コント:ポール君とグレッグ君(2014年第6弾)

マンキューがクルーグマンのブログポストに概ね同意しつつも批判している。

ポール君
ジェームズ・スロウィッキーが重要なことを言っている:もし、誰もがまともな暮らしを送っている社会を望むならば、誰もがまともな暮らしを送っている社会を作るべきだ――誰もが裕福な有名人のライフスタイルを送れる僅かなチャンスを平等に持っている社会ではなく。といっても、今の我々は後者の社会からも程遠い。裕福になれるかどうかを決める最も重要な要因は、どの親の元に生まれるかだ:大抵の人々の社会的経済的地位の終点は、出発点とさして変わらない。たとえそうでなくても、梯子を上る人の数は下りる人の数に等しい。誰もが下方向に移動する可能性があるのだから、社会の移動可能性は、セーフティネットを強化すべしという主張を実はほぼ確実に補強する。一番うまくいった場合でも、ホレイショ・アルジャーのような成功譚は一握りの人が味わうに過ぎない。社会の質は、他のすべての人々がどうなるかによって決まる。
グレッグ君
ポール君の直近のブログポストの主旨に賛成だ。社会の典型的な個人の厚生を考える際は、所得階層間の移動可能性よりは所得格差の方がより重要だ。ただ、次の文は正しくないと思う:

 裕福になれるかどうかを決める最も重要な要因は、どの親の元に生まれるかだ:大抵の人々の社会的経済的地位の終点は、出発点とさして変わらない。

移動可能性に関する最近の論文によると、親の所得順位と子供の所得順位の相関は約0.3だ*1。ということは、99パーセンタイルにいるならば(良く言挙げされる上位1%だ)、子供は65パーセンタイルにいる可能性が最も高い、ということになる*2。僕に言わせれば、それは平均回帰の傾向だね。金銭面で成功した親たちに、子供に財産を残したい、という強い動機付けがあるのもそれが理由だ。彼らは世代間の消費を平滑化しているんだ。

*1:cf. ここ。

*2:相関係数が回帰係数に等しい(∵説明変数と被説明変数の標準偏差が等しい)として、(x-50)=0.3*(99-50)をxについて解いたものと思われる。