。

だが、ものの見方は表裏関係だろう。
視点を変えれば優柔不断で積極性に欠け、用意周到など微塵もない。
極楽トンボのような人だとも言える。

もっとも人生も半ばを過ぎ、
バランスのとれた完璧さなどは求めなくなった。
妥協や、諦めの心境からではない。
むしろパートナーを観察し、
自らを成長させる鏡として利用するのだ。

たとえばニュートラルな意識で相手を観察すれば、
自分に欠落した情操や、ものの見方が鮮明になる。
その部分だけに焦点を当てて、
自分で自分を育てるための観念改革に勤しむというわけだ。

実をいうと、私は自らに課題を与えている。
自分以外には期待しない生き方を目指しているのだ。

そもそも人の不幸は期待から始まる。
あんなに親切にしたのにと恩を着せ、
こんなに愛したのにと、何がしかの見返りを求めるからこそ、
恨みや謗り、失意や空虚さに苛まれるのだ。
結婚もしかり。
その危機は、相手を責めることから始まる。
ああして欲しい、こうして欲しい、こんなはずではなかったのにと、
互いが期待の遂行を求め、非難合戦が始まる。
だが、それで関係が良くなるだろうか?
相手に謝罪を強要して気が済むだろうか?
私の場合は返って惨めさが増してしまう。
なぜなら早晩、自分が責められる側に立つと知っているからだ。

夫が亡くなり清々したと思うのも、悪ではなかろう。
介護生活から解放され、心身ともに楽になったという正直な心。
立ち直り、自立して、自らの余生を慈しむ決意など、
残された者の所信表明に思えないこともない。
どの道、安易な批評判断は、人としての進化を鈍らせる。 



ちなみに、『神との対話』の著者ニールさん。
6回も離婚しているそうです。
6回ですよ。6回……(((ʘ ʘ))信じがたいですが。
で……厄介な人間関係について、ある日、神に訊ねます。
究極とも思われる神秘体験をしていながら、
なんとも人間らしい質問に、反って好感が持てます。




私はいつになったらもっと利口になって、
滑らかな人間関係を保てるようになるのでしょう?
幸せな関係を築く方法があるんですか?
それとも、人間関係というのは、
いつまで経っても難題なのですか?

人間関係はいつでも課題だ。
創造、表現、自己の高い面、より大きな自分、
素晴らしい自分を経験することを求められる。
その経験をいちばん直接的に、
力強く、純粋に実践できるのが人間関係という『場』だ。

自分以外の人との関係があるから、あなたは存在する。
人との関係なしには、その実践は不可能だ。
自分を創りあげることは意識的な構想に基づく
素晴らしい創造にもなるし、
『偶然まかせ』にしておくこともできる。
起こった出来事に左右されるだけの人間であることもできるし、
出来事に対してどう在りたいか、
なにをするかという決断を通じて
どんな人間になるかを選ぶこともできる。
意識的な自己の創造は後者の方だ。

全ての関係を嬉しいもの、特別なもの、
自分を創りあげる経験として捉えなさい。
そして、今、どう在りたいかを選びなさい。

ところで、あなたが訊ねたのは
ロマンチックな人間関係のことだろう?
あなたがいつも苦労していることだ。

愛情関係が失敗するとき、
その原因はそもそも間違った理由で関係を結んだことにある。
ほとんどの人は、相手との関係で
なにが与えられるだろうと考えて関係を結ぶ。

人間関係の目的は、自分自身のどの部分を
『明らかに』したいかを決定することであって、
相手のどんな部分を把握し、
つかまえておきたいかを決めることではない。

『あなたを失望させたくない』ばかりに、
相手は本当の自分らしくない努力をし、
やがてそれに耐えられなくなる。
相手は、あなたの期待を満たせなくなる。
割り当てられた役割を演じられなくなる。
そこで恨みが生じる。
怒りが沸き起こる。

相手はやがて、
自分自身を救うために真の自分を取り戻そうとする。
そうなると、あなたは相手が『すっかり変わってしまった』と言う
パートナーになった二人は、
一足す一は二より大きくなると期待したのに、
二より小さくなったしまったことに気づく。
一人でいたときより、自分が小さくなったと感じる。
能力も小さくなれば、ワクワクすするような興奮も減り、
魅力的でなくなり、喜びも満足も減ったと思う。
人間関係を築くため、維持するために、
自分の大半を捨ててしまったからである。

ここに、全ての人間関係のパラドックスがある。
本当の自分を充分に経験するためなら、
特別の相手はを必要とない……ところが、
他者がいなければ、あなたはなにものでもない。

これが人間関係の謎であり、驚異でもあり、
いらだちの種でもあり、喜びでもある。

あなた方のほとんどは、人間関係を結び始める年頃には期待と、
あふれる性的エネルギーと、大きく開かれた心と、
性急ではあるにしても喜びに満ちた魂をもっている。
それが40歳から60歳になる頃、壮大な夢を諦め、
高い希望を棚上げし、ごく低い予想に甘んじるか、
まったく期待しなくなる。

問題は、悲劇的な誤解にある。
あなたの壮大な夢、気高い思い、そして優しい希望は、
愛する自分ではなく、愛する他者に関わるものだという誤解だ。
人間関係の試練は、
相手があなたの思いにどこまで応えてくれるか。
自分が、相手の期待にどこまで応えられるかにある、と
思い込む誤解だ。

しかし真の試練とは、
あなたが、あなた自身のへの思いにどこまで応えられるか、
ということなのだ。

人間関係が神聖なのは、
最も気高い自分を捉えて実現する経験ができる。
つまり、自分を創造する『最大、唯一の機会』を
与えてくれるからだ。

人間関係では、
それぞれが他者について心を煩わせるのではなく、
ただただ自分について心をくだくべきだ。

マスターは、相手が何者で、何をし、何を言い、
何を欲し、何を要求しているかはどうでもいいことを知っている。
大事なのは、、その関係の中で、あなたが何者であるか、だけである。
最も愛情深い人間とは、最も自己中心的な人間だ。


それはまた、ずいぶん過激な教えですが……。

よくよく考えれば過激ではない。
自分を愛していなければ、相手を愛することはできない。
他者の価値を見抜くためには、
まず自分の価値を見出さなければならない。
多くの人たちは、相手への愛情を通じて、
自分への愛情を求めるという過ちを犯している。

もちろん、自分がそうしていると気づいてはいない。
潜在意識で起こっていることだ。

人は考える。
『正しく相手を愛することさえできれば、
相手は私を愛してくれるだろう。
そうしたら私は愛される人間になり、
自分を愛することができる。』と。
これを裏返せば、
愛してくれる他者がいないから、
自分を憎んでいる人が多い、ということだ。
これは『病』……本当の『愛の病』だ。
この病気に罹ると、じつは愛されているのに、
それはどうでもよくなる。
どんなに大勢の人が愛を告白してくれても、満たされない。

あなた方の救罪は、相手の行動の中なかにではなく、
あなた方の反応の中にある。


相手がなにをしても平気というわけにはいきません。
相手の行動に傷つくということもあります。
人間関係で傷つくと、私はどうしていいか判らなくなるんです。
『受け流せ』『平気でいろ』というのは立派ですが、
言うは易し、行うは難し、です。

いくつかの在り方を試すと、いつかは傷つかなくなるだろう。
最初の感情が否定的でも、
なんどでも必要なだけその感情を味わえば、
いつかはそこから踏み出せる。
怒りや逆上や憤怒を味わい、仕返しをしたいと思っている者も
いつかは『そんな自分にはなりたくない』と考えて、
否定的な感情をすてることができるだろう。




ワ~ォ‼ 
『やっぱ、道は遠いんやぁ……』

なんてね。(^_-)-☆

高度に進化した存在

風子のスピ要覧
02 /05 2019
未知との遭遇
           映画『未知との遭遇』より


映画『未知との遭遇』……さすがのスピルバーグ。
記憶に残る素晴らしい作品でしたね。
巷の噂ですが……。
エリア51で実際にあった、
NASAスタッフとUFOとのコンタクトが基になっているのだとか。

ラストシーンで、主人公の平凡な電気技師は、
躊躇することなくUFOに乗り込みます。
円盤から降りてきた人々も多くいたことですし、
もし、その場にいたら、私も迷わず乗り込みます。(^_^ ;)

!(・。・)……そうそう、こんな映画も。
シニアグループが準主役だったSF映画『コクーン』。
『スーパーエデンの園』での暮らしを選択するカップルと、
地球での余生を愛おしむ老人たちの、自由意志を見事に描いていました。

映画『コクーン2』


『未知との遭遇』『コクーン』?……それがどうした、って?
これが、本日の記事にピッタリの画像なんです。

1/15『コンタクト』という記事をアップしました。
コンタクト
“高度に進化した存在(HEB)”について、ニールさんが神に訊ねました。
今日は、その続きです。
(HEB……Highly evolved beingの略)




HEB 社会の指針となる基本的な原則とは何ですか?

彼らの原則の第一は……。
私たちはすべて一体、一体の中では全てが関連しているということだ。
この原則のもとでは、誰も『自分が最初に手に入れたから』、
『自分の所有だから』、『数が足りないから』、独り占めしようとは思わない。
種のシステムの生きとし生けるもの全ての相互依存性が認識され、
尊重されている。

種のシステムの相互依存性とは、例えば……。
樹木は空中の二酸化炭素を吸収し、気体の中の炭素を利用して
炭水化物を作って成長していく。
一方、気体の中の酸素は樹木から放出される。
樹木の『廃棄物』だね。
『古代の陽光の最後の時間』という本には、
こういうことが上手に書いてある。

人間の方は、生きるために酸素が必要だ。
樹木が大気中にたくさんある二酸化炭素を酸素に変えてくれなければ
人間という種は生き延びられない。
そのかわりに、あなた方は呼吸をして二酸化炭素を吐き出す。
樹木が生き延びるには二酸化炭素が必要だ。
このバランスが判るかね?


もちろんです。
じつにうまくできていますね。

ありがとう。
それでは、バランスを破壊するのはやめてくれないか。


そんな……。
私たちは、樹木を一本切るごとに二本の木を植えていますよ。

そうだね。
その苗が切り倒された古木と同じ酸素をつくるほどの大きさ、
強さに成長するには、ほんの300年もあればいいだろうな。
地球の大気のバランスを維持しているアマゾンの
熱帯雨林に関わる植物の酸素工場を造るには2、3000年はかかる。


どうしてですか?
私たちはどうしてそんなことを続けているんでしょう?

森を切り倒すのは、家畜を飼うためだ。
その家畜を殺して食べるためだ。
熱帯雨林の先住民は家畜を育てる方が、所得が増えると言われたんだ。
その方が、土地の生産性が上がるとね。

だからHEBたちは、種のシステムの
ニーズ全体のバランスを維持する方法を見つけ出した。
システムの、ごく一部の欲求だけを満たすのをやめた。
なぜなら、システムの内のどの種も、システムが破壊されれば
生き延びられないことを知っているからだ。


そんなことは明白ですよね。
泣きたくなるほど明白だ。
ということはHEBの原則からすると、
個人的な所有というのはないってことですか?

あなた方が理解しているような形ではない。
HEBは所有者ではなく管理者なのだよ。
あなた方の言う『所有』という言葉や概念は、HEBの文化にはない。
HEBは所有せず、世話をする。
つまり、ゆだねられたものを大切にし、愛し、面倒をみる。

人類史の初め頃、人間は自分が手に入れたものはすべて、
個人的に所有する権利があると思っていた。
配偶者や子供たち、土地、土地の恵み、
自分の『もの』が獲得した『もの』もまた、自分のものだった。
人類社会は、いまでもこの『所有』という概念に取りつかれている。
今では『空中権』などということまで言いだしている。
遠くから観ているHEBは、『所有の脅迫観念』と呼んでいるよ。

対照的に宇宙のHEBは、自分たちの足元の星は、
誰かが所有できるものではないことをよく知っている。
個々のHEBが、それぞれの社会メカニズムを通して、
土地の一部の管理を委ねられることはある。
土地の管理者として優れていれば、
管理を子孫に引き継ぐことを許される(依頼される)。
だが、いずれかの時点で土地の管理がまずいと判れば、
土地はもう、委ねられなくなる。


ほぅ‼……地球でそんな原則を貫いたら、
世界の産業の半分は資産を放棄しなければなりませんよ。

そして、世界の生態系は
一夜にして劇的に改善されるだろうね。
いいかね。高度に進化した文化では、いわゆる『企業』が、
利益のために土地から収奪することは決して許されない。
企業の所有者や働く人々の生活の質を、
取り返しのつかないほど悪化させることが明白だからだ。
そんなことをしてなんの利益だろうか。


だが、その被害は何年も感じられなくても、
利益の方はすぐその場で実現しますよ。
短期的利益対、長期的損失の問題ということになるんでしょうね。
だが、自分が経験するはずない、遠い先の損失なんか、
誰が気にします?

HEBは気にかけるよ。
もっとも彼らは人類よりもずっと長生きするがね。


どのくらい長生きするんですか?

何倍も。
一部のHEBは永遠に生きる。
あるいは肉体に留まろうと思う間、ずっと生きている。
だからHEBの社会では、それぞれが、
自分の行動の長期的な結果を体験するのがふつうだ。


どうしてそんなに長生きできるんですか?

彼らは大気も水も土地も汚さない。
植物や動物を育てる土地に化学物質を注ぎこんだりしない。
動物自身を化学物質漬けにし、
それから自分の体内に化学物質を取り込むために
その動物を食べたりはしない。
HEBは、それが自殺行為であることをわきまえている。

あなた方の身体は素晴らしい被造物で、
あなたがその気になりさえすれば、
『無限に長持ち』するようにできている。

HEBの心理的行動もあなた方と違っていて、
それが同じように長壽につながる。
つまりHEBは、決して心配しない。
人間の『心配』とか『ストレス』という概念が
どんなものか理解できないだろう。
HEBは決して『憎悪』しないし、
『激怒』や『嫉妬』も感じないしパニックも起こさない。
したがってHEBの体内では、
有害で自滅的な生科学反応も起こらない。


HEBにはどうしてそんなことが可能なんです?
人間も彼らのように感情をコントロールできるんでしょうか?

HEBは、全てのものは完璧であり、
宇宙にはそれ自身のプロセスがあって、
自分たちは、そのプロセスを邪魔しなければいいのだ、
ということを知っている。

人間も感情をコントロールできるが、
できるはずがないと信じている人もいるし、
できると思っても実行しようとしない人もいる。
その努力をしているわずかな人々は長命だ。
ただし、化学物質や大気汚染によって命を落としたり、
さまざまな方法で自分から有害物質を
摂取したりしなければの話だがね。
         『神との対話③』



この本をバイブルのように10年も読み続けて、
毎回のように共感し心打たれて……。
反省だけでSTOPしている、わ・た・し。
『所有の脅迫観念』から卒業できない、わ・た・し。(*´ェ`*)

この話、ま~だまだ、続くんですが、
読めば読むほど、自分が未開の原始人に思えてくるので、
またそのうちに。(^_^ ;)


★『古代の陽光の最後の時間』
著者トム・ハートマン
心理療法によるセラピスト。
ADD(注意力欠乏障害)の国際的な権威者。
ベストセラー作家で世界中を講演。
作家、講演活動前はビジネスマンで、
ボランティアとして飢餓救済の活動に参加。
世界中の先住民の間で生活する体験も。
妻と3人の子供とバーモント州に在住。

問題はなくならないのか

風子のスピ要覧
01 /22 2019
地球③



若い頃は、さまざまな“問題”に悩まされたものです。

自らの生まれ育った環境に始まり、世に溢れる不平等。
金持ちと貧乏人の格差や、役得の有無。
知的、あるいは肉体的なハンディを持って生まれた人々の
運命的な不平等や、世界的な人種差別、格差、搾取、紛争、
飢餓や、自然災害に至るまで……。

そう思って生きる世界は“神も仏もいるものか”に映り、
なんど、やりきれない思いに晒されたことでしょう。
そこに親からの虐待や、学校でのイジメなどが加われば、
子供や若者たちの誰もが『やってられん』と荒んだり、
最悪の場合は心を病んでいくことでしょう。


で……( ̄~ ̄;) あるとき、考えてみました。
世界が完璧だとしたら、どうだろうと。

その住環境は気象もコントロールできる“スーパーエデンの園”。
人々のコミュニケーション手段はテレパシーで、
オーストラリア原住民アボリジニと同じく、秘密という概念がありません。
究極の“オープンマインド”の世界です。
心と言葉


欲しいものはなんでも手に入れられます。(思考が物質化する世界)
やりたくないことはしなくても咎める者はいません。
社会機構の大半はAIに任され、誰もが望む仕事に就けます。
仕事は個人の充足手段であって、趣味や研究に没頭してもOK。

人々は平等で、病気や不安、不幸という状態がなく、
マイノリティを含めて恋愛、結婚、離婚も自由です。
子育てや教育の基盤は“愛に満ちた賢者集団”によって行われ、
毎日だろうが定期だろうが、肉親との交流も自由。
個人の目的意識に沿った人生を選ぶことができるのです。

平均的な寿命は500歳くらい。
『死』という概念はなく、意識の成長レベルに応じて
『卒業』という形のエンディングを選ぶことができます。

そんな世界での親子の会話です。

『この星を卒業したお爺ちゃんって、どこにいるの?』
5歳の坊やが母親に訊ねました。

『お爺ちゃん?……今頃はベガで学生やってるんだって。
お婆ちゃんや、お父さんもベガに憧れてるみたいだけど、
“愛の度数計”によると、あと200年くらいはかかるんだって……』

『ふ~ん』

生活の心配もなく、好きな仕事や趣味に没頭する一方、
隣人との関りで“意識の進化”に努めているんです。(^_^ ;)


(*′☉.̫☉)……うん?
競う相手も評価もない世界ねぇ。
平和すぎて刺激がないような……。
そんな世界に順応できるかしらん?
どう考えても変な気分ですぅ。

!(・。・)……ははぁ~ん。判りました。
日頃から理想ばかり並べてはいますが、
私の意識が、まだまだ原始的なんでしょう。

だって……。
疑問がなくなれば、哲学者はいらなくなります。
もめ事や訴訟がなくなったら、弁護士はやっていけなくなります。
病気がなくなれば、医師もいらなくなります。
不安や不幸、批判や報復というものがなくなり平和だったら、
宗教界はその存在理由がなくなります。

って、ことは……わたし。
何やかや言いながら“神も仏もいるものか”の世界が、
気に入ってるのかも? と思ってしまいます。(×_×;)
皆さんはどうでしょう?
完璧な世界の暮らしに憧れるでしょうか?
その環境に順応できる自信、あります?


で……今一度、現状について深く考えてみました。
今の世界で、さまざまな問題が起きる理由について、です。


なにを隠そう、わたし、根っからの心配性でした。
それは完璧主義がもたらす兆候のひとつなんですが……。

子供の頃から宿題や課題などは完璧に消化しましたし、
約束事や、面倒な用事もパーフェクトにこなしました。
なぜか?
約束を守ることは社会の常識だとしても、
その常識の影に、自らの“自尊心”を満足させられるか否かの、
“不安感”があったのだと思います。

そもそも、この自尊心というのが曲者です。

度が過ぎれば高慢になりますが、
自分を大切に思い、尊重できるという範疇において、
自尊心を満たせば優越感に浸れます。
多くの面で親や担任の教師に褒められ、仲間たちには一目置かれます。
そんな意味での、せこい心配性ですから、
他者からは完璧主義の努力家に観えたでしょうが、
裏返せば、自己顕示欲が強いということなんですねぇ。(^_^ ;)

さらに、なによりも貧乏を怖れました。
子供の頃の貧困生活が身に沁みていたので、
馬車馬のように働いて、できる限り蓄えました。
金銭的なゆとりは、精神安定剤に匹敵することも、
よ~く知っていたわけです。

不安、怖れ、自己顕示欲……。
若いときは特に、そんな波動を出して類が友を呼び、
関わる人の中に同じものを観て(当然ですが)、
腹を立てて(抵抗)いたのだと思います。

歳を重ねて少しは寛容さも身につきましたが、
誰にでもオープンマインドというわけではありません。
言葉にしなくても、心の中ではけっこう批評判断していますし、
相手を小ばかにしたり、腹をたてたり……。
しているんですね。これが。

未だにこの次元ですもん。
そりゃあ、私という人間が発する意識だけでも、
世界は問題だらけになることでしょう。
だから『スーパーエデンの園』みたいな完璧な世界では
居心地が悪くて、生きていけそうにありません。

それなのに“意識とはなにか”ってな、生意気な記事を書き続ける矛盾。
ああ、穴があったら入りたい、って……これも体裁を繕う言葉に過ぎません。
だって『神との対話』を定期的に10年読んでも、
知ってるだけで、具体的には行動していないんです。
しかも、知っていて行動しないのは、
無知よりさらに悪いと、知っているんです。(×_×;)とほほ。




あなた方が選んだから、世界は今のような状態なのだ。

あなた方は毎日四万人が餓死するのを止められないといいながら、
一方では毎日五万人の命を誕生させている。

あなた方は組織的に環境を破壊しておいて、
いわゆる天災を神の残酷な悪戯だ、自然の厳しさだという。
自然ほどやさしいものは他にはない。
そして、自然に対する人間の仕打ちほど残酷なものはない。
それなのにあなた方は手をこまねいて、全責任を否定している。

あなた方は明日、熱帯雨林の破壊を止めることができる。
地球を守るオゾン層の破壊を防止することができる。
地球の精巧な生態系への攻撃を止めようという選択ができる。

同じく明日、全ての戦争を終わらせることができる。
いま必要であり、これまでも必要だったのは、
全員が心をひとつにすることだけだった。
だが、人間同士の殺し合いを終わらせるという、
基本的で単純なことでさえ全員が同意できないのに、
どうして天がこぶしを振り回して、
あなた方の人生に秩序をもたらしてくれるとなどと期待するのか。

あなた方はみんな、根本のところで、強盗に盗みの欲求、
あるいは必要性を起こさせる原因を生み出している。
あなた方のひとりひとりが、
強姦を可能にする意識を生み出している。
あなた方が自らの中に犯罪の原因を見出したとき、
ようやく犯罪の温床となる原因の治療を始めることができる。

あなた方は恐れ、不安に思うものを引き寄せる。
なぜなら感情には物事を引き寄せる力があるからだ。
不安は磁石のように対象を引き寄せる。

思考はエネルギーだ。
エネルギーは似た者同士を引きつけあう。(かたまりをつくる)
似たような『かたまり』がたくさん出会い、ぶつかり、くっつく。
こうして考えられないほど膨大なエネルギーが
『くっつきあうと』物質ができる。

物質は純粋なエネルギーから創られる。
それどころか物質ができるには、それしか方法がない。
エネルギーがいったん物質になれば、反対の、
あるいは似てない形のエネルギーに破壊されない限り、
物質としてとどまる。
この似てないエネルギーは物質に働きかけて、
それを解体し、その物質を創りあげていたエネルギーを放出する。
これが、あなた方の原爆になる理論の初歩的な説明だ。
アインシュタインは、宇宙の創造の秘密を発見し、説明し、
利用するのに、誰よりも近いところにいた。

同じ精神を持った人々が力を合わせれば、
好ましい現実を創り出せるといということを、
あなた方はそろそろそ理解すべきだ。

『神との対話』より



(((ʘ ʘ))ワ~ォ……絶句。

コンタクト

風子のスピ要覧
01 /15 2019
コンタクト



『コンタクト』は、ハリウッドを代表する
アカデミー主演女優ジョディ・フォスター主演のSF映画です。
脚本はカール・セーガン。
アメリカの天文学者であり、SF作家。
元コーネル大学教授、同大学惑星研究所所長。
NASAにおける惑星探査の指導者だそうです。


『私達は何者なのか。なぜ私達はここにいるのか』
そんな幼い頃からの問いの答えを探し求め、
地球外知的生命体を研究する機関で働くエリー(愛称)。
ある日、エリーは宇宙からの有意な電波信号を受信します。

宇宙からの電波信号を解析すると発信先はベガ。
(ベガは“こと座α星”で、地球までの距離は25.05光年)
その信号を解析すると、何かのマシンの設計図が現れます。

マシンとポッドが完成して、エリーが乗り込みます。
稼働するマシンの中心から強烈な光が放たれ、
その中心にエリーを乗せたポッドが落ちていきます。

ポッドはワームホールのようなところを猛スピードで進み、
美しいベガの大都市と光、その上の4つの太陽に驚愕するエリー。
やがてポッドは銀河の外側まで飛んで行きます。

最後にポッドがたどり着いたのは、
エリーが幼い頃父親の為に描いた絵の景色の世界でした。

海岸の向こうから人影が近付いてきて身構えるエリー。
なんと目の前に歩いてきたのは、昔亡くなったはずの父親です。
エリーは驚きながらも冷静な判断力で、それが父親ではなく
地球外生命体からのコンタクトであることに気づきます。



私達は何者なのか。なぜ私達はここにいるのか。
知りたい。なんとしても知りたい。
その欲求は知的好奇心というより脅迫観念に近いものでしたが、
宇宙の広大さや文明の多さ、知的生命体に遭遇したことで、
エリーは人が変わったように穏やかになります。
たぶん、ですが……気がすんだんでしょうね。

ラストシーンで、電波望遠鏡群を見学にきた子ども達を相手に、
エリーはこう話しかけました。
『宇宙はとてつもなく大きい。
地球だけではこの広いスペースが勿体ない』



代表作の『羊たちの沈黙』、『告発の行方』など、
ジョディ・フォスター、いいですよねぇ。
知性派の名演技に惚れ惚れしますぅ。(^_^ ;)

ですが、知的生命体や、宇宙の高度な文明については、
『神との対話』での、ニールと神のやりとりが面白いです。






はっきり教えて下さい。
イエスは『宇宙人』だったのですか?

あなた方はみな『宇宙人』だよ。

どういう意味ですか?

あなた方は、いま自分の星と呼んでいる地球の者ではない。

ちがうんですか?

ちがう。
あなた方を創りあげている遺伝子が、意図的にこの星に置かれたのだ。
ひょっこり現れたのではない。
あなた方の命をかたちづくっている要素は、
生物学的な偶然のプロセスで組み合わされたのではない。
計画があったのだ。
大きなことが進行している。
地球に命を誕生させる10億と1の生化学的な反応が、
すべて偶然に起こったと思うか?
偶然の出来事が運よく続いて、
たまたま幸運な結果になったと考えるのか?


イエスに限らず、地球上には多くの進化した存在がいる。
ブッダ、クリシュナ、モーセ、ババジ、サイババ、
パラマハンサ、ヨガナンダ……。
他にもたくさんいるし、現在でもたくさんいるよ。

全ての霊が地上のものではない。
だが、全ての魂が、ひとつの生涯で自己に目覚めるわけではない。
イエスは目覚めた。
彼は、高度に進化した存在だった。神と呼ぶ人もいる。
彼は目的があって、使命があって、あなた方の元へやってきた。


私たちの魂を救うために?

ある意味ではそうだ。
だが、永遠の地獄からではない。
彼の使命は、本当の自分を知らず、
経験もできない人たちを救うことだったし、今も変わらない。
彼は、あなた方が何者になれるかを、身をもって示そうとした。


するとイエスは、神から来たのではなく、
地球の外から来たんですか?

あなたの間違いは、その二つが別々だと考えることだ。   
人間と神を区別するように、区分けしたがる。
だが、いいかね。区別はないのだ。


ふ~ん。なるほど……。


ふ~ん。なるほど……∵ゞ(´ε`●) ブハッ!!
ニールさんの、この軽さがなんとも愉快です。

この続きで、ニールは熱心に……。
高度に進化した存在の暮らしぶりや、コミュニケーション手段を訊ねます。

長いので、次の機会に……。(^_^ ;)


直観は『魂の耳』

風子のスピ要覧
01 /08 2019
幻想宇宙



突然ですが……。
あなたは『直観』を信じますか?
思考ではなく、ふいに浮かび上がる『知覚』。
第六感ともいわれる、あなたの感性的知覚を、です。

というのも、私たちは誰もが『魂の耳』という便利な機能……。
ある種の超能力を持っているようなんです。
例えば創作や思考などの過程で瞬間的に浮かぶ考えを
インスピレーションといいますが、日本語なら『勘』。
手掛りなしで現れる適切な見当であり、
動作や意志過程に出現する『勘、閃き』などは、
私たちに備わっている“魂の耳”を澄ませたときに
得られる特種能力のようですよ。


そのひとつの例ですが……。
知人に、四肢麻痺で寝たきりの男性(現在65歳)がいます。

山梨県のスキー場で家族経営のペンションを営んでいたのですが、
ある夜、同業の友人に誘われ飲み会に出かけたそうです。
その会場は長い階段を登った先のペンションだったのですが、
その階段を登り切る直前、足を滑らせて落下(足場凍結)
運悪く除雪機の上に落下して頸椎を損傷……。
四肢麻痺になってしまいました。

その後、ペンション経営を諦めて大阪に戻り、寝たきりの生活が15年。
つきっきりの介護をしていた奥様が股関節の手術をしたことで、
シルバー人材センターに家事援助の依頼があり、
1年ほどの期間、私が担当することになりました。

『奇妙な話ですが、あの時、声に従ってたら……』

週1回ペースで訪問するようになってひと月が過ぎた頃、
彼が、拭き掃除をしている私に愚痴りました。
もともと鍼灸師になることが夢だったようで、
(2人の息子は、それぞれ理学療法士、柔道整復師)
私のプロフィールが気に入ったのか、よく雑談するようになっていたんです。

『声って?‥‥』

『出かけようとしたとき、行くな!と、頭の中で声がしたんです。
けど、錯覚に思えて……それを無視して出かけたんです。』

『ですか……(´-﹏-`;)……守護霊ちゃんかも、ですよねぇ』

事故以来、彼は医療従事者を頼ってあらゆる治療法を模索。
今でこそips細胞で脊髄神経の再生が試みられていますが、
時の経過とともに透析の必要にも迫られ、回復の望みは絶たれています。

もしも『行くな!』という声に“魂の耳”を傾けていたら……。
あるいは、人生は違っていたかもしれません。
彼の場合も“ただの錯覚”だと、顕在意識の自分を信じてしまったんですねぇ。
予兆、予感、虫の知らせなどは気のせいではなく、
目には見えない存在からの“通信”だと、私は確信しています。


さて、さらに唐突ですが……。
あなたは亡くなったはずの肉親や友人を見た、
あるいは感じたことがあるでしょうか?

わたし?
過去記事にも書いたように、母や父、
亡くなる直前の同僚や、知人との不可思議な接触があります。
愛人

これらの現象について、ニール・ドナルド・ウォルシュ著
『神との対話』には、次のように表現されています。




『死者と話したいと頼むのはかまわないんですか…。』

あるとき、ニールが神に訊ねます。

『というのは……。
知り合いの女性が、瀕死の夫を看病しているとき、
こう頼んだそうです。
どうしても逝ってしまうのなら、
お願いだから帰ってきて大丈夫だよと知らせてね……。
夫は、そうすると約束し、二日後に亡くなりました。
それから一週間もしないある夜、目覚めた彼女は、
誰かがベッドの自分の傍に立っていると感じたんです。
目を開けてみると、誓ってもいい。
そこに夫がいたというんですよ。
ベッドの足元の方に座って微笑みかけていたそうです。
でも、瞬きをしてもう一度見ると、夫は消えていた。
後になってその話をした彼女は、きっと幻を見たのね、
と言っていました。』

その現象について、神が応えました。

あなた方には六つの感覚がある。
『嗅覚』『味覚』『触覚』『視覚』『聴覚』…そして『知覚』だ。
『直観』は、『知覚』に含まれる。
『直観』とは心に、魂にはあるもので、精神には存在しない。
『魂』だけが、命のかすかな振動を聞き分け、エネルギーを感じ、
波動を意識して、それを解釈する繊細なツールを持っている。

だから、亡くなった夫を見たという
妻の感覚とは裏腹に、それを撤回するのはよくあることだ。
反論のしようのない、
はっきりとした徴を受け取っているのに無視してしまう。

この世であなたを愛していた者の魂は、
あなたの霊のフィールドに小さなトラブルや乱れが生じたとたん

引き付けられ、引き寄せられて飛んでくる。
新しい世界で得られる可能性について知れば、
彼らはまず愛する者を助けよう、慰めようとする。
だからあなたも本当に彼らに対して心を開いていれば、
そばに来て慰めてくれるのを感じるはずだ。

この本についても同じことだよ。
イエスの復活を疑ったトマスと同じで、見て、感じて、
触れなければ信じようとしない。
だが、あなた方が知りたいことは、見ることも感じることも
触れることもできない別の領域のことだから。
あなたがたは、そこに向かって開かれていない。
まだ用意ができていない。
だが、焦らなくていい。
生徒の準備ができたとき、教師が現れるのだから。



私たちは、み~んな『魂の耳』を媒体とした直観を持っています。
この直観、静寂な環境において脳が思考活動を停止したとき……。
“ボ~”としているときに発揮されるんですねぇ。
脳をつくる

1日に1~2時間くらいはテレビ、スマホ、パソコンなどから離れ、
一人きりの静寂な時間を持つこと……お勧めです。
あなたの中の“超能力”を目覚めさせるために……。(^_^ ;)


集合意識

風子のスピ要覧
12 /20 2018
アース



過去に『マトリックス』という記事を書きました。
マトリックス

映画『マトリックス』では、バーチャルリアリティ……。
いわゆる仮想現実のことをマトリックスと呼んでいます。
このアイディアは哲学における仮説、
『水槽の中の脳』がベースになっているようです。

★水槽の中の脳(Wikipediaより)

ある科学者が人から脳を取り出し、
脳が死なないような成分の培養液で満たした水槽に入れる。
脳の神経細胞に電極を通して、
脳波を操作できる高性能なコンピュータにつなぐ。
意識は脳の活動によって生じるから、
水槽の脳はコンピューターの操作で通常の人と同じような意識が生じる。
われわれが現実に存在すると思っている世界は、
実はこのような水槽の中の脳が見ている仮想現実かもしれない。
世界がバーチャルリアリティーであることは論理的に否定できない。

とは言うものの『水槽の中の脳』という思考実験の結論は、
何が真の世界なのかを知る手段が人間には与えられていない、
というものでした。


映画『マトリックス』の世界の住人は、
後頭部に挿されたプラグから電気信号を流され、
知らないうちに仮想現実の中で生かされ続けています。
やがて主人公のネオが目覚め、人類最後の現実世界
『ザイオン』を死守するために敵と戦います。

ネオが寝椅子に座ってPCと繋がった頭部の電極を、
抜き差しするシーンで、思わず想像したものです。
目覚めて電極を抜いている自分もまた、
仮想現実だったら?…… なんてね。(^_^ ;)


さ~て、映画『マトリックス』のシリーズは、
見るたびに『神との対話』の関連ページを思い出させます。


人々の間の気(エーテル)は、エネルギーに満たされている。
からみあい、混じり合う人々の『振動の総体』マトリックスは、
想像も及ばないほど複雑なタペストリーを織り上げている。
あなた方の心理学では、このマトリックスを『集合意識』という。
それは戦争や平和、物理学的な変動、鎮静、病気の流行、
世界的な幸せなど、地球上のすべてに影響する。
戦争にも平和にも、地球物理学的な変動にも鎮静にも、
病気の流行にも、世界的な幸せにも。
全ては、意識の結果だ。

思考も、似た者同士がマトリックスに沿って惹かれ合う。
似たエネルギーが大量に集まると『固まりあい』、
重くなって振動数が低下し、物質になる。
思考は、物理的なかたちを創造する。
大勢の人が同じことを考えれば、
現実を形づくる可能性が極めて高くなる。
だから『祈り』などは力強い声明になる。
一致した祈りの効果については、
一冊の本ができるほどの証拠がある。

また祈りとはほど遠い思考も『効果』をもたらす。
世界中が不安や怒り、なにかが足りないという思考、
不満の意識を持っていると世界中で、あるいは、
その集合意識が最も強い所で、その経験が創造される。




余談ですが、映画『マトリックス』を見て、
脚本家や、監督のプロフィルに興味を持ちました。

この映画の制作はウォシャウスキー兄弟でしたが、
後に2人とも性転換してウォシャウスキー姉妹になったという、
変わった経歴の脚本家/監督だったんです。

そのウォシャウスキー兄弟の二作目が『クラウドアトラス』。
500年という時間軸で6人の主人公が織りなす6つのドラマ。
この映画のキーワードは『生まれ変わり』です。

時と場所を越えて同じ人間が何度も転生。
善悪の間を揺れ動きながら生きて行く話ですが、
同じ俳優が異なる時代の異なる人間を演じ、
しかもストーリー毎に主人公もドラマのテイストも変わる。
また、それらが全て同時進行する壮大な作品だけに、
映像化は不可能といわれていた原案が映画化されました。
個人的に大好きなトム・ハンクスが、
若き弁護士ユーイングを演じます。(^_^ ;)

そのユーイング。
輪廻を重ねても、そう簡単に善人にはなりません。
人間関係といっても無数のパターンがあることはもちろん、
あらゆる体験が必要なんだと、改めて感じさせられる映画です。

輪廻転生はあるのか?
過去、現在、未来とは何なのか?
パラレルワードとは?

誰も知らない『宇宙の真実』を、
『ふ~ん…』ってな感じで、
自分なりに知っておくことも楽しいかも、です。

クラウドアトラス



地球ではこういう格言があります。
「見ることは信じること」。
しかし実は、
「信じることは見ること」
であり、逆なのです。

自分の感情、観念、そして
思考パターンを変えたとき、
その瞬間から自分自身が体験
する「現実」も変わります。
          バシャール



根となる思考

風子のスピ要覧
12 /06 2018
            一億円


今さらですが、カルロス・ゴーン氏、逮捕されましたねぇ。
その報酬たるや、日産から10億9800万円。(H28年)
会長を務める三菱自動車から2億2700万円、
会長兼CEOを務める仏ルノーから約9億5000万円、
つまり3社で総額約22億円……(((ʘ ʘ))。

庶民としては唖然とする報酬でしたし、
さらに脱税を試みるって“貪欲、どんだけぇ!”ですよね。

ですがゴーン氏事件は、今さらの感を拭えません。

2016年に「パナマ文書」が問題になりましたが、
タックスヘイブン(租税回避地)を利用する
世界の指導者や企業の税逃れでは、まるで映画のような刺客まで横行。
それを暴こうとする女性ジャーナリストが殺害され、
『国境なき記者団』などが、その意思を引き継いで活動していますし。

もっとも、金を巡る世界は矛盾に満ちています。
本当の意味で人のために役に立つ仕事をしている人々……。
教師や、指導者、病気治療の研究者などは薄給なのに、
スポ―ツや芸能のスター、タレントたちには
大金が支払われています。

たとえばスポーツ選手の年収……。

クリスティアーノ・ロナウド (サッカー) 約88億円
リオネル・メッシ (サッカー)      約81億円
レブロン・ジェームズ (バスケ)     約77億円
ロジャー・フェデラー (テニス)     約68億円
錦織圭選手(テニス)           約38億円
田中将大選手 (野球)          約25億円

だそうで、(((ʘ ʘ))どひゃあ!…ですよね。

ですが、リッチな人々は更なるリッチさを求めますし、
平均的な庶民や、貧困にあえぐ人々なら尚更ですよね。


それにしても世界はなぜ、金、金、金なんでしょう。
皆さんは考えたこと、ありますか?

(*′☉.̫☉)えっ? わたし?
ありますとも……。
なんてったって“ふつうのオバちゃん”ですから。
『お金は強力な精神安定剤だなぁ』……。
人生で何度か、そう思ったこともありますよ。

生活費のレベルで不安を感じると、平常心ではいられません。
『今日の食べ物さえ買えれば、明日は明日の風が……』なんて、
現代では、そんな悠長な気分にはなれませんよね。

たいていの人は勤勉に働いて貯蓄をします。
贅沢するお金じゃないんですよ。
子育てしながらマイホームを手に入れ、
ローンを払いながら怪我や、まさかの病気に備え、
子供の進学費用を準備し、老後の資金作りなど、
イザというときのために最小限、必要な蓄えです。

だから各界スターの法外な報酬を含めて、汚職や、税逃れ、
税金の無駄遣いなど、ニュースを見るたびに腹がたちます。(^_^ ;)
まして世界レベルのトップ政治家たち……。
シューさん、トラさん、プーさんニュースにもうんざり。
彼らの富と権力への執着レベルを思えば、
庶民の細やかな欲求なんて、可愛いものです。

わたしは悪くない。
わたしは、それほど欲深くはない。
最小限の暮しを守ってどこが悪い。
欲が無くなったら人間終わり。
欲こそが努力や忍耐に繋がる。
金があれば、社会の役に立つことができる。
10億も稼げたら、私なら恵まれない人々に分け与える。
いくら?……5億? 8億?
まぁ……最低1億は手元に蓄えるとしよう。

(*′☉.̫☉)おっと、と! 
こんなふうに自己弁護する私って、ずるいかも。
他者への“批評判断”をすることで、
自らの欲求を正当化しようなんて……(^_^ ;)


( ̄~ ̄;) ……判っているんです。

金が足りない、
時間が足りない、
愛が足りない、
食べ物が、
水が、
世界に同情が足りない、
良いものはすべて足りない。

私たちの“根となる思考”が、
今のような世界を創りあげている……と。


以降、『神との対話』の著者ニール氏が失敗続きの人生を愚痴り、
神が、その対策をアドバイスするシーンです。

『わたし』という言葉は、
創造というエンジンをスタートさせるキーだ。
『わたし』という言葉は、物理的な現実を生じさせる。

あなたが成功したい、金が欲しいと言い、そのように行動すると、
あなたは確実に、『欲しい』という状態を経験する。
ある考えを何十回、何百回、何千回も繰り返したとしたら、
そのとおりに表される。

人生で何かを経験したければ、
それを『欲しい』と思ってはいけない。
それを選びなさい。

あなたは世間的な成功を選ぶのか?
もっとたくさんの金を選ぶのか?
よろしい。では、それを選びなさい。
生半可な気持ちではなく、実際に思いきり選びなさい。

だが、あなたの発達段階であれば、
『世間的な成功』にはもう関心がなくなっていても
不思議ではないのだがね。

どの魂にも、本質的ないのちの成長に、
世間的な成功の達成ではなく、
自己の実現に主要な関心を持つ発達段階が訪れる。


★ここでの自己実現
自分が何者であるかを思い出し、魂レベルの自分を創造すること。


!(・。・) 『引き寄せの法則』って、
ここんところのパクリかも? ですね。(^_^ ;)
ともあれ、『根となる思考』の集合意識が、
金、金、金の拝金主義世界を創っているんですねぇ。

ですが良くも悪くも、私たちは“ひとつ”……。
ああだ、こうだと他者の価値観を判断するより
まずは“自分の中にあるもの”を認め、
少しづつでも自分を創り直すしかありません。

本当は、どうなりたいのか。
お金であれば、どれくらい必要なのか。

考えがまとまったら(思考)、
すでに、そうなっていることを感謝して言葉に(有言実行)。
そのように振る舞う。

しつこいですが、なりたいのではなく、“すでになっている”。
それがカギのようですよ。(^_^ ;)
ビッグマン → 二足のわらじ


二十代の頃より10倍金持ちになったという
六十代の人間を見つけることは簡単だ。
だが、そのうちのだれもが
10倍幸せになったとは言わないはずだ。   
              バーナード・ショー

金持ちがどんなにその富を自慢しているとしても、
彼がその富をどんなふうに使うかが判るまで、
彼をほめてはいけない。
               ソクラテス




なぜ生まれたのか

風子のスピ要覧
11 /27 2018
胎児 宇宙


あるとき、ニールが神に訊ねます。

『なんのために、この世に生きているのですか?』

それに対し神が答えます。

魂は、体験をしたがっている。
自分が寛大であると知っていても、
寛大さを示す何かをしなければ、概念にすぎない。
親切であることを知っていても、
誰かに親切にしなければ、自意識があるだけだ。
自己についての偉大な概念を、偉大な体験に変えたい、
それが魂の唯一の望みだ。

はじめにあったのは、『存在のすべて』、それだけだった。
その、『存在のすべて』は、自分自身が何かを知ることはできない。
なぜなら、あるのは『存在のすべて』だけで、他には何もないから。
他になにかがなければ、『存在のすべて』は、
裏返せば『無』と同じだった。

これが、時の始めから神話が語り続けてきた、
『すべてであって/無である』ということだ。

『存在のすべて』が知っていることはただひとつ、
『他には何もない』ということだけだった。
外側に比較対照するものがなければ、
いつまでも自らを知ることはできない。

このエネルギー……。
純粋な、見えず、聞こえず、観察できず、
したがって他のだれも知り得ないエネルギーは、
自分の素晴らしさを体験しようとした。

一部は全体よりも小さい。
それなら自分を分割すれば、残る全体を振り返って、
素晴らしさを知ることができるだろう。

『存在のすべて』は、自分を分割した。
見えるもの、見えないものを含めて、
現在存在する全てのものを純粋なエネルギーから創り出した。
物理的な宇宙だけでなく、形而上的な宇宙も創り出された。
わたしでない部分はさらに爆発して、無数の小さい部分になった。
このエネルギーのひとつ、ひとつが、
あなた方が『霊(いのち)』と呼ぶものである。

この内側からの爆発(ビッグバン)が起こったとき、
神は相対性という自分への偉大な贈り物を創造した。
純粋な愛である自分を知るためには、
対照となる正反対のものが存在する必要があった。
そこで神は、愛の絶対的対極にあるもの、
愛ではないあらゆるものを創りあげた。
それが現在、『不安』と呼ばれるものだ。

愛と、その対極……。
この二元性が、人間のさまざまな神話でいわれる悪の誕生、
アダムの堕落、悪魔の反抗、善悪、光と闇のシナリオになった。
この神話は、人間が深いところで気づいてはいても、
頭では把握しきれなかった宇宙的な出来事を、
自分たちなりに理解して語ろうとする人類の昔の試みだった。
神話は、究極の現実にそう遠くはない。
             『神との対話 ①』より



内側からの爆発(ビッグバン)が起こったとき……。
20年前、この一節に、思考が固まりました。
『ビッグバン』 = この世の始まり が、です。
しかも……。
純粋な、見えず、聞こえず、観察できず、
他のだれも知り得ないエネルギーって、
最先端宇宙物理学での『量子』ですもんね。
量子かもしれない、その『存在のすべて』が、
自分の素晴らしさを体験したかった、って?
ここんところを何十回も読んでは、( ̄~ ̄;)…(。・?_?・。)ムゥ。
1年ほど、思考回路はエンスト状態でした。


!(・。・)!そうなんです。
ここんところが理解の正念場。
天下分け目の……じゃなくて、肯定か猜疑心か、
その判断が分かれ道の宇宙誕生説のように感じていました。

で……そこんところを、
『ふ~ん』で通り過ぎることにしました。(笑)

その後、『神との対話①~➂』を10年ほど繰り返して読みました。
『ビッグバン』 = この世の始まり……以外は、
パーフェクトに納得できましたから。


ちなみに今も、『ふ~ん』の部分は払拭されてはいません。
素粒子…とくに量子なんて、ほとんど解明されていませんし、
ニールのように、アカシックレコードを読む機会も与えられていませんので、
そこに拘ると、膨大な時間を浪費することになるだけですから。(笑)

この本、表現は易しいですが内容は高度です。
それでも、既存の悟り系書物よりははるかに解りやすく、
一般大衆向きに書かれていると思います。
一度や二度、誰もが持つ人智学的な疑問はもとより、
化学、物理、医学、教育、芸術、社会など、
あらゆる分野を網羅した“智慧書”でもあるような……。


さて、なんのために生まれたのか。
皆さんはどんな答えをもっているでしょう?

(*′☉.̫☉)えっ!…まずは私?

愛し愛され、殺し殺され、裏切り裏切られ、善を施し施され、
共感し、抗い、虐げ虐げられ、依存し依存され、etc……。
自分と他者の感情の、全てを体験するためだと思います。
図らずも、自分で選んだシーン、思い出しましたし…(笑)


人は皆、成就や幸福を探し求めて、
それぞれ違う道を歩みます。
誰かが人とは違う道を歩んでいるからといって、
彼らが道に迷っているわけではありません。
               ダライ・ラマ


風子

1952年、愛媛県生まれ。
子供時代は予知夢をみるような、ちょっと変わった子供。

40歳の頃、神秘体験をきっかけに精神世界を放浪。
それまでの人生観、価値観、死生感などが一新する。
結果、猛烈営業マンから一転、43歳で鍼灸師に転向。
予防医学的な鍼灸施術と、カウンセリングに打ち込む。

2001年 アマチュアカメラマンの夫と、信州の小川村に移住。晴耕雨読の日々を夢見るが、過疎化の村の医療事情を知り、送迎つきの鍼灸院を営むことに。

2004年 NHKテレビ「達人に学ぶ田舎暮らし心得」取材。

2006年 名古屋テレビ「あこがれの田舎暮らし」取材。

2006年 信越テレビ「すばらしき夫婦」取材。
      
2008年 テレビ信州「鹿島ダイヤモンド槍を追え」取材。

2012年 12年の田舎暮らしにピリオドを打ち大阪に戻る。