音楽を楽しむ方法、について 最近、芸人青木マッチョ氏と彼が大好きなグラドル風吹ケイ氏のデート企画動画を見たのですが、「好きなのに事情で付き合えないもどかしさ」という要素がノスタルジックに感銘を受けました。 恋愛バラエティ(ドラマ、映画等)にはもう1つパターンがありまして、それは「付き合えてはいるが、波乱を乗り越える」です。 では、この「好き」という気持ちを趣味の分野で置き換えるなら、エンタ化できるのは、ほぼ「現状、後者しかない」と思います。 これは吹奏楽漫画に限らずスポ根ものでも、「野球マンガ、主人公は野球部員。つまり、好きなことが」「もうできちゃっている」というのが現実に即しているので、ではそこから人が欲するものは「レギュラーになりたい、ピッチャーになりたい、甲子園に出たい」と、ヒエラルキー内の上を目指す、以外に楽しみは見付けづらいと思います。 それで思うのは、吹奏楽部員とか子供に、 ・ 賞に拘らず、音楽を楽しめ と言ったとて、それはグルメに向かって、 ・ 旨さに拘らず、戦時中戦後直後を想像し、空腹から満腹になる真の快楽を体感せよ と言っているようなナンセンスさではないでしょうか? 質問 もう「好き」な音楽が「できちゃっている」子供に向けて、 ・ 賞(もしくは部内のヒエラルキー)に拘らず、音楽を楽しめ と言ったとて、その「音楽の楽しみ」とは何で、どのように言えば刺さると思いますか? 「上手くなること」みたいなことを言った瞬間に、「上手くなったことが自己満足の錯覚でない証に、賞を取らねば(上に行かねば)」に直結するようにも思いますが…