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ショパンコンクールとグローバリズムの疑念について。 思うところが多々あり、以下、Fantasyのように色々広げますが、長文失礼します。 今年、ショパンコンクール2025が開催されていますが、コンテスタントを通過させる上で、前回のショパンコンクール予備予選の時からうっすらと感じていた、グローバリズムへの波が更に来ている様に感じ、投稿します。 ポーランドは、フランスなどのヨーロッパ・欧米諸国の移民移民で経済が他民族に侵されてしまった惨状とは無縁で、2025年のGDPは最高値、当然自国通貨の価値も右肩上がりで、自立したナショナリズムを立派に保っています。 そんな中でショパンコンクールに於いては、かつての、良い意味で伝統に則った選出ではないな、、と。 著しく中国国籍のコンテスタントが多いと、予備予選通過者を発表する際にコンクールサイドが語っていたのは記憶に新しいですが、これは、中国の情操教育規範や、芸術家への育成・支援環境などが、経済面からしても他国と比べて非常にふくよかである事が大きな理由の一つな訳です。でも、予選通過する国籍も、圧倒的に中国人が多い事に眉を顰める次第です。 エントリーしたコンテスタントの母数が多いのだから、当然そうなるだろう、と思われがちですが、いわゆるコンクール弾きと言われるような、何事にも喜怒哀楽はっきりで、急激なダイナミズムを提示し、強弱レンジをオーバーに展開するのみで、叙情性やBuild upの緻密さや豊かな感受性を備えていない、様々なアイデアを打ち出してこない、または持ち合わせているようには到底思えない中国国籍のコンテスタント陣を通過させるような向きがあるのです。 更に、使用ピアノについても、Steinway、Shigeru Kawaiの2社のうちのどちらかをパートナーに選んだコンテスタントの通過率が高い事から、まるで、「中国人優位ですが、上記いづれかのピアノで挑んだコンテスタントであれば、余程奇怪な事をしでかさない限りは次へと通過させますよ」という流れがある気がしてならないのです。 KAWAIは勿論、日本を代表するメーカーな訳ですが、今売り手市場の母体を中国にフォーカスしました。中国の富裕層とがっちり手を繋いで行く事となりましたから、セールス戦略として大いに正しいとは思いますし、シェアを拡大していく上で大変有益だとも思います。 ただ、今回特に、Shigeru Kawaiの【Shigeru Kawaiらしさ】があまり見当たらないような気がしていて、具体的に言うと、高音域の真珠の輝きのようなくぐもった特徴的な美しい響きが聴こえてこないのです。 よく言えば、色んな意味でくっきりはっきりした高音になってしまった、というか。 もしや、中国が望む音色を優先し、中国寄りに作ることで刷新したのでしょうか、、 上記メーカーとの何らかの癒着、利権、中国からの圧力などが、コンクールサイドに(Jury陣に)かかっているのではないかというのが私見です。 Yamahaも勿論、海外に幅広く展開していますが、Yamahaを【選んでしまった】日本国籍を含む諸国のコンテスタントは、上記理由から大きく逸れる為、基本的には次には進めませんよ。という構図が透けて見える気がしています。通過率の参考動画です↓ https://youtu.be/8h53fmfQkDA?t=201 また、最下部に2次予選通過者40名の国籍と使用楽器一覧です。 Yamahaを選んで2次に進めたのは、韓国籍のコンテスタントただ1名。9名→1名なのです。 それぞれのメーカーに短所は存在しますので、これは流石にあからさまと言わざるを得ないかと、、 グローバリゼーション自体は禁忌すべきことではなく、この国際コンクールに於いて、全世界のあらゆる国籍の方々がワルシャワに集い、自身の想うショパニズムを表現し、またその音楽を味わい合う事こそ、素晴らしい事だと思います。 が、特定の国のコンテスタントや特定のピアノのみでカラーリングされてしまうのは、やはりアンフェアだなと思う所存です。 長々すみません。 ここまでお読みになられて、ここ近年のショパンコンクールのグローバリズムの疑念について、皆さんはどのように感じますか? 気のせいだ、何も感じない、穿った見方だ、と思われますか? どの様な角度からでも構いません。 長文大歓迎です。回答下さいませ。 窓

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ピアノ、キーボード | クラシック1,244閲覧xmlns="http://www.w3.org/2000/svg">500

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回答(8件)

コンクールはピアニストのためのものであって、ピアノ会社の競争の場になってはいけないと思います。ところが実際にはいろいろ取引があって、Sなら入賞後CDデビューさせてもらえるとかがあります。参加者の国籍については母数が大きい中国人が多いのは当然ですが、唯一例外だったのは2010年大会。この時のファイナリストにはアジア人は皆無でした。2010年といえばショパン生誕200年という記念すべき大会。どうしても欧州人を優勝させたかったのでしょう。2005年も2015年も、アジア人はファイナリストの常連だったのを見ても、2010年は異常でした。その代わりと言っては何ですが、優勝者はヤマハを使っています。 中国人の演奏傾向については、ジュニア・ショパンコンクールでも、そういうダイナミックな演奏をした中国人が優勝できなかったら、親が抗議したということもありました。 ということで、コンクールそのものが音楽から離れて商業主義に毒されている気がします。その点アマチュアのコンクールはそんなしがらみがなく、演奏される作曲家も多岐にわたるので楽しめます。

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欧州や米国の若者で幼少期からピアノを習い、ピアニストを目指す人口はかなり減っていると思います。日本も同じ傾向でしょう。 中国系コンテスタントのレベルがとても高いのには驚かされます。わたしは、一次予選通過者選考結果を見ると中国系コンテスタントについてはバランス上、数減らしのバイアスが掛かったように感じます。逆に開催国ポーランド人が多いのは仕方ないのかなと思います。個人的な意見です。 日本人のKKさんが落選したのは本当に残念です。YでなくSを選んだらどうだったのだろうかと考えてしまいます。

平成の初めころは、3次に進んだ15人のうち7人が日本人だったりして、ジャパンマネーが動いたに決まっている という人が沢山いたりしましたね。 特にロンティボーは実しやかに言われてた。 コンクールの審査の事は色んな本で読みましたが、私の感覚としては大きなコンクールになるほど影響はない と思います。バリバリのソ連時代の時でさえ「ソ連から一位を出せ」と当局から圧力がかかっても審査員は沽券にかかわると言って従わない。変な審査をすると自分の価値も下がるからです。 ショパンコンクールも2大会連続で1位なしがありましたね、スポンサーは怒ったはずですよ、お金を出したのに1位無しでは話題にならずお金を出した意味が無い、圧力がかかったという記事を読んだ記憶があります。しかし審査員はお金や政治の圧力には従わない人種のようです。審査にお金や圧力などは縁がなさそうです。 コンクール弾きは時代の流行と受け止めています。1次予選の当落前後の選考は、多少審査員の力関係が反映されると思いますが、本選くらいになると、自分の好みとは少し違う事はあっても明らかにおかしい選考とは感じない。 ネットの発達した現代の利点は全ての演奏が聴けるので 優勝者だけが特別優遇されるという訳でもありません。前回大会のあとも、私個人は本選に残った人、そして3次にいた数人はほぼ同じ感覚で見ています。 コンクールはショパンコンクールの場合は正統なショパン演奏の~という目的がありますが、我々聴衆にとってはTVの歌手オーディションと同様の新人ピアニストのオーディション企画です。優勝者が活躍する訳でもない。 クラシックは需要に比べて供給が多いので、聞くべきピアニストの目星をつけるのに役立ちます。前回も今回も注目されたのに早々に敗退したが、別のコンクールで上位に入り話題になる、ショパンには全く向かないがプロコフィエフは凄い、などという人にも目が向きます。 そういった意味でコンクールそのものが、色んなピアニストを世界に紹介するという意味で役立っていると思いますよ。昔の本選入賞者より、現代の1次予選参加者の方が世界中に人に聴いてもらえるという意味で優遇された環境にあると思います。1次不通過くらいの参加者の本音として「自分の演奏を多くの人に真剣に聞いて貰えるのはコンクール」というのがありました。その意味ではショパンコンクールは充分ピアニストの卵や聴衆には貢献していると思います。 1次通過の選考には不満の人もいるでしょうが、最終的にはいい塩梅に落ち着くのではないでしょうか。そうでないとショパンコンクールそのものが権威を失いますからね。

資料とても参考になり感謝です。客観的な統計学的な数字合わせによる合理的な解とは別の観点を持たれていて興味ある考察です。言葉は悪くなり、ご本人にとっては不本意かと思いますが、かつての黄禍論も思い起こさせます。 私が毎回考えるのは大会のレギュレーションが毎回コロコロ変わるように思えることです。うろ覚えですが、前回は最終ラウンド前にも採点が公表されていたようですが、今回は最終的な結果が出てからのようです。その採点方法はリンクした"Rules of the Competition Jury"で分かるように、偏りを修正する工夫がされていますが、ラウンドごとの採点表を公表すると都合が悪いことがあるのかと邪推しちゃいます。前回同様に、YouTubeその他で採点を詳細に分析する方がいると思われるので楽しみにしています。 https://storage.nifc.pl/web_files/_plik/file_manager/files/813353_Rules_Jury_last_02.10.ENG.pdf ピアノメーカーとの関係について思うことは、主催団体とYAMAHAは提携関係があるとの記述がある下記リンク先のコンペ使用ピアノ選定基準です。誤訳もあり得るので、解釈の違いがあれば指摘願います。 https://storage.nifc.pl/web_files/_plik/file_manager/files/766027_Grand_pianos_selection_regulations.pdf 過去の例では、コンペ会場のホール常備のピアノはSはホールの専任技術者が担当していると思われるのですが、今回は、その弟の技術者がYAMAHAを担当しているというような情報もあるようで、ということは、会場のサブピアノとしてYAMAHAがあるのかなと推測しますが、実際はどうなのか不確かです。K, F, そして50年ぶりにステージに上ったBも生え抜きの技術者を送り込んでいると思われる中で不思議です。それに各メーカーは色んなツテを使って、コンテスタントにアプローチしたり便宜を図っていると思われます。それでも15分の選定時間で、自分の一生を掛けるようなつもりで選ぶのではと思われます。そう言えば、前々回と前回でピアノの途中変更のルールが変わったようですが、今回ははどうなったのでしょうか。大衆音楽程のマーケットでは無いにしても、それだからこそなのか、業界の思惑が行き交うのでしょう。 以上は別にして、YAMAHAで残った演奏者の演奏は良かったなと思ったので、今後が楽しみなのと、注目していたC. Bechsteinを選び、その良さを弾き出す演奏をしていた15歳の才媛の演奏を今コンクールでは聞けなくなったのが残念です。悔し紛れに(ベヒ関係者ではありません念の為)、彼女の演奏をリンクしておきます。 https://www.youtube.com/watch?v=lLmex4q4w_w これ以上は、ファンタジーも何も無い金目の話になりそうなので、この辺りで。m(_ _)m

私はグローバリズムよりも情報化時代のなせる技を感じますね。審査員は毎回顔ぶれが変わるのか、審査に一定の方向性というものがあるのかを存じませんが、今の時代、どういう演奏スタイルが高く評価されるのか、どういった楽器が求められているのか、審査員の嗜好まで事細かに情報が集積・分析され、最良の結果を出すよう対策を練るようになっているのでしょう。受験のためのテクニックを身に着けさせる予備校と同じ仕組みです。演奏者だけでなく、楽器製造側の営業戦略に則った企画も同じでしょう。それが良いことだとは思いませんが、高得点を得るにはどうするか、勝つために必要なことは何かを優先すると、そうなってしまうのだと思います。結果的に似たような演奏ばかりになり、面白くなくなるとしたら、残念なことです。受験産業のおかげで、斬新なアイデアが出なくなったこの国の「なんちゃってエリート」みたいで。