◎【創価学会の正義その㉘;「人間革命」に学ぶー『権力の魔性』その3】(再掲)いかがでしょうか? <人間革命> 第9巻 展開 民衆の平和と幸福のためになるのであれば、どんな政治形態であっても差し支えないだろう。彼は、政治形態を批判していたのではない。政治そのものに巣くう魔力が、問題の焦点であった。それは、政治権力を握った者、政治家の内にこそ潜んでいることは理の当然である。魔は、自由主義体制や社会主義体制に潜んでいるのではない。それらを支えている政治家、その人間の内部に巣くう魔の力が、それらの体制をむしばんでいることを、彼は問題の帰結としたのである。 すべての人間は、十界を具しているとする仏法の真理に照らす時、魔の正体は初めて明らかになる。政治権力の魔性も、人間生命に焦点を合わせた時、発生の根拠を初めて知ることができる。 世間の人びとは、この事実に全く気づいてはいない。そればかりでなく、仏法の原理をもって迫っても、耳さえ貸そうとしない。そして、今も権力をめぐる争いのなかで、多くの民衆は、いたずらに犠牲となっているだけだ。これ以上の人類の愚行はないはずだ。しかも、愚行の歴史は数千年にわたっている。 彼は、立正安国の大事業たるゆえんを、思い返した。そして、この大事業の責任の重さと至難さとを、孤独の心に、いやでも自覚し、自らに鞭打っていたのである。 <人間革命> 第10巻 展望 339ページ 「広宣流布というのは、人類の生命の土壌を深く耕し、豊かな実りある土壌に変えることにある。その土壌のなかから、人びとの幸福と平和に寄与できる人材を、あらゆる分野に輩出していくのだ。 広宣流布の戦いは、どこまでいっても信心が根本であり、そして、人間に的がある。一人の人間における偉大な人間革命を、終始一貫、問題にしなければならない。それでこそ、あらゆる分野での、新たな開花が期待できる。 政治改革といったって、人間革命という画竜点睛を欠いたら、何一つ変わるものではない。歴史を振り返ればわかることだ。 今度の戦いだって、まだ序の口の序の口だが、立派な政治家らしい政治家を、この土壌のなかから育てなければならぬということに目標を定めて、妙法を持った同志を推薦して取りかかった仕事だ。政治の分野にも、真の政治家を育成することが、これからの課題となってきたところだよ」 「そうですね。今回推薦して当選した人が、なんとしても立派な政治家として育ち、政治の分野で大いに活躍してほしいですね」「そうだ、当選した者が、民衆のために、国家のために、人類のために、いかに嵐を受けながら、奔走するかだ。それを、皆で激励し、見守っていきたい」「わかりました。そうした人材を、数多く輩出していくには、長い時間が必要ですね」「その通り。しかし、手をこまぬいていては、いつまでも人材は育たない。その第一歩として、今度のような支援活動をやった。しかし、その広宣流布の道程が、いかに険難であるかを、思い知らされたような気がする。伸ちゃん、現実は修羅場であり、戦場だな。社会の泥沼には、権力闘争が渦巻いている。そのなかで妙法の政治家を育てていくんだから、相当の覚悟が必要だ。まず、権力の魔性と対決することになる」「確かに、その通りです。オーストリアの作家シュテファン・ツヴァイクが、『権力にはメドゥーザの眼光がある』と書いている通りですね」伸一の語った〝メドゥーザの眼光〟というのは、ギリシャ神話に出てくる物語で、メドゥーザという女神の顔を見た者は、目を外すことができず、石と化してしまう話である。権力の魔性に遭って、将来ある妙法の政治家が、石と化してはかなわない。 思いめぐらして、戸田は、つぶやくように言った。 「この権力の魔性という怪物は、信心の利剣でしか打ち破れないんだ。それは、権力を生み出す社会の仕組みもさることながら、深く人間の生命の魔性に発しているからだ。この見えざる『魔』に勝つものは、『仏』しかないからだよ」