自分の割り切り力は信用しない
年金に関して、こんな主張があります。
国民年金を満額受給しても生活保護以下。
だから年金など払わずに、生活保護を受けたほうがいい。
確かに、国民年金と生活保護の金額を比較するとその通り。
高齢になったら働けと言われることもないでしょう。
一定の収入、資産、仕送り等がなければ、生活保護が受けられるはず。
だったら真面目に年金など払わずに、将来困ったら生活保護に頼ると割り切ってしまえばいい。
実に論理的な主張です。
しかし、論理的に正しいことと、割り切れることは別問題。
論理的に正しければ、必ず割り切れるとは言えません。
さすがに生活保護を受けていることで、露骨に人権侵害されることはないでしょう。
でも、定期的に担当者が家庭訪問に来たり、家族に扶養の依頼がいったり、病院で別の保険証を出したり。
それは果たして平気なのでしょうか?
意外と大丈夫かもしれないし、そうじゃないかもしれません。
実際にそういう場面になってみないと、自分の感情がどう反応するかってなかなか読めません。
あまり自分の割り切り力を信頼しないほうがいいと思っています。
僕も過去に割り切り力を過信して失敗した経験があって。
大学生の時点で、自分が仕事ができないことは薄々分かっていました。
しかし、仮に仕事がダメでも給与は貰えるし、そこまでヒドい仕打ちを受けることもないんだから、気にしなければいいと考えていました。
これも論理的に正しい主張ですが、仕事ができないことがこんなにも辛く感じるってことが分かっていませんでした。
完全に舐めてました・・・
他にも、割り切ってしまえば今が楽しく生きられるみたいなことができます。
病気になったら諦めて死ぬだけだから、好き勝手に生活するとかもそうでしょう。
過去に痛い目を見ているので、割り切り力には慎重でありたいと思います。